「知らない」
書庫にこもっていたステラさんは、ごく短い言葉でフューリスさんの質問に答えた。……期待された答えではなかったけども。
「そうなのかい? 時期としては、確かに君も近くにいたはずの頃なのだけれど」
フューリスさんは質問を続けるけど、ステラさんは無言。
無視してるってわけじゃない。本を読んでいた顔を上げて、ちゃんとフューリスさんの方を見ているし。
それでも知らないと言うのは、ステラさんの性格からすると、嘘ではないはず。
……ステラさんでも知らないことがあるのか……。
「何か少しだけでも思い出せないかい? 見た目は魔石に近いものだったはずだよ。とても強い力を内包していて、内側から光を放っている、宝石のような――」
フューリスさんにしては珍しく熱心に語りかけているな……。それだけ重要な話なんだと思う。
すると、ふと、ステラさんのまつげが動いた。
「……〈月光の聖石〉なら、見た」
「それだ」
ようやく繋がった。俺も自分の事みたいに、安堵のため息が出た。
「今はどこにあるのかわかるかい?」
問題はそこだ。他の人の手に渡っているなら、その先をさらに追わなくちゃならない。
ステラさんはその問いに少しだけ間を置いてから、よくわからないことを言った。
「わかるけれど、わからない」
「難しい答えだね」
フューリスさんが肩をすくめて、いかにも困ったというしぐさを大袈裟に見せながら呟くと、ステラさんはさらに続けた。
「妹弟子が持っているのは知っている。妹弟子が今どこにいるのかは知らない」
そこまで言われて、やっと俺も内容を把握できた。
でも、ステラさんの妹弟子って何歳なんだろう、とか、そういうところが気になる。
もちろん、フューリスさんの方には、また違った感じ方があるみたいだ。
「持っている? 断言するとは、奇妙なことだね。すでに手放している可能性もあるんじゃないかな?」
それももっともな指摘だと思うけど、ステラさんは「ない」と即答した。
「心臓の代わりに稼働していた。失えば死ぬ。手放すはずがない」
「……そんなことになっていたのか」
少しの沈黙……あるいは絶句の後で、フューリスさんは呻いた。
「そうしなければ死んでいたと聞いている」
「そうだね。それほどに酷い状態でなかったら、心臓と魔石を入れ替えるなんて、やったやつの頭の中身を疑うところだよ。それほどの状態だったとしてさえ、ほとんど頭がおかしいのだからね」
実際のところ、心臓が石に置き換わるって、どんな感じなんだろう。
鼓動を感じなくなる……というか、そもそも無くなるわけだよな。それと一緒に、心も無くなってしまうものなんだろうか?
「師匠がやった。理由は『面白そうだから』だった。私はそれが本心であると推測している」
「……偏屈な人物だとは聞いていたが……おっと、失礼」
「問題ない。事実の指摘に過ぎない」
どんな人なんだろうな、その〈西の導師〉って。ステラさんの師匠なんだし、悪い人ではないんだろうけど……。
伝え聞く範囲では、ちょっと変な人みたいだな。
「ということは、その……フューリスさんがそれを取り返そうと思うと、その人は……」
その人にとって聖石は心臓と同じ。ステラさんも言ったとおり、失えば死ぬだろう。それをわかっていてそれでも、フューリスさんは聖石を取り戻そうとするんだろうか?
「そこは君が心配することはないよ」
フューリスさんはそう言って微笑を浮かべた。そこには不穏な影は見えない。
「君が心配するほど大きな問題にはならないはずだよ。おそらくね」
「そうなんですか?」
フューリスさんには何か考えがあるんだろうか。
「もしその子が石の力に困っているなら、私が自身の石を無害化した経験が役に立つだろう。無害化できるならば、石自体は私には必要ないよ」
「なるほど」
フューリスさんも、太陽の聖石の力を使わざるを得なかった人だ。それでも今は、聖石の力なしにこうして過ごしている。後遺症みたいなのはあるらしいけど、それでもその経験談は、ステラさんの妹弟子にもきっと有用なはずだ。
「そしてもし、石の力を大喜びで使っているようなら、私としてはその子に容赦する必要は感じないから、倒してしまうだけだよ」
「……なるほど」
すこし過激な論ではあるけど、フューリスさんは「聖石をこの大陸の歴史から消し去ってしまいたい」という意気込みだから、そうならざるを得ないんだろう。
もし戦いになってしまう場合は、俺の出番になるかもしれないけど……。
太陽の聖石については、俺なりに調べたこともある。
歴史書によると、この大陸にはかつて太陽の聖石を持った〈沈まぬ太陽の女神〉という人物がいて、東にある渇きの都を支配していた。その力は強大で、古竜ですらその女神に傷ひとつつけることができなかったそうだ。結局、同じ時代の英雄である〈北の魔剣王〉と大陸を二分するような争いの末に敗れたそうだけど。
魔剣王はその後に始まった大災厄で〈歪みをもたらすもの〉と戦ったというから、時代は少し遠いけど、俺の先達ってことになるな。
そのくらいの大戦争を覚悟しないといけない相手……。
正直に言うと、そんな相手と戦ってみたいという気持が、なくはない。でも今のところ戦う理由はない……強敵への興味という以外には。俺の身体が万全じゃないのも問題だし、なにより、みんなをそんな私的な戦いに巻き込むつもりはない。
「悪い噂は届いてこないため、おそらく自制しつつ暮らしていると推測される。穏便に済むことを期待する」
ステラさんが言ったことに、俺も同意するしかない。
「私も、そうであることを望んでいるよ。もちろんね」
フューリスさんとしてもそうなんだから、よほどこじれない限りは俺の出番はないはずだ。
「それで、その子に会いたいのだけれど、どうすればいいだろう?」
「師匠の元をそれぞれ旅立つ時、妹弟子は赤塞都市に向かうと言っていた。それが最後。およそ一年前になる」
「赤塞都市……西だね。少し遠いけれど、他にあてがあるわけでもないから、行くしかないね。あとでその子の特徴をまとめてくれるかい?」
「わかった」
フューリスさんは新しいヒントを得てまた一歩、聖石に近付いたわけだ。その目的が無事に達せられるように、俺も応援したい。
それにしても……。
「どういうところなんですか、赤塞都市って」
実を言うと、というほどでもないけど、俺の知らない場所だ。都市というからには相当に規模の大きな街なんだろうけど、よほど遠いのか、初めて聞く。
答えてくれたのはステラさん。
「古い時代の戦争で築かれた城壁がある。赤い城壁が名前の由来。過去の英雄〈天覇聖〉の子孫がその街の領主――王として君臨。かつては平和な街だった。そう聞いている」
「かつては……ということは、今は違うんですか」
「赤塞都市は十年ほど前に大きな災害があったのだよ。正確には、十三年前だったかな?」
今度はフューリスさんが話してくれた。
「城壁の内側は今でも酷い有り様で、立ち入りが禁止されているという。王はその時に死に、王家でただ一人生き残った王子が、今は人々をまとめているそうだ。人々は城壁の外に新市街を作って暮らしている」
思った以上に不穏な話だ。十三年も前ということは聖石のせいではないんだろうけど、でも今そこに聖石を持った人がいるかもしれないってのは、何かが起こりそうな予感を覚えるのも無理ないところだろう。
そんな俺の様子を見てから、フューリスさんが続けた。
「まあ、すぐ傍に今でも暮らしているのだから、差し迫ったものでもないのだろうね。ともかく行ってみることにするよ。もし本当に危険なら、改めて君に協力を頼むかもしれないけれど」
もしかすると、という気持ちがなくもない。
というのも、災害が起きたのが約十年前。というのは、邪神復活の前兆のひとつだった可能性もあるなあ、と。
もうそうなら、俺が立ち向かうべき何かがそこにいるかもしれない。
……まあ、考えすぎか。
まずいな。俺も最近あまり身体を動かしてないからなあ……って程度の気分を理由に、大陸規模の危機を望んでるみたいになってるような。
「そうならないように祈っておきます」
自戒を込めてそう言うと、フューリスさんも「そうだね」と頷いた。
……本当に、気を付けないとな。
「ところでもうひとつ訊きたいのだけれど、ユウリィが来るのは、次はいつかな?」
「ユウリィさん?」
少し意外なことを訊かれて、俺はステラさんと顔を見合わせた。
「旅に出たのが春祭りの後だったから、数日しか経ってないですね。まだしばらくは戻らないんじゃないかな……」
普段通りなら、北にある荒水の町まで出て、天駆の街道を主な活動域にしているはず。ただ、そのどこにいるかまでは俺は判断できないし、わかってから追いかけても追いつけるとは思えない。
フューリスさんは「ふむ」と唸った。
結局、ここで待っているのが確実とはいえ……。
「それならば、待っていても時間を無為にするかもしれないね」
まさに、フューリスさんの言う通りだ。
「ああ、あとほんの数日だけ早く来ていれば! 急ぐ旅でもないなどとうそぶいて晩冬の味覚に舌鼓を打っていた少し前の自分を叱ってやりたい気分だよ」
フューリスさんが大袈裟に言うので、少し笑ってしまった。
「この館で有意義に過ごせば良い」
そう指摘したのはステラさん。
確かにその通りで、ユウリィさんへの用事がすぐに済まないからって、無為に過ごす必要はない。近いうちに聖石を追って赤塞都市に旅立つにしろ、今すぐってこともないだろう。
フューリスさんはほんの少しの間、目を伏せて考え込んだ。
「それが最善であるように思えるね。ということは、だ。急ぐ旅でもないのだし、ここで春の味覚に舌鼓を打つのも悪くはない……ということになる」
「少し後の自分に叱られるんじゃないですか?」
「それもまた一興というものだけれどね。少し後の自分もおそらくそこまで狭量ではないと、そう期待したいと思っているのだよ、実はね」
このあたりの言い回しの迂遠さは、仲間内ではフューリスさんが一番だな……。
まあ、何日か滞在するのは間違いなさそうだ。
「フューリスさんはこの館は初めてですよね。何日くらい滞在できそうですか? 温泉もあるし、ぜひ休んでいってもらいたいところですけど」
「そうだね……」
俺の誘いにフューリスさんは、言葉には悩むそぶりを滲ませながらも、微笑んでみせてくれた。
「石の行方がおぼろげにもわかった以上は、あまり長居するのも気が落ち着かない。けれど、積もる話がないわけでもない、というのが悩ましいところだね。間を取るといった具合で、三泊ほど寝床を貸してもらおうかな?」
「わかりました。ニーナにもそう伝えておきます」
「よろしく頼むよ」
お互いに、話したいことも訊きたいことも少なくないはず。
長い夜になりそうだ。