ヴィカとペトラもだいぶこの館に馴染んで、まあ楽しそうに過ごしてる。館のどこに何があるのかもだいたい理解したみたいで、あれこれ訊ねられることも減って、手がかからなくなった。
そんな頃の、朝食後。フューリスさんがニーナを呼び止めて……
「ああ、ニーナ。今夜は外で食べてくるから、私の夕食は用意してくれなくて構わないよ。私と、それからクルシスもだ。そうだね?」
そんなことを言った。クルシスも「ああ」と頷いている。
この二人は元々わりとふらっと出かける方ではあるけど、だから逆に、わざわざ告げるのは珍しい気がするな。
「外で? 酒場にでも行くんですか」
俺が訊ねると、フューリスさんは「うん」と頷いた。
「ここしばらくは食卓にも人数が増えて、賑やかな反面、ニーナは準備が大変そうだろう? そんなことをメラニーと話していて、それならたまには外でお酒をメインにするのもいいだろうということになってね」
確かに、春になってからレベッカさんとペネロペが来て以降、急に人が増えたよな。みんなも少しずつ、例えば洗濯はクレールとミリアちゃん、掃除はステラさんにレベッカさんとペネロペ、料理は下準備だけではあるけど俺やナタリーが手伝いには入ってる。
料理に関しては「大鍋で作ってるから人数が増えてもそんなに違わないよ」なんて言ってたけど。
改めて考えるまでもなく、ニーナの負担が大きいのは間違いない。
それを軽くすべく……というのは、理解できる動機だ。
で、フューリスさんだけならそれが一番の理由だと納得できるけど……
話に出たメラニーって、親方なんだよな。それを考え合わせると、お酒をメインにする、っていうのが一番の理由かな……。
「他にはネスケとヴォルフ将軍も来ると言っていたね。君も参加するかい? もちろん、お酒は無理に飲まなくてもいいし」
ええと……フューリスさん、クルシス、それに親方と、ヴォルフさんと、ネスケさんか。親方とネスケさんが一緒なところに、何か混ぜちゃいけないものを混ぜてしまった感じがあるけど……。
「たまには酒場の料理もいいかな?」
「いいと思うよ。何か美味しい料理が出たら教えてね。参考にするし」
ニーナからもそう後押しされた。
すると、クレールやナタリーも一瞬、行きたそうにして見せたけど……
「リオンたちが出かけて館にいない分、残る人はいつもよりたくさん食べられるね」
そう言われて留守番を決断していた。
ニーナの料理は実際、少し前と比べてもさらに腕が上がっていて、雷王都市の王女であるヴィカもとても気に入ってる、というくらいの味。それをお腹いっぱい食べられるとなれば、ものすごい贅沢だ。
ただ、ミリアちゃんやナタリー、それにステラさんがお酒を飲めない歳なのもあって、お酒は控えめにしか用意されていない。その点は、フューリスさんには物足りないかもしれないな。それで、今回の話になったんだろう。
俺はそんなにお酒を飲むわけじゃないけど、せっかく久しぶりに会ったヴォルフさんがヴィカに遠慮してるのか村の方に留まってるから、それならこっちから行くのもいいか、とまあそんなところ。
酒場の料理も、若干酒飲み向けの味付けになってるらしいとはいえ、それはそれでなかなか美味しいし、楽しみにしておこう。
と、そんなことを考えていると……
「私も行く」
小さいけどはっきりした声が聞こえて、俺は「えっ」と声をあげてしまった。
見れば、小さな手が俺の服の肘のあたりを掴んでいる。その手の主を辿ると、いつの間にか近くに来ていたステラさんが、いつものように表情の読みにくい顔で俺を見ていた。その赤い瞳はじっと俺の目を見ていて、何だろう、何かを試されているような気がするな。
「……ステラさんはお酒飲める歳じゃないでしょう」
「リオンが酔った場合に帰り道の案内役が必要。そのはず」
うーん。俺がそこまで酔うとは思えないし、ステラさんもそれはわかってるはずだ。だから、ステラさんにしては珍しく的外れな主張をしてるな、とは思う。
ただまあ、もちろん、俺もこのくらいのことを察せないほど鈍くはない。
「ふふ。君のことを心配しているのだよ。意地悪せずに連れて行ってはどうかな」
フューリスさんがそう言ったのは、さて、誰への配慮だったのか。
「別に意地悪してるつもりじゃないですけど……」
ステラさんはどうしても一緒に行きたいらしい、というのは、若干無理矢理な反論をしてきたことで理解した。フューリスさんが言うように、ステラさんが俺のことを心配してるってのも、半分は合ってるだろう。
「……うーん、まあ、わかりました」
元々、どうしてもステラさんを連れて行きたくないって理由はない。あんまり反対したらそれこそ意地悪になってしまうな。
ステラさんが本当に心配してるのは、俺の自惚れでなければ、フューリスさんによる抜け駆けのことだと思うんだけどね。もちろん、わざわざステラさんが監視してなくても妙なことにはならないと思っているけど、それを俺から言い出して勘違いだったら恥ずかしいから、黙っていることにする……。
*
昼の内に、クレールやステラさんと領地運営のことについて話し合い。
夏にやる予定の港の整備について、資材の調達が順調なことと、建設のための職人さんは、隣町の仲介屋に募集を依頼したことも併せて報告された。結構大人数になるけど、村にいくつかある空き家を臨時の宿泊所にする予定で親方とも話はついてる。
一区切りしたところで、俺とステラさんは予定通り、酒場に向かうことにした。フューリスさんとクルシスも探したけど、どうも先に行ったらしかったな。
酒場に着いた時にもまだ日は沈んでいなかったけど、中はもう賑やかだった。
入ってみれば見回すまでもなく、大柄なヴォルフさんが目立っていたから、見付けるのは簡単。奥の方の半個室みたいになってる席に、ヴォルフさん、クルシス、フューリスさん、それに親方とネスケさん。五人はすでに来ていた。俺とステラさんが最後だったみたいだ。そして特に俺たちを待っていた風でもなく、もうみんな飲んでる。
「やあ、来たね。大皿でいろいろ頼んであるけれど、他にも何か頼むかい?」
そう言ったのはフューリスさん。確かに、テーブルの上には所狭しと様々な料理が並んでる。海の幸が多いな。エビもカニもあるし、スープは魚介類のごった煮。それにもちろん、村の名産である牡蠣。
「これだけあれば俺は十分かな。ステラさんは?」
「問題ない」
壁に据え付けられた長椅子に座ろうとすると、二人が入るにはちょっと狭かった。何しろすぐ隣になるヴォルフさんが大きいし、元々、三人ずつが向かい合わせに座る席だ。椅子ひとつを隣のテーブルから借りてきて、ステラさんはそれに座ることになった。
その頃を見計らったかのように、酒場のマスターが濡れタオルを持ってきてくれた。この人は先々代の領主の頃は家令だったという人で、そう思って見ると、確かに動きが洗練されてる感じがする。お礼を言って受け取ると「どうぞごゆっくり」の言葉も置いていってくれた。
「それじゃ、はやく続きを話してくれよ」
そう言ったのは親方。視線はフューリスさんに向いている。どうやら今はフューリスさんのこれまでの旅のことが主な話題らしい、ってところかな。
「さて、どこまで話したかな? ……ああ、そうそう。賭場で連戦連勝の大儲けをしていた男のことだ。それだけならば、ああ幸運の女神とは気まぐれなものだ……なんて噂になるだけで済んだのだけれどね。それが四日、五日と続くとさすがに怪しい。しかも、アルカナ札を使った賭けにしか乗ってこないとなれば、皆がイカサマを疑うのも無理もないところだね。けれどね、横で見張っていても、後ろで見張っていても、身体検査をしてさえ、そいつは何も怪しいそぶりはない……と。そうなってしまってから、私が呼ばれた。私はそれ以前にもその賭場での不正行為を見破ったことがあってね。それで相談されたのだよ。それならば、まあ見てみようということになって、後ろからその彼の手元を見ていたのだけど。タネを明かせば簡単なものだったよ。役が揃った状態の札を隠し持っていて、途中ですり替えていたんだ」
「しかし、その程度なら他の者が調べた時にでも見付けられたのではないか?」
フューリスさんの話を、エビのフライを食べていたヴォルフさんがそう指摘した。そんなに大きなエビではないとはいえ、ひとつ丸ごとを口に放り込んでバリバリというのは、ヴォルフさんらしい豪快さだ……。
「みんな服の袖、靴の中、下着の中までも熱心に調べていたらしいけどね。見付けられなかった」
「じゃー、どこに隠してたんだ?」
親方が聞くと、フューリスさんは神妙な顔つきで返した。
「頭だよ。フサフサの髪の毛は、これが実は精巧なかつらでね。それとツルツルの頭皮の間に、秘密のポケットがあったのさ。そこから出し入れするのは、なかなかの奇術師ぶりだったとは思うけれどね」
「あっはっは! ひでーなそれ! ひでーイカサマだ!」
大笑いする親方に、ネスケさんも同調。
「不正はらめれすよねぇー! 不正をあばくのもきしゃのしごとれすからぁ、めもめもれす!」
予想はしてたけど……ろれつが怪しい。手帳に何か書き込むようなしぐさはしてるけど、後で見返した時に読める字を書いてるかどうかは不明だ。
「ネスケさん飲み過ぎじゃないかな」
「酔ってないれしゅよぉ!」
俺の指摘に、ネスケさんは真っ赤な顔で即座に反論してきた。具体的な証拠はなくて、本人の主張だけだけど。
「……そうですか。俺にはいつもよりさらに飲み過ぎてるように見えるんですが」
まあ、酔ってる人が自分から「酔ってしまった」とは、なかなか言わないかな。あれがどうしてなのか、俺にはまだよくわからないけど。
「……ひっく。……酔って……ないれしゅ……」
最後にそう言うと、ネスケさんはテーブルに突っ伏してしまった。まあ、幸せそうな顔ではある。
「彼女はここに宿を取っているのだろう? 気が緩んでいるのかもしれないね」
フューリスさんが言ってるような理由もあるだろう。でも単純に、お酒に関して自制できてないだけのような気もするな。
俺の隣ではヴォルフさんがグビグビと麦酒を飲み干していた。空になったジョッキがドンと置かれると、テーブルとその上の皿は揺れたけど、ネスケさんは目を覚ますことなく眠りこけている。
「酒は飲んでも飲まれるなと、その手帳の目立つところに書いておいてやれ」
「名案だね、ヴォルフ将軍」
言いながら、フューリスさんはさりげなくネスケさんの周囲から皿やコップを遠ざけていた。あれならまあ、多少身じろぎしても大丈夫だろう。
「こいつ無茶苦茶弱いぜ、酒。だからあたしが見張ってやってんの。決して、あたしが酒好きだから酒場に入り浸ってるってわけじゃーない」
親方がそううそぶきながらジョッキの中身を呷った。
「……葡萄酒をジョッキで飲む奴は言うことが違うな」
ぼそっと呟いたのはクルシス。黙々と食べてるかと思ったら、話は聞いてたらしい。
にしても、親方のあれ、中身は葡萄酒なのか……。
親方と比べたら大抵の人は酒に弱いって扱いになるな。
「何か間違いがあったら困るだろ? 望まない相手とーなんて、あたしだったら嫌だしなー」
という言葉からは、親方の面倒見の良さも感じられる。村長代理として、村の人たちから人望があるのも頷けるな。
「メラニーの言うことは、それは、確かにそうだろうね」
「いや、そこはまず本人が自己管理をして、酔い潰れんようにすべきだろう」
フューリスさんは賛同したけど、ヴォルフさんの意見は厳しい。そこは、二人の立場の違いもあるかな。
「そーいや、こいつに賭けてるのも何人かいるよ。今のところは大穴だけどな」
「賭けって……あれか」
俺の正妻が誰になるかの賭けね……。
ネスケさんは多分ないと思うけど、それを明言してしまうと村の男達から毎日何度も口説かれる事態を防ぐ効果が期待できなくなるし、俺としては曖昧に頷くだけ。
「かーっ、うめぇ! おやっさん、生牡蠣追加で!」
何にせよ、館での夕食とは違った賑やかさだ。