乃木さんちの青葉くんはこんな感じである 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
笑みとは本来好戦的なモノと最初に聞いたのはどこでだったか、これを聞いたときは何のこっちゃと思ったのは覚えている。だけど、不敵に口角をあげる球子の瞳にはこういう事だったのかと納得しうるだけの挑戦的な光を灯していた。
「まさか、青葉とこうなるなんてな。タマは青葉はこういう事はしない奴だと思っていたぞ」
「そう?僕はもっと早くにこうするべきだったって思ってるよ」
「言うじゃないか。面白くなってきた」
僕の右手には得物としては頼り無い棒切れ、普段は掃除道具を入れるロッカーにしまってある変哲の無い普通の箒だ。対峙する球子もその手に持つ物は使いなれているであろう盾の神具ではなく、即席の投擲具を手に持っている。互いの条件は五分五分だ。
「タマっち先輩、辞めた方がいいよ……」
「止めるなあんず。もう辞めれる段階は過ぎ去ってるんだ」
「球子ちゃん、辞める気なんて最初から無かった癖に。
それを手に持ってるのを見た時ピカーンときたよ。あ、餓えてるなってね」
「ふっ。そう言う青葉もそうなんだろ?ウキウキしながらロッカー開けやがって」
鼻で笑う球子にムクムクと戦意が膨れ上がり、二・三度手首を返して箒の軽さを手に馴染ませる。相手は浮き足立ってるとはいえ勇者になった女の子だ、油断はできない。
「若葉ちゃん止めなくていいの?」
「知らん、痛い目に合えばいい」
「ひなちゃんは?」
「二人とも腕白ですから、こんな時は若葉ちゃんが止めなければ青葉ちゃんも辞めないでしょうし」
いつもは口煩い二人の言葉を消極的な許可と捉える。
「球子ちゃん、手加減はいらないよ」
「上等、タマはこれで数多の男子を相手に勝利してきたんだ。タマの全力を見せてやる」
数瞬の沈黙、示し合わせたように同時に構えた。
「プレイボールだ!これがタマの必殺、消える気がする魔球!」
大きく振りかぶった球子が綺麗なフォームでガムテープを団子にして作ったボールを投げる。球子の気迫を纏っている気がする即席ボールは勇者としての日々の鍛練の賜物か、かなりの球速で僕のストライクゾーンど真ん中へ直進してくる。
「せいやぁ!」
いけると確信した時に自然とスイングされた箒がガムテープ団子を真芯で捉え、ペシャンと間抜けな音をならして教室の空中に茶色の軌跡を描く。
「そんなっ!?」
驚愕の球子の顔に心が勝利の優越感に浸る。
スイングした体制のまま眼で団子の軌跡を追い掛ける。団子はぶれぶれの情けない軌道で我関せずと自分の席で携帯ゲーム機を興じていた千景の後頭部に吸い込まれるように当たり、勢いよく跳ね返って窓際の収納棚に飾られていた細身の花瓶に追突した後に床に転がった。
『…………』
静まり返る、教室。
僕と球子の短すぎる野球大会の結末は濡れたガムテープの塊と割れた花瓶、水と破片が散った床、そして、忙しなく動いていた指が静止した千景の姿と耳に残った「ヘウッ」という不思議な音色の悲鳴だった。
─────
「ふむ、つまりは悪ふざけの結果花瓶を割ってしまったので報告と謝罪に来たのだね?」
「はい」
「そうです」
丸亀城の職員室として扱っている部屋の中、鷲尾先生の抑揚の少ない重い声が僕と球子に注がれる。現状の要点を簡潔に纏めた確認が、まるでテレビドラマで見た罪状を読み上げる裁判官のように思えた。
「割れたのは花瓶だけか。確認するが、怪我は?」
僕も球子も怪我は無い、十分に気を付けて清掃したので落ちた破片で怪我をする事もなかった。被弾した千景も怪我は無いと言っていた。そう伝えると、鷲尾先生は顎を指で擦りながら何かを思案し始めた。
「乃木君も土居さんも、何を言われる前に謝りに来たという事は、自分達の行動が悪かったと理解しているようなので、その先の事を教えよう」
先の事?球子と顔を見合わせて首を傾げる?
「割れたのが、もし花瓶ではなく天井の蛍光灯だったら、どうなるかね?土居さん」
「わ、割れて落ちてくる」
「よろしい、では乃木君、君の打球がホームランではなく頭上に高く打ち上げるファールなら?そこに蛍光灯があると、どうなるかね」
「頭の上の蛍光灯が割れて降ってきます」
一度、鷲尾先生が頷く。
「それでは、もしも割れた蛍光灯の下にいたのが、伊予島さんならば……どうなるのだろうね、土居さん」
問われたのは、僕ではない。僕ではないが、背中に氷柱を差し込まれた感覚に陥る。僕達は軽い気持ちでとんでもない事をしていたのか。問われた球子を見ると眼を見開いて顔を青ざめさせていた。
「見たまえ」
先生が濃紺のスーツの袖を捲り、素肌を晒した腕を僕と球子に差し出した。その腕には無数の細い線が走っている。
「先生が子供の頃に、割れ物での事故で怪我ををした時の傷痕だ。生涯消えることはないだろう」
「あ、あぁ、タマは……タマはなんて事を」
球子が震えて、涙を目尻に滲ませる。鷲尾先生はそれを見て大きく頷き、僕に眼を合わせた。
「さて」
合わせていた自分の眼を鷲尾先生が指でなぞるように触れる。指先に透明で反り返った円形の物がいつの間にか載っていた。
「コンタクトレンズだ。その事故で眼にも破片を浴びてね。そう言えば、日常生活もそうだが、スポーツや武道において視力はとても大切なモノだったと記憶しているが……どうだったかね?」
「ヒュ」
自分の想像に息が詰まる。もし割れたのが花瓶ではなく蛍光灯で、その下に姉がいたとしたら、幼馴染がいたとしたら。体の震えに、足下が揺れているように錯覚する。
「ふむ、たしか乃木君の家には立派な家訓が有ったと記憶してるが。何事にも報いを、痛みを教訓に、だったかかな」
「……はい」
「最近は色々と外野が煩いが、私は時として教育に痛みは必要だと思っていてね。今から乃木君に二つ、拳骨を落とそう。君自身の分と土居さんの分で二つだ」
「なにっ!」
淡々とそう宣言する鷲尾先生。球子が瞬時に震えを治めて先生に食ってかかった。
「先生!悪いのは球子も一緒なのになんで青葉だけが拳骨されるんだ!」
「土居さんは自分の痛みより、友達の痛みの方が堪えるだろうと睨んだのだが、正解のようだ。乃木君が拳骨の痛み、土居さんが心の痛み、仲良く半分こしなさい。」
鷲尾先生が僕に見せつけるように突き出した拳をゆっくりと握っていく。最初に親指を折り畳み、次に人差し指を折って中指へと順に繰り返して五指を丸める。出来上がった拳は親指を四本の指で包んだ不安定で力の入らない拳。
「実はだね、乃木君が二人分の拳骨を落とされる理由がもう一つあるのたが……クフフッ、有り体に言って……私の気分だよ。わかるね?乃木君」
何を言ってるんだと鷲尾先生の顔を見る。弓なりに歪んだ口と初めて見た上機嫌に輝く先生の瞳が後悔に沈んでいた僕の思考を別の方向へ回転させた。
笑みを漏らす鷲尾先生の変貌、不安定な握り拳、先程まで一緒に悪ふざけしていた時の球子と同じ輝きの瞳、わかるね?という問い。あぁ、僕は、解ってしまったかもしれない。
「何、言ってるんだよ……先生……」
驚愕に打ち震える球子は間違い無く解っていない。
「それでは勇者球子よ、おのれの罪を友が償う姿を眼に焼き付けるがいい」
振り下ろされる拳に痛みは無い。軽い衝撃が頭を揺らし、ペキンッと握り込まれた先生の親指が小気味よく鳴らされる。
僕の演技力が試される時が来た。
「ぐぅ、ううぅ」
「そんな思いっきりの拳骨なんて!マジなのかよ先生!!」
「クフフハハハ」
職員室に響き渡る球子の叫びと先生の抑揚の少ない平坦な笑い声。ヤバい、愉しい。
「さぁ、続けてもう一つだ」
「やめて…くれよぅ……」
「うぐぐ、く……くくっ……ふふふ」
頭をおさえて踞り痛みに震えていたつもりだったが、堪えきれなかった笑いが零れてしまった。僕の演技力はこの程度なのか。いや、まだ挽回できるはずだ。
「青葉、何を、笑って……頭やられたせいでおかしくなっちまったのか!?」
挽回できそう。愉しい。
「先生!これ以上頭にダメージを受けたら青葉がもっとお馬鹿になっちまうよ!タマの分はタマが受けるから青葉はもう勘弁してくれ!!」
立ち上がり、笑いを堪えて滲んだ涙を乱暴に拭う。
「大丈夫だよ球子ちゃん、僕はまだ平気さ。でも、本当にお馬鹿になっちゃって何もわからなくなっちゃったら若姉さんの事を、頼むよ。」
「この通り男子が覚悟を決めているのだ、勇者球子よ、黙って見ていなさい」
再度振り下ろされた拳骨に、「あっ」と球子が悲しげに声を漏らした。
「ぐふぅ」
「ふはははは」
「しっかりしろ青葉!タマがわかるか!?」
有りもしない痛みに震える真似をして大袈裟に踞る、先生の似合わない高笑いと僕の肩を掴む球子の焦りように笑いがこみ上げてくる。
「ぶふっ…ふふ、ふふひひひひひ」
「なんてこった、青葉が取り返しのつかなさそうな感じのお馬鹿さんになっちまった」
「ふはははは」
「タマは……友達を見殺しにしちまったのか……」
「はははは……そろそろ次の授業の時間だ、二人とも教室に戻りなさい。ふざける行為というのは、このように誰も怪我をせず、泣くこともないようにするものだ。これが出来れば、少しだけ大人の仲間入りだ」
「はい!」
「わかった!」
大人って、凄い。
─────
教室へ向かう廊下で球子が僕の隣を頭に後ろ手を組んで歩く。拳一つ分下にある球子の翡翠色の瞳は上機嫌な輝きを隠さない。
「いやー、鷲尾先生にはしてやられたな。青葉はどっから先生がふざけてるって気付いてたんだ?多分、タマよりは早く気付いてたんだろ?」
「先生がこうやってグーを握ってわかるね?って聞いてきたときだね。」
球子に先生の真似をした歪な握り拳を見せる。自分のの手の馴染みない形に酷い違和感を感じる。
「これで拳骨しても自分が痛いだけだからもしかしてって思って、わかるねって聞かれたときにこれからふざけるけど合わせられるか?って聞かれた気がしたんだ」
「ほとんど最初じゃないか」
「球子ちゃんは?」
最後の締め括りには一緒に返事をしていたからには球子もどこかのタイミングで先生のおふざけに気付いてたんだろう。
「んー、タマも最初の方から違和感は有ったんだ。普段は勇者だとか一切関係無くただの小学生として接してるのに勇者球子なんて呼んだりとか、いつもは皆平等なのにワケわからん理論で青葉に拳骨二つ落とすとか言い出したりとか」
「僕より先に気付いてるじゃない」
「いや、ホントに拳骨した時の音に完全に騙された。あれ痛くなかったのか?」
「痛くなかったよ。あれはこうやって……」
そのままにしていた拳を握り、親指の関節を鳴らす。球子があんぐりと口を開いた。
「ね?」
「そんな簡単なトリックだったのかぁ。ってか先生ムッツリした顔でこんなおふざけをするとはタマげたな」
「僕もそれは思った、ムッツリ顔で野球していた時の球子ちゃんみたいな眼になってたよ」
「タマがやっぱりこれおふざけって確信したのは先生がバッターボックスの青葉みたいな顔で高笑いしていたからだ」
二人で顔を見合わせて笑う。球子の背景、曇り空の窓枠に不思議と僕の心は縛られない。
「叱られた直後にこんな愉快な気持ちになったのはタマ初めてだ。青葉と先生には5タマポイント進呈しよう」
「タマポイント?」
「あぁ、タマポイントだ。合計10タマポイントになると凄いぞ。すっげぇ特典が与えられるんだ!」
「すっげぇ、特典」
オウム返しの言葉に球子が自信有り気に笑う。
すっげぇ特典とはなんだろうか、すっげぇと枕詞に使うのだからそれはもうすっげぇのだろう。例えばどんなのだろうか?タマポイントの対象に先生も含めていたので大人でもすっげぇと感じる特典かもしれない。
「すっげぇ……かぁ」
窓枠の向こうでカラスが一羽、アホーと一声鳴きながら曇り空へ飛んだ。
大人でもすっげぇとなる特典、もしかして……。
「空なんて……飛んじゃうかんじ?」
「それができたらタマ凄すぎだろ!どんな発想でそうなった!ぶっタマげたぞ!」
「こう……僕の知らない勇者なパワーで?」
「勇者をなんだと思ってるんだ?」
「姉とクラスメイトの女の子」
「青葉のアタマの中では女子が空を飛ぶのかよ」
違うらしい。ハァ、と球子が溜息を吐く。その空気の動く音が嫌に耳に残る。
「球子ちゃんに溜息を吐かれると何故か他の人に吐かれるより心にくるよ」
「!……すまん。そんなに嫌だったのか」
「球子ちゃんも吐かれる側の人間だと思ってたのに裏切られた気分だよ」
「このぉ!お前って奴は!」
もう一度、顔を見合わせて笑う。
一言一句、一挙一動で表情を山や谷のように変えて反応してくれる球子とのじゃれあいはとても楽しい。この何気無い冗談のやり取りが先生の言っていた少し大人なおふざけって事なのだろうかと、ふと思う。
「で、だ。タマポイントが集まるとだな。なんと、タマの事をタマっちと呼べる権利を進呈しよう!」
「おぉ」
女の子をアダ名で呼べる権利か、それは凄い。
今までアダ名で呼ぶ親しい女の子の友達なんてそれこそ幼馴染しかいなかった僕としてはなかなか魅力的な特典に思える。
「あれ?逆に考えるとポイントが集まるまで球子ちゃんへのアダ名呼びは許可されない?」
「そんな事ないぞ?現にあんずはポイント無しからタマっち呼びだ」
「じゃあタマっち、今からタマっちの事をタマっちと呼ぶから特典は別のが欲しいな。なんかすっげぇのを」
「うわっ、こいつずーずーしいな。しかも順応はやい」
「空を飛ぶ以外でお願い、苦手なんだ」
「当たり前だ!飛べねぇよ!でもまぁ、ポイントの特典は考えておいてやろう」
打てば響く球子のツッコミ。タマだけに野球の球のようだ。勿論ガムテープの塊ではなく白いゴム製の方。
「ふと思ったんだけどさ。先生にもタマポイントを進呈してたよね?」
「それがどうしたんだ?」
「先生からもタマっち呼びされる未来がある?」
脳内で表情の変わらない鷲尾先生が平坦な重い声で「ふはははは、タマっち。この黒板の問いに答えなさい。ふはははは、解らないのかねタマっち。ふはははは」とふざける姿が再生される。こんな授業風景はよろしくない、絶対に授業に集中できない。
「あー、うん。先生にも何か別の特典を用意しよう」
タマっちも似たような想像をしたのだろうか、特典を改めるようだ。
「あんなムッツリ顔でタマっち連呼されたら話し掛けられる度に笑っちまうよ」
「きっと近くにいる他の人も笑っちゃうね」
こんな中身が有るのか無いのか解らないけど少なくとも時間が短く感じる楽しい会話の果てに、教室に繋がる引戸の前に戻ってきた。
球子が引戸の取っ手に手を添えて立ち止まる。
「さて、タマ達にはやらねばならない事があると思うんだが。わかるな?青葉」
「当然。先生の話を聞いてから、もっとしっかり確認しなきゃって思ってたんだ」
「だよな。授業が始まるまでに済ましちまおう」
球子が開いた入り口を通る。球子は真っ直ぐに自分の席で文庫本を読む杏の元へ、僕は教室を見回して窓際に立つ姉と幼馴染の元へ向かう。
「戻ってきたな、しっかり叱られてきたか?」
「───」
意識を集中、全神経を以て姉だけに集中。
伸ばした腕を姉の頬に添えて動かないように柔らかく固定。顔を近付けて至近距離から姉の顔を見分する。
長い睫毛の下、紫水晶に一切の傷はなく、極々薄く日に焼けた健康な肌にいかなる傷もない。いつもの凛々しい姉の顔に安堵する。
「──なにがしたかったんだ?」
「今度は何を……青葉ちゃん?」
「───」
耳に入る音に途切れかけた集中を幼馴染に振り返りながら再び深く沈める。
幼馴染の白い頬に優しく触れて固定、ビクリと動いた幼馴染が離れていかないように身体ごと近付いて動きを先回りして封じる。
淡い茜色の瞳に欠片の曇りも疵もなく、日焼けを知らない白に真新しい傷はただの一片も無し。毎日見る愛らしい幼馴染の顔のまま──手で触れる頬に熱を感じる。
徐々に熱を増す頬は懐に入れた温石のようで、熱と共に増す頬の赤みはまるで沈むごとに輝きを増す夕陽のようだ。
心にのし掛かる不安に、集中が散って無くなる。
「ひなちゃん……風邪?」
ベキン、と頭頂部に鈍い痛みと首に突き抜ける衝撃。
これは、拳骨の、痛みだ。
「うぐぅぉぉぁ」
「なにをやってるかお前は」
姉が背後から拳骨を落としたらしい、振り返れば姉が拳を握って困惑と怒りの曖昧な表情をしていた。
「うぐっ、花瓶の飛び散った、ぬぅ、破片で怪我を、ふっ、してないか改めて確認をぉぅふ」
頭が割れそうだ。いや、絶対割れた。
呼吸が不安定になるほどの痛みに悶絶しつつ答える僕に姉の溜息が届く。
「その様子だと余程鷲尾先生に驚かされたらしいな。だが私達に怪我はないと花瓶を割った直後に確認してただろうに」
「わっ、わた……私も大丈夫ですから。今みたいなのは必要ないですからね。」
「うん、んぐぅ」
「奇行の理由はわかった。それで、まさかとは思うがクラスメイト全員をああやって確認するつもりだったのか?」
「そう、だよ」
姉が溜息を吐いて、幼馴染の瞳と頬から色が抜けていく。視界の端に眼を丸くしている球子とドラマみたいだねと笑う友奈、鼻息を荒くしている杏が一塊になっているのが見えた。
「あ、でも杏ちゃんと友奈ちゃんはタマっちが確認したみたいだから後は千景ちゃんだけだね」
ガタッ、と視界の外で音がした。
「ふむ、そうか。歯を喰いしばれ」
何故だ。
「……いえ、待ってください若葉ちゃん。やっぱり確認するのは大事な事なのでは?」
「は?ひなた、何を言って……」
「青葉ちゃん、Go!!」
有無を言わさぬ幼馴染の眼力に身体が頭頂部の痛みを忘れて無条件に従い動き出す。あの状態の幼馴染に僕は逆らえないのだ。
「待て青葉!ハウス!!」
姉の制止より今この瞬間は幼馴染の眼力の方が上回った。教室を見回して千景の姿を探す。自分の席から離れて僕と球子が入ってきた開けっ放しの引戸へ向かう目標の後ろ姿を見つけた。
両膝と両足首から瞬間的な脱力、自然に少し落ちた腰を持ち上げるように両膝両足首にじわりと沸き立てるように力を籠める。居合の技法を用いた零からの最大加速をもって僕に背を向けて歩く千景を追いかける。
「無駄に全力か」
流石の姉は、やはり僕の技の入りを見抜いたらしく、呆れた声が背中に掛けられる。
技法で副次的に消えた足音で千景の背後に追い付いたまま肩に手をのせる。千景の肩が跳ね上がって驚くのが掌に伝わった。
「なっ……」
「確認は大事なんだってさ、僕もそう思うんだ」
首だけ振り返った千景がなにかを言う前に全霊を以て千景だけに集中。技法を用いた急激な運動とこれまでの二回の集中に消費された体力が枷になるが、構わずに千景以外の全てを意識からはね除ける。千景の赤い唇がいつの間に、と動くのが読み取れた。
身体を交差させて千景の正面に周り透き通る頬に手を伸ばそうとして……全身の強張った様子と少し反らされた瞳に拒絶を感じとり、手をそのまま宙に残して瞳の向けられた先に顔を寄せて昏い瞳を覗き込む。
普段明確な感情をのせられる事が少ない昏い瞳が確かな困惑と動揺の色をもって合わされる。その揺れる瞳に異常は見えないものの微かな濁りに似た感覚的な物を感じ取れた。
もしやと思い端正に整った顔に視線をさ迷わせて異常を探すも一筋の怪我も見あたらない。あるのはこうして集中しなければ気付かない小さな傷痕が幾つかと、露になった普段髪に隠れている耳に残る切れ込みのような傷痕。でも、探しているのは古傷ではない。
「ごめんね」
一言断り、宙に残っていた手で最大限の柔らかさを意識して千景の後頭部に回して触れる。
幼馴染の陽光に輝く黒髪とは違う、月光を吸い込む黒髪に指先を泳がせる。ちょうど触れた場所に頭蓋骨ではあり得ない小さな丸みを見つけた。
「コブになってる」
ガムテープの塊とはいえ勇者が全力で投げて隻腕とはいえ武術を習う男子が全力で打ち返した打球だったのだ。コブができていても不思議はない。女の子に怪我をさせてしまっていた事実に罪悪感で酷く心が締め付けられる。
心の乱れに集中が霧散した。
「これくらい大した事……」
「なにぃ!千景、やっぱり怪我させちまってたのか!?」
「大変!ぐんちゃん、手当しなきゃ!」
千景が言葉を言いきる前にざわつくクラスメイト達。
困り顔の千景がキョロキョロと視線を泳がせる。
「そんな、大袈裟な……」
「大袈裟なんて事は無いですよ。頭の怪我は怖いんですから」
読書家で多くの本に触れてクラスメイトの中では随一の知識量を持つ杏の言葉には確かな説得力を感じさせた。人の身体とは案外脆いモノだと僕も経験で知っている。左腕の断面が蠢くように痛んだ。
「授業を始める。着席しなさい……ふむ?」
怪我をした本人よりも他のクラスメイトが慌ただしく動く中、その場の空気を押し沈める低く這う声が通る。開けっ放しだった引戸の向こうに教材を抱えた鷲尾先生が触れ合う距離に立つ僕と千景を見ていた。
「先生、僕本当は怪我をさせてたみたいで……」
「いや、だからそんな深刻な顔をするほど大した事ではないわ」
「ふむ……そうか、どれ」
教卓に抱えていた教材を置いた鷲尾先生が静かな足取りで千景の前に立ち、腰を曲げて同じ高さで千景の眼を覗き混む。
「後頭部に衝撃が有ったと聞いたが眼の動きや瞳孔の大きさに異常は見えないな。だが念のために職員室で大社の医務担当の方に診て貰いなさい」
「そこまでの事では……」
「診て貰いなさい。皆の心配を無下にするものでは無い」
「……はい」
言い切る鷲尾先生に千景は幾ばくかの俊巡の後に頷き、廊下に出てから引戸を閉めて姿を消した。
僕はただ、その背中を見送るだけだった。
「さて、乃木君」
先生が腕を前に出して見せ付けるように小指が順に折り畳んでいく。出来たのは正しく握られた四角い拳。わかるね?とは問われなかった。
「ふむ、では着席しなさい」
「はい」
鷲尾先生の硬く握られた拳を頭に置いただけの痛むはずの無い拳骨。何故だか僕にはそれがとても痛いと感じた。
青葉少年
球が止まって見えるぜからのフルスイングで大惨事、痛い目見ました。悪いことしたら謝りましょう、え?悪いことしないのが一番?テンションには逆らえなかったのさ。悪気がなくても誰かを怪我させたら落ち込むよね、拳骨で再起動。大根役者。
包囲する前に一撃入れた馬鹿野郎。
球子少女
悪ふざけとおバカな男子のノリに飢えてた腕白少女、皆真面目だもんね。クラスメイトのアイツは大人しい奴かと思ったら"わかる奴"だった、Tポイントをくれてやろう。あり得たかもしれない可能性にガチでビビる。空は飛べないらしい、ほんとにぃ~?
千景被害者
平和を堪能してたら後頭部に一撃、ちょっとーやめなよ男子ぃーやるなら正々堂々前からにしなよーこうやってさー。リフレイン。短い平和だったなーと思ったら追撃はなかった。怪我の確認されてしこたま心配された、不思議な事もあるもんだね。
鷲尾少年10歳と360ヶ月現役教師
盗んだバイクで走り出して瀬戸物屋にズガーンと突入事故、そんな過去は多分無い、多分。心はいつでも少年。堅物なんだからと以前娘に仕込まれた魔王のロールプレイを披露、以前の学校ではウケた。職員室ではなく職員室として扱ってる部屋、他の大社の職員もいます。なにやってんだこのオッサン。
ひなたちゃん
幼馴染が突然真面目な顔で詰め寄ってきて戸惑う。でも皆にやる予定だったんだって。それってどうなの?
─────
原作開始の数年前という事でまだ小学生の勇者達、小学生らしさってどんなのでしょうね?