「ちょっといいかな?」
そこに声を掛けてきたのは、フューリスさん。いつの間にか、じっと睨んでいた遊戯盤から顔を上げて、俺たちの方に視線を向けている。
「私は大教会のしきたりに詳しくないから、教えて欲しいのだけれど」
そう前置きして、フューリスさんは続けた。
「その聖意物というのは、さっきペネロペは過去の著名人の遺骨や遺品だと言っていたけれど、となると――つまりね、その対象となる著名人は故人でなければいけないのだろうか、ということなのだけれど」
尋ねられたレベッカさんは、ほんの少しだけ悩んだ後で、フューリスさんの疑問に答えた。
「他の宗派はどうかわからないですけど、自由と光の教団では、必ずしも故人である必要はないですね。過去には教皇聖下から下賜された杖をそれとみなしていた例もありますし。ただやはり、遺骨のようなものの方が使いやす……でなく、取り回しが……でもなくて、ええと……」
「死後の時間経過によって評価が定まっているために、聖意物も価値の騰落が発生しにくい」
「……という側面はあります」
信仰のためにあまりぞんざいな言葉を使えないらしいレベッカさんに代わって、ステラさんが間に補足を入れてくれた。
まあ確かに、一時は持て囃された人が急に転落人生、なんて話題はどこにでもある。評価が二転三転するのに引きずられるなら、そのゆかりの物を祭る教会は大変そうではあるな。
ともあれ、それを聞いたフューリスさんは「ふむ」と息をついて……。
「まあ、話はわかったよ。……そういうことなら、何とかなるかもしれない」
と呟いた。
「実を言うとね、私の友人に大教会の著名人がいるのだよ。故人ではないから身体の一部を譲ってもらうというのは無理だけれど、髪か爪くらいならば頼めば用意してくれるのではないかと、そう期待するところなのだよ」
「そんな人が……ええ、頭髪なら十分、聖意物として祭ることができます」
なるほど。確かに、髪なら一度切っても時間が経てばまた伸びる。それでも聖意物としていいなら、存命人物にも頼みやすいな。骨をくれ、なんて言うよりは。
「ちなみに、素行も非常に良くてね、これから評価が下がるとも思えない。むしろまだまだ高まっていくだろうし、死後となればどれほどのことになるか想像もつかない。今のうちの方がむしろ入手は容易、というくらいの人物だよ」
今時、そんな人がいるのか。
あまりに話がうますぎはしないか、という不安も少しだけ。ただ、フューリスさんの紹介なら身元の確かな人だろうとは思う。
レベッカさんもほぼ同じように考えたのか、かなり乗り気に見えた。
ただ一応、聞いておかないといけない。
「とてもいい人なのはわかりました。でも、その……他人に渡しても大丈夫なくらいには、あるんですよね? 髪の毛……」
尋ねると、ペネロペが吹き出した。フューリスさんとレベッカさんは苦笑。ステラさんは無表情のまま俺を見ている……。
「確かに、聖職者にはわざわざ剃ってしまう人もいるくらいだから心配するのはわかるけれど、そこは問題ないよ」
フューリスさんがそう言うなら、そうなんだろう。
気を取り直して……。
「その人には、どこに行けばお会いできますか? フューリスさんも一緒に行ってくれたらお願いもしやすいけど、無理なら紹介状だけでも……」
レベッカさんの勢いは、今日これからすぐにでも馬に乗って話をつけに行きたい、というくらいだ。
「ああ、その必要はないよ」
それをフューリスさんが止めた。
「だってその大教会の著名人たる私の友人とは、レベッカ、君のことなのだからね」
「えっ」
レベッカさんに視線が集中する。
その本人は、その言葉の意味を測りかねているような表情だったけど。
「あっ……あー……そういうこと……」
その顔も次第に理解の色を帯びてきた。
「確かにそうですわ!」
ペネロペが歓声を上げた。
「なにせレベッカお姉様は大教会の期待の星! 先日は〈聖女〉の称号も授与され、その名声は今や天への階段を駆け上るかのよう!」
それに対して、レベッカさんはまだ放心から立ち直っていない様子。
「……天への階段を駆け上るって、それ死んでるみたいだからやめて……」
そういえば、レベッカさんが〈聖女〉の称号を受けた話は俺も聞いたな。
過去にその称号をもらった人はみんな早死にしてる、とも言ってたけど……。
「けれども、きれいな金髪をそこまで伸ばしているのだから、特別な思い入れがあるのはわかるよ。切りたくないという気持ちも無理はないところだね」
ああ、レベッカさんが落ち着かない様子なのはそのせいか。フューリスさんの指摘で、俺にもようやくわかった。
「私も昔、長く伸ばしていた髪を切った時には、ねえ、何だか……うん、ひとことで言うなら、『やってしまった』が近いかな? そんな気持ちになったよ」
フューリスさんはというと、今は確かにそんなに長くは伸ばしてないな。以前に確か、変装に邪魔だからあまり長くはしない、と言っていたように思う。それでも俺よりは長いけど。
それにしても、レベッカさんは聞いているのかいないのか、どうにも反応が鈍い。
「聖意物として扱うのに適切な長さとかあるんですか?」
その最低限だけ切るくらいなら影響は少ないんじゃないかと思って、そう訊いてみた。するとレベッカさんからの返答は……。
「それはまあ、長ければ長いほどいいでしょうね……」
……うーん。それなら、レベッカさんがこんなに悩むのもわかるな。
「また伸びる」
とのステラさんの指摘にも。
「それは、そうなんだけど……」
という返事。
ステラさんも、髪はさほど長くない。ここにいる中ではレベッカさんの次に長いのがペネロペだけど、それでも肩のあたりまで。
レベッカさんの葛藤をわかってあげられそうなのはマリアさんかな。わりと長い方だし。でも残念ながら、今ここにはいない。
「……うう。別に、願を掛けているとかじゃないんだけど、いきなりだからまだ気持ちの整理が……」
やっと自発的に言葉を発したと思ったら、呻くようにそう言ったあとは頭を抱えてしまった。
これは……すぐに判断できる状態ではないかな。
「……やっぱり、まずは他を当たってみてからがいいんじゃないかと思います。対価がお金で済むなら何とかなるかもしれないし」
「それがいいかもしれないね。すまなかったね、まとまりかけていた話をかき回してしまって」
「いえ。確かに驚きはしましたけど、気付いていなかった点を指摘してもらって……でも、はい。もう少し考えてみることにします……」
後でマリアさんにも事情を話して、それとなく相談に乗ってもらうように頼んでおこう。
「ところで、私が気になったのはステラの方だよ」
フューリスさんに呼ばれて、ステラさんは少しだけ首を傾げた。
「師匠に手紙を送ると言っていたね。もしかして、君は〈西の導師〉がいまどこにいるのか、わかるのかい?」
そのことか。
ステラさんの師匠である〈西の導師〉は、フューリスさんの捜し物を一度は手にした人物だ。
でも、住処がひとところに定まらないから、なかなか会うことができないと言っていた。その居場所がわかるなら、話を聞きたいと思うのも当然か。
でもステラさんは首を左右に振った。
「わからない」
「わからないのに、手紙は届くのかい?」
「過去の居住地に特別な手順で手紙を送ると、使い魔が取り次ぐ。連絡は可能」
何のためにそんな面倒くさいことを……と思うけど。
そういえば、聖人の遺骨を実験に使っちゃう人だったな。フューリスさんが探してる聖石をステラさんの妹弟子の心臓の代わりに移植したのも、その人だ。
俺の常識でその思考をはかろうってのは、無理な話なのかもしれない。
ともあれ、ステラさんによれば、その人への手紙は届けられる。
「そういうことなら、私の探している太陽の……いや、そちらで〈月光の聖石〉と呼んでいる石についても尋ねてくれないかい?」
「そちらで手紙を用意してくれれば同封する」
ステラさんがそう返答すると、フューリスさんは微笑を浮かべた。
「ありがたいことだね。早速、今夜にでもしたためるとしようかな」
そう言いながら、フューリスさんは遊戯盤上の駒をひょいっと摘まみ上げて、ステラさんの陣地から遠く離れた位置に指した。
「……それは最善手ではない」
俺の目からも、ステラさんの意見が正しいように見える。ただ、俺の腕前は先に言った通り、全く大したことないんだけど。
「今の君にはそう見えるかもしれないけれど――」
フューリスさんは微笑……いや、違うな。
不敵に笑っている、というやつだ。
「いつだって最短の道を行くことが、必ずしも正解とは限らない。だから、私の手はこれでいいのだよ。時間はたっぷりあるのだからね」
結局、この勝負は夕食を挟んで夜まで続いた。
そして、珍しく長考したステラさんに、それでもフューリスさんが競り勝った。
あの手を指した時にそこまで読めていたのか、と訊くと……。
「もちろん、ここまでの道筋は全て読めていたよ――なんて、事も無げに言えると格好良いね。君もそう思わないかい?」
という、結局どっちなのかよくわからない返答をもらった。