ニーナの案内で空き部屋のひとつに旅の荷物を下ろして、フューリスさんも館の住人になった。一時的にではあるけど、それは厳密に言えば俺とニーナ以外はみんなそうだ。
「なかなかいい館だね。話に聞いた印象ではもっと、そうだね、趣味の悪い建物なのかと思っていたよ」
フューリスさんがそう言うのは理解できる。前の領主の悪行を聞けば、類い希な美的センスを有していて非常に落ち着いた雰囲気の邸宅に住んでいる人物だとは思わないだろう。そして、実際にそうじゃなかったわけだし。
「調度品なんかには、あまりいい趣味と言えないのもありましたよ。ユウリィさんに処分してもらいましたけど」
思い返せば絵画も彫刻もたくさんあったけど、裸婦が題材のものが多かったな……。それを「いい趣味をしている」なんて、同じ趣味だと公言するようなものだし、おおっぴらに言う人はほとんどいないだろう。
夕食の準備に戻っていったニーナに代わって、暇な……こほん、時間に余裕のある俺が、館の案内。
一通り案内し終わって、最後に裏庭。前にはここで肉を焼いたな。あれ以来、調理炉はときどき使われてる。
「向こうにあるのが温室で、温泉の熱で暖めてるんです。南の方の植物もありますよ」
「それは興味深いね。世話は誰が?」
「主にマリアさんが。ミリアちゃんとナタリーもよく手伝っていますね」
フューリスさんとそんな話をしていると、裏庭の日当たりのいいところに置かれた丸テーブルが目に付いた。
レベッカさんとペネロペ、それにクレールがいるな。顔を突き合わせて、何かを覗き込んでるけど……。
「何してるの」
「あ、リオン」
声を掛けると、三人とも顔を上げてこっちを見た。
「それにフューリスも? おかえりー……は、変かな?」
「この館に来たのは初めてだからね。けれども、うん。知った顔が多いから、まるで実家のような気分だ、とは言えるよ」
確かに、フューリスさんにとって初対面なのはペネロペだけか。
「えっとねー、ペネロペが教会の奥から古地図を見付けてきたっていうから、三人で眺めてたんだよ」
「でもどこの地図かわからないのよね……」
クレールもレベッカさんも地理に疎くはないはずだ。それでもわからないってことは、相当に遠い場所の地図なのか、あるいはもしかして異世界の……?
特に熱心に見ているのはクレール。
「宝の地図だと思うんだけどなー。だってほら、古王国語で、えっとー……『竜の黄金を求める愚かな冒険者たち、欲にまみれた盗人どもよ。お前たちは必ず後悔するであろう。お前たちを待ち受けているのは、恐ろしい死だけなのだから』……だって。これは間違いないね?」
宝の地図……なのか? これが?
「黄金って単語以外は全部不吉な言葉だったような気がするけど」
そう指摘したけど、クレールは自信満々の表情を崩さない。
「他にもいろいろヒントが書いてあるんだよ。これさえあればきっと財宝を手に入れられるよ! ……まあ、どこの地図だかわからないんだけどね」
それに呼応してレベッカさんも。
「金銭的な価値はともかく、考古学的に貴重なものもあるかもしれないわね」
なんて言って、結構乗り気だ。
とはいえ、実際に探しに行くつもりじゃなくて、知的な遊戯として古地図の解読に挑んでるんだろうと思う……たぶん。
「でも、場所がわからないんだよね?」
「山と川と町が描いてあるけど、このくらいの組み合わせ、大陸のあちこちにあって特定できないよね。地名が書いてあれば簡単なのになー」
地名すら書いてないのか。大昔の子供の落書きか何かって可能性もあるな。いや、それだと逆に、適当な地名を書くかもしれないかな?
ちなみに一緒にいるペネロペが黙ってるのは……たぶん、古王国語を読むのに苦戦してるんだと思う。
「うん? もしかして……」
と、フューリスさんがその地図を眺めながら、呟いた。
「地図をそのまま見ていないかい? ほら、ここに太陽が描かれているだろう? この印を太陽の方に向けると……」
「えっ。ということは、ふむふむ、なるほどー……」
指摘を受けたクレールが、その通りに地図をくるりとすると……
まず「あっ」と声を上げたのはペネロペだけど、まだ読んでる途中だったのを取り上げられたからか。
それから、クレールがぽつり。
「僕、この地図を描いた人に文句言いたい……」
いきなりなにごとかと思うと、今度はレベッカさんがため息。
「これ、南を上にして描かれてたのね……先入観にとらわれすぎてたわ……」
そういえば、普通の地図は北を上にしてる気がするな。
「あれってどうしてなんだろう。何となくそのまま使ってるけど」
誰にともなく尋ねると、レベッカさんが教えてくれた。
「北の空に『北の明星』っていう不動星があるから、その星を向いた状態でわかりやすいようによ」
なるほど。その星は俺にもわかるくらい明るい星だ。夜に目印にするにはちょうどいい。ただ、さすがに昼の間は見えないな。
「羅針盤の針が北を指すから、それと合わせて見やすいようにしてるらしいって、父様が言ってた気がするけど」
そう言ったのはクレール。羅針盤は俺も使ったことがあるな。黒猫の意匠がついた魔法の羅針盤を持ってる。北を指すのは魔法のおかげなのかな? 仕組みはよくわからない。
「私の故郷では南を上にしていたよ。真昼の太陽の方角を上にすると定められていたからね」
フューリスさんの言葉に、クレールが「えーっ」と声を上げた。
「ということは、これはフューリスさんの故郷の方の地図?」
俺がそう訊くと、フューリスさんは微笑しながら首を横に振った。
「そうとは限らないね。地域や時代や用途によって、どの方角が地図の上になっているかは変わる、というだけのことだよ。北を上にするのが近年の流行ではあるようだけれどね」
なるほど……? よくわからない。
「結局、どこの地図なんだろう」
「私の故郷の近くのような気がしますわ」
そう言ったのはペネロペ。
「その財宝を竜の黄金と言うからには、竜に関係のある土地なのでしょう? 私の故郷の近くに、刃義の赤竜山というかつて火の竜が棲んだという山がありますの。そこで数年前に大きな噴火があって、私は家族と離ればなれに……」
おっと。偶然見付けた古地図に、意外な繋がりがあったな。
ペネロペが故郷を離れる原因になった災害って、火山の噴火だったのか。俺は噴火って実際に見たことはないけど、山から噴き出した炎が森の木々や近隣の村や町さえ呑み込むと聞いて、さすがに恐怖を感じたな。竜への対処の方がよほど簡単に感じる。
ちなみにペネロペの両親がその災害を生き延びていたのは、少し前にアゼルさんが話したとおり。預かっていた手紙もすでにペネロペに渡してある。安心はしたようだったけど、聖騎士の修行を放り出して帰るつもりはないようで、まずは返事を書くと言ってたな。
「それじゃこの町の名前もわかる?」
クレールが訊くと、ペネロペは頷いた。
「おそらく、狼宴の町だと思います。錬灯都市の傘下ですわね」
「錬灯都市ってー……えっとー……」
クレールが悩んでる。俺もよく知らないな、錬灯都市って。世の中には俺の知らない場所がまだまだたくさんあるんだな……。
「かつては燈火の街と呼ばれていたところだね?」
言ったのはフューリスさん。聞き覚えがない地名なのは変わらないけど。
「あーあー、あの辺かー」
クレールの方はそれでわかったようで、しきりに頷いていた。
「今日出て明日着くって距離じゃないね。帝麟都市より向こうだもんね。掘り出しに行くのは無理かなー」
そんなに遠くなのか。
帝麟都市には、俺の爵位を認めてもらうように手紙を送った。ちょうどそこに行く予定のあったクルシスがそれを引き受けてくれたけど、冬の初めに出発して、まだ戻ってきていない。
そのくらい遠い帝麟都市より、まだ向こう。
俺にとっては世界の果てとも大差ない距離だ……。
「ペネロペの故郷の近くだというなら、彼女が持っておくのがいいのではないかな?」
「そうだねー。見付けたのもペネロペだし、里帰りのお土産にでもしたらいいよ」
そういうことになった。
ちょっと不思議なのは、フューリスさんがごく普通にペネロペの名前を出したこと。これが初対面だと思ってたんだけど。
「あ、そうだ。フューリスさん。先日はありがとうございました」
立ち上がって頭を下げたのは、レベッカさん。すぐに、ペネロペもそれに倣った。
「役に立ったかい」
「はい。助かりました」
と言葉を交わす二人を見ても、何があったのかよくわからない。
「何の話?」
俺と同じく心当たりがないらしいクレールがそんな風に尋ねると、フューリスさんが微笑と共に答えた。
「先日、雷王都市で偶然、レベッカと会ってね」
「偶然って、そんなことあるんだ」
「雷王都市だったら不思議でもないだろう? リオンと一緒に活動していた頃はみんな同じ宿に集まっていたし。今でも特段の理由が無い限りは、同じ宿に行くよ」
「なるほどね」
確かに、あの宿は東門に近い場所にあったから便利はいい。冒険者の組合が運営してる安宿だったと思う。ちょっと懐かしいな。俺も雷王都市に着いて何度かは泊まったし、そうでなくても他のみんなとの待ち合わせにはよく使った。
料理はまあ、あまり美味しくはなかったな。……というと失礼だから補足すると、安いから仕方ないな、といったところ……。雨の日が多くて野菜が育ちにくい土地柄のせいもある。
「地図を頼りに古い時代の教会の跡を探していたんだけど、地図も古くて、地名が今と違ったの。それで、ちょうどフューリスさんと会えたから相談したら、すぐに今の地名に読み替えてくれて」
「まあ、これでも旅はしてきた方だからね。地名についてはなかなか詳しい方だと思っているよ」
「本当に助かりましたわ」
ああ、それでフューリスさんとペネロペも面識があったのか。初対面にしては自己紹介もないと思ってたけど、そういうことなら納得だ。
「なるほどねー。雷王都市が昔は止まぬ雨の街だった、みたいな話ね」
クレールがぽんと手を打つと、フューリスさんも笑いながら「そうなるね」と応じた。さっきの、錬灯都市と燈火の街の読み替えも、同じ話だ。
「竜牙の村は寒寂の村だったね」
そう言ったのはクレール。
「今はまだ寒寂の村の方が知られてると思うけどね」
俺が言ったのは本心だ。いつかは逆転するのかもしれないけど、少なくとも今はまだ、そうだろうと思う。
「いずれにせよ、古い地名にはその土地土地ごとの歴史や教訓が込められている場合もあるから、いたずらに変えてしまうのは感心しないね」
フューリスさんの言葉には、俺も頷くしかない。でも、竜牙の村って名前に関しては、今更言い出せないしな……。
「とはいえ、それも時の流れというものではあるね」
考えると、地名って結構、時が経つと変わるものなんだろう。
それをたくさん見てきたフューリスさんはなおさら、それについて思うところがあるのかもしれないな。
夕食の席では、久しぶりに会ったフューリスさんとみんなで大いに盛り上がった。
「――さてそうして青年貴族サンジェルマン伯爵に扮した私は、その宴でとある貴族のご令嬢に気に入られてしまってね。ぜひ奥の部屋で、二人きりで話がしたいと誘われたのさ。さあそれで怒ったのがその令嬢の婚約者だ。私としてはあまり事を荒立てたくはないと思っていたのだけれど、彼は私の言葉など聞く気もない、といった様子でね。怒りに燃える目で私を睨み付けてこう言ったのだよ……『決闘だ』。私はやれやれと心の中でため息をついたけれども、周囲の目もあることだし、当たり障りのない返事をすることにしてね。それで言ってやった。『死ぬ覚悟がないのに、そのようなことを口走るのは感心しませんね』……とね」
「自分から特級煽ってるです!」
フューリスさんは俺たちと別れてからの自分の冒険を面白おかしく話して聞かせてくれた。どこまで本当の話かはわからなかったけど。