オーバーロード 陰森の赤頭巾《完結》   作:日々あとむ
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■前回のあらすじ

エリアボス「苗床のナジェジュダ」討伐。
 


間章 ある結末

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 深々と雪が舞い散る、真っ白な雪原に足跡が続いていた。

 その足跡はどこからやって来たのであろうか。地平線まで続いているような錯覚を抱かせる真っ白な雪原に、足跡は延々と続いている。

 雪原に足跡をつけてちょっとした彩を与えているのは、灰色のフード付きマントを羽織った、金髪碧眼の美しい少女だった。向日葵の花束でも手に持っている方が似合いの美しい少女は、その肢体に絡みつくような真っ黒な鎧で首から下を覆っている。その腰には、この細腰は自分の物だと言うように不躾な二挺の短剣が鞘に納められて居座っていた。

 明らかに、似合わない姿だった。

 だが、何よりも驚くのはその全身に纏う全てが、魔法の煌きを放っていることだろう。ただの武器や防具では無く、魔法の力の宿った優れモノだ。しかも、込められているだろう魔力は尋常では無い。

 そんな、奇妙な姿の美しい少女は雪の舞い散る雪原の中を歩き、そして一つ可愛らしいくしゃみをした。

「さ、寒すぎるわ……! ねえ、本当にここで合っているの!?」

 少女は身を震わせながら、何者かに問いかける。

 すると、少女の頭の上――フードの中から、ひょこりと顔を出す者がいた。

 それは、なんとも奇妙な生き物だった。翡翠色の、そして縦に裂けた細長い瞳孔の瞳。口は頬まで裂け、そこから不揃いの牙が幾つも生えている。鼻先からはサイのように角が生えているが、そこだけではなく頭のてっぺんからも大小様々な角が幾つも生えていた。鱗の色は、インディゴライトトルマリンの宝石に似ている。

 その見目は蜥蜴のように思えるが――明らかに、何かが違った。学のある者は、それを見て「(ドラゴン)の雛だ」と口を揃えて告げるだろう。

 少女の頭の上に図々しくも陣取るその(ドラゴン)の雛は、雛にしては低くしわがれた声で少女へと語りかけた。

「勿論、合っているぞパトリツィア。俺を信じろ」

 少女――パトリツィアは寒さに震えながら、(ドラゴン)の雛に反論する。

「俺を信じろって――あのね! 私は言葉が通じないの! 貴方が通訳してくれないと、困るのよ! まだよく理解出来てないんだから!」

 パトリツィアは、雪原を見回す。

「だから貴方が間違えると、そのまま私のピンチに繋がるんだからしっかりしてちょうだい! 明らかに、村で聞いた様子と全然違うじゃない……」

 パトリツィアは眉尻を下げ、心底情けなさそうな表情を浮かべる。

 目の前には、どこまでも続く雪の舞い散る雪原だけが広がっていた。

「これのどこが! ()()の島イェレメイなのよ、ズビニェクこのクソ野郎!」

 (ドラゴン)の雛――ズビニェクは、パトリツィアの頭の上で、少女の言い分に大声で笑い転げた。

 

 

 パトリツィアがこの奇妙な異世界に来たのは、半年ほど前のことである。

 西暦二一三八年の某日、十二年もの年月続いたあるDMMO-RPGの一つ、ユグドラシルというゲームタイトルがサービス終了を迎えた。

 そのサービス終了時間、“アカ・マナフ”というギルドに所属していたパトリツィアは、未だにこの古いゲームを続けていた同じギルドメンバーと共に、最後の趣味を満喫していた。

 ――つまり、PK。“アカ・マナフ”はPlayer Killerたちの趣味ギルドだったのである。

 PKとは文字通りそのまま、他プレイヤーを殺害(キル)する行為を指す。あまりに酷いと様々なペナルティが発生するが、PKを続けることで習得出来る職業(クラス)特殊技術(スキル)も有り、更にPKされたプレイヤーのドロップアイテムが一つ手に入ることで、好んでPKを行うプレイヤーは一定数存在した。

 更に特徴的なこととして、ユグドラシルでは異形種をPKしてもペナルティが発生しない、という奇妙な恩恵があったために、一時期異形種狩りが横行した時期もあった。

 パトリツィアはそうしたPK集団の中でも一際狂人が集まるという、PKが生き甲斐だと断言するような趣味人のギルドに参加していたプレイヤーであった。

 ギルド“アカ・マナフ”のPKに対する情熱はユグドラシルでも有名で、仲間内でもパーティー設定をいつの間にか切って、仲間内で殺し合い(フレンドリィ・ファイヤー)をするという暴挙に出ることも珍しくない。「PKされそうになったと思ったら、仲間だった奴にそいつがPKされていた」「勝ち目が無い一〇〇レベル六人パーティーに一人で突っ込んで、返り討ちにあっていた」「PKされそうになって逆に殺し返したら、神器級(ゴッズ)アイテムをドロップした」など、自分が貴重なアイテムをドロップすることさえ厭わない。そんな、PKについての逸話に事欠かないギルドだったのだ。

 ユグドラシルというゲームが気質に合っていたのだろう、パトリツィアを含めた“アカ・マナフ”のギルドメンバー数人は、サービス終了日に集まって、一〇〇レベルの鍛冶師と錬金術師などの生産職系NPCしかいない、みすぼらしいギルド内で少し話していた。

  “アカ・マナフ”のギルド拠点がみすぼらしいのは、PKが趣味のプレイヤーしかいないので、ギルドではほとんど過ごさないためだ。初期の頃はよくギルドを襲撃されて解散していたが、そうした簡単な経緯のギルドなのですぐに再設立される。

 メンバーも、ほとんどが変わりない。

 これはギルド参加者は最初に、メンバーからPKをされて「仲間内でもこれをするよ」と告げられて、それでも良いか訊かれるからだ。勿論、ドロップしたアイテムは返却もされない。売り払われてギルド資金にされる。一方的にPKしたいプレイヤーなどは、こうして排除されるし、まともなプレイヤーはすぐに逃げた。「それでも良い」と言うプレイヤーもいるが、一ヶ月もすれば嫌気が差すことが多い。ギルド拠点を破壊される前に、さっさといなくなってしまうのが常だ。

 こうして、“アカ・マナフ”は崩壊しても不死鳥のごとく復活する、面倒なギルドとして生き残った。自分たちで勝手に殺し合ってギルド崩壊することも珍しく無い、気狂いたちの集まりとして。

 ユグドラシルから人がいなくなり、サービス終了が決定してもログインしていたギルドメンバーの数人は、ちょっと別れを惜しんだ後にそれぞれ様々な場所へ喧嘩を売りに行った。

 例えば、しみじみと感傷に慕って花火を眺めているプレイヤーの集団に奇襲し、殺戮パーティーを開催したり。仲間内で集まって別れを惜しんでいるギルドに侵入し、別れを台無しにする殺戮パーティーを敢行したり。

 パトリツィアも、最後まで殺したり殺されたりの殺戮パーティーを楽しんだ。

 そうして楽しんだ結果――気づいたら、見知らぬ場所に立っていたのだ。

 首を傾げて現状把握に力を尽くしたパトリツィアだったが、最初はその現状把握さえ難航した。そもそも、言語が通じなかったのである。

 ユグドラシルのゲームシステムは使用出来ていたので、最初は運営がしくじってバグを起こしたのかと思ったほどだ。

 しかし、いつまで経ってもゲームは終わらない。何故か非常にお腹が空く。疲労を感じて、睡眠も必要だった。血を流せばとても痛くて、世界は異様なほど大自然に満ちている。

 そうして一ヶ月も経った頃――パトリツィアは、言葉が通じる一匹の(ドラゴン)に遭遇したのだ。

 

 

 常夏の島、イェレメイ。大陸の北部に有りながら、何故か常に真夏のように気温が高く、熱帯に棲息するはずの植物が群生し、動物が生活している奇妙な島だ。

 面積はおよそ二〇平方キロメートル、周囲は約二五キロメートルという小さな島だった。

 その小さな島には幾つもの農村が有り、パパイヤやマンゴーに似た果実を育てて大陸に出荷することで生計を立てていた。名産品は、真っ赤な色のイェレメイマンゴー(仮)である。

 島の住民は、ユグドラシル風に言うならば亜人種に分類される生物で、ホブゴブリンと似た姿をしていた。ホブゴブリンはゴブリンの亜種的存在であり、ゴブリンよりも様々な面で優れてもいる。更に、成長した場合は人間の子ども程度の大きさで止まるゴブリンと違い、人間の大人と同程度にまで成長するのだ。

 知性の面でも人間と同程度の頭の良さを発揮するために、こうして農業を営むのもおかしな話ではなかった。

 ただ、彼らは実際にはゴブリンでも、ホブゴブリンでも無い。この異世界特有の種族で、繁殖力が少ないはずのホブゴブリンに似た彼らは、ゴブリンより少し繁殖力が低い程度であり、人間よりは繁殖力が強かった。

 パトリツィアは、そんな彼らを便宜上でホブゴブリンと呼んでいる。それだけだった。

 そのホブゴブリンたちは、大陸にも部族を作って生活しており、このイェレメイのホブゴブリンたちと交流している。パトリツィアは大陸のその部族――ウーゴ部族と、ズビニェクの翻訳で少し交流した経験があった。彼らは強い者に従うらしく、パトリツィアの強さを見て「人間のくせに」と蔑むことは無い。ウーゴ部族の勇者は精々二〇レベルで、一〇〇レベルのパトリツィアにとっては赤子の手を捻るようなものだったのだ。

 そしてある日、彼らから貰ったマンゴーの味を気に入っていたパトリツィアは、彼らの頼みを聞いてあげることにした。

 最近、彼らと交流のあるイェレメイの部族が、全く大陸へ来なくなったのだと言う。

 別の部族と交流を始めたかとも思ったのだが、そもそも大陸自体に船旅をしてきていないようで、周囲の他の部族と交流した形跡も無い。それが気になったウーゴ部族は、パトリツィアに頼み事をしたのだ。彼らも、マンゴーの味は気に入っていた。

 それに、パトリツィアは二つ返事で了承した。

 イェレメイで、何が起こっているのか確かめる。そんな約束事を交わして、パトリツィアはズビニェクと共にイェレメイへと旅立った。その日から、七回夜が明けるまでに帰ると告げて。

 そして――常夏の島へとやって来たパトリツィアとズビニェクは、常夏とは真逆の環境の、雪が舞い散る雪原の島へと辿り着いたのだ。

 

 

        

 

 

 しばらく歩いた後に、小さな掘っ建て小屋を見つけたパトリツィアは、小屋の中に「お邪魔します」と告げて土足で上がり込んだ。

 小屋の中は散らかっており、埃が積もっている。しかし生活していた痕跡はあるので、ずっと無人だったわけでは無いのだろう。何らかの理由で小屋を捨てたと見るべきか。捨てたのは、埃の積もり方からして、一ヶ月以上は経過している。

 隙間から雪で冷えた空気が入り込んで、非常に肌寒い。パトリツィアは小屋の中を見回して、しかし薪の類が一つも無いことに気づいた後に溜息を吐き、自分のインベントリからアイテムを探した。

「何を探しているのだ?」

 低くしわがれた声。頭の上に陣取って、そこから話しかけるズビニェクに目もくれず、パトリツィアは答えた。

「冷気対策のマジックアイテムよ。さっきまでは装備していなかったけれど、人間種だと環境変化に弱いから必須なのよね」

 ユグドラシルでは、人間種は基本的にあらゆる耐性を持っていない。異形種や亜人種と違って種族レベルが無いために、一〇〇レベル分強力な職業(クラス)レベルを習得出来るが、冷気や雷、精神耐性など種族的特徴が存在しないのが特徴だ。

 そのため、雪山にも火山にも、対策を取らないとまともに攻略が出来ない。そんな面倒な種族が人間種だった。……同じ人間種でも、まだ森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)などは特徴が有るのだが。

「人間は脆弱だのー」

 ズビニェクは軽い鼻息を漏らす。そうして話している内に、パトリツィアは目的のマジックアイテムを発見した。

「あった」

 インベントリから手を引き抜く。彼女の手に握られているのは、青い宝石のついたピアスだ。冷気に対する耐性のデータクリスタルが使用されているアクセサリで、今装備しているピアスと右手の人差し指の指輪に合わせて装備すれば、冷気に対する完全耐性を得ることが出来る。パトリツィアはこれに「冷気耐性」と適当に名前をつけていた。

 ユグドラシルでは製作したアイテムの名前は、製作者が好きにつけて良いことになっている。名前をつけるのが好きなプレイヤーは一昼夜でも悩んで洒落た名称をつけるが、パトリツィアはそういう面では面倒臭がりだった。さすがに今装備している主武装については、しっかり考えて名前をつけたが。

 もっとも、ギルドメンバーの中にはパトリツィアより酷い面倒臭がりがいて、指輪をつける場所にちなんで「親指輪」「人差し指輪」などとつけて済ませていたプレイヤーもいる。しかもそれを最終的には、上位互換のアイテムに変更したので売った経歴もある。見つけた人はさぞや驚いたことだろう。

「よっと」

 パトリツィアは左耳につけていたピアスを外す。これは炎対策のピアスで、常夏の島イェレメイに来るにあたって必要だろうと装備していたものだ。右耳は全属性の耐性を少し上げるピアスで、全ての属性に対する耐性を、底上げしてくれる。右手の人差し指に装備している指輪も同じ効果だ。

 こうして全部の属性への耐性を少しでも上げておき、ピンポイントの耐性装備で完全耐性を得る。パトリツィアは耐性を得る時はそうしていた。

 これはどれだけ強くとも、属性全てに完全耐性を得ることが不可能なためだ。例えばアンデッドなどの冷気や精神攻撃に対して完全耐性を持つ異形種が、職業(クラス)神器級(ゴッズ)アイテムで耐性しても不可能だ。全属性に対する完全耐性は、ユグドラシルでは不可能な行為だった。

 しかし属性を絞れば完全耐性を得ることは可能である。パトリツィアはアクセサリの装備箇所を二つ潰し、ある程度の耐性を全ての属性に付与した後に、更に追加で装備枠を一つ潰すことでピンポイントの完全耐性を得ていた。装備箇所が多い人間種ならではの属性対策だ。

 ……そう。こうしたピアスなど、装備箇所が多いことも人間種の特徴だ。異形種や亜人種には聴覚は有っても耳の形はしていない種族なんてざらにいるし、粘体(スライム)系などは基本的に指も存在しない。

 異形種や亜人種は基本のステータスが高い代わりに、装備箇所が少ないこと、習得出来る職業(クラス)が種族レベルで少なくなること、特に異形種などはカルマ値に関係なく平和な都市に入れないなどデメリットも多く存在した。完全に玄人向けの種族と言えるだろう。

 もっとも、追い詰められると変身したりだとか、様々な浪漫に引き寄せられて初期種族に異形種を選ぶプレイヤーも少なくない。異形種狩りで辞めたプレイヤーも多いが。

 「炎耐性」のピアスを外したパトリツィアは、左耳に新たに「冷気耐性」のピアスをつける。途端、周囲の冷気が気にならなくなり、パトリツィアはようやく一息ついた。

「ふう……寒かった」

 雪が降ってただでさえ寒いのに、更に冷気で鎧が冷えて散々だった。これが吹雪いていた場合、金属製鎧のせいで大変なことになっていたかも知れない。今でさえ、鎧が冷えてしまってインナーの下の素肌には寒さで鳥肌が立ってしまっている。

「それで、ズビニェク。ここって本当にイェレメイなの?」

 頭上に話しかけると、ズビニェクは頷いた。

「そのはずだ。この島は間違いなく、常夏の島イェレメイのはずだ。しかしどういうことだ? そもそも、この辺りの今の季節は夏のはずだぞ? 北側の方だから、確かに大陸の中央よりは涼しいが……イェレメイで雪が降ったことは、過去一度として無い」

「つまり、異常気象ってことね」

 イェレメイは年中夏の気温なので、育つ植物も全てそういった季節に花が咲いたり、実が生ったりする類のものしか無い。熱い気温の中でなければ育たないのだ。

 だが、今この島は雪が舞い散っている。そうなると、ほとんどの植物が寒さでやられて短い間に枯れてしまったのだろう。それが、見渡すかぎり雪原になったこの景色の正体だった。

 植物というのは、基本的に寒さに弱い。霜焼けを起こして、すぐさま枯れることが多い。これがモンスターならば植物はよく燃えるため、炎に弱いのだが。しかし通常の植物の棲息環境という意味では、まったく話が異なる。

 ――だとすると、問題はどうして雪が降るようになったのか、ということだが。

「今まで、一度も雪は降ったことが無かったの?」

「ああ。イェレメイではな。天候を操作する同胞もいるにはいるが、しかし奴がこんなところまでわざわざ羽を伸ばすかと言うと……うん、有り得んな。奴は引き篭もりだからな」

 顔見知りを頭に思い浮かべたのだろう。ズビニェクはうんうんと唸りながら、そう告げる。

「それより、お前の方はどうなのだ? 可能性としては、そっちの方が高いんじゃないのか?」

 パトリツィアはその言葉に、首を少し傾げて考える。この首を少し傾げる動作は、昔からの癖だ。何か考えると、つい首を少し傾げてしまうのだ。直そうと思ったこともあるが、未だに直らない。もう、矯正は諦めてしまっていた。

「確か、第六位階魔法に天候操作の魔法があったと思うわ。でも、それだと少し魔法の効果が長期間過ぎるのよね。それよりは、そもそもフィールドエフェクトを変更する方が簡単だと思う」

 確か、超位魔法の中にそうした魔法があったはずだ。〈天地改変(ザ・クリエイション)〉ならば、この島のように環境を激変させることも不可能では無いかも知れない。

 だが、パトリツィアは戦士職なので、魔法職の魔法がどこまでこの異世界で通用するか不明なのだ。フレーバーの設定と同じ効果を発揮するのか、それとも全然しょぼい効果しか発揮出来ないのか。

 そもそも、この異世界に来てしまったプレイヤーの数が分からないので、どういうプレイヤーがいるか判別はつかない。ズビニェクの言う通り、プレイヤーが犯人の可能性は高いかも知れない。

 しかし――。

「でも、いくらプレイヤーでもこんなこと、するかしら? 夏を嫌がる人はいるでしょうけれど、私みたいに装備品で対策した方が簡単なのに」

 そこが、パトリツィアとしても気になるところだ。魔法の効果を確かめるために、魔法を使うプレイヤーはいるだろう。しかし、ここまで環境を激変させて気にならないプレイヤーはいない。真夏が真冬になって興奮するだろうが、その後の阿鼻叫喚を眺めるのは気が引けるはずだ。

 気軽に魔法で変化させてしまえるのだから、気軽に元の姿に戻すのが普通では無いだろうか。

「なら、ぷれいやー以外はどうなのだ? その超位魔法とやらは、ぷれいやー以外には使えないのか?」

「超位魔法は、基本はプレイヤー専用みたいなものだけれど、一応プレイヤー以外にも使える奴はいるわ」

 正確には、超位魔法に似た効果の特殊技術(スキル)だが。ネームドモンスター……種族名ではなく個体名のあるモンスターは、時折自分専用特殊技術(スキル)を持っていることがある。エリアボスやダンジョンボス、世界級(ワールド)エネミーなどがその類だ。

 特に、世界級(ワールド)エネミーの使う専用特殊技術(スキル)は、完全耐性さえ貫通するので恐ろしい。“アカ・マナフ”はPKギルドなので、あまりそういったボスエネミーと戦った経験は他のプレイヤーより少ないが、そういうことが出来るという話だけは知っていた。

「ユグドラシルのモンスターも、私みたいにこっちに来ちゃっているのかしら?」

「何分事例が少ないからな……。俺も、異世界からやって来る者がいることは知っているが、実物を目にするのはお前が初めてだぞ」

 仮にモンスターもこの異世界に来られるのだとしても、元からこの異世界に棲息していたモンスターと区別するのは難しい。そもそも、異世界のモンスターの生態系の詳細を、誰も正確には把握していないからだ。

 ズビニェクの知らない場所には、ユグドラシルと同じモンスターが、初めから棲息しているのかも知れない。その可能性を、誰も否定出来ない。

「となると、まずは探索から始めないと駄目ね。元凶が何か突き止めないと」

「うむ。俺もこういった異常事態は、早々に解決したい」

「生存者は……期待するだけ無駄かしら」

 島の環境を思い出す。今まで、生存者らしき存在を見ていない。まだ島の中心部からは遠いので、探せばいるかも知れないが……。

「期待はしない方がいいだろうよ。ここまで環境が真逆に激変しては、生きている奴がいると思う方がおかしい」

 真夏から冬だ。急な環境変化に生物は弱いものである。例えモンスターであっても、逆の環境に適応するのは難しいだろう。夏毛から冬毛に変わる程度で乗り越えられる変化とは違うのだ。

「じゃあ、生物がいるかどうか探しながら歩きましょうか。貴方の特殊技術(スキル)を使えば、広範囲で索敵出来るでしょう」

「うむ」

 パトリツィアのようにPKを楽しむようなプレイヤーは、大体は二つの職業(クラス)の内どちらかを習得している。

 野伏(レンジャー)系を習得して、必ず自分が先にプレイヤーを発見して絶対に相手を逃がさないようにするか。あるいは盗賊(シーフ)系を習得して、姿を隠しながら相手に必ず気づかれないように接近するか。

 パトリツィアは後者のタイプのため、野伏(レンジャー)系の索敵系特殊技術(スキル)は持っていなかった。だが、(ドラゴン)であるズビニェクは優れた知覚を持ち、野伏(レンジャー)系の職業(クラス)を習得していなくとも、生来の超感覚で索敵出来る。

 パトリツィアはインベントリの中身を整理して、急な戦闘にも対応出来るように準備した。使用頻度の高い回復系や補助系アイテムを、すぐに取り出せるようにしたのだ。

「良し。じゃあ行きましょう」

 準備を整えたパトリツィアは、再び掘っ建て小屋を出る。疲労・食事・睡眠は元から対策して無効化しているので、長期間の行動にも耐えられた。だが、人間種という種族上、ずっと食事を摂取しないわけにはいかないので、どこかで休憩は挟むべきだろう。ズビニェクも生物なので、六時間置きに休憩するべきかも知れない。

 再び雪の舞い散る雪原に出たパトリツィアは、歩を進める。ズビニェクは頭上に陣取ったままだ。足を踏み出すとさくり、と軽い音がした。金属鎧が冷えるが、もう気にならない。

 時折周囲を見回して食べ物を探すが、植物も枯れてしまった雪原には、満足な食糧も存在しなかった。きっと、本来なら冬眠が可能な動物であっても、常夏の島では冬眠を経験したことは無いだろう。冬眠に失敗して、朽ち果てる。あるいは植物が枯れて食べ物が無くなった草食動物たちは、餓えて死ぬ。そしてその死骸で何とか飢えを凌いでいた他の肉食動物たちも、やがて互いに殺し合って、何も無くなってしまうのだ。

 雪が舞っている。はらはらと。この島にいるのは、もはやパトリツィアとズビニェクだけだと言うように、とても静かだった。活気に満ち溢れていたはずの常夏の島は、今となっては静寂に主を替えてしまっている。

 もはやここは死の気配さえ消えてしまっていた。

「このままじゃ、私たちもマッチ売りの少女みたいになってしまうわ。ズビニェク、貴方どれくらい食べなくても平気なの?」

 何も無い周囲を見渡しながら訊ねると、低くしわがれた声が頭上から降りてくる。

「一週間くらいは。お前こそ、指輪で誤魔化しているとはいえ、大丈夫なのか?」

「どうかしら? 一週間も飲まず食わずで、無効化を解除した場合どうなるか分からないのよね。出来れば、定期的に栄養は摂取しておきたいけれど」

 生物は食事をして栄養を摂取しないと、身体が成長しない。マジックアイテムの力が有るとはいえ、ここはユグドラシルでは無いのだから、そのままで生活するとどうなるか実験してみたいとは思わなかった。

「念のために食事も睡眠もしておいた方が無難か。しかし、生命一つ存在する気配が無いぞ。睡眠はともかく、食事は諦めるしかないのではないか?」

「いやだわ……マッチ売りの少女みたいな悲惨な死に方はしたくないわね」

 溜息を吐いて、悲惨な未来を思い描く。ズビニェクは興味深げに訊ねた。

「その『まっちうりのしょうじょ』とやらは、なんなのだ? いつもの童話か?」

 興味津々のズビニェクに、苦笑する。

「貴方、童話が好きねぇ……」

 この(ドラゴン)は、童話や神話、伝説の類が大好きなようだった。パトリツィアの知るこの世界とは異なる世界の童話を、とても気にしていた。毎日、話すことをせがむのだ。

「うむ。俺は悲惨な話も希望溢れる話も、大好物だぞ。以前話してくれた『灰かぶり』も、中々面白い話だった」

「私のお気に入りね。あの時の貴方の感想、忘れてないわよ」

 刺々しく言う。ズビニェクはパトリツィアにとって子どもの頃からのお気に入りの童話『灰かぶり』を、「どちらも頭が程よくお花畑で笑える」と言い放ったのだ。

「だって王子は顔しか見ていないし、灰かぶりも顔と金しか見ていないでは無いか。真実の愛とは程遠く、その後の話を想像すると最高に悲惨そうで、笑いが止まらんぞ」

「この野郎! 吐いた唾は飲み込めないわよ! いいのよ! 辛い思いをしていた女の子のもとに、いつか王子様がやって来て幸せになりましたっていうのは、女の子の浪漫なんだから!」

 男が勇者に憧れるのと同じ理屈だ。女だって、そうやって誰かに幸せにしてもらいたかったりするのだ。「シンデレラストーリー」などという言葉もあるくらいだ。それくらい、夢見ているのである。

「ほーん。で、今のお前はまさに『灰かぶり』か。いや、違うな。むしろお前は王子様役だな」

「畜生! どうせ私はシンデレラじゃなくて王子様よ! 何よこの世界! 人間の村はほとんど無いし、私すっごく強いし! これじゃ私が誰かをシンデレラにする方じゃない!」

 王子様に幸せにしてもらえる女の子に憧れていたはずなのに、これではあべこべだ。幸せになるのはパトリツィアが恋をした男の方だろう。パトリツィアは、逆に気苦労を背負う方である。

 そうやって腹を立てながら歩いていると、ズビニェクは笑いを含みながら話を促した。

「まあ、そう腹を立てるな。それより先程の、『まっちうりのしょうじょ』とやらの話を聞かせるが良い」

「……貴方もしつこいわねぇ。まあ、いいけれど」

 こうして、暇さえあれば知っている童話をズビニェクに語るのが、パトリツィアの日課だった。ペルシャの王シャフリヤールに夜毎物語を聞かせる、妻シェヘラザードの『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』の如く。

「それじゃあ、クリック?」

「くらっく!」

 パトリツィアが微笑みながら訊ねると、ズビニェクが元気良く答えた。

 それは、物語の始まりを告げる言葉。語り手が呼びかけ、聞き手が返すことで物語の幕は開かれる。そんな決まり文句である。

「昔々、雪の降りしきる年の終わりの晩に、みすぼらしい服を着た少女が――」

 雪の舞い散る雪原の中を、パトリツィアは頭上のズビニェクに語りながら、さくりさくり雪を踏みながら歩き続けた。

 

 

       2

 

 

 夜が更けた後は活動を止め、一人と一匹で共に暖を取って眠っていた。だが一夜が明けた後は、パトリツィアはズビニェクを頭の上に乗っけたまま、再び行動を開始した。雪は止むことなく、常に振り続けている。

 そのせいか、夜の内に少し足元の雪の嵩が増していた。昨日より、足が雪の中に沈む。雪の降る量自体は少ないが、止むことなく降るかぎり雪は積もり続けるだろう。足元には注意した方が良い。何かと戦闘になった際、転んでしまうなんて笑えない。

「それにしても、本当に何も無いわねぇ」

 植物は枯れ、動物は死に絶え、雪以外は何も無い。光景はひたすらに不気味だった。

「そうだな。さすがに俺も不気味に思うぞ。とりあえず、島の中央を目指してみるとしよう」

「分かったわ」

 ズビニェクの指示に頷き、島の中央を目指して歩く。方角はズビニェクが確認してくれるので、このような何も無い場所でも迷子にならなくて済む。それにいざと言う時は、空を飛んでこの島から離れれば良いのだから。

 何も無い島の中を、数時間かけて中央に向かって進む。空からは変わらず雪が降り、足元ではさくりさくりと雪を踏む軽い音が鳴っている。ズビニェクは、パトリツィアの頭上で欠伸をした。

「――止まれ」

 そうして数時間ほど歩を進めていると、ズビニェクが警戒心剥き出しで警告を発した。パトリツィアはその言葉と同時に足を止め、腰にある二挺の短剣を鞘から抜き放ち構える。

「……ふむ」

 ズビニェクは鼻をすんすんと動かすと、「酷い臭いだ」と呟いて顔を歪めたようだった。

「どうしたの?」

 念のため、小声で訊ねるとズビニェクは低くしわがれた声を、更に低くして唸るように答える。

「腐った肉の、すえた臭いだ。死者の臭いだな。この雪の中、何故こんな臭いがするのだ?」

 吐き捨てるように呟くズビニェク。その言葉に、パトリツィアは二挺の短剣を鞘に収め、インベントリに入れると別の二挺の短剣を取り出した。

「なんだ、その短剣は?」

「死者の臭いがするんでしょう? アンデッド対策よ。神聖属性の武器ね」

 アンデッドはあまり得意な相手では無い。クリティカルヒットを無効化するアンデッド系種族は、PKをするプレイヤーにとっては殺し甲斐はあるが、面倒な相手でもある。

 というより、元からアンデッド自体が面倒な種族なのだ。神聖属性が強力に刺さり、HPの回復手段が通常とは別だという面倒は有るが、耐性の多さが尋常では無い。物理攻撃をほぼ無効化する種類もいる。職業(クラス)神官(プリ―スト)系を習得しているプレイヤー以外は、アンデッドが得意な相手だと言うことはまず無いだろう。

「アンデッドかどうかは分からんが、とりあえず土の中から臭う気がする。周囲をじっくり歩いてくれ」

「分かったわ」

 ゆっくり、探るように摺り足で周囲を歩く。片足ずつそうして探っていれば、急な重心移動にも対処が出来るからだ。盗賊(シーフ)系の職業(クラス)を習得しているとは言っても、罠の探知に役立つわけでは無いので、慎重に進まざるを得ない。

 そうしてゆっくり進んでいると「止まれ」とズビニェクが唸る。パトリツィアは最初の忠告から、一〇〇メートルほど進んだ位置で止まった。周囲は相変わらず、雪が舞い散る何も無い雪原である。

「ここから五メートルほど左斜めに進んだところが、臭いの発生源だな」

「ふぅん……」

 ズビニェクにそう言われ、パトリツィアはその箇所を見るが、特に何か有るようには見えない。ズビニェクも首を捻っているようだった。

「とりあえず、あの場所まで行ってみましょうか」

 パトリツィアは歩を進め、五〇センチほど離れた場所に立つ。そして、右手の短剣を伸ばして積もった雪を短剣で払った。

 積もった雪を片付けていくと、こつん、という音が剣先からする。地面に当たったにしては、音がおかしい。そのまませっせと片付けると、石畳が現れた。

「その石畳、下は空洞だな。隠し通路か」

 石畳を剣先で叩いた音を聞いて、ズビニェクが呟く。周囲の雪も払うとそこから土が石畳に足場が変わっているようで、果たして地上には何が有ったのだろうか。

 もっとも、重要なのは地面の下のようなので、地上が元は何であったかなど気にする必要は、今は無いが。

 特殊技術(スキル)を使って、力尽くで石畳を退かすと階段が現れた。階段の下からは湿気て淀んだ空気が漂っている。

「地下ダンジョンみたいね」

 地下ダンジョンの系統は、ガスなどの空気攻撃系の罠が幾つも有るのがユグドラシルの常だった。なので、毒系に対する完全耐性は必要だ。パトリツィアは毒系に対しては常に完全耐性を得て対策しているので、このダンジョンはおそらく大丈夫だろう。

 ズビニェクについては、元から心配していない。

「良し、降りるぞ」

 促され、階段を下りていく。盗賊(シーフ)系の職業(クラス)によって、足音は注意して消していた。高レベルの野伏(レンジャー)系の職業(クラス)を習得していないかぎり、パトリツィアの足音は聞こえないだろう。

 階段を下りていくと、次第にズビニェクが唸り声を上げ始めた。頭の上で尻尾を不機嫌に揺らし、パトリツィアの頭をぺしぺしと叩く。

「なんという嫌な臭いだ。アンデッドでは無いようだが、アンデッドの方がまだマシな臭いがする」

「アンデッドの方がマシな臭いって、それどういう臭いよ。私にはさっぱり分からないわ」

 この異世界に来てアンデッドに遭遇したことはあるが、アンデッドの死臭は酷かった。ユグドラシル――いや、電脳世界では電脳法によって味覚と嗅覚は完全に削除されているため、臭いを敏感に感じ取ったことは無い。そのため、パトリツィアは死臭というものをこの異世界に来て初めて、経験したのだ。最初は吐いたほど嫌な臭いだった。

 その、嫌なアンデッドの臭いよりも酷いとは、どういうことだろうか。もう少し近づいたらパトリツィアにも分かるのか。それとも、ズビニェクだからこそ、臭いという感覚で何かを感じ取っているのだろうか。少なくとも、パトリツィアの鼻は何も捉えていない。

 更に奥へと進んでいく。階段を下りていく。盗賊(シーフ)系の能力によって、〈闇視(ダークヴィジョン)〉のように夜闇を見通せるが、延々と階段が続いているだけだ。パトリツィアは先へ進んでいく。

 そして――どれほど階段を下りた頃だろうか。パトリツィアも、階下から漂うその臭いを感じ取った。思わず、顔を顰める。

「なにこの臭い……」

「ふむ。お前も感じ取れるということは、実際に存在する臭いだな。さてさて、階下には何がいるのだか」

 先程からずっと両手で鼻を抑えていたズビニェクが、興味深そうに呟いた。パトリツィアは嗅覚を刺激する臭いに顔を顰めながらも、階下へ向かう。

 そこに、()()はいた。

「――なにあれ?」

「アレが臭気の元か。気持ち悪いな」

 ズビニェクの言葉に、心底同意する。そこにいたのは、腐って溶けて粘液状になった死体を幾つも纏う、気持ちの悪い何かだった。

 どろどろ、ねろねろという奇妙な擬音が聞こえてきそうな、腐った軟泥(スライム)。隙間から幾つも鍬などの農具が飛び出しており、それが何の死体で出来た集合体(モンスター)なのか、言葉で語るまでもなく教えてくれている。

「とりあえず、アレを仕留めよう。奥にまだ何かいそうだ」

 ズビニェクの言葉に頷く。この場所は広間のようになっており、あのモンスターを越えた広間の奥には両手で開くタイプの扉が見えた。パトリツィアは目の前のモンスターに飛びかかる。

「Wryyyyyyyeeeaeee!!」

 気色の悪い金切り声を上げて、農具がパトリツィア目がけて更に飛び出してくるが、パトリツィアにとっては遅過ぎる動作だ。この程度の強さでは、パトリツィアに追いつけない。パトリツィアはほんの数撃でモンスターを討伐した。

 モンスターはどろどろと溶けていく。ズビニェクは頭上で鼻をふんふんと動かし、それが死んだと結論付けるとパトリツィアは先へ進むことにした。

 扉を開けると、キンキンに冷えた空気が扉を開けた先から入り込んでくる。視界に広がったのは、氷の聖堂とも言うべき姿だった。

「すご……」

 全てが氷の彫刻で出来た、氷結聖堂。礼拝堂の壁も、天井も、椅子も、机も、聖女の像も何もかもが。全て氷で出来ている。思わず目を見開く。

「ふむ。間違いなく、件の犯人はここにいるな。魔力の臭いが途端に漂い始めたぞ」

 ズビニェクはそう言うと、ぺちりと尻尾でパトリツィアの頭を叩く。先へ促され、パトリツィアは「ちょっと待って」と言って自分の装備――二挺の短剣を見た。

 どうするべきか、考える。この二挺の短剣は、神聖属性の武器だ。この氷結聖堂を見るかぎり、火属性に変更するべきだと思う。だが、ここが常夏の島だったというのが疑問だ。

 常夏の島にいたならば、正反対の属性を持つ二重属性かもしれない。氷属性だけでなく、火属性もあるのではないだろうか。いや、あのアンデッドを製作した本人であり、神聖属性も刺さるかも知れない。

「――――」

 パトリツィアは色々考えたが、この神聖属性の武器のままで進むことにした。弱点が神聖属性だった場合を考えると、確実にその方が良いだろう。神聖属性は、他の属性と替えが効かない。

 二挺の短剣を鞘から抜いたまま、パトリツィアは氷結聖堂の中を進む。地面が氷で滑るため、注意しながら進まなくてはならない。踏み込みが難しい。

 パトリツィアはズビニェクの案内を頼りに進んでいく。冷気は完全耐性によって遮断され、足音も気配も盗賊(シーフ)としての能力で扉を開ける前から既に無効化している。PKを嗜む者として、不意打ちは得意技だ。罠にさえかからなければ、まず見つけられない。

 そしてズビニェクがいるかぎり、そういった罠はほぼ探知される。

「――――」

 氷結聖堂をそうして進み、奥へと向かっていく。この聖堂はバシリカ型のようで、十字の三廊式になっていた。中央の身廊は有るが、側廊は無い。仕方なく、身廊の端を通っていく。わざわざ中央は通らない。ズビニェクが反応しないということは、罠も無いのだろう。

 ゆっくりと内陣の奥へある祭壇へ向かう。祭壇の前には、これ見よがしに棺桶のようなものが置かれていた。

「――――じゃ、やるわよ」

 小声で、ズビニェクに告げる。ズビニェクも「あれだ」と許可を出し、パトリツィアは特殊技術(スキル)を発動させた。同時に、不可知化の能力が失われる。この手の不可知化は、攻撃と同時に効果が切れることが多い。

 そして初手は当然、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の〈倶利伽羅剣〉と〈不動羂索〉だ。迷いなく、パトリツィアはそれを棺桶に叩きつける。不動明王はパトリツィアの意思を違わず受け取り、武器を棺桶に叩きつけた。砕ける棺桶。

 粉々になった氷の棺桶から、霧のように何かが溢れ出て来る。それは意思を持つように蠢き、天井へと張り付くように移動した。

「――ああ、うるさいぞ。我の眠りを、よくも覚ました」

 青い霧が形を作り、ヒトガタになる。苛立たしげな声を上げるのは、雪女郎(フロストヴァージン)に似た姿のモンスターだった。彼女は、物騒な目覚ましを叩きつけた犯人であるパトリツィアをじっと見つめる。

「はてさて、人間の小娘のように見えるが――うん? どこぞの竜王(ドラゴンロード)が化けた姿か?」

 疑問を投げかけてきているが、パトリツィアに質問しているようで、質問していない。あれは独り言だ。その証拠に。

「――ああ、考えるのは面倒だ。さっさと死んでもらい、再び眠りにつくとしよう。……我を起こした、間抜けどもと同じ目に遭わせてくれる」

 青白い姿の雪女はそう告げて、パトリツィアに何も言わず襲いかかってきた。口から、全てを凍りつかせるような猛吹雪を吐き出してくる。

「……む?」

 だが、冷気対策は完璧だ。多少のダメージは負うが、そのダメージは最小限であり、そして付属効果は発揮しない。凍傷によるスリップダメージや、身体能力の低下は皆無だ。

 それに再び疑問を覚えた雪女を無視して、パトリツィアも特殊技術(スキル)を駆使しながら距離を詰める。天井部分に張り付くようにいるが、あの程度の距離は〈飛行(フライ)〉など使わなくても、跳躍だけで充分だ。氷の床を蹴り、雪女に迫る。

「――あら?」

 パトリツィアが短剣を突き刺そうとした瞬間、雪女が霧散した。文字通り、()()したのだ。棺桶から出て来た時と同じように、青い霧となって散開する。

「物理攻撃の無効化? それとも〈ミストフォーム〉? 特殊技術(スキル)で攻撃しないと意味が無いのかしら? うーん……」

 ユグドラシルにも、物理攻撃を完全に無効化する類のモンスターは存在する。星幽界体(アストラル)形態だと、通常の物理攻撃は通用しないのだ。あの雪女自体はユグドラシルで見たことが無いが、その手のモンスターなのだろうか。

 雪女はパトリツィアの攻撃を回避すると、散開した青い霧が再び一ヶ所に集合し、ヒトガタを形作る。中々に面倒そうな相手だ。

「――――」

 雪女は、遊びの一切無さそうな表情でパトリツィアを見ている。完全に警戒された。逃がす気は無いが、仕留めるのは少々手こずりそうだ。Player Versus Player――PVPを思い出す。

「――吹雪よ」

 雪女は極寒の冷気を全身から噴き出してくる。先程口から吐き出した吹雪より、威力は強力そうだ。ナイト・オブ・ニブルヘイムの職業能力(クラススキル)に〈フロスト・オーラ〉という能力があるが、それの強化版だと言っていい。

「――ちっ。視界が見えにくいったら……」

 狙いをつけずに済むオーラ能力なので、回避は出来ない。しかし、嫌な能力だ。吹雪のおかげで視界が確保しにくい。付属効果は何も発揮しないが、それだけが面倒だった。

「ちょっと、頭上で見てないで役に立ちなさいよ。貴方、見えているでしょう?」

 パトリツィアが頭の上の住人に文句を言うと、ズビニェクはフードの中から尾を取り出した。パトリツィアの頭の横に垂れる尾はぴくりと動くと、先程雪女がいた位置ではなく、右に少しズレた位置を示す。

 そこに、パトリツィアは特殊能力(スキル)を撃ち込んだ。

「〈降三世明王撃(トライローキャヴィジャヤ)〉」

 パトリツィアの背後に現れた降三世明王が、槍の一撃を放つ。このような所業を仕出かす相手だ。カルマ値は低いだろう。先程の〈不動羂索〉で確実に回避能力は低下しているはず。

 そして、予想通り「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。回避出来ず、槍の一撃を受けたようだ。……時折、回避能力はこうして低下させても、平然と回避するプレイヤーがいるので油断ならないのだが。あの雪女はその類では無かったようだ。

 その証拠に、吹雪が止む。完全に視界が晴れる前に走り出し、次の攻撃に移った。

「お、おのれ小娘……!」

 視界が晴れた先に見える雪女は、まだ元気そうだった。だが、無駄が多い。これだけ能力を見せたのだから、何か文句を言う前に、パトリツィアを止めるため行動を起こすべきだろう。

 パトリツィアは続いて、五大明王撃の連鎖に入る。雪女は棍棒の一撃でたたらを踏み、すぐさま再び霧化して逃れようとするが、形が崩れる前に蛇に全身を撒きつかれ、金縛りに遭う。

 どうやら、攻撃されている最中にはあの霧化は使えないようだ。先手で避けないと意味が無いらしい。

 そして、五大明王撃が完全に決まった。ここまで綺麗に決まるとは、見事なものだ。ユグドラシル時代でもルーチンの組まれたAIで動くモンスターなどが相手ならともかく、プレイヤーが相手だと最後まで決まるのは中々無い。

「――――ぎ」

 そして、それだけのダメージを雪女は耐えきれなかった。最後の断末魔は呆気なく、本当に霧に溶けるように彼女は消滅した。まるで、別のことに魔力を消費していて弱体化していたように。

「……どうなの?」

「うむ。これで終わりだな。それよりも――」

 ズビニェクは雪女が完全に死亡したことを告げる。そう、しかし今はそれよりも重大なことがあった。パトリツィアも冷や汗が出る。

「ええ」

 だから、急いで二挺の短剣を腰の鞘に収めた。

「逃げましょう!」

「逃げるぞ!」

 雪女が消えたことで、この氷結聖堂から凄まじい物音が聞こえる。具体的に言うと、氷の彫刻を作っていた魔力の素が消えたことで、この聖堂は瓦解しようとしていた。

「走れ!」

「言われなくても走るわよ!」

 全速力で氷結聖堂を出る。聖堂を出た途端、地震で建物が崩れたような音が鳴り響いた。地下は不味いと聖堂を出ただけで足を止めず、急いで広間を抜けて階段を駆け上がる。

「生き埋めなんて冗談じゃないわ!」

 壁や天井、階段などからぴしり、ぴしりと致命的な音が聞こえた。パトリツィアは若干涙目になりながら、必死に階段を駆け上がっていく。背後なんて、とても振り返りたくない。そんなことをしている暇があるなら、一歩でも前へ進むべきだろう。

「で、でぐち!」

 階段の先に、白い光を見る。パトリツィアはその白い光を必死に目指し、階段を駆け上がっていく。

 そして、その白い光へ辿り着いた瞬間――パトリツィアの身体は、上へと引っ張り上げられた。異様な重力のかかり方に「ぐぇ」と思わず変な声が出る。

「――――」

 その一瞬で、地上は既に遠かった。見下ろす地上は、一〇〇メートルは離れた場所にある。先程まで居たであろうそこは、異音を立てながら土煙を発していた。

「うむ。間一髪だったか。危ないところだったな、パトリツィア」

 頭上から降ってくる声に、地上を見下ろしていた顔を上げる。そこには、パトリツィアを巨大な鉤爪で引っ掻けてぞんざいに運ぶ、一匹の巨大な(ドラゴン)が翼を広げて空を羽ばたいていた。

 ズビニェクだ。

「どうやら、あの魔女めが今回の事件の正体のようだな。俺の予想を聞くか?」

「そうね、お願い」

 ズビニェクは、始まりは些細な偶然なのだろうと告げる。

 常夏の島イェレメイ。その島の中央の地下へと封印――いや、()()していたあの雪女を、ある日ホブゴブリンの誰かが見つけて起こした。

 それに激怒したあの雪女は、天候を変えるほどの猛吹雪を起こして島を壊滅させる。そして、今度は早々に起こされないように適度に魔力を放出し、常夏の島を常冬へと変えた。

 ……いや、そもそもこのイェレメイは普通の島だったはずなのだ。それが常夏と呼ばれていたのは、あの雪女が冷気を常に吸収して睡眠していたからなのだろう。

 島の周囲の冷気は全て吸収される。だから、残されるのは()だけだ。

 だから()()の島、イェレメイ。

 ……そして適度に冷気を放出し、常夏を常冬に変えて誰も訪れないようにした。夏よりは、冬の方が誰だって過ごしにくい。睡眠を邪魔されない確率は高くなる。

 最後に、自らの居住区――氷結聖堂の前にある広間に、ホブゴブリンたちの死体で作った軟泥の集合体(スライム・ファランクス)を配置して。

 だから、パトリツィアが訪れた時には、あの雪女は少し弱体化していたのだ。最初に睡眠を邪魔したのがパトリツィアならば、あの雪女はもう少し手強かっただろう。

 ズビニェクはそう、今回の事件を締めくくった。

「おそらく、これからあの島は常夏でも常冬でも無い、当たり前のそこいらと同じ島に戻るだろう。あの魔女は消えたのだからな」

「小さいとはいえ島一つを常夏にも、常冬にも出来る魔女、か。すごいスケールの大きさねぇ……」

 とんでもない怪物だ。超位魔法の〈天地改変(ザ・クリエイション)〉染みた能力を行使出来る、という意味ではこの異世界でも竜王(ドラゴンロード)級の強者だろう。弱体化している状態で戦えて良かったと、安堵する。

「――あ。そういえば、貴方私に翻訳魔法でもかけたの?」

 あの雪女との戦いを思い出し、ズビニェクに訊ねる。ズビニェクは「うむ」と頷いてパトリツィアの疑問を肯定した。

「さすがにあれ位の強者相手は、言葉が通じないと困るだろうと思ってな。かけておいたぞ」

「ふぅん。じゃあ、やっぱりあの雪女はユグドラシルの生き物じゃないのね」

 ユグドラシルから来た生物なら、パトリツィアと同じく日本語が通用するはずだ。しかし、翻訳魔法で翻訳しないと言葉が通じないということは、この異世界のモンスターなのだろう。

「あの雪女、なんて生き物なのかしら?」

 ホブゴブリンたちと同じように、勝手にパトリツィアが名前をつけてしまおうか。そう考えると、頭上から低くしわがれた声が降ってくる。少しだけ、笑みを含んだ声が。

「そうだな――“氷の魔女”イェレナ、とでも名づけようではないか」

「常夏の島イェレメイをちょっと変えただけじゃない。安直なネーミングセンスね、ズビニェク」

 ズビニェクの言葉に、パトリツィアも笑みを浮かべる。そして、はっと気がついた。

「そういえば! この島が普通に戻っちゃうってことは……もう二度とイェレメイマンゴーは食べられないってこと!?」

 驚愕の声を思わず上げてしまう。そう、パトリツィアがそもそもこの島に来たのは、イェレメイの特産品であるマンゴーが届かなくなったからなのだ。

 だが、この島を常夏へ変えていた元凶は消滅し、マンゴーを育てていた農家は腐ったスライムと化した。マンゴーを育てるノウハウを持っている者は、全滅したのだ。

「諦めるのだな、パトリツィア。お前は、無駄に労力をかけただけなのだ」

 憐れみさえ感じる声色で、ズビニェクが告げる。だが、その口調は明らかにからかっていた。パトリツィアはわなわなと震える。

「ズビニェクこの野郎!」

 

 

        3

 

 

 パトリツィアとズビニェクは、“氷の魔女”イェレナと戦ったその後も様々な冒険を共に経験した。

 古き湖の底に潜む“妖魔”チェーザレとの戦い。海原で悪逆を尽くす“海賊”ペンッティとの戦い。かつてアンデッドが支配していた“蔦の迷宮”テッレルヴォの探索。“蓮の魔女”ジュヌヴィエーヴ・ルパープとの謎かけ。

 そして最強の竜王(ドラゴンロード)、“竜帝(ドラゴンカイザー)”ヴァイシオンとの遭遇。

 何度も季節は巡り、色々な場所を一人と一匹は旅した。パトリツィアからは既に少女の面影はなく、ズビニェクと初めて出逢った時は十六歳ほどだった見目が、二十三歳の美しい女性へと変わっている。

 今パトリツィアたちがいるのは、一五〇〇平方キロほどもある大きな森だ。ズビニェクが良く羽休めにしている場所で、その森にある泉のほとりでパトリツィアはインベントリの中身の整理をしていた。隣でズビニェクが興味深そうにそれらを眺めている。

 パトリツィアが広げていくアイテムを見ながら、時折ズビニェクが鼻先や指先でアイテムをつつく。それを苦笑しながら、パトリツィアは「やめなさいよ」と止めていた。整理は一向に進まない。

 けれど、一人と一匹はそういう空気を楽しんでいたのだ。これは何度も、繰り返された光景でしかない。

「あ」

 そうして、じゃれ合いながら整理していたせいだろう。パトリツィアは、うっかりしてざっくりと指先をいつも使う短剣の刃で切ってしまった。

「あ、あー」

 人差し指から血が滴り落ちる。思ったより量が多く、指先から溢れる血は止まらなかった。

「なにしてるんだ、お前は」

 呆れた声を上げ、ズビニェクが治癒の魔法を使ってくれる。止まらなかった血液は、傷口を治癒されたためにようやく止まった。

「呆れているけれど、貴方のせいよズビニェク」

 お前がアイテムにじゃれて集中を途切れさせなければ、こんなうっかりはしなかったと訴える。だがパトリツィアの抗議にもズビニェクは何処吹く風だ。まったく反省の色が見えない。

 それに溜息を吐いて、パトリツィアは血の付着した短剣の刃を拭うとアイテムを全て放り出して、その場の短い草の絨毯に寝転んだ。

「アイテムの整理は止めたのか?」

「ええ。なんか疲れちゃったし」

 パトリツィアがそう言うと、ズビニェクの低くしわがれた声は尻すぼみになる。具体的に言うと、反省の色が見えた。

「その、すまん」

 そんな殊勝な様子を見せるズビニェクに、パトリツィアは思わず吹きだした。珍しいこともあるものだと。

 笑われたズビニェクは不機嫌に鼻を鳴らす。

「気にしないで。正直、最近なんか疲れやすいのよ」

「なるほど。歳か」

「ふふふ、ズビニェク? 私まだ二十三なのだけれど?」

 確かに出逢った頃より歳は取ったが、そんな風に言われるような年齢では無い。まだ二十代前半だというのに、その言葉は心外である。と言うより、女に年齢は禁句だ。……この異世界で行き遅れの年齢であるのは分かっているが、元々の世界では全然若いのだ。

 パトリツィアも、元々は十六歳の少女である。現実世界とユグドラシルの外見年齢を同じに設定していたので、年齢の差による乖離はほとんど無い。

 ――あれから、七年の月日が経過していた。

「お父さんとお母さん、元気かしら? 学校の友達も、もう大人になった頃かぁ」

 現実世界のことを思い出す。いつも物静かな父親と、いつも穏やかな母親。どちらも怒るととても怖い。学校の友達は、いつも些細なことで笑っていた。箸が転んでもおかしい年頃というやつだ。

 そう。そもそもユグドラシルを始めたのも友達に誘われたからだった。友達は飽きっぽいのでさっさと止めてしまったのだが、パトリツィアは長く続いたと思う。ギルドメンバーも、面白おかしい人がたくさんいた。彼らはどうしているだろうか。

「寂しいのか?」

 ズビニェクの問いに、パトリツィアは囁くように答える。

「それは、勿論」

 当たり前に寂しい。人恋しいのだ。元は思春期の少女で、女子高生である。父親と、母親と、友達がいて、毎日は楽しい。

 還りたいと、強く想うのが当たり前だった。

「そうか。俺は、寂しがり屋のお前が死ぬまで一緒にいてやるからな」

 うつら、うつらとし始める意識に優しい声が降ってくる。そういう意味では無いのだが――。

「――うん。ありがとう」

 とりあえず、その心遣いにお礼を言って。パトリツィアは穏やかな空気に誘われるように、眠りの世界へと意識を旅立たせた。

 ――だから、それは驚くほど唐突だった。

 

 

        

 

 

「――――え」

 森で一人と一匹、過ごしていたある日のこと。なんだか妙に疲れやすい身体に首を捻りながら、森の中を散策していたパトリツィアは自分の身に起きた出来事を、呆然と見つめた。

「――え?」

 地面。そう、地面だ。いつの間にか、地面に倒れている。何かにつまずいたという記憶も無い。あまりに脈絡のない出来事に、思わず口から変な声が出た。

 とりあえず立ち上がろうと、手と足に力を込める。そこでふらりと意識が鈍いことに気がつき、息が乱れていることに気がつく。これが何度か現実で経験のある出来事だったことを思い出した。……貧血だ。

「うー……」

 ごろりとそのまま地面に転がる。貧血の時は、無理に立ち上がらない。無理に立ち上がっても、また立ちくらみを起こすだけだ。パトリツィアはその場で横になったまま空を見上げた。

 すると、ぬっと巨大な生き物がパトリツィアの顔を見下ろす。ズビニェクだ。

「どうした?」

 どうやら、空を散歩している最中にパトリツィアが倒れたのを見つけて、降りてきたようだ。そこで、パトリツィアは自分が意識を断片的に失っていたことに気がつく。

 ズビニェクが地面に降りた音も、翼の羽ばたく音も聞いた覚えが無い。こんなに近いのに。

「なんか、貧血。久しぶりの」

「ふむ」

 とりあえずはそう告げる。すると、ズビニェクはパトリツィアの顔を見下ろしながら、口を歪めた。笑みを作っている。

「人間は脆弱だのー。貧血とは」

「うるさいわね。女の子はデリケートなのよ」

「でり……? え?」

「それ以上何か言うと、ぶっ殺すわよ」

 揶揄混じりに告げるズビニェクにそう告げて、次に見た景色に困惑した。

「……ん?」

「気がついたか?」

 先程とは、見える景色が全く違う。あまりの脈絡の無さに、再び困惑した。パトリツィアは、ズビニェクの身体にもたれかかり、翼を布団にしていたのだ。ズビニェクは、パトリツィアの横に顔を置いてパトリツィアを見ている。

「いきなり意識を失ったから、驚いたぞ。とりあえず治癒はしておいてやったが、楽になったか? 人間の身体はよく分からん」

 ズビニェクの言葉に困惑して、自分の身体を確認する。

 身体は妙にだるかった。治癒していると言うが、倦怠感は失われていない。頭がぼうっとする。貧血の症状は、未だ続いていた。

「なんか、まだだるい」

 パトリツィアがぽつりと呟くと、ズビニェクは鼻息を軽く吹く。

「大抵の怪我や病気なんかは、治せるはずなんだが。仕方ないな」

 ズビニェクは呟くと、パトリツィアに確認を取った。

「お前にかけていた、痛覚遮断を解くぞ?」

「……ん」

 パトリツィアは今まで、ズビニェクに痛覚を遮断してもらっていた。そうでもなければ、パトリツィアだって戦えない。激痛に耐性なんて無いのだ。何かを殺す行為にはこの異世界に来て必然的に慣れてしまったが、痛覚だけは慣れようと思って慣れるものでもないだろう。

 軽い痛みは、全てズビニェクの魔法で遮断される。激痛もある程度は遮断されて、少し痛いという程度にしか感じられない。便利だったからだ。

 それを、今解く。一応治癒の魔法はかけられているので、怪我は無いはずだ。HPも満タンだろうと思う。だからパトリツィアは、ズビニェクに魔法を解く許可を出した。

 

 そして――パトリツィアは、あまりの頭痛と嘔吐感に泣き叫んだ。

 

 

「いたい、いたい、いたい、いたいぃぃぃ」

 しくしくと泣いてその場で頭を抱えて悶えるパトリツィアに、ズビニェクの方が驚く。先程まで痛みを感じていなかったのだから、頭がかち割られているような酷い痛みでは無いのだろうが、それでも痛みは痛みなのだろう。彼女は泣いていた。

「どうしたのだ、パトリツィア」

 そんな彼女に、ズビニェクは慌てた。彼女の様子は尋常ではない。頭を抱えて泣き喚き、そして――

「ぐ……うぇ……」

 彼女は、その場で吐いた。胃の中身が出てくる。つん、と酸っぱい臭いがその場にぶち撒けられる。同時に、鉄錆の臭いも漂って――。

 彼女の胃の中身は、消化途中の食べ物と胃液は、真っ赤だった。

「――――」

 明らかに、彼女はおかしい。ズビニェクは慌てて、再び痛覚の遮断を行う。この魔法は痛覚と共に幾つかの()調()も遮断してしまうが、もはやそんなことはどうでも良い。彼女の様子を落ち着けることこそ、真っ先にしなければならないことだった。

「…………ぅ」

 色々な感覚を遮断されたパトリツィアは、呻き声を上げてその場に蹲って動かない。ズビニェクは器用に彼女を爪と尾と羽で動かして、再び自分にもたれかからせるようにする。

 きっと、苦しいのだろう。ズビニェクは人間種では無いから、彼女の表情はよく分からない。

 だからズビニェクは、彼女の顔色が最近真っ青だったことにも、気づかなかった。

 そして今も、全く気づいていない。

「…………」

 ぼうっと彼女は、呆けている。疲れが一気に身体にきたのだろう。彼女の身体に、一体何が起きているのだろうか。ズビニェクには分からない。怪我も、病気も全て治っているはずなのに。

 

 ――原因不明の発熱。貧血による顔色の悪さと、全身の倦怠感。些細な傷でも止まらない出血と、頭痛に嘔吐。

 ここまで条件が揃えば、医療に携わる人間ならば察することもあるだろう事象。そして、患者のあまりの若さに途方に暮れるに違いない。

 治療法が無いわけでは無い。不治の病でも無い。それでも、この状況でそれを患うことは、致命的な末路を示していた。

 ……それは、血液の病。正常であったはずの細胞の遺伝子が突然変異を起こして変質する。西暦二一〇〇年を超え、放射線や紫外線、ウィルスなどが原因と言われるが結局のところ芯の部分では原因不明と称される、生命の悪戯にして神秘。

 その細胞の突然変異を、パトリツィアのいた世界ではCancer――あるいはKrebsと呼ばれている。ある古い偉人が、それをカニのようだと称したからだ。

 彼女がその中で患ったのは、とりわけ性質の悪い病。血液の“がん”と言われるもの――即ち。

 ()()()である。

 

「何か欲しいものでもあるか?」

 身体を預けるパトリツィアに訊ねるが、ズビニェクにもたらされた返答は疲れ切った言葉だった。

「ん……今はいいかしら。とりあえず、眠りたい」

「そうだな。ゆっくり寝るがいい」

 パトリツィアの身体を温めるように、ズビニェクは寄り添う。一人と一匹は、治癒の魔法が効果を発揮しないのだから、それを良くなるものだと勘違いしていた。

 彼女が患ったモノの正体を知っていたなら、絶対に良くはならないモノだと気づいただろうに。

 彼女が患った病名は、現実で言うところの「急性骨髄性白血病」である。「急性」と名のつく通り、症状が出る頃には末期症状(ステージ4)だ。然るべき施設で早急な治癒が必要である。

 だが、この異世界のどこにそんな施設があるだろうか。確かにこの異世界は魔法によってチグハグな発展をしているが、それでもがんを駆逐出来るほどではない。がんの仕組みさえ、この異世界では分からないだろう。

 抗がん剤はない。骨髄移植なんて出来るはずもない。治癒の魔法は無意味だ。何故なら、それは遺伝子の突然変異。治癒の魔法で「妊娠」が治らないように、彼女の細胞は修復しない。したところで、ミスプリントされた細胞が増殖するだけで終わるだろう。もし仮にそれを治そうと思うなら、もっと別の「奇跡」が必要である。

 だから悲しいほどに――今の一人と一匹にとって、治療法は皆無だった。

「おやすみ、パトリツィア」

 穏やかな声をかける。パトリツィアはよほど疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。その身体を優しく包む。

「――――」

 

 ――――数週間も経つ頃には、彼女は動かなくなった。

 

 

        4

 

 

 ――女は最期に、「死にたくない」と呟いた。

 ――雄はそれに、「分かった」と頷いた。

 

「クリック、クラック――では、物語を始めようパトリツィア」

 

 

        

 

 

「ひえええええええええ!!」

 絶叫を上げる。戦士の男は目の前の、異様な姿の(ドラゴン)を見て、情けない声を上げた。

「なにあれ!? なにあれ!?」

 魔術師の男もまた奇声を上げる。(ドラゴン)というだけで、彼らには荷が重いと言うのに。更に奇怪な姿をして理解を越えた見目となれば、混乱するのも無理はない。

「逃げろ!」

 絶叫し、二人は同時に駆け出した。仲間である盗賊の男や、神官の男がどうなったかは考えない。もはや二人の目的は森から出ることに集中されている。

 『還らずの森』シュヴァンツァラ。どうしてこんな森に来てしまったのだろうかと嘆きながら。

 男たちは冒険者である。『還らずの森』の噂を聞いて、そこを冒険しようとやって来た命知らずに過ぎない。そう、文字通り命知らずだった。代償は自分の命だ。森に入れば分断され、難度一〇〇は有るだろう森のモンスターたちから逃げ出し、そしてなんとか二人だけ合流した。

 この森は、アダマンタイト級冒険者でないと対処出来ない。リ・エスティーゼ王国からやって来た冒険者たちは、森から逃げ出そうと必死だった。

 そして――

「大丈夫?」

 その森で、美しい女戦士に出会ったのだ。

 異様な姿の(ドラゴン)は、女戦士に討伐される。その戦い方はまさに戦乙女の名が相応しい。美しく、華麗であった。二挺の短剣を自在に繰る女戦士の実力は、話に聞くアダマンタイト級冒険者と差異が無いように思えた。

「あの、アンタは……」

 魔術師が呆然と名を訊ねる。女戦士は、その言葉に微笑んで答えた。

「私の名はパトリツィア。よろしくね」

 女戦士はそう名乗り、水色の、まるで氷の色のようなフード付きマントが微風で揺れたのだった。

 

 ――パトリツィアと名乗った二刀流の女戦士は、森の中を随分と長く彷徨っているようで、この森にとても詳しかった。パトリツィアのおかげで、命からがらなんとか生きていた残りの二人……盗賊と神官とも合流出来た。

「運が良かったわね」

 パトリツィアはそう言う。自分たちも、女の言葉に素直に頷いた。この森に棲息しているモンスターたちの強さから、確かに女の言う通りだと思ったからだ。

 自分たちは運が良い。もしパトリツィアと合流出来なかったら、自分たちはこの森で彼らの餌になっていただろう。

 この地表部分は、狭間の森インと呼ばれているとパトリツィアは言う。この森を抜けると、更に別の場所が有るようだ。そして、それは外からは見えない。

「この迷宮から脱出する方法は、下層にいるズビニェクに会うしかないわ。私が手伝ってあげる。さあ、行きましょう」

 パトリツィアの言葉に頷いて、隊列を組んで先へ進んだ。

 狭間の森を抜けると、とても美しい氷で出来た王城へと辿り着いた。

「ここは、氷の王国プリンキピオー。さあ、先へ進みましょう。氷で出来たゴーレムたちがいるから、注意してちょうだい」

 氷の王国には、確かにパトリツィアの言う通り、氷で出来たゴーレムたちが存在した。〈火球(ファイヤーボール)〉が効果があるが、〈火球(ファイヤーボール)〉は第三位階。おいそれと使えるものでもなく、連射も出来るはずが無い。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ではあるまいし。

 そのため、ここでも戦闘は全てパトリツィアに任せることになった。パトリツィアは瞬く間にゴーレムたちを片付けていく。

「悪いな。何もかも任せきりで」

 戦士は頭を掻きながら、礼を言った。これは、四人全員の気持ちだと思っていい。自分たちが役に立たないことを、酷く申し訳なく思う。

 そんな役立たずたちに、パトリツィアは微笑んだ。

「気にしないで。適材適所よ。私は戦闘は得意だけれど、罠を発見するのは苦手だもの。それに、引きこもりだから外のことには詳しく無いの。ここから出ることが出来たら、不貞腐れず頑張ってちょうだい」

 パトリツィアの言葉に、頷いた。確かに彼女は強いが、戦闘を女に任せて男が引っ込むなど、正直辛過ぎる。やはり、男とは女子供を守ってこそだろう。戦えるのだから、尚更だ。

(今度、鍛え直すか)

 戦士はそう心の中で決定する。自分はミスリル級で、いずれはオリハルコン級になれるほどに強いとは思っていたが、やはりアダマンタイト級は格が違った。これに追いつくには、並々ならぬ努力が必要だ。もしかすると、一生追いつけないかもしれない。

 それでも、努力だけは捨てたくない。夢を諦めたくない。だから、この迷宮から脱出したら必ず強くなると心に誓う。

 五人は氷の王国を進んでいく。そして、パトリツィアは玉座の間の前で一度止まった。

「聞いてちょうだい。この先には、とても強いモンスターがいるの」

 そのモンスターの名を、「雪の女王ダグマル」と言うらしい。恐ろしい冷気を操る魔女で、供に「真実の鏡ドゥシャン」という者を連れているそうだ。

「両方ともとても厄介なのよ。ここではどうやっても倒せないわ。絶対、転移で逃げられる」

「転移魔法!? 嘘だろう!?」

 転移の魔法は存在する。第三位階にもあるし、複数転移は第五位階魔法以上の伝説級だ。ダグマルとドゥシャンとやらは、その使い手だというのか。

 魔術師は第三位階に到達しているが、転移魔法は習得していなかった。

「だから、とりあえず生き残ることを優先して。二人とも、性格が最悪だからあまり話を聞かないようにね」

 パトリツィアはそう言うと、玉座の間の扉を開いた。

 ぎいぃ、という鈍い音が響く。目に入るのは氷の玉座。そこに、美しい女が大きな鏡に向かって何事かを呟いていた。

「おお、鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰じゃ?」

「それは勿論、白雪姫(スノウホワイト)だぜ王妃さん」

 その言葉を聞いた瞬間、美しい女の顔が鬼女の形相に変化した。

「あな憎しや。では、あれが死ねばこの世で一番美しいのは、また私に戻るのだな」

 女はそう呟くと、ぐるりとこちらを振り向いた。

「――ああ、美しくないモノは価値が無い。酷い臭いだ。穢れた者たちがここにいる」

 女は冷酷な表情を浮かべながら、冒険者たちを玉座のある場所から見下ろした。

「しかし私より美しいモノは、更に生きる価値が無い」

 そう呟いて。

「故に死ぬがよい、穢れし者たちよ。肺と肝臓だけを抉って、迷いの森クレアーウィットへ死体をバラ撒いてやろう」

 残虐に歪んだ表情を貼りつけて、女――ダグマルは嗤う。そして、巨大な鏡――ドゥシャンが忠告を冒険者たちに投げつけた。

「ひひひ。逃げた方がいいんじゃないかね? 俺ら三人と戦おうだなんて、勇気があるぜ」

「――――え」

 三人。そう告げられて、戦士は思わずパトリツィアを見た。ずぶり。

「――――あ?」

 首に、何かがめり込んでいる。

「今回は白雪姫(スノウホワイト)なのね。まあ、私のフードの色から、そうじゃないかとも思ったけれど」

 パトリツィアはそう言うと、ずるりと右手の短剣を引き抜いた。戦士の首に突き刺していた、血濡れの短剣を。

「――――」

 栓をしていたものが引き抜かれ、血が噴き出す。そのまま、戦士は事切れた。

「な、なにを――」

 神官が驚愕の声を上げるが、全てを口から吐き出す前に、パトリツィアは神官の襟を掴み、投げる。その先には巨大な鏡があった。

「よしよし。――いただきます」

 ドゥシャンがそう言うと、神官はそのまま鏡面へと沈んでいく。そして、叫び声が玉座の間に木霊した。何かを噛み砕き、貪る咀嚼音と共に。

「お、お前――」

 パトリツィアに向かって、盗賊が短剣を抜く。だが――盗賊は凍り付いた。

 文字通りに、凍ったのだ。

「私の許可なく動くな」

 ダグマルが無慈悲に告げ、いつの間にか指先を盗賊へ突きつけていた。盗賊は動かない身体に恐怖を覚える。凍り付いているのに、意識だけははっきりしていた。それが逆に恐怖だった。

 パトリツィアが、神官と同じように盗賊の襟を握る。軽々と、盗賊の身体が浮いた。

「――――」

 その後に何が起こるのか。自分の末路を想像し、心の中で悲鳴を上げて懇願する。だが、パトリツィアは盗賊の懇願を無視した。気づいていないはずは無いのに。

「どうぞ」

 そうして、そのまま歩いてドゥシャンのもとまで連れていく。ドゥシャンは喜んで、パトリツィアから盗賊を貰った。

「よしよし。さあ、お前も俺の中で愉しむと良いさ。しっかり開発してやろうな」

 ドゥシャンの言葉に、恐怖を覚える。必死にパトリツィアに慈悲を請うた。

 だが、パトリツィアの言葉は無情だった。

「じゃあ、私はさっきの魔術師を追うから。それまでに終わらせなさいよ」

 心底嫌そうに、パトリツィアはドゥシャンに告げる。それはドゥシャンへの許可も同然だった。盗賊の許しは、無視された。

 そして、盗賊は呆気なく、鏡の中に投げ入れられた。

 ……魔術師が逃げ出し、玉座の間に残った三人は言葉を交わす。

「こんなに楽しいのになぁ。お前もそう思うだろう、雪の女王の」

「ああ、こんなに楽しいのにのぅ。真実の鏡の。さあ、パトリツィア。あれを追うと良い。そしてアレは私におくれ。臓物を綺麗に並べて、主の贈り物にするのじゃ」

「ひひひ。主は俺らのことなんて、嫌いだがね。創造主のくせに、酷い奴だと思わないかパトリツィア。責任は持って欲しいぜ」

「そうね。私も、ズビニェクが貴方たちみたいな性格の生き物を作ったことには、非常に物申したい気持ちがあるわ」

 ダグマルも、ドゥシャンも、完全に属性(アライメント)は極悪だ。だからいつも、こんな役目しか貰えない。ナジェジュダなど他の者たちは、綺麗な役目を貰えるのだが。

 今回は白雪姫(スノウホワイト)だった。その前はブレーメンの音楽隊。更にその前は、ラプンツェルの塔で、それより前は果たして何だっただろうか。

「じゃあ、私はもう行くから」

 魔術師を追って、パトリツィアは玉座の間を出た。すぐに魔術師には追いつけるだろう。

 ……この迷宮は、昔パトリツィアがズビニェクに語った物語で出来ている。侵入者の存在によって、舞台となる物語は切り替わった。今回は「白雪姫」。狭間の森は何も変わらないが、パトリツィアの羽織るマントの色によって、ある程度の予測は立つ。

 「白雪姫」なら、こうして氷のような色に。「灰かぶり」なら、昔と同じ灰の色だ。「赤ずきん」なら、きっと真っ赤な色になるだろう。

 侵入者の存在によって、舞台と役者の役目は切り替わる。

 パトリツィアは昔、ズビニェクに死にたくないと告げた。病気で、死にいくだけのパトリツィアは、寂しくて寂しくて、ズビニェクに甘えたのだ。

 そしてズビニェクは、パトリツィアの望みに答えた。時間軸は捻じれ狂って、パトリツィアはこの舞台の中だけなら、こうして全盛期の姿を取り戻す。

 けれど。

「――はあ。つまんない」

 パトリツィアは、そう呟いた。ズビニェクには悪いが、外へ出たいと強く思った。こんな場所に閉じ込められるのは、うんざりだと。

 ……そうだ。ここから飛び出したい。そのためには、あんなレベルの低い冒険者たちでは駄目なのだ。最後が全く攻略出来ない。まだ体験していない舞台であったなら、最後まで付き合ってあげても良かったが、「白雪姫」は既に経験している。冒険者たちには、早めに退場を願うことになった。

 そんな、低レベルの者たちでは無いものを、パトリツィアは待っている。

「一〇〇レベルのプレイヤーが、必ずこの異世界にはいるはずだわ」

 パトリツィアがそうであったように、必ずこの異世界に同族はいるはずなのだ。ユグドラシルからやって来てしまった者たちが。

 彼らを待とう。特に、神官ならば好ましい。

 そうすれば、パトリツィアは外へ出られるのだ。一〇〇レベルプレイヤーならば、迷宮の最後を攻略出来る。

 外に出たい。例え死んでも、外に出たい。ズビニェクには悪いが、パトリツィアは日に日に強くそう思うようになっていた。

 これがズビニェクに対する裏切りだとしても、パトリツィアは外へ出たかった。

 ――――そもそも、最初に裏切ったのは彼の方なのだから。

「――さっさと魔術師の人を追ってしまいましょう。はぁ」

 パトリツィアは氷の王国を駆ける。早めに見つけて玉座の間に帰れば、ドゥシャンに食べられている可哀想な盗賊も、すぐに死ねるだろう。ドゥシャンはあれで、パトリツィアに優しい。

 いや、そもそもこの舞台はパトリツィアを中心(ヒロイン)に出来ている。だから、この舞台の役者たちは皆パトリツィアに優しいのだ。

 いつかパトリツィアが、主であるズビニェクを裏切るその日まで。

 パトリツィアはずっと待っている。彼女を助けてくれる、彼女だけの王子様を。

 

 

        

 

 

 ――水晶洞窟を抜けて、アインズたち三人と一匹は、穴の開いた大樹へと辿り着いた。

 大樹の中は空洞になっており、その空洞の中には幾つもの枝が道を作っている。ハムスケが乗っても、大丈夫なような大きな枝の道が。ならば大樹の大きさは、語るまでもないだろう。

「ここは大樹の穴デウスよ。中に入ったら、面倒なエリアボスが襲ってくるでしょうから気をつけて」

 パトリツィアは、ここには「疫病の双子ダグマル」というエリアボスがいると言った。ドゥシャンと同じく、最悪な性格の持ち主だとも。

「さあ、行きましょうアインズ。最下層も近いわ」

 パトリツィアは、向日葵を連想するような花が綻ぶような笑顔を浮かべて、アインズを促す。

 

 ――彼女の夢の成就は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 




 
パトリツィア「私はパトリツィア! PK大好き女子高生!」
ドゥシャン「俺はドゥシャン! 人を貪り喰うのが大好きなカルマ値極悪怪物!」
ダグマル「私はダグマル! 人間を解体するのが大好きなカルマ値極悪怪物!」

ズビニェク「ほーん(震え)」
 







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