騒ぎも一段落して、みんな自分の部屋に戻ってしまった夜。
俺も自室に戻って、ろうそくの明かりを頼りに日記を書いていると、部屋の戸がノックされた。
明日の相談にニーナが来たのか、それともクレールが特に理由もなく遊びに来たのか……と思いながら戸を開けると、意外な子が立っていた。
「おい。……今、いいか?」
ペトラだった。
ただ、様子がどうも普段と違う。見慣れない寝間着姿なのが一因ではあるけど、それだけじゃない。表情だ。何だかこう……恥じらっている、というか。
いったいどうしたのか、と思っていると、ペトラは周囲の廊下をきょろきょろと見回してから、声を潜めて……
「中、入ってもいい? 誰かに見られると、やだから」
そう言うと、俺の返事も待たずに部屋に押し入ってきた。……こういうところは、いつものペトラだな。
それにしても、一体何だろう。他の誰かに見られるのが嫌って。それにこの、何かを言いたそうにしながら言えないでいる姿。
「あの、な。その……ええっと……」
ろうそくの火にあわせて、ペトラの姿を彩る陰影も揺らぐ。そうすると、意外に女性らしい輪郭がうっすらと浮かび上がって……
漂ってくる甘い香りは、香水か何かかな。
……ふと、さっきのヴィカとペトラのやりとりを思い出した。
『明日には発つのですから、悔いのないようにしなさいね』
ヴィカはそう言っていた。
言われたペトラの方は……確か俺の方を見ていた。
それで、ここに?
「お前に……言いたいことが、あるんだ……」
らしくなく緊張しながら、ペトラが呟く。
これはまさか。
最後の夜に、悔いを残さないように、こっそり訪ねてきて……なんて、いかにも『そう』な感じじゃないか。
どうしよう? どうしたらいいんだ?
……うん。とりあえず落ち着こう。勘違いだった時に恥ずかしいし。
なんてあれこれ考えている内に、ペトラは覚悟を決めたようで、俺の顔をまっすぐに見つめてきた。
そして――
「……ごめん!」
と、勢いよく頭を下げた。
…………?
「ええっと……『ごめん』って、何のこと?」
俺としては、まずそのあたりがよくわからない。心当たりがない。
……まあ、それを言われる前に想像してたようなことじゃないってのは、わかったけど。
ペトラは頭を上げて、ただし俺からはちょっと視線を外しつつ、続けた。
「その……ほら、私、お前のこと結構悪く言っただろ。言い過ぎたかなって、ちょっとだけ、思ってて……」
んー……ああ、そのことか。
確かに、いろいろ言われた記憶があるな。無礼者とか、田舎者とか、変態とか。
でももう、今更だな。明日にはペトラも雷王都市に帰ってしまうわけだし。そう思うと懐かしくすらある。
「許してくれるか……?」
ペトラにしてはしおらしくそう言ったから、うん、これを突っぱねても大人げないな。ここは、心残りをなくして気持ちよく帰れるようにしてやるべきだろう。
「元々、そんなに気にしてないよ」
本当はそこまでよくできた人間でもないけど、あと半日くらいなら、そういう顔をしておくことは可能だろう。
俺の言葉を聞いたペトラは、ぱあっと顔を明るくした。
「そっか! それなら良かった。これで心配事がひとつ減った。それじゃあ、また明日な。おやすみ!」
たぶん安心したんだろう。笑顔で一気にそう言って、部屋から駆け出ていった。
「ああ、おやすみ」
ペトラの背中に向かってそう言ったけど、はたして聞こえたかどうか。
……なんか、どっと疲れたな。最後の夜までお騒がせな子だった。
「んふ。愛の告白じゃなくて残念だったね?」
からかうような声でそう言われて、俺は大きくため息。
「別に、そういうのは期待してなかったよ」
仮にそうだったとしても、応えることはできないわけだし。そうでなくて良かった。
「……ていうか、なんでいるの」
開け放たれたままの入口から、クレールが顔だけ出して覗き込んでいた。
「ペトラがこの部屋に入っていくのが見えたから、もしリオンが刺されたら大変だと思って、廊下から様子をうかがってたんだよ」
クレールはそう言いながら俺の部屋にひょいっと入り込むと、そっとドアを閉めた。
……もし仮にペトラに刺されたとして、それが俺にとって致命傷になるとは思えないけどね。
それはともかく、クレールは夜に寝間着姿で俺の部屋に遊びに来るのももう一度や二度じゃないから、何というか、お互いに勝手知ったる……みたいな感じだ。今もクレールはろうそくの小さな明かりだけでも何の躊躇もなく歩いて、ベッドの縁に腰掛けてみせた。
これが誰か他の女の子ならもっと胸の高鳴りを感じそうなものだけど、クレールが来るのは完全に慣れきってしまったな……。
「帰る前に謝っときたかったって、なかなか可愛いとこもあるね。まあ、僕ほどじゃないけど」
前半はともかく、後半には「はいはい」とぞんざいに返してしまう。
一応、クレールの名誉のために補足しておくと、自分で言ってもおかしくないくらいには可愛い。でも、そういう言動を何度も繰り返されると、いちいち相手してたら大変なんだよな……。
まあ、クレールの方も真剣な返事は期待してないらしい。気にした風もなく話を続けた。
「明日帰っちゃうとなると、やっぱりちょっと寂しいよね。お姫様とその侍女だから、いつまでも遊んでるわけにはいかないし、仕方ないんだろうけど」
「そうだね」
ここに来たことで、少しは気分も安らいだんじゃないかな、とは、思う。
思う、けど……。
……ん? 何か変だな。いま、クレールが……
あれ?
「クレールは知ってたの、ヴィカのこと」
違和感を覚えて指摘すると、クレールは「あ」と声を漏らした後で口を押さえた。
「し、知らないなー。何のことだか、僕、さっぱりだよー」
今更そう言われてもね。という気持ちを視線で伝えると、クレールはすぐに降参した。
「……えっとねー、途中で気付いたけど、黙ってたんだよ。知らないふりしとこうと思って……」
そっか、気付いてたのか。まあ、そんなに真面目に隠してもいなかったし、ちょっと有名人を知ってる人にはバレてしまっても不思議じゃない。……俺なら気付かなかったかもしれないけど。
ただ、ヴィカがどうしてそれを隠してたのか、ということに関しては――
「僕も爵位のこと秘密にしてるし、なんかね、友達といるときはそういうの忘れたいなーって思う気持ちはわかるから」
クレールには、改めて言う必要もなかったか。
「明日は、気持ちよく送り出してあげるつもりだよ。……友達としてね」
その言葉に、俺も頷いて返した。
きっと、ヴィカもそれを望んでるだろう。