「ブランシャール家、ですか。聞いたことがありますわね」
夕食の席で昼間のペトラの奇行が話題になった時、ペネロペがそう言った。
ペネロペはあの騒動の時には書庫にいて、ミリアちゃんと一緒に本を読んでいたそうだ。それで、そんなことがあったのを今ようやく知ったらしい。
で、その件の感想が、それ。
「私も聞いたことある気がしていたのだけど、いつどこで聞いたのかしらね。こう、喉のあたりまで出かかっているんだけど、どうもはっきりしなくて」
レベッカさんが首を傾げると……
「有名なんだよ! ブランシャール家はみんなが知ってるくらいの名門なの! 田舎変態貴族の仲間たちはこれだから! その点、ペネロペはよくわかってる。さすが私のライバルなだけある」
ペトラは立ち上がってまでそう主張したけど、その言い分は誰も信じてない様子。ヴィカからは「ペトラ」と叱責されて、しょぼんとした顔で座り直していた。
それにしても、俺のことを言うのに変態ってつけるのやめてくれないかな……。
「お姉様。きっと『さまよえる砂海人』のお話だと思いますわ」
ペネロペがそう指摘して、レベッカさんも「ああ」と得心がいった様子を見せた。
「知らないけど、どんな話なんです?」
「僕も知らない」
俺とクレールがそう言うと、なんとステラさんも小首を傾げた。ステラさんも知らないってことは、よほど知られてない話なんだろうな。
「私は聞いたことがあるような気がするね。旅の途中で聞いたから……そうだね、おそらく天命都市のあたりの民話なのではないかな?」
そう言ったのはフューリスさん。なるほど、一部の地域でしか知られていない話なのか。それならステラさんが知らないのも納得だ。
「ペトラはその話を?」
「知らない。でも、何かすごくためになるいい話なんだろ? それはわかる」
そうかな? まあ、そういう冗談が言えるくらいには打ち解けてきた、ってところかな。それはいい徴候だ。……本気で言ってる可能性もなくはないけど、冗談だよな?
「私も他の子から聞いた話だから、細部は間違っているかもしれないけど」
そう前置きして、レベッカさんが語るには……。
「確か……その『さまよえる砂海人』は、風の魔神を罵ったことで呪いをかけられていて、故郷に帰れないでいるのよ。その呪いを解くためにいけにえの女の子を探しているのね。それで、女の子が夜にひとりで外を歩いているとその怪人が声をかけてくる。『お前はブランシャール家の者か?』って。すぐに否定すると何もせずに去って行くんだけど、答えに迷ったり、肯定したりすると――」
「ど、どうなるんだ?」
青ざめた顔でペトラが訊ねる。
「……声を取られるんだったかしら?」
レベッカさんがペネロペに確認すると「はい」と頷きが返った。
「さまよえる砂海人が連れている犬が、にわかにサソリの正体を現して、その毒針で声を奪うのだそうですわ。するともう一生、喋ることができなくなってしまうのだとか」
「そうそう。そうだったわね」
話を続けたペネロペに、レベッカさんが相槌を打った。
うーん。ペトラが期待したような『ためになる話』ではなさそうだな。
不気味な怪人に、わけのわからない問いかけ、そして理不尽な結末――完全に怪談だ。
「もし出会ってしまったら、聖ルクレツィアの名前を三回唱えると砂になって消えてしまうそうです」
対処法もわけがわからない……と思っていると。
「聖ルクレツィアは歌の守護聖人ですから」
なるほど。一応、それっぽい由来はあるのか。とはいえやっぱり怪談には違いない。
「女の子の一人歩きに注意を促すための作り話だと思ってたけど、何か元になった出来事があったのかもしれないわね」
レベッカさんが言うのは、確かにありそうな話。
そういえば俺も子供の頃はいろいろ怖い話を聞かされたな。森に潜んでる〈
……まあ、それが魔獣なら今の俺だったらたぶん倒せるんだけど。
そう考えると、意味がよくわからないままの怪談の方が怖いな。
「天命都市みたいに大教会の影響が強いところでも、やっぱり夜の一人歩きは危険なんですか」
「それは、そうよ。性根の悪い人間は『大教会のお膝元でまさか』って油断してる人を狙うんだから」
卑劣だなあとは思うけど、悪人の言い分は「油断してる方が悪い」ってところだろう。いつどこにだって悪人はいる、と思って自衛するしかない。
「その悪漢が件の怪人に襲われたら、なかなか楽しい見世物になるだろうにね」
フューリスさんの仮定は、確かにちょっと面白い。
「何が出ようが、襲ってくるなら斬り捨てるだけだ」
クルシスはすぐに剣に頼りすぎだな……。
「毒針ってことなら〈
「形態は毒針だとしても、それによってもたらされる効果は呪いの一種と推測される」
ミリアちゃんとステラさんは真面目に考察してるし。
そんな風にみんながわいわいと話していると……
「聖ルクレツィア様、聖ルクレツィア様、聖ルクレツィア様……」
歌の守護聖人だというその名前を必死に呼ぶ声が聞こえてきた。
「……ここには出ないと思うよ、その怪人は」
ニーナが声をかけると、涙目のペトラが絶叫した。
「だって私、正直に答えたら危ないじゃないか! とっさに唱えられるように練習しとかないと!」
「あらあらまあまあ」
……まあ、練習しても使う機会はないと思うけどね。
「でも、その怪人がいけにえとして探してるのがブランシャール家の娘さんなのはどうしてなんですか? もしかして、何か特別なちからのある家系なんでしょうか」
マリアさんがそう疑問を口にした。ただ、レベッカさんは少々困り顔。
「さあ、そこまでは……」
元々、詳しくはないと言ってたしね。
「そうか! その怪人、実はなかなか見る目があるやつなのかも!」
ペトラのその希望的観測を、ペネロペが即座に否定した。
「傭兵として戦った給金を払ってもらえなかったことの恨みだとか聞きましたわね」
「そんな理由、美しくない……」
そう言ってがっくりとうなだれたペトラにとって、今回の話は結局、追い打ちにしかならなかったみたいだった。
でも、悪いことばかりでもなくて。
夕食後にペネロペのところに行ったペトラは、歌の守護聖人について熱心に訊ねていた。ペネロペの方も、あの子は元々から聖ルクレツィアに憧れてるとかで、二人で盛り上がったみたいだ。
あとは、俺を変態呼ばわりするのをやめてくれればなあ……。