広く、薄暗い地下空間に響く学院長エドワード·ラザフォードの威圧感のある問いかけ。
絶対的な驚異となりえる相手のため、冷静に考えれば、黙ってやり過ごすか、『リレミト』を使い緊急回避をするべきであるのは、言うまでもないことである。
しかし、そんな簡単なことも考えつかないほどに僕は圧倒されていた。
完全に気配を消しているはずなのに、気づかれていたこと。
エドワード·ラザフォードの鋭い眼光が、まるで捕食者たる肉食獣が獲物となる草食獣を捕らえるかのように、こちらを完全に捕捉していたのだ。
震えと、恐怖による背を伝う冷や汗を耐えながら、今僕は〈要撃衛士隊(カッツパルゲル)〉に化けているのだから大丈夫と自分に言い聞かせて、エドワード·ラザフォードの前に進み出た。
僕が姿を現すと、エドワード·ラザフォードの鋭い眼光が僅かに和らいだように思われた。
見た目は、好好爺といった感じだが、大きな体躯を更に大きく見せる存在感、それに加えて他を寄せ付けぬ威圧感、底知れぬ恐ろしさは想像を絶していた。
初めて真正面から相対してみて、はっきりと感じとれたのである。
「君は誰だい?」
口調は柔らかいが、逆らうことは許されないといった印象を受ける。
大丈夫だ、化けた相手の学生証から情報は全て暗記しておいた。演じきってなんとかやり過ごすんだ。
「俺はーーー」
「今の仮染めの君の名前ではなく、本当の君の名前を教えてくれるかな」
「!!」
心臓を鷲掴みされたような驚愕。
僕は絶句する以外とれる行動はなかった……
目の前のエドワード·ラザフォードの瞳は、僕の表面上の姿ではなく、内実の真実を見抜いていたのだ。
…どうすればいいんだ…
先が見えない闇の中を、手探りで歩いているかのような絶望的な状況。
僕がエドワード·ラザフォードの前に姿を現したその時に、既に僕は詰んでいたのだ。
選択肢は失われていた。
「どうしたのかな?」
「…………」
「困ったな。君の口から正体を聞きたかったのだが」
呆れたように呟くと、それまで一歩も動くことなく、どっしりと陣取っていた、その場から、僕に向けて一歩、また一歩と近づいてくる。
恐い、恐い、恐い
恐怖で体が金縛り状態となる。
薄暗い中でもはっきりと表情が見える辺りまで、近づいていたその時だった。
「またもや来客か…少し待っていてくれたまえ」
エドワード·ラザフォードは軽くため息をつくと、僕から視線を外し、何も存在しないはずの場所に視線を移す。
ラザフォードの双ぼうは確実に、不可視の存在を捕らえていた。
助かった…
ただ単に、視線が外されただけで緊張感から解放され、安堵感に満たされる。
まだ状況はかわりなく、最悪なままであるにも関わらずだ。
「どこに行こうと言うのかね。ライシン君」
えっ、今なんと。ライシンと言わなかったか?いやライシンは遅かれ早かれ来ることは分かっていたが、そんなことは今問題ではない。問題は姿が見えないということは〈八重霞〉を発動しているはず。それさえもラザフォードには効かないのか。
もうその眼力は魔眼の域である。
雷真は諦めたのか、覚悟を決めたのか〈八重霞〉を解除し、姿を現した。
そこには、覚悟を決めたような精悍な目付きをした雷真と夜々、死んだ魚のような虚ろな瞳で、青ざめた顔色をしたアリスが。そういえばアリスはラザフォードの娘だったはずだからあの表情もしょうがない。
そしてやはりと言うか、雷真たちは〈八重霞〉を使っていたようだ。それにしてもまったく気配を感じなかった。それでも学院長は……
「お仲間同士でお話中で邪魔したくなかったんだがな」
「構わないよ。それよりライシン君。今宵の夜会はとっくに始まっているぞ」
ラザフォードの口調は教師然としたものである。
ただ一つの違和感を禁じ得ないのは、娘であるはずのアリスに視線をむけることがまったくないということだ。
いやまるでそこに存在していないという感じで、雷真のみに話かけているのだ。
込み入った理由はありそうだが、不憫に感じる。
「……もちろん出席はするさ。野暮用を片付けた後にな」
「野暮用とは、よもや〈ロッカー〉にはいることかね」
直後、ラザフォードの瞳がカッ見開かれ、眼光が鋭くなり、ビリビリと痛みを感じるほどの圧迫感のある魔力が迸る。
もう立っていられない…
「そうだと言ったら」
「これ以上やんちゃを許すわけにはいかん。教育的指導といこう」
ラザフォードの魔力がさらに膨れ上がり、空間内の重力が増したようにさえ感じる。
マジで雷真はやる気か…できれば止めてくれ。
願いは届くはずもなかった。
「是非もねえ。覚悟を決めるぞ夜々!正面突破だ!!」
「はい!」
夜々が地面を蹴ろうとした時だった。
「いいのかね?君が私に自動人形を差し向けると、学院に反逆したことになる。それを承知での行動だろうな?」
ラザフォードの視線は鋭さを増し、その口調は厳しく雷真に覚悟を問うていた。
「君はマグナス君と戦うためにここに来たのではないかね?それを諦めるのかね?」
「……諦めるつもりはない」
「ならば退くことだ」
「それもできねえ」
「学院を追い出され、マグナス君にどう挑むというのだね?マグナス君は学院の至宝だ。学院は彼を全力をもって護るだろう」
「ーーーー」
「警備隊ばかりでなく、私や教授陣、学生全てを敵に回すことになる。それでもいいのかね」
その言葉は確かに雷真に向けられて放たれた言葉である。
しかし、それは遠回しに僕にも向けられていた。
雷真に手を貸したら、君も同じ目にあうぞ。と…
僕はとんでもなく甘い考えをしていただけでなく、なんて愚かなことをしようとしていたんだ……
既に折れていた心が粉砕骨折にまで至ろうとした時だった。
「俺は説得が効くほど利口じゃない。損得勘定なんざお袋の腹んなかに置いてきたんだよ!!」
雷真が吠えたその刹那、夜々が床を蹴った。
地面が抉れるほどの力で。
疾風と化した夜々は砂埃を巻き上げながらラザフォードに迫り、雷撃のような蹴りを放った。
普通の男ならば、蹴りと認識するまもなく首を折られたはずである。
しかし、夜々の足は空をきった。
ほんの僅かに身を反らしただけで……
近接戦闘もかなりのレベルでできるのか…
「!?」
僕はもとより雷真も驚きに動きが止まる。
蹴りを放った夜々にとっては尚更だろう。
完全に隙ができ、直後、夜々は吹き飛ばされ、こちらに地面を抉りながら返ってきた。
ラザフォードの前に光の魔方陣が浮かび上がっている。
即席の防御結界。
それ事態はけして高度な魔術ではないが、質が違った。
一般的な魔術師の結界が薄いベニヤ板程度とすると、ラザフォードの物は三百ミリを遥かに越えるほどの鋼鉄といっても過言ではなかった。
確かに凄いが、あれなら対抗策がなくはない。
戦う気は更々ないはずなのに何故か、対抗策を考えていた。なぜだろう。
そんなことを考えていると、ラザフォードが口を開いた。
「なぜ私が十九世紀最強などと言われたか君達には分かるかね?」
ラザフォードは雷真だけでなく、僕にも視線を向けてきた。
「すげえ強えーからだろ」
「他を圧倒する力を有していたからかな」
「では何をもって強者とするのかね?」
雷真は眉をひそめ、僕は思考の海に身を投げたそうとすると、ラザフォードはまるで講義をするかのようにさらに続ける。
「魔力の総量?魔力の制御技術?魔活性に対する親和性?あるいは魔術の運用理論?戦術や戦略の知識?それともーー自動人形の性能かな?」
「全部じゃねえのか?」
「いやそれだけじゃない」
僕は痛いほど思い知ったこと
「権力もだろう」
僕の意見を聞いた後、ラザフォードはニヤリと嬉しそうに口角を上げ頷いた。
「確かに権力とも言えるし、私は政治力とも言える。これを手に入れ、行使することを可能にし、かつ秘匿し続けることも可能にしたのだからね」
ラザフォードは虚空に手を掲げると装飾の多い特殊な六ぼう星の魔方陣が宙に浮き上がる。
そして、その魔方陣からまるで百科事典のような部厚く、計り知れない魔力を感じさせる本がせりだしてきた。
「気をつけて、あれは魔導書(グリモワール)ーーー〈レメゲトン〉だ!!」
それまで、青ざめ黙りを決め込んでいたアリスが切迫した声を上げた。
「偉大なる同胞が数十年後に残した魔術書だ。彼がこれから得るであろう膨大なコレクションを封じ込めたものだ。終末の書。百科全書。遺産大全。禁忌の集大成ーーー様々な呼び名があるが、言わばこれは自動人形の召喚目録なんだよ」
「カタログ?」
いや疑問を抱くのはそこじゃないと思うが。
僕が心の中で雷真に突っ込んでいると、後ろから
「ワクワクするのお。ついてきてよかったわい」
と姿を消している翁が、興奮して歓喜の声を漏らしているのが耳に入ってきた。
まあいいか多分翁達の存在にもラザフォードは気づいているだろうから声が出ていても関係ないか。逆にこれは大きなチャンスだ。翁がラザフォードの自動人形を解析できれば今後様々な面で役にたつだろうから。
「残念なことに、遺産のいくつかは失われているのだ。奪われたものも多い。それでも私は五十を超える〈神話の悪魔〉を操り、君達に差し向けることができる」
宙に浮いた魔導書はひとりでにあるページを開く。
すると開かれたページから淡い燐光が溢れ、その光がラザフォードの顔を照らした。
悪役顔をしている。
「君達に敬意を表して、私のとっておきを披露しよう」
魔導書の発する光は激しくなり、ラザフォードの声が高らかに響き渡った。