傭兵組合詳報の記者から取材を受けた日から、さらに数日が経った頃――。
「久しぶりだな、リオン」
帝麟都市に行っていたクルシスがようやく帰ってきて、執務室のドアを開けた。
砂と泥にまみれた旅装で、荷物も背負ったまま。もちろん、腰には魔剣を帯びてる。
これが知り合いじゃなかったら、まずはとにかく追い出してるところだ。
「長旅ご苦労様、クルシス。帝麟都市はどうだった?」
「魔剣王の足跡をたどろうと思っていたが、その件ではあまり収穫はなかったな」
「それは残念だったね」
旅が長引いたのはそれが理由か。帝麟都市の方に用事があるとは聞いてたけど。
「ああ。それから……お前の爵位とこの地の領有について帝麟都市に申請した手紙の、返事を持ってきた。渡された時に聞いた限りでは、特に問題のない内容だろうと思うが」
確かにまあ、きっと大きな問題はないだろう。すでに公示もされてたって、ネスケさんから聞いたし。
クルシスは荷物の中から小箱を取り出して、その中に仕舞われていた真っ白な封筒を差し出してきた。雷王都市から届いたのに負けないくらい、立派な封筒だ。それを持つクルシスの手も、俺と比べると相当白いけど。
……これで二ヶ所目か。
あとは村はずれの教会の修繕に目処が立てば、天命都市からもいい返事をもらえると思う。
いよいよ後戻りできなくなってきた気がするなあ。
ともあれ、届いた手紙は後でクレールに精査してもらうことにしよう。
「滞在中はここを宿にしたい。いいか? そう長くは滞在しないと思うが」
クルシスがそう言ったので、俺は他のみんなの顔を思い浮かべつつ……。
「構わないよ。一階の来客用の部屋が空いてる」
そのはずだという結論を得た。
本来なら俺や他のみんなと同じ二階の部屋を使ってもらうところだけど、レベッカさんとペネロペに加えてフューリスさんも滞在してるから、空いてないんだよな……。
来客用の部屋の方が内装はしっかりしてるから、それで納得してもらおう。
クルシスは〈北の魔剣王〉の末裔。魔剣王っていうのは、かつて央州全域を巻き込んだ大戦争で中心的な役割を果たした英傑。クルシスもその血と剣技を受け継いでいて、相当の強者だ。
俺がクルシスと最初に会ったのは、〈剣鬼〉に滅ぼされた故郷から雷王都市に向かう途中。
今でこそクルシスは俺の冒険仲間の一人だけど、出会いは酷いものだった。
何しろクルシスは剣鬼と瓜二つだったから。それもそのはずで、二人は双子の兄弟。クルシスは魔道に堕ちた剣鬼を追っていたところだった。
とはいえそんな事情を知ったのは後日のことで、その時の俺は二人を区別できずに、争いになった。当時はクルシスの方が圧倒的に強かったから、俺は軽くあしらわれてしまったけど。
再会した時には力量差も縮まっていて、剣鬼を倒すために協力し合うことになった。その後は〈歪みをもたらすもの〉を倒すまで仲間として、ライバルとして、そして友人として、その力を貸してくれた。
はっきり言って、単純に剣技の腕だけで比べたら、俺は今でもクルシスには勝てないと思う。
腰に帯びているのは魔剣で、銘は〈極北の魔神〉。常に冷気を帯びているその剣は、クルシスの先祖が魔剣王という異名で呼ばれる由来になったもので、以来代々受け継がれてきたんだそうだ。
ちなみに、右利き。剣鬼は左利きだったから、俺も今見れば二人の区別はつく。
食堂で夕食の準備をしていたニーナから客室の鍵だけ預かって、俺がクルシスを案内した。
一階のエントランスの東西に、来客用の部屋がそれぞれひとつずつある。今回は東側の部屋を使ってもらうことにした。前庭に面しているから、日当たりはいい。
西側の部屋はまだ空いてるな。今のところ他に誰かが来る予定はないけど、俺の仲間って、クルシスもそうだしフューリスさんやアゼルさんもそうだけど、旅の途中にふらっと立ち寄るってことがあるからなあ。
荷物を下ろして旅装を解くと、クルシスは軽く頭を振った。肩まである金髪が、窓から差し込んだ陽光できらめく。
北の方の生まれだからか、クルシスの肌は白い。髪も、金髪とは言ったけど、正確には金と銀の中間くらいかな。その中で輝く赤い瞳は、まるでルビーのよう。物語に出てくる北の森の妖精は、きっとこんな感じだと思う。
このクルシスと瓜二つだった〈剣鬼〉が『人ならざるもの』の扱いを受けたのも納得できるな。
「次の旅は少し長くなる」
と、クルシスが言った。
「東……異境の砂漠にある渇きの都へ行くからな」
「そこって、フューリスさんの故郷だったような気がするな」
「そうなのか」
帝麟都市も遠いと思ったけど、渇きの都はさらに遠いな。船に乗れば近くまでは行けると思うけど、その後もまだ遠いんじゃないかな。地理に明るくないから、聞きかじりからの印象だけど。
「かつて魔剣王が、その都の支配者である〈沈まぬ太陽の女神〉と戦ったという伝説がある。魔剣王が勝利したから、敗れた向こうにはあまり記録はないかもしれないが……」
「それは、そうかもしれないな」
そのことについて知りたいなら、一方の当事者がごく身近にいるんだけど……本人が言い出さない内は俺からは言わないことにしてるから、クルシスに対しては曖昧に頷くだけだ。
「魔剣王が見た景色を私も見たい。そのための旅だ」
そういうことなら、戦いの顛末だけ聞いても仕方ないのかもしれないな。
でも、となると、船は使わずに陸路を行くのか。いったいどのくらいの時間と費用がかかるのか、俺じゃまったく想像もできない。
「じゃあ、ここでしっかりちからを蓄えていかないといけないね」
ともかくそれだけは確かだ。
クルシスも「そうだな」と頷いて返した。
「それと、ここにはもうひとつ、やらねばならないことがある……」
それが何かを尋ねようと思った瞬間。
――ぞわっ。
全身の毛が逆立つ、
害意。あるいは、――殺気。
とっさに身体をひねって、伸ばした手で掴んだのは燭台。
迫った『それ』を、どうにか眼前で受け止める。
ギン、と、金属製の燭台が音の波紋を広げ……
それに一瞬遅れて、窓にかかったカーテンがふわりと揺れた。
「――久しぶりに会ったのだから、お前とは剣を交えねばな」
足下を冷たい風が流れていった。
クルシスの右手に握られていたのは魔剣……ではあるけど、鞘に入ったままだった。もし抜き身だったら、たとえ
その時に俺の頭がどうなっていたのかは、あまり想像したくないな。
剣に込めていた力を緩めたクルシスが薄く笑って離れると、俺もようやく一息ついた。
「先に言っておくけど、俺は全力は出せないよ。クルシスには悪いけど」
「鍛錬を怠っていたようには見えないが?」
それを試すために、いきなり襲いかかってきたのか。
「まあ、事情があるんだよ……」
ため息をつきながら燭台を元の位置に戻すと、うーん、明らかに曲がってるな。危なっかしくて、これに蝋燭を立てたいとは思わない。
さてそれはともかく。
クルシスと全力で戦うのは、正直に言うと、楽しそうではあるけど……。
今の俺がそれをやると、
特に、お互いに魔剣を振るって対決したら、絶対にまずいよなあ。
「……模擬剣での練習試合でよければ、いいけど」
そのくらいまでがぎりぎり、大丈夫なんじゃないかと思える範囲。
「無理を言うわけにもいかんな。仕方が無い。それで良い」
「すまないね」
ちょうどそう言ったあたりで、さっきの燭台がごとりと音を立てて転がった。
……修理に出すか。
*
夕食の席には現在ここに滞在している全員が集まって、十一人と一匹。
これだけいれば多少騒がしくなるのは当たり前で、今日の話題の中心はやっぱり久しぶりに会ったクルシスのこと。
「帝麟都市って、俺は行ったことないけど、大きな街なんだよね?」
俺がそう訊いても、クルシス本人は「ああ」と言うだけで、詳しくは話さないけど。
だから代わって答えたのはステラさん。
「かつては『都市』と呼ばれる規模の街は帝麟都市しかなかった。古王国の後に興った新王国の王都。現在はいくつもの小王国が乱立しているものの、帝麟都市はなお大陸最大の都市」
大陸最大、ということは、雷王都市より大きいんだよな。想像できない。雷王都市でさえ、田舎村から出てきた俺にとってはとてつもない大都市だったし。
「古王国時代には十字路の街と呼ばれていた。交通の要衝。それは今でも変わらない。一説によると、現在の人口はおよそ三十万」
「三十万!」
「これでも最盛期の半分以下とされている」
ステラさんの追補に、誰からともなく驚愕の声が上がる。
この村の住民が確か五百人くらいだから、ええと……まあ、比較にならないということはわかった。
「目隠ししたまま適当に剣を振っても誰かを斬れるほどだったな」
そう言ったのは、最近実際に行ってきたクルシス。
「クルシスは喩えが物騒だよ」
まさか実際にやってはいないだろうけど。
「僕もいつか行ってみたいとは思ってるんだけどねー」
あれ。クレールがまだ行ったことがないってのは意外だな。
でもそういえば、クレールはわりと最近まで故郷の街から出たことがなかったんだな。クレールのお父さんの〈箱庭〉にはあの街しかなかったわけだし。
「ミリアが目指している大学も帝麟都市にありますね」
マリアさんが言うと、ミリアちゃんも頷いた。頷いただけなのは、パンを頬張っているから。
「ミリアちゃんが大学に無事入学できたら、送っていこうかな?」
クレールのその提案は面白そうだと思う反面、そんな大都市に田舎者の俺が行くと、街の中で迷いそうだという気持ちもある。
そもそも、俺はともかく、クレールとステラさんが二人とも出かけたらその間の領地運営はどうするんだっていう問題もあるし。俺が一人で? 無理な話だ。
「七重の城壁を備え難攻不落とされた帝麟都市を攻略し、新王国にとどめを刺したのが我が祖、魔剣王だ」
とは、クルシスの言葉。
領主を打倒したって一点だけなら俺と同じだけど、その規模が桁違いだな。俺には真似できないと思う。真似するつもりは、今のところないけどね。
「……うまいな」
ふと、クルシスが声を漏らした。
今食べたのは、このあたりの海で獲れる魚を調理したものか。
「食事はほとんどニーナが作ってるよ。これは?」
「舌平目のムニエル。旬にはちょっと早いけど、たくさん獲れたって聞いたから」
バターの香りが食欲をそそる。白身の魚で、味はあっさりしてるかな。故郷で食べてた川の魚と比べると、臭みは全然感じない。種類のせいか、調理の腕の違いかはわからないけど。
「人の食事だ」
「それって褒めてる?」
クルシスの言葉に、ニーナが苦笑した。
「他で食ったものは、あんなものは、これと比べたら家畜の餌だった」
これ、ニーナの料理を褒めてるというよりは。
……よほど酷い店に当たったんだろうな。
「これに慣れると、他では何も食えなくなるように思う」
その感想は……同意せざるを得ないところだけど。