ある日、ステラさん宛に奇妙な箱が届けられた。
抱えるのに両手が必要なくらいの木箱だ。蓋までも釘で打ちつけられていて、それが開封されていないことを示すために何ヶ所かに札が貼られている。
その札には『資格無くこの箱を開けた者、その手は腐り、目は潰れ、全身は引き裂かれたように痛み続け、やがて死に至るだろう。そして新たな生を得ることもなく、冥府で苦しみ続ける』という、なかなか物騒な文言と共に、二匹の蛇が絡みつく杖の絵が捺されている。
盗難防止のためなんだろうけど、これを運んできた人の気苦労が偲ばれるな。
「届いた。師匠から」
ステラさんがそう言ったので、納得はした。ステラさんの師匠……〈西の導師〉といえば、みんな口を揃えて「あの偏屈な」と言うくらいの人だ。フューリスさんがそう言って、ステラさんも同意していた。俺は会ったことがないけど、二人の言うことだからほとんど信じている。
少し前に、その人に対してフューリスさんとレベッカさんがそれぞれ手紙を書いた。間に立ったのが〈西の導師〉の弟子であるステラさん。
そして今日、その返事が届いたというわけだ。
物騒な言葉が書かれた札を、ステラさんは適当に破いた。まあ、ステラさんは開ける資格があるから問題ないはずだ。それからレベッカさんとペネロペが二人で釘抜きをして、間もなく蓋は開いた。
中には手紙が四通。それと……さらに箱。
「手紙。私宛、フューリス宛、レベッカ宛……もう一通、これは貴方に」
俺に宛てた手紙もあった。でも他の三通と比べると厚みはないな。俺から何かを質問したわけでもないし、まあ時候の挨拶程度のことだろう。
俺がそれをステラさんから受け取る頃……
「こっちの箱は、聖意物ですわね!」
ペネロペが喜色満面に叫んだ。待ちに待った、という届け物だ。
聖意物があればようやく教会を本格的に再建できる。建物の外観はほぼ修繕が終わってるから、もう間もなく、というところまで来た。
少し複雑な気持ちになるのは、その聖意物が〈西の導師〉としては『実験に使った余り物』だという話だったこと。大教会では聖なる物として扱っているものが、たぶんかなりぞんざいな扱いを受けていたんだろうというのは想像に難くない。
でも、もうこの際、気にしない方がいいんだろうな。少なくとも、レベッカさんたちはそのつもりらしい。
一方、手紙を読んで黙り込んでいるのはフューリスさん。その訳を訊ねてみると……
「うん、それがね。最初の一枚目以外は、まったく意味不明な文字の羅列なのだよ。暗号、というやつだね」
それは……手間がかかってるな。
でも、フューリスさんが訊ねたのはとても強力な魔導器のこと、そして、それをいま持っている人の行方だ。意図しない他人に読まれたら悪いことが起こりかねない話題ではある。そう考えると、厳重なのも仕方ないのかな。
単に面白がってやっただけというのも、否定できないけど。
「これを解読するのは手間がかかりそうだけれど……解き方はステラが知っている、とも、書いてあるね」
なるほど。ステラさんの協力が不可欠となれば、見知らぬ他人に読まれる心配はほとんどなくなるな。うまい手だ。
「そして――」
と、フューリスさんが続けた。
「その解き方を教わりたければステラの願いをひとつ叶えること、という条件がつけられている。ステラに届いた手紙には、そのことは書いてあるかい?」
「私宛ての手紙でも、その時はカギを開示するよう指示されている」
フューリスさんの問いかけに、ステラさんが答えた。
肩をすくめて、フューリスさんが笑った。
「師匠から弟子への贈り物を私が代わりに用意してやれと、まあ、そういうわけだね」
そう考えれば、なるほど。そのためにこんな妙な手紙を作る手間をかけていると考えれば、偏屈ではあっても悪い人ではなさそうだ。ステラさんの師匠だから、そのくらいは期待してもいいだろう。
「早速だけれど、何か願い事はあるかい?」
フューリスさんが改めてそう話を向けると、ステラさんは首を傾げた。
「願い事……」
「もちろん、私が叶えられる範囲で、ということになるけれど。その範囲でならば何でもするよ。うん。何でも、だ」
そう言われたのが俺だったら、うん、まあその……男女のことを想像してしまったかもしれない。でも、ステラさんとフューリスさんの間なら多分そういうことはないだろう。
ステラさんはいったい何を望むのか。それは、俺も少し興味がある。
返る言葉を待つことしばし。
「……少し考える」
そう言って、ステラさんは判断を保留にした。
フューリスさんのちからの及ぶ範囲でとはいえ、願い事をひとつだけ何でも叶える、と言われれば迷ってしまうのは当然か。
「いつまで、というのはないけれど、あまり遅くならないようにしてくれると助かる、とは言えるね」
フューリスさんが旅に戻るのを延期していたのは、まさにこの手紙を待っていたからだ。実際には、この手紙を解読してもすぐに旅立つわけではないかもしれない。すでにそれなりの期間をここで過ごしているし、これが今さら一日二日延びたところで大差はないだろう。
でも、『旅立たない』と『旅立てない』の差は大きい。
「了解している」
ステラさんは頷いて、近いうちに結論を出すことを約束した。
カリカリカリカリカリカリ……。
いつの間にかハスターも近くに来ていて、中身の無くなった木箱をかじっていた。
「釘があるから気を付けて」
「きゅい」
注意を素直に聞いて、ハスターが鳴いた。ちゃんとわかってるなら問題はない。
問題は、ハスターがこんなに近くにいるのに気付かないで意気消沈しているペネロペの方だ。普段なら「ぎゃー! ネズミ!」とでも叫んで跳び上がるはずなのに。
荷物が届いてすぐには大喜びだったペネロペとレベッカさんが、届いた箱を前にして、今やまるで葬式の時みたいな沈痛な面持ちになっている。
二人が同時に大きなため息をつくに至って、俺は口を開いた。
「どうしたんですか、レベッカさん」
訊ねざるを得なかった。何か予想外の災難があったんだろうというくらいは、見れば明らかだけど。
「聖意物のことでね……」
まあ、それ以外は考えられないよな。
「届いたんじゃなかったんですか」
少なくとも手紙と別に何やら箱が入っていたのは、俺も見た。あれがそうだと思っていたけど、もしかしたら中身は別の物だったのかもしれない。そういういたずらだったということもあり得る。
でもレベッカさんの返答はというと、
「ええ。聖人の遺骨の一部、それなりの大きさでね。右腕の骨だそうだけど」
というものだった。すると、届いたのは確かなのか。
それじゃあなぜこんなにも落ち込んでいるのか、ますますわからない。
そう思っていると、レベッカさんは大きなため息をひとつついてから、話を続けた。
「だけどね。それが本物だと、私たちでは証明できないの」
証明、か……。
聖意物というのは、大教会の定義によると『聖なる意思の宿る物品』というもので、主に過去の聖人の遺骨や遺品というものが聖意物になる、という説明は以前に聞いた。
となると。
「
話が逸れた。ともかく、聖意物もそんな風に、見ればわかるんじゃないのかと、そう思ったわけだけど。
「それが、そういうわけでもないのよね……。聖人とされた人の多くはその行いによってそう認定された人で、生前には必ずしも神聖なちからを宿していたわけじゃないのよ」
レベッカさんの説明はそういうことだった。
それだと確かに、聖意物が本物かどうか見分けるのは難しいな。
「それでね。聖人が葬られる時には、遺体や遺品について、大教会の証明書が作られるの。その後の分割も基本的には大教会の立ち会いの元で行われて、証明書が作られる。それが聖意物であることの証明になるのね」
「分割……ですか」
……聖人になると死後も大変そうだ。身を挺して世の中に尽くそうという姿勢には頭が下がるな。
ともかく、本物の聖意物には大教会の証明書がある、ということだ。
すると、二人がこんなに悩んでいる原因はそこか。
「もしかして、その、証明書が入ってなかったんですか?」
だとしたら、レベッカさんが「聖意物だと証明できない」というのも頷ける。〈西の導師〉は聖意物を大事にはしていなかったようだし、証明書は紛失したって可能性も――
と思っている俺の目の前に、レベッカさんは一枚の紙を広げて見せた。
「これが、過去に大教会が出した証明書。部位は右腕の骨、で、大きさも書いてある。届いた骨とも合致する。以前に他のところで見たものと書式も同じだし、捺されてる印もたぶん本物ね」
……ん? あれ?
「当時の教皇聖下の御署名もありますわ。発行年と照らしても矛盾はありません」
ペネロペがさらに補足を加えた。
ますますわからなくなった。証明書の問題じゃないのか。
「それじゃあ、どこに問題があるんですか?」
証明書があれば、聖意物であることの証明はすでにできている。今さらレベッカさんたちが悩むことじゃないはずだ。
困り顔をしたレベッカさんが、俺を手招きした。そして、箱の中を見てみるように促した。
覗き込むと、そこにあったのは骨だった。確かに、骨だ。長さは、肘から手首までくらいで……って、当たり前か。右腕の骨だというのは証明書にも書いてある。
問題はそれとは別のところで、実際に前にすれば一目瞭然だった。
それを理解した俺に、レベッカさんが、力なく笑いかけた。
「見ての通りよ。……全く同じ見た目のものが、五つ、届いたの」