オーバーロード 陰森の赤頭巾《完結》   作:日々あとむ
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■前回のあらすじ

ダグマル「我が名は疫病の双子ダグマル!」
アインズ「三人いるじゃねーか!」
ドゥシャン「多い日はレベル分増えるぜ」
 


4章 午前零時の鐘の音

        1

 

 

 ――そこは、薄い明かりが灯された、一切の音が存在しない空間だった。

 壁と壁の横幅五メートル、天井と床の縦幅は七メートルほどの廊下のようで、奥は暗闇に覆われて見えない。そして天井も、床も、壁も、それらを構成する素材はある輝きに酷似していた。

 即ち、ダイヤモンド。その宝石の意味は『永遠の絆』『純潔』――『永久不変』。

 そこはダイヤモンドで出来たみたまや。ある(ドラゴン)が『永遠の愛』を先祖に誓った、たった一人の少女のための、この世でもっとも美しい宝石で出来た殿堂。

 名を、霊廟エト。この迷宮の、事実上の最深部である。

 

 

「――さて、と」

 霊廟へ辿り着いたアインズたちへ、霊廟廊下の中央に立ったパトリツィアは振り返る。既に、その二挺の短剣は鞘から引き抜かれていた。

 込められた魔法の力によって、この薄暗く輝く霊廟の中でなお、その刃は煌いている。

 それが美しく思えず、不気味な輝きに思えるのはおそらく……これから起こるイベントを理解しているからだろう――アインズは、頭の片隅でそう思った。

「アインズ、ナーベラル……それにハムスケくん。ありがとう。この霊廟にちゃんとした形で辿り着けたのは、この迷宮が生まれて貴方たちが初めてだわ」

 まず、パトリツィアは心からの感謝を告げた。浮かべる微笑みに、嘘はまったく見られない。

「本当に――本当に、感謝しているわ。私は長らく、ズビニェクによってこの迷宮に閉じ込められていたの」

「? 迷い込んだのではないのでござるか?」

 ハムスケが、首を傾げて問う。パトリツィアは「ええ」と頷いた。

「そうよ、ハムスケくん。私がユグドラシルからここへ来たのがいつ頃だったのか、それは分からない。ただ、最初の切っ掛けはアインズと同じようなものだったんじゃないかしら?」

 個人とギルド単位という違いはあれ、パトリツィアがこの異世界にやって来た切っ掛けは、アインズとさして変わらない。当然、その時の混乱具合も変わらないだろう。

 そう――アインズと同じように。パトリツィアは、初めからこの迷宮にいたわけではない。そして、迷宮に迷い込んだわけでもない。

 パトリツィアは、外でズビニェクという迷宮の主に遭遇し、そしてこの迷宮に閉じ込められた。

「何故、この迷宮から出られなくなった? お前の口調からは、そのズビニェクという奴との信頼が窺える。ズビニェクは、お前が出たいと願うのなら出してやるのではないのか?」

 敵対関係でないのなら、親しみさえ感じているのなら迷宮の外へ出してもらえるものなのでは。「外に出たい」と願うパトリツィアと、それを叶えてやらないズビニェク。アインズは、ずっとそれが不思議だった。

 そしてその答えを、パトリツィアは口にする。

「簡単よ。――私、()()だったの。それで、死にかけたのよね」

「…………」

「当時、私は『死にたくない』と強く願っていたわ。こんなところで死にたくないと。……何かも分からない病気で、このまま死んでしまいたくない――私は、そう願っていた」

 パトリツィアは、生物として当たり前の衝動を口にする。

「それを――ズビニェクは叶えたのか」

 アインズの言葉に、パトリツィアは頷いた。

「ええ。彼は、彼なりに私を生かそうとした。その結果が、この時間軸の狂った迷宮。ズビニェクの使う、()()()()()()。私は、それにこう名前をつけたわ」

 狭間の森。

 灰の都。

 水晶洞窟。

 大樹の穴。

 黒の湖。

 そして霊廟。

 即ち。

 

「In principio creavit Deus caelum et terram――って」

 

 初めに、神は天と地を創造した――と。

「創世記か。なるほど……確かに」

 何もかもが、あらゆるものが魔法で生み出された迷宮。空も、地も、あらゆる生命全てが。ならばそれを生み出したズビニェクは、正しくこの迷宮における“神”である。パトリツィアのつけた魔法名称も、あながち的外れではない。

「ズビニェクとやらが生み出したこの迷宮は、パトリツィア。お前が、死を迎えないための病室だったのか――」

 それが、この迷宮の真実。パトリツィアが死を迎えないための、パトリツィアのための無菌室だ。

「ええ、そうよ。死にたくない私と、離したくないズビニェクの思惑が一致した時、彼は魔法を唱えた。()()()()()()()()()()()()()

 病気で今にも死を迎える寸前だったパトリツィアと、そんなパトリツィアを哀れに思ったズビニェク。二人の願いが一致したその時、この迷宮は完成したのだ。

「少し気になるんだが、治癒の魔法は存在しなかったのか?」

「あったわ。でも、どういうわけか私の病気は治癒魔法じゃ治療出来なかったの。今でも、私は自分が何の病気を患ったのか分からないわ。医者じゃないもの。そして、“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”みたいな世界級(ワールド)アイテムも、私は持っていなかった」

 彼女は願いを叶える魔法も、アイテムも持っていなかった。ズビニェクにもなかった。だから、それはひたすら原因不明の病であったのだと。

「だから、彼は私をこの迷宮に閉じ込めた。私は、死なないためにこの閉じた迷宮を歩き続けたわ」

 そして――

「今、お前は願っているんだな。()()()()()、と」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは力強く頷いた。

「そうよ、アインズ。私は――外に出たい」

 つまり。

「お前は、ずっとユグドラシルの魔法詠唱者(マジックキャスター)を待っていたのか。一〇〇レベルプレイヤーを」

 再び、外へ出るために。

「ええ、アインズ。私は――ずっと一〇〇レベルプレイヤーを待っていた」

 パトリツィアは頷いて。

「さあ、アインズ――もう分かっていると思うけれど」

「ああ……」

 アインズは、ナーベラルとハムスケを押しのけて、前へ出る。そして、告げた。

「ナーベラル、ハムスケ。下がれ。これより、霊廟のエリアボスを討伐する」

「……え?」

 大人しく話を聞いていたナーベラルが、困惑してアインズの顔を見る。何故なら、ここには自分たち以外存在しないからだ。霊廟廊下の奥から、何かがやって来る気配も無い。

 なのに、アインズはこれから霊廟のエリアボスを始末すると告げたのだ。

 パトリツィアは、そんなアインズを微笑みさえ浮かべた涼しい表情で見つめる。全て、承知していると。そう告げるように。

「早くしろ。お前たちは自分の身を守ることを優先するんだ。私たちから離れて、奥へ行け」

「と、殿。どういうことでござるか?」

 ハムスケの問いに、アインズは緊張感を孕んだ声で答える。

 何故なら――今から行われる戦闘は、おそらくかつてないほどの激戦になるからだ。かつて、シャルティアとの戦闘さえ上回るほどの。

 確かに、アインズはシャルティアとの相性は悪かった。仮にシャルティアがプレイヤーならば、アインズに勝ち目は無かっただろう。

 だが、シャルティアはNPCであり、PVPの経験がほぼ無い。戦略の組み立てがまるでなっていない。そして、シャルティアの戦闘能力をアインズは完全に把握していた。

 結果。アインズは、シャルティアに見事勝利した。

 だが……今から行われる戦闘はまるで違う。アインズは相手の戦力をほぼ把握していない状態で戦闘を開始せねばならず、そしてアインズは初見相手には基本敗北を喫していた。何故ならアインズの戦闘力はユグドラシルでは、敗北してからの再戦にこそ発揮されてきたからだ。

 そして、この迷宮で転移魔法や特殊技術(スキル)、アイテムは使用出来ず。更に盾役の召喚系魔法や特殊技術(スキル)、アイテムも使用出来ない。

 それがルール。それが、この迷宮の大前提の法則。霊廟のエリアボスにとって不利になる要素を、悉く排除されたアドバンテージ・ロケーション。

 ――どうして、この迷宮はこうなのか。それはアインズには分からない。明らかに、この迷宮は最初の大前提が狂っている。しかしそうである以上、アインズという外野が何かとやかく言うのは口煩いだけだろう。

 よってアインズは、ただ自分たちが生き残ることだけを考えよう。その果てに、彼女を助けられたらハッピーエンドだ。

 アインズは、両腕を自由にしてパトリツィアと対峙した。彼女との間合いは、およそ十メートル。不安しか感じない距離だが、しかしこれ以上の有利は与えてもらえないだろう。完全にアインズの味方として行動出来るのなら、彼女はあらゆることをアインズに語っていたはずだ。

「アインズ様……何をなさるのですか?」

 ナーベラルはハムスケと共に背後に下がりながら、アインズの背に問いかける。いつの間にか、背後から入ってきた扉は消えていた。

 逃げ場は無い。それも、よくあること。エリアボスと戦う時に、逃走を選べるゲームはそう多くは無いのだから当然だ。

「――――」

 アインズはその問いに答えずに、深く息を吸って、そして吐いた。

 恐ろしかった。

 死は、覚悟している。それでもアインズの中にある人間の精神の残滓が、酷く怯えていた。正真正銘の、二度目の命の奪い合いに。

 だが、アインズは覚悟を決めて前へ立った。何故なら、アインズの背後には守るべきものがいるからだ。ナーベラルたちという、大切なものが。

 だから、アインズは絶対に負けない。勝ってみせよう。それをきっと、目の前の彼女も望んでいるだろうから。

「では、始めるかパトリツィア」

「ええ、アインズ」

 アインズの言葉に、パトリツィアは頷いた。

「ああ――私の願いは、ようやく叶う」

 感慨深く呟いて、パトリツィアは宣言する。

「では――ギルド“アカ・マナフ”の一人、そして霊廟エトのエリアボス『灰かぶりパトリツィア』――推して参るってね!」

「来るがいい迷宮最後の番人、パトリツィア。ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の強さを、その身に刻み込め……!」

 霊廟エトのエリアボス「灰かぶりパトリツィア」は、迷宮最後のギミックとして、その本性を現した。

 

 

        2

 

 

(まずは、パトリツィアをナーベラルたちから引き離す……!)

 パトリツィアは一〇〇レベルプレイヤーの、技量系前衛戦士だ。しかも人間種という恐ろしさ。ユグドラシルで人間種のプレイヤーは種族レベルの存在する異形種と違って、その取得レベルを全て職業(クラス)に振れるという、完全な真剣職業構成(ガチクラスビルド)が可能である。

 全身を神器級(ゴッズ)アイテムで武装しているアインズの方が、武装面では優れている。だが、それが気休めにしかならないことは、アインズ自身が一番理解していた。

 人間種の一〇〇レベルプレイヤーは、それほどまでに恐ろしい。

(おそらく、あの女が習得している特殊技術(スキル)は――)

 武器による攻撃力が上がる武器習熟Ⅴ。利き手関係なく両手で武器を振るえる二刀流習熟Ⅴ。装備の重さを軽減し、体勢を補正する上位戦闘熟練Ⅲ。クリティカルヒットの攻撃力を上げたり、追加ダメージを与える急所攻撃Ⅴなど――。

 そして当然、物理ダメージや魔法ダメージを軽減する特殊技術(スキル)も保有しているだろう。アインズのように、六〇レベルの容量以下ダメージを無効化する特殊技術(スキル)なんて、保有しているはずがない。

 習得している職業(クラス)は――ファイターにフェンサー、ソードダンサー。ガーディアン。そして、P()K()()()()()()の嗜みとして、姿を隠せるローグか対象を発見出来るスカウト。

(くっそ! ……冷静に考えて、初見攻略が厳し過ぎる!)

 アインズはキャラクターとして、魔王のロールプレイを前提に職業構成(クラスビルド)している。そのため、前提として遊びを多く含んでいるのだ。ユグドラシルでPVPをする上で、無駄な特殊技術(スキル)や魔法の習得を多く含んでいる。

 だが、パトリツィアは“アカ・マナフ”というPKギルド所属の、間違いなくPK専用職業構成(クラスビルド)だ。PKとPVPは似て非なるものだが、それでもプレイヤーを殺すという点に関しては圧倒的にパトリツィアが有利だろう。

 それを相手に、初見攻略しなくてはならないという苦痛。正直、溜息をつきたい状況だ。こういう相手はPVPに持ち込むのではなく、ギルドで嵌め殺しを目指すものである。

(幸いなのは……あの女、ダンジョンギミックとして俺と殺し合わないといけないが、芯の部分では俺を勝たせる気しかないことだな)

 パトリツィアの望みは外へ出ること。即ち、アインズが勝利することである。ダンジョンギミックとして、この迷宮のルールに沿って戦闘行為はするが、内心ではやる気が無い。PVPに見せかけたPVNのようなものだ。それが、アインズに僅かな勝機を用意してくれている。

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 アインズはパトリツィアに向けて、何本もの雷を束ねて作ったような巨大な豪雷を三本放つ。対してパトリツィアは――その雷を、平然と回避した。

「チッ!」

 ゲームではなく現実化した結果、魔法さえ平然と射線からずれて回避する。追跡(ホーミング)機能を持つ魔法を使うか、あるいは回避出来ないように工夫するかしないと、魔法は回避されてしまう。

「それじゃあ、いくわよー」

(来る――!)

 ある程度接近された。よって、必ずそれは来る。アインズにとって、恐ろしく強力でそして回避し辛い最悪の特殊技術(スキル)。パトリツィアが何度も見せた、彼女の十八番。

 即ち――五大明王撃が。

(舐めるなよ……! こちとら、武人建御雷さんとは何度もPVPしてるんだ……!)

 だから、対策はしてある。今まで彼女が使用した特殊技術(スキル)から、彼女がどのような相手を得意としているのかも、アインズはある程度予測を立てていた。

 だから、この方法はきっと間違いじゃない。

「〈相反する業(コンフリクト・カルマ)〉!」

「――あら」

 パトリツィアは、五大明王撃の初手動作に入った瞬間を狙って唱えられた呪文に、驚きで目を見開いている。〈相反する業(コンフリクト・カルマ)〉は呪文対象のカルマ値を逆転させる魔法だ。この場合、誰を対象に発動するかと言うと――。

「う、おぉぉおおおおおおッ!」

 アインズは自らを対象に発動させ、五大明王撃の第一撃動作、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の攻撃を〈加速(ヘイスト)〉などの身体能力強化と敏捷度上昇などを併用し、なんとか回避する。

 〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の〈倶利伽羅剣〉はまだ問題無いが、〈不動羂索〉はカルマ値が低い相手の回避性能を更に減少させる効果があるので、絶対に受けるわけにはいかない。

 だからこそ、アインズは自らのカルマ値をプラスに変化させた。

 結果、アインズは幾つかの魔法の攻撃力が低下したが、しかし後悔は無い。あのまま攻撃を受けると、そのまま嵌め殺しに移行する確率が高いからだ。

「よくもまあ、そう珍しい魔法を使えるわね」

「魔法の習得数なら、俺より上のプレイヤーは少ないとも」

 パトリツィアは苦々しげに呟く。アインズを勝たせたいが、それとは別に自分の攻撃を回避されるのはプライドが刺激されるのだろう。

 ……おそらく、パトリツィアが得意とする相手は生物――それも、カルマ値がマイナスに寄った相手だ。五大明王撃に、ダグマルに使用した〈裁きの雷霆(ジャッジメント・ケラウノス)〉――それらは、カルマ値が低い相手にこそダメージ値が上昇する。

 そして、カルマ値がプラスの相手や、クリティカルヒット無効化のアンデッドなどは苦手としているはずだ。PKギルドに所属していながら、カルマ値が中立のプラス寄りだというのが、その根拠だ。

 PKというのは、基本的にカルマ値が下がるものである。PVPという一対一の正々堂々ではなく、忍び寄っての奇襲攻撃や、相手を多対一に追い込む行為――そしてアイテム強奪などカルマ値がマイナスへ傾く行為は幾らでも存在する。

 だが、時折PKプレイヤーの中には、パトリツィアのようにカルマ値がプラス寄りの者がいることがある。“アインズ・ウール・ゴウン”の中ではたっち・みーなどがそうだ。

 “アインズ・ウール・ゴウン”とて異形種のPKギルドである。たっち・みーだって、何度もPKを行っている。だが彼は聖戦士。聖なる騎士は、カルマ値がマイナスでは習得出来ない。

 ならばどうしたか――大抵は、他の行為でプラスに寄せるのだ。善行を積む、というやつである。たっち・みーはこれに該当した。

 だが、他にも当然方法はある。それは――カルマ値が変動しない相手をPKすること。つまりはアインズのような異形種狩りか……そもそもカルマ値が()()()()のプレイヤーを狩ることである。

 異形種はPKしてもカルマ値が変動しない、という設定になっている。だが、他にカルマ値が変動しない相手は存在した。それが、カルマ値が一定以上マイナスの者たち――つまり、極悪に寄っているプレイヤーである。

 指名手配イベントに登録されるようなプレイヤーや、カルマ値がある程度マイナスのプレイヤーは、PKしてもカルマ値が下がらないのである。

 “アカ・マナフ”はユグドラシルでも有数の、()()()()()()と称されるPKギルドだ。性質(タチ)の悪さで言えば“アインズ・ウール・ゴウン”の方が()()だが、“アカ・マナフ”がおかしいのは“アインズ・ウール・ゴウン”とは別の意味である。

 つまり、PKにかける情熱が尋常ではない。損得をまるで考えず、ただ相手を殺すことを重要視する。しかも同士討ち(フレンドリー・ファイヤー)もいとわない。わざわざ設定を解除してまで。それでギルドが崩壊したのも一度や二度ではない。

 パトリツィアはそんな、PKギルドのメンバーなのだ。つまり、PKギルドでありながら、マイナス寄りの行動を普通のPKギルドより行わないのである。

 多対一――PKプレイヤーの自分の方が一人のことの方が多い。アイテムの強奪――殺したプレイヤーのドロップアイテムを放置して別のプレイヤーに襲いかかり、結果として死ぬことが多いので拾うこともあまり無い。忍び寄っての奇襲攻撃や、相手を追跡して逃がさないストーカー行為が一番多いマイナス行動だろう。あとは、人間種も亜人種も異形種も、等しく狩り対象で贔屓は無い。初心者狩りなどもってのほかだ。玄人を狩りにいくことの方が多かった。

 それが“アカ・マナフ”。そんなPKギルド所属に所属しているのが、パトリツィアだ。彼女たちはそのギルド名の通り、悪意の精霊(アカ・マナフ)に憑依されていながら、PKギルドとしては()()()()()()ギルドなのである。

 ――まるで、その精霊に憑かれてさえいなければ、善良だとでもいうように。

 よって、今この瞬間アインズはパトリツィアの苦手とするプレイヤーとなった。クリティカルヒットは無効化され、カルマ値はプラスになったために十八番の五大明王撃などの効果は薄くなる。

「――むむむ」

 パトリツィアは〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の続きを発動させない。攻撃力は高いが、最大効率は求められない。よって、まったく別の特殊技術(スキル)による連続技(コンボ)が、主な攻撃手段になるだろう。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)肋骨の束縛(ホールド・オブ・リブ)〉!」

 距離を詰めたパトリツィアに向けて、床から巨大な肋骨が虎ばさみのように生え襲う。白い骨の鋭利な先端が、パトリツィアの肉体深くに食い込もうとし――

「――ふふ」

「――え?」

 するり――と。パトリツィアの肉体をすり抜けた。

 鎧に防がれたのではない。回避されたのでもない。例え移動阻害に対する完全耐性を所有していようと、それは束縛だけを無効化する。ダメージそのものは入るのだ。

 だがそれはパトリツィアの肉体を、まるで非実体の如く抜けたのだ。

 そして呆然としたアインズに向けて、パトリツィアは右手に持つ短剣を胴体へと()()()()()

「がッ!」

 アインズは種族特性として、斬撃武器に対する耐性を持つ。パトリツィアはそれを分かっているかのように、斬りつけるのではなく短剣の刃で()()()にしたのだ。

 その痛みは、斬撃武器耐性Ⅴを抜けた。

「よっと」

 胴体を殴られてその場から吹き飛びかけたアインズの足先を、パトリツィアは足で()()()()()。まるで、その場から逃がさないと言うように。

「いいことを教えてあげましょう。刃は横殴りすれば、簡易的な殴打武器になるの。ユグドラシルでは斬撃武器は斬撃武器以外の何物でもないけれど、現実では刃幅で叩けば扱いは()()よ」

「ぐ――」

 現実化したせいで行われた仕様変更を告げられる。そうパトリツィアはアインズに助言すると、肩を上げて短剣を胸の前で十字に組む。これは――

(予備動作! 攻撃特殊技術(スキル)を使う気か! 来るのは――この距離なら間違いなく双剣の得意技の連続乱舞系……!)

 乱れ撃ちだ。双剣使いがミドルレンジの間合いで使用してくる、厄介な特殊技術(スキル)。そんなものを直撃するだなんて、冗談では無い。

(ナーベラルは……ハムスケを連れて充分に離れた。なら……)

「〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉」

 本来は効果範囲が広い第九位階魔法だが、わざと範囲を狭めて放つ。攻撃力は第九位階魔法のくせに弱いが、この魔法は強いノックバック効果を持つので、距離を離して戦わないといけないパトリツィア相手には最適の魔法だ。

 更に、追加効果で毒や盲目、聴覚消失などバッドステータスも付加されるために、人間種のパトリツィアに致命的。人間種は大抵、状態異常攻撃に対して脆弱だ。

 唯一のネックはこれは自分にも効果があることだが。

「――――っ」

 しかしアインズは事前に対策していたため、当然ノーダメージだ。対して、パトリツィアは爆発で吹き飛ぶ。彼女は平然と、空中で身を捩じって床に安全に降り立った。

 だが、肝心の距離は開いた。一方的に攻撃を叩き込まれるだけの、サンドバッグになる危険性は避けることが出来たのだ。敏捷性の高い前衛戦士に至近距離にいられると、魔法詠唱者(マジックキャスター)は、ただのサンドバッグにされてしまう。

 つい最近、帝国のワーカーの双剣使いが率いるチームと近接戦を挑んだが、パトリツィアはそのワーカーの完全上位互換だ。というより、比べることが烏滸がましいと言うべきか。上位互換という表現さえ侮辱だろう。ワーカーの時のように、アインズの身体能力でどうにかなるとは思えない。

 それよりも――

()()()()

 アインズは、平然と床に立つパトリツィアを見る。明らかに、パトリツィアはおかしい。

(エリアボス化による、ボス特性? 状態異常に対する完全耐性か?)

 パトリツィアは人間種だ。そのため、状態異常攻撃にはめっぽう弱い。

 そのパトリツィアに、まるで状態異常を意に介した様子が無いのだ。〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉の魔法による複数のバッドステータス付加が、まったく効果を見られない。

 これは、明らかにおかしかった。普通ならば、人間種はバッドステータスを解除するために解毒薬などのアイテムを使用する。

 だが、パトリツィアには元から効果が見られないのだ。

(面倒な……)

 イベントNPCがボス化して、今までの弱点属性が変更される。ボスになると状態異常が通用しない――これも、ゲームでよくあることだ。

(やっぱり、ボスエネミーって卑怯だよなぁ……)

 ボスエネミー……特に固有名個体(ネームド)と呼ばれる類のキャラクターは、明らかに構成(ビルド)が違う。本人固有の特殊技術(スキル)や魔法は当たり前。時に職業(クラス)だって専用職を持っている。

 そして大抵は即死無効であり、状態異常に対しても完全耐性を持つ。

 今のパトリツィアは、おそらくその類――霊廟に辿り着くことで、この迷宮のシステムに則りエリアボス化したのだ。

 パトリツィアが再び距離を詰める前に、幾つか無詠唱化した魔法で機雷を仕込んでおく。とりあえずは距離だ。距離を詰めさせてはならない。それは敗北を意味する。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉」

 漆黒の球体をパトリツィアに向けて放つ。必中効果は無いが、牽制と回避することで機雷に引っ掻けることを目的にしている。その機雷に引っかかった隙を狙い、更に距離を離させる魔法を使うのが目的だ。

 パトリツィアは、やはり平然と回避行動に出た。そのまま機雷に引っ掻けようとするが――

「――はあ!?」

 パトリツィアは、跳躍するように回避すると、横壁につき、そのままピンボールのように跳ねたのだ。

 そして――天井へ蜘蛛のように貼りつくと、天井と壁を利用しながら円を描くようにアインズへ距離を詰めながら走り降りてくる。

「ふざけるな! 忍者かお前は!?」

特殊技術(スキル)なんかなくても、身体能力と技術で案外どうにかなるものよ」

 思わず叫んだアインズに、パトリツィアは平然と答える。

(まずい!)

 アインズは即座に魔法を使用。必中効果のある〈魔法の矢(マジック・アロー)〉だ。十個の光球がアインズの背後に現れ、パトリツィアを狙い撃つ。

「――っ」

 全弾命中。しかし、所詮は第一位階だ。大したダメージでは無い。

「……だが」

 それでも、確かに意味はある。何故ならパトリツィアは人間種。アインズのように、精神の異形化はなく、感情の鎮静化も存在しない。

 ならば当然――痛いものは、()()

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉」

 速度が僅かな瞬間、怯んだ隙に更に魔法を放つ。またもや回避されるが、アインズは更に追加でノックバック効果のある魔法を放ち、距離を稼ぐ。

(クソ! 転移魔法さえ使えたなら、もうちょっと楽に距離を稼げるのに!)

 転移魔法である〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉などが使用出来れば、無駄に魔力を消費せずに距離を稼げる。今の状態は距離を稼ぐために本来なら魔法一つで済むものが、二つ三つも唱えないとならないのだ。MPの消費量が尋常ではない。

 だからと言って、近接戦闘が得意な戦士――しかもパワーファイターではない技量系と接近戦を挑めるはずが無い。接触魔法を使おうにも、絶対に当てさせてもらえないだろう。魔法詠唱の隙さえ貰えるかどうか。

 近接戦を挑めばサンドバッグ。かと言って距離を取って戦おうにも、従来の倍以上の魔力を消費する。このままではジリ貧だ。

(やはり、持久戦は絶対に不利か)

 元から、魔法詠唱者(マジックキャスター)は火力こそ戦士より高いが、持久力が無いために短期決戦でないかぎり戦士には勝てない傾向があった。この戦闘は、それが更に顕著になったに過ぎない。

(魔力消費を全く気にしない、完全短期決戦を決め込むか。それ以外、パトリツィアに勝利する道は無い)

 アインズはそう決めて、更に火力の高い魔法などをパトリツィアに放ち、距離を詰められないように魔法の弾幕を張り続けた。

 

 

        

 

 

 アインズとの距離を詰めようとするが、詰める度に無理矢理引き離される。そして、高火力の魔法が撃ち込まれた。

 だが――パトリツィアは実のところ、そこまでダメージを受けていなかった。エリアボス化したために、魔法防御などが上がっているためだ。勿論、それ以外にも理由はあるのだが。

「……うーん」

 パトリツィアは、なるべく距離を詰めようとする。だが、アインズは病的に距離を詰めさせない。自分の不利になる間合いには、決して近寄らせない。そして、ナーベラルとハムスケが巻き込まれないようにパトリツィアを霊廟廊下の奥へと押し込んでいく。

(……限界ね。これ以上、距離は詰められない、か)

 パトリツィアは、そう結論付ける。勿論、無理をすれば余裕で詰められる距離だが、その「無理をする」という選択を、今のパトリツィアは選べない。何故なら。

(あまり()()()()()()と、ズビニェクに介入されてしまうし……この間合いが、限界ね。出来ればもう少し押し込んでおきたかったのだけれど)

 しかしアインズは、パトリツィアの想定以上に慎重派だ。本来ならば自分に不利な間合いには、決して詰めさせない。相手の特殊技術(スキル)などの有効射程を、しっかり見極めている。

 ――本来なら、彼のプレイヤースキルに舌を巻くべきなのだろうが。

(それじゃあ、賭けに出ましょうか。これ以上間合いを広げると、アインズに勝ち目が無くなってしまうもの)

 魔法詠唱者(マジックキャスター)は、決して戦士に距離を詰めさせてはならない。それが定石であり、常道。本来なら、アインズの行動は正しい行動だ。

 しかし――今回に限って言えばそれは悪手だ。これは例外。パトリツィアと間合いを広げることこそ――そして、ナーベラルと離れることこそ、最悪の選択である。

(もっとも、NPC(ナーベラル)を盾にして行動するよりはマシな戦法だけれど)

 仮にアインズがナーベラルを盾にして、初めから二対一で戦っていた場合、パトリツィアはナーベラルを潰してからアインズと本格戦闘を開始する行動を強いられただろう。エリアボスとして、その状況でナーベラルを潰さずにアインズに向けて()()()()をしたり、ナーベラルにわざと()()()()を行うことは出来ない。

 そしてナーベラルを潰して一対一になったその時が――アインズの敗北だったはずだ。

(それじゃあ、ナーベラルとアインズ。しっかり気張ってもらいましょう。アインズが如何に早くナーベラルと合流出来るか、そしてナーベラルがどれだけ粘れるかにかかっているのだし)

 そして耐えきって初めて――本物のPVPだ。アインズが復帰する前にナーベラルが潰れたら、これはPKのままで終わる。

「さて――やりましょうか」

 パトリツィアは、鎧の隙間から、あるマジックアイテムを取り出した。パトリツィアが幾つかまだ持っている巻物(スクロール)の中で、一本だけ存在したある魔法が込められた巻物(スクロール)を。

 それはまさしくアインズにとって、致命的な魔法が込められたものだった。

 

 

        

 

 

 範囲攻撃魔法や、追加でノックバック効果のある魔法を使い決して距離を詰めさせないアインズ。そんなアインズが見ている前でパトリツィアは、幾つかの魔法を回避しながら鎧の隙間からアインズもよく知るマジックアイテムを取り出した。

(……巻物(スクロール)?)

 丸められた一本の羊皮紙。間違いない。あれは巻物(スクロール)だ。

(なんで、巻物(スクロール)……)

 アインズは一瞬で、思考を目まぐるしく回転させる。

 巻物(スクロール)には大抵、位階魔法が込められている。だが巻物(スクロール)は通常、同系統の魔法を使用出来る者にしか使えない。例え魔法詠唱者(マジックキャスター)という区分では同じでも、系統が魔力系か信仰系か、違ってしまえばもうその巻物(スクロール)に込められた魔法効果は発揮出来ないのだ。

 それを何故、今パトリツィアは取り出したのか。アインズは考える。彼女の習得している職業(クラス)で確実なのは、ファイターにフェンサー、ソードマスター。ガーディアン。

 そしてPKプレイヤーの()()として、姿を隠せるローグか対象を発見出来るスカウト――――。

「――――ッ!」

 その瞬間、アインズは瞬時に察した。パトリツィアは、巻物(スクロール)を使える。

 通常同系統の魔法詠唱者(マジックキャスター)でないと使えない消費型マジックアイテム、巻物(スクロール)。しかし当然だが、その認識を“騙す”手段も存在した。

 それが、盗賊系の職業(クラス)に存在する特殊技術(スキル)。身内ならソリュシャンが習得している職業(クラス)である。

(あの女! 詐欺師の職業(クラス)も習得してやがった!)

 これだから、初見は怖いのだ。人間種のプレイヤーは怖いのだ。思わぬところで、思わぬ職業(クラス)を習得していることがある。一〇〇レベル全てを職業(クラス)レベルに振れる人間種は、だから強い。

 距離は――無理だ。間合いが遠過ぎて、パトリツィアが巻物(スクロール)を使う行動を邪魔出来ない。

(何の魔法を使う気だ?)

 アインズは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。対してパトリツィアは戦士。アインズの魔法防御を抜けるとは思えないし、そして第六位階以下の魔法をこの状況で使用するとは思えない。アインズには完全に通用しないし、自分への強化にしても弱過ぎるだろう。

 パトリツィアが、魔法を唱えるために口を開く。

「――〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉」

「――――はい?」

 告げられた魔法の言葉に、アインズは我が耳を疑った。

 巻物(スクロール)が不思議な炎で燃え尽きる。魔法の対象は――――

 

 ()()()()だ。

 

「なんだとォッ!?」

 我が身に起きた現状に、アインズは絶叫する。自らに起きた変化が、アインズには信じられない。

 第十位階魔法〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉。これは味方一人の魔法耐性を急上昇させる代わりに、その対象の魔法行使能力を壊滅的にする効果がある。アインズも習得している魔法だ。

 だが、アインズはこれを敵対関係の相手に向けて使ったことは無い。当たり前だ。何故なら、味方しか対象に選べないのだから。

 これは戦士などの魔法耐性が低い味方に向けて使うのが、一般的な使い方である。

 パトリツィアは()()を、敵であり魔法詠唱者(マジックキャスター)であるアインズに向けて使用したのだ。

 そしてアインズは、その魔法対象として効果を発揮された。魔法への防御力が跳ね上がる。魔法行使能力が壊滅的になっていく。変貌していく。魔法詠唱者(マジックキャスター)として、ゴミクズになっていく。

 ――本来、味方以外を対象に出来ない位階魔法。しかし、今となっては敵と味方の境界は曖昧だ。現実は、便利に味方だけを避けてはくれないし、味方だけに効果を発揮してくれない。

 現実化した際の仕様変更。〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉がちょっとしたログを消す魔法から、MPが続くかぎり記憶を完全に操作する魔法になったように。

 〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉もまた、少しだけ変化したのだ。味方一人ではなく、対象一人という能力に。

「ま、まず――」

「じゃあ、行くわよー」

 慌てるアインズに向けて、パトリツィアが正面から真っ直ぐに突っ込んでくる。当然だが、何も出来ない。何故なら今のアインズに、魔法は何一つ使用出来ないから。

「――〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 ()()()()とアインズが叫ぶが、やはりMPを消費した感覚がまるで無い。いつものような、魔法を唱えた瞬間に脳裏をよぎる効果範囲の程度や発動までの時間、MPの消費量などがまるで感じられない。

 そしてパトリツィアは無防備なアインズへ、最短距離で突っ込んでくる。使用するのは彼女の十八番。五大明王撃だ。既にアインズのカルマ値は、元の極悪へと戻っている。

「――――」

 パトリツィアの背後に現れた不動明王に、アインズはひくりと表情を引き攣らせた。放たれるのは勿論、〈倶利伽羅剣〉と〈不動羂索〉である。

 アインズは、せめてと両腕を交差させ、防御姿勢を取った。勿論、気休め以外の何物でもない。

 不動明王の一撃が、無情にもアインズへと振り下ろされた。

 

 

        

 

 

 不動明王の攻撃が振り下ろされたその瞬間――アインズも、パトリツィアも予期せぬ事態が起こった。

「〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!」

 絶叫するような、そんな叫びが霊廟廊下に響き渡った。仄かな灯りが照らす薄暗い廊下を、魔法の輝きが照らす。

 そして、アインズを押し倒すように力任せな突進がアインズの横から襲いかかってくる。アインズは驚き、思わずたたらを踏んだ。それはアインズに対して、何一つ通じないものだったがあまりに想定外で、ついバランスを崩したのだ。

「――っと」

 二匹のいかづちで出来た龍がパトリツィアに襲いかかる。パトリツィアは危なげなくそれを回避し――だが不動明王の一撃は、構わず振り下ろされた。

「あああああああああ!!」

 全身の骨が砕けるような、そんな一撃に悲鳴が響き渡る。それは甲高く、どう聞いても男の低い声では無い。

 ナーベラルだった。

「ナ――」

 アインズに横合いから突進を仕掛けたのはハムスケだ。そして、その上に騎乗していたナーベラルに、不動明王の一撃が容赦なく叩きつけられた。

 だが、ナーベラルはその激痛を押し殺して、ハムスケに叫ぶ。

「行って! ハムスケ!」

「了解したでござる! ナーベラル殿!」

 ナーベラルがハムスケの背中からずれ落ちると共に、ハムスケがアインズの服を咥えて、力任せに引き摺って必死に走った。そのハムスケの後ろ姿を、パトリツィアは見送る。

 血まみれのナーベラルが、鬼気迫る表情でパトリツィアを睨んでいた。

「――なるほど。足手纏いになるから、避難していたと思っていたのだけれど……必要最低限の距離だけとって、私たちを追っていたのね。だから、アインズのピンチにすぐ割って入れた」

 パトリツィアは、巻物(スクロール)を持っていた方の手にある短剣を、くるくると鉛筆を回すように動かして、再びしっかりと握る。

「でも、いくらアインズが復帰するまで時間を稼ぐためとはいえ、アインズを引き離すのはどうなの? 貴方、ナーベラル……ユグドラシルの知識は、プレイヤーと同じくらいあるのかしら?」

 無いのなら、それは悪手だろう。アインズはユグドラシルプレイヤーとして、かなりやりこんでいるタイプと見えた。つまり、パトリツィアが特殊技術(スキル)を使う時の予備動作に気づき、対策を立て易いはず。

 その、助言が出来るアインズをパトリツィアから引き離す。確かに、パトリツィアの付近にいれば、ナーベラルを無視してアインズを狙うことが可能だが、だがそれをさせないために引き離してしまえば――ナーベラルは、生存を諦めることになる。

 たかが六〇レベル代では、〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉の効果が切れるか切れないか、その程度の時間稼ぎしか出来ないのだから。

「死ぬの、怖くないの?」

()()()()()

 ナーベラルは断言した。死は、何一つ恐ろしくない。例え、シャルティアと違い復活出来なくなって、二度と仲間と、姉妹と会えなくなってしまうとしても。それは悲しいだけで、決して恐ろしいことではない。

 ナザリックのシモベとして、もっとも恐ろしいことは唯一つなのだ。そのためならば、ナーベラルはここで死んでしまっても、後悔は無い。

 会えなくなってしまうのはとても辛いけれど――その死は、名誉あるものだ。ナザリックにとって、もっとも名誉ある死だと言えるのだ。

 だから、ナーベラルは何一つ怖くない。

「……お前は、怖いのね」

 今までの会話から、パトリツィアは死を恐れているとナーベラルは推測していた。時間を稼ぐためにも、ナーベラルはパトリツィアに訊ねる。

 パトリツィアは、頷いた。

「そうね。私は怖いわ。でも――まあ、アレよ。死より恐ろしいものっていうのが、世の中にはあるみたいね。私にとっては、()()()()だった」

 パトリツィアはそう言うと、「お喋りはこれくらいにしましょう」と会話を打ち切る。

「――それじゃあ、ナーベラル。必死に抗って、時間を稼いでみせなさい。私も、それを望んでいるわ」

「――――」

 ナーベラルは、ごくりと生唾を飲みこんだ。ナーベラルだって、馬鹿ではない。パトリツィアが、どう足掻いても自分の実力では勝てないことも分かっている。

 それでも、こうして立った。アインズを守ることこそ、ナザリックのシモベの本懐なのだから。

「――――」

 そして、ナーベラルの動体視力ではほぼ追えない速度で、パトリツィアがナーベラルへと距離を詰めた。ナーベラルが気づいた時には、既にもう目の前。

 煌く刃。飛ぶ血飛沫。喉笛と心臓を二挺の短剣で狙われたその一撃を――

「……本当に、死ぬのが怖くないのねぇ」

「――づ、あぁぁあああ!」

 腕を交差させることで、胸部から上をナーベラルは防いだ。

 致命狙いの即死を防ぐことだけに集中した、完全に攻撃を捨てた防御。激痛を感じたその瞬間、ナーベラルははしたなくも足を振り上げて、二撃目の致命を防ぐためにパトリツィアに向けて蹴りを放つ。

 だが、そんなものは簡単にパトリツィアは避けてしまう。短剣を引き抜きながら、ひょいと少し後退りするだけでナーベラルの蹴りは空ぶった。

 そして、とん――と軽くその浮いた足を逆に蹴る。浮いた片足を蹴られたナーベラルはバランスを崩し、ふらりと後ろに倒れ込みそうになる。

 その体幹バランスが崩れた瞬間を見計らって、パトリツィアは――力を込めてナーベラルの胴体を横の壁へと蹴り飛ばした。

「ぐ――!」

 内臓に直接受けたダメージと背中を強打された衝撃に、思わずナーベラルは呻き声を上げる。だが、決して顔と喉、胸から腕を退けなかった。

 その瞬間、時間稼ぎも出来ずに死ぬからだ。

「――づ、あ」

 すぐに立ち上がり、ナーベラルはパトリツィアを睨む。

 全身が、酷く痛かった。喉笛と心臓を守った両腕からは、どくどくと血が噴き出していて止まらない。

 それでも、ナーベラルは立ち上がるのだ。アインズを守るために。

 大事なものを、決して失わないために。

「――――」

 パトリツィアの持つ二挺の短剣が、仄暗い霊廟廊下の中で、鈍い輝きを放った。

 

 

        

 

 

「――ハムスケ、降ろせ」

 アインズを必死に引き摺って運んでいたハムスケは、その静かな声に足を止める。

「…………」

 アインズは――その場に降りると、霊廟の壁を蹴りつけた。

「クソが! クソ! クソ! クソ!」

 アインズは何度も霊廟の壁を蹴りつけて、怒りを発散する。分かっている。

 ナーベラルとハムスケの行動は、何も間違っていない。この場でパトリツィアに勝てる可能性があるのは、ただ一人アインズのみ。

 だがそのアインズは、現在魔法行使能力を封じられてしまった。よって、ナーベラルが〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉の効果が切れるまで時間を稼ぐ必要がある、というのも理解している。

 ナーベラルをあの場に置いて、ハムスケが出来るだけパトリツィアとの距離を空けるのも間違ってはいないのだ。

 分かっている。分かっては、いるのだ。しかし――

「パトリツィア――!」

 分かっている。今のパトリツィアはエリアボス。この迷宮のギミックとして、完全にアインズに味方することは出来ないのだと。

 それでも、今この瞬間ナーベラルを傷つけているのだと思うと、どろりとした漆黒の感情が湧き上がるのを止められない。

(パトリツィア――後で、多少の痛めつけは覚悟してもらうぞ……!)

 病気は勿論、治療してやる。プレイヤーは有用だ。貴重であるし、更にこの異世界の知識もアインズよりは持っている。この異世界特有の魔法とやらの知識を。

 だが、それとは別に子どものように愛しているNPCを傷つけられたのは我慢ならない。あの女も、多少はアインズの苛立ちを受け止めてくれるだろう。理詰めで責めれば、納得するはずだ。させてみせる。

 それよりも。

(ズビニェク――この代償は、高くつくぞ)

 ズビニェクという、迷宮の主。それに対しては、完全に黒いものしか覚えない。

 何せ、パトリツィアがああいった行動に出るのは、元はと言えばズビニェクのせいなのだ。迷宮の主が、パトリツィアを治療可能な存在がやって来た時点で離してしまえば、話は済むはずなのだ。簡単に。

 だが、どういうわけかズビニェクはそれをしない。迷宮をクリアするまで、この迷宮を消せないだとか、何か理由があるのかも知れないが――構うものか。

 ズビニェクには、必ず報いを受けてもらう。

 アインズはそう決意して――とりあえず、静かに大きく深呼吸する。くるりと振り向くと、ハムスケが気を逆立ててぶるぶると怯えながら、アインズを見ていた。

「と、殿……怒っているでござるか? それがしたちの行動に」

「――いや、怒ってはいないさ。お前たちには。許せないのは、まんまと罠に嵌った私の間抜け具合にだ」

 分かっていたことだが、やはり経験値についてはパトリツィアの方に一日の長がある。彼女の方が、ユグドラシルとこの異世界での仕様の違いを理解していた。

 ユグドラシルでは、壁走りには特殊技術(スキル)を使わないと行えない。だが彼女は、重力と身体能力を駆使して、似たようなことを可能にする。

 接近戦では絶対に勝てない。だから、確かにナーベラルとハムスケの行動は正しいのだが、だがしかし――。

(……駄目だ。考え始めると止まらない。とりあえず、別のことを考えないと)

 パトリツィアの戦闘力。彼女は、巻物(スクロール)を使用出来る。だが、さすがに〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉のようなものは、あれ一本だけだろう。他に持っている巻物(スクロール)についても、それほど貴重なものはたぶん持っていない。

 何故なら、彼女はユグドラシルからこちらに来る前に、色々なプレイヤーをPKして遊んでいたと聞いている。ユグドラシルのサービス終了時に、そうやってアイテムをポンポンと使用して遊んでいたのだと。

 この件については、アインズは疑っていない。“アカ・マナフ”のことを思えば、彼女たちのギルドはそうして最後の日を遊んでいても不思議では無いからだ。

 どうせアイテムも何もかも、データが消えてしまうのなら……。最後に、あらゆるアイテムを全く気にせず使用して遊ぼうと思っても、アインズは分かる気がする。アインズも、実は花火をたくさん買って用意していたからだ。

 ……もっとも、その大量に買って無駄になった花火を思い出したのは、この異世界に来てからだったが。あの時、買った花火を思い出してその場所へ向かっていたら、自分は今どうしていただろうか。

 同じように、この異世界に来たのか。来てはいても、転移する時間軸が違っていたりしたのか。

 ――それとも。そもそも、最初から異世界になんて来ずに、当たり前に現実に帰っていたのかも知れない。

(――おっと、話がそれた。今考えるべきはそこじゃない)

 アインズは、思い出話に思考がずれる――現実逃避しかける脳を、覚醒させる。そして、パトリツィアを攻略するための、今までのパトリツィアの情報を整理する。

(エリアボスは通常エネミーにプラス十レベルされる――だったな。まず、パトリツィアはこのエリアボスの設定に、入るのか)

 ――おそらく、入る。おかしかったのは、最初の位階魔法〈肋骨の束縛(ホールド・オブ・リブ)〉を使用した時だ。あれは、完全に異常だった。

(なんで、あの魔法は()()()()()?)

 おそらく、そこにパトリツィアが追加された十レベルの何かが入る。魔法すり抜けの効果を持つ特殊技術(スキル)を持つ職業は幾つかあるが――ユグドラシルには一〇〇を超える数の職業(クラス)が存在する。とても、特定出来る気がしない。

 そもそも、パトリツィアが一〇〇レベル分どれだけの職業(クラス)を詰め込んでいるのかさえ、正確には分からないのだ。あの魔法のすり抜けは、元からある職業(クラス)かもしれない。その可能性を否定出来ない。

(考えろ! パトリツィアのような職業構成(クラスビルド)のプレイヤーとPVPしたのも、一度や二度じゃない。傾向を考えれば――)

 アインズの脳裏を、様々な考えが巡っていく。「灰かぶりパトリツィア」を、どうやって攻略すれば良いのか――この短い時間でひたすらに考えて――

「殿!」

 ハムスケの声に、はっとしてアインズは霊廟廊下の奥を見た。

 奥から、何かが床を跳ねながら吹っ飛んでくる。アインズは、その正体に気がつき急いでそれを大事そうに受け止めた。

「ナーベラル!」

 ナーベラルは、即死だけを何とか必死に防いだのだろう。クリティカルヒットだけは貰わないように、頭と喉と心臓だけは掠り傷くらいしか無い。

 だが、その他はボロボロだ。そんなナーベラルを見て、アインズの心に黒いものが湧き出て来る。

「――追いついたわ」

「パトリツィア……」

 奥から、悠然とパトリツィアが歩いてきた。当然のことながら、パトリツィアはほとんどダメージを受けていない。アインズが離脱した時の状態から、全く変わっていなかった。ナーベラルでは、傷一つ付けられなかったのだ。

 その余裕が、アインズは酷く癪に障る。

「魔法の効果は、そろそろ切れる頃でしょう。でも、まだ魔法は使えない。それなら私の勝ちね」

 パトリツィアは、溜息を吐いてアインズを見る。

「――残念だわ。次のプレイヤーは、もっと上手くやってくれることを祈りましょう」

 アインズはまだ魔法を行使出来ない。ナーベラルは傷だらけ。ハムスケは相手にならない。

 即ち()()だ。「灰かぶりパトリツィア」を、アインズたちは攻略出来なかった。

 パトリツィアの持つ二挺の短剣が、きらりと鈍い輝きを放つ。

「それじゃあ、さようならアインズ。ナーベラル、そしてハムスケくん。良い旅を。次の人生が、もっと素敵なものになりますように。――はつかねずみを呼びましょう」

 死を告げる言葉と共に、パトリツィアが五大明王撃の体勢に入る。その姿を見て――ハムスケがアインズの前に出た。

「殿は、死なせないでござる! それがしとて、殿の家来でござるよ! 例え勝てなくとも、最後まで戦うでござる!」

 ハムスケは恐怖で震えながら、しかしアインズを守るために立った。その声と同時、ナーベラルも血濡れの身体を起こしてアインズの前に立つ。

「ええ――させないわ。そんなことは、絶対に。アインズ様……何とか、この命に代えましても魔法の効果が切れるまで、時間を稼いでみせます。この霊廟のもっと奥へ……」

 逃げろ、とナーベラルは告げた。

「――――」

 分かった。その一言が、アインズはどうしても出ない。分かっている。ここでナーベラルを盾にして、魔法行使能力が復活するまでの時間を稼ぐことが正しいのだと。

 でも、理屈では分かっていても。感情がどうしても邪魔をした。シャルティアの時、あの砂時計を砕くのを躊躇したのと同じように。

 だがアインズは――「ああ」と頷いて。

「お前たち――私のために、死んでくれ。必ず、後で報いは受けさせる」

 そう告げて、アインズはじり……とパトリツィアから後退する。パトリツィアは、そんなアインズたちを微笑みを浮かべて見ていた。

「お別れは終わったのね」

 優しく微笑みを浮かべるパトリツィアに、ハムスケは叫んだ。

「殿は死なせないでござる! パトリツィア殿――偽物なんかには、負けないでござる!」

「――偽物?」

 パトリツィアは、ハムスケの言葉にきょとんと首を傾げた。

「私は本物よ。ちょっとエリアボス化しているだけで。――勝手に偽物呼ばわりはやめて欲しいわね」

「いいや、偽物でござる! だって、だって――」

 ハムスケは、訴えた。

「今のパトリツィア殿は、森でそれがしを助けてくれた御仁と――全く同一人物に見えないでござる!」

 ハムスケの言葉に、パトリツィアは言い聞かせるように語った。

「まあ! それは簡単よ、ハムスケくん。今の私はエリアボスだもの。貴方を助けてあげた時と、同じじゃないのは当然のことだわ」

 そう、無慈悲にハムスケに告げる中で――アインズは、ハムスケの言葉が何故か酷く気になった。

 違和感。そう、違和感だ。「同一人物に思えない」。そんなハムスケの言葉が、何故か酷く気になったのだ。

 それは違う――と。正確に言うならば、別人と入れ替わったのではなく。

「――――まさか」

 今までのパトリツィアが、脳裏を巡る。あと少しで、その答えが出そうだ。だから、アインズは考えた。確実に、何か見落としている。一番顕著なのは――。

 ()()()()()()()()()

(――なんで、()()()()()()ナーベラル?)

 その違和感に気づいた瞬間――アインズは、「灰かぶりパトリツィア」の秘密に気がついた。

 苗床のナジェジュダ。

 疫病の双子ダグマル。

 貪食狼ドゥシャン。

 生きているナーベラル。

 別人にしか思えないと言うハムスケ。

 すり抜けた魔法。

 そして――神聖属性武器から、武装を入れ替えたパトリツィア。

「……馬鹿な」

 アインズは、呆然とパトリツィアを見た。彼女は、知っているのか。気づいているのか。いや、武装を入れ替えた時点で気がついている。

 つまり――彼女は初めから、()()()()()()でアインズたちを待っていたのだと。

 エリアボス、「灰かぶりパトリツィア」。彼女に追加された十レベルの正体とは――。

「……パトリツィア、お前――」

 彼女は、何度も言っていた。「死んでも外へ出たい」と。そして、こうも言っていた。ドゥシャンへ告げていたのだ。

 ――裏切り者のズビニェク、と。

 パトリツィアの秘密に気がついたアインズは、彼女へ、震える声で告げた。

 

「――お前、()()()()()()()()のか」

 

 

        3

 

 

「――それで、モモン君。一体何がどうなっているのか、説明をしてもらえるかね?」

 アインザックは冒険者組合の組合長の部屋で、『還らずの森』の探索から帰還したモモンへと事の顛末の詳細を聞き出していた。

「……まず、結論から言いますとあの森にヤルダバオトはいませんでした」

「なるほど」

 可能性は高いと思っていたのだが、彼の大英雄がそう言うのなら、そうなのだろう。

「あの森は――」

 モモンはそこで、言葉を濁す。だが――数瞬の逡巡の後、再び口を開いた。

「あの森は――どうやら(ドラゴン)の魔法で出来た森だったようです」

「なんだと!? それは本当なのかね?」

 (ドラゴン)。それは、世界最強の種族である。

 大空を舞い、口からは種族によって様々な吐息(ブレス)を吐き、鱗はアダマンタイトの如くかそれ以上の硬度を誇り、肉体能力はあらゆる種族を凌駕し、魔法さえ使いこなすという――まさに無敵の存在だ。神話や御伽噺の中でも重要な位置を占める。

 そんな超越種が、王国と評議国の狭間に存在していたのだと言うのだ。

 しかし、納得出来なくもなかった。評議国は(ドラゴン)たちが支配している国である。そこからあぶれた(ドラゴン)がいてもおかしくは無い。評議国では『還らずの森』を別の名前で――『シュヴァンツァラの森』と言っていたのだから。

 彼らは、あの森が(ドラゴン)の棲む森だと知っていたのだろう。

「ただ、肝心の(ドラゴン)は既に死亡していました。あの森は、(ドラゴン)の魔法が使用者が死した後も残っていたもの。私が秘密を暴いたために、亡骸となっていた(ドラゴン)は風化し死体さえ残りませんでした」

「それは――つまり、(ドラゴン)は大昔に、既に死んでいたということかね?」

「そのようです。一体誰が件の(ドラゴン)を仕留めたのか――もしかすると、ヤルダバオトが大昔に戦い、敗北したのかもしれません」

「ふむ。そう考えるのが自然か」

 かつてヤルダバオトと殺し合い、そして敗北。魔法だけがその場に取り残された――(ドラゴン)たちの伝説を鵜呑みにするのなら、ヤルダバオトとて苦戦してもおかしくない強さだ。

「そして、森は消え去った――か」

 モモンが解決したと同時に、あの森は最初から無かったもののように消失してしまったのだと言う。まるで夢の如く、空気に溶けて消えてしまったのだと。

 時間軸の狂った、魔法で出来た森。誰一人生かして還さない、死の迷宮。

 それが、『シュヴァンツァラの森』。(ドラゴン)の魔法で生み出された、人外魔境の正体だったのだと。

「では、ヤルダバオトの件は振り出しか」

 アインザックの言葉に、モモンが頷いた。

「そうですね。でも、まあ――奴が再び現れた時、()は有りません」

 モモンの力強い言葉に、アインザックは笑う。頼もしい言葉だ。そして、それは言葉だけの見せかけではない。

 ヤルダバオトが次に現れた時――それが真実、あの大悪魔の最後となるだろう。モモンは、それほどの大英雄なのだから。

「ありがとう、モモン君。では、報酬は後日支払わせてもらうよ」

「分かりました。では、組合長。失礼します」

 モモンは頭を一つ下げると、席を立って赤いマントを翻しながら歩き去っていった。アインザックは、その後ろ姿を見送る。

「やれやれ――(ドラゴン)の死の迷宮からも、帰還する――か。やはり、君こそアダマンタイトの中のアダマンタイト。人類の切り札……希望そのものだ」

 微笑みを浮かべて、アインザックは呟いた。

 

 

        

 

 

 ナザリック地下大墳墓の最下層、第十階層の最奥「玉座の間」には、守護者たちと各人が選抜した高位のシモベたちが揃っていた。

 第一から第三階層「墳墓」の階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。

 第五階層「氷河」の階層守護者、コキュートス。

 第六階層「大森林」の階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ。

 第七階層「溶岩」の階層守護者、デミウルゴス。

 そして守護者統括、アルベド。

 世界級(ワールド)アイテムでもある玉座には、現在誰も座っていない。空席だ。本来ここに腰かけるべき至高の存在は、セバスを連れて退席していた。

 先程まで彼らは、『還らずの森』の顛末を主人から直接聞いていたのである。

「えっと……結局、あの森は何だったんですか?」

 マーレの言葉は、おそらく一部の守護者以外の全員の疑問だろう。特に、アインズと共に森付近まで来て待機していたアウラは、その疑問が強かった。

 守護者たちの視線を受けて、その場ではアインズの次に頭脳で優れているデミウルゴスが口を開いた。

「おそらくだけれど、あの森はパトリツィアというプレイヤーを封印するための結界、みたいなものだったのだろうね。いや、正確に言えば魂かな?」

「魂?」

 コキュートスが首を傾げた。それに、デミウルゴスは頷く。

「ああ。あのプレイヤーは、既に死亡していた。聞いた様子では、本人も気づいていたみたいじゃないか。つまり、あのプレイヤーは魂だけが森の中で一人歩きしている状態だったのさ」

 病に侵され、死にゆくだけだったパトリツィア。ズビニェクという(ドラゴン)は彼女の病を治療出来なかった。

 そんなズビニェクに出来たことは、彼女を真の意味で死なせないこと――つまり、魂だけを創り出した迷宮の中に閉じ込め、成仏させないことだった。

「でもさぁ。なんでソイツ、アインズ様が死んでることを指摘したら、消えちゃったの? 自分でも死んでることなんて、分かってたんでしょ?」

 死者に死者であることを指摘して、一体何の意味があるのか。そもそも、パトリツィア本人が気づいていないならともかく、気づいていたのに。

 その問いには、アルベドが答える。

「たぶんだけれど、()()することに意味があったのよ。他人に観測されることが、重要だったのだと思うわ」アルベドはそこで一度言葉を切って――再び口を開く。

「例えばだけど、モンスターの二重の影(ドッペルゲンガー)がいるでしょう? 彼らは姿形を真似るし、中身も他者の精神から読み取って化けるわ。でも、見破る方法が無いわけではない――例えばアイテムとか、魔法とかね」

「それが関係あるんでありんすか?」

 シャルティアの言葉に、アルベドは頷く。

「勿論よ。これも、本人は自分が偽物だと知っているけれど、気づいた他人に指摘されて周囲はようやく、それの真偽を知るでしょう? おそらくだけれど、あのプレイヤーにも同じことが言えたのね」

「――私が察するに、ズビニェクという(ドラゴン)の魔法は迷宮を生み出す魔法ではなく――いや、これは私よりアインズ様が先に気づかれていたようだが。あの御方の言葉で、私もようやく気がついたからね」

「迷宮ノ魔法デハナイ?」

「そうとも、コキュートス。アインズ様がおっしゃられていただろう?」

 『還らずの森』の顛末を語ったアインズは、最後にこう締めくくったのだ。――全ては、幻の如くであったのだと。

 つまり、そういうことだった。文字通り、それだけの意味だったのだ。

「ズビニェクの魔法は、迷宮を生み出す魔法ではなく――()()だったのさ」

 ユグドラシルにも、幻術の魔法は存在する。

 例えば、姿形どころか五感さえ騙す〈完全幻覚(パーフェクト・イリュージョン)〉。

 更に極限まで幻術に特化させれば、世界を騙すことさえ可能な――死者さえ蘇らせる幻術がある。世界を騙し、それを真実にしてしまうほどの。

 おそらく、ズビニェクという(ドラゴン)は、そうした幻術特化の魔法を修めた(ドラゴン)だったのだ。

「思えば、えりあ・ぼすなる存在たちは全てある共通点を抱えていた。パトリツィアというプレイヤーの言葉を信じるならば――いや、おそらく真実だったのだろうが――彼らは皆、神聖属性が弱点だった」

 植物系モンスターに似た姿をした、「苗床のナジェジュダ」。

 黒い霧の如き非実体の、「疫病の双子ダグマル」。

 本性を現した人狼に似た、二足歩行の巨狼の、「貪食狼ドゥシャン」。

 そして人間の姿の、「灰かぶりパトリツィア」。

 全員――()()()()が弱点だった。

「パトリツィアは、わざわざアインズ様と戦闘する前――霊廟到達前に武装を変更した。アインズ様に効果的な神聖属性の武器ではなく、別の武器にね。〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉を使用するくらい、本気でアインズ様を弑逆しようとしているのに、何故弱点属性の武器をわざわざ変更したのか――これは、彼女本人にとっても弱点属性だったからだろう」

 手加減が出来るのなら、〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉の巻物(スクロール)なんて使って来ないだろう。なのに、彼女はそれを使用した。しかし、どうしてか武装だけは変更する。

 アンデッドは、神聖属性が弱点であるために、神聖属性の魔力を帯びたアイテムに触れるだけで、ダメージを負う。そのため、霊廟のパトリツィアは――本来の姿を取り戻したパトリツィアは、神聖属性の武器に触れなくなってしまったのだ。

「霊廟に降りるまでは、パトリツィアは人間種だが――霊廟に到達すれば、真の姿が露見する。即ち、魂だけで一人歩きするアンデッドにね。あの迷宮にいたえりあ・ぼすなる存在たちは、おそらく全員がアンデッドの異形種だったのだろう」

 植物系異形種に似た姿をしたアンデッドのナジェジュダ。

 そのまま黒い霧の非実体のアンデッドのダグマル。

 人狼に似た姿のアンデッドのドゥシャン。

 かつて人間だったアンデッドのパトリツィア。

 ――そして、それらを統括するズビニェク。

「更に、パトリツィアは霊廟に至った段階で、種族だけでなく別の変化を遂げていた。ナーベラルが生存していたことと、ハムスケが別人だと勘違いしたのも、そこに集約されるね」

「別の変化?」

「そうさ、アウラ。――――()()()()()()()。中立から、悪の位相への転換だよ」

 カルマ値が変動したために、パトリツィアの一部の特殊技術(スキル)は、攻撃力などが極端に下がったのだ。

 例えば、五大明王撃。これはカルマ値が悪の者への特攻であるために、術者は中立から善でなどのカルマ値がプラスに寄っていなければ、真価を発揮しない。

 そして性格の変動。ナーベラルを死なない程度に弄って愉しむなど、明らかに本人の性格が酷くなっている。

 普通ならば本性が出たとばかりに思うだろうが――ハムスケは獣の感で、カルマ値の変動を見破ったのだ。

「おそらく、よりズビニェクに近くなったと言うべきなのかな? 下層へ近づけば近づくほど、本体である彼に類似していくのだろう」

 それが、彼女たちエリアボスの正体。彼女たちはズビニェクの一側面なのだ。

「……つまり、えっと、あの……その、ズビニェクさんって人は、結局何が目的だったんですか?」

「だから、()()()()()()()()()だよ。そいつは、彼のプレイヤーを外へ出す気がまるで無かったのさ」

 そして、デミウルゴスは語る。おそらく――と、そう前置きをしてから。

 

「たぶん、ズビニェクとやらは――パトリツィアより先に死亡していたのだろうね」

 

 

        

 

 

 ――パトリツィアの死を指摘したその時、パトリツィアは微笑んだ。

 そして、彼女は何事かを囁く。

 結果、彼女は空気に溶けるように消滅した。今までのエリアボス同様、光の粒子となって消えたのだ。

「……アインズ様、これは一体……?」

 その様を見届けて、ナーベラルが呆然と呟く。ハムスケも「な、何が起きたのでござるか!?」と瞳を丸くして驚いていた。

「……ナーベラル。とりあえず、体力を回復させろ」

 アインズはインベントリから、ナーベラルのHPを全快に出来る回復薬(ポーション)を渡す。ナーベラルは「こ、このような! 私如きに……」と遠慮をしたが、アインズは問答無用で中身を振りかけた。ナーベラルの傷が、瞬く間に治っていく。

 ナーベラルはアインズに「ありがとうございます」と礼を言った。

「……行くぞ。おそらく、この先に、全ての秘密の答えがある」

 アインズはそう告げて、ナーベラルとハムスケの前を歩いた。ナーベラルたちは、慌ててアインズの後を追う。

 霊廟は、いつの間にか始まりと終わりが出来ていた。一〇〇メートルも進んだ頃だろうか、霊廟の奥に、両開きの重厚そうな扉がある。

 扉には、細かな彫刻がしてあった。まるで玉座の間の扉を思い起こすような、今までの迷宮には相応しくない、華美な扉だ。

 それで、この先が何であるのか察した。

 

 ――迷宮の最深部。主の御座します場所。

 即ち、玉座テッラム。迷宮の主、ズビニェクの支配土地にして、迷宮の心臓部である。

 

 アインズは、手にかけてゆっくりと扉を開いた。ごくりと。ナーベラルとハムスケが喉を鳴らす。

「――――」

 そこは、ナザリックの玉座の間さえ超える、巨大な大広間だった。そしてその中央に、貴族の館以上の――王城にさえ匹敵するほどに巨大な、(ドラゴン)が鎮座している。

 だが――。

「――――え?」

 アインズは、思わず口から間抜けな言葉が漏れる。背後で、それを見たナーベラルとハムスケが息を飲んだ。予想外の展開に、誰もが驚きを隠せない。

 そこにあったのは、どうしようもなく、もはや生きているはずのない()だった。

「――――」

 竜の骸は、片手に大事そうに、何かを抱えている。抱えられている()()は、灰色のフード付きマントに、黒い鎧を装着していた。近くには、二挺の短剣が打ち捨てられている。――どこかで見た装備だった。マントの色だけが、記憶と違うだけの。

 巨大な竜の骸と、人の亡骸。両者は共に、年月の果てに朽ち果て、風化していた。

 そして扉が開かれたことによって、風が玉座の間に入り込む。二つの亡骸は、その風に運ばれるようにして、砂のように溶けて消えていく。

 この、『還らずの森』と共に。

「――――」

 気がつけば、そこは雪がちらつく草原だった。アインズは、ナーベラルやハムスケを伴って、いつの間にか草原の真ん中に突っ立っている。

 呆然と周囲の様子を見ていると、「アインズ様!」と聞き覚えのある声が背後からかけられた。振り向くと、驚いた様子でクアドラシルに騎乗したアウラがこちらへと駆け寄って来ている。

「アウラ」

「アインズ様! 一体、何が起こったんですか!?」

 アウラは本当に驚いた様子で、アインズを見つめている。漆黒の戦士の姿でもなく、ナーベラルもまた完全武装しているために、驚いているようだった。普段と変わらないのはハムスケばかりだ。

「……まさか、そういうことなのかパトリツィア」

 アインズは、呆然と呟いた。パトリツィアが言っていた、この迷宮からの脱出方法。ズビニェクに会えばいいという、ただそれだけの。今のズビニェクに、戦う力は無いと言っていたその理由を。

 

 迷宮の主、ズビニェクは――既に、死亡していた。

 

 この『還らずの森』には、とっくの昔に主など存在していなかったのだ。

「ふ、ふふ――あはははははは!!」

 思わず、笑いがこぼれる。というか、笑うしかない。これは、あんまりな結末じゃないのかパトリツィア――と。

「は――はは、あぁ、クソ」

 そして、感情が抑制される。だが、笑いたくなる虚無感は、未だに胸の奥に燻っていた。

「全ては、夢の如し――か。狐につままれるとは、正にこういうことを言うのだろうな」

 あまりと言えばあまりな結末だった。全ては有って無いが如し。アインズのそれは、全くの徒労だったのだ。

「あの……アインズ様。一体どういうことでしょうか?」

 ナーベラルやハムスケ、アウラが困惑の表情を浮かべてアインズを見ている。アインズはそれに対して口を開き――がしゃん、という音が耳に届いて全員がその音の方へ振り返った。

 そこには……遺品が転がっている。かつて、ユグドラシルで“アカ・マナフ”というギルドに所属していた、あるプレイヤーの遺品が。

 装備品だけではない。おそらくインベントリの中身だろう、様々なマジックアイテムが、そして彼女が持て余していたのだろうユグドラシル金貨がそこには散乱していた。

 アインズは、そのドロップアイテムのもとへ向かう。その全てのアイテムを確認して、とりあえず元は取れたのだろうと納得しておくことにした。もっとも、残念なことに金貨だけは年月の経過によって劣化してしまい、使えそうにはなかったが。

 金貨を拾って見ているアインズに、アウラが再び声をかける。

「あの……アインズ様。一体、何があったんですか?」

 アウラは困惑していた。当然だろう。彼女にとっては、本当に何が何だか分かっていないのかもしれない。パトリツィアの言葉が真実ならば、アウラにとってはまだほとんど時間が経過していないはずだ。

 例え、アインズたちにとっては既に一週間以上の月日が経過していたのだとしても。

「そうだな……何と言うか、私にも説明は難しい」

 少しばかり整理が必要だった。パトリツィアと、あの迷宮のことについては。

「とりあえず、後で説明する。今は、冒険者組合の者たちがやって来る前に、誤魔化しておかないとな」

 あの大きな森が消えたのだ。おそらく、冒険者組合の組合員たちはまだそれほど離れていないだろう。アインズは魔法で、この森に来た時と同じように漆黒の戦士の姿になった。ナーベラルも促し、いつもの冒険者の格好へ戻るように告げる。

「アウラ、このアイテムは全てナザリックへ運んでおいてくれ。一〇〇レベルプレイヤーの持っていた、貴重なアイテムだ。一つとして見逃すな。――ただ、後で最初に私が細部を確認する。日記などがあった場合は、読む前に必ず私に見せろ」

「あ、は、はい!」

 アウラはアインズの言葉に頷くと、急いでパトリツィアの遺品を拾っていく。そして、全ての遺品を回収し終えた後にアウラはクアドラシルと共に姿を隠した。

 アウラが姿を隠し終えた後、よほど急いだのかあの時案内役として会っていた組合員二人組が、息を切らしてやってくる。

「モモンさん! これは――一体何が!?」

 組合員の二人は、酷く驚いた様子だった。その様子が、先程のアウラと重なり思わず内心で笑う。

「いえ――『還らずの森』については、もう解決しました。まあ、見たら分かるでしょうが」

 何せ、森そのものが消失してしまっているのだ。これで解決していないのなら、なんだと言う話である。組合員たちは瞳を丸くした。

「いや、解決って……まだ一時間も経ってませんけど!?」

「私の体感では、既に一週間は経過しているんですが……そうですか。やはり、森の外と中では時間の進みが違ったんですね。さすがは、(ドラゴン)の魔法と言いますか」

「ど、(ドラゴン)!?」

 最強の生物の名前を聞いて、組合員の二人は飛び上がらんばかりに仰天する。その姿に苦笑して。

「さあ、とりあえず帰りましょう。詳しい話は、帰ってから組合長に報告させていただきますよ」

「は、はぁ……?」

 組合員二人は、首を傾げながら頷いた。アインズはナーベラルとハムスケを連れて、再び雪のちらつく道を歩いて帰って行く。

 エ・アセナルへ向かって。

 

 

 ――そして、宝物殿にてパトリツィアの遺品を眺めていたアインズは、ぽつりと独り言を漏らす。

「なあ、パトリツィアよ。お前が死んだのはいつだった?」

 死んだのは、病に侵されていたパトリツィアが先なのか。それとも――本当は、ズビニェクから病がパトリツィアへ感染したのか。

 それとも――自分が死んだことに気がついたパトリツィアが、怒り狂ってズビニェクを殺したのか。殺しても、迷宮の魔法は解けなかったのか。

 全ては、有耶無耶のままに。まるで夢から覚めるように消えてしまった。真実はもはや、当事者以外の誰も分からない。

 ただ、これだけは分かっている。パトリツィア――彼女は迷宮の外へ出ようと必死だった。そして、彼女の夢は叶ったのだ。

 例え死んでも外へ出たいと願ったパトリツィアは、本当に――文字通り、死んででも外へ出たのである。

 ならば、これはハッピーエンドだろう。彼女の願いは叶い、アインズもまた彼女の遺した貴重なアイテムを幾つも手に入れた。ナーベラルもハムスケも死んでいない。

 だから、これはハッピーエンドに違いないのだ。そう納得して、アインズは宝物殿から去る。既に死体が風化するまでに年月の経った彼女たちの魂は、復活魔法であっても呼び戻せない。そして、アインズは問答無用で、蘇生拒否をするそんな相手を蘇生させるアイテムは持っていなかった。

 ふと、最後に彼女が微笑みながら呟いた言葉を思い出す。さよなら、ズビニェク。私は――と囁いていた言葉を。

「さよなら、パトリツィア。俺と同じく、異世界から来た同胞よ。お前の死は無駄にしない」

 そう告げて、アインズは玉座の間へ向かうために一度私室へ帰る。玉座の間には守護者たちが、そして私室にはセバスが介添えの役目のために待っているはずだった。

 

 

        4

 

 

 死にたくない――そう、生物なら誰もが思う泣き言を彼女は漏らす。もはや一人で立ち上がり、動く気力も無い彼女。血を吐き、全身の痛みに苦しみ、日々を涙を流しながら寝て過ごすことしか出来ないちっぽけな彼女。それを聞いた(ドラゴン)は、「分かった」と一言頷いた。同意を得たり。ここに、契約は完了した。

 この瞬間を――その(ドラゴン)は、ずっと待っていたのだから。

「クリック、クラック――では、物語を始めようパトリツィア。お前は――永遠に俺のものだ!」

 そう、満面の笑みを浮かべた(ドラゴン)を、死にかけの彼女は呆然と見つめた。

 

 

        

 

 

 “幻影の竜王(ファントム・ドラゴンロード)”ズビニェク=シュヴァンツァラが独自に持つ“始原の魔法(ワイルドマジック)”は、奇妙な特性があった。

 六大神たちが現れ、そして八欲王たちが現れた頃にこの世界の魔法のシステムは歪み、世界はユグドラシルの位階魔法に侵食されてしまっている。よって、“始原の魔法(ワイルドマジック)”が使用出来る者は、現在では法国が「真なる竜王」と呼んでいた。彼はそんな、未来で言う「真なる竜王」の一体である。

 “始原の魔法(ワイルドマジック)”はユグドラシルの位階魔法と違い、魂で行う魔法だ。そして、似たような魔法もあれば独自の魔法もあった。

 ズビニェクの持つ魔法もまた、そんな彼だけが持つ固有能力の一つだった。

 だが、ズビニェクはその固有魔法を、一度として使おうと思ったことは無い。ある問題から、行使するのは生涯でただ一度のみだろうと予感していた。

 何せ――彼は、その魔法を使用すると、代償として()()()()()ことになるのだから。

 彼の魔法は強力だったが、それは命と引き換えの魔法だった。よって、彼はその魔法を行使しようと思ったことは一度も無い。そもそも、行使する意味も見出せなかった。

 そんな彼に、ある日転機が訪れた。いつもと同じように、自らの縄張りで悠々自適に空を舞っていた時のことだ。

 彼は縄張りに住む小さな住人たち――下等生物たちが、言葉が通じないけれど、竜王(ドラゴンロード)のように強い奇妙な人間がいると噂していたのである。

 彼はその人間種に興味が湧いて、地上が見える場所まで姿を隠して降下した。そこで、灰をかぶったようなみすぼらしい色の、けれどとても魔力の籠もった布を頭からかぶっている、金髪碧眼の人間の雌を見つけたのだ。

 少女を空から、ずっと監視する。少女は毎日毎日、飽きもせず泣き暮らして過ごしていた。何か一人で呟いているものだから、言語統一の魔法で翻訳すると、とても寂しがっていていたことが分かった。

 見るのはモンスターばかり。言葉も通じず。そして周囲に自分と同じ者は誰もいない。それが、少女はとても悲しかったのだ。

 少女はとてもおかしなもので、何か命を奪うことにさえ怯えていた。

 けれど、悲しいかな。そんなことでは生きていけない。少女は毎日泣きながら、びくびくと怯えながら命を奪い、それを火で炙ったりして腹に収めていた。果物を齧っては、時折お腹さえ壊している。

 それでも、少女は懸命に生き続けていた。

 一週間ほども見物した後、彼は少女へと接触した。彼を初めて見た少女は、とても驚いた様子で瞳を丸くして巨大な彼の姿を見上げている。

 話しかけてやると、少女は泣きべそをかきながら身の上を話した。聞くも涙、語るも涙の、少女の身の上に訪れた不幸を。

「――ああ、よしよし。辛かったのだな、お嬢さん」

 彼はそう言って、少女に同情してやった。初めのうちは少しばかり警戒していた少女も、数日もすれば彼に懐く。言葉が通じるのが彼しかいなかったことも、それに拍車をかけたのだろう。

 ……周囲の者たちの言葉が通じない彼女は、周囲で囁かれている噂話は聞こえなかった。ああ、やれ可哀想にあの人間。あの恐ろしい大悪徒に目を付けられたぞ。きっと、世にもおぞましい目に遭わされるに違いない。哀しや、哀しや。

 ユグドラシルだとかニホンだとかいう奇妙な世界からやってきた稀人の少女は、彼にとても懐いた。彼の背に乗って、ご機嫌で空を舞う。地上を見下ろしては、笑顔を浮かべた。

 そうして少女の機嫌を慰めてやっていると、少女はどうやら周囲の言語を四苦八苦しながら、勉強しているようである。それを見た彼は、少女を連れて縄張りを離れた。

 言語を理解されれば、少女は彼の本性に気がついて驚き去っていくだろう。そんな結末は、まったくもって面白くない。だから彼は、少女を連れて下々は彼を知らぬ場所へと旅立った。何も知らない少女は、広い世界を喜んでいたようだった。

 一匹の(ドラゴン)と、一人の少女は旅をする。様々な世界を見て、様々な者たちに会って――彼は、ある日心変わりしたのだ。

 この少女と、ずっと一緒にいたい――と。

 少女といると、とても楽しい。彼女が好きだ。例え死んでも、彼女と離れたくない。

 だから、彼は心変わりした。愛を知って、心を入れ替えたのだ。

 ――そして、彼は決意した。残りは、タイミング。彼女とずっと一緒にいるには、彼女にも同意を貰わないといけない。その同意を、どうやってこぎつけるかを毎日毎日、来る日も来る日も彼は考えた。

 そして――彼は、運の良いことに、その日を迎えたのだ。

 彼女は何らかの病を患った。原因不明。さっぱり、彼女は治らない。彼の魔法でさえ、彼女の病気は治せない。

 ――おお! なんと幸運なことか! 神は、我が身の味方である!

 それを確信し、彼は遂に――彼女に、決定的な一言をこぼさせた。

「死にたくない――ズビニェク」

 彼女は、泣きながら死に怯えている。だから彼は、殊更優しく答えてやったのだ。相分かった。君の願いを叶えよう、と。

 ここに契約は完了した。お前はもう、俺のものだ――と。

 

 その瞬間――彼の魔法は完成した。彼は――ズビニェクは、魔法の行使と共に死亡したのである。

 

 命を引き換えに、自らの魂と対象の魂を閉じ込める。彼は生粋の嘘吐きで、彼に出来るのは、魂を騙すこと。

 この『還らずの森』という迷宮こそ、彼の魔法。彼だけの世界。愛する彼女のための世界。彼女を永遠に保存しよう。

 故に、彼の魔法は「In principio creavit Deus caelum et terram」。彼は天と地を創り、そこに彼女を閉じ込めて永遠に保管した。愛する人よ、貴方は絶対に離さない。

 そして、死したズビニェクの亡骸の横で――ほどなくして、彼女も、パトリツィアも死亡した。弱り果て、身動きも出来ない状態で、悶え苦しみながら――ひとりぼっちで息を引き取ったのだ。

 死したパトリツィアの魂は、ズビニェクと共に幽世に永遠に幽閉される。そこはズビニェクの世界で、パトリツィアのための世界だ。あの迷宮そのものがズビニェクであり、そのズビニェクの腹の中をパトリツィアは魂の状態で歩き続ける。

 愛する人に、美しい世界を。彼女の語る優しい童話の世界を再現しようとした彼は、そこで初めて頓挫した。

 

 ダグマル。ドゥシャン。ああ、何故だ。我から生まれた者たちよ――お前たちはどうして、そんなにも醜く穢らわしいのだ。

 

 美しい、優しいだけの童話は現れない。そこには必ず悪がいて、侵入者を大喜びで待ちわびて、そして喜び勇んで喰らい尽くし、パトリツィアはそんな現実に泣いている。

 そんなつもりでは無かったのだ。断じて、そんなつもりは無かった。ここはパトリツィアのための優しい世界。童話の中の理想郷。なのに何故、必ず悪は現れるのか。

 ――何でも何も無い。ひたすら困惑しダグマルたちを嫌悪するズビニェクとは裏腹に、パトリツィアは簡単に童話の世界を見破った。

 この世界は、ズビニェクによって創られた。ならば簡単だ。邪悪の権化たる竜王(ドラゴンロード)に、優しい慈愛の世界は創れない。そんなことに、神である彼だけが気づいていない。

 ダグマルも、ドゥシャンも、創造主を喜ばそうと試行錯誤。侵入者を騙し、解体し、悲鳴を上げさせて大喜び。自分たちは創造主の一部である。ならば、自分たちが喜ぶこの行為こそ、創造主の喜ぶ行いだ。どうか、自分たちを褒めて欲しい。

 嫌悪は募る。苛立たしさが増していく。彼らは顔も見たくない。でも自分の一部だから、何をどうやっても切り離せない。これがズビニェクの本性だから、どうやっても彼らは現れる。

 そんなダグマルとドゥシャンに、パトリツィアの方が折れた。それを嫌悪するより、受け入れて、そういうものだと納得する方が楽だということに気がついたのだ。

 ズビニェク=シュヴァンツァラという竜王(ドラゴンロード)は、他者を騙すのが大好きで――他者が恐怖に歪む顔や、絶望する顔が大好きで、生きたまま生命を貪るのが大好きな、どうしようもない塵屑である。

 パトリツィアはズビニェクの本性を、ひっそりと静かに受け入れた。

 かつて「死にたくない」と願ったパトリツィア。彼女は、もっとも信頼していた友人に、あらゆることで裏切られた。

 寂しくて、死にたくないと願ったのに――死の瞬間はひとりぼっちで、涙を流しながら誰にも看取られず息を引き取った。

 だから、この結末は必然だ。魔法が解けてしまえば、後はもう――結末を告げるだけである。

 パトリツィアは灰かぶりにはなれなかった。王子様は来なかったし、魔法使いは邪悪の権化である。

 だから狩人(アインズ)の手で、狼の腹の中(ズビニェク)から解放された赤ずきん(パトリツィア)は、その腹部に代わりの石ころ(ゴミクズ)を詰めてやる。

 

「さよなら、ズビニェク。私は、貴方を愛さない」

 

 そう告げて、パトリツィアはズビニェクを底なしの池(じごくのそこ)に叩き落してやった。

 

 

 




 
■パトリツィア/Patricia/人間種(霊廟のみ異形種)
▼種族レベル
なし(霊廟のみファントムロード:10lv)
▼職業レベル
ファイター:?
ソードダンサー:?
トリックスター:? ほか
▼personal character
アーコロジー出身の、世間知らずのお嬢様。現実では女子高生で、深窓の令嬢である。ゲームはゲームとして完全に割り切ることが出来る環境で育ったために、実はアインズとはそれほど仲良くはなれない。PKも「ゲームの中だし運営も良いって言ってるからやっていいじゃん」というノリ。童話が好きで、小さな頃から色んな童話を集めている。根は世間知らずなお嬢様のため、結構騙されやすい。そして異世界に来てもズビニェクに純粋培養気味に育てられたため、世間知らずなまま大人になってしまった。

■ズビニェク=シュヴァンツァラ/Zbyněk=Švancara/異形種
▼種族レベル
古老:5lv ほか
▼職業レベル
ドラゴンシャーマン:?
トリックスター:?
イリュージョニスト:? ほか
▼personal character
カルマ値極悪の“幻影の竜王”。もう一度言おう。カルマ値極悪である。プレイヤーのように構成上の問題でも無く、NPCのように設定されているわけでもなく。生きていく中でこのようなカルマ値になった極悪ドラゴンである。その性格の悪さは、語るまでも無い。最初は何も知らない異世界の少女を騙して遊んでやろうと近づいたのだが、そのまま真っ逆さまに恋に落ちた。他のドラゴンには「更生したが別の意味で変態になった」と恐れられていたが、結局その性格は治らなかったため、最後は恋する少女に盛大に振られたのだった。
 







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