昼間の酒場に客は少ない。昼食をとりにくる人はいるはずだけど、それにしたってまだ早い、という頃だ。ネスケさんはここに宿を取っているから、こんな頃にでもいるけど。……酒好きだから昼間からいるというわけではなく。
そのネスケさんが、ぐるりと店内を見渡す。
「ここはほら、良くも悪くも店構えが田舎の酒場じゃないですか。お店の評価点っていうのは、そういうところも含めてになりますから」
そういうことなら、確かに。でも店構えってそんなに大事かな、という気持ちもあるけど……。
「どんなに美味しい料理でも、怒号と酒瓶が飛び交う中じゃ落ち着いて食べられないですよ」
そう言われると、それはそれで納得。
「ここは店構えは加点も減点もなしで、味だけで星三つ四つつくんだから、大当たりの部類です。世の中、星が一つもつかないようなお店がほとんどですから。食べ比べたらわかりますけど、悪いとこはほんと、人間のエサって感じで」
「わかる」
ネスケさんの言葉にクルシスが強く頷いた。ここに来る前にクルシスが言ってたのとまさに同じ表現だったから、俺も苦笑してしまう。
「覚えておくといいのは、冒険者組合の看板が出てるところは比較的マシってことですね。組合内でレシピを共有してるそうで、央州全土どこで食べてもそれなりの味がしますし、そもそもの味付けが旅人向けです」
「言われてみれば、そうだったように思う」
クルシスがまた頷いた。
俺は、冒険者組合の店って雷王都市にあったのの他はあんまり寄った覚えがないな。街道沿いの町で行ったと思うんだけど、あまり気にしなかった。違和感がなかった、ということなら、ネスケさんの指摘が当たってるのかもしれない。
「逆に、地元の人が行く店は合わない時はとことん合わないですね。旅行自体を楽しむならそういうのもありですけど、傭兵の旅はそうじゃないことが多いですよね。で、そんな時にー……」
と、ネスケさんはさっきのガイド本を顔の横に持ち上げて見せた。
「そんな時にこのガイド本があれば、美味しくない店に当たっちゃうことが減るどころか、次はどんな美味しい店に行けるのかっていう気分で旅ができちゃいます」
「すばらしい知恵だ。それを譲ってもらえるのはとてもありがたい」
そう言って、クルシスは手を伸ばした。
でもネスケさんは、持っていた本をその手からサッと遠ざけた。
そして、にっこりと笑った。
「これ、買うと結構するんですよ。これだけ分厚い本で、有用な情報がたっぷり入っているから、作るのにかかっている労力や材料を考えたら当然ですよね。なので、ひとつの傭兵団に一冊だけ買って、みんなで回し読みしてたりするんです、普通は。というわけで」
言ったネスケさんの笑みが、にっこり、から、にやり、に変わって……
「取材、受けてくれますね?」
……そういうことか。
ネスケさんはこれまで何度かクルシスに取材を申し込んで、すべて断られてる。
クルシスからすると「取材を受ける必要性を感じない」ということらしかったけど……
「…………わかった」
クルシスが呻いた。
さすがに力ずくで本を奪い取るようなことはせず、かといって本を諦めるわけにもいかず、となると受けざるを得なかったらしい。
とはいえ元々、クルシスにとって損になる取材ではなかったと思うんだよな。
本人は、剣鬼の双子の弟ってこともあって、あまり目立ちたくないのかもしれないけど……
だからこそ、ちゃんとした取材に基づいた記事が載るのは、悪いことばかりじゃない……はず。
取材の権利を勝ち取って、ネスケさんは満面の笑顔。
「クルシスの気が変わらないうちに、取材、した方がいいと思いますよ」
俺は一応口ではそう言ったけど、ネスケさんが酔ってないうちにやった方がいい、という意味だ。ただ、それが二人に通じたかどうかはわからない。
ともあれ、ネスケさんはすぐに紙とペンとインクを鞄から取り出してテーブルに並べはじめて、その間に、クルシスは居心地悪そうに手元のお茶をすすった。……いつの間にお茶を出されていたんだろう。マスターが気を遣ってくれたんだろうけど、まったく気付かなかった。
湯気の立ち上るお茶を、俺も一口。館でマリアさんが煎れてくれるのより、少し苦みが強くて、これはこれで美味しい。
「その取材も終わると、クルシスもだけど、ネスケさんも出発か」
俺とネスケさんの間にはそんなにいろいろあったわけじゃないけど、思い返してみればこの村に来たのはクルシスより少しだけ早い。親方とも仲良くしていたみたいだし、いなくなると思うと少し寂しい気持ちも……
「あ、私は残りますよ」
……ん?
「そうなんですか」
俺がそう訊ねると、ネスケさんは「はい」と頷いた。
残るって、なんでだろう。領主である俺への取材はもう済んでるし、クルシスへの取材も済む。この村には他に継続して取材しないといけないようなところがあるとは思えない。……まあ、館にいるみんなもクルシスに劣らずすごい人たちではあるけど、ネスケさんがそれに気付いた様子はなかったからなあ。
俺のその疑問に対して、ネスケさんの返答。
「組合の先輩はどうもリオンさんに大注目してるらしくって」
ふむ、もっと上の人からの指示か。
「それで、手紙にですね、リオンさんのことを秘密裏に調べて情報を送るようにって……あ」
ん? 今、何か……
と思った瞬間。
「ぎゃーーーーーーーーっ!」
ネスケさんが突然叫び声をあげた。かと思うといきなり椅子から立ち上がって、大慌てで隣のテーブルの下に潜り込んでしまった。
……これはやっぱり、直前に口を滑らせたのが理由、だよな。
「いま、秘密裏にって聞こえましたけど」
ネスケさんの先輩とやらが俺に注目してるのは構わないけど、調べるにあたって、秘密裏に、というのは穏やかじゃないな。
俺の呟きに対して、か細い声が隣のテーブルの下から返ってきた。
「……気のせいです」
そうか、気のせいか。
……で済む話じゃないような気がするけど。
「と、とにかく、もうしばらく滞在しますので、どうぞこれまでと変わらない親しいお付き合いを、ですね……」
まあ確かに、最初は俺のことを『リオン様』と呼んでいたネスケさんも何度か顔をあわせるうちに『リオンさん』と呼ぶようになって、まあまあ親しい付き合いをしている。そういう間柄ではある。そこは、よく一緒に飲んでるらしい親方の影響かもしれない。
「でも、秘密裏に調べるように言われてるんですよね?」
「…………気のせいです」
ネスケさんはご覧の通りだからさほど警戒する必要はないにしろ、傭兵組合には今後、少し注意しておいた方がいいかもしれないな。
*
準備を整えたクルシスの旅立ちは本当にあっさりしたものだった。出発が日の出前だったこともあって、見送りも俺とニーナだけ。他のみんなは、昨日の夕食の席で見送りは済ませた、っていう扱いだ。クルシス本人もさして気にした様子はない。
天命都市、救世の都を経由して渇きの都を目指す旅だ。フューリスさんによれば徒歩なら片道でも百日はかかるというから、次に会うのは一年後、あるいはもっと先という可能性もある。
お互いそれがわかっていながら、それでも。
「ではな」
「うん。気を付けて」
別れの挨拶はそれだけだった。
きっとまた会える。
そのつもりだから、それ以上の言葉は必要ない。