乃木さんちの青葉くんはこんな感じである   作:ቻンቻンቺቻቺቻ

47 / 96
43:エンジョイな感じの豆、もしくは一撃の話

 スーパーの特売で買った透明なビニールのパックにこれでもかと詰め込まれた炒り豆、節分に撒くために買って未だに余しているこれを摘まんで口に放り込んで咀嚼。パリパリぽりぽりと噛み砕いた振動を歯を通し骨を通し脳で直接聞く。豆の素朴な甘みが口内の水分を奪い、お茶か牛乳が恋しくなる。

 

「なぁ青葉、昨日テレビでやってた映画見たか?」

 

 いつかテレビの実験番組で検証していた噛むという行為は集中力を増加させる作用があると放送していたのだったか、豆を口の中に追加で放り込みつつ治りかけの背中の傷の原因となった先月の出来事に思考を沈める。

 

「おーい、青葉~?」

 

 あの出来事において強く印象に残っていたのはやはりあの影が立ち上がったかのような人の形をしたナニかか、向こう側が透けて見えるほど薄かったくせに身が硬直するほどの威圧感と存在感を放っていたアレはいったい何だったのか、あれほどの異様さを放っていたのに共にあの場にいた幼馴染はアレに対して一切気付いていないようだった。もしかしたら他の誰があの場にいても僕にしか感知できない幻覚のようなモノだったのだろうか? だとしたら何が原因で幻覚を見たのか。

 

──天恐?

 

 もしかして、僕はもう正気ではなく、そうだろうなと思っていた天恐が急に悪化して幻覚を見たのだろうか? 豆をまた追加で口に放り込みつつ首を動かして教室の窓枠に切り取られた青空を見る。馴れてきたと思っていた恐怖心だが、それでも喉の奥に居座る恐怖心の塊に不快さを感じる。しかし、それだけだ。今までとあまり変わらない、正直さっぱりわからない。

 

「お~い?……来いよ青葉! 豆なんか捨ててかかってこい!」

 

 仮に、あの人の形のナニかが僕の幻覚ではなくて本当に存在するナニかだったとして、何が目的で幼馴染を斬ろうとしたのか。あの時僕達は間一髪でアレの振るう刃を避ける事ができていた、背中に増えた一筋の傷は倒木の枝が勢いよく掠めて皮膚を引っ掻けた事による傷だと傷口に残った木屑を取り除きながら医者が言っていたのでアレに斬られた訳ではないはずだ。もし、避けきれずに斬られていたらどうなっていたのだろうか。

 

「ん?……豆?」

 

「……お、おう」

 

 いつの間にか側にいた球子が何か言ってたので豆の入ったパックの口を向けて差し出す。なにやら一瞬だけ困惑した表情になった球子が袋に小さな手を入れて豆を摘まんでそのまま口に放り込んだ。

 そういえば不可解だらけのあの出来事にもハッキリ解ってる事がある、毎日しっかりと庭師にお世話されているはずの樹木が突然倒れた原因だ。倒木を調べた大社の人が言うには時が止まっている間に発生している樹海が戦闘の余波により損傷し、そのダメージの影響により発生した事故ではないかとの事。心当たりがあったらしき球子がその話を聞いた直後に僕と幼馴染に勢いよく頭を下げて事が『ごめん!』と叫んだのは記憶に新しい。僕に許さない選択肢など元より存在しないので親指を立てておいた。

 

「お茶が欲しくなるな……じゃなくて、ダメだな、完全にお花畑に飛んでいってやがる」

 

「青葉ちゃん、明日の事でお話が……あら?」

 

 あの人の形のナニかの間合いと倒木の倒れてきた場所が完全に重なっていたのも気になる。斬られないように動いた結果、まったく気付いてなかった倒木も避ける事ができたのは偶然なのだろうか? 関連性があるとしたらどういう因果で繋がっているのだろうか、僕の頭ではヒントが足りなさ過ぎて何もわからない。

 

「青葉ならエンジョイをキメ過ぎて廃人になっちまったぞ」

 

「そんな……!?」

 

 また豆を摘まんで口に放り込み、咀嚼。

 

「このまま枯れていくだけの頭の中のお花畑に新たな芽を生やそうと豆を食べて種を撒いてるつもりなんだろうな……食べた豆は胃袋に行くしかないってのによ」

 

「ああっ、なんてこと……」

 

「エンジョイって……怖い面もあるのね」

 

 視界に増えた二人にも豆のパックを差し出すと、それぞれの白い指が豆を摘まんで自らの小さな口へと運んでいった。

 

「患者さんはこの人ですね、どれどれ……?」

 

 ひょっこり現れた杏が僕の顔を覗き込み、勿体ぶった動きで一度頷いてから差し出した豆のパックから細い指で豆を摘まんで離れる。

 

「これは間違いなくエンジョイをキメてる顔ですね」

 

「杏先生、うちの青葉ちゃんは治るんですか?」

 

「普通の治療では……不可能ですね」

 

「普通じゃなければ治るんですね。私にできることなら何でもするので、どうかお願いします!」

 

「その言葉が聞きたかったんです!」

 

「なんだこの寸劇は?」

 

 背後からの声色だけで好奇心を抱いてると容易にわかる姉の声と肩を軽く叩く感触、肩越しに豆のパックを差し出すと耳元でガサリとビニールの擦れる音がした。

 

「アナログな物をなおすのにはこの方法が一番」

 

 茶目っ気な笑顔で僕のおでこに斜め四十五度の手刀で軽く触れる杏、僕の頭はアナログらしい。

 

「ぼくは しょうき に もどった ぞ !」

 

「はい、この通り」

 

「杏先生、ありがとうございます!」

 

「乃木くん……チョップ一発でサイボーグになってしまったの?」

 

「良かったな青葉、デジタルになってんじゃん」

 

 我が事のように喜ぶ球子が言うに僕はデジタルになれたらしい。それでも口寂しいので更に豆を咀嚼する。

 

「う、うぐぅ……」

 

「おっ? 今度は友奈がおかしくなってるな」

 

「乃木くんも……おかしいままじゃ?」

 

「青葉ちゃんはおかしくても青葉ちゃんです」

 

「え、エンジョイが……足りないよぅ」

 

 机に突っ伏しながらエンジョイを求めて身悶える友奈。

 

「タマちゃん、エンジョイ有るんでしょ? お願いだから私にも分けてよぅ」

 

「ぐへへへ、極上のエンジョイを仕入れてあるぜぇ」

 

 悪どい笑みを浮かべる球子がぐったりとし始めた友奈に歩み寄り、半開きにされた友奈の華奢な口に豆を入れる。途端にシャキッと背筋を伸ばした友奈だが表情だけが力の抜けたぼやけた感じになっていた。

 

「あぁ~~、キクぅー」

 

「高嶋さんが……食後の乃木くんみたいな顔に……!」

 

 なんと、食後の僕はあんな顔なのか。

 衝撃の事実に驚いている内に杏がぼやけた表情の友奈に歩み寄り、先程僕にしたように友奈の顔を覗き込む。

 

「問題なくキマってるようですね」

 

「へへっ……あんず先生、患者を用意しときやしたぜ」

 

「それでは保護者の方に交渉して治療しましょう」

 

「この寸劇、闇が深いぞ」

 

 寸劇を見守る姉の緊張感を感じさせる声。

 千景に振り向いた杏が口を開いて「どうします?」と微笑みの表情のまま判断を迫る。

 

「なんでもするので、高嶋さんの治療をお願いします」

 

「それではこのエンジョイを千景さんもキメて下さい、これは必要な事なんです」

 

「ここで患者を増やすヤベー医者っぷりにはタマも脱帽だ、おっタマげだな」

 

「うふ、ふふ……ふふ……うふ」

 

 杏から豆の形をしたエンジョイを受け取った千景が躊躇う様子を見せずに口に入れてキメる。直後、力の入らない表情のまま虚ろに唇を歪めて何を見てるかもわからない焦点の会わない瞳を不規則に揺らす。何処かで似た人を見たなと既視感を感じ、誰だったかと記憶を辿ると以前約束を交わした千景母にすぐに思い当たった。

 

「ぐんちゃんのキマリかたが迫真すぎる!」

 

「身内を……参考にしたわ」

 

「おっとぉ、終了だ! これ以上は本物の闇が出そうだぞ!」

 

 慌てる球子の終了宣言。

 今日の黒が濃すぎた人は千景らしい。千景母本人に直接会った事があるだけに僕から見てもドロッドロに濃い黒に感じる。

 皆がそれぞれの豆を齧りながらエンジョイの余韻に浸っていると静かに開かれる教室の扉、教材を抱えた鷲尾先生が入室して教卓に立つ。

 

「授業を始めよう。それと乃木君、教室での間食は感心しないが」

 

 僕の手に持つ豆のパックに視線を向けて諌める鷲尾先生。その言葉に皆が一緒にちょっとばつの悪い顔をして咀嚼していた豆を飲み込んだ。

 

「うむ?……皆食べていたのか」

 

「鷲尾先生」

 

「何かね?」

 

「赤信号、皆で渡ればエンジョイです」

 

「ふむ、そうか」

 

 何かを考えているような雰囲気でほんの少しの間を作った鷲尾先生がニヤリと少年の笑みを浮かべる。

 

「私にも豆を頂けるかな?」

 

「もちろんです」

 

 今日も丸亀城は勇者も巫女もオマケも大人も皆が平和に見える一時を全力でエンジョイしていた。

 

 鷲尾先生の豆に関する小話を交えた授業が終わった次の休み時間、残りが少なくなってきた豆をひたすらに咀嚼していると幼馴染がちょっと真面目な顔で声を掛けてきた。

 

「青葉ちゃん、明日のお休みに予定はありますか?」

 

「んー? ないよ」

 

 何も無いから鍛錬しておやつを食べながら部屋でぐだぐだする予定だったのだ。

 

「丁度良いですね、実は大社の人が青葉ちゃんと大事なお話がしたいから来て欲しいらしくて」

 

「大事なお話……またウチの孫を嫁に持ってけみたいな感じかな?」

 

 脳裏をよぎる恋ばな好きなお爺三羽鴉の疲れる長話、あれは勘弁してもらいたい。

 

「そういう明るい雰囲気には感じませんでしたね」

 

「そうなんだ、んじゃあホントに大事なお話なのかな。それなら行くよ」

 

 大社には丸亀城に居させて貰っている恩がある、大事な話があると言うのならそれに応えるのはやぶさかではない。

 

「そうですか、それなら私も明日大社でお役目があるので一緒に行きましょう」

 

「ん」

 

 微笑みながら話を決めた幼馴染が明日は何時に迎えが来ると教えてくれたり明日は冷え込む予報だから暖かい格好にしましょうねと小さく世話を焼いた後、何か気になる事が有ったのかゲームの操作を中断して僕達のやり取りを見ていた千景に向き直る。

 

「千景さん……その、明日は……」

 

「聞こえてたわ、大切なお役目なら仕方無いから……気にしないで」

 

「すいません、今回はお力になれそうになくて……でも、心の底から応援させて貰います」

 

「え……えぇ、ありがとう」

 

 なにやら語気強く千景の両手を握る幼馴染と困惑しきりの顔で控え目に頷く千景。明日の大社でのお役目が決まる前は二人の間で何か予定が有ったのだろう。

 

「なんだなんだぁ? 気になるって顔してんなぁ。まぁ、珍しい組み合わせだもんな」

 

「ん、ちょっとね」

 

 ニヤニヤと笑いながら僕の肩に肘を置いて体重を預ける球子が僕の頬に握り拳をグリグリと押し付ける。球子の言う通り幼馴染と千景が共に何かをしようとしている光景は珍しいので、その内容が何なのかとほんのりと好奇心を刺激されなくもない。

 

「青葉にはちょっと早いな、青葉はまだお花畑でぽやぽやしてろ」

 

「なんと」

 

 好奇心を煽っておいてヒントすら出さない鬼畜の所業、あんまりでは無いだろうか。

 

「確かに、青葉ちゃんには少し早いですね」

 

 釈然としない思いのまま幼馴染に視線を向ければにっこりと笑ったままそう言われてしまった。

 

「そうだね、青葉くんにはちょっとはやいね」

 

「青葉くんはもうちょっと知らないままの方がいいね」

 

「んん? この感じはまさかの仲間外れかな」

 

 幼馴染を援護するように友奈と杏も『知らなくていい』と、まるで変な言葉の意味を小さな子供に訊ねられた大人のような事を言う。いったいなんなのか、余計に好奇心がくすぐられる。

 

「そんなに……秘密にすることなのかしら?」

 

「もちろん! そういうのが大事なんですよ!」

 

 唯一戸惑うような表情を見せる千景に音が聞こえそうなほど鼻息荒くする杏の断言。嘘や隠し事が下手な姉も口を滑らせないようにしているのか口をつぐんでいるし皆も秘密にしたがっているようなので深く聞くのはやめておこう。

 

「まぁ青葉にもそのうちわかる、気にすんな」

 

 そう言って僕の背中をバシバシと叩く球子の笑みは間違いなくエンジョイの雰囲気を漂わせていた。

 

 

 ─────

 

 

 休日の食堂、毎日の食事を摂るこの場所の更に奥、普段は決して足を踏み入れる事の無い厨房に乃木くんと上里さんを除いたクラスメイト達がエプロン姿で集まっていた。

 

「タマっち先輩、お菓子作りに唐辛子なんて何に使うの?」

 

「ロシアンルーレットなお菓子に挑戦しようと思ってな、なかなかエンジョイだろ?」

 

 自分もお菓子作りは初心者だと言っていたのにレベルが高そうな事を楽しそうに言う土居さんを横目に髪を後ろに結って三角巾を被る。元々の予定では料理上手と評判の上里さんに教えて貰いながら作る予定だったのだけど彼女は急なお役目で乃木くんと一緒に大社へと行ってしまった、不安は大きいけどレシピ本もネット検索もあるのだからきっとなんとかなるだろう。

 

「エプロン姿似合ってるね!」

 

「そう? ……ありがとう、高嶋さんもとても似合ってるわ」

 

「ほんと!? ありがとう!」

 

 桜色のエプロンを着て朗らかに笑う高嶋さんの手にはお菓子作りの基本とレシピ本に書かれていた室温に馴染ませたバター、高嶋さんはクッキーを作る予定だと言っていた。

 

「むぅ……ひなたがいないのに私に上手くできるだろうか?」

 

 私と同じように上里さんに頼るつもりだったらしい乃木さんがまな板に載せたチョコを睨んでいる、ご飯の炊き方と味噌汁の作り方は祖母と母親にしっかりと教えられたと以前聞いていたけどそれ以外に自信はないらしい。

 

「悩んでいても仕方無いか、まずはチョコを刻まなければ」

 

 ほんの数秒前まで思い悩んでいた姿が幻だったかのように紫水晶の瞳を強く輝かせて包丁を握る乃木さん、やはり刃物の扱いは慣れているらしくゆっくりだけど危なげ無くチョコを刻み始める。私も何度も読み返したレシピ本を見ながら作業を始める。

 

「タマっち先輩! チョコを直接あたためたら分離しちゃうよ!」

 

「結局あたためるなら一緒じゃないのか?」

 

「全然違うよ、若葉さんみたいに湯煎しなきゃ」

 

 体当たりなお菓子作りをしているらしい土居さんを手伝う伊予島さんの慣れた手つきを少し羨みつつ私も材料を混ぜ合わせて生地を作る。私が作るのはネットで『初心者でも簡単』と紹介されていたチョコマフィンだ。

 

「切るように混ぜるってどんなのだったっけ?」

 

「調べたらネットに動画があるわ……こんな感じみたいらしいけど」

 

 高嶋さんがレシピ本を見ながら首をかしげていたので予習のために私も見ていた動画をスマホに映して見せる。

 

「ありがとうぐんちゃん! 家庭科の調理実習で習ったはずなのにすっかり忘れちゃってたのを思い出せたよ」

 

「そう、よかった」

 

 嬉しそうに楽しそうに笑ってくれる高嶋さん。その私に向けられた花のような笑顔に、とても心が弾んで頬が弛むのを感じる。大切な『友達』に些細な事ででも力になれた事で、こんな私でも欠片ほどの価値があるのではと思えた。癖になってしまいそうな自己満足に浮いた心を引き締め、失敗してしまわないように手元の材料に集中する。

 

──このお菓子作り、失敗するわけにはいかない。

 

 最近考え事に耽っているのかぼんやりとしている事が増えた大切な『友達』の男の子。ぼんやりとする時間が増えるにつれてぽやぽやと微笑む時間が少なくなった。

 以前もなかなか伸びない身長の事だったり、連日の悪夢に隈を浮かせていた時も同じ様にぼんやりとする事が多かった。いや、今も悪夢は続けて見ているのだろう、よくよく顔を見ると薄く隈が浮いている日は多い。そんな乃木くんの笑える時を少しでも増やしたくて、何かを食べている時はいつも機嫌良くぽやぽやしている乃木くんへ渡すためのお菓子なのだ。

 

「ただ丸めるのがこんなに難しいとは……」

 

 苦戦しているらしい乃木さんの渋い声が耳を打つ。たしか乃木さんはトリュフに挑戦すると言っていたはずだが形を作るのに苦戦しているのだろう、私が予習したチョコマフィンを作る手順にチョコを丸める方法が無かったので乃木さんの力にはなれそうにない。

 乃木くんにお菓子を渡してみようと決めた当初、料理の経験が乏しい私は手作りするつもりは無くて既製品を贈るつもりだった。それで、乃木くんの好むのはどんな物なのかと乃木さんに訊ねたところ『手作りするのがどんな高級品を贈るより喜ぶ、これは経験談だ』と自信満々に言っていたのだけど過去に乃木さんは何を手作りしたのだろうか、包丁を握る以外は私と大差ない手つきに白いご飯と味噌汁だけの食卓を邪推してしまう。いや、きっと上里さんと一緒に何かを料理したのかもしれない。

 

「ひぎぃ! みっ、水ぅ!」

 

「唐辛子に水は逆効果だよ。ほら、牛乳」

 

 自分が調合した劇物を味見して自爆している土居さんとあの有り様を予見していたらしき伊予島さんが用意していたコップを手渡している姿を横目に予熱していたオーブンに型へと別けた生地を入れる。

 面白そうな事に敏感な土居さんが私と乃木さんの会話を耳聡く聞き付けて『もしかしてお菓子作りか? タマもまぜタマえ』と言いながら寄ってきたのが始まりのこのお菓子作りだけど、後は焼き加減さえ間違えなければ上手くできそうだ。

 

──乃木くんは、喜んでくれるだろうか?

 

 オーブンの耐熱ガラス越しに膨らんでいく生地を見守りつつ、今更ながら乃木くんに笑って欲しいと願う私の身勝手な理由で贈られたお菓子を迷惑に思わないだろうかと唐突に心に影が差す。

 

「わぁ……! キレイに焼けてきてるね」

 

「そうね……うまくできそうだわ」

 

 隣のオーブンで焼いていたクッキーの様子を覗いたついでなのかひょっこりとこちらのオーブンにも顔を寄せて楽しそうに綻ぶ高嶋さん。

 

「あとちょっとで完成するね、これならきっと美味しく出来上がって青葉くんも喜んでくれそうだね」

 

「そうだと……良いわね」

 

 そうだと、嬉しい。そうなれば良いなと、高嶋さんの前向きな言葉に私も少しだけ前向きになれる。

 ほどなくして焼き上がったチョコマフィンを火傷しないように落として台無しにしないように慎重にオーブンから取り出し、蒸れた湿気で食感を損なわないようにケーキクーラーに載せて冷ます。粗熱が無くなれば完成だ。

 

「みんな完成してきたな」

 

「みんな上手にできたみたいだね」

 

 お茶を啜りつつ冷蔵庫に入れたトリュフが完全に固まるのを待っているのをほのぼのと待つ乃木さんと私と同じようにクッキーの粗熱が冷めるのを待っている高嶋さんの声。

 

「あんずのおかげでなかなか良いのが出来上がったぞ」

 

「お菓子作りなんて久々だからちょっと疲れちゃった」

 

 味見と言う名の摘まみ食いで間違えて外れを食べたのかさっきもまた悶絶していた土居さんが満足気に牛乳の入ったコップを傾け、やや疲れた顔の伊予島さんがエプロンを脱ぎながらほっこりと微笑む。その疲れは土居さんの体当たりっぷりに振り回されたからではないかと思わなくもない。

 

「いやしかしアレだな、まさか千景がバレンタインのお菓子を手作りするとはタマげたな」

 

「…………ぇ?」

 

 手にしていた牛乳を飲み干した土居さんの唐突な言葉に対して喉から音が漏れる。

 バレンタインの、お菓子?

 

「んぁ? なんでそんな不思議そうな顔でタマを見てるんだ?」

 

「バレン……タイン……?」

 

「あれ? 違うの? この時期だからてっきり私もそうだと思ってたよ。ほら、チョコだし」

 

「節分を過ぎたら次はバレンタインだからなぁ、ひなたも手伝いたかったとものすごく残念そうにしていたぞ」

 

 きょとんとする高嶋さんがケーキクーラーの上にあるチョコマフィンを指をさし、ほのぼのとしたままの乃木さんが急須にお湯を注ぐ。

 

「……え?」

 

「あっ、千景さんのこの豆鉄砲を食らったような感じの表情……本人は全く意識してなかったから逆に驚いてるパターンだね」

 

「ん? そうなのか?」

 

 普段なにかと察しの良い伊予島さんが私の心中を的確に見抜き、乃木さんが急須を軽く回しつつ乃木くんの『ん』と似ている「ん」を言い放つ。

 

「え、あ……バレンタ……ちが……」

 

 伊予島さんの言う通りバレンタインなんて行事は完全に意識の外だった。私にとってそのような行事はゲームやドラマの中だけの遠い別世界のイベント事だったはずなのに、身近なクラスメイト達が何の気なしに「バレンタイン」と口にする事により急に現実に実際に存在する行事だと実感してしまう。空想から現実へ、それも私にはきっと縁の無いだろうと思っていた出来事に直面していると知り、混乱とも言える程に心が乱れて言葉が詰まる。

 

「そうか、違うのか……私はてっきり歳上の義妹ができるのかなんて思ってたんだが」

 

「……ぎま……い?」

 

 ほんのりと残念そうに口を開く乃木さん。その言葉に理解が追いつかずにオウム返しに口から音がこぼれる。

 

「若葉ちゃんの気がワープしてるレベルではやい!」

 

「そうか? 青葉は一直線だからな、そういう関係になればお嫁さんに貰うつもりで全力を尽くすと思うぞ」

 

「……お……よ?」

 

 この人は何を言っているんだろう。

 

「若葉さんの中では仮に告白したとして成否は成功側だって確定してるんだね……」

 

「スケベ青葉なら自分をリボンでラッピングして『私がプレゼント』なんてやったら一発だろうな、もちろん裸で」

 

「そんな事せずとも千景が相手なら一撃だと思うが」

 

 飛び交う異次元の会話に混乱が増し、目が回っているかのような錯覚を覚えてしまう。そして、乃木さんの中で私の評価が意味不明な程に高いような気がする。乃木さんはその紫色のガラス玉でいったい私の何を見たのか。

 

「その、告白とかじゃなくて……違う、違うの」

 

 私はただ乃木くんに笑って欲しかっただけ。本当にそれだけなのだ。

 

「あっ、ぐんちゃんの目が回ってる」

 

「ぐるんぐるんだね」

 

 目が回っているのは錯覚では無かったらしい。

 

「ただ笑って欲しくて……」

 

「それで手作りのお菓子を"あーん"しようとした訳だな、タマはそこまで読めたぞ」

 

「ちがっ……ちがうの……!」

 

 手作りしたお菓子を"あーん"で食べさせるなんてそれこそ恋人みたいではないかと思う。そんな恋愛ゲームみたいな事なんて私は考えて無かったのに、土居さんの飛躍した発言にふと自分が凄く恥ずかしい事をしていのではないかと思えてきた。

 頬が熱くなり、なぜだか皆に向けられる視線に耐えられなくなって顔を隠して踞る。

 

「ぐんちゃんがかわいい」

 

「こんな感じ恋愛小説で読んだなぁ」

 

「これだけで並みの男子ならイチコロじゃないか?」

 

「……やめ……て」

 

 本当に辞めて欲しい。

 皆のからかいの後に突然肩に置かれる手の感触、その感触におそるおそる顔を上げるといつの間にか距離を詰めていた乃木さんの堂々たる微笑み。

 

「案ずるな、千景にそういう意図が無くとも青葉は絶対に喜ぶ」

 

「いやいや、それに対して不安になって縮こまってた訳じゃないだろ」

 

「若葉ちゃんのこういうちょっとズレてる所は青葉くんとそっくりだね」

 

「同じように産まれて育った双子だからな、当然だろう」

 

「そこで胸を張るんだ……やっぱりズレてるね」

 

 頬の熱は皆の作ったお菓子の試食会をするまでしばらく冷めなかった。

 

 

 ─────

 

 

 幼馴染を含む巫女達が重要な信託を受けるための準備として禊に向かい、人の気配がほとんど無くなって静まりかえった大社のとある一室。向かい合う梟笑いを浮かべない老人が畏まった雰囲気で重々しく言葉を落とした。

 

 

「その身、火にくべていただきたい」

 

 

 僕に焼け死ねと?

 冗談の類いではないらしい。

 




 
 
 
 
 
 
 
青葉くん
アナログな自分に悩んでいた時悪友に『悩みなんて無くなる』と薦められてエンジョイに手を出してしまい、たった一回だけでエンジョイが脳に回ってしまった。怪しい女医の治療により回復してサイボーグになる。エンジョイが脳から抜けてデジタルになった事により悩みも解決、結果オーライ。

若葉さん
視聴者、ある意味神の視点で女医の裏の顔を知った。続きが気になるぞ!……エンジョイってなんだ?(哲学)

ひなたちゃん
大切な存在が廃人になって悲しんでる時に颯爽と現れた女医に治療を依頼する。「なんでもする」彼女はいずれその発言の重さを知ることになる。

タマっち
エンジョイをばらまくヤベー奴。悩み多き現代の青少年の心の隙間に入り込んで油断させて、タイミングを見計らってエンジョイを薦める。自分自身でエンジョイをキメる事はない。

杏ちゃん
神出鬼没なスーパー女医さん。だけど医師免許は持ってない。治療困難なエンジョイ中毒の患者を治療して法外な医療費を請求する。裏の顔はエンジョイを調合するマッドドクター、底の見えない闇を抱えている。

友奈ちゃん
もっと楽しく元気になれると騙されてエンジョイに手を出してしまった、もうエンジョイが無いと元気になれない。寸劇中にとうとう末期症状までに至ってしまった。

千景ちゃん
エンジョイをキメた後に色々あって女医とエンジョイの関係に気付く。おぼろげな自我の中で偶然出会ったサイボーグ少年にすべてを話して助けを求めた。「あの女医を、エンジョイを滅ぼして!」こうしてサイボーグ少年と裏のエンジョイ組織の夜闇に紛れた闘いが幕を開けた。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。