オーバーロード 陰森の赤頭巾《完結》   作:日々あとむ
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■前回のあらすじ

ダンジョン攻略難易度:ユグドラシル。
 


2章 クリック?(クラック!)

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 薄い霧の覆う黒い森を、白銀の大きな魔獣がとぼとぼと四足で歩いていた。アインズやナーベラルといつの間にかはぐれてしまっていた「森の賢王」――ハムスケである。

「うう……殿ぉー、ナーベラル殿ぉ。どこにいるでござるかぁ……」

 ハムスケは耳と鼻の両方をひくひくと動かし、周囲を確認しながら黒い森を歩いていく。この黒い森は不思議なもので、ハムスケの持つ生来の獣の感覚に、何一つとして引っかからない。分かるのは気味の悪い姿の生き物が、ハムスケなど気にも留めずに思い思いに過ごしていることだけだ。

 鱗の無い、ぬめぬめとした蜥蜴。人膚色のぶよぶよとした昆虫。光の無い、眼球模様の蝶々。陽の光がほとんど届かない、暗い森。まるでナザリックを歩いているような恐ろしさに、ハムスケは身体を震わせる。

 これがナザリックならば、まだハムスケは怖くなんて無い。何せ、ハムスケは仲間として迎え入れられ、アインズの騎乗魔獣として可愛がられているのだ。ナザリックのシモベたちも、一応はハムスケを仲間として迎え入れているのでハムスケに襲いかかっては来ない。……アルベドがハムスケを見る目がちょっと怖いが。

 だが、この黒い森は違う。ここはアインズたちの手が入った、ナザリックの管理下では無い。かつて育ったトブの大森林だって、こんな気味の悪い気配はしていなかった。ハムスケはこの黒い森に侵入した時点で、恐ろしさに毛が逆立っていた。おそらくこれは、アインズやナーベラルには感じられない、自然の中で生き抜いた獣だけが持つ特有の勘なのだろう。

 それでもアインズたちが一緒なら怖くなんて無かった。しかし、今はアインズたちは近くにいない。いつの間にかはぐれてしまっている。周囲を探しても、アインズの姿もナーベラルの姿も確認出来ない。皆無だ。

 だからハムスケは、震えながらこの黒い森を歩いていた。

「う、うぅ……」

 びくびくと怯えながら、ハムスケは黒い森を歩いていく。がさりと物音がする度に、びくりと飛び上る寸前の勢いで驚いて。ハムスケは毛を逆立てながら黒い森を歩いていく。

 アインズの姿とナーベラルの姿を探すが、未だに影一つ見えない。耳も鼻も必死に周囲の状況を探り続けているが、ハムスケには何一つ見つけられない。

 けれど、生存本能だけは最大限。ひたすら、この黒い森に入ってからうるさいくらいに警鐘を鳴らしている。このままでは、ストレスで毛並みは乱れに乱れ、ハゲが出来てしまうかもしれない。

「殿ぉ……。ナーベラル殿ぉ……」

 ハムスケはびくびくと、囁くような声で二人の名前を必死に呼ぶ。しかし、返ってくる音は静寂で、気味の悪い生き物はハムスケの周囲をうろつき続ける。

「…………」

 ハムスケは震えながら、気味の悪い生き物を横目に黒い森を歩き続けた。さくさく。地面を踏む度に苔と草が音を鳴らす。生物の気配はほとんど感じられない。

 そうしてハムスケが震えながら歩いていると、ハムスケの耳に明確に、地を震わせる地響きが鳴り届いた。

「!」

 ハムスケはぴょこん、と耳を思わず立てて周囲を窺う。木々の倒れる音と、何か巨大なものが地面を踏み締める音。そして、ずるずると何かを引き摺る音。ハムスケはその音源を懸命に探りながら、周囲を見回す。そして――

「――――なんと」

 ハムスケは絶句した。皮膚色の、鱗の無い奇妙な姿の巨大な大蜥蜴が、薄い霧を裂きながらこの黒い森を進んでいる。

「な、な、なな……」

 ハムスケは呆然と、その気味の悪い、翼の生えた大蜥蜴を見つめる。大蜥蜴は歩を進め――そして、頭部に二つ張り付いた昆虫のような二つの複眼が、ハムスケを捉えた。

「――――」

 目が合って、ハムスケは毛を逆立てる。先程まで最大音量で鳴っていたはずの警鐘が、今はうんともすんとも言わない。ハムスケは初めて知った。生命の危機――生きる余地の無い怪物に遭遇した時、生物というものは思考を停止させるものなのだと。

「……きひひ」

 気味の悪い大蜥蜴が、ハムスケを見て嗤う。だがおかしい。頭部であるはずの部分は、何もしていなかった。二つの複眼はハムスケを捉え、笑みが聞こえたはずなのに。頭部は何の反応もしていない。ただ、ハムスケを見つめるのみである。

 ――そもそも、引き攣ったような笑い声は、あの気味の悪い大蜥蜴の胴体から聞こえたような。

「――ひひ」

 その理由を、ハムスケは悟る。気味の悪い大蜥蜴は笑みをこぼしながらぐばりと上半身を起こして、腹部を見せた。腹部には喉元から股間まで縦に裂けていて、その裂け目からは歯が生えている。その、胴体の口のような部分は更に大きく裂けて、舌の奥にあるそれと、ハムスケは目が合った。

 

 ――胴体の口の中から、ぎょろぎょろと細長い爬虫類染みた瞳孔の眼球が、幾つもハムスケを見つめていたのだ。

 

「ぎょえええええええええええ!!」

 ハムスケは悲鳴を上げて、その気味の悪い大蜥蜴から逃走した。脱兎の如く、という表現さえ生温い、本気の逃走であった。ハムスケのそんな後ろ姿を、奇怪な嗤い声を上げながら気味の悪い大蜥蜴が見つめていた。

 走る。ハムスケはひたすら、必死に走った。しかし哀しいかな。ハムスケは精々三〇レベル強……だがアレは優に七〇レベルを超えている。更に言えば、悲しいくらいに歩幅が違う。ハムスケが必死になって走る十メートルを、アレはほんの数歩で詰めてしまう。

 レベルもサイズ差も、圧倒的に劣っているハムスケが逃げられる相手では無い。ハムスケだってそんなことは言われなくても本能で気づいていたが、しかし逃げないという選択肢は無いのだ。だから走った。

 だが、それも長くは続かない。気味の悪い大蜥蜴は小さな鼠を嘲笑いながら、猫が鼠をいたぶるようにハムスケとの距離を詰めていく。ハムスケにもそれは分かった。

 けれど、必死に走る。走って。走って。もうどこを走っているのかも分からないくらい、走って。そして――大きな広場のような場所へ出たその時。ハムスケは目の前に立っている奇妙な生き物に気がついた。

 血の様に真っ赤な色の、フード付きマントを羽織った女戦士。ハムスケは女を目にした途端、ぞわぞわと背筋を駆け巡る何かを察した。それはナザリックにいる、世界を滅ぼせるほどの怪物たちと同じ強者の気配で――。そんなハムスケを気にせずに、女は腰から交差している二挺の短剣を両手に構えると、ハムスケに告げた。

「巨大な可愛いハムスターちゃん。死にたくないなら遠い木陰に隠れなさい」

 凛とした美しい女の声に導かれ、ハムスケは女戦士の横を通り過ぎて広場の外の木陰に向かう。入れ替わるように、女はハムスケの横を通り過ぎると――あの気味の悪い大蜥蜴へと突進した。

 そこからは――そこからは、もう。

 ハムスケには分からない領域の話だ。女の速度はハムスケの理解を越えていたし、気味の悪い大蜥蜴の戦い方もまたハムスケの理解を越えていた。

 分かったことは一つだけで、結果もまた一つだけだ。ハムスケが呆然と見つめるその先で、女は気味の悪い大蜥蜴を退治した。

 

 

「――と、いうわけなのでござるよ」

 アインズはハムスケの説明を聞き、女――パトリツィアを見る。パトリツィアはアインズたちと少し離れた場所で、木の幹にもたれかかり腕を組んで二人と一匹を見つめていた。

 ……あの気味の悪い(ドラゴン)が死んだ後、アインズたちは死体から少し離れた場所でそれぞれの状況を説明し合った。最初にアインズはパトリツィアにこの黒い森を訪れた理由を説明し、ハムスケに何があったのかを訊ね、そして今ハムスケが説明を終えたところだ。ナーベラルは警戒するようにパトリツィアを睨んでいる。

「……それで、パトリツィアさん。私たちの現状説明は以上です。貴方のことを訊いても?」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは口を開いた。

「私は随分と昔からこの迷宮を彷徨ってるってだけ。何とかこの迷宮をクリアしたいんだけど、どうにも難しくて……貴方が来てくれて助かったりしてるんだけど」

 パトリツィアの言葉には、言い辛そうにしている部分が有る。どう説明すればいいのか、という困惑がありありと見て取れて――アインズは、ハムスケとナーベラルを見ると口を開いた。

「……ふぅ。腹を割って話しましょうか。ナーベラル、ハムスケ。そこで待っていろ。私は彼女と情報交換をしてくる。お前たちは周囲を警戒しているんだ。我々の話し合いを聞くことは許さん」

「それは……! しかし危険です!」

 勿論、ナーベラルはアインズの安全を考えて、信用出来ないパトリツィアと二人きりにすることに難色を示した。だがこれは決定事項だ。今のこの状況では、パトリツィアに全て話してもらわなければならないが、パトリツィアはプレイヤーだ。プレイヤーである以上、現地の生物であるハムスケと、NPCでしか無いナーベラルに細部を話すのは躊躇われるだろう。アインズだって、話したいことも話せない。

 勿論、危険はある。“アカ・マナフ”なんてギルドに所属しているプレイヤーだ。信用出来るギルドでは無い。しかし、それは相手も同じことだろう。パトリツィアだって、あの悪名高い“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドは信用出来まい。

 だが、同じプレイヤーという現状は、その所属ギルドを無視してでも情報交換したい相手なのだ。ましてやパトリツィアは、この黒い森の詳細を知っている様子が見て取れる。この黒い森から出るためには、パトリツィアの協力は必要不可欠だ。

 しかし、どちらも悪名の多いギルドに所属していたことが幸いだ。どちらかが善性ギルドだと、確実に面倒なことになっていただろう。相手への対応という意味で。互いに悪名の有るギルドだからこそ、そこには突っ込んでこない。

「ナーベラル、これは命令だ」

「……はい」

 納得はしていないだろうが、しかしアインズは無理矢理ナーベラルを命令で黙らせる。あまり命令で強制するのは好きではないのだが、今は状況が状況。説得するのは面倒だ。

「申し訳ありません……それでは、少し離れた場所で詳しい説明をしても?」

「ええ、分かったわ」

 アインズはパトリツィアと共に、ナーベラルとハムスケから離れる。姿が互いに確認出来る位置で、更に盗み聞きも出来ないように使い捨てのアイテムも使用する。パトリツィアはそのアイテムを不思議そうに見ていた。王国で買ったアイテムなので、もしかすると一人で行動しているパトリツィアは必要が無いので見たことが無かったのかもしれない。

「……さて、改めて自己紹介しましょうか。初めまして、パトリツィアさん。先程も言った通り、私は“アインズ・ウール・ゴウン”のギルド長モモンガです。この異世界に来て一年も経ってない、新参プレイヤーってやつになります」

 アインズがそう告げて頭を軽く下げると、パトリツィアも同じように頭を下げて改めて自己紹介した。

「ご丁寧にどうも。私は“アカ・マナフ”のパトリツィア。この異世界に来てどれくらいかは、正直ちょっと分からないわ。たぶん、五年以上は経過していると思うんだけど」

 パトリツィアの言葉に、アインズは首を傾げる。彼女の言葉は、妙だ。

「それ、どういう意味ですか?」

「うーん。実はね、私この異世界で五年くらい経ったっていうのは知ってるけれど、それってこの迷宮にいる前の話だから。この迷宮の中でどれくらい経過しているのかって話だと、ちょっと分からないの。たぶん、浦島太郎状態みたいなものだから」

「うらしまたろう?」

「知らない? 浦島太郎。……漁師の浦島太郎が子どもたちに苛められていた亀を助けたら、海の中にある竜宮城に招待されて、竜宮城から帰ったら数百年なんてびっくりするくらい時間が経過していたって童話なんだけど」

「……すみません。私、童話に詳しくないので……」

「そっか……。まあ、私も単に童話が好きだから知ってるだけだもの」

 童話などの絵本を買うような金の有る家は、限られてくる。おそらく彼女は、アインズ……平凡な鈴木悟とは違ってそれなりに裕福な家の家庭なのだろう。さすがに、たっち・みーほどでは無いだろうが。それとも、本人が大人になった後で趣味で集めただけだろうか。タブラ・スマラグディナのクトゥルフ神話のように。

 もっとも今はそれは関係が無い。

「しかしこの森、時間経過が分からないんですか? いえ、まあ……仲間と合流した際の時間の感じ方の違いで、もしやと思いましたが」

「うん。この迷宮は時間軸なんて有って無いようなものよ。天気も変わらないし。外がどうなっているかはもっと分からないわ。外、今どうなってるの? 貴方、えっとモモンガさん――」

「あ、言い忘れました。私、今ギルド名を名乗っているのでモモンガではなく、アインズと呼んでもらえますか?」

 アインズはモモンガの名に、そう訂正を入れておく。パトリツィアは不思議そうな顔をした。

「ギルド名? まあ、いいけど。じゃあアインズさん――貴方、外から来たのよね? 外って今どうなってるの? ハムスケくんは異世界の言葉を喋ってるのに、貴方たち日本語じゃない。なのに、普通に言葉通じてるわよね?」

「…………それなんですが」

 そのパトリツィアの疑問こそ、アインズの疑問の一つだった。

「私からしてみれば、パトリツィアさんの言い分の方が不思議ですよ。外、翻訳でもされているのか言葉が勝手に翻訳されて通じるじゃないですか」

「……えぇ?」

 アインズがそう告げれば、パトリツィアは珍妙な表情でアインズを見つめた。

「私が知ってる異世界は、全然言葉なんて通じなかったけど。身振り手振りで一生懸命説明して、頑張ってこの世界の人と交流したのよ? 一体いつの間にそんな便利なことになってたの!?」

 本当に、パトリツィアは驚いているようだった。だとすると。

「……もしかして、誰かが異世界言語を翻訳した?」

 アインズの言葉に、パトリツィアも首を少し傾げて考え込む仕草をする。

「……可能性はあるわね。私の時は、ユグドラシルの魔法も特殊技術(スキル)も使えたけれど、あくまでユグドラシル出身の私だけだもの。でも言語は違ったし……アイテムの効果も魔法とかと同じように何故か発揮したから、誰かが“五行相克”とか“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”を使ったんだと考えると……」

「世界改変系の世界級(ワールド)アイテムですか。……うーん、それなら確かに」

 世界級(ワールド)アイテムは世界一つと同等の存在であり、バランスブレイカーとも言うべき異常過ぎる能力を発揮する。ユグドラシルの運営が「気が狂っている」「ゲーム制作会社としてクソ」などと言われる所以だ。

 “五行相克”は魔法システムの一部などを変更要求出来る効果があり、“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”は更に広い範囲でシステム変更が可能な、世界級(ワールド)アイテムの中でも「二十」と呼ばれる凶悪なアイテムだ。効果を考えると、ユグドラシルの魔法システムを普及させることも、異世界言語を全て翻訳してしまうことも可能だろう。

 しかし、そうなると更なる疑問が出てしまう。「鶏と卵」の理論だ。因果性のジレンマ。どちらが先に生まれたのか、という哲学的な疑問。

 アイテムで異世界のシステムを変更した。なら、そのアイテムは変更される前にどうやって効果を発揮したのか。システム変更の前と後。原因と結果の因果律。

「……これは、悩んでも仕方無いですね」

「そうかも。とりあえず、私がこの迷宮の外にいた時は、皆別々の言語体系だったから、必死に覚えたのだけれど……」

 パトリツィアは心底、がっかりした様子だ。気持ちは分かる。アインズだって、必死に覚えて日常会話がこなせるほど熟達した英語や中国語などを、アイテム一つで「自動翻訳されたのでもういいです」となったら心底理不尽な思いに駆られるだろう。もっと早く出来なかったのか、と。

「しかしパトリツィアさんの話が事実なら、貴方は随分昔のプレイヤーになりますね。確か、六〇〇年前にはもうプレイヤーがいたはずですし。六大神って知ってます?」

「え。全然知らない……。神様呼ばわりされるくらいなら、凄く有名なんでしょうけど……私、長生きの異形種を知ってるけど、そいつからそんなプレイヤーの話聞いたことないわ」

「……えぇ……」

 互いに、顔色を悪くする。アインズに顔色なんてものは無いが、パトリツィアは少し青ざめていた。当然だろう。パトリツィアの知り合いだという長生きの異形種が知らない、ということは、つまりパトリツィアは六〇〇年以上も前からこの異世界に転移して、そして六〇〇年間この黒い森を彷徨っていることになる。

(なるほど……浦島太郎、か)

 言い得て妙だ。まさしくこれは、彼女の言う通り浦島太郎現象。自覚の無い内に、何百年も外の世界は経過してしまうのだ。そのギャップには、早々意識がついて来ない。

 だが、アインズは同時に安心もした。アインズは彼女に対して、ある警戒心を持っていたが、全くの別件だと分かったからだ。

 ――それは、シャルティアの洗脳。彼女の言葉が事実なら、パトリツィアはこの黒い森から脱出出来ていない。それも六〇〇年以上前から。パトリツィアは、シャルティアとはひたすら無関係のプレイヤーだろう。この黒い森から脱出した後、どうやって情報を吐かせて、場合によっては実験に使うか殺すか考えていたが、友好的な関係を築けそうだ。

(っていうか、“アインズ・ウール・ゴウン”の名前を聞いてもあんまり反応しないわけだ。こんなところで自覚無しに数百年も過ごしてたら、そりゃあユグドラシルの情報なんてほとんど忘れちゃうよなぁ)

 アインズなんて、日々アルベドやデミウルゴス、コキュートスの上げる報告でさえ少しお手上げ気味だ。というか、完全にお手上げだ。もはや書類を読んでいるふりをして、判子を押す機械になっていると言っていい。自分の記憶力なんて信じられないアインズは、パトリツィアがアインズに無反応な理由が良く分かった。アインズだって、きっと他人のギルド名なんて覚えていられない。

(……これは、帰ったら必死に頭の中から記憶を探って、メモ帳に書き写す必要があるな)

 パトリツィアは人間種なので、外の世界に出たら順当に年を取って寿命の関係で一〇〇年ほど生きて死ぬのだろうが、アインズは異形種だ。誰かに殺されて蘇生不可のレベルに低下して死ぬまで、この異世界に付き合っていくのだろう。時折気配が見え隠れするプレイヤーを警戒しながら。

 それを考えるなら、細かくユグドラシルのことを記憶している内に、知識を保管しておく必要が有る。勿論、NPCには教えられない秘密も有るので、例の手帳と同じように厳重に保管しておくべきだ。

「……はあ。なんか、すっごく疲れちゃった」

「お気持ちは察します。……話を続けても?」

 自分の現状を多少理解したパトリツィアに苦笑しながら、アインズは口を開く。パトリツィアが頷くのを見て、アインズは幾つもの疑問を解消することにした。

「とりあえず、現状として外では言語は全て通じます。それこそ、ハムスケみたいなのから小鬼(ゴブリン)たちや人間まで。それで、私のことですがプレイヤーは一人なんですが、ギルド拠点ごと転移してしまったんですよね。さっきのナーベラルはそのギルド拠点のNPCです。ギルドメンバーに対して忠誠心が高いのはいいんですけど、私のギルドはカルマ値がマイナス寄りのギルドでして。彼女たちも周囲に対して邪悪というか、なんというか……。ちょっと不快なことを言うかも知れないんですけど、発言を流してくれると助かります。こちらも注意するんで」

「そうなの? それくらい、別にいいけれど」

「ありがとうございます。……最初の話に戻りますけど、ちょっと冒険者としての依頼でこの森の調査に来たって話はしましたよね? この森、一体何なんですか? パトリツィアさんが知っていることを教えて欲しいんですけど。……ズビニェクがどうとか、最初言ってましたよね?」

 アインズの言葉に、パトリツィアは頷いた。「どこから話せばいいかしら……」と呟き悩んで、首を少し傾げた後に、頭の中で整理し終えたのかパトリツィアはアインズに説明する。

「まず、この迷宮ってズビニェクってやつが作ったダンジョンなのよ。さっき言った、長生きの異形種ね。この森の部分は、ダンジョンで言うところの第一階層……狭間の森インってところよ。モンスターの平均レベルは、色々な条件で変わるから適正攻略レベルはちょっと難しいわ」

「ズビニェク? 先程の知り合いの異形種ですか」

「そう。そいつがこのダンジョンの創造主。色々と手の込んだことが好きなやつでね……さっきも言った通り、この迷宮はアイツが作ったの。ルールも基本的に全部アイツが設定していて、最下層にいるアイツに会うことが出来たら、この迷宮から脱出出来るわ」

 ズビニェクの作り出した迷宮。『還らずの森』シュヴァンツァラは、正確には狭間の森インと呼ばれる場所で、第一階層。まだ下層領域が存在する。

(まるで、ナザリックだな)

 ナザリックも形は地下大墳墓だが、墳墓なのは三階層までだ。四階層からはガラリと雰囲気が変わる。おそらくは、この黒い森もそうなのだろう。

「モンスターの平均レベルが変わるとは?」

「この迷宮で生まれた生き物以外のレベル総数の平均よ。つまり、私や君たちね。私たちのレベルが高ければ高いほど、モンスターの平均レベル帯が上がるの。一〇〇レベルが三人なら、モンスターは全て一〇〇レベル帯。でも五〇レベルの人とかがいると……」

「なるほど……モンスターのレベル帯が下がる、と」

(ってことは、ナーベラルとハムスケが平均レベルを下げてくれているのか。一〇〇レベルを連れてくるよりは、一レベルを連れてきていた方が攻略し易いな)

 今となっては無駄な話だが、一〇〇レベルが二人よりは、一〇〇レベルが一人と、一レベルが一人の方が攻略難易度が格段に下がる。一〇〇レベルのモンスターを二人で戦って進むより、五〇レベルのモンスターを一レベルの仲間を守りながら戦って進む方が楽だからだ。

(まさかこんな奇妙なダンジョンを製作出来る生き物がいるとは……やっぱり、この異世界は侮れない)

 こういった未知の場所に来る存在と言えば、冒険者だ。普通ならば同レベル帯でパーティーを組んだ彼らは、順調にこのダンジョンを攻略していくのだろう。

 だが、ここでパトリツィアという存在が元からダンジョン内にいるのが、絶望的な状況になる。彼女はプレイヤーなので、おそらくはアインズと同じく一〇〇レベルだろう。つまり、十五レベルの冒険者パーティー五人が足を踏み入れれば、パトリツィアのせいでモンスターの平均レベル帯は三〇レベルほどになる。勝てるはずが無い。パトリツィアと合流する前に、死亡する確率の方が高いだろう。

 今回は、アインズは問題無いレベルで、そしてナーベラルは装備のおかげで何とか生存可能だった。ハムスケは運良く早い段階でパトリツィアと遭遇して守ってもらえた。モンスターの平均レベルは跳ね上がったが、何とかなる程度で収まっている。一〇〇レベルの前衛と、一〇〇レベルの後衛、六〇レベルの後衛がいれば七〇レベル帯のモンスターには比較的楽に対応可能だ。ハムスケを守りながら進むのも大丈夫だろう。

「ちょっと前衛に偏ってるけれど、ある程度はどうにかなると思うわ。後衛がいないわけじゃないもの」

「……あ」

 パトリツィアの言葉に、思い出す。そう言えば、まだアインズはモモンの姿のままだ。

「すみません。言い忘れました。私、本業は魔法詠唱者(マジックキャスター)です」

 アインズはそう告げ、本来の姿を晒す。パトリツィアはアインズの姿を見て、少し眉を上げた。

死の支配者(オーバーロード)だったの? ふぅん」

 パトリツィアの反応は薄いもので、この異世界では信じられない塩対応だ。だからこそ、彼女がプレイヤーであることを教えてくれる。この異世界ではアンデッドはあらゆる種族に忌避されるので、彼女のような対応は有り得ない。それが、パトリツィアがプレイヤーである証拠だった。

「とりあえず、互いの戦闘能力をある程度教え合いましょうか。仮にもパーティーを組むんですし」

「そうね。私は見ての通り、前衛戦士で軽戦士(フェンサー)系。それから……」

 互いに習得職業(クラス)を教えていく。アインズの場合は、更にナーベラルの情報もある程度渡していた。勿論、パーティーを組む上で重要だからだ。さすがに、互いの職業(クラス)構成を全く知らない状態でパーティーは組めない。高難易度ダンジョンならば尚更だ。

 だが、それでも当然隠しているものは有る。アインズの場合は“エクリプス”などの特殊職業(クラス)がそれに該当する。このダンジョンを攻略している中では味方同士だが、脱出した後は敵同士になる確率も有るのだ。おいそれと切り札は教えられない。相手も同じだろう。

 互いに自分の情報を渡した後は、どういう風にこのダンジョンを攻略するかの話し合いだが、幸いこれは互いの役割がはっきりしているために、長くなることは無い。

 パトリツィアが物理で、ナーベラルが魔法の火力役(アタッカー)だ。アインズが特殊役(ワイルド)。ハムスケはレベルが低過ぎるので、パーティーの中ではおまけになるだろう。

 本来なら回復役(ヒーラー)防御役(タンク)が欲しいところだが、パトリツィアやナーベラルには向いていない。アインズが戦士化した方が、防御役(タンク)としては働けるだろう。召喚系魔法が使用出来れば良かったのだが、それも無理なので。とことん火力に偏ったパーティー編成になる。

 ……もっとも、ナーベラルではレベルが心許無く、パトリツィアに魔法は使えない。そして、いざという時のアインズも、ウルベルト・アレイン・オードルのような魔法攻撃力に偏った能力値では無いので、火力に偏ったパーティーとも言い難いが。

 だが、パトリツィアがいるのといないのでは、攻略難易度に大きな差が出る。前衛戦士というのは、それだけパーティーの中では重要だ。アインズのような、なんちゃって戦士では無い存在は有難い。

「――それで、最下層にいるズビニェクというのは、どういう相手なんです?」

 攻略法を知りたくて、アインズは訊ねる。それに対するパトリツィアの言葉は、要領を得ないものだった。

「――ああ。それなら大丈夫よ。今のアイツに戦闘能力は無いわ。遭遇出来たら、それで終わり。この迷宮もカタチを失うと思うから」

「はあ?」

「説明出来ないけど、そういうところなの。今のズビニェクには、とても戦う力は無いわ。だから、アイツと戦ってどうこうって可能性は考えなくていいと思う」

「――分かるような、分からないような」

 一応、そう言われる理由は察することが出来る。このダンジョンの凶悪さだ。ユグドラシルは勿論、この異世界の生まれながらの才能(タレント)などを考えても、さすがに破格の性能だろうこのダンジョン製作能力は。特に、くっついているルールがまずい。

 こんなものを維持していては、戦闘するほどの気力があるとは思えない。もし仮にそれでもなお戦闘能力を有するとすれば――

(その場合は――相手が世界級(ワールド)エネミー級であることを視野に入れないといけない、か)

 世界級(ワールド)エネミー。ユグドラシルにおける、ラスボスの一種だ。確認されている総数は三十二体。ユグドラシルの公式本編におけるストーリーのラスボス、(ドラゴン)であり世界を滅ぼす「九曜の世界喰い」。「八竜」や「七大罪の魔王」など。大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』で追加された「五色如来」などもいる。

(いや、むしろ可能性は高いか?)

 あの怪物たちの中には、アンデッドなどの完全な精神攻撃耐性さえ貫通して、状態異常を引き起こすモンスターもいる。アインズの持つ『ワールド』のバフを貫通しているのだ。むしろ、あの怪物たちレベルを想定するべきでは無いだろうか。

(でも、その場合――このプレイヤーは何なのかって話なんだよな)

 しかしそうなると、パトリツィアは何なのだろうか。彼女は間違いなく、NPCではなくプレイヤーだ。“アカ・マナフ”のギルド名を出す時点で、プレイヤー以外の何者でも無いだろう。NPCにはそういった知識は無いからだ。

 ズビニェクというこの異世界の存在も、パトリツィアをここまでプレイヤーらしく作れるとは思えない。ズビニェクがプレイヤーを詳しく知っていると言っても、限度が有る。

(とりあえず、先に進んでいくしかないか)

 要は外に出られる算段がつけばいい。その時点で、速攻でこのダンジョンから脱出だ。パトリツィアが本当のことを言っているとは限らないので、信じられるのは自分で見聞きしたことのみ。

 なるべく友好的な関係を築いておきたいが、“アカ・マナフ”には苦い思い出が多いので、つい身構えてしまう。というより、ユグドラシルプレイヤーで“アカ・マナフ”の被害に遭っていないプレイヤーは少ないのでは無いだろうか。あのギルドの趣味は、本当に厄介なのだ。DMMO-RPGにおいては、必ず一定数以上存在する趣味の連中とはいえ。

「――それじゃあ、ある程度方針も決まったし、合流しましょうか」

「そうですね。これから口調が荒くなると思いますが、その……広い心で流していただけると助かります」

「ああ、さっき言ってたカルマ値関係? NPCが外に出られるのも驚きだけど、設定したカルマ値のせいで演技しないと駄目だなんて、大変ね」

 パトリツィアは一人でこの異世界に来たので、アインズの気持ちは分からない。しかし、NPCの尻に敷かれている姿には同情してくれるようだ。

「まあ、私も最初から敬語じゃないし。いいんじゃないの?」

「――ああ、助かります。いや、助かる……ほんと」

 ナーベラルはパトリツィアが敬語じゃないことに苛立つだろうが、これも試練だと思って我慢してもらうしかない。というか、頼むから我慢して欲しい。この辺りの演技がナーベラルを初めとして、ナザリックでは全然出来ない存在が多いのが、アインズの悩みの種だった。

 

 

        2

 

 

 ――壊れた瓦礫の山。天井の無い家。横穴の空いた建物。空は灰色で、天から白い粉が降って来る。白い粉は雪では無い。これは……灰だ。白い灰が、雪のように深々と空から降っているのだ。

 黒い森――いや、狭間の森を抜けたその先に、この朽ちた廃都は存在した。

 名を、灰の都プリンキピオー。

 パトリツィアはアインズたちに、そう説明した。

 

 

 狭間の森を無事に全員で抜けたアインズたちは、またエリア移動のような違和感の先で、灰の都へと辿り着いた。

 その姿は完全に、狭間の森とはかけ離れている。背後を振り向けば、鬱蒼とした薄い霧のかかった森が見えた。だが、不思議なのはそうした事象では無い。

「……これは、完全にエリア移動だな」

 アインズは呟く。このような開けた場所が存在するとは、外では聞いたことが無かったはずだ。つまり、外から見る景色と中から見る景色の完全な相違。フィールド移動からの、ダンジョン侵入。これは完全に、ゲームの世界のような違いだった。

「プリンキピオーには、エリアボスがいるはずよ。あんまり単独行動はしない方が無難だと思うわ」

「エリアボス?」

 エリアボスというのは、ナザリックにおける階層守護者のような存在だ。その階層を任されたボスエネミーで、そのボスを討伐しなくてはダンジョンの先へは進めない。ナザリックと違うのは、シャルティアたちNPCは別に討伐する必要が無いことだろう。シャルティアも、コキュートスも、別にわざわざ殺さなくても無視して下層へ進めるのだから。

 だが、エリアボスは違う。ボスエネミーは討伐しないかぎり、先へは進めない仕様になっているのが当たり前だ。つまり、それを討伐しないかぎりアインズたちはここで足止めを食うことになる。

「どんなエリアボスなんだ、パトリツィア」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは少し考えてから「たぶん」と注釈して説明する。

「プリンキピオーが灰の都ってことは、いるのは苗床だと思うわ」

 「苗床のナジェジュダ」。そのエリアボスを、パトリツィアはそう呼んでいるらしい。

 外見は地面から上半身のみを生やした姿で、けれどその上半身が五〇メートルほどの大きさも有る植物系異形種。ユグドラシルに似たモンスターならば、蔦で全身を構築したようなモンスター……ヴァイン・デスに近いとのことだ。

 ヴァイン・デスの姿ならば、アインズも知っている。確か、ぷにっと萌えが同じ種族だったはずだ。

(それが上半身のみ。しかも五〇メートルもあるのか……なんか、凄いわ)

 ただ、似ているというだけでユグドラシルのモンスターでは無いらしい。創造主のズビニェクはそもそもユグドラシルとは関係が無い、この異世界の生命種なので、然もありなんというやつだ。実際、狭間の森で遭遇したモンスターたちは全て、ユグドラシルとは全く違う姿形のモンスターばかりだった。

「あの気色の悪い(ドラゴン)と同じような、変わったボスか?」

「腐食リザードのこと? あれは、単なる通常エネミー。インにはエリアボスはいないの。探せば他にもいたと思うけど、探しに行ってみる?」

「いや、遠慮しておこう」

 あんな気味の悪いモンスターには、二度と遭遇したくない。ハムスケもぶんぶんと頷いていた。余程恐ろしかったらしい。

「どこにいるか分かるか?」

「プリンキピオーの最奥よ。レイドボスみたいなものだけど、私たちのレベルなら苦戦しないと思うわ。精々八〇レベルだし」

「八〇? 強さは私たちの平均レベル帯になるんじゃないのか?」

「エリアボスはプラス十レベルされるの。なにせ、ボスエネミーだもの。通常エネミーより強くなるのは当然でしょう?」

「……それもそうだな」

 確かに、ボスエネミーは通常エネミーよりもレベルが若干高く設定されているものだ。更に、レイドボス……パーティー戦前提の強さということは、HPも多いだろう。

(ザイトルクワエみたいなものか)

 かつてトブの大森林で遭遇した封印の魔樹を思い出す。アルベドを含んだ階層守護者たちのパーティー戦を確認したくて彼らに戦わせてみたが、最初は酷いものだったと思い出す。

(アウラにシャルティア、コキュートスが意味を理解していなくて、先走ったんだよなぁ。まあ、一番意識改革が必要なコキュートスは、その後蜥蜴人(リザードマン)たちの()()で何とかなったけど)

 当時のことを思い出し、内心で少し笑う。アインズから見れば酷いものだったが、子どもたちの拙いけれど一生懸命な連携を見ていると、心が和むものだ。

「なら、パトリツィア一人でどうにかなるか。出来ればMPは温存しておきたい」

「ええ、大丈夫。バフだけかけてくれたら特殊技術(スキル)もそんなに使わないから、ナーベラルとハムスケくんを守ってあげて」

 特殊技術(スキル)はCT……使用した後の冷却時間(クールタイム)が必要なものと、一定時間内で使用回数が決まっているものの二種類のタイプがある。対して魔法はMPさえ続けば幾らでも使用可能だ。

 ただし、MPは回復手段が完全に限られている。特にアインズは回復手段が経過時間しか無く、しかもアンデッドであるためにHPの回復手段もパトリツィアたちと同じでは無い。彼女たちのように通常の回復手段ではHPも回復しないのだ。

 なのでアインズはHPとMP、どちらの消費も色々と考えながら進まなくてはならない。通常エネミーも七〇レベル帯のために、アインズの〈上位物理無効化Ⅲ〉や〈上位魔法無効化Ⅲ〉を貫通する。あの二つは六〇レベルまでのデータしか無効化出来ないのだ。ダメージ軽減は全く別の特殊技術(スキル)になる。

 そのため、通常エネミーも油断出来ない。エリアボスがいる以上、HPもMPの消費も最低限に留めておきたいところだ。

 それになるべく、パトリツィアの戦闘方法も見ておきたい。

 今後この迷宮から脱出した後、パトリツィアとどういう関係になるか分からないが、いざという時の自らの勝率はなるべく上げておきたい。特殊技術(スキル)などをより多く確認出来れば最高だ。

 ただ。

(随分、気安く見せてくれるな……)

 分からないのは、パトリツィアは割と気安くアインズに自分の戦法を見せてくれることだ。勿論、七〇レベルの通常エネミーが相手なので本気では無いだろうが、アインズと戦闘になる可能性があるはずなのに、彼女は率先して先頭に立ち戦ってくれる。アインズとしては助かるが、そこに何か妙な思惑がある可能性は否めない。

(何を企んでるのか、しっかり見極めないと)

 アインズの命は自分だけの命では無い。アインズは、ナーベラルやハムスケなど、ナザリック全てを今背負っているのだ。アインズの失敗は、そのままナザリックの失敗に繋がってしまう。油断は出来ない。

「そのナジェジュダというのは、どういう御仁なのでござるか?」

 アインズが少し考えている内に、ハムスケが邪気無くパトリツィアに問う。考えごとをすると首を傾げる癖が有るのか、パトリツィアは少し首を傾げてから、ハムスケに説明した。

「確か苗床は、私たちで言うところの魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)よ。とは言っても、使う魔法はユグドラシルとは違う魔法形態だから、何か参考になるわけじゃ無いのだけれど」

 その言葉は、少し聞き捨てならない。

「違う魔法形態? ユグドラシルの魔法じゃないということか?」

「ええ。苗床が使う魔法は、強いて言うなら魔力系ってこと。どちらかと言うと、特殊技術(スキル)に近いかも。一定時間内に使用出来る回数が決まっているから。ただ、使ってくるのは魔法攻撃ばかりだから、分類は魔法だと思うんだけど」

 パトリツィア曰く、物理攻撃手段以外は魔力系位階魔法を行使されている感覚、らしい。

(位階魔法とは違う魔法か……。出来ればナザリックに連れ帰って実験に使用したいが)

 勿論、出来ない。転移魔法である〈転移門(ゲート)〉が使用出来れば話は違ったかも知れないが、現在ナザリックとの連絡手段は無いのだ。有ったらそもそも、こんな状況になっていない。生け捕りにして持ち歩くことも考えなくは無いが、五〇メートルもあるような巨体を持ち歩いていけるわけが無い。

(死体が残るようだったら、この件が解決した後で回収にいくか)

 心にそう決めて、アインズは再びパトリツィアに質問する。

「どんな魔法をどれくらい使用するか、それは知っているか?」

「それくらいは。雷や火属性の槍みたいな、大きな矢を投擲してくるの。他は離れた場所で音を立てて注意を惹きつける魔法とか。自分の周囲に炎の霧を発生させたりもするわ」

「雷に火属性? 植物系モンスターなのにか?」

「そう。普通の植物系モンスターじゃ無いのよね。普通は弱点属性だけど、苗床の弱点属性は神聖属性よ。神聖属性武器くらいは持ってるけれど、アインズには無理でしょう?」

「ああ、無理だな」

 アンデッドの弱点属性は、大抵は火属性と神聖属性だ。火属性は時々弱点では無いアンデッドがいるが、神聖属性だけは共通だ。アンデッドの種族的弱点である。設定上仕方ないのだが。

 そのため、アインズは神聖属性の武器や防具は基本持たない。触れたら自分の方がダメージを負うためだ。

「だから苗床は私が戦うわ。皆は飛んでくる魔法に注意してね」

「了解した」

 そうして廃墟の街を進んでいくと、ハムスケが反応する。

「物音がしたでござる」

「方角は?」

「右側四軒目の家でござるよ」

 現在、アインズたちはパトリツィアを先頭に、ナーベラル、ハムスケ、アインズと並んで薄く灰の積もった道を進んでいた。今アインズたちが進んでいる場所は、廃墟の家に囲まれた細い通り道だ。街の形をしたダンジョンはモンスターの奇襲し易い立地のため、注意しながら進むことになる。

 ハムスケの警告を聞いたパトリツィアは、足音を消すこともなく一人先へ進んだ。ナーベラルが緊張の面持ちでスタッフを握り、周囲に目を光らせる。

 パトリツィアが件の家の横を通った瞬間――朽ちた木製のドアを破って、皮膚を剥がされたような、筋肉繊維などが剥き出しの、襤褸の腰みのだけを装備したヒトガタが襲いかかってきた。

 その両腕は獣の爪のように指先が尖っており、歪な爪がパトリツィアを襲う。けれど、それがパトリツィアに届くより早く、パトリツィアは右手の短剣を顎から頭部へ向かって突き刺し、左手の短剣で胴を横薙ぎにした。

 痙攣するそれから右手の短剣を引き抜き、別れた下半身と上半身が地面で重なった。

 そして彼女はそのまま家の中に押し入り、ぐるりと家中を見回す。軽く確認した後に、家から出てアインズたちに視線を向けて頷いた。ナーベラルがまず進み、アインズたちはパトリツィアに追いつく。再び、三人と一匹で道を進んだ。

 この灰の都は先程の狭間の森とは違い、出て来るモンスターは今のようなアンデッドに似たモンスターばかりだ。実際にはアンデッドではなく、獣人――亜人種に分類されるらしい。この獣人たちも、アインズの知るモンスターとは毛色が異なっている。弱点属性は火属性。アンデッドに見えるがアンデッドではないため神聖属性は通用しないので、間違えてはならない。

(しかし……陰湿だな)

 パトリツィアの言葉が正しければ、この灰の都のエリアボス「苗床のナジェジュダ」の弱点属性は神聖属性。今までの道程で出現するモンスターの弱点属性は、あのストーンゴーレムを除けば火属性だ。そのまま攻略に向かって、どう見ても植物系で火属性が弱点に思えるのに弱点属性が違うなど、いやらしいの一言に尽きる。

(でも、なんでこの女は色々知ってるんだ?)

 本人の感覚はともかく、実際は数百年彷徨っているのだ。この迷宮に詳しいのは分かる。エリアボス「苗床のナジェジュダ」と戦ったことがあることも分かる。

 だが、「苗床のナジェジュダ」は何故未だ生きているのか。戦ったのなら、死んでいなければならない。そして彼女は、迷宮を探索しているのなら自分たちはもっと下層で彼女と遭遇しなくてはならない。

 しかし彼女は第一階層である狭間の森を探索しており、そして「苗床のナジェジュダ」は未だ存命している。意味が分からない。「苗床のナジェジュダ」を討伐出来なかった――と判断するには、彼女は迷宮内を知り過ぎている。あれはどう考えても、更に下層領域も知っている風だ。

「……パトリツィア」

「なに?」

 灰の都を進みながら、アインズは声をかける。パトリツィアは歩を進めながら、アインズに返事をした。それに疑問を投げかける。

「お前はここから更に下層領域も知っている風だが、ナジェジュダが生存している状況で、どうして下層が分かる? エリアボスを倒さないと先へは進めないんだろう?」

「ああ、そのこと?」

 アインズの疑問に、パトリツィアはさらりと答えた。

「この迷宮、外から侵入者がやって来るとスタート地点に戻されるのよ。ある特定の条件を踏むと、舞台設定が切り替わるの。最近はずっと私しかいなかったけれど、貴方たちが侵入してきたからスタート地点に戻ったのよね。――つまり、インに」

「侵入者の有無で進行状況を変更されるのか?」

「ええ。貴方が予想している通り、私は普段はもっと下層にいるわ。別にこの辺りに戻れないわけじゃないけれど、戻る意味も無いし。ただ、時間の流れがおかしいのはとっくに分かっていると思うけれど、侵入者もタイミング次第で合流が絶対に不可能になることもあるみたい」

 パトリツィアは以前起きた出来事を、首を少し傾げながら教えてくれた。

「確か、いつだったかは忘れたけれど、貴方たちみたいなのが現れて、少し協力してインの中でその人たちの他の仲間を探してあげたのよね。でも、いなかったから下層へ進んだわ。それで――まあ、彼らは死んだわけだけれど。それからまた私はインまで戻されて、その人たちの残った仲間に遭遇したの。仲間内でも侵入するタイミングがずれると、こうやって完全に分断されちゃうみたい」

「それは……我々は運が良かったとみるべきだな」

 そう。本当に運が良かった。アインズたちはもっとまずい分断の仕方はされず、全員が生きて合流出来たのだ。この昔話を聞くと、本当に、運が良かったと言う他ない。

 ただ、アウラのことは心配になる。アウラは――あるいは自分たちを探しに来たナザリックの者たちは大丈夫だろうか。

(いや、アウラたちが仮に来ていたとしても、今の話を聞くとアウラたちが実際に森の中に入れるのは俺たちが死んだ後だろうな。それまでは、時間軸が狂う。つまり、俺たちが先に攻略してしまえばアウラは無事に済むか?)

 こればかりはパトリツィアも分からないだろう。何せ、この迷宮を攻略した存在はいないのだ。いるならば、パトリツィアは既にこの迷宮から脱出し、二度と近寄ることも無いはずだ。アインズはこの迷宮から脱出しても、この迷宮の生態系や迷宮の主ズビニェクとやらが気になる。そのため再び訪れることもあるだろうが、パトリツィアには再びこの迷宮に足を踏み入れる理由は無い。迷宮の主を知っているようだが、自在に迷宮を出入り出来るのなら六大神たちを知らぬということは無いはずだ。あれは嘘をついている様子は無い。純粋に、ショックを受けているように見える。

(こういう時、俺の顔は便利だな)

 アインズはアンデッドであり、顔面は髑髏だ。そのため、顔の表情なんて早々分からないだろう。アルベドたちも、アインズの表情を読み取れることが少ないために、なけなしの感情が顔に出ていないはずだ。

 だが、パトリツィアは人間種。彼女の表情は、観察すれば余程演技に長けていないと読み取れる。あの時の表情は、しっかり青ざめていた。本当にショックを受けていたようにしか見えない。

「――まあ、だから苗床とかエリアボスも同時に一新されちゃうのよ。どれだけ先へ進んでも、ズビニェクに会わないかぎりはこの迷宮は終わらない」

 アインズが考え込んでいる内にも、パトリツィアは迷宮の説明をしていた。ナーベラルが口を開く。

「女、お前は今まで最下層まで到達は出来なかったの?」

 ナーベラルはアインズがしっかり言っておいたために、人間種だからと下等生物呼ばわりは止めている。ただ、名前まではやはり憶えられないようで性別で呼び捨てていた。下等生物と蔑むのはなんとか止めることは出来ても、名前までは憶えられない。ハムスケの名前はしっかりと憶えているが、他の人間に対してもそういう態度なので、もしかするとそういう設定でも有るのかもしれない。人間種の名前は、憶えてなんていられない――と。ナーベラルの詳細な設定が分からないので、アインズもナーベラルにどこまで注意してよいものか悩んでいた。

 もっとも、助かるがパトリツィアにナーベラルの態度を気にした様子は無い。あまりNPCを意識しないタイプのプレイヤーなのかもしれないが、それはそれで腹立つし複雑な心境になるアインズだった。

「私は最下層までは行けないわ。最後のエリアボス――ラスボスって言うべきかしら。私はそいつに勝てないから、先へは進めないの」

 それは、衝撃の一言だった。お互いの職業構成(クラスビルド)を教え合った際に、彼女のレベルはプレイヤーとして一般的な一〇〇レベル。その彼女が、八〇レベル帯のレイドボスに勝てないとは。ユグドラシルの八〇レベル帯のレイドボスをアインズは思い起こすが、いずれもアインズ一人でどうにかなる相手だ。余程展開をしくじらないかぎり、負けないだろう。

 だが。それを“アカ・マナフ”のパトリツィアは勝てないと言った。確かに、彼女は対ボス用の職業(クラス)で構成してはいない。それでも、レベル差と装備品の差でごり押しが出来るはずだ。

 それが出来ないということは――

「――相性差か?」

 一つは、完全な相性差。確かに、構築した職業(クラス)構成と装備品の差でレベル差を覆されることはある。それでも十レベルが限度だが、バフやデバフによって更に変動する場合も有るだろう。

 しかしパトリツィアはアインズの言葉を否定する。

「違うわ。相性の差じゃないの。なんて言えばいいのかしら――そもそも、勝負の土台に立てないって言うのが正解ね。私では、あのズビニェクの定めたルールは覆せない。だからどうしても、自力でこの迷宮は攻略出来ない」

 パトリツィアは本当に、困ったような声を出して。

「だから、こうして侵入者が来るのを待つしかないのよ。代わりに、道中の攻略は任せてちょうだい。エリアボスなんかは、基本的に私が相手をするわ。アインズ、貴方はラスボスだけを全力で叩き潰せばいい」

 この迷宮の主が定めた、最後の難関を。

 しかし――

「もっともそいつは――そいつだけは、一〇〇レベルのプレイヤー級だけどね」

 アインズにとってもっとも嫌な言葉を、パトリツィアは告げたのだった。

 

 

        

 

 

 鈍い音を鳴らしながら僅かに揺れる、錆びた風見鶏。音の響かない、色の剥げた鈍色の鐘。穴だらけで役目を果たさない屋根に、その穴から漏れてくる灰の雨。灰の積もった礼拝堂。

 灰の都の最深奥に、その教会は存在した。

「ここが、苗床のいるプリンキピオーの最深部よ。礼拝堂の奥の机に隠し階段があって、そこから螺旋階段を降りるとドアがあるの。そのドアの先に、苗床はいるわ」

「モンスターは?」

「この教会の礼拝堂と、螺旋階段にはいないわ。他の場所を探索するなら注意しないといけないけれど、用が無いならさっさと降りた方が無難ね」

 隠し階段。当然、いきなりは見つけられないために、まずは他を探索するだろう。そうしてエリアボスの前にリソースを削られるのだ。何から何まで、この灰の都の構成はいやらしい。

「分かった。すぐに降りよう。ナジェジュダと戦う前に、バフをかける時間はあるな?」

「大丈夫よ。なんだったら、礼拝堂でMPが全回復するまで休憩する?」

「いや。ナジェジュダと戦った後にする。八〇レベル帯レイドボスなら、私たちの消費は少なくて済むからな。そちらこそ、特殊技術(スキル)の使用回数は大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。その辺り、貴方と同じでちゃんと考えているから」

 互いに頷いて、教会に踏み込む。まず視界に広がるのは床に灰が積もった礼拝堂だが、他のドアは全て無視して一番奥の机に向かった。その机をハムスケの体当たりで退かし、パトリツィアが床を開ける。冷えて、湿った空気が見えた階段から漂い始めた。

「降りましょうか」

「まあ、待て。〈飛行(フライ)〉で降りよう」

 全体化させた〈飛行(フライ)〉を使い、螺旋階段を無視してするすると下っていく。これなら、先程の物音で他のモンスターが気づいても、アインズたちを追ってくる前に「苗床のナジェジュダ」のもとへ辿り着けるだろう。

 短い時間で最深部の床まで降りたアインズたちは、重厚な両扉の前に立った。この先に、「苗床のナジェジュダ」は存在する。

「では、バフをかける。少し待て」

 アインズはパトリツィアに、自分の使える能力値強化の魔法を幾つかかけていく。いつかのシャルティア戦ほどの量では無いが、それでも十分な量だろう。そして、自分たちにも防御系をかけておくのを忘れない。

「ハムスケ、分かっていると思うが前に出るなよ。私の後ろにいろ」

「はいでござるよ、殿!」

「ナーベラルも、自分の身を守ることを最大限に努力しろ」

「はい!」

 ナーベラルとハムスケが頷いたのを確認し、パトリツィアに頷く。パトリツィアは確認して、その両扉を鈍い音を立てながら開けた。

 

 

 ――そこは、天井が異様に高かった。床から天井までの距離は、八〇メートルは有るだろう。そして、横の広さは三〇〇メートルほど有る。

 だが室内は、酷く殺風景だった。天井を飾る光は無い。闇を照らすランタンは存在せず、室内には何も有りはしなかった。

 一目見て、モンスターなんてどこにもいない。その光景に思わずアインズたちは首を傾げて――

「――――来るわ」

 パトリツィアの言葉に、気を引き締めた。同時に響く、地響き。石板の床板が罅割れ、まるで巨木のような太さに見える、幾重にも絡まった蔦が大きく二つ、床を粉砕しながら地中から飛び出してきた。

「AaaAAAOoaKeeeee!」

 奇怪な雄叫びを上げて、蔦……二つの腕を床に張り付けて、更に巨大な蔦の塊が崩壊した床から盛り出て来る。薄い緑の、枯れかけた色をした蔦の巨大な塊は、両眼を真っ赤に輝かせながらアインズたちを見回した。

 これが、「苗床のナジェジュダ」。灰の都のエリアボス。

「P……ati、――LAAAAAAAAai!」

 ナジェジュダはぐるぐるとアインズたちを見回すと、真っ先に前へと飛び出したパトリツィアに狙いを定めて、自らの周囲に雷で編まれた槍を、幾つも浮かべる。それがパトリツィアへと凄まじい速度で向かった。

 ただし、パトリツィアはものともしない。平然と、最小限の動きで雷槍の矢を躱していく。〈ミサイルパリー〉と〈カウンターアロー〉の返し技などを使用しないのは、ナジェジュダには雷や炎は効果が薄いからだろう。

 そのまま凄まじい速度で駆けたパトリツィアを迎撃しようと、ナジェジュダは一〇〇メートル近い長さの蔦の腕を振るい、彼女を薙ぎ払おうとする。

 当然、パトリツィアは跳躍して躱し、蔦の腕に見事着地するとその蔦の腕を駆け抜けた。既に鞘から抜いた二挺の短剣の刃が、アインズのいる場所からも煌いて見える。

 〈不動明王撃(アチャラナータ)〉からの、〈倶利伽羅剣〉だ。幾つもバフをかけてあるために、その攻撃力は「凄まじい」の一言に尽きる。かつてコキュートスがザイトルクワエに使用したのを見たことがあるが、威力がまるで違う。通常攻撃力は異形種のコキュートスの方が上だろうが、コキュートスの職業(クラス)は、分類的には魔法剣士に当たる。そのため物理攻撃力は完全な戦士タイプにしては少ない方だ。バフがある分、パトリツィアの方が純粋な攻撃力が出るのだろう。ナジェジュダが魔法詠唱者(マジックキャスター)だとするのなら、魔法防御が高いはず。そうすると物理攻撃の方が、威力が出る。

(最近、レベルの低いこの異世界の人間の戦士ばかり見ていたからなぁ……。コキュートスの言う通り、同レベルの戦士に俺の付け焼き刃は通用しない可能性が高いな。あの女の攻撃、至近距離で躱せる気が全くしないぞ)

 今まで道中のパトリツィアの攻撃を見ていても、それが良く分かった。数百年この迷宮で過ごしたパトリツィアは、戦闘経験についてはプレイヤー随一だろう。特に、アインズたちのような迷宮の侵入者が一人もいない状態の時は、迷宮の特性上、彼女のレベルに合わせて通常エネミーさえ一〇〇レベルだったはずだ。

 そんなところで長く過ごすなど、アインズだって遠慮したい。しかし、彼女は生きるためにそうするしかなかった。必然、レベルは上がらないながらも、技術力は鍛えられていく。

 結果、パトリツィアという女は平然とモンスターの弱点部位だけを狙って、致命的な一撃を効率良く叩き込めるようになった。ぞっとする。ナザリックでパトリツィアに一対一で勝てるNPCはおそらくルベドくらいだろう。そのルベドも、相性が噛み合わなかったら最終的に潰されるかもしれない。

 少なくとも、アインズのように致命的一撃(クリティカルヒット)を無効化する能力を持たないかぎり、彼女とは戦わせられない。ゲームならばダメージ量が大幅に増えるクリティカルヒットも、現実で首を斬られたり心臓を貫かれたりすれば、即死である。パトリツィアの技術力は、警戒が必要だった。

 この迷宮攻略の途中で――隙を見て殺しておいた方が無難なんじゃないかと思うほどに。

 もっとも、その程度はパトリツィアも警戒しているだろう。殺す必要が出た時は、一対一ではなくNPC――防御特化のアルベドやシャルティアと組んで潰した方が良い。短絡的に殺すのはまずい。

「決着が着いたようでござるな!」

「そうね。悔しいけれど、あの女の強さは本物だわ」

 ハムスケが感嘆の声を、ナーベラルが忌々しげな声を上げる。パトリツィアは、ナジェジュダを仕留めていた。当然、無傷。特殊技術(スキル)を多少消費しただけだ。その特殊技術(スキル)も、少し時間を置けば次のエリアボスまでに回復するだろう。

「……a……、ia――、tio……u……」

 ナジェジュダは奇怪な呟きをこぼしながら、その場にくずおれ、光の粒子となって空気に溶けるように消えていく。

(……消えるのか。ということは、実験体としてナザリックには連れて帰れないな。しかし、本当にユグドラシル時代に戻った気分になる。ゲームだと、こうして死体は消えてデータクリスタルが時折転がるくらいだし)

 アインズはその姿を見つめて、溜息を吐いた。位階魔法とは違う別の魔法形態を持つというナジェジュダを、是非とも研究したかったが無理そうだ。

(まあ、ズビニェクとかいう奴をどうこうすればいい話か)

 迷宮の主が造り出したダンジョンにいるのだ。迷宮の主そのものをどうにかすれば、この秘密も解けるかもしれない。迷宮の主とは知人で、中々複雑な関係のようだがパトリツィアには悪いが、後日迷宮の主には手荒な真似を余儀なくするだろう。

 パトリツィアはナジェジュダが消えた場所を見つめているようで、後ろ姿が見えた。

「パトリツィア」

「――うん?」

 アインズが話しかけると、パトリツィアが振り返る。

「――――」

「どうしたの?」

「――いや」

 振り返った彼女の表情は、何も変わってない。ただ――一瞬、見間違いのようなものを起こした。おそらくは、勘違いだろう。仮に勘違いでなくても、彼女の趣味を考えれば、別に変わったことでも無い。

「これで、先へ進めるのか?」

「ええ。苗床を討伐したから、次の階層への道が開けたわ。行きましょう」

 パトリツィアが二挺の短剣を鞘に納める。そして、彼女が指差した場所は先程までナジェジュダが生えていた場所だ。そこに大穴が空き、近寄って中を覗くと思わず瞠目する。

 そこは、広場のように開けた場所で、光り輝いていた。

「この先は第三階層、水晶洞窟クレアーウィットよ。クリスタルゴーレムの巣窟だから、殴られたら痛いわよ。注意してね」

 クリスタルゴーレム。魔法詠唱者(マジックキャスター)にとっては通常の魔法が効きにくい、天敵のようなモンスターだ。そして物理防御もゴーレムらしく硬いため、戦士でも苦戦する。そして、そのモンスターもこの迷宮独自のモンスターなのだろう。何をしてくるか分かったものではない。

 アインズとナーベラルの辟易とした様子が伝わったのか、パトリツィアは大声で笑い。意味を理解していないハムスケだけが、そんな三人の様子に首を傾げていた。

「――Na――da、――ye」

 水晶洞窟に降りる寸前、パトリツィアが灰の都を振り返り、何事か囁いた。

 ただ、その言葉は本当に囁くような小さな音の言葉で、アインズには何と言ったのかはっきりと聞こえなかった。

 彼女は、何と言ったのだろう。

 

 

        3

 

 

 青白い光が周囲を照らす。宝石のような煌きが、その透明な薄蒼の石には宿っていた。そして、そこはそんな結晶石で天井も床も壁も構成されていて、恐ろしいほどの静寂に包まれている。

 透けるような、空恐ろしい光の宿った、結晶石の洞窟。

 それが、水晶洞窟クレアーウィット。

 狭間の森と灰の都を通り抜けた先に存在する、この迷宮の第三階層だった。

 

 

 ――かつん、という大理石と金属の擦れた音が鳴る。パトリツィアやナーベラルの足元から聞こえる、彼女たちの鎧の足甲から鳴る、足音だ。ハムスケからはぺたりという音。アインズは二人よりももっと軽い音がしている。

「凄く綺麗な光景でござるな」

 ハムスケは周囲を見回し、感嘆の声をもらしている。アインズも、ハムスケの言葉に内心で同意した。

 この水晶で出来た洞窟は、ダンジョンとして生み出されたとは思えない、年月の果てに自然と出来たような美しさが満ちていた。ナザリックと同じく、何者かの手に因る意匠であるはずなのに。

 ……おそらくは、自分たちがまったく関わっていないからだろう。正真正銘の、人でないモノの手で生み出されたこの水晶の洞窟は、人間という種の感性を超越している。人間の豪華絢爛という言葉を軽々と超越した、恐ろしささえ感じられる意匠。

 人間が感じる美しさなど、所詮は下品な成金趣味の極みであると言わんばかりの、ただ圧倒する自然のような美しさだった。これは、元々は人間でしかない“アインズ・ウール・ゴウン”には、決して生み出せない意匠である。

 勿論、人間の感性で言えばナザリックより美しい意匠は存在しない。ナザリックを訪れたこの異世界の数少ない住人たちは、ナザリックを「神々の住まう美しい世界」と賛美してやまない。持てる語彙のかぎりを尽くして褒め称えようとし、そして自らの語彙力の無さに絶望するだろう。

 だが、この迷宮の美しさはそうしたものでは無い。作られた神聖さと俗物さから無縁の美しさだ。作ろうと思っても決して作れない、あるがままの自然の美しさ。有限の命を超越した超越種のみが自然と身に着けることが可能な、人外の感性による意匠。

 アインズは、この異世界に来た時に覚えた感動を思い出した。同時に、現実では失われてしまった大自然を愛したギルドメンバー、ブルー・プラネットという男のことも。

 彼がここにいたなら、きっと興奮して落ち着きを無くしていたに違いない。

 ――しかし、その感動もすぐに鎮静化する。アンデッドは、度を過ぎた感情は抑制されてしまうのだ。一概にそうだとは言えないが、少なくともアインズはそうだった。

「……ちっ」

「――ん? どうかした?」

「いや、何でもない」

 思わず舌打ちしたアインズを、パトリツィアたちが見つめる。不思議そうな表情で自分を見つめる二人と一匹に何でもないと告げて、アインズは再び水晶洞窟を見回した。

(……思えば、真正の人外が造ったものを見るのは、異世界に来て初めてだな)

 今までアインズたちが探索した場所で、人間以外が生み出したものはトブの大森林くらいだろう。トブの大森林の大自然には圧倒されたが、そこに棲む人外の者たちは皆、ほとんどあるがままに生活しているようなものだった。蜥蜴人(リザードマン)も、地下洞窟に棲息している者たちも、こうしたものを生み出すには知性と技術が足りなかった。

 だが、ここにいる存在は違う。その人間かそれ以上の知性をもって、自らの感性の赴くままに生み出された迷宮は、人間の想像するダンジョンを超越していた。この水晶洞窟で、アインズはそれをはっきりと感じ取った。

 ひたすら薄気味悪い、霧に覆われた光の届かない陰気な場所。狭間の森。

 寂しく崩れた、灰が舞い散る廃墟の街。灰の都。

 思えばどちらも、まともとは言い難い景色だ。そこにきてこの水晶洞窟。国では無い、一つの文明の栄華と衰退を直で見たことのある者だけが身に着ける、無情感さえ漂う光景。

 確信する。ズビニェクという迷宮の主は、間違いなくこの異世界で生まれた生粋の異形種であると。

「――そろそろ行きましょう。足を滑らせたりしないように、気をつけてね」

「そうだな。行くぞ、お前たち」

「はい」

「了解でござる!」

 パトリツィアの言葉に頷き、ナーベラルたちを促す。再びパトリツィアを先頭に、アインズたちは水晶洞窟の奥へ向かって先へ進んだ。

 

 

        

 

 

 水晶洞窟に現れるモンスター、クリスタルゴーレムはゴーレムらしく、物理防御に優れ、そして魔法の効き目が悪かった。パトリツィアに聞いた通りに。唯一そのままの火力で通るのは、無属性攻撃の魔法くらいだ。

 そのため、ここではパトリツィアがクリスタルゴーレムの体勢を崩し、その隙を狙ってアインズが魔法を撃つという攻略法になる。ゴーレム系のモンスターはクリティカルヒットが無効なので、技量系戦士のパトリツィアでは討伐するのに時間がかかるからだ。さっさと片付けないと、複数が集まってきて奇襲を受けたら目も当てられない惨事になる。

 そしてナーベラルはエレメンタリストの特化型魔法詠唱者(マジックキャスター)であるため、レベルがクリスタルゴーレムより低いこともあって大抵の魔法は通用しない。ハムスケはレベル的に論外だ。

 拳で殴りかかってくるクリスタルゴーレムの両手を、パトリツィアは二挺の短剣で器用に受け流す。振り抜いた拳のせいで体勢を崩したクリスタルゴーレムに、すかさずアインズは威力を最強化させ更に三重化した〈黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉を撃ち込んだ。クリスタルゴーレムの身体に罅が入り、ふらつく。そこへ更にパトリツィアが右手の短剣の柄頭で胸部を穿ち、完全に体勢を崩させた。抵抗も出来ないほどに体勢の崩れたクリスタルゴーレムに、アインズが再び魔法を放って仕留める。

 クリスタルゴーレムは、光の粒子となって、空気に溶けるように消滅した。この消え方は、ナジェジュダと同じ消え方だ。

(あのナジェジュダはクリスタルゴーレムと同じ魔法生物? だから消え方が同じなのか? いや、でもストーンゴーレムはそのまま動かなくなったような)

 植物系モンスターや獣人は死体が残った。ストーンゴーレムも同様だ。HPがゼロになるとその場に石像という瓦礫になった。だが、このクリスタルゴーレムやナジェジュダは光の粒子となって消えていく。

 パトリツィアも、さすがにその違いは分からないようだった。というより、気にしたことが無かったらしい。「特に深い意味は無いんじゃない?」とのことだ。アインズからしてみれば、気になる違いだが彼女にとっては神経質に見えるらしい。

(作り方の違いか? ――まあ、これもズビニェクとかいう奴に聞けば分かる話か)

 知りたいことは増えるが、疑問は最後に解決出来る。アインズもあまり神経質に考えないことにした。モンスターを討伐する際に重要な問題ならともかく、討伐した後の死体についてだ。優先度は高く無い。

 何より一番気になるのは、このダンジョンを造り出した魔法の方だから。

 ――アインズたちはクリスタルゴーレムという、面倒な相手を討伐し、リソースを消費しながら水晶洞窟を進む。クリスタルゴーレムは様々な色をしており、アメジストのように紫がかった透明なものもいれば、ローズクォーツのような赤味を帯びた透明なものもいる。

 中でも強力なのは、黄色味を帯びた透明な色の、シトリンのようなクリスタルゴーレムだ。攻防共に他のクリスタルゴーレムより優れており、苦戦らしい苦戦をしたモンスターは、この水晶洞窟でシトリンのようなクリスタルゴーレムくらいだろう。

 三人と一匹は、水晶で出来た滑る足場を気にしながら、洞窟の中を進んでいく。水晶という石英で出来た足場は妙に滑り、踏み込みを不安定にさせた。クリスタルゴーレムたちは魔法を行使せず、それに飛び道具も使用してこない。〈飛行(フライ)〉で足場を逆に安定させた方が良いのではないかとも思ったが、無駄にMPのリソースを消費することもあるまいと歩くことにしていた。

 アインズたちは、時折MPと特殊技術(スキル)の回復のために休憩を挟みながら、水晶洞窟を進んでいく。

 そうしてどれほど進んだ頃だろうか、パトリツィアが「そろそろね」と呟き足を止めた。

「――どうした?」

 アインズが訊ねると、彼女は真剣な表情でちょっとしたイベントが起きるのだと告げる。無言で先を促すと、彼女はそのイベントの詳細を語った。

「これからもう少し先を進んだところに、大きく開けた広場のような場所があるの。そこで、本来はもう少し下層で遭遇するエリアボスと戦うイベントがあるのよ」

「――ああ、イベント戦というやつか」

 ゲームでもよく有るイベントだ。強制イベントというやつで、ストーリーでよく起きるイベントだ。

 必ずそこで遭遇し、そして必ず負けるか、あるいは逃げ切らなくてはならない強制戦闘。

「そう。でも、負けたらダメよ。勝つか逃げるかしないといけないの。まあ、私たちなら勝てばいいと思うけれど」

「どんな奴だ?」

「貪食狼ドゥシャン。三メートルくらいの、大きな人狼よ。灰色の毛並みの、筋肉質な大男ね。職業(クラス)は前衛戦士で、修行僧(モンク)系。――ちなみに、属性(アライメント)は極悪」

 何でも嘘を吐くのが大好きで、知的生物を生きたまま貪るのが好みな、最悪な性格の持ち主らしい。人を騙すのが好きであるらしく、パトリツィアが誰かを連れていると、必ずその相手を騙そうとしてくるようだ。

 ――基本的に、この迷宮でまともに会話が成立するのはパトリツィアしかいない。しかし、外部からやって来る者たちはそんなことが分からずに、ドゥシャンの耳触りの良い言葉に騙されてしまうらしい。こうして、忠告をしても、だ。

「まあ、仕方ないわよね。アイツは嘘を吐くって教えても、私が嘘を吐いているのかも知れないんだから」

 パトリツィアもその点については諦めているらしく、溜息を吐く程度に留めていた。

「そのドゥシャンとやらは、喋られるのか? ナジェジュダは奇怪な叫び声を――いや、この迷宮のモンスターは皆、奇怪な音を発するばかりだったが」

「ええ。貪食狼はちゃんと言葉が通じるわ。そういう設定のエリアボスだから。苗床だって、設定が違えば貴方たちと言葉が通じたはずよ。エリアボスは全員、知性持ちだから」

「――面倒だな。遭遇したら、初手で属性判定のアイテムでも使うか」

「属性判定とはなんでござるか、殿?」

 疑問を感じたようで、ハムスケが目を丸くする。それにナーベラルが答えた。

「カルマ値を調べるアイテムのことよ。カルマ値によって、通用する攻撃と通用しない攻撃が世の中にはあるの。私やアインズ様は似たカルマ値でマイナスに偏っていたはずだけど、お前は確か中立寄りのはずよ」

「そうなのでござるか。ナーベラル殿は物知りでござるな! ナザリックの方々はどうなっているのでござるか?」

「基本はマイナス寄り。コキュートス様は中立寄りで、中立寄りはそれほど多くは無いわ。ユリ姉様やセバス様のようなプラス寄りは、数えるほど」

 ナーベラルがハムスケに説明してやっているが、アインズは少し慌てた。カルマ値というのは重要で、カルマ値が相手に露見するとかなり不利になる場合がある。

「お前たち、それくらいにしておけ。――申し訳ない、パトリツィア」

「いいわよ、それくらい。平等にしましょうか。――私のカルマ値はプラス寄りの中立よ。覚えておいてね」

 〈不動明王撃(アチャラナータ)〉などを使うことから、おそらくそうであろうとは思ったが。やはりカルマ値はプラス――善寄りのようだ。ギルド“アカ・マナフ”所属ということから考えると、少し奇妙に感じるが彼女たちの趣味は場合によってはカルマ値が変動しない。そのせいだろう。

「――ごほん。話の続きといこう。一応、プレイヤーだと分かっているお前のことを信用しているが、カルマ値が更に判別出来ればもう話を聞くのも、ちょっと嫌になるからな。悩む前に潰しておく」

 ナザリックを直に見ているアインズにとって、カルマ値というのは本当に洒落にならない。プレイヤーの場合は自分という例がいるので、当てにはならないが、しかしNPCなどの場合は別だ。

 彼らは、カルマ値に相応しい性格をしている。セバスやユリなどプラス寄りは、弱き者を助けることを当たり前のように出来る。勿論、ナザリックの不利益にならないかぎりという注釈はつくが。

 対して、アルベドやナーベラルなどマイナス寄りは、弱き者に対して容赦が無い。か弱い人間を下等生物と蔑み、虫のように踏み潰せばどれだけ気分がスッとするか、などと平然と言える。

 このようにカルマ値は、人格形成にも大きく影響を及ぼしている。属性(アライメント)が極悪の相手など、言葉を交わすことさえあまりしたくは無かった。どの道、パトリツィアは貴重なプレイヤーだ。出来れば友好関係を築いておきたいので、余程のことが無いかぎりパトリツィアの味方をしてやりたかった。それほど、プレイヤーは貴重なのだ。

「じゃあ、初手は貴方がアイテムを使うのね。合図をちょうだい。その合図で、貪食狼に突っ込むから」

「分かった。初手は私が〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉を使う。即死は効くか?」

「効かないわ。ちゃんと、エリアボスは即死耐性があるから。でも、その魔法の朦朧状態は効果があったはずよ」

「なら、朦朧状態でたたらを踏んだのが合図だ」

「ん、了解したわ。それじゃあ、弱点属性だけど――まあ、カルマ値ままの、神聖属性よ。カルマ値の関係上、中立から善の苗床より私にとっては得意な相手だから、苦戦もしないわ。ただ、死の騎士(デス・ナイト)みたいにどんな攻撃でもHPが絶対に残るし、一定以上のHPが減少すると、空間転移で離脱するの」

「空間転移? 使えるのか?」

「そういうギミックなのよ。実際は空間転移しているわけじゃないのかも。私も、そこまでギミックに詳しいわけじゃないから……ズビニェクに聞けば分かるかも知れないけれど、無理なのよね」

 迷宮の主はおそらく最下層にいる。そして、パトリツィアはその手前でどうしても立ち止まらなくてはならないので、迷宮の主には会えない。そのため、ダンジョンのギミックについては分からないこともあるようだ。

「それじゃあ、先へ進みましょうか」

 これから遭遇するエリアボス「貪食狼ドゥシャン」について、いくらか話した後に三人と一匹は再び先へ歩き始めた。

 

 

        4

 

 

 青白い水晶に囲まれた、最初の入り口の時のように開けた場所の中央に、灰色の毛並みのそれは立っていた。

 三メートルの巨体。灰色の毛並み。爬虫類のように縦に伸びた瞳孔と、真っ赤な瞳。酷く猫背になっていて、両腕は異様に長く膝まである。その両腕の指先には凶悪な鉤爪が伸びていた。

 これが、「貪食狼ドゥシャン」。ドゥシャンはパトリツィアと、そして背後にいるアインズたちを見やるとギリギリと歯軋りの音を立てながら、獰猛な表情をパトリツィアに向けた。

「裏切者のパトリツィアめ。よくもそんな連中を連れて来たな。主の慈悲と恩に仇で返すかよ」

 低く、しわがれた声でドゥシャンはパトリツィアを睨む。それにパトリツィアは何処吹く風の様子で、微笑みさえ浮かべながら告げた。

「ええ。だって私は、死んでも外に出たい。こんなところに閉じ込められているなんて、真っ平だわ。そもそも、ズビニェクに恩を仇で返されたのは私の方でしょう?」

 パトリツィアはドゥシャンに語りながら、アインズを視界から隠す。アインズが何をしているのか見えないように。

 その間に、ナーベラルはハムスケの前へ。そしてスタッフを握り締める。アインズは、ドゥシャンから見えないようにインベントリからアイテムを取り出した。

 純銀色の天秤の形状をしたマジックアイテム、アーティーファクト“善悪の天秤(ジャッジ・オブ・アストレア)”。

 効果はその名の通り、対象のカルマ値を判定するというだけのものだ。

 ただし通常のイベントでは手に入らないマジックアイテムで、使用しても無くならない。

 アインズはその天秤をドゥシャンと――パトリツィアを対象にして、使用する。二人のカルマ値を量るために、天秤の皿は傾いていく。天秤の皿が傾けば傾くほど、カルマ値が低い――属性(アライメント)が極悪に近いということだ。

 ドゥシャンはパトリツィアが告げた通り――完全に、皿が下へと傾いた。間違いなく、ドゥシャンの属性(アライメント)は極悪だ。

 対するパトリツィアは、皿が少し上に傾くだけ――つまり、善寄りの中立。本人の自己申告通りの結果である。

 つまり、この時点でドゥシャンの言葉はまともに取り合う必要が無くなった。

「おのれ……よくもぬけぬけと言い放ったな、パトリツィア。主がいないと、どうしようもないくせに」

「余計なお世話よ。アイツのことは嫌いじゃないけれど、でもそんなことより大切なものが、私にだってあるの」

 二人の会話を聞きながら、アインズはドゥシャンへ無詠唱化させた魔法を使う。

 歯軋りし、唸り声を喉の奥で上げていたドゥシャンは、パトリツィアを怒鳴りつけようとした瞬間――たたらを踏んだ。

「――――」

 その瞬間、パトリツィアが即座に距離を詰めるために走り出す。ドゥシャンは朦朧状態になったであろう意識下で、パトリツィアを睨み付けて――

「――ふん!」

 一歩、凄まじい勢いで足踏みをした。途端、地響きが鳴り今度はパトリツィアがたたらを踏む。

「ぐ……〈震脚〉!?」

 たたらを踏んだパトリツィアが、悔しそうに崩れた体勢を即座に戻す。だが、その隙にドゥシャンも何とか朦朧状態から復帰した。

「……ォォォォ」

 深い呼吸。その間にパトリツィアが〈不動明王撃(アチャラナータ)〉を使用し、ドゥシャンへと迫る。ドゥシャンは現れた不動明王の攻撃を、受け流して〈倶利伽羅剣〉を無効化する。

 だが、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉のもう一つの能力、〈不動羂索〉はそうはいかない。あれはカルマ値が低い相手の回避力を低下させる。更に、その回避力の低下値はカルマ値に依存するのだ。

 当然、カルマ値が極悪のドゥシャンになす術は無い。

 そして、回避力が極端に低下した状態のドゥシャンをパトリツィアが見逃すはずが無く。

「〈降三世明王撃(トライローキャビジャヤ)〉」

 今度はパトリツィアの背後に、降三世明王の姿が現れる。それは手に持った槍で、ドゥシャンを狙い定めて穿った。

 槍による突きは、受け流しの成功率が極端に下がる。回避した方が無難だが、〈不動羂索〉で回避率は下がっており、レベル差さえ存在した。

「ギッ!!」

 槍はドゥシャンの胴体を貫き、役目を終えた降三世明王の姿が消える。貫かれた衝撃で動きの止まったドゥシャンに対して、パトリツィアは容赦しない。

「〈大威徳明王撃(ヤマーンタカ)〉」

 今度は大威徳明王の姿が現れ、巨大な棍棒でドゥシャンを叩き薙ぎ払う。だが――

「この……調子に乗るな! 〈転移(アスポート)〉」

 大威徳明王の攻撃が決まる前に、ドゥシャンの姿が消えた。即座に、別の場所へ出現しようとする。

(へー。聞いていた通り、マジに空間転移みたいなのが使えるんだな。この迷宮でも)

 空間転移系能力を軒並み封じられているアインズやナーベラルからすれば、羨ましいことだ。しかし、パトリツィアから主な能力を聞いていたアインズは、当然空間転移を使われた際にどこに出現されると一番困るか知っていたので、対策は取ってある。

「げ! 転移阻害!?」

 空間転移を阻害する魔法、〈転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)〉。アインズ、ナーベラル、ハムスケの周囲に、パトリツィアが時間を稼いでいた間に設置しておいた魔法だ。後衛の魔法詠唱者(マジックキャスター)を狙ったドゥシャンは、見事それに引っかかり、アインズたちの元へは辿り着くことが叶わない。

 出現した場所は、アインズとパトリツィアのその中間。――パトリツィアは当然、即座に踵を返してドゥシャンへと迫っている。

 ドゥシャンは凶悪な狼の表情を引き攣らせて、迫るパトリツィアへ振り返った。このダンジョンが侵入者の出現によって一新されるとはいえ、彼らエリアボスの記憶は引継ぎなのか。パトリツィアの凶悪な戦闘技術は、骨身に染みているのだろう。パトリツィアと接近戦になれば、レベル差がある状態では勝機は無い。

 よって、ドゥシャンは修行僧(モンク)でありながら、距離を取って戦わなくてはならない状況を強いられていた。

 ドゥシャンは再び、パトリツィアの追跡から逃れるように空間転移を発動させる。今度はアインズたちへ近づく愚行はしない。

 だが、距離を取れば当然。それは魔法詠唱者(マジックキャスター)にとっては格好の的なわけで。

「〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

「〈重力反転(リヴァース・グラビティ)〉」

 アインズ、そしてナーベラルの魔法がドゥシャンへと放たれる。どちらもドゥシャンの行動を阻害する効果を持つ魔法だ。

 即死効果は発揮されないが、再びドゥシャンを朦朧状態にし、そしてナーベラルが重力を反転させる。レベル差はそれなりに有るが、意識が朦朧状態であるならば抵抗(レジスト)の成功率は当然低下する。

 結果、ドゥシャンはナーベラルの魔法の抵抗(レジスト)に失敗した。

「ぐ……しまっ……」

 修行僧(モンク)にとって――いや、前衛戦士にとって足を地面から離されるのは致命的だ。満足な踏み込みが出来ない以上、高威力の攻撃は見込めない。浮いた状態だと、彼らの攻撃力は低下する。

 そして身体が宙に浮き、僅かな時間無防備になったその瞬間に、パトリツィアの短剣が心臓を突き刺した。

「――――」

 クリティカルヒット。生物であるのなら、致命的な一撃。その即死攻撃を受けたドゥシャンは、心臓から漏れた血液が肺に入ることによって血反吐を吐きながら、自らの心臓を串刺しにした目の前のパトリツィアを睨み付けた。

「Gy……P……cia、覚えてろよ……!」

「いいえ、忘れるわ。さっさと。――もうすぐ、私の夢が叶う」

 パトリツィアが何を囁いたのか、最後の言葉は聞き取れなかった。しかしその言葉と共に、ドゥシャンが光の粒子となって消える。だが、パトリツィアの言葉が真実ならば、あのドゥシャンとは再び相見えることになるのだろう。

 迷宮の先へ進んだ、下層で。

 ドゥシャンが消えると共に、パトリツィアの短剣に付着していた血液も、光の粒子となって消えていく。そして、彼女はアインズたちへ振り返った。

「――ふう。これで、この階層のイベントは終わり。あとは、ゆっくりまたクレアーウィットを進んでいけばいいわ」

「まだ、水晶洞窟は先があるのか?」

「ええ。貪食狼はエリアボスじゃないから。アイツはあくまで、道の途中で遭遇するイベントボスなの。中ボスみたいなものね。クレアーウィットも、クリスタルゴーレムたちも、まだ付き合っていかないといけないわ」

「そうか……」

 クリスタルゴーレムの手強さを思い出し、うんざりする。ナーベラルも疲れた表情を浮かべていた。苦手なモンスターと戦い続けなくてはならないのは、本当に疲れる。アインズだってそうだ。

(せめて、ドロップアイテムでも落としてくれればいいのにさぁ。なんで何も落とさないかなぁ、ここのモンスターは)

 ひたすら、面倒なだけのダンジョンだ。この迷宮の価値は、プレイヤーのパトリツィアと位階魔法と違う魔法形態を持つ大元のズビニェクしか無い。

 勿論、この二者がもっとも重要なので、それだけでお釣りがくると言えばそうなのだが。

「さあ、行きましょうか。クレアーウィットを通り過ぎれば、この迷宮の半分は攻略完了よ。折り返し地点ってやつね。エリアボスもさっきの貪食狼を合わせてあと三体、もう少しで外に脱出出来るわ」

「ようやく半分でござるか。なんだか、もう数日は彷徨っている気がするでござる」

 ハムスケは辟易した様子だ。やることも少なく、足手纏いで、しかし命の危険は常に有るというこの状況が、ハムスケにとってはかなりのストレスになっているのだろう。

 それに、外の世界はどうなのか分からないが確かにアインズたちは数日間この迷宮を彷徨っていた。

「我慢しろ。もう半分も終わったんだ。それに、維持の指輪(リング・オブ・サステナンス)は渡してやったろ」

「しかし殿、色んな意味で疲労はしょうがないでござるよ……」

「黙りなさい、ハムスケ。アインズ様のために働けるのだから、疲労なんて感じる方がおかしいのよ」

「う……殿のために働けるのは嬉しいでござるが、それとこれとは話が別でござる」

 維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)は飲食と睡眠を無効にする、便利なマジックアイテムだ。この指輪を装備しているのとしていないのとでは、長旅の冒険にかなり差が出る。

 ただし、これは疲労は無効化出来ない。疲労を無効化するのはまた別の効果のマジックアイテムが必要だ。パトリツィアは持っているようで、疲労することは無い。アインズはそもそも飲食も睡眠も疲労も無いアンデッドだ。この場で生物としてその三つを必要とするのは、ナーベラルとハムスケだけである。

 ナーベラルの叱咤に、ハムスケが情けない顔をした。罪悪感をくすぐる、小動物の顔だ。パトリツィアがハムスケを少し、そわそわとした様子で見つめている。

(撫でたいのかなー。ああいう可愛いのが女性は好きだって言うもんなぁ)

 この異世界の住人と接していたり、ナザリックにいると忘れてしまうが、ハムスケはプレイヤーにとっては単なる巨大ハムスターだ。円らな瞳が可愛いのだろう。ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の女性メンバー、ぶくぶく茶釜ややまいこ、餡ころもっちもちも可愛いものに目が無かった。

 ただ、アインズは知っているがハムスケの毛はふさふさふわふわしていない。刃物も弾く素晴らしい毛並みなだけである。たぶん、彼女は期待して触るとがっかりするだろう。

「少し、この場で休憩するか。大丈夫か?」

 パトリツィアに訊ねると、頷いた。

「ええ。この広場はクリスタルゴーレムたちは入って来ないわ。休憩するのに最適よ。状態を全て戻してから先へ進みましょうか」

 MPや特殊技術(スキル)の使用回数を戻すことに決定し、この広場で休憩することになった。ハムスケは喜び、ナーベラルは申し訳なさそうな表情でアインズに謝る。アインズはナーベラルに気にしないように告げて、ナーベラルたちと同じようにその場に座り込んだ。

 最初は、休憩しようとする度にナーベラルがアインズをその場にそのまま座らせるわけには、と抵抗したがMPが惜しい。そう言うとナーベラルがその場で椅子になろうとしたので、やはりアインズは慌てて止めた。NPCは椅子になりたがる性癖でも有るのだろうか。

 そもそも、それでは肝心のナーベラルの疲労が回復しない。本末転倒にも程がある。

 パトリツィアは、ナーベラルのその忠誠心に少し引いていたようだった。気持ちは分かる。アインズも、ナザリックの者たちの忠誠心は「ひぇ……」と悲鳴を上げたくなる時があるからだ。

(こいつらの忠誠心って、どっから来てるんだろうなホント)

 ナザリックの自分への愛が重過ぎる、と内心で溜息を吐くアインズだった。

 

 

 




 
■「苗床」のナジェジュダ/Naděžda/異形種
灰の都を棲み処とする「苗床」。
灰の都を抜けた以上、「苗床」の彼女の物語は、ここで終わりである。
 







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