ヴォルフさんに促されて、馬車から一人の女の子が降りてきた。
この子がお姫様か……と思ったら、違った。侍女か。先に降りて、主人が降りやすいように手を差し出してる。
その手を取って、もう一人がゆっくりと降りてきた。その姿を見た隣のニーナが、ほうっ、とため息をつく。
服装は思ってたほどに豪奢ではなくて、でも、一目見ただけでも質の良さがわかる仕立ての良いものだ。
でも多分、そこじゃない。
立ち居振る舞い、というか、雰囲気、というか……
小雨が降る中に降り立っても全く動じるところがないのは、さすがは止まない雨が降る雷王都市の王族。そしてそんな姿が、薄暗い中でも何だか輝いて見える。
それを見て自然と、お姫様だ、と思った。
「ごきげんよう、リオン・ドラゴンハート男爵。しばらくの間、よろしくお願いしますね」
そんな感じの、とても優雅なお辞儀をいただいた。
お姫様と侍女の人、それにもちろんヴォルフさんも同行して、まずは執務室に入った。ニーナはすぐにタオルを用意してくれて、みんなそれで雨に濡れた髪を拭く。お姫様の髪は、侍女の子が拭いた。
椅子を勧めると、お姫様だけがソファの前へ移動して、侍女の子とヴォルフさんはその斜め後ろに立った。俺はお姫様の正面に座って、ニーナはその斜め後ろに立つ。俺が座ったのを見て、お姫様も座った。
「では改めて、俺……ん、ん。私はリオン・ドラゴンハート。ここの領主です。まあ、一応」
「こちらは雷王陛下のご息女、ヴィクトリア・シュラール・ブリッツシュラーク殿下である」
俺の自己紹介に対して、相手の方は侍女の子がその主人を紹介した。
さて、このお姫様――ヴィクトリア・シュラール・ブリッツシュラーク……殿下。俺はこの人のことをそう知ってるわけじゃない。
歳は、そうだな……俺より上だけど二十歳には届かない、というあたりかな。
見た目は、いかにもお姫様。
歩く姿も、立ち姿も、座っても、まず姿勢がいい。そしてやんわりとした微笑を浮かべている。
……思い出した。こういうのを『気品がある』って言うんだ。
長い髪はダークブラウン。雨に濡れたせいで、神秘的ともいえる輝きを放ってる。同じ色の瞳もまるで宝石みたいだ。
総じて、なるほど、雷王都市出身のニーナが敬愛するのもわかる。
「貴方とは以前にお目にかかりましたね」
そのお姫様が口を開いて言ったのは、そういうことだった。
会ったことがあるのか。記憶にないな。でも、お姫様と会うなんて機会は限られてる。となれば、多分……
「剣鬼を討伐して、称号を頂いた時かな」
それを聞いたお姫様は、微笑を浮かべたまま頷いた。
「ええ。あの謁見の間で」
良かった。当たってた。
でもこれ以上詳しい話は無理だな。正直に白状した方が良さそうだ。
「すみません。あの時は緊張していて、実は、よく覚えていないんです」
嘘じゃない。まず城への呼び出しがあった時点ですでに、どんなことを言われるのか気が気じゃなかったし、城はもう何もかも異世界めいていて……
特に、その謁見の間。
真っ赤な絨毯と、居並ぶ近衛騎士たち。
叔父さんが用意してくれた礼服は十分に上質のものだったけど、着慣れないせいもあって、ひどく頼りなく感じたな。
やがて王様が玉座について、俺は一目だけその人を見たけど。
実は、きらびやかな服装と冠ばかりに注目してしまって、顔はよく覚えてなかったりする。
あの時そういえば、隣にお姫様も立っていたようにも……。
いや、あの場にいたって言われたばかりだから、そんな気がするだけかな。
「姫様の顔を忘れるとは、無礼なやつ!」
突然、俺に向かって罵声が浴びせられた。
お姫様の斜め後ろに立っている侍女の子が、俺を睨んでいる……。
「ペトラ」
と、お姫様が声を掛けた。
「良いのです。あの時は私もにこにこ笑っていただけでしたから」
そのとりなしで、侍女の子……ペトラも引き下がった。
お姫様と比べると明るいブラウンの、少し癖のある髪。そして、お姫様とは対照的な、険しい目つき。これは生来のものというよりは、俺が嫌われてるからかもしれないけど。歳は……俺と同じくらいかな。
「失礼しました。侍女の不作法は私の責任。謝罪いたします」
「ヴィクトリア様がこんな、平民出の田舎貴族に頭を下げる必要は――」
「ペトラ」
どうも、あんまり良く思われてないのは確かみたいだな。
「まあまあ。ここは儂に免じて穏便にな、穏便に」
ヴォルフさんが割って入った。どっちかというと俺向きにそう言ったのは、激発すると俺の方が強いからだろう。俺は元々、荒立てる気はないけどね。
「リオン様。それと、ペトラも。まず承知していただきたいのは、ここにいる間の私は『雷王都市の王女ヴィクトリア』ではなく『ただのヴィクトリア』だということです。リオン様もどうぞお気軽に、ヴィカ、とお呼びください」
本人はそう言ってるけど、大丈夫なのかな。
そう思ってヴォルフさんに視線を向けると重々しく頷いていたから、まあ、いいんだろう。
「では、ええと……ヴィカ」
言われたとおりの愛称で呼ぶと、お姫様は「はい」と笑った。
「なるべく不自由を感じないようにはしますが、なにぶん田舎なので、ある程度は我慢してください。それと俺……私は元が田舎者なので、言葉遣いに関しては大目に見てもらえると助かります」
「お前、さっきからほんっと無礼だぞ、姫様に向かって」
「ペトラ」
すぐに窘められて、ペトラは「むー」と唸った。
お姫様は今のところ我慢してるのか、それとも実際気にしてないのか、いずれにしろあんまり俺の作法に文句を言ってはこないけど。このペトラは、うーん……仲良くやっていけるか、ちょっと不安だな。
「前々から庶民の生活を体験してみたいと思っていましたので、言葉遣いもどうぞ普段通りに」
理由はどうあれ、それでいいっていうなら助かる。
「どうしても我慢できなくなったら予定を切り上げて帰ります」
……まあ、その時はそうしてくれた方がお互い幸せか。
「ここでの暮らしについては、まずは後ろにいるニーナに言ってください。男の俺には言いにくい話もあるでしょうし。それに、彼女は雷王都市の出身ですから」
俺から軽く紹介すると、ニーナがちょっとどもりながら「よ、よろしくお願いします」と頭を下げた。
「あらあらまあまあ。丁寧にありがとうございます。しばらくお世話になりますね、ニーナさん」
はっきり言って、ニーナは俺よりも緊張してる。大丈夫かな……?