その日はこの土地にしては珍しく、朝から雨が降っていた。統計とかあるのかはステラさんに聞かないとわからないけど、体感で言うと十日に一度くらいかな、雨が降るのは。
毎日雨が降ってばかりだった雷王都市と比べると、全然降らない、と言っていいくらいだ。
そんな雨の日に、その雷王都市からの訪問があった。
ニーナに呼ばれてエントランスまで出てきた俺の視界に、外套を雨に濡らした大柄な騎士が入った。
雷王都市のヴォルフ将軍。俺の冒険の仲間の一人だ。
「どうしたんです、ヴォルフさんがわざわざここまで来るなんて」
「うむ……。ちとな、頼みがあるのだ。リオンと、それから、ニーナに」
言われて、俺とニーナは顔を見合わせた。
ヴォルフさんは、雷王都市の騎士たちを束ねる将軍の一人。
元々身体ががっしりして大きい人ではあるけど、全身を覆う金属鎧を身につけているから、なおさら大きく感じるな。しかも立派なひげを蓄えている上に左目を眼帯で覆っている。まさに歴戦の強者っていう威圧感だ。
この人と出会ったのは、俺が剣鬼を追っていた時。ヴォルフさんも雷王都市を襲撃した剣鬼を追っていて、それで出会った。
俺だけだったら協力してくれなかったかもしれないけど、ニーナと面識があったからよかった。ニーナのお父さん……俺の叔父さんとは騎士団で同期だったそうだ。俺の仲間では他に騎士のメルツァーさんが、短い間だけどヴォルフさんに師事したって言ってたな。
かつて戦場で前線に出ていた頃は〈鉄壁将軍〉と呼ばれていたらしい。ヴォルフさんに命を救われたって人も、雷王都市には大勢いる。
ただ……私生活はわりとずぼらなんだよな、この人。男爵位を持ってて、砦みたいな大きな館を持ってるのに、手入れをしなかったもんだから、庭どころか建物の中にまでマンドラゴラが繁殖してた……なんてこともあった。
……俺も気を付けないとな。
それで……そのヴォルフさんが俺に頼み事、か。
「頼みっていうのは、あの馬車と関係が?」
雨の降る前庭の向こう、門の外に視線を向けると、ヴォルフさんを乗せてきたらしい黒い軍馬の他に、立派な馬車が停まってるのが見えた。
屋根付きの馬車だ。幌じゃなく、屋根が付いてる。しかもガラス窓。それを牽く馬は、これまた立派なのが二頭。
普通は、庶民が乗るものじゃないな。よほど高い身分の人が乗っているんだろう。それこそ、雷王都市の将軍が護衛をしてくるというくらいの。
「……実は、あちらにおわすのは雷王陛下のご息女でな」
声を潜めてではあるものの、ヴォルフさんはあっさり白状した。
「というと、お姫様ですか」
「えっ。もしかしてヴィクトリア様? 本当に?」
俺よりはニーナの方が強く反応した。それもそうか。ニーナは幼い頃からずっと雷王都市に住んでるし。
ヴォルフさんが身振りで静粛を促すと、ニーナもあっと口を閉じた。幸い、エントランスには俺たち三人以外はいなかったけど。
でも、あまり大勢には聞かれたくない話らしい……というのはわかった。
「先日、陛下と少々……けんかをなされてな。どこか目の届かぬところで羽を伸ばしたいと仰せになったのだ。陛下も陛下で、強い言葉を反省されてはおるものの、すぐに謝るのも威厳がないと」
親と喧嘩して家出って。何だか、王家にも普通の家庭と同じような悩みがあるもんなんだな。
とはいえ、そのくらいのことであんな豪華な馬車に将軍の護衛までつけてってあたりが王家のスケールか。
「それで、お主に姫様のことをしばらく頼みたいと」
「何でそこで俺に振るんですか」
ヴォルフさんの要請に、すぐに出た俺の感想がそれ。
別に領地が近いわけでもないし、そもそも王様とは剣鬼の討伐で報奨金と称号をもらっ――下賜された時に一度会っただけで、仲がいいとかそういうこともない。
で、ヴォルフさんの返答はというと。
「何でも何も、今や大陸最強の剣士であろうが。他の理由なぞは、それに比べたら些細なことよ」
あー……うーん。一応、そういうことになるのかな。雷王都市の騎士団が総出でかかっても勝てなかった剣鬼を倒したのも、邪神とも言われる〈歪みをもたらすもの〉を倒したのも確かだ。だからもちろん、自分が弱いなんて言うつもりはないけど。
「剣技ならクルシスの方が圧倒的に上ですよ……」
そこは、練習試合でも実感した。俺が勝ったのは魔獣や竜を倒して得た、いわば『不思議な力』のおかげであって、技量を競うならクルシスの方が上。
「あやつはまた別格ではあるが……お主とは別の意味で、雷王都市では歓迎されんな……」
ヴォルフさんがそう言うのもわかるけどね。クルシスは剣鬼と双子で、そっくりだから。一時は「死んだはずの剣鬼が亡霊となって雷王都市に現れた」なんて噂になったくらい。ヴォルフさんにしてみれば、クルシスを全面的には信用できないって気持ちがあったとしても仕方ないところかな……。
「そのクルシスがいまこの館に滞在してるのは承知の上で?」
「……姫様は剣鬼の顔をご存じないから、問題なかろう」
そういうことなら、その点はよしとしよう。
「でも、ここの生活がお姫様のお気に召すかどうか」
「心配するな。姫様がここを希望されたのだし、陛下もお主ならと快諾された。無論、報酬も用意しておる。これが陛下からの書状だ」
ヴォルフさんが差し出した封筒には、確かに雷王の印章で封がしてある。
「詳しくは中を見てもらえばわかるが、もしお主がいずれ子爵への
それは、領地運営の助けにもなるな。今のところ子爵になるつもりはないけど、内諾があれば計画も立てやすくなる。
でも、果たして軽々しく受けてもいいものか。
「……王様は俺のことを嫌っているのかと」
引っかかってるのはそこだ。
剣鬼を討伐した時には報奨金とかをもらったけど、その後は厄介払いというか、ほとんど追放みたいな感じで、雷王都市を出てきたんだし。王様より人気が出ると困るからって。
王様の方はたぶん俺を嫌ってたんだろうし、俺としてもちょっと恨みを持っててもおかしくないくらいだよな。
まあ、雷王都市にいたのはそんなに長い期間じゃなかった。何事もなければ今でも住んでいたかもしれないけど、絶対にあの街でないといけないって理由はなかったかな。
そこのところは、こっちの暮らしを気に入ったのも大きいけど。
言うと、ヴォルフさんは「うーむ」と唸ってひげを撫でた後……
「そこは誤解のないように言っておきたいが、陛下はお主のことを嫌ってはおらんよ。ただ、お主は騎士として陛下に仕えるのを拒んだであろう?」
そういえばそんなこともあった。
「確かに、その話は断りました。分不相応というか、柄じゃないというか……」
剣鬼を倒したとはいえ、元は田舎村の出身だ。騎士になるなんて、そんなことは思いもしなかった。俺が会った騎士はみんな立派な人たちだったし、尊敬はしてるけど……だからこそ、なのかな。あの全身鎧を着て謁見の間に背筋正しく並んで……っていう自分の姿がまったく想像できなかった。
断ったのにはそういう理由があるって確かヴォルフさんにも話して、残念だけど仕方ないな、みたいなことを言われた記憶がある。
「陛下の武勇がお主に及ばんのはご本人も承知の上。なればお主にそのつもりがなければ御しきれんのも道理。積極的に関わらんようにするのがお互いにとって良いのだろうと、そう結論されたのだ。断じて、嫌っているからではない」
そうなのか。そりゃまあ、直接喧嘩したら俺の方が勝つんだろうけど。でも周りには騎士団の人もいて――
って、そうか。
その騎士団より強かった剣鬼を、俺は倒してるんだ。俺に無理に言うことを聞かせようとしたら一苦労あるだろうな。
「民は派手な英雄譚を好むため、お主と比べると陛下の人気がいまひとつなのは確かだが、王としての能力も申し分ない。でなくば、儂がいつまでもお仕えするはずがなかろう?」
確かに、ちょっと頑固なところはあるけど、ヴォルフさんはいい人だ。そのヴォルフさんが信頼して仕えている王様も、悪い人ではないんだろう……というのは、理屈はあってるか。
「園芸と芸術と読書を好んでおられるとお聞きしてます」
そう言ったのはニーナ。
「うむ。内向的なお人柄ではあるが、大災厄の時代が終わればいずれ、名君との評価になろうよ」
乱世向きの人ではないってところは、ヴォルフさんも認めるところか。
平時なら名君、とまで言うほどの統治能力があるのかは、俺にはわからないけど。
ただ、自分でも領地経営をやってみて、これって結構大変だなあとは思った。
その上で、家族との喧嘩。気苦労があるのは、まあ、察する。
「それで、姫様のことだ。急な話で悪いが、しばらく引き受けてくれぬか」
「ねえ、リオン。引き受けようよ。だって、ヴィクトリア様だよ?」
ニーナはちょっと興奮気味。最近は他の子が騒いでるのを冷静に止める役割が多いだけに、ちょっと新鮮な感じがするな。
「そんなに有名な人なの? 俺はあんまり知らないんだけど……」
訊ねると、ニーナは「えーっ」と声をあげた。
「ヴィクトリア様を知らないって、ほんとに? 嘘でしょ? リオンだって雷王都市に住んでたのに」
そう言われてもね。
「仕方ない。リオンが雷王都市に来た頃を考えると……」
「あっ……そっか、そうですね……」
ヴォルフさんの言葉で、ニーナは口をつぐんだ。
……もしかして、気を遣われてる?
俺が雷王都市に出てきたのは故郷の村を剣鬼に滅ぼされたからで、そりゃまあ、あんまり気持ちに余裕がなかったのは確かだけど。
あれからもう一年半は経ったし、仇である剣鬼も俺自身の手で倒した。整理がついてないことももちろんあるけど、あんまり気を遣ってくれなくても……とは、思う。
「まあ、雷王都市では有名な人なんだね? で、評判も悪くない」
ニーナは「うん」と頷いて、俺の言葉を肯定した。
そういうことなら、積極的に反対する理由はないか。
「……わかりました。爵位のことでもお世話になったし」
本当はクレールやステラさんにも相談したいところだけど、逆にややこしくなりそうな気もする。知り合いの娘さん、で通した方が問題は少ないかな……。
ヴォルフさんは「面倒を掛けるが、よろしく頼む」と頭を下げた。
その上で――
「ふたつ、留意してもらいたいことがある」
と続けた。
「まずひとつめ。お主たち二人以外には正体は明かさぬよう努力して欲しい。どうしても無理ならば仕方ないが、その場合でも館の中だけで留めてくれ」
「努力はします」
正体が知れると、ろくでもない考えを持つ人がいないとも限らないしな。この館の住人は大丈夫だし、村の人たちも大丈夫だとは思うけど……。
いや、うーん……。
村の男たちが嫁探しをがんばってるって話があるんだった。
お姫様が出歩くには、もしかすると、ちょっと危ないかもしれないな……。
一応、俺の名前を出せば平気らしいんだけど、お姫様にそれをしてもらっていいものかどうか。
悩んでいるうちにも、ヴォルフさんの話は進む。
「もうひとつは、姫様が庶民の生活を体験したいと仰せであること」
……庶民の生活、ね。
「あの馬車で来て、それは……」
少なくとも庶民でないことは一目瞭然だ。あんな馬車、乗らないで一生を終える人がほとんどだろうし。俺だって乗ったことがない。
「多少それらしい体験ができれば十分……というところだな。お主らはなるべく普段通りにしてくれれば良い。その結果、例えば姫様が食事の際に末席になることもあろうが、そういうことに文句を言わぬよう、姫様と侍女には納得してもらっておる」
それは助かる。今の館の住人で、王族を相手にできるマナーがちゃんと備わってるのは、うーん……クレール、レベッカさん、それにフューリスさん、もしかするとペネロペ……くらいかな。他は、俺も含めて、あまり期待できない。そのあたりの不作法をいちいち指摘されて直してたら、謎の客人の正体がすぐばれてしまうだろうし。
なるべく普段通りね。
……よし、だいぶ気楽になった。
「おっと、あとひとつあった。これは姫様からでなく、陛下からなのだが」
まだ何かあるのかとちょっと警戒していると、ヴォルフさんは声を潜めて続けた。
「姫のことを気に入ったならば、婿候補の一人として雷王都市に戻っても良いと……」
「それは遠慮します」
貴族の生活にそんなに憧れがない俺としては、即答。
ニーナは苦笑してる。さすがに「断るなんてもったいないよ」とは言ってこない。俺じゃ釣り合いが取れてないのは明らかだしね……。もちろんヴォルフさんも強く勧めてはこない。
まあ一応、王様から嫌われてないことの証拠にはなる、か。
「儂は村に宿を取ることにする。雷王都市の将軍である儂があまり近くにおると、姫様も気が休まらんだろう。無論、館の周囲の警戒はするが」
「そんな警備態勢でいいんですか?」
訊ねると、ヴォルフさんは苦笑した。
「そこらの夜盗ごときが、この館におる者たちを相手に悪事を為せるはずもなかろうよ」