Birth Day Dream!   作:夢兎*

5 / 5
#01 現在と過去と未来と。⑷

 

 ——というような語りをすると、例えば夏希がバンドを辞めるだとか、CHiSPAが解散するだとかいう不穏な考えが頭に浮かぶかもしれないが、別にそこまで特別な話ではない。

 実際、沙綾は似たようなことを考えていたが、しかし、それは早とちりだった。ただ、まったく違うかというと、そうとも言い切れず。では、どういうことか。どうして文化祭がCHiSPAにとって最後なのか。

 

 ——うちら、文化祭終わったら一旦休止しようってことになって。

 

 夏希は首を振ったあと、そう言った。理由は単純に、受験だから。つまり、辞めるわけでもなく、解散するわけでもなく——休む、という、そういう話だった。

 

        × × × ×

 

 ゆっくりと持ち上げられたまぶたの奥。濡れた金色の瞳が天井を視界に映した。

 ——珍しいな。

 いつもは目を開ける前にはもうそこにあいつがいて、あいつの声で起こされるのに。なんて、妙な新鮮さを感じながらごろごろといつもはない時間をしばらくだらけて過ごす。

 先日、六月に入ったとはいえ、早朝の気温はそこまで高くない。のそのそベッドから降りてカーテンをずらし、からりと窓を開ければ、肌寒い風が頬を撫で瞳と同じ色をした長い髪を微かに揺らす。

 小さく開いた口ですぅーっと息をすると、喉を冷やした空気はぼんやりとした頭を僅かに覚醒させ、そうして浮かんでくるのはここ最近ずっと考えている一つのこと。

「……休止、か」

 言葉にしてみても、あまり実感がわかない。休止も解散も。そもそも、今の状況が変わるという想像ができない。もっと適切な言葉を選ぶなら、想像したくない。

 あれほど容易く変わった日常なのに、いつしかそれは不変のものとなっていて、一時的とはいえ「失くなる」ということは考えづらく、それが一時的では済まなくなるなんて想定をしようものなら——じわりと視界が滲んだ。

「……バカじゃ、ねーのか」

 ——だって、こんなの、まるで。

 ぐしぐしと荒っぽく目を擦って、もう一度外を眺めた。六月の朝——文化祭の空。明日からCHiSPAは活動を休止する。それがCHiSPAにとってどんな意味を持つのか少女には知る由もないが、少女にとってPoppin'Partyの休止がどんな意味を持つのかは考えるまでもないことだった。

 大切、なのだ。

 掛け替えなく、代わりの効かない大切な居場所なのだ。それだけが、とは言わない。しかし、それだけはと思う。今はもう一人じゃないけれど、一人でいた期間のほうが遥かに長くて。そこから引っ張り出してくれたあの子とこれからも一緒にいたい。

 すべての始まりで、今のすべてがあの子とPoppin'Partyによって形作られている。だからこそ、失いたくない。失うのが怖い。

 他人に言えば、休止くらいでなにを大袈裟なと思われるかもしれない。でも、少女にとっては一大事で、間違いなく未来を左右する問題だった。

 将来のことなんて全然考えたことがなかったのに、ただ漠然と今と同じ時間が続くと思っていたのに。そんな独白をして、ふっと自嘲じみた息が漏れる。

 ——あのときも、そうだっただろ。

 なにもしていないのに、ずっと同じ時間が続いていくなんてことはありえない。だって、そうはならないことをもう少女は知っている。二年前の春、あの子によって思い知らされている。

 少女にとって、CHiSPAの休止はきっときっかけだった。

 Poppin'Partyの休止を深く考え、それから未来を想像するための足がかりになった。それがなければ、多分、こうして思い悩むこともなくて、いつかの結末を選ぶことも出来ずに迎えていた。

 考えなければならない。

 どの道を進むのか、なにをしたいのか。これから先も、あの子たちと一緒にいるために、自分は今、なにをするべきか。迎えたくない未来へ進まないために、迎えたい未来に走り出すために。未来(いまから)を変えるために、今を——

 ——現在(いま)を変えないと。

 過去(いままで)が、その必要性を語っていた。

「……有咲?」

 そのままぼーっとしていると、自分の名前を呼ぶ声が耳に届く。振り向けば、どこか不安気な表情を浮かべた香澄がこちらに一歩足を踏み出したところだった。

「おはよ」

「えっ、あ、うん、おはよっ! ……珍しい、ね?」

「あー……だな。昨日、寝るの早かったから」

 つい嘘を口にして、少し後悔する。なんで隠しているんだろう、そんなことをしたところでどうせ気づかれるのに。今ここで、言ってしまおうか。しかし、人に話せるほど固まっているわけでもない。そんな風に悩んでいると、香澄はしばらく迷うように唇を動かして、

「……なんか、あった?」

「ううん、別に」

 再び咄嗟に誤魔化してしまう。こうしたやり取りで思い出すのは、いつかの出来事。自分が原因で、Poppin'Partyがバラバラになりかけたことがある。

 ——まじで困ったら、話すか。

 反射的に隠してしまっただけで、抵抗があるというわけではないのだ。むしろ隠すことの方にこそ抵抗があるくらいで、もう二度と同じ轍は踏まないとあのときに決めている。

「ほら、行こうぜ」

 ——ごめんな。

 心の中で謝って、部屋の出口へ向かった。納得がいかないという顔で頷いた香澄の横を抜けようとすると、唐突に腕が引かれる。一歩後退して振り向いた先には、瞳を潤ませて眉根を寄せる香澄がいて。

「……隠さ、ないでよ」

「……いや、えぇと……ご、ごめん」

 突然のことで頭が回らず普通に謝ってしまった。なんというか、微かに感じていた罪悪感を二倍にも三倍にもされたような気分だ。

「……つっても、ほんと、たいしたことじゃなくて。ほら、その、なんだ……受験とか、就職とか、これからいろいろあるんだろうけどさ」

 ああ、もう、恥ずかしい。なんでこんなことを言っているんだ。と思う自分と、ほんとに言えるようになってるんだなと思う自分がいて、なんだか変な笑いが溢れてしまう。

 そんな有咲を見て首を傾げる香澄に、有咲はこほんとわざとらしい咳払いを一つしてから柔らかく微笑んで、

「——ずっとみんなといたいなって、考えてたんだ」

 それはただの事実でしかなくて、まぎれもない本心で、だからこそその笑みは格別で、香澄が一瞬固まって、傾げていた首をまた逆方向まで傾げてようやく反応出来るレベルの言葉だった。

「え……あれ……? ぁ……」

「お、おいっ」

 目の前でぽろぽろと涙を流す香澄に近寄ると、香澄は泣きながらにへらと笑って抱きついてくる。

「ちょっ——」

「——私もね……っ! みんなと、いたいよっ……有咲とっ、ずっと……ずぅーっと! 一緒に、いたいよ……!」

「……そっか」

 怒る気力もなくなって、香澄が泣き止むまでそこで立ち尽くしていた。でも、内側から止め処なく活力が湧いてくるような感覚があって。だらんと下げていた手でぎゅっと拳を作る。

 根拠なんてないけど、今なら、なんだって出来る気がした。

 

        × × × ×

 

 校舎内は喧騒に包まれていた。まもなく一般公開が始まるが、高校の文化祭に入場時間前から並ぶような人はそう多くもなく、ほとんどが生徒によるもの。中でも三年A組は異常なほどの盛り上がりで、その中心にはやはりと言うべきか戸山香澄がいた。

「文化祭だーーっ!」

 香澄が教壇に立ち、拳を掲げながら特に意味のない声を上げれば、クラスメイトも楽しげに「おぉー!」と天井へ向かって拳を突き出す。

「……なんだこれ」

 有咲が熱気に当てられて若干引いていると、隣に立っていた沙綾は苦笑をこぼし、りみは控えめに微笑みを漏らす。ちなみにたえはお祭り騒ぎに混ざっている。

 しかしまあ、少し想定外とは言え今日はお祭りだ。お祭り騒ぎも理に適っていると言えなくもないだろう。有咲も別になにか注意をしたりするつもりはないのか、黙って眺めては口角を上げている。

「楽しそうだね?」

「は、はぁ? 別にっ……まぁ、少しは、楽しいけど……」

 照れ臭そうに尻すぼみな声を出す有咲に、りみが同意の胸を示す。

「私も楽しいよ、有咲ちゃん」

「だ、だからなんだよっ⁉︎」

「あははっ! かわいーなぁ」

「かわくねーしっ!」

「あーりーさーっ!」

「だぁっ! いちいちこっち来んなぁっ!」

 と、言いつつも抱きついてきた香澄を離そうとはしない。満更ではない様子の有咲をまた沙綾がからかったり、そんな三人を見てりみが楽しげに笑ったり、そこにたえがやってきてわちゃわちゃしたりしているうちにも時間は進み、気づけば入場時間を迎えていた。

 まばらな客の相手をしながら、有咲の頭に浮かぶのはやっぱりあのことで。

 ——ずっと、一緒にいたい。

 みんなと、ずっと一緒にいたい。でも、多分、それだけじゃないのだ。今朝、香澄に「私もそうだ」と言われたとき、安心はあったけれど特別驚きはなかった。

 それはつまり、有咲の中に香澄ならそう言うだろうという予想があったということで、きっと他の三人にしても変わらない。みんながみんな、一緒にいたいと思っているという確信が有咲にはあって、故に、いつか離れるという不安は昨日よりは遠のいている。

 一緒にいたいと思っているなら、離れることはないはずだから。

 なんて、そんなことを口にしたら笑われてしまうかな。ずっと一緒ってやつはきっと、言葉にする容易さとは比べ物にならないほど難しいことで、誰もが夢見ながらいつのまにか失くしてしまっていたりするもので。

 ——でも、こいつらとなら。

 その想いは揺るがなかった。今も明日も来年も、数十年先まで変わりなく、自分は一緒にいたいと想い続けているのだろうなと想像出来てしまうから。

 しかし、だとすれば、この不安はどこから来るのだろう。という疑問が有咲の胸を満たす。「いつか離れる」という不安は遠のいているのに、それとは別の得体の知れない不安がもやもやと渦巻いているような。

「有咲ーっ?」

 少しぼーっとしながらも声に意識を向けると、目の前で香澄が小さく手を振っていた。ハッとなって思索から抜け出せば、教室は既に慌ただしさに包まれており、何人かは忙しなく行き来している。

「わ、悪いっ」

「全然いいけどー……大丈夫?」

「ん、ちょっと考え事してただけだから」

 改めて目を向けた教室はそれなりに盛況で、出だしは好調なようだった。事前に宣伝していたのも少なからず効果があったのだろうが、やはりPoppin'Partyの存在が大きいだろう。

 学内での知名度の高さに加えて、商店街や町内のイベントなど外部の活動によってPoppin'Party自体がそれなりの宣伝効果を持ち始めているため、香澄たちのクラスが賑わうのは最初から予想されていた。自分がちやほやされるのはともかくとして、そういうことにはある程度慣れてきたつもりでいた有咲だったが、実際にこうして沢山の人がやって来たのを目にすると感慨深いものがあるようで。

 ——これも、みんなで得た結果なんだよな。

 二年間活動を続けてきた結果が、この光景なのだ。売り上げダントツ一位とまで噂され、反則呼ばわりされてしまうようなそれが、今まで積み重ねてきたものなのだ。なにも思うなというほうが無理がある。

「みんな揃って、よかったよね」

 ぽしょりつぶやかれた言葉に反応して横を見やれば、こちらに顔を向けて笑う香澄がいる。何度も何度も見てきて日常に溶け込んだその笑顔が、どれだけ尊いものなのかを市ヶ谷有咲は知っている。

 尋常が些細なきっかけで尋常ではなくなることを、彼女は知っている。当たり前なことなんてなに一つない。どれもこれもが、なにか少しでも違えばあり得なかったかもしれないもので、今この瞬間が、過去の一粒一粒によって形成されていることを——

 

 ——もう、私は知っている。

 

 これから先の未来だってなにも変わらない。明日が今日に変わりやがて昨日になるように、昨日が今日を作り明日を生むのだ。知っているから、理解しているから、こんなにも胸が満たされて。

「有咲、なんかいいことでもあった?」

 だって、笑ってる。と、香澄に言われてようやく自分が笑みを浮かべていることに気づいた。でも、それに対して否定の言葉は浮かんでこなかった。どれだけ照れくさくても、どれだけ恥ずかしくても、

「……嬉しいんだ」

 その気持ちは隠しようがないから。

 初めて全員が同じクラスに揃って迎えた文化祭。クラス展示はライブの関係で午前中のうちにシフトから外れてしまうけど、終わって振り返ったら必ず楽しかったと思える。そんな気がした。

「私も、嬉しいよ」

 今朝とは反対に、ただただ明るい笑顔で放たれた台詞。思わず見つめてしまうような輝きに、どこか呆けた顔を晒してしまう。香澄の「嬉しい」が有咲の「嬉しい」とは別由来であることに有咲が気づく術はなかったが、されども、その想いの大きさには僅かな差もあらず、気づく気づかないなどというのは些末なことだった。

「ほらほら、二人とも仕事する!」

 しばらく笑い合っていると、いい加減痺れを切らした沙綾がぱんぱんと手を叩きながら苦笑する。二人揃って謝りながら仕事に戻り、それからどのくらいが経っただろう。二時間ほどだろうか。

 もとからざわざわとしていた教室が、それとはまた別の種類のざわめきに包まれた。それは群れていた鳥がバラバラに飛び立つような、驚きに似た感情を孕んでいて。教室中の視線が集まる先、見知った顔を視界に捉えた香澄が小走りで出入り口へ向かう。

「ゆりさーんっ!」

 胸に飛び込んできた香澄を受け止めたりみの姉——牛込ゆりは、笑みを漏らしながらわしゃわしゃと香澄を撫で回し、こちらを見ていた妹へと視線をやって小さく手を振る。

「お姉ちゃん。いらっしゃい」

 事前に聞いていたのか、特に驚いた様子はない。それからゆりは有咲へと顔を向けて、

「有咲ちゃんも、久しぶりだね。って、この前ライブで会ったか」

 もともと大人びた印象を感じてはいたが、大学生になったゆりは一層垢抜けていて、ふふっと微笑みを溢す様になんだか言葉が詰まってしまう。ライブハウスで会うときはそんなことないのに。私服だからだろうか。

「……こんにちは」

 そろそろシフト交代の時間だ。この後は自由時間、とは言っても恐らくはPoppin'Partyで固まって行動することになるだろうし、有咲自身もそのつもりではある。しかし、有咲の頭に浮かんでいるのはみんなで回る文化祭ではなくて——

 

 しばらく寛いだのち、一旦教室から去って行くゆりの背中をぼんやりと見つめる有咲。その視線がなにを意味するのか、Poppin'Partyの誰も知らない。

 

        × × × ×

 

「それじゃ、また後でね。みんな」

  シフトを交代してGlitter☆Greenと合流し、文化祭を回りながらいくらか会話をして別れる。Glitter☆Greenはもうお昼を食べたらしく、もう少しうろついてから体育館へ向かうとのこと。ライブの時間はまだ数時間先。お昼はなににしよっかなんて会話をしながら歩き始めた面々の最後尾——足を止めたままの有咲に気づいた香澄が振り返りながら訊ねる。

「有咲? どうしたの?」

「あー……そういえば私、先生に呼ばれてたんだった。ちょっと行ってくるわ」

「えっ?」

 驚く香澄に背を向けて、早足で歩き出した。一歩、また一歩、繰り返すたび歩速は速まって。駆け足で見つけた背中に迫れば、こちらに顔を向けたその人と視線が交わる。立ち止まって吹き出してきた汗を拭うと、彼女——牛込ゆりは特に動じるでもなく優しげに微笑んで。

「……なにかあった?」

 見透かされているような印象。まさか、経験があるのだろうか。あってもおかしくない。でなければ、こんなに必死に追いかけてなどいないのだから。

 ——必死に、か。

 なにを必死になってるんだ私は、と有咲は思う。けれど、そんなのわざわざ考えるまでもないことで。だって、必死にだってなるだろう。言いようのない不安が胸のうちにあって、怖くて仕方がないのだ。このまま自分でなにも気づけないまま時間に身を任せることは、有咲にとって許容出来るものではなかった。

 それだけのこと。

 ポピパが——Poppin'Partyが、大切だ。

 たった、それだけのことなのだ。それだけのことが、それ以上なんてないくらいに市ヶ谷有咲にとって、どうしようもないほどに圧倒的なまでに絶対的に重要なのだ。必死に駆け回る理由としては、余りにも充分過ぎる。

 すぅっとゆっくり息を吸って、正面からゆりの瞳を見据えて、いまだ震える唇で言の葉を紡いだ。

「その、グリグリって昨年文化祭が終わった後——」

 どうして今まで忘れていたのだろう。いや、忘れていたわけではない。正確に言うなれば、それは意識を向けていなかったということになるだろうか。一つ学年の違う彼女たちは近いようで遠く、今まで自分たちと重ねることがなかった。昨年それを耳にしたときも、どこか他人事のように聴いていた覚えがある。まあ、Glitter☆Greenだからというのも少なからずあるのだろうが。いつも自分たちの前を歩いていた先輩たちは、当たり前のようにこれからも前にいるのだという根拠もない確信があったから。

「——活動休止、してたじゃないですか」

 だから、そのときも受験が終われば再開して、また歩き始めるのだろうという感想しかなかった。あのときによく考えていれば今になってこんなに慌てることもなかったのかな。そんなたらればに意味はないけれど、どうしても考えてしまう。

 有咲の言葉に、ゆりは言われて思い出したかのように、

「え? あー、してたっけ。まあ、普通に弾いてはいたけどね。それが?」

「……どういう感じだったのか、気になって」

 そのときの気持ち。音楽から離れる、バンドを休止するときの感情。知る術があるのなら、知ってからああだこうだと悩んだほうが合理的だ。しかし、ゆりにとってそれほど重要なことではなかったらしく。

「うーん、別に変わらないかなぁ。ライブをしないから、練習をしないから、その程度のことで変わるようなものじゃないから。現にほら、今もみんなでバンドしてる」

 メンバーと視線を合わせるでもなく、堂々とそう言い切る姿に、聞く相手を間違えたかと感じる。しかし、まあ、よくよく考えてみればそれもそうなのだろう。同じ経験をしたからといって、同じ気持ちを抱いていたとは限らない。先人から学ぶことですべてが解決出来るのなら、世界はもっと効率化されている。

「……そう、ですか。ありがとうございました」

 軽くお辞儀をして顔を上げると、少し考えるようにまぶたを下ろして指先を顎に当てたゆりは、しばらくしてから片目だけを開けて。

「……なにか悩んでるなら、相談に乗るよ?」

 それは願ってもないことだったけれど、果たして本当にそれでいいのかどうか。答えは、否だ。それではいけない。人に頼ることを悪としているわけじゃないが、その前にまだ出来ることがあるから。

「……いえ——」

 断るために動かした口は、すぐ止まることとなる。

「——大丈夫です」

「おたえっ!?」

「私たちのことだから、私たちで考えて決めます。ね、有咲」

 二の句を奪われて呆然としつつも、頷くのは難しくなかった。それはまさに今、有咲が考えていたことと同じだったから。

「……うん」

 気になることを誰かに訊ねるのは許容出来ても、結論を出すのは自分たちでありたい。そこを他人に頼るという選択は、自分たちでさえ答えが出なかったときまで選べない。とりあえず今は、話し合うことからだ。

 同意の声は情けなくなってしまったが、しっかりとゆりの瞳を見据える有咲に、ゆりは楽しげに笑みを漏らす。

「ふふっ、そっか。じゃ、またね」

「は、はいっ、また」

 去って行く背中をぼんやりと眺めていると、ひょこっと視界に映り込んで来たおたえに問われる。

「有咲、先生のところには行ったの?」

「え? あー……あれは、いや、うん。行ったよ、今、行ってきたとこ」

 先生というのも、あながち間違ってはいないだろう。キーボードの練習に付き合ってもらったこともあるし、なにより、先に生まれたという意味で、彼女たちはまさしく先生であると言える。

「なんの話だった?」

「……進路、かな」

 このまま進んで行くことに関して、訊きたいことがあった。残念ながら質問そのものに求めていたような答えは得られなかったが、収穫がなかったというわけでもない。再び思索の渦に呑まれそうになった意識を、のんびりとした声が掬い上げた。

「シンロ……料理に使う」

「それはコンロな……」

「薪をくべて暖をとる……」

「それは暖炉」

「演奏する人がチームを組んで……」

「それはバンド! っつーか、『ん』しか合ってねぇ!」

 ——なんなんだ急に!

 どうしてこんな古典的なボケにツッコミを入れなければならないのか。有咲が疲れたようにため息を吐くと、たえは満足気に頷いて笑みを零す。

「うん、いつもの有咲だ」

「はぁ? なんだよそれ……ほら、行こうぜ」

「うん。行こう」

「そーいや、おたえはなんでこんなところにいたんだよ?」

 記憶では確かにあの場で別れたはずだが、花園たえはいつのまにか後ろにいて、話に飛び込んできた。どこから聴いていたのかも気になるが、やはり一番はどうしてここに来たのかということ。

 ——もしかして、私を追いかけて……?

 という有咲の微かなときめきを、たえは無慈悲に葬り去る。

「お肉の匂いがして」

「お肉ぅ? ……あー、あれか?」

 有咲の指差した先には、フランクフルトの屋台があった。どうやら、フランクフルトを食べ歩く人から元へと辿って来たら有咲を見つけた、ということであるらしい。なるほど、それは確かに花園たえらしい理由である。

 だが、ここまでやって来て有咲を見つけ、話に口を出すところまですべてフランクフルトの成した偶然かというと、そうではない。お肉よりもそちらを優先した理由がたえにはあるはずなのだから。

 しかし、客観的事実がどうあれ、花園たえにとってはやっぱりフランクフルトを追いかけてきたというだけの話で、それがなにより、花園たえを花園たえたらしめる理由となっているのだろう。

「あれだ! 買ってくる!」

「はいはい……腹減ったし、私も一本買うかぁ」

 苦笑を漏らしながら、たったっと駆けていく背中を追った。多分、たえがなんと答えようとも有咲にとっては関係がないのだ。ある程度物事を俯瞰的に視れる彼女にとって、たえが話に割って入ってきたという事実こそが重要なのだろうから。

「フランクフルト一本ください!」

 隣に並んだ有咲は、握った百円玉三枚を突き出して、

「二つ。……奢ってやるよ」

「有咲……風邪?」

「引いてねーよっ! 今回だけな……」

「今回だけ、何回目?」

「うっせぇ! 黙って食え!」

 ずぼっ。フランクフルトをたえの口の中に突っ込むと、たえはフランクフルトを噛みちぎってもぐもぐと何度か噛んでこくりと喉を鳴らす。にへらと頬を緩めたたえに今度はどんな言葉が飛び出すのかと身構えるも、耳に届いたのはただただ純粋な感謝で。

「ありがとう」

「……どういたしまして」

 ——こいつ、ほんっと掴めねぇ。

 でも、そんなたえが嫌いじゃない。吸い込まれそうな青空を見上げながら、フランクフルトをひと齧りして、そっとひとりごちた。

 

        × × × ×

 

 談笑が日の落ちた住宅街に響いていた。

 電灯に照らされ地面に浮かび上がる影は五つ。いち早く影の中へと飛び込んだ少女は、まだまだ元気が残っているらしい。くるりと振り返ってそのままバックステップで進んでいく。

「危ねーぞ」

「大丈夫だって〜」

 たんったんったんっ、小気味いいリズムを刻む足は、残念ながら暢気な言葉通りにはいかなかった。少し大きめな石を踏んで、バランスを崩した身体はぐらりと傾く。

「きゃ——」

 咄嗟に地面に向けて突き出した手に土がつくことはなく、ぐっと両脇に入ってきた腕が身体を支え起こした。

「はぁ……。だから、危ないっつったろ……」

「香澄〜?」

 両側から責めるような視線を向けられて申し訳なさそうに目を泳がせる。そんな香澄に、二人は揃ってため息を落として腕を離した。

「ボディーガード?」

「はぁ? 体操補助員とかの間違いだろ」

「へぇ、補助してる自覚はあるんだ?」

「疲れてんだから茶化すな……」

 どうやらツッコミを入れる体力もないらしい。それでも香澄のために地面を蹴り上げることは出来るのだから不思議である。それは別腹、ということなのだろうか。

「有咲も、沙綾も、ありがと」

 にやにやしている沙綾を見て見ぬフリして、前へ進めと手をひらひらさせる。指示に従うように今度はしっかりと前を向いて歩き始めた香澄はスローペースで、首を傾げながら隣に並ぶとにへらとした笑顔が視界に飛び込んできた。

「今日、楽しかったねっ!」

 ——本当に、星みたいなやつだ。

 これまで何度も思ったことが、この夜闇の中だと常より強く感じられる。目を瞑りたくなるくらい眩しく輝く一等星。彼女たちは星に導かれて今ここにいる。

 ——私は、どうだろう。

 同じ場所にいるのかな。たまにそんなことを考えるのだ。星を見上げるばかり、星に照らされるばかりなんじゃないのかと。空と地に隔たりはないけれど、そこには途方もない距離があるから、手を伸ばしたところで届くはずもなくて。

 彼女が振り返ってくれるから、彼女が手を引いてくれるから、自分はそこにいけるのだとして、それでいいのだろうか。問いは当然反語で、有咲の中にはそれではいけないという確信があった。

 ——私自身が、輝かないと。

 強く煌めく光に埋もれていてはいけないのだ。それは、これまでも度々感じてきたことで、だって、そうでなければ意味がない。ただ引かれるだけの関係では意味が分からない。戸山香澄に着いて行く意味が——自身の価値が。

 別に卑屈になってるわけではない。冷静に、客観的に考えてこのままではいけないと感じるというだけ。でも、こんな気持ちになっている原因はある。

『——現にほら、今もみんなでバンドしてる』

 彼女はそう言い切った。なにもおかしなところなどないと、当たり前のようにそこにあるのだと。きっと、彼女がそう答えることは、一年前、休止したときから決まっていたのだ。その時点ですでに、言い切れる自信があったのだ。

 ——でも、私には。

 市ヶ谷有咲には、その自信がない。ずっと一緒にいられる確信はあるのに、何年も先までみんなでバンドをしているイメージが得られない。それが——それこそが、得体の知れなかった不安の正体で、つまり、市ヶ谷有咲は。

 ——私は、これからもみんなと。

 戸山香澄と、山吹沙綾と、花園たえと、牛込りみと。誰一人欠けることなく、来年も再来年も、これからずっと先まで変わらずこのままでいたいのだ。

 ——音楽(バンド)が、したいんだ。

 ようやく、自分の答えが出た気がした。ふらふらと蹌踉めいていた足取りを、しっかりと地につけて、飛び立つための準備を整えたような感覚。星までの道を見つけたような、そういう気持ち。距離は相変わらず遠いけれど、一歩一歩進んでいけばいい。誰かに引っ張ってもらうのはここからは一切なしだ。

 ——だって、そうだろ。

 ——私がお前の隣に行きたいんだから。

 動かしていた足を止めて、空を仰いだ。住宅街はまだそこかしこから光が漏れていて、星はよく見えないけれど、どうしてか輝いて見えて。

「有咲?」

 急に立ち止まった有咲を、香澄が不思議そうに見る。有咲は視線を香澄に戻して、

「星が綺麗だなと思って」

 有咲の言葉に顔を上に向けた香澄は眉根を寄せて首を傾げる。それも当然だろう。星なんて、どこを探して見当たらない。

「どこ〜? 見えないよ〜?」

 口をへの字にして残念がる香澄に、つい笑みが漏れた。

「……嘘?」

「嘘じゃねーよ。……でも、まあ、お前には見えねーだろうな」

 くつくつと笑いながら歩みを再開すると、香澄は悔しげにしつつも隣を着いてきて、しばらく歩いているうちに話題は文化祭からCHiSPAの休止へ、そこからさらに進路へと移り変わる。

「みんなはもう、どこの大学に行くとか決めてるの……?」

「まあ、一応はなー。進路希望も出したし。っても、ほんとにその通りに行くかっつったら分かんねぇけど」

 他の三人も有咲と概ね同じらしい。うんうんと頷いて、同意を示す。高校三年生の初夏とはいえ、この時点で将来やりたいことや就きたい職業などのビジョンをはっきり浮かべられている高校生は少ない。とりあえず大学へ行って、それからという者が大半だ。

「……そういう理由じゃ、ダメなんだろうけど。みんな一緒にいれたらいいなぁ」

 りみがぼそりとつぶやくと、しばらく沈黙が流れる。一緒にいたいから同じ大学へ進む、という選び方はあまり褒められたものではないというのが世間的な考え方だろう。そうなれば必然、全員が同じというのは難しくなる。

「——一緒にいたいって思えてるなら、みんな一緒だろ。違うか?」

「——一緒にいるって思えてるなら、みんな一緒だよ。違う?」

 全く同時に沈黙を破ったのは似たような言葉。しかし、被ったのは似ても似つかない二人で。

「有咲、心読んだ?」

「読んでねぇし、読めねぇよ……なんでよりによっておたえと……」

 言いかけて口を閉じた。どちらかといえば、いつもと違うのは自分のほうだったから。いつもなら、市ヶ谷有咲はそんな台詞を口にしない。

「有咲は一緒にいたいって思ってるんだ?」

 また茶化しかと思って顔を向けた先——沙綾の真剣な瞳にぐっと言葉が詰まってしまう。でも、よく考えてみれば特別おかしなことでもない。自分が危惧するようなことは、大抵の場合沙綾も気づいていたりする。いろんなところに目を配っているから、いつも最初に見つけてくれて。

「……思ってるよ」

「そっか」

 ふふっと柔らかく微笑んだ沙綾が、どこか嘘くさく見えたのは気のせいだろうか。抱きついてきた香澄の対応に追われて、すぐに頭から抜け落ちてしまった。

「でもさ」

 そろそろ岐路に差し掛かるという頃、続く進路の話を切り替えるように沙綾が少し強めの語気で言葉を紡ぐ。

「どういう進路を選ぶにしても、受験勉強のために夏休み前には私たちも一旦活動休止したほうがいいと思う」

「でも……」

「夏休みは頑張るって、約束したよね」

 わがままな子供をたしなめるような口調に、有咲まで少し驚いてしまった。聴いていただけでそれなのだから、言われた本人の衝撃は計り知れない。

「そ、そうだけど……さーや、怒ってる?」

「え? ——あ、いや、全然! 全然怒ってないけど……うぅん、ごめん……。ちょっと、言い方きつかったね?」

 許してーと誤魔化すように手を合わせる沙綾に、香澄は安心したのかほっと息を吐いて。

「大丈夫。さーや、心配してくれてたんだよね?」

「……うん。そんなところかなぁ。やっぱり、私もみんなで続けていきたい、からね……。やることはしっかりやらないと」

 有咲は沙綾の様子にどこか違和感を覚えながらも、みんなの前では声を掛けづらく、結局そのまま別れてしまう。残り少ない帰路を辿りながら、頭に浮かぶのは当然活動休止のこと。別にそれ自体が不安なわけではないが、受験だからで止めてしまっていいのだろうかとは思う。

 ——足りない、よな。

 現時点で、みんなでバンドを続けているという未来へのレールが足りていない。そのために、自分が出来ることはなんだろう。そんなことを考えるうち、自宅へと辿り着いた。

 家の中に入る前、戸を閉める際に見上げた空に、やっぱり星はなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。