ミストバレーの風   作:水戸 湊

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リチュアからの使者

 

「リチュアからの使者か!」

 誰かが、エミリアと名乗った少女に杖を向けて叫んだ。エミリアは臆することなく犬歯を見せて笑う。病的なまでに白い肌が薄明かりに照らされて朱に染まっている。

「まあ、そういうこと。お手紙は受け取ってもらえたようでなにより。メッセンジャーの姿が見えないけど?」

 エミリアの紅い瞳がムスト、ウィンダール、カーム、そしてウィンダを見た。押し黙る三人の脇で、ウィンダだけが目を瞬かせる。

「『あの少女』のことならば、我々が保護している。外傷はないが疲労していたので、今は静かなところで休養させている」

 ウィンダールが静かに言った。ウィンダを含め、他の者たちは誰のことを話しているか分からず、会話の行方を見守っている。

「そう――私が連れて帰りたいところだけれど」

 す、とエミリアが宙から降りてくる。そのまま、足の先が床に溶けるように消えていく。まるで湖に飛び込むように、エミリアの姿が床に沈んだ。

 皆が、なんだ、と辺りを見回すが、エミリアの姿はない。どこからか、声が響く。

「背負って帰ろうにも、私はか弱いスピリットに過ぎないのよねぇ。おかげでこんなところにも潜り込めるわけだけど」

「わあぁっ!?」

 エミリアの顔だけが、ウィンダの背後の壁から突き出していた。至近距離から声を浴びせられ、ウィンダは姿勢を崩して尻もちをついた。エミリアの吐息は氷のように冷たかった。

「巫女様!」

 いきり立った代表者たちが腰を上げ、杖を構える。エミリアが指の一本でも動かせば、攻撃するつもりだ。だが、近い場所にウィンダがいる以上、積極的には仕掛けられない。一瞬即発の気配に満ちた部屋に、ムストが手で座るように指示する。顔を横に向け、厳しい視線でエミリアを睨みつけた。

「ここは、神聖な神殿だ。たとえ余所の使者であろうと、無法を許すつもりはない」

「これは失礼」

 肩をすくめながら、壁から生えるようにエミリアの全身が浮き出し、最初と同じ宙へと舞い上がる。

「随分と若い娘もいたものね。しかも上座と言うことは、なにかお役目を背負っているのかな」

 腰を抜かしたウィンダに、揶揄するように嗤う瞳が向けられる。不吉な色、血の色の瞳に見つめられ、居すくめられたように、ウィンダは動くことが出来なかった。

「そちらはウィンダ。我々ガスタへ神からの信託を告げる巫女だ。これ以上の無礼は、目に余るが」

 ムストとウィンダールが厳しい視線を浴びせかける。ウィンダから目を離したエミリアは、悪びれる様子はなく口の端を上げ、睨みつける代表者達を見まわした。

「あの娘は、しばらくお預けしておくわ。人質としても、使者として扱っても結構。それよりも、そちらのお返事をお聞きしたいんだけど」

「話し合いの場を設けたいと考えている」

 あの娘、エリアルのことには触れず、ムストは静かな声でそう言った。

「なぁにそれ。是か非か、それを聞きに、こんなところまで来たっていうのに」

「我々の返答は、非だ。だが、互いに条件を見直す余地は存在すると考えている」

「こっちには、そんな気はさらさらないわ。服従か死か――とは言わないけど、溜まったツケは払ってもらいたいものね」

「争えば、双方に被害が出る。まずは交渉にて決着を付けるべきではないだろうか」

 エミリアは、そう、と呟いて、笑みを深くした。

「まあ、いいわ。私はしがない伝令でしかないから、言われたことをそのまま伝えるだけ。あなたの言葉は、届けておくわ。返答はまた今度。ふふ、またお会いしましょう、ガスタの皆さん」

 じゃあね、と言ったエミリアの身体の密度が下がっていく。明かりの蝋燭が風もないのに揺れる。愉快そうに笑いながら、エミリアの身体が透け、皆の目の前で霧散するように宙にかき消えた。

 少女の笑い声が、隙間を埋めるようにしばらくの間残っていた。

 部屋には静寂が舞い降りる。誰ひとり、口を開かなかった。ウィンダは、ショックが抜けないのか青い顔をしているが、どうにか座に座りなおしていた。

 揺れる明かりが落ち着きを取り戻すまで、それは続いた。

「さて」

 ウィンダールが、ゆっくりと皆を見る。

「我々の方針は、リチュアに伝えた。相手の出方が分からない間は、刺激をしないように振舞っていただきたい」

 非を唱える者は出なかった。エミリアにかき乱された場は、混乱を鎮めるのに今しばらくの時が必要なように思われた。

「今回は、これにて解散としたい。風祭りは、予定どおり実行する――ウィンダ」

「あ、はいっ」

 呼ばれ、弾かれたように立ち上がる。

「祭りの主役はお前だ。任せたぞ」

「はい――お任せください」

 ウィンダが力なく頷くと、ウィンダールは再び視線を戻し、小声の会話が少しずつ生まれてきた部屋に声を響かせる。

「皆に意見がなければ、解散だ」

「問題ないだろう。いま、この場で協議するには、場が荒れすぎた。今後情勢に変化が見られれば、また皆を招集する。以上で、今回の会議を終了とする」

 立ち上がったムストが、閉会の合図として杖を掲げた。

 

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