※オリジナルキャラ注意※
一
三途の川に浮かぶ一隻の船の上。ここは私のベストプレイスの一つだ。ただでさえ立ち込める霧で視界が悪いし、合わせて岸から遠くしているから邪魔も入らない。船の揺れが心地いい絶好の昼寝場所。
しかし当然例外はある。船の揺れが変わったので何事かとまぶたを持ち上げると、私の船に並ぶように船をつけた船頭の姿が見えた。
「またこんな所でサボってるのね」
諦観混じりにそう告げたのは同僚の死神。中でも彼女はずば抜けて頭の固い真面目ちゃんだ。
「あんた達が働きすぎなのさ」
「貴方がそうしているからね」
「ならあんたもこうすればいいだろう?」
「そうして、運ばれなくなった死者はどうなるの?」
自分が正しいなんてつもりは毛頭ないが、それにしたってため息が出るくらいバカ真面目。さぞ生きづらいだろう。なんてぼんやり考えていると、言うだけ無駄だと考えたのか、このことは上に報告しておくわ、と残して彼女は消えた。
何を今更、と鼻で笑う。
だがまたすぐに寝直す気分にはなれなかった。
「どうしてあそこまで気張れるのかねぇ……」
真面目だから。それだけの理由であんなにも行動的になれるものなのか。それとも何か果たしたい目的があるのか。いくら考えようと答えに辿り着く気配は微塵もしないが、ただ一つだけ間違いなく言えることがあった。
「そんなもの、私にはありゃしないね」
もう一度、まぶたが下りた。
それから1日経った昼過ぎのこと。私は無縁塚を訪れていた。この地も滅多に人妖の近寄らない場所だと言えば、その理由について深く触れる必要は無いだろう。
しかしこの場所はこの場所で万全とは言い難い。ここでサボっているとよく四季様が説教にくるのだ。
それにしても、ここは冥界に繋がっているとはいえ特別何かがある訳でもないのに、どうして四季様はいつもいつも私を見つけるのか。もしや四季様もサボってるんじゃなかろうか。なんてありもしない空想に花を咲かせていると、難儀なことに影が差した。
「小町」
聞き慣れた声に思わず肩がビクリと跳ねる。彼女の説教は慣れてはいるが平気なわけではない。私は恐る恐る目を開いた。のぞき込むようにして立っている彼女の顔が見えて現実を確信し苦い笑みがこぼれる。
しかしどうにも様子がおかしかった。いつまでたっても叱咤が飛んでこないのもそうだが、何より四季様の表情が芳しくない。それが不気味に思えて声をかけようとしたところを、制するように再度名前を呼ばれた。自然、私の意識は続く言葉に集中する。
「――貴方の異動が決まりました」
集中しなければ良かったと、そう思った。そうしたところで何も変わらないけれど。
彼岸の花が静かに揺れた。
二
見慣れたようで少し違う、血に濡れた濁った空を私はぼんやりと眺めていた。サボりたいのはもちろんだが、それとは別に仕事が手につかなかった。
私の異動先は地球の地獄であった。基本的なことは前と何も変わらないが、異界の、それも幻想郷を担当する地獄と比べれば数倍でかい。当然仕事も多く、少しサボればどこからともなく怒号が飛んでくる。ちょうど今も飛んできた怒号に私は渋々重い腰を上げた。
あの人の説教みたく長ったらしくないのはいいが、怒号の度に働く意欲は消えていく。それもそうだ。彼らの声の矛先は働かない者であって私個人ではない。彼女のそれとは、違う。
少し気を抜けば次の怒号が飛んでくる。これ以上やる気が削がれる前に。そう思って私は動き出した。
年の瀬から年明けにかけての繁忙期。流石の私もこの時期ばかりは堂々と仕事を投げ出したりしない。それでも飛んでくる怒号を適当にあしらいながら全ての仕事を終え、身も心もクタクタになって帰路についた。この時期はいつもこうなるが、今年はいつも以上に心が重い。私がこうして帰ってきた時、あの人が決まって汲んでくれたお茶の味がすごく懐かしく思えた。
そんなことを考えていると唐突に後ろから声がかかる。
「お疲れさん」
サボり癖からか広がった悪評により私に声をかけようなんて物好きはいない。何者かと思って振り返るとそこにいたのは十数人いる閻魔の一人、直属の上司に当たる人だった。彼は窓際まで寄ると煙草をふかし始める。
「あの、私の悪評とか、気にしないんです?」
ちょうど労いの言葉を求めていた、というのが原因だろう。何を期待したのか、私はそんな問いを口走った。彼は白い吐息をゆっくりと吐き出してマイペースに答える。
「そんな個人の細かい事情まで気にしてちゃあ、閻魔なんてやってられんよ」
ああ、この人も『閻魔』なのだとすぐ理解した。善人でなければ悪人でもない。もっと別の、確固たる個人の領域で生きている。
……だからこそ、いやがおうにも比べてしまう。亡者はおろか生者の事情にまで踏み込んで、正そうとしていたあの人と。
私が押し黙っていると閻魔はああそうだ、と言って灰を落とした。
「君に人事の方から話が来てたよ。もう聞いた?」
いえ、と私は首を振る。閻魔はさほど興味もなさそうに告げた。
「戻りたければしっかり働け、とさ」
三
暦は睦月の十六日目。正月も過ぎ去り窯開きの日。地獄では遅めの忘年会が行われていた。この日ばかりは鬼に死神、閻魔さえもが飲めや歌えの大騒ぎ。そんな中私もタダ飯食らいにやってきていたのだが。
「これどうするかね……」
色とりどりの料理は大皿に盛られており、それを好きなだけ取っていけという大胆なスタイル。それはいいがついいつもの癖で取りすぎた。取り皿の真ん中ででかでかと鎮座する肉の塊がいい例だろう。流石に戻すのはマナー違反だと弁えているが、かといって残すのもよろしくない。しかし頼れる者もいない現状、どうすべきか思案していると彼《か》の閻魔の姿が視界に入った。取りすぎたので半分食べてくれませんかと助けを乞えば、特に勘ぐるでもなく快諾してくれる。こういう人はこういう場面では楽でいい。
私はすぐに切り分ける作業に入った。ちょうど半分になるようナイフを入れるも、目測が狂っていたのか微妙に大小ができてしまう。
『まったく貴方は。慎重に行動しないからそうなるんです』
ふいに声が聞こえた。口を尖らせつつ反論をすれば長い長い説教が始まって、ようやく終わったと思うと貴方は力仕事ですから、と微笑みながら小さい方を取っていく彼女の幻影《すがた》。
ふと我に返ると皿に残されているのは小さな肉の塊。
――――ああ。
本当に小さなことだった。誰が悪いわけでもない。だがそのほんの小さなズレが、私の胸を締め付けた。
私は居たたまらなくなって消えるようにその場から立ち去った。
空はいつの間にか雨模様。しかし私は躊躇いなく飛び出す。泥が跳ねるのも気にせず水たまりを踏み抜いて、私はただただ走った。
――帰りたい。
ここはどこか。どこへ向かっているのか。あてもなくひたすら走る。今はただあの場所から少しでも離れたかった。
――帰りたい。
走り疲れて立ち止まって、空を見上げた。どんよりと重い空。それとなく触れた壁は固く冷たい。
――帰りたい。
体を沿って雨が流れていく。それに合わせて自分まで溶け出していく感覚に襲われる。
「――――逢いたい………っ」
花弁が一枚、チラリと散った。
四
『戻りたければしっかり働け』
あの日以降、この言葉が私の心に巣食うようになった。だからといってサボらなくなったわけではないが、働く時間は確実に増えた。
それだけなら聞こえはいいが、しかし一つ問題があった。仕事を終え、その量が今までより増えていることに気がついた時、一つの不安が私を襲うようになったのだ。
ならば仕事をしなければいい。そう考えるのが普通だが、しかし私は正反対の行動を取った。不安に襲われる度、私は仕事に勤しんだのだ。理由は単純。一刻も早く戻りたかったからだ。
そう、戻りたいから。それ以外の理由なんて――ない。
――――一枚。
それからの私は働いて、働いて、働いた。
気づけばサボっていた時間はもちろん、食べる時間や果ては寝る時間さえ削って私は働いた。働かざるを得なかった。
さて次の仕事だと思ったとき、ふと視界に彼《か》の閻魔の姿が入る。すれ違う直前、窘められるのではと一瞬だけ不安がよぎるが、彼は私を一瞥しただけで無言のまま通り過ぎた。
そうだ。彼はああいう人だ。全てに平等で、おしなべて関心が無い。
だから何だ。今更そんなこと気にもならない。
しかしずっと忘れていた、忘れようとしていた不安をいやがおうにも想起させられた。
拳を握る。歯を食いしばる。
私はこんなところで立ち止まるわけにはいかないのだ。不安を払拭するためにも。
私はまた一歩踏み出した。
花弁は、数えるほどしか残っていない。
五
まだ動けるまだ働ける。そう思う意志とは裏腹についに私の身体は限界を迎えた。まるで身体を吊る糸を切ったように、パタリと倒れ落ちたのだ。動け、立ち上がれと念じても、一向に身体は応えない。
ついぞ諦めた私は何とか仰向けになれるように身をよじった。
「…………寒いと思ったよ」
空を見上げてようやく雪がちらついていたことに気付いた。吐く息も驚くほど白い。
雪が頬に舞い落ちる。最早冷たさはほとんど感じない。改めて身体の極限の疲弊を実感する。それと同時、なんとか保っていた心で何かが決壊する音が聞こえた。
思考を襲ったのはあの不安。
あの人も、善人や悪人というのを超越した『閻魔』であるが故に、彼女の関心は全てに平等に注がれていて。私にとって彼女がどれだけ特別であろうとも、彼女にとって同様ではないのではないか、という不安。
改めて考えると馬鹿馬鹿しくて笑いがこみ上げてくる。
不安だなんておこがましい。閻魔様と一死神。同等のように考えてること自体馬鹿げてる。
徐々に遠のき始めた意識を前に、私は驚くほど穏やかだった。
そんな馬鹿げた不安でも。不安は不安のまま、確証に変えることなく終われるのであればそれもまたいいのではないか、と。
『またこんなところでサボタージュですか?』
霞みゆく視界の先に、彼女の幻影が見えた。渇いた笑みがこぼれる。
はは……、ほんとに、私ってやつは。
呆れて声も出せずにゆっくりと、私は重い重いまぶたを下ろした。
雪が、止んだ気がした。
六
目が覚めるとそこは知らない天井だった。ここはどこか、私は何故こうしているのか。状況が理解出来ずぼんやりしていると、すぐに側から声がかかった。
「気分はどうですか」
聞き違うはずがなかった。反射的に身体を起こし、声の主を探す。
「こら。まだ安静にしていなくてはいけませんよ」
起き上がったところを制止するようにポンと頭に手が置かれる。幻覚でもなんでもない。彼女がここにいる何よりの証左。
「どうしてここに……?」
「居ては駄目ですか?」
彼女は拗ねたように口を尖らせる。私が動揺にあえぐと彼女は表情を崩し、順に説明しますよ、と告げた。
彼女の話によれば、私が倒れていたところに四季様が偶然居合わせ、すぐに助けを呼んで近くの民家に運び込んだという。
しかし四季様がこちらの地獄にいた理由がわからない。その考えが顔に出ていたのか、彼女はすぐに答え合わせをしてくれた。
「貴方を異界の地獄に再配置するよう指示が来たのですよ」
「本当ですか!? しかしなんでまた……」
「貴方の働きぶりが認められたのが一つ。あとは……『あの調子のままで倒れられて、自分の責任にされたら敵わん』だそうですよ」
驚いた。見ていたのだ。他者に無関心だと思っていたあの人は、私という個人を見ていた。
早とちりして、勘違いして。ちゃんと見ていなかったのは私の方だった。
そうなればきっと私は、目の前のこの人のことも――。
ふと彼女の顔に違和感を覚える。その正体はすぐに判明した。
「……珍しいですね。四季様が目の下に隈を作るなんて」
彼女は少し驚いた表情を見せた後、隠すように顔を背けた。こころなしかその顔は赤く見える。
「これは……貴方が仕事に精を出していると聞いて、仕事が手についてないのは私だけかと思うと、そのですね……」
私は言葉が出なかった。そんな私の顔に視線を戻した彼女が、どうしました!? と驚きを見せる。何事かと思い顔に触れると指先が暖かく透明に濡れていた。
「あれっ……なんでですかね……」
手や腕で拭っても次から次へと溢れ出す。こらえようとしてもその度に胸が締め付けられる。一度外れた堰はもう戻らない。
突然肩を引き寄せられた。視界が急に暗くなる。けれど暖かく、不安は微塵も感じない。
耳元で声が聞こえた。
「大丈夫。私はここにいますよ」
私はこらえるのを止めた。
胸の奥から吐きそうなくらい思いがこみ上げてくる。叫ぶように声が漏れる。
どうして涙が流れたのか。そんなこと最初からわかっていた。
ずっと不安だった。私は彼女を見ていても、彼女は私を見ているのかと。
だけど彼女は私を見ていてくれた。彼女が私の一部であるように、私も彼女の一部であれた。そのことが何よりも嬉しくて、安堵して。
……その後のことはよく覚えていない。どうやら私は、彼女の腕に抱かれたまま眠りに落ちてしまったらしい。
「――――――」
深い深いまどろみの中、彼女の声が聞こえた気がした。
七
「帰ってきたと思ったらアイツまたサボってるじゃない!!」
時刻は昼過ぎ、場所は無縁塚。一人の死神が憤慨しているのが見えた。彼女の過去をを考えれば仕方ないことだ。しかし。
「今は見逃してあげて」
「なんで!? アンタが一番ああいうの嫌いじゃない!!」
確かに好きではないけれど。
「彼女、さっきまで私の倍は働いていたわ」
倍!? と死神は声をあげた。驚く気持ちはよくわかる。あの小町がサボるために周りの倍働くなんて本末転倒なことをするとは、実際の姿を見せられでもしなければ私も信じないだろう。
では何故か。そう思うのも自然なことで。目前の死神が問いを投げようとしたのを私は口元で指を立てて制すると、そのまま彼女の方を伺うよう促した。
私の居場所だと言わんばかりに横になって、まぶたを下ろしている彼女の姿は以前までと変わらない。しかし少しの間様子を伺っていると彼女の元に来訪者があった。私たち死神で知らぬ者はいないだろう。閻魔の一人、四季映姫・ヤマザナドゥ。
四季様は横になっている小町を目にして、またかと言った風に呆れた仕草を見せた後、彼女の名を呼んだ。呼ばれた彼女は驚いて身を起こし、四季様の姿を見ると苦い笑みを浮かべる。四季様の長い長い説教が始まる。
以前に何度も見た光景。なのに。だと言うのに。
私は思わず目を細めた。
そんな顔されたら、止められないじゃない。
私は、努力した者が報われないことが一番嫌いなのだ。
今日も彼岸の花が咲き誇る。