昼の2時を過ぎた辺り、穏やかな昼下がりの学院内を、僕はいろりの後に続き絶景が広がると言われていた場所に向かって歩いていた。
平日であれば、午後の講義が始まっており、人通りも疎らな時間帯であるが、今日は休日のため、賑わっていた。
別の意味でも。
「零夜さん……皆さんに注目されていますね……」
いろりがそわそわと視線を周囲に向けながら、小声で囁いくように話かけてくる。
相当気になっているようだ。
「以前に比べたら格段にましになっているよ」
苦笑いを浮かべているいろりに、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
二学期が始まった当初よりは言った通り、視線はましになってはいた。
しかし、時はたっても未だに着流しと、歩く度に大きく音をたてる鉄下駄はこの国では珍しいらしく、多くの学生の視線を引き付けるのに十分な存在感があったからだ。
まあ今回はそれだけではなく、いろりも着物を着ておりそちらに珍しさを感じ視線を送っているとも言えるのではあるが。
「やっぱり気になる?」
「はい、少し恥ずかしいです…」
頬が少し朱に染まる。
かわいい!
いろりの可愛らしく照れる様を見ていると、何故か少しからかってみたい!もっと照れる顔が見たい!という思いが沸々と沸いてくる。Sではなかったはずだが…まあ、男の性なのだからしょうがないのかな。
「多くの視線を集めるのは、いろりさんが一つの要因となってもいるよ」
「えっ!私がですか!?」
「うん。周りを見てごらん」
いろりはキョロキョロと忙しなく周りを見渡す。
なんとなく動きが小動物っぽくてかわいらしい。
「どう視線を向けている学生の割合は、男子学生が多くない?」
「言われてみれば」
頷くいろり。
まあ回りに男が多いからそう見えるだけなのだが…純粋だな。
「でしょ。いろりさんが綺麗だから、男の視線を一身に引き付けるんだよ」
「なななな、何を仰っているのですか零夜殿!!わ、わわわ私が、う、うううう美しいだなんて!!」
いつもは雪のように真っ白な肌が、今は夏の太陽の光を浴び、新鮮に育ったトマトのように真っ赤に染まっている。
湯気まで出ているようにさえ見える。
「気づいていなかったの?いろりさんが美しいって?」
「わ、私はそんなこと考えたことも…」
顔を背け、視線を地面に落とすいろり。
耳まで真っ赤である。
だめ押しだ。
確か以前前世で見たドラマでチャラ男がしてたことがあったな。前世ではすることさえなかったし、これからすることもないと思っていたけど。
僕はいろりの耳元で囁く。
「いろりさんは綺麗だよ」
「~~~~~」
いろりの動きが止まる。
「おーい、いろりさん?」
いろりは顔を真っ赤にしたまま、目を回していた。
やり過ぎてしまったらしい。
「ねえ、いろりさん」
「零夜殿なんて知りません……」
意識を取り戻し、歩き始めてから、目すら合わせてくれなくなっていた。
からかい過ぎて、怒らせてしまったらしい。
気まずい空気が流れている時だった。
「あっ、零夜ーー!」
聞きなれた声が聞こえてくる。
「ちょっと、なに無視しているのよ無礼者!返事くらいしなさいよ!」
振り返ると、不機嫌さを表情の全面に出したシャルがそこにいた。
「こ、こんにちはシャル…」
「なにその嫌そうな反応は?」
「い、嫌なんて」
シャルにおされてタジタジになってしまう。
シャルは好きだが、反面気の強い女性が弱点ではあるみたいだ。
分かっていたことではあるが。
「どうしたのですか零夜殿?」
少し前までは口も聞いてくれなかったいろりが、心配してくれたらしく、こちらにやってきた。
あれ?何故か背筋が寒くなってきたぞ…
「あなたはたしかいろりさん…なぜ零夜と一緒に?」
「私は零夜殿とこれから食事を共にしようと」
「えっ!?食事を!!」
どういうことだ、冷や汗が止まらない。
しかも、まるで空襲警報のように、頭の中でサイレンが鳴り響いている。
「私には関わるなとか言っておきながら、いろりさんとは一緒にいるのね……」
「……」
「もういいわ。あなたの顔なんて見たくないわ、バカーーー!!」
シャルはわき目も降ることなく走り去ってしまった。
最低な僕は追いかけることができなかった。
追いかけても、掛けることができる言葉を僕は持ち合わせていなかったからだ。
大事な人を傷つけながらも、見送ることしかできない……僕は本当に最低だ……最低のクズヤロウだ…
「あの、零夜殿…いいのですか?」
「…うん。日を改めて謝っておくよ」
「零夜殿がそれでよろしいなら…」
さらに空気を重苦しくしてしまった。
ごめんねいろり。
それからは、二人で無言で歩き続けた。
多分、いろりは気を遣ってくれたのだろう。
しばらく、学院内とは思えないほどの森の中や、野山を無言で歩き続けると、見晴らしの良い場所にたどり着く。
「零夜殿、あなたに見せたかったのはこの場所です」
いろりが笑顔で振り返り、手を広げた。
そこには、延々と秋桜(コスモス )の縦断のような花畑が広がっていた。
まるで、天国のような美しい光景。
「すごい……綺麗だ…」
身勝手さは重々承知であるが、重苦しい空気が消え、僕はこの光景に、見入り、心奪われていた。
「今ひとたびは心を安め、お食事を召し上がりください」
「うん…ありがたく頂かせてもらうよ」
優しく微笑みをくれるいろりに感謝して、広げられた重箱に一杯に彩られた、色とりどりの食事をいただいた。
純和食で、煮物は味が染み込み、焼き魚も丁度よい焼き加減で、日本を思い出される物であった。
「今日は本当にありがとう。とても美味しかった。こんなに美味しい食事は久しぶりだったよ」
「喜んでいただけて幸いです。またよければ…」
「こちらこそ」
二人で微笑みあう。
とても穏やかで和やかな、時間が流れる。
「ではお名残惜しいですがそろそろ…」
「そうだね。日本では烏が鳴いたら帰りましょとも言うしね。花柳斎様にも感謝の意を伝えておいてほしいな。いろりさんに時間をくださったみたいだし」
「分かりました。伝えておきます」
いろりは笑顔で頭を下げると、帰りかけ、足を止め、再びこちらを振り向いた。
「シャルロット殿にも謝っておかなくてはいけませんよ」
まるで母親に諭されているような感じを受けた。
「はい。しっかり謝罪しておきます」
「はい」
夕映えに映える笑顔を残しいろりは帰っていった。
◆◇◆◇◆◇
「ただいま。…あれ?」
扉を開けると、室内は暗く、静まりかえっている。
まだ帰っていないのか?と思い足を一歩踏み入れた時だった。
部屋の空気がピリピリとし、重力がまるで地球のものとは思えない感じが…
本能的に危機感を持った。
刹那、僕の元に黒い影が。
「零夜。責任を果たすんじゃ。わしは夜会まで外に出ておるでの。死ぬではないぞ」
翁は真っ青で疲れきった顔をして、縁起でもないことを言い残し、
「婆さんも同じように怖かったのぉ」
等とブツブツと呟きながら、逃げるように走り去っていった。
「いったい何が」
「零君……」
抑揚の無い声が部屋の中から聞こえてくる。
「ね、姉さん?」
振り返ると、闇より黒いオーラを放つ姉さんが、瞳の色を無くした状態でそこに立っていた。
その瞬間僕は身動きが取れなくなる。
握り拳の汗は止まらない。
「正座」
「はい!」
まるで統率された兵士のように僕は姉さんの前に正座した。
あまりの恐怖に体が勝手に動いていた。
「私は、零君が疲れていると思って、静かに休ませてあげようと、翁と共に外に出ていたのに、まさか女の子と出歩いていたなんてね」
「……えっ…」
「元気一杯みたいね」
「い、いえ」
「何?」
まるで大蛇に睨み付けられた雨蛙である。
常に平伏し、頭を床に擦り付け、地獄のような時間を過ごした。
その後の夜会のことは覚えてはいない。
夜会の後に、「元気一杯よね」と連れていかれた、結界内での修行が恐ろし過ぎてそれしか記憶に残っていないからだ。