ヴィカから「夕食の前に少しお時間を」と言われて、俺とニーナは執務室でヴィカと向き合った。ヴィカの後ろにはもちろん、ペトラも控えてる。
そしてその席で、ヴィカから告げられたのは……
「帰る? 雷王都市に?」
「はい。お父様からそろそろ戻るようにとの手紙が届きましたので。急で申し訳ありませんが、明日の朝にはここを発つことに……」
そういうことだった。
この話に先だって、ヴォルフさんからペトラを通じてそのことを告げられていたらしい。どうりで、少し元気がないような気はしてたんだ。
王様が戻ってくるように連絡してきたってことは、もう反王制派の組織を壊滅させたんだろう。
潰されたそいつらにもそいつらなりの言い分はあっただろうけど、俺の名前を騙ったり、ヴィカを害そうと刺客を送ってきたりと、俺の知る限りでは、あんまり同情できる余地はないかな……。
さしあたって、問題はそっちよりヴィカの方だ。
「いいんですか、けんかしてたことは」
ヴィカが許嫁を失って二年。新たな婚約者を選ぶ、と父親である王様から言われて、それに反発して、ここまで『家出』をしてきたわけだ。
反王制派が壊滅しても、ヴィカのその問題が解決したわけじゃない。
俺としては、少し心配ではある。数日とはいえ一緒に暮らせば、情もわく。それはニーナも同じだろう。
ただ、ヴィカの方はあまり深刻そうにはしていない。
「完全に納得したわけではありませんが、心の整理も、少しずつ、進んでいますし……」
そう言って、うっすらと笑った。
「それより、これ以上ここにいたら貴方を男性として好きになってしまうかもしれなくて、今はそちらの方が怖いです」
「……はあ。……あ、えっ?」
どうも、突然に意外なことを言われて、間抜けな返事しかできなかった。
「ほんとに無礼なやつだな、お前。最初からそうだったけど」
ペトラに呆れ顔でそう言われて、返す言葉もない。
とはいえ、少しくらい落ち着いて考えてもあまり気の利いたことが言えるとは思えない。悪竜や魔獣をいくら倒したところで女性を口説く能力が向上するはずもないわけで、そこらへんは故郷の田舎村でぼんやり暮らしてた昔と同じだ。
逆にそういうところが気に入られてるって可能性は、なくもないけど。
いずれにせよ……
「貴方にはその気はないようですし、あまり長く滞在してもお邪魔かと」
邪魔とは思わないけど、その気がないってのは合ってる。
「すみません。ヴィカのことは綺麗で気品のある素敵な人だと思いますし、気持ちは嬉しいのですが、応えることはできないかと」
「珍しく身の程をわきまえたな。お前みたいな変態はヴィクトリア様にふさわしくない。でもヴィクトリア様の好意を無下にするのは無礼でムカツクな」
ペトラは無茶苦茶なことを言ってくるけど、この毒舌も明日までか。そう思うと少し寂し……くはないな、これに関しては。途中から始まった変態呼ばわりは結局やめてくれなかったし。
もちろん、ペトラみたいなお騒がせ……んん、賑やかな子がいなくなれば、ふと寂しく思うこと自体はあるだろうけど。
「まあ……気が向いたらまた二人で遊びに来てください」
言うと、ヴィカは「はい」と頷いて、微笑を浮かべた。
「お互いのためにも、そのくらいの関係にしておきましょう」
ヴィカの立場を考えると確かに、俺なんかに片思いしても辛いばかりだろう。棲む水が違う、というかな……。それに応えられない俺としても心苦しいし、結局最後は苦い決断をすることになる。
もしどこかの吟遊詩人が知ったら、立派な悲恋話にしてくれるかもしれないけど……
そうならないうちにというヴィカの判断は、賢明、と言っていいと思う。
……原因の半分である俺が言うのもなんだけど。
「他の皆さんにも、この後の夕食の席で私自身からお話ししようかと」
そうか……寂しがるだろうな、みんな。旅慣れてるから、旅立とうという人を泣いて引き留めるまではしないと思うけど。だからって寂しくないわけじゃない。
たぶんすぐ傍で聞いてるニーナも……と思っていると、そのニーナがちょうど口を開いた。
ただ……
「あの。明日の朝食はどうしますか?」
訊ねたのは感傷的なことでなく、あくまで現実的なことだった。
朝食か。作りすぎて余る分には誰かが食べるだろうけど、足りないと困るもんな。……まあ、万が一そうなっても俺とニーナが朝を我慢すれば済むけど。
「お手数をおかけしますが、いただいてから出発しようかと」
もちろん、あらかじめそう言われてれば、ニーナは万事うまくやるだろう。
「わかりました。とびきり美味しい料理でお見送りします。それとお弁当も、二人分」
「それ、私も手伝う。手伝わせて欲しい」
ニーナにそう申し出たのはペトラ。俺に対する態度と全然違うけど、ペトラは元々、ヴィカの侍女としてニーナの仕事ぶりを褒めて――を通り越して尊敬していた。それでこんなことを言うんだろう。
ただ、ニーナは首を縦には振らなかった。
「最後なんだから、私にちゃんとおもてなしさせてね?」
今回ばかりは自分の『権利』を譲るつもりはない、ということらしい。ペトラは残念そうだけど、ニーナからそうまで言われたらさすがに引き下がるしかないだろう。
「ペトラ」
ヴィカが名前を呼ぶと、ペトラは残念そうな顔を瞬時に捨て去って「はい!」と元気な返事をした。
「私が帰るのはすでに話した通りですが、貴方はどうするのですか?」
静かな声でそう問うヴィカに、ペトラは「えっ」と怪訝な顔を見せた。
「どう、とは?」
「貴方はまだここにいたいのかと」
ヴィカのその言葉に、俺としては少し意外な気持ちがした。
ペトラがそんなにここを気に入っていたとは知らなかったな。「ようやく帰れることになってせいせいする」くらいは言いそうな気がしてた。
そう考えていると、ペトラと目が合った……ような気がした。すぐに顔を背けてたけど。
「……まさか。私はヴィクトリア様とずっと一緒です!」
ペトラは元々、ヴィカの侍女だ。そうするのが自然だろう。
ただ、そう宣言されたにも関わらず、ヴィカの顔は少し曇っている。
「明日には発つのですから、悔いのないようにしなさいね」
それが何を意味した言葉なのか、俺にはいまいちわからない。
ペトラは……わかってるんだろう。何やら悩んでいるような、そんな表情をしていた。
*
ヴィカからの突然の報告には、みんな驚いたようだったけど……
元々、滞在は数日の予定だった。もうそんなに経ったか、という驚きが主で、ヴィカが帰ること自体への驚きは、そう大きくなかったように見えた。
一番寂しそうだったのはミリアちゃんかな。ヴィカは「また遊びに来ますから」と言ったけど、ミリアちゃんは「その時にはあたし、もういないかもしれないもん」と涙ぐんでいた。
この言葉にヴィカが驚いたから、ミリアちゃんが大学に合格したらそうなる、ということを説明することになった。……ヴィカが不穏な勘違いをしてしまったのは、先日俺が身体の不調のことを話したからかもしれない。
結局、ヴィカが時々手紙をくれるということになった。雷王都市に帰ればヴィカも忙しいだろうに。でも、ありがたい話だ。
夕食の席は寂しさを吹き飛ばそうとするように賑やかだった。女性陣はお風呂でもそんな感じだったらしいんだけど、そこはもちろん、後から話で聞いただけだ。
女性陣が済ませた後の風呂場でクルシスと一緒になった時は「ああまで旅立ちを惜しんでもらえるのは人望だな」という話をした。
「確かに、旅に出るのがクルシスだったらみんなあそこまではしないと思うけど、人望がないからじゃないと思うよ」
「では、どうしてだと?」
「クルシスは旅が似合うから、あるべきところに収まるって感じなんだよなあ」
「……なるほどな」
そういえば結局、ヴォルフさんはこの温泉には入れなかったな。