オーバーロード 陰森の赤頭巾《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

プロローグ的な。
 


1章 還らずの森

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 城塞都市エ・ランテル。リ・エスティーゼ王国の東に位置し、トブの大森林の南に存在する王国の直轄領であるこの都市は、三重の城壁に守られており隣国であるバハルス帝国やスレイン法国の領土に面してもいるために、王国の中でも重要な都市として機能している。そして、三国と隣接しているためか交通量も多く物資や人、金など様々なものが行き交う商業都市でもあった。

 見渡せば貿易商たちが荷を運んでいる姿があちこちで見れる。そして、鎧を着た兵士の姿や忙しく動く小姓の姿も存在する。奇妙だった。

 いつものエ・ランテルならば、貿易商たちはともかくとして、兵士たちや小姓はそれほど都市内で見る姿では無い。兵士たちは城壁の外周部にある軍の駐屯地におり、滅多に都市内には入って来ない。人々がその姿に怯えるのが分かっているからだ。エ・ランテルは国王の直轄領であり、信頼出来る市長が治めているために、兵士の姿を市民に見せるのを極力嫌っていたからだ。

 普段、都市内で見慣れるのは一般市民と貿易商、そして冒険者たちだ。冒険者たちはモンスター専門の傭兵たちのようなもので、冒険者組合に所属しており国家間のいざこざ――政治的な意味合いを持つ事柄には極力関わらないようにしている。国から独立した機関であり、政治にも戦争にも関わらず国境を越えて活動し人々の安全をモンスターから守る。それが冒険者たちだ。

 勿論、冒険者と言っても拠点を置く都市や国によって様々な特色がある。王国の冒険者たちは組合の力が強く、戦争に動員することは出来ない。しかし、帝国では正規軍の力が強く、国民の安全を国家が守りきることが可能で冒険者組合の力はそれほど強く無い。ローブル聖王国も同様だ。法国に至っては、そもそも冒険者組合自体が存在しない。

 しかしここは王国。冒険者組合の力は強く、特にこの都市には一組だけ冒険者最高位の存在……アダマンタイト級冒険者チームが有り、しかもその冒険者チームは王国最強の戦士の力さえ凌駕すると言われている。力尽くで冒険者を戦争に駆り出すのは王国であっても不可能だった。

 だが……そんな冒険者たちも、今は姿を消している。正確に言えば、組合の中で暇を持て余しているか、あるいは酒場に入り浸っている。もしくは宿で英気を養っていると言っていいだろう。理由は、二つあった。

 一つは、現在の季節が関係する。今のエ・ランテルは冬であり、気温は下がり吐く息は白い。雪こそ降らないが、肌寒さは皮膚を針で刺すようだ。冬は生命の眠る季節。モンスターたちも例外ではなく、彼らは基本冬籠りをしており、外に出て人を襲うことが少なくなる。……勿論、冬籠りに失敗した凶暴なモンスターが出現することもあるが、そういった依頼は少ない。この季節の基本的な冒険者の仕事は、商人たちの護衛が主になる。

 そしてもう一つ。それは、季節外れの()()の所為であった。

 王国と帝国は、例年秋頃にカッツェ平野で戦争をする。秋頃の麦を刈り出す頃に行われる戦争のため、専業兵士の少ない王国は大切な収穫の時期であるのに平民たちを戦争に動員しなくてはならなかった。ただし、戦争に出たとしても彼らは戦わない。ただ、睨み合って終わるのが二国間の例年の戦争である。

 これこそが、帝国の狙いであった。少ない労力で、段々と王国の国力を疲弊させる。そして、抵抗も覚束なくなったところで、一気に攻め落とすのだ。そのための戦略だった。

 だが、今年はその秋の戦争が無かった。帝国は王国を疲弊させるために形だけの戦争を仕掛けなければならないが、今年はその必要性が無かったのだ。秋も近い頃に、王国はヤルダバオトを名乗る大悪魔とその軍勢に王都を襲われ、帝国が何かするでもなく疲弊したのである。ヤルダバオトこそある大英雄の力で退けたが、代償は大きい。そのため、今年の戦争は必要が無いと帝国は判断したのだ。

 しかし――状況が変わったために、帝国は少し遅れたが遅めの宣戦布告を王国へ叩きつけた。王国はいつものことが少し遅くなった程度にしか思っていないが、実情はまるで違う。

 それを知っているのは王国でも一握り。何も知らない兵士たちは、一般市民たちは、また戦争だと疲れた表情でこのエ・ランテルへ集まり、従軍しているのだった。

 ――以上のことから、冒険者たちは現在ほぼ活動を休止している。冬と、戦争。この二つが重なったためにモンスターたちも大人しく、商人の護衛くらいしかすることが無いのだ。

 そして――それは最高位の冒険者、アダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”の二人と一匹も例外では無く……。

 

 

        

 

 

 ナザリック地下大墳墓の絶対支配者、アインズ・ウール・ゴウンは全身を一部の隙も無く覆う漆黒の全身鎧(フル・プレート)の姿で、戦闘メイド“プレアデス”の一人であり、冒険者チーム“漆黒”の仲間であるナーベラル・ガンマと共にエ・ランテルの冒険者組合に顔を見せた。

「モモン様、ナーベ様。いらっしゃいませ」

 アインズの姿に気がついた受付嬢が、二人の偽名を呼んで声をかける。アインズはナーベラルを連れて二人を陶酔の瞳で見つめる組合内にいた冒険者たちを横切り、その受付嬢のもとまで足を進めた。

「何か依頼はありますか?」

 アインズが口を開くと、受付嬢は少し視線を手元に落とし、首を横に振った。

「申し訳ございません、モモン様。アダマンタイト級冒険者の方に頼める難易度の依頼は、現在入っておりません」

「そうですか。いえ、良いことです。ありがとうございます」

 勿論、細かな依頼は幾つもあるだろう。しかし、高位の冒険者を低位の冒険者の依頼に出すわけにはいかない。冒険者にはランクというものが存在し、そのランクに見合った依頼しか受けられないのだ。理由は簡単であり、ランクに見合わない依頼を受けると冒険者が死に至ることもあるし、もっと酷ければ依頼主に迷惑をかけ、その依頼主の命も危険に晒すことになるからだ。

 難易度が高い依頼には、相応しい高位冒険者を。それが、今の冒険者組合の地位を作っている。冒険者と似て非なる存在、ワーカーであれば話は違うが、冒険者には自由に依頼を受け持つ権利は持っていない。それは、例え最高位のアダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”の二人であっても。

 それに、高位の冒険者が低位の依頼を受けては、低位の冒険者たちはいつまで経っても成長出来ない。結果として、人材不足に繋がってしまう。自分の首を自ら絞める行為になるのだ。だからこそ、アインズも無理に依頼を受けようとは思わない。

 どの道、アインズたちにとってはどのような依頼も、似たような難易度の依頼なのだ。欠伸をしながら片手間に出来る程度の難易度でしかない。暇潰しや気分転換のようなものだ。

 勿論、そんなことを露ほども知らない受付嬢はアインズの言葉に柔らかく微笑んだ。アダマンタイト級冒険者の自分たちが動かなくてはならない仕事が無いのは、良いこと――そのような高潔な精神を持ち、言い放てる男には陶酔の念しか湧き起らない。やはり、彼こそは英雄その人であると、すっかり受付嬢はアインズに惚れ込んでいる。

 そんな受付嬢の頬を染め、潤んだ瞳にナーベラルが目を吊り上げる。ナーベラルにとっては、アインズに陶酔する瞳を向けるのは当然のことであるが、同時に不敬でもあった。頭を地面に擦りつけ、平伏し隅に寄るのがナーベラルにとっての、周囲の者たちが行わなければならない行動だ。アインズの姿を顔を上げて直視するなど不敬が過ぎる。

 そんなナーベラルの心境と不穏な気配を、いつもの人間嫌いだとアインズは内心で溜息を吐き、受付嬢の心境などそういった面では鈍感なアインズは気づかず、ナーベラルを連れてアインズは冒険者組合を去ったのだった。

「殿! 今日の予定はどうされるのでござるか?」

 二人が組合の扉を開けて外に出ると、外で待たせていた騎獣のハムスケがアインズの姿を見て、鼻をひくひくと動かしながら声をかける。アインズはハムスケにいつもと同じ言葉を告げた。

「今日も依頼は無い。さっさと帰るぞ」

「はいでござるよ、殿!」

 ここ最近は、そんなことばかりだ。アインズたちは“漆黒”として何もすることが無い。そのため、本拠地であるナザリックへと帰還し、それぞれの用事を済ませていた。

「では、ナーベ。私とハムスケは少し出る。何か用がある場合は知らせるように」

「かしこまりました、モモンさ――ん」

 つい、ナーベラルがモモンの後に「さん」ではなく「さま」と呼びそうになる。いつものことで、治らない。もはやアインズも、ナーベラルの矯正は諦めていた。もう、「アインズ」と呼ばなかったらいいんじゃないかな、と思う程度には。

 ナーベラルはこのエ・ランテルでも最高級の宿屋である“黄金の輝き亭”へ。アインズとハムスケは裏通りの人目の無い場所へ隠れ、アインズは戦士の姿では無く元の魔法詠唱者(マジックキャスター)の格好へ戻り転移の魔法を使う。何かエ・ランテルで動きがあった場合は、ナーベラルがアインズに〈伝言(メッセージ)〉の魔法を使って知らせることになっている。“漆黒”は“黄金の輝き亭”に宿泊していることになっているので、冒険者組合の人間が何か用があるのなら、まずそこにいるナーベラルに連絡を取るのだ。

 正直な話、ナーベラルから目を離すのにはアインズは不安があった。ナーベラルは、幾ら言っても他人の名前を覚えられず、他者を見下す姿を隠せず、アインズが何度か頭を下げる羽目になったことがあるからだ。正直、ナーベラルよりハムスケの方が手間がかからないと言っていい。

 だが、この役目はナーベラルにしか任せられない。ハムスケには魔法詠唱者(マジックキャスター)としての技量は無く、通信系の魔法は使用出来ない。というか、魔獣を宿の部屋内にはさすがに置けない。

 伝言役にナーベラルを置いて、アインズはハムスケを連れて転移魔法で目的地へと移動した。目的地はアインズ本来の居場所。現在はトブの大森林の南にある、ナザリック地下大墳墓である。

 ナザリックは十の階層からなる地下設置型ダンジョンであり、アインズたちがかつて暮らしていた世界ユグドラシルでは有名なギルド拠点だった。現在ギルドメンバーはアインズ一人しかおらず、他にはモンスターとNPCしか存在しない。プレイヤーの姿は皆無だった。

 ――プレイヤーとNPC。そう、元々はアインズ……いや、モモンガはゲームプレイヤーであり、ナーベラルを含むナザリックの者たちは全てゲームキャラクターであったはずなのだ。

 それが、何の因果かおよそ一年近く前……ユグドラシルというゲームのサービス終了時に、この異世界へとナザリックの拠点ごと転移してしまっていた。アインズは異形種……アンデッドの死の支配者(オーバーロード)の姿となり、NPCたちは生命の息吹を持って。

 どうしてこのようなことが起きたのか、それは今でも分からない。ただ、アインズの他にもプレイヤーの気配はこの異世界で感じられる。かつて人類を救った六人の神に、かつて大陸を支配した八人の欲深き王。扇風機や冷蔵庫などをこの異世界に広めた、口だけの賢者。アインズは未だ他のプレイヤーに遭遇したことは無いが、確かにプレイヤーがいたことは確実だ。

 そのため、アインズは慎重にこの異世界で行動していた。アインズのギルド拠点であるナザリックの者たちは、ほとんど人類を、いやナザリック以外の者たちを下等生物と呼び、蔑んでいる。意識改革は今のところあまり上手くいっていない。他のプレイヤーと遭遇すれば、面倒なことになるだろう。

 それに……この異世界に来たばかりの頃、アインズも手痛い失敗をした。ナザリックの階層守護者の一人が、世界級(ワールド)アイテムによって洗脳され、アインズが自らの手で倒さなくてはならなくなったことがあるのだ。

 あれは、本当に手痛い失敗だった。もう二度と、あんなことは起こさせない。アインズは慎重に慎重を重ね、なるべく水面下でプレイヤーと敵対関係にならないように動いている。

 だが。かつて守護者を洗脳した件の犯人にだけは、必ず落とし前をつけさせる。まだ犯人は見つかっていないが、確実に。この世の地獄を見せてやると胸に誓っていた。

 ――そんな、様々な出来事。ハムスケもまたこの異世界で仲間にした存在であり、今回の王国と帝国の間に起きた戦争にも、ナザリックが一枚噛んでいた――そうした出来事を経ながら、アインズたちはこの異世界で生活していた。

「お帰りなさいませ、アインズ様!」

 熱の籠もった視線と声色で、ナザリックへと帰還したアインズを、ナザリック守護者統括のアルベドが出迎える。相変わらず、漆黒の長髪と金の瞳が美しい、艶めかしい白いドレスの女悪魔の姿だ。美人は三日で飽きるという言葉があるが、あれは絶対に嘘に違いないとアインズは今なら断言出来る。

 アインズがユグドラシルのサービス終了時に行ったお茶目の所為で、アルベドは「ちなみにビッチである」という設定を、「モモンガを愛している」に書き換えられてしまった。そのため、アルベドはアインズに完全に熱を上げている。その姿がアインズにとっては、物凄く気まずい。アルベドというNPCを製作したギルドメンバーのタブラ・スマラグディナには何と言えばいいのか、と。

 しかし、アルベドはそんなことを知らぬ存ぜぬとばかりに、アインズに夢中だった。今も、一緒にいるハムスケの姿なんて目に入らぬとばかりに、アインズだけを頬を染めて見つめている。

「ああ、今帰った」

 そんなアルベドの様子から必死に目をそらしながら、アインズは口を開く。アルベドの背後に控えているのはナーベラルと同じく“プレアデス”の一人、ユリ・アルファだ。ユリはアルベドと同じく……しかし落ち着いた声で「お帰りなさいませ、アインズ様」と告げ、アインズへとナザリック内部を自在に転移出来る指輪を渡した。

「ハムスケ、お前はいつものように第六階層でザリュースたちと訓練でもしていろ」

「はいでござるよ、殿! このハムスケ、いっぱい武技を覚えてまた殿にたくさん褒めてもらうでござる!」

 元気良く返事をしたハムスケは、四足で蛇のような長い尻尾を振りながらナザリックの奥へ消えていく。その後ろ姿を、アインズは「やっぱアイツどう見てもハムスターだよな……」と思いながら見送った。世間では「森の賢王」だとか「大魔獣」だとか言われているが、アインズから見たら単なる巨大ハムスターにしか見えない。ナーベラルもアインズと違って「円らな瞳が可愛い」とは言わないので、アインズの見えているものが他者とは違っているのかも知れない。ハムスケを見ているとそう不安に思わざるを得ないアインズだった。

「では、私も執務室へ向かう。今日の予定はどうなっている?」

 アインズが訊ねると、アルベドが守護者統括に相応しい真剣な表情で、アインズへ一礼しながら予定を告げた。

「はい。本日はコキュートスから蜥蜴人(リザードマン)たちの報告書と、デミウルゴスからは例の巻物(スクロール)についての報告書が届いております。それから、帝国から書状が」

「何もおかしな内容は無かったな?」

「はい。私が見たところ、何もありませんでした」

「良し。なら、後は私がもう一度確認して判をついておく。今日の当番は――確かインクリメントだったな? 終わったら彼女に持たせておこう」

「かしこまりました。……あの、アインズ様」

「なんだ?」

 アルベドの顔が、不安そうな表情へと代わる。アインズは不思議に思い、内心で首を傾げながら訊ねた。

「アインズ様がご確認なられるのなら、私が一度先に確認する意味はあるのでしょうか? いえ、苦痛だというのでは無いのです。ですが……もし私が見逃していた問題を、アインズ様が見つけ私の不出来な姿を見られると思うと……」

「……そのことか」

 アインズは、自分が書類を見る前に、必ずアルベドに書類に目を通させていた。そして、アルベドが問題が無いと思った書類、問題点が有ると見做しそれを纏めた書類をアインズに提出させている。

「何度も言わせるな。アルベド、私とて間違いがある。だが、お前が共に書類を見て確認してくれるからこそ、私が問題点を見逃さずに済むのだ。お前が気づかない問題も有れば、私が気づかない問題も有る。二人で協力するからこそ、意味があるのだ」

「ふた、二人で協力! 愛の共同作業ですね! く、くふー! わ、分かりました! アインズ様、これからも誠心誠意頑張らせてもらいます!」

 嬉しげな様子のアルベドに、アインズは罪悪感を覚える。何故なら――

(俺が一人で書類に許可の印鑑なんて押せるわけ無いだろ! アルベドとデミウルゴスが先に問題点を纏めて、解決策を出してくれなきゃ何も出来ないよ!)

 アインズは今でこそ、ナザリックの絶対支配者。謀略の王だとか呼ばれ讃えられているが――その実態は、最終学歴が小卒の、偏った知識しか持たないうだつの上がらない営業職のサラリーマンに過ぎない。支配者としての仕事なんて、出来るはずも無かった。

(アルベドとデミウルゴスが書類に先に目を通してくれたら、後は適当に読んで印鑑押すだけで済むからな。二人がいてくれて、助かったよ本当に)

 守護者統括のアルベド。そして、現在はアベリオン丘陵という場所で羊皮紙を作る牧場を経営している、第七階層守護者のデミウルゴス。二人は叡智ある……いわゆる頭の良い存在として設定されていたので、とても頭が良い。もう一人、頭が良い設定のNPCは存在するが、アインズとしては文字通り歌って踊る生きた黒歴史なので、なるべく顔を合わせたくないのが本音であった。……王国と帝国の戦争が済めば、嫌でも顔を合わせないといけない苦痛に見舞われるが。

 ユリに声をかけ、アルベドと二人で指輪の力を使い転移する。アインズは自分の自室であり、執務室にもしている場所へ。アルベドは玉座の間の手前だ。玉座の間ではナザリックの状態を確認出来るコンソールが見られるのだが、玉座の間自体には直接移動出来ない。その手前に転移するしか無いのだ。

 執務室へと移動したアインズは、そこに一般メイドのインクリメントの姿と、護衛である八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちの姿を見る。

「お帰りなさいませ、アインズ様」

 インクリメントが頭を下げる姿を見つめながら、アインズは今日の仕事を片付けるために口を開いた。

 

 

        

 

 

「ようこそいらっしゃいました、モモン様、ナーベ様」

 後日、再びアインズがナーベラルとハムスケを伴ってエ・ランテルの冒険者組合を訪れた時、受付嬢はアインズとナーベラルを待ち構えていたかのように、二人が姿を現すと駆け寄って声をかけた。

「どうされました?」

「はい。組合長がお待ちです。モモン様に是非にという、お仕事の依頼があるのだとか」

「私にですか?」

 今までも、エ・ランテルの冒険者組合長のプルトン・アインザックがアインズに周囲に内緒で仕事を依頼することはあった。例えば、トブの大森林の北の奥地に存在するという、万能の薬草を採取する依頼などが良い例だろう。あの依頼も予想外の出来事があったが、アインズのようなアダマンタイト級冒険者でなければ依頼出来ないような難易度の依頼だった。おそらく、今回もその件だろう。他の娼館への誘いや食事の誘いなどは、何度も断っているために既に誘われなくなって久しい。……断っているのは正体はアンデッドであるため、誘われても食事も性行為も出来ない所為だが。もし性欲や食欲が有れば、正直アインザックの誘いに乗ってしまって面倒なことになっていただろう。アンデッドの身体で良かったと思うことの一つだ。

 ナーベラルがいると話の腰がよく折れるため、アインズはナーベラルに待合室で待っているように告げ、一人アインザックの待つ組合長室へ向かう。

 組合長室のドアの前に立ったアインズは、ノックをする。入室許可の声を聞き、アインズはドアを開けて室内に入った。

「やあ! 待っていたよモモン君!」

 アインザックは喜びに満ちた声と表情で、アインズへと声をかける。アインズを促し、アインザックはアインズを奥の部屋へと誘った。更に奥の部屋へ誘われるようになったのは、果たしていつの頃からだっただろうか。

「さあ、かけたまえ。何か飲むかね?」

「いえ、お気遣いなく。ところで組合長。私に、何か依頼があるのだとか」

 アインズが訊ねると、アインザックは真剣な顔つきで「うむ」と頷く。互いに向き合うようにソファに腰かけ、アインザックはアインズに依頼内容を語った。

「君は、『還らずの森』を知っているかね?」

「還らずの森?」

 聞いたことも無い地名だ。少なくとも、トブの大森林やエ・ランテルの付近には存在しない場所だろう。

 アインズが知らないのは想定内だったのか、アインザックは『還らずの森』について詳しく語った。

「昔から、この王国の北西にあるエ・アセナルの都市近く……王国と評議国の国境近くに存在する森林地帯のことでね。評議国の者たちはシュヴァンツァラの森と呼んでいる」

 『還らずの森』シュヴァンツァラ。

 面積はおよそ一五〇〇平方キロほど、評議国へ向かうための山脈の手前に位置してある、トブの大森林の三分の一ほどの大きさの森林地帯だ。随分と大昔から存在している森のようで、古くから伝説や民話に登場するらしい。

 だが、そのシュヴァンツァラの森を詳しく知る者は存在しない。何故なら、ただの一人も還って来ないから。

 ――こんな話がある。竜巻を起こし、天から自在に雷を降らすほどの魔法使いが、ある日その森へと駆け出した。魔法使いは、二度と帰って来なかった。

 ――こんな話がある。宝物に目が無い盗賊たちの集団が、未探索のその森へ探索に出掛けた。盗賊たちは、二度と帰って来なかった。

 こんな伝承が、あの森には山ほど存在するのだ。――そして、それは伝承だけでは無い。

「実際に、三〇年ほど前にエ・アセナルのミスリル級冒険者チームが探索に出掛けたことがあるんだが――誰も帰って来なかったらしい」

「……三〇年ほど前に、実際に確かめたと?」

「ああ。しかし伝承通りに誰も帰っては来なかったよ。組合員が確かめたこともあるが、やはり彼らも帰って来なかったらしい。そういう、曰くつきの森さ」

「なるほど。だから『還らずの森』――」

 詳細不明。ただ、どこにあるのか場所だけを知っている、遥か昔から存在した曰くつきの森林地帯。

「組合長、私にその話をしたということは……」

「ああ」アインザックはアインズの言葉に頷いて「もし良ければ、調査してみてくれないか?」とそう言った。

「本来なら、例えアダマンタイト級冒険者であろうとも、あの森を調査して欲しいとは思わない。けれど、あの大悪魔ヤルダバオトを敗走させた君ならば……」

 無事に生還出来るのではないか、アインザックの瞳はそう告げていた。

(『還らずの森』シュヴァンツァラか……。中々、興味深い話じゃないか)

 アインズは元々、未知の冒険というものが嫌いでは無い。ユグドラシルの時代、ギルドメンバーがいた頃はよくパーティーを組んで見知らぬダンジョンへ潜ったものだ。闇をか細い光のランタンで照らすような旅は、嫌いでは無かった。

 そして、同時に気づいたこともある。

「それに組合長……冒険者組合としては、ヤルダバオトがあの森からやって来たのではないかと、そう疑っておられるんですね?」

 アインズが言うと、アインザックは苦虫を噛み潰したような表情で「君には敵わんなぁ」と呟いて頷いた。

「そうだ。昔から存在する、詳細不明の人外魔境。誰も生きて還らぬ『還らずの森』……今のところ探す伝承に載らないヤルダバオトは、あの森からやって来たのではないかと組合は疑っている」

「だからこそ、調査チームは我々ですか」

「その通りだ。私は王都にはいなかったのでそこまで詳しいわけではないが、彼の大悪魔ヤルダバオトは君以外では勝てぬと“蒼の薔薇”が口を揃えて断言するのだろう? なら、ヤルダバオトの棲み処と噂される場所の調査は、唯一対抗出来る君以外有り得ない」

 ヤルダバオト。王都へと悪魔の軍勢を引き連れ蹂躙し、偶然そこに居合わせたアインズによって敗走させたという大悪魔。同じアダマンタイト級冒険者チームの“蒼の薔薇”のメンバーを障害にさえ思わぬ桁外れの力を持つ、正に悪魔の王とも言うべき存在だ。しかし実際は――

(デミウルゴスの変装した姿だから、その森にはいるわけ無いんだけどね)

 デミウルゴスがナザリックの兵糧を稼ぐために行った、ナザリックの利益に繋がる作戦に過ぎない。当然ながらここ一年以内にぽっと現れたデミウルゴスが、伝承に載るはずは無い。だがそんなことがナザリック以外に分かるはずは無いので、アインザックなどの組合員は再びヤルダバオトが出現した時のために必死になって情報を集めていた。その無駄な努力には正直「うちの子が申し訳ありません」と頭を下げたくなるが、正直に話すわけにはいかないので黙秘し続けることになる。

「分かりました。彼の大悪魔が関わるとなれば、私が出る以外に無いでしょう。ナーベと共に、至急調査に向かいます。ちょうど、今の季節は冒険者は暇ですからね」

「ありがとう、モモン君。こちらも精一杯支援させてもらうつもりだ。エ・アセナルの冒険者組合と魔術師組合に顔を出してくれて買い物をする場合、経費は組合の方で出すという話に纏まっている」

「それは……なるほど。ありがとうございます」

「構わんよ。ただ、必要な道具などの経費は組合で出せるが、人員の方は無理そうだ。済まないね」

 それは当然だろう。何せ、本当に(いるはずは無いが)ヤルダバオトの棲み処だった場合、ついて来た者たちは足手纏いにしかならない。人員を割けるはずが無かった。

「いいえ、構いません。こちらも無駄な人死には出したくありませんから」

 というより、はっきり邪魔だ。アインズが気楽に探索するためには、ナザリックに所属する以外の者は口封じに殺す羽目になる。初めからついて来ない方がお互いのためだった。

「そう言って貰えると助かるよ。探索して何か情報が手に入ったら、すぐに帰還してくれて構わない。長くても一ヶ月程度で必ず組合に顔を出して欲しい。森に入って帰って来る、というのが一番価値のある情報なのだからね」

 何せ『還らずの森』などという異名がつく曰くつきの森だ。森に入って帰還出来た、というのが一番の情報だろう。帰還方法さえ分かれば、他にも人員を割けるようになるからだ。

 そして、アインザックたち冒険者組合はアインズの帰還を疑っていない。必ず、生還してくれると信じている。アインズ――“漆黒”のモモンにはそれだけの信頼があるのだ。

「分かりました。長くても一ヶ月以内には、必ずエ・アセナルの組合に顔を出しますよ。そこで分かった情報を一度纏めましょう。その後、もう一度潜るかどうか考えることにします」

「頼んだよ。君だけが頼りだ、モモン君」

 アインザックの言葉に、アインズは「任せて下さい」と胸を張って頷いた。

 

 

「――というわけだ。アルベド、少しの間留守にする」

 ナザリックへ一時帰還したアインズは、冒険者組合での依頼内容をアルベドへ説明した。

「かしこまりました。それで、供の方はどのように?」

 何せ、『還らずの森』と呼ばれる未知の場所だ。探索メンバーは厳選する必要があるだろう。アルベドの脳内では、まず優れた野伏(レンジャー)技能を持つ第六階層守護者の片割れアウラ・ベラ・フィオーラが第一候補としてあるはずだ。実際、かつて冒険者組合の依頼でトブの大森林の北部に向かった際は、アウラを連れて探索に出掛けた。

 しかし、アインズはそれに首を横に振る。

「まずは一度、“漆黒”として森に入る。最初は冒険者組合の連中がついて来て、確かに森に入ったことを確認するだろうからな」

「ああ――そうですね」

 『還らずの森』だ。アインズを信じていないわけでは無いだろうが、ちゃんと森に入ったかどうか確認は必要だろう。入った振りをして、報酬だけ懐に仕舞う……それを組合としては警戒せざるを得ないはずだ。

 なので、最初はアインズとナーベラル、ハムスケの二人と一匹で森に入らなければならない。

「一度森に入った後、少し進んでから連絡を入れる。森の中で合流するメンバーは、とりあえずはアウラだけでいい。アウラには一応、完全武装で来るように言っておけ」

「かしこまりました」

「それと、分かっていると思うが……」

 アインズの視線に、アルベドも真剣な表情で頷く。

「勿論、分かっております。『還らずの森』……シャルティアを洗脳した者がいるかも知れない、ですね?」

 そう。冒険者組合はヤルダバオトの本拠地なのではないか、と疑っていたがそれはナザリックにとっても言えることなのだ。遥か昔からある、誰も帰って来ない『還らずの森』。そこを過去に転移してきたプレイヤーが根城にしているのなら、誰も生きて還って来ないことに納得がいく。アインズとて、ナザリックに何者かが侵入してきた場合、生かしては還さないからだ。

 自分たちとは違う、別のプレイヤーとギルドの可能性。その可能性は非常に高いと言わざるを得ない。

「まずは外部から出来るかぎり情報を仕入れる。王国内にある『還らずの森』の情報を、片っ端から集めろ。エ・アセナルに五日後到着予定だから、それまでにだな」

「かしこまりました」

「……もっとも、あの森について一番情報を知っていそうなのは、評議国のようなのだが」

 アインザックの話では、『還らずの森』はアーグランド評議国――(ドラゴン)たちが支配する亜人の国では、『シュヴァンツァラの森』と呼んでいると聞く。わざわざ名前を付けているくらいだ。王国よりは詳しいのかも知れない。だが。

「――評議国は法国と同程度の、要警戒国家だ。とてもではないが、この短時間で森一つの情報収集は無理そうだな」

「…………」

 アルベドがアインズの言葉に顔を伏せる。法国には間違いなく、過去プレイヤーがいた。今でもいるのかはまだ分からないが、プレイヤーの気配が濃い場所にはまだあまり近づきたくない。もう少し、戦力を整え情報を集めてから接触するべきだろう。そして評議国ではプレイヤーでは無いが(ドラゴン)――寿命が無く知性を持ち強力な異形種が支配している国だ。やはり、法国同様の要警戒対象だろう。こちらも、外堀を埋めてからで無いと近づく気にはなれない。特に、長寿の(ドラゴン)ならばプレイヤーについても詳しく知っているかも知れなかった。

「アインズ様、やはり私もアウラと一緒に……」

 アインズを心配しているのだろう、アルベドが口を開く。しかし、アインズはアルベドの案に首を横に振った。

「いや、アルベドはナザリックで待機して欲しい。ニグレドと共に、ナザリックで警戒していてくれ。何かあれば、必ず連絡を入れる。その時は――」

「はい。――シャルティアとコキュートスを即座に動かします」

「頼むぞ。私とアウラならば、ナーベラルとハムスケを連れて離脱くらいは出来る。だが、ギルドより外まで追撃された場合は前衛――特に転移魔法を使えるシャルティアがいないと厳しいものがあるからな。もっとも、即座に戦闘にはならないよう気をつけるが」

「あの、アインズ様。やはり防御に特化した私も――」

「いや、アルベド。それは駄目だ」

 というより、アルベドを初手で連れていくのは少し遠慮したい。理由は、ナザリックの者たちが持つ選民意識の所為だ。特にアルベドは、この異世界に転移した頃に危機に見舞われていたカルネ村を助けた際、人間を侮蔑する意識が強かった。ナザリックの者たちは、ナザリックに所属しない者たちに対して卑しい下賤な者と考える傾向がある。おそらく、設定されている属性(アライメント)……俗に言うカルマ値の所為なのだろう。ナザリックでは基本的に、カルマ値はマイナス寄りだ。その所為か、基本的に排他意識が強い。

 元々はナザリックに所属していない外部のハムスケはそんなことは無く、アウラは見た目が子供であり素直なので、多少の悪口は見逃されるだろう。アルベドはそうはいかない。

 それはナーベラルも同様だが、たかが六〇レベルのナーベラルが呟くのと、一〇〇レベルのアルベドが呟くのでは聞いた相手の受け取り方がまるで違う。アルベドが選民意識が強い様子を見せると、間違いなく嫌な意味で警戒される。お互い妥協出来るものも妥協出来ない。

 それにアインズはユグドラシルプレイヤーの中では、はっきり言って嫌われ者だ。ユグドラシルでのプレイスタイルで文句を言われなかった者は、アインズのギルドでは存在しないだろう。そのため、初対面でもアインズに対してプレイヤーが嫌味を言う可能性は少なくない。

 『モモンガを愛している』。カルマ値が極悪で、そう設定されているアルベドがアインズに対しての悪口を聞いた時どんな反応をするか――正直、あまり想像したくは無い。プレイヤーと遭遇する可能性がある以上、初手でアルベドは連れていけなかった。アルベドの防御力は非常に魅力的ではあるのだが。

「――お前には、私が不在の間のナザリックを守ってもらわなくてはな。私が不在のナザリックを安心して預けられるのは、お前しかいない」

 アインズがそう告げると、アルベドは頬を赤く染めて蕩けるような笑みを浮かべた。

「く、くふー! そ、そうですか! 私! 私だけ! そうですね、妻! 妻としてアインズ様不在の間、しっかりと留守を預からせてもらいます!」

「あー、はい。うん。よろしくね……ほんと」

 色々と突っ込みたい台詞はあるが、沈黙を守る。また何か色々と興奮して、押し倒されては堪らない。かつて何が発端になったのか、アルベドは大暴走してアインズを押し倒したことがあった。あの時は本当に「喰われる!」――と性的な意味で恐怖を覚えたものだ。天井にいる八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちがアルベドの様子にざわり、と動いたのをアインズは視界の端で捉えたが、幸いアルベドの暴走は彼らが動くまでに至らずに済む。

「――さて、今日の仕事を片付けておくか。フォアイル、今日の予定を――」

 

 

        2

 

 

 エ・アセナルは王国で北端にある都市であり、評議国との間にはアゼルリシア山脈ほどの大きさではないが山脈がある。そのためか、エ・アセナルでは雪が降り積もっていた。

「ナーベ、ハムスケ、大丈夫か?」

「大丈夫です、モモンさ――ん」

「大丈夫でござるよ、殿。でも、ちょっと手足の裏が冷たいでござる」

 ナーベラルとハムスケと共にエ・アセナルを訪れたアインズは、降り積もった雪を見てハムスケに声をかける。自分は寒冷対策をしているが、ナーベラルとハムスケにはアインズのような耐性は無い。まさか雪が降っているとは思っていなかったので、ナーベラルとハムスケには冷気対策の装備品を渡していなかった。

「とりあえず、さっさと組合に顔を出して森へ向かうか」

 森の中がどのような状況かは知らないが、少なくとも件の森に環境変化は起きない。この五日間の調査でも、あの森に雪が降っただとか秋で葉っぱが紅葉しただとか、そうした変化は外から見たかぎりでは起きたことが無いようだった。

 ――ますます、ギルド拠点染みていると要警戒対象になったが、これ以上は実際に森に侵入してみないと分かりそうに無い。今回はアインズも、魔法で編んだ鎧の下の装備品は完全装備だ。件の森がギルド拠点で、『還らずの森』などと云われる原因がプレイヤーの場合、どの道アインズの正体はすぐに気づかれるのだ。だったら、最初から舐められないように神器級(ゴッズ)アイテムで固めておいた方が無難である。

 アインズはナーベラルとハムスケを伴って、この都市の冒険者組合へ向かった。おそらく、アインズたちに隠れるようにアウラがついて来ているはずであり、そしてナザリックはそんな自分たちを監視しているだろう。

 エ・アセナルの冒険者組合には白金(プラチナ)級冒険者までしかいなかった。おそらく、王都に近い所為だろう。王都にはアダマンタイト級冒険者チームが二組存在するので、高難易度依頼には王都に早馬が出るのだ。実際、ヤルダバオトの事件の際に、“朱の雫”というアダマンタイト級冒険者チームがこの評議国の国境付近の依頼で王都から出ていたと聞く。

 アインズたちが顔を出すと、“漆黒”の噂は既に届いていたらしく、冒険者たちからアインズは握手を求められた。アインズは快く握手に応じ、それぞれに自己紹介していく。ナーベラルの美貌に見惚れている冒険者もいつものことであるし、ハムスケを見て感嘆の吐息を上げるのもいつものことだ。

 冒険者たちと顔を合わせた後は、受付嬢にアインザックから渡されていた書状を差し出す。書状を受け取った受付嬢はすぐさま裏へ向かい、この都市の組合長が顔を出した。

 組合長はアインズに笑顔を向け、今回の依頼についての詳しい話――『還らずの森』について分かっていることを語る。アインズはそれを聞くと、すぐさま森へ向かうことを伝えた。

 その日の内に森へ向かうことを聞いた組合長は驚いたようだが、しかし反論はしなかった。王都の件はしっかりとこの土地にも届いているようで、アインズの腕を疑う気は無いらしい。アインズは見せかけの保存食――ハムスケのための食糧と、あと第一から第三位階までの実用的な魔法の力が込められた巻物(スクロール)を受け取ると、二人組の組合員を連れて森へ向かった。

 組合員は元々ミスリル級の冒険者だったらしく、アインズに対してこの地方に生息するモンスターのことを教えてくれたり、ナーベラルにちょっかいをかけようとして「下等生物(ガガンボ)」呼ばわりされていた。アインズは毎度のことながら胆が冷えたが、組合員はどちらも「ありがとうございます!」と息を荒くしてナーベラルに礼を言い、むしろナーベラルが鼻白む結果となっている。ちょっと変態なのかも知れない。

 一日かけて四人と一匹で向かい辿り着いた場所で、アインズは情報だけは知っていたが実際のその奇妙さに驚いた。

「……季節による環境変化が起きないとは聞いていましたが、本当に全然変わらないんですね」

 『還らずの森』シュヴァンツァラ。一年を通して、決して木々は枯れず生い茂ったままであり、薄い霧が中を覆って奥を見通せない。そして、周囲がどれだけ雨が降ろうと雪が降ろうと、その森の空だけは常に曇り空になるという。まさしく、その通りだった。この冬の季節に、周囲では雪がちらついているというのに、その森の上空は雲が覆っているだけだ。そして木々はほとんど枯れているのに、この森だけは紅葉さえ起きていない。まるで真夏のような生い茂り方である。

「ええ、気味が悪いでしょう? 俺が現役の頃から、この森はずっとこうなんです」

 組合員の一人が、恐々とした声で囁くように口を開く。

「昔、俺の友人が探索しようとしたこともありますが、その友人を見ることは二度と有りませんでした。本当に、不気味な森ですよ……火でも点けて燃やせたらいいんですけどね」

 しかし、危険過ぎてそんなことも出来ない。開拓しようと木を切り倒そうとしたこともあったようだが、一歩でも森に入ると帰って来られないのだ。見えている場所から切り倒そうにも、刃物がびくともしなかったらしい。

「なるほど」

 そんな話を聞いて、アインズは内心の警戒をかなり強める。確かに不気味で、異常だ。

(まるで、ユグドラシルのダンジョンだな)

 ユグドラシルに有る森や山などの自然系ダンジョンにも、火を点けて禿山にしようとしたりするとんでもないプレイヤーがいたが、ダンジョンはびくともしなかった。例外は、運営にさえ時折システムルールを改変させることも可能な、世界級(ワールド)アイテムくらいだ。イベントを開始するために必須のNPCがデータロストしてそのイベントが攻略不可能になろうと、NPCを復活させなかった運営は絶対に許さない。

「では、行って来ますね。長くても一ヶ月程度でエ・アセナルに顔を出しますから、情報を期待して待っていて下さい」

 生きて還って来ることを疑ってもいない態度のアインズに、組合員たちは感嘆に目を細めて「ご武運を」と告げるとアインズたちを見送った。

「行くぞ、ナーベ。ハムスケ」

「はい」

「了解したでござるよ、殿!」

 組合員たちに見送られながら、アインズたちは森へ足を踏み入れた。薄い霧が覆う、光が届かない黒い森。樹木が生い茂り薄暗く、静寂に支配されて寂しい陰森の中へと。

 

 

        

 

 

「……入ったな」

「ああ」

 “漆黒”が薄い霧の奥へ消えてすぐさま見えなくなったのを確認し、組合員たちは顔を見合わせて頷く。

「じゃあ、さっさとエ・アセナルへ帰るか」

「おう」

 気味の悪い森から離れようと、二人はすぐに踵を返した。しかしその道中、二人は色々と話をする。

「ところで、モモンさんたち帰って来ると思うか?」

「帰って来るわけが無い――と、言いたいところだが」

 二人は顔を見合わせて、ニヤリと笑った。

「賭けるか?」

「無駄だ、無駄。俺ら二人とも、必ず帰って来るに賭けちまうだろ?」

 そう言って二人は破顔し、来た道を戻っていく。そうして二人の組合員が消えた後に――ひょっこりと、左右で瞳の色が違う闇妖精(ダークエルフ)の少年が現れた。いや、少年では無い。少年のような姿と格好をしているが、少女である。その顔立ちは、将来傾城の美人になることを約束されたような、愛らしい顔であった。

「さてと!」

 少女――アウラは、一緒に連れて来ており、自分の身体を乗せてくれていたカメレオンとイグアナを合体させたような姿の、六本足の巨大な神獣――クアドラシルに声をかける。

「じゃあ、アインズ様から連絡があるまで、一緒に待ってよっか!」

 クアドラシルの鳴き声に笑顔を返し、アウラは森の外でアインズからの連絡を待った。

 

 

        

 

 

 森の中は先程までとは打って変わったような気温だった。冬らしい刺すような冷気ではなく、少しじめりとした、陰鬱な冷気が周囲を漂っている。まるで明瞭な境界線が有るかのような激変ぶりで、その姿はゲームのエリア移動に近かった。周囲に生い茂る木々の幹には苔が生えており、地面は青い下草と砂利が敷き詰まっている。明らかに、先程と同じ環境下では無い。

 周囲を見回すアインズに、ナーベラルが口を開いた。

「ア――」

「モモン、だ」

「失礼しました。モモン様、どうされますか?」

 そのままアインズの名前を言おうとしたナーベラルを遮り、すぐに意味を汲み取ったナーベラルが偽名で訊ねる。ここはまだ、外部に近い。伝承通りならばもう外部には出られないはずだが、組合員の存在があるのでまだ偽名のまま呼んで欲しい。そしてナーベラルの質問の意図は、一度、すぐに外へ出られるか試してみてはどうか、という意味だろう。

「いや、もう少しだけ進んでみる。外の組合員の姿が無くなるまでは、森で過ごそうでは無いか」

 その後に、アウラに〈伝言(メッセージ)〉で連絡を取る。合流した後に、本格的な探索開始だ。

「行くぞ、お前たち」

「かしこまりました」

「はいでござる!」

 ナーベラルが恭しく頷き、ハムスケが元気良く返事をする。二人と一匹は薄い霧の中へ足を踏み出した。

「――――む?」

 一瞬、視界が白く染まる。まるで、その一部だけ視界ゼロの濃い霧の中を通ったように。まるで暖簾を潜り抜けるかのような、そんな感覚だった。あるいは、境界を乗り越えたと言うべきか。

 ――明らかに、何か乗り越えてはならないものを越えてしまったかのような、そんな感覚。おそらくはゲームプレイヤーでなければ理解出来ない、画面の切り替わりのような。

「…………これは、なんだ?」

 アインズは首を傾げ、背後を見る。瞬間――

「――――馬鹿な!?」

 驚愕した。思わず、叫び声を上げる。たった一瞬で、状況が異常事態に切り替わっていた。背後を歩いていたはずのナーベラルとハムスケ。一人と一匹が、視界から消失しているのだ。この薄い霧では、あれほど近くにいた存在を見失うはずなど無いのに。

 アインズの決断は早かった。すぐさま魔法で編んだ鎧を解き、元の魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿に戻る。隠されていたはずの顔の骸、骨だけの身体。アンデッドへと。

 そして、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を使用した。何度も使用したことがあるので、正常に作動しているかどうか感覚で分かる。実際、何かを探っているかのようにするすると糸のようなものが伸びていっている感覚がするが――ぶつり。

 途中で、それは唐突に切れた。まるで、電話を強制的に電源オフにしたかのような、あるいは着信拒否を受けたかのような、そんな感覚。

「ありえん!」

 先程連絡をした相手はナーベラルだ。ナーベラルがアインズを着信拒否するなんて有り得ない。その有り得ない状況に、アインズは思わず絶句する。続いて、ハムスケにも連絡を入れるが同様だ。

 アインズはナーベラルとハムスケに連絡が繋がらないことを確認すると、すぐにアウラに連絡を入れた。繋がらない。アルベド。繋がらない。デミウルゴス。繋がらない。パンドラズ・アクター。繋がらない。セバス、コキュートス、シャルティア、マーレ。ナザリックにいる全てのNPCへと。ナザリックが駄目ならば、帝国のフールーダへも。

 しかし――繋がらない。

「……嘘だろ? 一〇〇レベルプレイヤーの魔法だぞ?」

 確かに、魔法を無効化する方法は有る。しかし、レベルが高ければ高いほど、無効化する難易度は跳ね上がるのだ。アインズは成長限界である一〇〇レベル。とてもではないが、アインズほどのレベルの魔法を無効化する手段は限られてくる。〈伝言(メッセージ)〉自体は第一位階魔法なので、確かに難しく無いだろうが……。異世界に来てからの、現地民たちの強さを鑑みるに、アインズの魔法を無効化する方法があるとは到底思えない。

「……これは、当たりか?」

 探していたプレイヤー。遂に、その塒を発見したか。アインズはそう考えるが――

「いや、それよりもまずは一度離脱だ。ナーベラルとハムスケには悪いけど、一度この森から出てパーティーの入れ替えをしなくちゃな」

 ナーベラルとハムスケが消えた方法は気になるが、しかしこのまま一人で探索するのは無謀にも程がある。アインズは慎重派だ。ナーベラルとハムスケのことは気になるが、互いの安全を考えるのなら一度退却しなくては。

 アインズは第十位階の転移魔法――〈転移門(ゲート)〉を発動しようとし……魔法の効果が発動しないことに気がついた。

「なんだと……?」

 第十位階魔法で駄目ならばと、位階を下げて発動させてみるが――うんともすんとも言わない。全くの無反応。第三位階魔法の短距離移動さえ発動しない。

「……まさか、〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉? 転移魔法の発動を阻害しているのか……? 通信手段の妨害といい、完全にユグドラシルの上位ダンジョン並みの難易度だな」

 アインズは舌打ちしたい気分になる。確かに、ユグドラシルの一部の上級難易度ダンジョンには、ナザリックのように転移魔法を阻害する仕組みになっている場所が有る。だが、それにしたって階層を移動することは阻害されても、短距離の移動ならば問題無く発動出来るはずなのだ。ここまで完全に封鎖されていることはまず、有り得ない。それこそ。

「……“山河社稷図”?」

 世界級(ワールド)アイテムの名が口からこぼれる。相手を隔離空間に閉じ込める効果を持つアイテム・魔法の中でも最高峰のものだ。“山河社稷図”は一〇〇種類ほどの異界が存在し、所有者がどのような異界を具現化するか選ぶことが出来る。その中には霧に包まれた世界などもあったはずだ。

 ただし、こういった最高位の能力を持つ世界級(ワールド)アイテムにも、弱点が一つだけ有る。

 ――同じ世界級(ワールド)アイテム所有者には、許可が無いと効果が無いという弱点だ。

「所有者の俺だけ別行動? いや、そんな感覚は全く無い……“山河社稷図”は実際に使われたことがあるから、発動の瞬間を気づかないなんてことは――」

 色々な推測が頭の中を巡るが、しかし答えは出なかった。そもそも、例え“山河社稷図”の生み出した異界に囚われたのだとしても、アインズが一切連絡も出来ず転移の魔法も使えないのはおかしい。これではまるで――アインズの方が。

「――――」

 ぞくっと、背筋が震えた。どっと冷や汗が出た気分になる。世界級(ワールド)アイテム所有者のはずのアインズの方が、囚われているようなこの状況。仮にそうだとするのなら、恐ろし過ぎる。相手は、世界級(ワールド)アイテムの加護を全く無視出来る存在ということになるからだ。

 そしてその場合――ユグドラシルでは有り得ない。完全に、未知の相手だ。

「冗談じゃないぞ!」

 アインズは踵を返し、即座に今歩いた距離を走る。目指すは森の外だ。だが……有り得ない。まだ五〇メートルも進んでいない距離だったはずなのに、森の外に一向に出られないのだ。

「…………ッ」

 アインズは、その時点で即座に足を止める。頭の中で、『還らずの森』と呼ばれた曰くが思い浮かぶ。これはまさに、『還らずの森』だ。一〇〇レベルプレイヤーでさえ、閉じ込めている。

(……落ち着こう。とりあえず、まずは今自分に出来ることを探るのが優先だ)

 アンデッドとしての種族特性による、感情の鎮静化で冷静になる。アインズはかつてこの異世界に転移した時のように、自分の魔法や特殊技術(スキル)を探った。今のところ、通信手段や転移手段が封じられているようだが、他にも封じられた魔法などが無いか調べるためだ。

 結果――アインズは頭を抱える。

 〈妖精女王の祝福(ブレス・オブ・ティターニア)〉や〈三本烏の先導(リード・オブ・ヤタガラス)〉などの、ダンジョンルートの探索系――使用不可。発動せず。

 〈第十位階死者召喚(サモン・アンデッド・10th)〉や〈アンデッド作成〉などの召喚系魔法や特殊技術(スキル)――使用不可。発動せず。

「――――嘘だろ」

 ダンジョンを攻略する上で、特にソロで攻略する上で必要不可欠な魔法や特殊技術(スキル)が、ことごとく使用不可となっている。最悪だ。通信手段も無ければ、転移で移動することも出来ない。ここまで超高難易度のダンジョンなんて、ユグドラシルでも数えるほどしか攻略したことが無い。……それも、初見攻略に至っては一度として無いのだ。

「……幸い、周囲にモンスターの気配が無いのが嬉しい誤算だな。仕方ない」

 舌打ちをしながら、アインズは方針を決定する。まずは周囲を自らの力で探索し、ナーベラルとハムスケを探す。そして、ここがダンジョンであると言うのなら、ダンジョンボスを倒すしかあるまい。ユグドラシルはそういうところなのだ。

「……まさか、ユグドラシルのダンジョンがあるとは」

 アインズは溜息を吐く。もはや、ここはそうだとしか考えられなかった。だが、考えれば可能性は有った。アインズを初めとしたプレイヤーの気配は勿論、周囲に存在するユグドラシルにも存在したモンスター。そして、ギルド拠点。確かに考えれば、ユグドラシルのダンジョンが存在しても不思議では無い。これはアインズの油断と言っていいだろう。ダンジョンがそのまま転移しているとは、考えてもいなかった。

(……まあ、アルベドたちが異変を察知して、何とかしようとするかも知れないけど)

 ユグドラシルのダンジョンは外部から内部を探索出来ない。ニグレドの魔法でアインズたちを見ていたアルベドたちは、おそらくアインズを探知出来なくなっていることだろう。慌てて戦力を集めている最中かも知れない。

 だが、ユグドラシルのダンジョンだと考えると、ダンジョン攻略の知識が無いナザリックの者たちに攻略出来るとはアインズにはとても思えない。これはアインズが、自力で攻略するしか無いだろう。脱出不可のダンジョンから脱出する方法は基本、ダンジョンの最深部のボスを討伐するか、あるいはリスポーン……死亡した後に拠点などの登録地点で復活することだが……こういった方法しか無いのだ。あの製作会社では、途中で地上に脱出出来るテレポート地点が有るとは思えない。そんな親切心は、ユグドラシル運営には皆無だ。

「……クソが」

 苛立ちが口からこぼれる。シャルティアの件で油断と慢心は全て排除したと思ったが、まだ足りなかった。やはり、自分は優秀な頭脳はしていない。ユグドラシルのシステム面ではアインズが一番詳しいのだから、アインズがしっかりしなければならないのに。そのアインズが油断するからシャルティアを一度は殺す羽目になったのだ。その反省が活かされていなかった。

 アルベドやデミウルゴスの二人がアインズと同等にユグドラシルのシステムについて詳しかったなら、こんな間違いはしなかっただろうに。

「……はぁ」

 いや、今はそんなことはどうでもいい。アインズは反省は後にして、ナーベラルとハムスケを探すことにした。幸い、アインズは夜闇を昼間のように見通すことが出来るので、この陰森とした道を歩くのに他者より苦労はしない。問題は、この薄い霧くらいか。さすがに霧が原因ではアインズの特殊技術(スキル)で見通しは出来ない。そこは人並みに苦労することになるだろう。暗闇が気にならない点だけでも、良かったと言うべきか。

 アインズは周囲を警戒しながら、苔と草の生えた地面を歩く。ナーベラルやハムスケと分断されたということは、間違いなく自分の初期位置は狂っているからだ。それは先程、来た道を戻ったはずなのに戻れなかったことからも判明している。木の幹に通ったという印をつけながら、進んでいくしかない。アインズは自らの尖った指先でガリッと幹に傷をつけた。“ア”という日本語を描く。ここが仮の初期位置だ。これから、「あいうえお」の順で一定距離毎に文字を幹に刻む。日本語であるなら、読めるのはプレイヤーやNPCなど、ユグドラシル関係者だけのはず。アインズは歩を進めた。この、薄い霧が覆う黒い森の中を。

 

 

        3

 

 

 〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉。第九位階の魔法で、姿だけでなく音や気配さえも消し去ることが出来る魔法だ。攻撃を行うと効果が消えてしまう魔法だが、アインズは現在その魔法を自らにかけて森の中を歩いていた。理由は簡単。

「……何なんだ、この森は……!」

 呻くように呟く。この黒い森は、完全にアインズのよく知るユグドラシルの高難易度ダンジョンと似たような姿を晒していた。おそらくは七〇レベルに到達しているであろう、植物に擬態して襲いかかるモンスター。同じく高レベルであろう、最初は地面に打ち捨てられたように寝転ぶ、剣と盾を装備した、苔の生えた三メートルほどの大きさのストーンゴーレムのようなモンスター。彼らはアインズが横を通ると、反応してアインズに襲いかかるのだ。モンスターたちを安全にやり過ごすには、完全に不可知化して気取られないようにするしか無い。

 レベルが七〇にも及んでいると、アインズの魔法攻撃力では例え弱点属性であろうと一撃では倒せない。アインズが得意な魔法分野は死霊系……即死系の効果を持つ魔法などだ。ただ、高レベルにもなるとモンスターに即死効果は発揮し難い。大抵は通用しない。アインズは通常のプレイヤーよりも多い魔法習得数を誇るため、死霊系魔法を潰された程度ではまだ戦えるが、それでも得意分野が潰されてしまう高難易度ダンジョンは辛いものがある。パーティーを組んだ場合、特殊役(ワイルド)……味方を強化したり、敵の防御を弱体化させたりなど、そういった補助役が主なアインズの役割なのだ。火力はあまり高く無い。この全体的にレベルの低い異世界にいると、アインズが得意分野を潰されると弱体化してしまう、決して上位プレイヤーにはなれないプレイヤーだということを忘れてしまうが、本来のアインズはその程度だ。そのため、このユグドラシル染みた黒い森でのソロ活動は、アインズには非常に辛い。

 更に問題なのが、アインズは後衛だというのに前衛代わりに出来る召喚モンスターを封じられている点だ。超位魔法までは確認していないが、普通の位階魔法や特殊技術(スキル)では召喚が出来ない。そのため、アインズは高レベルモンスター相手に前衛を用意することさえ出来ない。

 これが由々しき問題なのだ。ユグドラシルには魔力……MPを回復する手段が時間経過か、あるいは一部の特殊技術(スキル)を使用するか、特殊な職業(クラス)を習得するしか無い。アインズは他のプレイヤーよりMPは多いが、MP回復手段が時間経過のみ。ユグドラシルには、アイテム消費によるMP回復手段が無いのである。結果、モンスターとのエンカウントが多過ぎるとMPを削られ過ぎて後半には何も出来なくなる。ただでさえ、死霊系魔法は高難易度ダンジョンを攻略するのに向いていないのだ。リソースを消費するのは避けたかった。そのためには、そもそもモンスターとのエンカウント率を下げるしか無い。

 アインズはこそこそと森の中を歩きながら、舌打ちする。

「……クソが。どこのイベントボスか知らないが、“あらゆる生あるものの(The goal of all)目指すところは死である( life is death)”を絶対にぶち込んでやるからな」

 即死耐性のある存在、無機物にさえ即死効果を発揮出来るように即死効果を強化させる特殊技術(スキル)の名を呟きながら、アインズは黒い森を進んだ。ユグドラシルは十二年間サービスを続けていたが、結局サービス終了間際になっても未だ未発見のダンジョンなどが有る。もはやこの黒い森がユグドラシル製高難易度ダンジョンであることは明白だろう。つまり、最深部には必ずこのダンジョンを棲み処にしているボスが存在するはずだ。この黒い森のモンスター……通常エネミーのレベルを考えるとおそらく、アインズと同レベルのボスエネミーだろうが、それでもアインズに勝機が無いわけでは無い。完全武装で来て正解だった。

 アインズは姿を隠して、黒い森の中を愚痴愚痴と文句を呟きながら進んでいく。幸いこの黒い森には、アインズの〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を見破ることが出来る存在はいないようで、アインズは安全に黒い森を進めていた。

 だが、アインズは安全に進めるが――アインズの脳裏には、ずっと心配なことがあった。ナーベラルとハムスケである。

 ナーベラルはアインズと同じく魔法詠唱者(マジックキャスター)で後衛型の戦闘スタイルだ。更に言えば、アインズよりレベルが遥かに下の六三レベル。装備自体はそれなりに良い物を持たせているが、七〇レベル帯のモンスターを倒すには死力を尽くすことになる。連戦は勿論、囲まれてしまえば命は無いだろう。

 そしてハムスケはこの異世界では高レベルだが、ユグドラシル経験者からしてみれば初心者レベル……三〇レベル強くらいしか無い。武技を覚えたりそれなりにレベルは上がっているようだが、ハムスケに至ってはモンスターと戦いにもならないだろう。

「…………」

 嫌な予感がして、アインズは歩を早める。早く、ナーベラルとハムスケを見つけなくては。この異常事態に対応出来るほど両者はレベルが高く無い。時間が経てば経つほどに、生存率は絶望的になる。そんなことは認められない。

 一応、ハムスケと違いナーベラルにはアインズと同じように冒険者であることを示す、アダマンタイト製のプレートが有るのでそれを探知して探してみようとは思ったのだ。しかし、アダマンタイト製のプレートを探した場合でも、反応が無い。おそらく、マッピング系魔法と同じように場所探知は不可能なのだろう。アインズ自身の持ち物であった場合は、ちゃんと探知出来るからだ。本当に、場所探知や地図製作に連なる効果、通信手段や転移などことごとくを潰されている。ここは完全に迷いの森だ。野伏(レンジャー)泣かせにもほどがある。

(……ナーベラルたちに何か有ったら)

 無いはずの心臓が激しく動いているような、そんな恐ろしさ。アインズは必死に脳裏に過ぎる最悪の予想を振り払い、ナーベラルとハムスケの姿を探した。アインズが躊躇すればするほど、生存率は下がるのだから。

 死んでも蘇生手段が有るのだからそちらを使えば良い――そう言われるかもしれないが、それでもアインズは死んで欲しくは無かった。生き返るなら、死んでもいい。大切な家族にどうしてそんなことが言えるだろう。ペットだって、動かなくなった姿を見てしまえば哀しくなる。

 だからアインズは、必死にナーベラルとハムスケの姿を探すのだ。生きていることを信じて。

 

 

 ――それから、どれほど歩いただろうか。アインズの聴覚に、騒めきが届いた。

 その騒めきは、生物が単純に動く通常の騒がしさでは無い。木々が倒れる、葉が重なり合い枝が折れる騒めき音だ。

 つまり、戦闘音である。

「――――」

 アインズはそれに気づいた時、すぐさま〈飛行(フライ)〉の魔法を使って音源へと近づいた。〈飛行(フライ)〉は普通に走るよりも速く移動出来る。もっとも、上空には何らかの結界が有るかのように木々の葉の雲を抜けられないが。

 アインズは魔法で足早に音源へと向かい――その先に、彼女はそこにいた。

「〈魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!」

 血反吐を吐くような、喉の奥から振り絞るような魔法の詠唱が彼女の口からこぼれる。彼女の両手からそれぞれ一本ずつ、のたうつ龍のごとき雷撃が打ち出され、目の前の敵へと向かっていく。

 だが。

「――う、うぅ」

 彼女が怯んだ声を出す。相手に、全然先程の魔法が効いた様子が無い。それも当然だろう。彼女が今相手をしているのは全身に苔の生えた、剣と盾を持つ三メートルほどの大きさのストーンゴーレム。雷属性――いや、属性魔法に対しては、耐性を持っている。

 しかし彼女は魔法が通用しないと知っていても、使うしか無いのだ。何故なら彼女はエレメンタリスト。特定属性に特化し、更に特殊化したタイプの魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)である。得意分野に関しての攻撃力は跳ね上がるが、代わりに得意分野が潰された場合の脆弱さは他の魔法詠唱者(マジックキャスター)より酷い。彼女は空気系……雷などに特化したタイプだ。ゴーレムなどのモンスタータイプを苦手としている。

「――きゃ」

 ゴーレムの持つ大きな石の剣が振るわれ、彼女は必死に距離を取る。だが、レベルがほぼ同程度――むしろ相手の方が高い場合、後衛が前衛の速度を越えられるはずが無い。石の剣は彼女を容易く捉え、彼女の胴を薙ぎ払った。彼女の身体が後方へ吹き飛ぶ。

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉!」

 それを歯軋りしながら見つめたアインズは、ストーンゴーレムを射程距離に捉えた瞬間、最強の攻撃魔法をストーンゴーレムへと放つ。ストーンゴーレムは何も無いはずの場所から放たれた、凄まじい攻撃力の魔法に堪らずたたらを踏んだ。そして、急に姿を現したアインズへと視線を向けると、雄叫びを上げながら吹き飛ばした彼女を無視して、アインズの方へと盾を構えて防御姿勢を取りながら近寄って来る。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)隕石落下(メテオフォール)〉」

 だが、キレたアインズが当然大人しく叩き切られるはずが無い。近寄ってくるその前に、アインズは威力を最強化させた第十位階魔法を唱える。小型の隕石が落下し、ストーンゴーレムは遂に耐えられず粉微塵となってその場に瓦礫となった。

「ナーベラル!」

 ストーンゴーレムを砕いたアインズは、インベントリから最高位の回復薬(ポーション)を取り出しながら、彼女――ナーベラルのもとへ慌てて向かう。ナーベラルは呻き声を上げながら、立ち上がろうとその場で中途半端な格好で蹲っていた。

「あいんず、さま……」

 顔を上げたナーベラルは、アインズの姿をそこに見て涙目になりアインズの名を呟いた。美しい顔は傷だらけで、濡れ烏のような艶やかな黒髪はぼさぼさになっている。メイド服には血が滲んでいた。

 だが、先程一撃を受けた胴体に見た目の変化は無い。装備していた鎧が防いだようで、打ち身か酷くて内臓を痛めたかだろう。胴が千切れかけてはいない。

 アインズは手に持った最高位の回復薬(ポーション)をナーベラルへと振りかける。ナーベラルの傷は瞬く間に治癒され、彼女はもとの美しい姿を取り戻した。

「大丈夫か? ナーベラル。……もう大丈夫だ」

 アインズがナーベラルへ優しく声をかけ、背をさすってやる。ナーベラルは涙目と涙声になりながら、アインズへと何度も礼を言った。アインズはナーベラルが落ち着くまで、優しく声をかけ続ける。

 しばらくして落ち着いたナーベラルへ、アインズは自分とはぐれてしまってからのことを訊ねた。だが、話を聞いたアインズは、ナーベラルも自分と同様のことくらいしか分かっていないようだった。むしろアインズの方が多くのことを知っている。

 ナーベラルは転移魔法も通信魔法も使えないことを知ると、最初はいつもの擬態した装備で森をうろついていたらしい。だが、あの植物に擬態していたモンスターに襲われたことで、すぐに身を守るために完全装備に切り替えた。何とか植物モンスターを倒したようだが、ナーベラルはアインズのように、完全な不可知化などを使って身を守る術を持たない。ナーベラルのレベルの不可視・不可知化魔法では見破られてしまうようだった。なので、なるべく似たような植物には近づかないようにしていたようだが、それでも限度が有る。戦ったり逃げたりしている内に、ついにあのストーンゴーレムと遭遇してしまったようだった。

「アインズ様……御身から離れず御身を守らなくてはならないというのに、御身を見失った不肖の身を、この命で償わせていただけないでしょうか……?」

 ナーベラルは涙目で自らの失態を告げる。ナーベラルからしてみれば、アインズの傍を離れずアインズの盾となって戦わなくてはならないのに、はぐれたあげく逆に守ってもらったというのが許せないのだろう。

 だが、アインズはそんなナーベラルに苦笑を浮かべた。

「良い。お前とはぐれたのは、私の失態でもある。私の方こそ、我が子同然でもある愛するお前たちの傍から離れ、お前の美しさに一時とはいえ傷をつけてしまったことを許して欲しい」

「そんな! アインズ様は何も悪くありません!」

「いいや、私だって悪いさ。――――お前が生きていて、良かった」

 万感の思いを込めて、ナーベラルに告げる。ナーベラルはアインズの言葉に遂に完全に泣き出して、アインズのローブへ顔を埋めた。囁くような声で「お許しください」と何度も呟いている。アインズはナーベラルの好きなようにさせた。

 しばらくして落ち着いたナーベラルの手を取って、アインズは立ち上がる。

「さて! あとはハムスケだな! 正直、ナーベラルが苦戦するようなモンスターが闊歩していることを思うと、ちょっと生きているか絶望的なんだが……探さないのも目覚めが悪い」

 話を切り替えるように告げるアインズに、ナーベラルもいつもの表情に戻って答えた。

「あの愚か者も栄えあるナザリックの末席に連なる者……、多少は自力でどうにかしようと頑張ってはいるでしょう……その」

 ナーベラルも正直、ハムスケの生存は絶望的だと思っているのだろう。言葉尻は弱々しい。しかし一応はハムスケのことを身内認定しているのか、探しに行こうとするアインズを止めることは無かった。

「では、ナーベラル。私のサポートを頼む。私はこれから〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使い前衛戦士になる。召喚モンスターが呼び出せないからな。お前が、後衛として私のサポートをするのだ」

「はい! お任せください、アインズ様!」

 アインズはナーベラルが頷くと共に、自らの装備品を外す。そして、〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使って一〇〇レベルの戦士になると、一応念のためにインベントリに所持していた、“漆黒”のモモン用の黒い全身鎧(フル・プレート)を装備していく。武器も同様だ。この黒い森に入るまでは魔法で編んだ装備だったが、今は実物である。

 これにも理由は存在する。まず、召喚モンスターが呼び出せないので、前衛がいないこと。アインズとナーベラルの両方が、後衛の魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)であることだ。高レベル帯の通常エネミーが闊歩するダンジョンで、前衛抜きの後衛のみのパーティーは自殺行為である。

 アインズの方が魔法詠唱者(マジックキャスター)として強力だが、ナーベラルは前衛としては動けない。なのでアインズが前衛になるしか無いのだ。

 これがアインズ一人ならば先程までのように〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉でモンスターをやり過ごせるが、ナーベラルとパーティーを組んだ状態では不可能である。このような形になるのは必然と言えた。

(クソ……でも、こんなことになるなら、しっかり前衛装備を仕込んでいた方が良かったな。モモンの装備品じゃ、正直心許無いぞ)

 確かに、七〇レベル帯ならばレベル差でごり押せるかも知れない。だが、〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉はデメリットも多い。致命的なのがこの状態では魔法が使えないことと、戦士としての特殊技術(スキル)も使えないことだ。もしモンスターのレベル帯が上がるような事態になれば、アインズ程度の戦士では対応出来なくなってくる。何とか、ナーベラルと連携を組んで倒していくしかないだろう。

 武器の長得物のスタッフを持ち、ナーベラルが気合いを入れた顔をする。そのナーベラルを連れながら、アインズは再びこの黒い森の探索を開始した。

 

 

 ――二人で探索していくにつれ、アインズはこの黒い森にいるモンスターの種類が少ないことに気がつく。先程から遭遇するのは擬態した植物モンスターと、ストーンゴーレムくらいだ。奇妙な蜥蜴や昆虫は発見するが、それらは襲ってくる気配が無い。奇怪で気味の悪い姿をしているが、あれらはあくまで自然な生き物なのだろう。モンスターとは違う、環境オブジェクトというやつだ。

 しかし、この黒い森は予想以上に深い。大分歩いたと思うのだが、どこを見ても同じような風景しか見られない。風景の変容が感じられない。現在、空がどうなっているのかも分からなかった。今は昼なのか夜なのか、それとも朝なのだろうか。時間の感覚が狂う。アインズは勿論だが、ナーベラルにも疲労や睡眠、食事無効の指輪を装備させたために、体内時計では時間を推し量れない。

 ――だから、それが異常だった。これだけの時間が経過しているのに、アインズたちを心配して探すナザリックの者たちに遭遇しないことが。いくら何でも、ここまで無反応は有り得ないだろう、と。

 ナーベラルも不思議に思っているのだろう、しきりに首を傾げている。

「……少し、情報を整理するか」

 アインズはナーベラルに一度この場で休憩を取ると告げ、二人で顔を突き合わせて自分たちが感じていることの情報交換をした。

「ナーベラル、私の感覚では数時間――少なくとも三時間は歩いているのだが、どうだ?」

「はい、アインズ様。私もそのくらいは歩いていると思われます」

 ナーベラルがアインズの言葉に同意を示したので、アインズは内心で頭を抱える。

「……では、私と再会するまではどうだ? 私とはぐれて、再会するまでどの程度の時間が経過した?」

「……そうですね。私の感覚では、一時間ほどだと思います」

「なんだと?」

 アインズの感覚では、はぐれて再会までの間に四時間は経過している。ナーベラルとは、時間の感覚がずれていた。

(もしかして……場所によって時間の経過が違う? それとも、時間間隔がズレるように設計されているのか? 面倒なダンジョンだな……)

 しかし、時間経過がそれぞれ違うということは、ナザリックの者たちと遭遇しない理由にもなる。アインズたちは既に何時間も経過しているが、ナザリックでは五分と経っていないかも知れないのだ。

 もはや、完全に外部は当てに出来ない。これはこの黒い森の中にいる、アインズたちだけで攻略しなくてはならない事象だ。

「……やれやれ。油断の代償は高くついたな、ホント」

 思い返すも、この黒い森を単なる『還らずの森』という、曰くつきとしてしか見ていなかったことが悔やまれる。ユグドラシル製の高難易度ダンジョンだと知っていたのなら、確実にアルベドは勿論のこと、シャルティアやセバスを連れてきていた。考えていた可能性はギルド拠点で、その場合はプレイヤーがアインズに話しかけてくると想定していたからだ。アインズだって、ギルド拠点にプレイヤーらしき存在が入って来たのなら、確実に少しは奥へ招待して話を聞く。

 プレイヤーの影も形も見えず、分かるのはここが高難易度ダンジョンだというくらい。本当に、油断の代償は高くついてしまった。二度とこのようなことが無いように、気をつけなくては。

「――良し。ナーベラル、再び奥を目指しながらハムスケを探すぞ」

「はい」

 情報を整理したアインズは、再び歩を進める。こうして何度か休憩を挟みながら、ナーベラルのMPに気をつけて先へ進むしか無い。時間が捻じれているようだが、悪いことばかりでも無いのだ。これなら、もしかするとハムスケは生きている可能性も有る。自分たちと同じ時間経過では生存が絶望的過ぎるが、ハムスケはまだ一時間と経過していない可能性が有るのだ。

 二人はモンスターを倒しながら、先へと進んでいく。二人に油断も慢心ももはや皆無だ。そんなものをする段階は、とうに通り過ぎている。そんなものを抱えていては、命は無い。ナーベラルも〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を使って、周囲の物音を聞き逃さないようにしている。

 そして再び、どれだけの時間が経過しただろうか。ナーベラルが頭の天辺から生えている兎の耳をひくりと動かしながら、アインズへ告げた。

「アインズ様、あちらから物音が聞こえます」

「ふむ。どんな物音だ?」

 物音の正体を訊ねる。ナーベラルはアインズの質問に再び兎の耳をひくりと動かしながら、熱心に物音を細部まで聞き取ろうと耳を澄ませていた。

「これは……叫び声ですね。おそらくは、モンスターの鳴き声かと。今まで聞いたことの無い音です。あの擬態する植物モンスターでも、ストーンゴーレムでもありません。それと……金属音が微かに。それにこれは……」

 ナーベラルは瞳を見開いた。兎の耳が、愛らしくぴょこりと動く。

「ハムスケの声です!」

 

 

        

 

 

 ナーベラルの言葉を聞いた後、アインズはナーベラルを小脇に抱えて、全速力でナーベラルの案内する方向へ走る。ナーベラルは自分の力でついて行くと言ったが、しかしナーベラルの速度では今のアインズに追いつけない。なので、アインズは「恐れ多い」と遠慮するナーベラルを問答無用で片手で抱えて、黒い森を駆けた。

「どっちだ!?」

「――十メートル先を右です!」

 ナーベラルの案内に従いながら、アインズは駆ける。アインズの常識外れの速度で地面の土が捲れるが、そんなことには構っていられない。幸い、アインズたちの通る道に例の擬態した植物モンスターなどは存在しなかった。このままいけば、音源へと無事に辿り着けるだろう。

 走る。ひたすらに。黒い森の中を疾走する。風の音。木々を震わせ、この黒い森の中を駆け巡る風鳴り音は、アインズもよく知る音だった。木々の倒れる音に、金属が風を切る音。そして次第に大きく鳴り響く地響き。もはやここまで来れば、アインズにも音の発信源は明白だ。

「――ナーベラル! 私の傍からあまり離れるなよ!」

「はい――!」

 そこが戦場である予感を確信し、ナーベラルに忠告する。ナーベラルは頷いて、武器のスタッフを握り締めた。ナーベラルの身を抱えていた手を離し、ナーベラルが地面に降り立つ。そのまま二人走り続け――アインズは、木々の無い開けた広場のような場所を目にした瞬間、進むナーベラルを手で押し留めた。

「――――」

 二人、息を殺して広場の中央を見つめる。そこで。

「――――」

 おそらくは、この黒い森で最強の生物を決める戦いが行われていた。

「kekekekeke――!」

 奇妙な叫び声を上げているのは、十メートルは超えるだろうという巨体を持つ、蜥蜴のような背格好の(ドラゴン)。通常の個体と違い、翼があるだけの蜥蜴のような細長い体躯をしている。これでは、翼がついただけの巨大な蜥蜴そのものだ。

 だが、もっとも異様なのは上体を起こしたその姿だった。喉元から腹までが縦に裂け、その裂け目から物騒な牙がびっしりと並んでいて、爬虫類とは違う人間のような舌が涎を纏いながら覗いていた。身体をよく見れば鱗が無くぶよぶよで、人間の肌と同じような色をしている。まるで森で見た、少し輝くあの昆虫のように。

「――――」

 対して、異様な(ドラゴン)と相対しているのは二メートルも無いだろう、細身のヒトガタだった。血の様に真っ赤なフード付きマントを羽織り、頭部以外の全身を黒い板金鎧で覆っている。鎧は古代ローマのロリカ・セグメンタータのようなデザインをしており、しかし細身の肢体に纏わりつくように腰のくびれさえ見て取れた。フードの奥から覗くのは白人のような白い肌と、唇には下品にならない程度の赤いルージュ。美しい金色の糸が微かにこぼれて見えている。

 ――見た目だけで判断するのなら、それは人間種の女性にしか見えなかった。

「――――」

 女は両手にそれぞれ違う、凝ったデザインの二挺の短剣を構えており(ドラゴン)と対峙している。(ドラゴン)は奇怪な鳴き声を上げながら、女へ向かって四足を動かし凄まじい速度と勢いで突進する。女は平然と、軽々とした身のこなしで(ドラゴン)の突進を躱し、その巨体へ飛び乗った。

「kyee!」

 (ドラゴン)はぐるりと女が乗った場所へ身をくねらせ振り向いて、女へ向かって口から青白い結晶の雨を吐き出す。女はそれを短剣を使って事も無げに切り払った。

(……〈ミサイルパリー〉)

 相手の飛び道具を迎撃する特殊技術(スキル)だ。そして当然ではあるが、女が使用した特殊技術(スキル)はそれだけでは終わらない。更に追加で、〈カウンターアロー〉も使用している。青白い結晶の弾幕は撃ち返され、狙ったのだろう飾りの頭部へと直撃し(ドラゴン)は悶えた。

 そして、女はその隙を見逃さない。女の背後に厳めしい顔つきの仏像めいた男が現れ、その背後の男が武器を持った腕を振るい、奇怪な(ドラゴン)の頭部を斬り落とす。……〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の〈倶利伽羅剣〉だ。おそらくは他の特殊技術(スキル)も使用し、攻撃力を増大させている。

 頭部を斬り落とされた(ドラゴン)は金切り声のような悲鳴を胴体から発しながら、切り口から紫色の液体を撒き散らす。頭部を斬り落とされた程度では死なないようで、その場でのた打ち回り始めた。女は暴れる(ドラゴン)の身体から飛び降りて、地面へと着地する。

 (ドラゴン)は荒れ狂い、紫色の液体を切り口からだけではなく、胴体の口からも吐き出した。どろどろとした液体は煙を出しながら周囲へ撒き散らされ、周囲の自然を腐らせていく。

 ……自然環境さえ腐らせる、猛毒の吐息(ブレス)。血液さえ猛毒なのか、瘴気さえ放っているその紫の海に、女は平然と足を突き入れた。おそらくは毒に対する完全耐性だろう。

「――――」

 女は瞬く間に間合いを詰めると、(ドラゴン)の下部に入り込み、胴体にある裂け目のような口の中に右腕の短剣を突き入れた。その瞬間、(ドラゴン)の胴体を突き抜けて青白い光の線が天上へと伸びていく。周囲を焦げた臭いが充満し、(ドラゴン)は今度こそその場にくずおれた。

「――ふぅ」

 女は巨体がくずおれる前に出てくると、両手の短剣を虚空で振るう。短剣の刃に付着した液体を風圧で吹き飛ばすように。それを終えると、女は腰に差してある二つの鞘へ短剣を収めた。

 女が戦闘を終了した。それを確認した後――聞き覚えのある声が響く。

「かたじけないでござる! 助かったでござるよ!」

「気にしないで、巨大ハムスターちゃん。ところで、君の飼い主はそこの人たち?」

 女に向かって、物陰から見覚えのある白銀の巨獣が飛び出してくる。白銀の魔獣は女に礼を言い、女は気にしなかった。それどころか、アインズたちのいる方角を指差して白銀の魔獣に訊ねている。

 白銀の魔獣――ハムスケは、アインズたちが木陰から出ると、涙目になって二人のもとへ向かって来た。

「と、殿ぉおおおお!!」

 アインズの姿を確認したハムスケは、どどどど、という足音を立てながらアインズへ突進する。それを受け止め、アインズは仕方なく懐いてくる獣を撫でまわした。

「よーし、よし。大丈夫だったか、ハムスケ」

「殿ー。殿ー」

 ハムスケは涙目で、ぐりぐりとアインズに身体を擦りつけてくる。その姿はまさに懐いてくる獣だが、ナーベラルは目を吊り上げてハムスケを叱った。

「いつまでそうしているの。……それに、あの下等生物(ガガンボ)は何?」

「も、申し訳ないでござる、ナーベラル殿。あちらの方はそれがしを助けてくれた方で……」

 女は先程から動かず、アインズたちを観察している。アインズとしても、その姿勢は嬉しい。あれはアインズと違い、明らかに本職の前衛戦士だ。距離を詰められるのは、警戒心もあって遠慮して欲しかった。女はそんなアインズの心境を考慮してくれているのだろう。

 女は、アインズたちを不思議そうに見つめて、ぽつりと呟いた。

「……日本語?」

 呟かれた言葉に、アインズは驚く。ナーベラルとハムスケは気にしていないようだが、女の呟いた言葉は、アインズからしてみれば明らかにおかしかった。

 ……この異世界は、アインズのいた日本と違う別の言語で交流されている。ユグドラシルは日本のゲームなので、共通語は日本語だ。そのため、プレイヤーのアインズは勿論、NPCのナザリックの者たちは日本語を話す。

 だが、ハムスケなどこの異世界の住人は違う。彼らは口の動きと、アインズたちに聞こえてくる音がまるで違う。まるで自動翻訳がなされているかのように。

 この異世界において、つまり言語がどこの国の言葉なのかという疑問は意味を成さない。だと言うのに、女は不思議な顔をしてアインズたちを見たのだ。まるで、ハムスケとアインズたちの話す言語が違うように。そして、女はプレイヤーしか知らないはずの、アインズたちの話す言葉がどこの国なのか知っていた。

 その奇妙さに、アインズもまた首を傾げざるを得なかった。

「失礼。うちのハムスケがお世話になったようで……ありがとうございます」

 アインズが声をかけると、女の口許には微笑みが浮かんだ。

「気にしないで。私、暇人なの。ところで貴方たち、日本語を喋ってるってことは、ユグドラシルプレイヤーだったりする?」

 女の言葉に、ナーベラルが警戒を顕わにした。ナーベラルの敵意さえ感じられる警戒に、女は不思議そうに首を傾げている。

 アインズはナーベラルを片手で押し留めて、女のフードに隠れた顔を見つめた。

「ええ。……ということは、貴方も?」

「うん」

 女は顔を覆うフードを首の後ろに下げて、顔を顕わにする。金髪碧眼の、少し吊り目気味の美しい見目の女。

「私、“アカ・マナフ”所属の人間種で、パトリツィア。君は?」

 “アカ・マナフ”。アインズも聞いたことのある、とある趣味のプレイヤーだけが集まった、少人数ギルドだ。ギルド自体はそれほど強力なギルドではない。“アカ・マナフ”が異様なのは、まったく別の事柄だ。確か、ユグドラシルのサービス終了が決定した状態でも、活動を続けていた珍しいギルドだったと記憶している。……まあ、それも彼らの趣味が関係しているのだが。

 しかし、アインズが知るかぎり“アカ・マナフ”のギルド拠点は森では無い。彼らはギルドを育てる気が皆無で、ギルドという形は本当に飾りなのだ。だとすれば、目の前の女プレイヤーは単独でこちらに来てしまったのだろうか。

「…………」

 女――パトリツィアがじっとアインズの様子を窺っているのに気づき、アインズはどうしようか考える。ここで彼女に名乗るのは簡単だ。しかし、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗るのは気が引ける。かと言って、誤魔化してもナーベラルがいる以上、誤魔化し続けるのも限度があった。

(……仕方ない)

 どの道、相手は同じプレイヤーなのだ。それにしばらくすると、“アインズ・ウール・ゴウン”の名は大きく表に出てしまう。ここで誤魔化しても同じことだ。アインズは素直に名乗ることにした。本当の、名前を。

「私は“アインズ・ウール・ゴウン”のモモンガです。はじめまして。彼女はNPCのナーベラル」

「よろしく」

 パトリツィアは、アインズの予想と反して名乗っても態度が変わることは無かった。それどころか、親しげな笑みさえ浮かべてアインズを見ている。

 パトリツィアは、アインズたちに微笑みを浮かべながら告げた。

「ようこそ、ズビニェクの世界へ。これからしばらく、脱出のために協力しようね」

 

 

 




 
アインズ:Normal。一部能力を封じられているが、滅多なことで死ぬことは無い。
ナーベラル:Hard。一対一なら装備の差でなんとかなるが、複数や相性の悪い相手だと死ぬ。
ハムスケ:Hamusuke Must Die。
 

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