「……何なんです、それは」
鞘に収まった、短剣に見える。それはわかる。
でも、この不穏な気配は何なんだ。
フューリスさんがその剣を鞘から抜くと、濃紫の、あるいはほとんど黒と言ってもいいほどの刀身があらわになった。
さっきの嫌な感じはより一層強くなって、俺たちを取り囲む――。
パチン、と、フューリスさんはその剣を鞘に戻した。
そのおかげで、嫌な感じは明確な形にならずに霧散していった。それでもまだ、その短剣を見ていると背筋がぞわぞわするけど。
「間違いない。私が頼んだ品だ。……これはね、邪鋼で造られた短剣だよ」
「邪鋼……ですか?」
俺にはどうも聞き慣れない言葉だ。でも、名前からしていかにも危険な雰囲気が漂ってる。それはわかる。
「伝説によれば、魔界で採掘されたものとも言われる。そのくらい強い
威力がある、っていうのは武器にとって重要な利点だ。でもそれが
「危ない物のように聞こえますけど」
「武器なのだから、少し危なっかしいくらいの方がいいだろう?」
フューリスさんが改めて赤い布で包むと、邪鋼剣の唸りは収まった。よく見れば、その布には何かのまじないの文様が刺繍されている。鞘だけで抑えきれないちからを、それで抑えているのか。
やっぱりこれは、安易に触れるべきでない物のように思う。
「君の言いたいことはわかるよ。邪鋼の武器は使用者を喰い殺すとも言うからね。そうしてそれらは、その使用者と共に歴史の闇に消えていったというわけさ。そういうわけだから当然、もうほとんど現存してはいない。こうして手にできるのは、相当に運がいいよ」
「えぇ……」
聞けば聞くほど、不安がつのる話ばかりだ。
フューリスさんはどうしてそんな物を注文したんだろう?
気にはなるけど、フューリスさんのことだからまさか悪事に使うはずはないだろう。とすれば、自分でそれを振るって何かと戦うつもりだとしか考えられない……。
こうして手にできるのは運がいい、とフューリスさんは言ったけど、本当にそうだろうか。
俺は、フューリスさんがこれを買うのを止めた方がいいんじゃないだろうか……。
「さて、けれども、稀少な上にこれほどの業物だ。相当に高価なのだろうね」
俺が迷っている間に、フューリスさんは値段の交渉に入ってしまった。
ユウリィさんは待ってましたと言わんばかりに両手を広げて口を開く。
「そいつはまさに、前の所有者を喰い殺した武器でな。恐ろしいが軽々に処分もできない、という遺族を見つけ出してきたのさ。そして大教会から高名な司祭を呼んで来てお祓いまで手配した。品物自体の仕入値は大したもんじゃない……が、オレがそいつを手に入れるのに多大な苦労をしたのは、理解してもらえると思うがな?」
「それは無論、そうなのだろうね」
ユウリィさんもその武器がいかに恐ろしいものかを力説した。普通の人にそんな話をしたら売れなくなるだろうに、今回のケースではそういうエピソードがある方がむしろ価値が上がると考えているらしい。そして、それはどうも正解みたいだ。
「さてそうすると、今の私の手持ちでは足りないかもしれないね。私の荷物から金銭的な価値のありそうな物を買い取ってもらうとしようかな。後でお店の方に行くから、それまでこの短剣は取り置いてもらえるかい?」
フューリスさんは「その日を暮らせれば十分」と言って普段からあまりお金を持ち歩かないから、そうなってしまうんだろう。
ただ、持ち物には高い価値があるものも含まれてるはずだ。それこそ、貴族として社交界に出入りしても怪しまれないくらいの服飾品とか。
それらと交換なら、確かに、この邪鋼の短剣が買えるくらいの価値になるのかもしれない。
ただ、ユウリィさんはフューリスさんが差し戻した短剣を受け取ろうとはしなかった。
「そいつはあんたが持っておいてくれ」
「まだお金を払っていないけれど、いいのかい?」
金にうるさいこの人にしては珍しい……という視線を俺とフューリスさんから向けられて、ユウリィさんは肩をすくめた。
「店に置いといてニコルに何かあったら困るんでな。あんたから売れる物があるなら、この場で見せてもらって買い取ることにしよう。もしあんたが払えないなら領主様から取り立てることになるが、いずれにせよ、そいつをうちの店には持ち込んでくれるなよ?」
なるほど……。ユウリィさんは一人で危険なところにだって行く旅商人だけど、ニコルくんはそうじゃないからな。身体もまだ子供なこともあって、危険への対処能力がユウリィさんより劣るのは無理もないことだ。
「そういうことなら、その申し出はありがたく受け取っておくことにするよ。私としても、邪鋼の武器の危険性は承知しているつもりだからね。親しい人に近付けたくないという気持ちはわかるよ」
とはいえ、身近にあるってだけでそれほどに危険なものなら、ヴィカやペトラも危ないんじゃ……と思わないでもない。今のところ、鞘から抜かなければ大丈夫かな、という気はするけど。
「フューリスさんは
訊くならここしかない、と思い切ってそう言うと、フューリスさんは即座に「うん」と頷いて返してきた。
フューリスさんの意志はそれほどに固い、ということだろう。でも――
「いや、使わないで済むならそれに越したことはないのだけれどね」
俺を一目見たフューリスさんがそうやって言い訳めいたことを口にしたのは、不安が顔に出ていたからかもしれない。
「うん。君の心配はわかるよ。けれど、私の敵ときたら
そう言われると、俺も「ああ……」と、消極的ながら頷かざるを得ない。
あの〈太陽の聖石〉の複製品については、俺よりもフューリスさんの方が詳しい。強大な力を秘めたその石はかつてフューリスさんの手元にあって『古竜ですらその女神を傷付けることはできない』と言われたほどだ。
確かに邪鋼の武器は扱いづらそうだし危険そうだけど、フューリスさんの旅の目的を考えると、それがないことによる危険の方が大きい可能性はある。
だからこそ、フューリスさんはそれが届くのを待っていたんだろうし。
「さて。これであとは、ステラの師匠である〈西の導師〉から手紙の返事が届けば、やっと西へ旅立つことができるね。もっとも、それがいつのことになるかはまだわからないけれど」
フューリスさんの旅の目的が達せられるように、と同時に、その危険な武器を使う日が来ないようにも祈ることになりそうだ。