東方短編集   作:天虎

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雨と奇跡と兎と幸せ《main:因幡てゐ/東風谷早苗》

 

 雨が降らずからりとした気候が続いていたとある日。守矢神社から『設置薬が少なくなってきたから補充して欲しい』との依頼が来たものの、現在永遠亭は人手不足に悩まされていた。

 そういうわけで手の空いていたてゐがその役割を任されたのは自然な流れだったのだが、その帰り際。緑髪の巫女が箒を動かす手を止め、大きなため息をついているのを彼女は目の端で捉えた。

 てゐは少しだけ逡巡して話を聞きに行くことに決めた。このまま永遠亭に帰ればまた何か雑用を任されるのではないか、というのが一つ。そしてもう一つは、なんとなく彼女のその表情が気に入らなかったからだ。

「随分と浮かない顔じゃない」

 声を掛けられた早苗は少しだけ驚いた素振りを見せたものの、すぐにいつもの姿を取り戻した。

「そんなことないですよ。見間違いじゃないですか?」

「隠されるとなおさら気になるわね。そうね、貴方が気を落とすことと言えば……参拝者が減った」

 早苗の肩がピクリと動く。図星だったか、と呆れるてゐを見て早苗は諦めたように肩を落とした。

「最近急に参拝者の数が減りまして……。だけど理由がわからないんです」

「理由ねー。案外アンタにあったりするんじゃない?」

「どういうことですか?」

「聞いた話じゃアンタは奇跡を起こせるんでしょう? だけど奇跡を『起こした』話は聞いたことがない。魅力的な話も事実がなけりゃほら話さ。そしてそんな怪しい奴がいるところに行きたいと思う?」

「そんなこと――ないですよ……」

 早苗は否定するもその声に力はなかった。それをてゐは見逃さない。

「だけどここでなにか奇跡を起こして見せたら、私がそれを広めてあげるよ」

「本当ですか! そうですね……じゃあ私、雨を降らせてみます!」

 眼を輝かせてそう言うと、彼女はすぐさま瞼を下ろし何かを唱え始めた。それと同時、ふっと周囲の空気が張り詰める。そこに立っている少女は先程までとは別人のようで。段々と詠唱の勢いは増していく。そしてピークに迎えた瞬間早苗は空に手を伸ばした。限界と思えた空気は更に張り詰める。風が凪ぐ。空が陰る。てゐは反射的に息を呑んだ。

 すべてが止まり、その場には沈黙が落ちる。早苗は変わらず天に腕を掲げ続け、てゐも体をこわばらせその時を今か今かと待ちわびている。待って。待って、待って待って待って待って――――。

「あ、これ無理なやつですね」

 ズコーッ、と。てゐは自分でもびっくりするくらい綺麗にコケた。

「あそこまでやって無理ってどういうことよ!」

「そう言われましても。奇跡はそう起こらないから奇跡っていうんですよ」

 なんて、先程までの落ち込みなど忘れたようにかっこつけている早苗を見て、もう帰ろうかなと考えたてゐだったが、しかしそうは問屋がおろさなかった。

あ、そうだ! となにかひらめいたかと思うと早苗はてゐの方を向いて告げる。

「てゐさんが私を幸せにしてください!!」

 何言ってるんだこいつ。それがてゐの最初に抱いた感想だった。しかしまぁすぐに意図を理解して。

「つまりその起こりにくい奇跡を私の『人間を幸運にする程度の能力』で呼び寄せて欲しいと?」

「ですです!」

 正直なところ彼女にとってそれは悩ましい話だった。しかし奇跡を起こすよう促した手前断りづらい。てゐはやむなくその提案に乗ることにして、文字通り手を貸した。

「手、震えてますよ? もしかして緊張してるんですかー?」

「そ、そんなわけないよ! いいから早くやっちゃって!」

「あれ? これだけでいいんですか?」

「え? ええ、そうよ。手を繋いでるだけでも十分運気は上がっている、はず……」

 そうですかー、と早苗が再度詠唱を始めたのを見ててゐはとりあえず人心地付いた。

 ……本来なら触れる必要すらなかった。早苗はてゐと顔を合わせた時点でそれなりの幸運を得ているはずなのだ。

 だが失敗した。

 なればこそ手を貸したくはなかった。そうすれば有耶無耶に出来た。しかし彼女は引くに引けないところまで来てしまったのだ。そして。

「ダメでしたー!」

 彼女の悪い予感は的中した。

「いやー、てゐさんの力を使っても無理ですか……はは」

 空元気を保つ余裕すらなくなったのか、声のトーンはどんどん落ちていく。その姿を見ててゐは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「ちょ、ちょっと待って! まだ決まった訳じゃないよ! そ、そう今から白兎を呼んでみせるから! そうすれば必ず幸せになれる!」

「もう大丈夫ですよてゐさん……私が駄目なんです」

「いいや! もうやるって決めたから! ほら!」

 早苗の言葉を遮って叫ぶ。そうやって彼女が指さした先、白い影が小さく見えた。こちらに駆け寄ってきているように思える。まさか本当に白兎が? 沈みきったはずの早苗の心がわずかに跳ねる。そしてその影はどんどん大きくなってきて、そのまま早苗の胸へと飛び込んだ。それは嬉しそうにぺろぺろと早苗の顔を舐める。早苗はこそばゆくて思わず笑みをこぼした。それが面白かったのかそれはあっちこっちへしっぽを振って大きく鳴いた。『キャンキャン!』と――――。

「――ってこれ犬じゃないですか!!」

 サイズこそ兎と大差ないものの、早苗が抱えているそれは紛れもなく白い子犬であった。

「そ、そんな顔しないで! これはむしろラッキーよ! 白い犬ってのは人間関係に関する運気をを上げると言われてる。信奉者たちとの関係に悩んでるアンタにはピッタリってわけ!」

 早口でまくしたてるてゐ。流石の早苗も彼女の動揺に気付いた。その上で彼女の言動を思い出す。抱えた子犬と目が合う。何も知らない無邪気な瞳。

「……じゃあ、もう一度だけ試してみますね」

 子犬をそっと下ろして、一度大きく深呼吸。そしてゆったりと構えた。程よく力が抜けているのが目に見えてわかる。

 空気が張り詰める。しかし不思議ながら緊張感は感じさせない。彼女に力を貸そうとするかのように風が優しく渦巻いていく。最初は緊張して見ていたてゐも気づけば見惚れていた。

 どんどんと強さを増していった風、それが突然ピタリと止んだ。その瞬間早苗は手を掲げる。合わせて光の柱が空へと伸びたように見えた。

 場に静寂が落ちる。一秒、二秒。それくらい待っただろう。しかしてゐにはそれ以上に感じた空白の後、彼女らの願いが通じたのだろうか、それは勢いよく降ってきた。

「――――あひゅん!」

 大きなタライが。

 風の影響をすべてはねのけて地面に水平に降ってきたタライは綺麗に早苗の頭に叩きつけられた。凄まじい衝撃に倒れそうになるがしかしなんとか持ちこらえる。

 場には再度沈黙が落ちた。しかしそれも束の間。早苗の感情が爆発する。

「あーーーーもぉーーーー! 私が何したってんですか!!」

「い、いや今日はたまたま運が悪かっただけだって」

 抑えようと声を掛けたてゐ。しかしそれがきっかけで早苗の感情の矛先がてゐの方へと向かう。

「てゐさんもてゐさんですよ!! 全然幸運になれないじゃないですか!! むしろ不運になってますよ!!」

 てゐにとっては耳が痛い糾弾。何も言い返せるようなことはなかった。しかし彼女は彼女でいっぱいいっぱいだった。

「わ、私だってこんなの初めてなのよ!! アンタの奇跡が悪いことしてるんじゃないの!?」

「そーですよー! 私が悪いんですよー! でも悪化させたのはてゐさんですからね!!」

「なっ! アンタが成功してたら何も問題なかったじゃない!!」

 二人の感情はどんどんエスカレートしていく。それに合わせてボリュームも上がっていく。近くの森から鳥の群れが飛び出すのが見えた。

 その時だ。

 滝のような雨がすべてをかき消すように流れ落ち、二人は瞬く間に全身を水で染め上げた。突然のことに二人は言葉を失い、ただただ呆然とするしかなかった。

 雨が叩きつけられる音が虚空へと響く。

 そんな二人の目を覚ますかの如く水の塊がバシャリと彼女たちの頬を打った。ふと目をやると、白い子犬が水の溜まったたらいで右へ左へ、嬉しそうにはしゃいでいる。

 二人はゆっくりと顔を見合わせ、思わず噴き出した。何もかも全部ばからしくなって、人の目も気にせず馬鹿笑いした。

 

 守矢神社の拝殿からすぐ近く、ロープウェイから降りる一つの影があった。背中には大きな荷物を背負い、手に持った唐傘は使わず笠から大胆にはみ出した耳を濡らしている。

「ホント、急に降ってくるんだもんなぁ」

 育ち盛りの水溜まりをひょいと避けて愚痴をこぼす。と視線の先、降り注ぐ雨に身を晒している彼女の姿を見つけた。

「風邪が流行ってるって言ったのに」

 それこそ彼女がここにいる理由で、自分がここにいる理由だと言うのに、と内心ぼやく。

「てゐー! 傘持ってきたわよ――――」

 しかし呼び声も半ばに彼女は固まりついた。

「何があったの…………?」

 降り注ぐ雨の下、知り合いが巫女と共に大声をあげて子犬とはしゃいでいる姿に、彼女はそう反応するしかなかった。

 

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