ミストバレーの風   作:水戸 湊

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ガスタの集落

 ミストバレー大湿原は、北側にそびえる大氷山――いわゆる『氷結界』を、南側にまるで奈落の底まで続くかというような巨大な『霞の谷』を持つ広大な湿地帯だ。起伏の激しい土地に囲まれた盆地で、古くから「ガスタ」と呼ばれる者たちが原生生物と共生している。険しい崖を、凍てつく氷山を抜けて来た者にとっては信じがたいような、地平線が見えるほどに平坦な土地。

 広大な緑の海を、ウィンダは巨大な鳥の背に乗って渡っていた。

 足元を滑るように鮮やかなエメラルドの絨毯が通り抜けて行く。頬を撫で、髪を梳かす風が心地よい。

 絨毯の中に、時折、濃い色が混ざる。上空からでは分かりにくいが、湿原には小さな森が点在しているのだ。背の低い植物が群生する中に、ところどころに沸くように生えた木々の中で「ガスタ」は暮らしている。

 遠目に見える森は十個ほど。その一つ一つに集落があることを、ウィンダは知っている。向かっているのはそのうちの一つだ。

 鳥が、甲高く鳴いた。ウィンダが応える。

「寄り道はしないよ。我慢」

 再びの鳴き声は、不満そうに。

「父上を見つけたら戻るって言っちゃったからね。また今度、ね」

 返答は短く、低い声。いい子いい子、とウィンダは軽く鳥の背を撫でた。

 古くから湿原の生物と共生している「ガスタ」には、彼らの言葉を理解できる者がいる。ウィンダも、その父、ウィンダールもそうだ。

 「ガスタ」には、古くから――伝承には、この地にたどりついて以来という――神官や巫女がいる。この地に眠る、湿原の風よりも古いとある『神』を祀るために。その神職には、他の生物と言葉を交わすことのできる者が選ばれる。ウィンダは、今代の巫女だった。

 風が変わった。背を押し、追いたてるような冷たい風が、迎えるような暖かいものへと。

「そろそろかなー」

 鳥の上で背を立て、辺りを見渡す。一点を見、ひょい、と軽く手綱を引くと、鳥が応え、ゆっくりと旋回を始める。

 宙に描く円の中央には、やはり森がある。他の森よりも少しだけ広いそこに、最も古い「ガスタ」の集落がある。

 ウィンダはそこの端に鳥を降ろし、湿った色の土に足を着けた。

 同時、ふ、と風が舞い起こり、巨大な鳥が姿を消す。代わりというように、小さな緑の鳥が羽を動かして滞空している。

「お疲れ様――ガルド」

 肩の上に飛び乗った鳥が小さく鳴いた。

 さて、と森の奥へ顔を向けた時。ああ、と声が飛んできた。

「やっぱり、お姉ちゃんだ。お帰りなさい」

 声に負けない速度で土を蹴り、駆け寄ってくる人影。ウィンダと同じローブを申し訳程度に引っ掛けた少年姿だ。髪を後ろで束ねているが、ウィンダのような長さがないので跳ねるように広がっている。

「ただいま、カムイ。父上は戻ってる?」

「うん。呼びに行ってた?」

 ウィンダが頷くと、カムイはなんだ、とつまらなさそうな顔を作った。

「湖の方に行ってたのかと思った」

 カムイが言う湖は、湿原と氷結界の間に横たわるものだ。広く深い湖は様々な生き物の糧を生み出し、湿原の地下に水を行き渡らせている地下水脈の心臓部にもなっている。

 ウィンダはたまにそこへ行き、儀式に使うための澄んだ水やお祝いのときにふるまう魚を採ってくる。ついでに、カムイへの土産に貝や石も、だ。落胆したようなふりをするカムイに、ウィンダは軽く頭を撫でた。

「カムイも修行して、みんなに乗せてもらえるように頼むのね。鳥に乗れば、お昼に行って夕方には帰ってこられるもの」

「修業はしてるよ。最近、ちょっとだけ仲良くなれた奴がいるんだ。でも、そいつもなかなか乗せてくれなくて」

 口をとがらせるカムイ。ウィンダのガルドやウィンダールの怪鳥イグルは、元々は湿原に住む原生生物だ。自然に生きる彼らの背に乗るには、彼らと言葉だけでなく心を交わし、互いを認めさせる必要がある。ウィンダもカムイ位のころ――といっても三歳ほどしか違いはないが――は、ガルドに認めてもらうために修行をしていたものだ。

 二人と一匹は、森の奥の集落に向けて歩き始めた。

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