ミストバレーの風   作:水戸 湊

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リチュア・エリアル

 すごい、と無邪気な声が背後から上がった。一度では飽き足らないのか、二度、三度と同じ声が上がる。イグルが気分を良くして高い鳴き声を出した。

 ウィンダールは、横目で後ろを見る。イグルの背の上、ウィンダールとカームの間で青い髪の少女が黄色い声を上げていた。

 帽子を膝の上に大事そうに抱え、首を左右に振って眼下の湿原に目を輝かせる。

 見た目の年齢相応の動作に、ウィンダールもわずかに頬を緩ませた。いつだったか、初めてイグルの背に乗ったウィンダも、同じような声を上げていた。

 と、懐かしい思い出を浮かべる脳裏に、声が割り込んでくる。

「――賢者様」

 呟くような声は風に乗ってきた。「ガスタ」の術。声を風に乗せ、対象の耳元だけに囁くような声量で声を届けるものだ。平坦な感情のない声は、後ろから。

「この娘を、集落の者に見せては余計な疑念を抱かせかねません」

「なら、どうする」

 ウィンダールも同じ術で声を返した。二人の唇はほとんど動いておらず、「リチュア」の少女は会話に気付かず流れていく緑の絨毯に気を取られていた。

「近くで、私が連れて降ります。そこから、見つからないように徒歩で」

「そうだな。頼む」

 幾つかの森が足元を通り過ぎ、集落は目前だ。集落から離れている者はいないだろうが、念のため、集落の皆には気づかれないようにやや離れた場所に、イグルを降ろす。

 緑の大地に足をつけると、青い少女はバランスを崩したように二三歩前のめりに踏み込んだ。慣れていない者が空を飛んだ時に起こる、酔いのようなものだ。力を籠めて大地を踏み、「リチュア」の少女は不安げにウィンダールを見た。

「あの――ここは?」

「心配いらない」

 ウィンダールは、笑顔を作る。しゃがんで目線を合わせ、軽く頭を撫でた。

「そっちのお姉さんが、私たちの村に連れていってくれる。その後は、お姉さんの家で大人しくしているんだ。いいかね?」

「うん……分かりました」

 頷き、帽子をぎゅっとかぶってカームを見る。カームは、軽く頷いた。

「頼む」

 イグルの背に再びまたがり、ウィンダールはカームに顔を向けた。無言に無言を返し、イグルの腹を軽く締める。

 その場に残した甲高い鳴き声が、一気に遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 鬱蒼とした、密度の濃い影が頭の上から降り注いでいる。空は大半を灰色の雲が覆っており、ほとんど光の入らない森の中はまっすぐな道の先が見通せない程に暗かった。

 行く先に広がる影のような森に、「リチュア」の少女はおもわず足を止めてしまった。

 数歩前を行くカームが振りかえった。こちらに向けられた切れ長の目から、感情は読みとれない。白い肌に浮くような紅い唇が開いた。

「どうかした?」

「あ……いいえ」

 首を振り、早足でカームに追いつく。カームは、既に森の一本道に足を踏み入れている。

 道は狭く、並んで歩くことは難しそうだった。結果として、道を知らない少女はカームの後ろを影のように追う形になる。

 雨の後だからか、道の土は黒く湿っていた。まわりは幾重にも重なった枝葉が鱗のように重なっている。それが、時折届く獣や鳥の鳴き声にあわせて揺れるのが不気味で、少女はなるべく横を見ないように視線を固めた。カームの背で揺れる翠色の髪が、道を示すように暗闇の中でぼうっと光っている。

 カームのことは、よくわからない。一緒にいたウィンダールという「おじさん」は、どこか憂いを持ったような、しかし笑うと優しい雰囲気を持っていた。カームの方は、まったく表情を変えないので。何を考えているのか分からない。もしかしたら、嫌われているのかもしれない。

 だが、二人の話の断片から察するに、少女を助けたのはカームらしいし、雨に濡れないように自分のローブを被せたりもしてくれたらしい。

(本当は、優しい人なのかな)

 そうであればいい、と思う。人に嫌われるのは怖い――気がした。

 歩調にあわせて揺れる翠の髪を見ながら、少女はふと思う。

(もしかしたら、私にだけ、冷たいのかも)

 カームのことは会ったばかりでよく知らない。ただ、可能性の一つとして思い浮かんだ。

 自分に嫌われるようなところがあっただろうか、と振り返ってみるが、記憶を遡れるのは湖畔で二人に出会うところまでだ。それより前は、霞がかったように思い出せない。

 自分の出自に関係があるのかとも思う。

 少女が着る服は、二人のものとは色やデザインが違う。きっと、二人が住んでいる集落とは違うところのものなのだろう。

(でも、考えてもわからないよね)

 まずはどこかで落ちついて記憶を手繰ることだ。そうすれば、何か分かることがあるかもしれない。そのためには、早く森を抜けなければ。

 そう考え、少し歩調を速める少女。しかし、その歩みはすぐに止まった。先を行くカームが足をとめたからだ。

「どうかしました?」

 声をかけると、カームは左手を後ろで広げて待てと合図をし、右手で杖を構える。ローブの端から見えた道の先で、ガサガサと草むらが揺れている。

「なんですか、あれ……」

 不安を覚えて尋ねるが、返事は来ない。代わりに、カームは左手を後ろに回したまま、草むらに近づいていく。息をのんで見守る少女の前で、カームが口を開いた。

「……サンボルト」

 声に、大きく草むらが揺れる。太い一本角が飛び出し、それに続いて犬のような頭が草をかき分けて姿を現す。紫の瞳がカームを見、こちらに向いた。眉間のあたりにしわがより、睨みつけるような顔になる。少女は思わず足を引いた。

「大丈夫。サンボルト」

 カームが、諭すような声で言う。

「私の客人よ。危害は加えないわ」

 いわれ、サンボルトと呼ばれた角つき犬は、カームを見上げて数秒間視線を交差させ、草むらの中に姿を消した。少女が、ふう、といつの間にか止めていた息を吐き出した。

「今のは?」

「森の住人」

 返答は短い。カームは杖を降ろし、先に進んでしまう。あわてて少女も後を追った。

「安心していいわ。あなたは、私が守るから」

 風に溶けるような声が、前から来る。

 身を包むような薄い暖かさの風が身体を撫でた。

 森が、わずかに明るくなる。そろそろ出口が近いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 その家は、小さなものだった。周りの家と同じように木を組み合わせて作られた四角いもので、鈍角の三角形の屋根が付いている。玄関近くの軒下に、小さな鳥の巣があった。

「どうぞ」

 カームが扉を開く。おじゃまします、と一声かけて少女は靴を脱ぎ、乾いた木の上に足を置く。

 玄関の先の部屋には、木製の大きな箪笥が一つと、整頓されたベッドが一つ。それに小さな机と積まれたクッションのようなものが置いてあるだけだ。閉ざされた大きな窓からカーテン越しに光が入ってくるため暗くはないが、殺風景という印象はぬぐえない。

「何も無いけれど、お茶くらいならでるわ」

「あ、お構いなく……」

 少女はそう言ったが、カームは部屋の窓を開くと奥の扉に引っ込んでしまった。手持無沙汰に、少女は部屋を見渡す。生活に必要なものが最低限そろっているだけのような部屋だ。もしかしたら奥になにかあるのかもしれないが、家具の置かれたこの部屋はほとんど生活臭がしない。掃除は行き届いているようで、埃一つ落ちていない。模型のような部屋だと少女は思った。

 視線を巡らせると、箪笥の上に何かが置かれているのが見えた。近寄って見ると、両手に入る程度の大きさの、木の箱だ。なんとなく悪いことをしている気がして、首を回しカームがいないことを確かめ、背を伸ばして箪笥から箱を手に取る。

 釘を使わずに細い木を複雑かつ精巧に組み合わせた箱だ。装飾はなく、何が入っているのかは分からないが、鍵の類も見当たらない。大きさの割にずしり、と重たい感触があるので、貴重品かもしれない。

(だったら、空けちゃいけないかも)

 思い、箱を戻そうとして背を伸ばした時。

 カチャ、と小さな音がした。静謐な室内に、その音は実際以上に大きく耳に届き、少女は驚いて箱を持ったまま振り返る。

 両手で盆を持ったカームと視線が交わる。盆には木の色をしたコップと丸いポットが乗っている。鳴ったのは、熱気を逃がすようにずらされたポットの蓋のようだ。

「あの、ええと、これは――すみません、勝手に触っちゃって」

 慌てて頭を下げるが、カームは気にしていないように表情を変えずに盆を机に置いた。

「気になるなら、空けてもいいわ」

 気になるか、と言われれば首を縦に振るしかない。少女はゆっくりと力を籠め、箱を開いた。

「わぁ……」

 布の張られた箱の中には、翠色の宝石がはめ込まれたブローチが収められていた。細やかな金細工が施された中央に、石がはめ込まれている。綺麗に磨かれた表面が少女の顔を映し出している。そこに、文字が浮かび上がっているが、白い文字は光の反射で読むことは出来なかった。

「綺麗なブローチですね……カームさんのですか?」

「そう」

 ポットの中身を交互にコップに入れながらカームが応える。それ以上の言葉はない。部屋の端に積まれたクッションの山から二つを手に取り、対面する机の横に置く。それを見て、少女は箱を箪笥の上に戻し、クッションに座る。カームがコップを差し出した。

「ありがとうございます」

「熱いから、気をつけて」

 はい、と受け取ったコップは中身――薄茶色の液体だ――の熱を手の平に伝えてくる。ゆっくりと口をつけると、苦みと甘みが混じったような味がした。熱いが、飲めない程ではない。

 少女がごくんと飲み下すのを待ってから、カームが口を開いた。

「これを」

 腕を伸ばして箪笥の引き出しを開き、取り出したのはカームが来ているものと同じ色のローブだ。

「着替えた方がいいわ。雨に濡れたし、その格好は目立つから」

 細かい繊維で編まれたローブは薄いタオルのようで、思ったよりも柔らかく、軽かった。続いて渡された薄手の上着と膝丈のズボンも、同じような素材で出来ているようだ。

 少女は、まだ所々湿っているローブから手を抜き、もぞもぞと脱ぐ。軽くなった身体に窓から吹く風が気持ちいい。

「あれ?」

 脱ぎ捨てるように丸めたローブから、白い紙のようなものがはみ出ている。少女がつまんで拾い上げたそれは、

「手紙……?」

 蝋か何かで封印された封筒だった。振ってみると紙が擦れる音がする。透かして見れば、中に折った紙が入っているようだ。

「カームさん、これ、何でしょう」

 封筒を手渡されたカームはじっと封印の紋章を見る。表情が変わらないため分かりづらいが、少女には、彼女がわずかに緊張したように見えた。

「これは」

 一度口をつぐみ、

「あなたのもの」

 少女はなんとなく、カームが別のことを言おうとしたのではないかと思いつつ、返された手紙を受けとる。

「空けちゃってもいいんでしょうか?」

「分からない。けれど、もしかしたらあなたの正体が分かるかもしれない」

 カームはゆっくりとコップを傾ける。少女はわずかに逡巡しつつも、封印に爪を立てた。そのまま削るように剥がし、封を開く。中からは、三つ折りになった紙が一枚。

 それを開いた少女は、顔をしかめる。

「字――読めないんです。代わりに、読んでいただけません?」

 カームは頷き、手紙を開く。今度は、ピクリと、少女にも分かる程に眉間が動いた。

「あの――」

「……これは、私たちに向けられた手紙よ」

「え?」

 目を見開く少女。カームは視線を手紙に向けたままだ。

「どういうことです? なんで、私の服から?」

「これは」

 手紙を畳みながら、カームが言う。

「あなたが住んでいた場所から、私たちへの手紙。推測にすぎないけれど、あなたに託されたようね。それがなにかのはずみで記憶を飛ばしてしまったのかもしれない」

「私の住んでいた場所――って、どこなんですか? 私、帰った方がいいんですか?」

 立て続けに投げられる質問に、カームは何かを考えるように折った手紙に眼を落としながら呟く。

「手紙には、あなたは、あなたの住んでいたところ――「リチュア」からの使者だと書いてある」

「「リチュア」――それが、私の村?」

「村というか、種族。リチュア・エリアルを送るとあるわ。……これが、あなたの名前?」

「エリアル――」

 呟くと、頭の靄がすこしだけ晴れた気がした。誰かに、そう呼ばれた記憶がある。誰かの顔や名前は、思い出せない。

「多分、そうです。エリアル――私の名前」

「他の記憶は?」

「……まだ、ちょっと。思い出せません」

 始めのような絶望感には襲われないものの、不安で視界が滲む。

 そう、とカームは小さく呟き、手紙に視線を這わす。

「ゆっくりと思い出していけばいいわ。元々ここを尋ねる予定だったようだから、しばらくはここにいた方がいいかもしれない」

「しばらくって、どれくらい?」

「記憶を取り戻すか、「リチュア」の方に連絡をとれるまで、かしら。どちらにせよ、「リチュア」の住む湖まで行くには時間が遅いわ。今日はここに泊っていきなさい」

 少女――エリアルは頷く。

「分かりました。でも、それってどれくらい時間がかかるんでしょう」

「手紙を送ってくるくらいだから、あちらと連絡を取るのはそう難しいことではないはず。事情を話してあなたを「リチュア」に返してあげるには、数日あればいいと思う」

「数日……」

 エリアルは開放された窓の外を見る。木組みの家の先に、深い緑の森が広がっている。風に乗って流れてくる鳥や獣の鳴き声は、森の中にいるときと違って落ちついた調子の音楽のよう。

 数日間どころかいつまで居ても悪くない、のどかなところだ。記憶が戻って「リチュア」に帰っても、いつかまた訪れようと思う。

 だから、エリアルは再び頷いた。

 カームが畳んだ手紙を封筒に戻す。

「この手紙、借りてもいいかしら。私たちに送られたものなら、代表者に見せなきゃいけないから」

「はい、どうぞ」

「それと、脱いだ服は奥の部屋に大きな籠があるから、そこに入れておいて。窮屈かもしれないけれど、あまり外に出ないように。万がいち――そう、迷子にでもなったら大変だから」

 いつもの落ちついた口調と違い、矢継ぎ早に言いながら立ちあがるカーム。玄関に立てかけてあった杖を取る。

「じゃあ、ここで待ってます。どこか行くんですか?」

「手紙を届けに。帰りは遅くなるかもしれないから、お腹が減ったら奥の部屋にあるものを適当に食べていいわ。眠くなったらそこのベッドを使いなさい」

 そう言って、カームは靴を履いて玄関を抜けていった。

 残されたエリアルは、カームのコップを見る。中身はまだ暖かく、半分ほど残っている。

「なんだろう――なにか、慌てていたみたい」

 記憶がないこととは違う不安が、うっすらと心を遮った。

 

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