乃木さんちの青葉くんはこんな感じである 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
世界を背負う五輪の花、降り注ぐ星の殺意に一輪が赤く染められた。
─────
一つ、あからさまに厄介なサソリ型は後回し、最後に全員の全力で叩く。
二つ、他に進化体を形成される可能性があるので通常個体を先に殲滅する。
三つ、単独行動は厳禁。
バーテックス襲撃の第二波に備えて呼吸を整えつつ勇者達が話し合って決めた以上の方針に基づいて決められた作戦、サソリ型の神樹への進行を遅らせるために付かず離れずの距離を陣形を組んだまま走り回って通常個体を攻撃し続ける勇者達の戦いは概ね上手くいっていた。
「あんず! 一度大きく離れて息を整えた方が良いんじゃないか!」
近接戦闘が得意な若葉、友奈、千景の三人の内二人が交代で最前を担当して一人を殿に休ませ、遠距離戦闘を主とする球子と杏が間に入って陣形の左右や上から迫る個体を仕留めて援護し続ける。そんな戦い方で通常個体の四割程を仕留めた頃に勇者達の中で最も体力に乏しい杏の呼吸が乱れてきたのだ。
「大丈夫っ! ちょっと厳しくても、今バーテックスを減らさなきゃ、絶対後で、大変だから、頑張るっ!」
体力が乏しいとは言え勇者装束を纏った杏も他の勇者達と同じく本来ならば長時間走っただけで呼吸が乱れる事は無い。しかし、常にバーテックスの思惑を見抜こうと全体を俯瞰するために広い視野を保ちながら思考を回しつつ全体の援護もこなしていた杏の精神的な消耗が体力の消耗にも繋がってしまったのだ。更に、杏の先読みし続けていた思考がとある懸念に至ってしまったが故に胸中を占める不安も大きく影響していた。
(バーテックスがなりふり構わずたくさんの融合を同時に始めたら……対処法が無い……!)
勇者達は今やそれぞれが一騎当千の強さを誇ってはいるがたったの五人、対するバーテックスは無数。今回のこの戦闘でもかなりの数を打ち倒しているが未だに視界を埋め尽くす程の個体がそこかしこに飛び回っている。もしも、この全てのバーテックス達が広く散って融合途中に勇者から妨害されて多数を損耗する事を前提にしたなりふり構わない融合を始めたとしたらそれを阻止する手段が杏には思いつかないのだ。
残りの全てが守りを捨てて融合を始めたとして、大半は勇者に妨害されて形を成す前に倒す事ができるだろう。だが、それでも通常の個体とは比べ物にならないほどに厄介な進化体が多数発生してしまう事は絶対に防げない。そうなれば神託が下る程に危険なサソリ型と同時にに少なくはないであろう進化体を相手にしなければならなくなるのだ。
(とにかく、そんな状況を防ぐ為にも急いで数を減らさなきゃ!)
自分達勇者を追い詰める方法に思い至り激しい不安と焦りが胸を占める杏。そんな杏の心中を嘲笑うかのようにバーテックス達の動きに変化が表れた。
「奴等の動きが変わった……?」
「やっこさんども、急に散らばっちまったな」
最前から殿に交代しようとしていた若葉が怪訝そうに呟き、球子も周囲を見回しながら声を放つ。
勇者を攻撃するためなのか駆け回る勇者達に翻弄されながらも勇者達を追い掛けていたサソリ型、一目見て危険だと推測できるサソリ型の尾の間合いの外ギリギリで通常個体と何度も衝突を繰り返していた勇者達、勇者達の走る進路を妨害してサソリ型の方へ押し込もうとしたり直接噛みついてこようとしていた通常個体達。そんな追って追われてが何度もひっくり返る無秩序な鬼ごっこが唐突に終わり、通常個体達が蜘蛛の子を散らすように広く散らばったのだ。
それを見て、杏の背中に冷たいものが走る。
「いけない! 融合が始まっちゃう」
「えっ! どこで!? 邪魔しないと強いのが出てきちゃうよ!」
切迫感を持った杏の声に友奈が反応し、忙しなく首を回して周囲を見ながらの倒すべき目標を探し始める。
「どこって、多分全部!」
『全部!?』
想定していた非常事態に焦りを隠せない大声になってしまった杏に、全員が自らの耳を疑いながらおうむ返しな驚愕の声。そして、杏の言った通りに樹海の各所で同時多発的にバーテックス達の融合が始まる。
東西南北全ての方向で中規模な十体程の融合が両手足の指の数では足りない程、それだけでも対処するには困難を予想されるのにも関わらずサソリ型のすぐ近くで百体以上の通常個体が集まっている大規模な融合も始まっている。
「あーっ! そんなとこでくっつき始めやがって反則だろ!」
「どうしよう、どれからやっつければいいのかな?」
最も近寄りたくない場所で最も厄介そうな新手を作り始めたバーテックスに文句を喚く球子、友奈が自分達はどう対処するべきなのかが判断がつかずに困りきった声を出す。
「やはりあの大規模な融合を妨害すべきか、先程私と友奈でやった高速での突撃と殲滅で即離脱ならば……未知数な危険はあるが行けると思うのだが」
自分達はどうすべきかと思考を回した若葉が思い付いたのは大規模な融合の阻止。只でさえ非常に危険だと思われるサソリ型を残しながら更に大規模な融合で発生した進化体との戦闘は避けるべきだと判断したのだ。
「私も乃木さんに賛成だわ……十体位の融合でできた進化体は手間はかかるけど後回しでも問題ないと思う」
若葉の案に同意する千景。先程の戦闘でも切り札無しに中規模の融合体は倒せていたために十体程の融合でできた進化体を『雑魚ではないが難敵でもない』と判断し、それよりもかなり手強い進化体が発生する事が予想される大規模な融合を阻止すべきと判断していた。
「えっと、じゃああのおっきいのに近付いてからまた投げれば良いのかな?」
「やベー奴をこれ以上増やしてらんねーもんな」
リーダーと普段落ち着いている年上の判断にそうするべきなのかと友奈と球子がなんとなく納得し、すぐさま行動に移そうと四人がサソリ型と大規模な融合をしている方へと向き直る。
「待って!」
「あんず?」
しかし、行動に移る前に杏が制止する。
「多分、あっちは罠だと思う。回りのを倒すべきだと思います!」
「なに?」
端的に反対理由を述べ、別の行動指針を提案する杏に若葉が聞き返す。
サソリ型が守るような場所で始まった大規模な融合、たしかにどう考えてもそのまま完成させてしまえば絶対に厄介な進化体が完成させられてしまうのだろう。しかし、このこれから凄い事するぞと見せびらかすような動きに杏は見覚えがあった。先程の戦いでバーテックスの防壁に守られていた融合だ。
「あの大規模な融合は注意を寄せる見せ札で、あれに注目し過ぎたらさっきみたいな不意打ちがあるんじゃないかなって思うんです」
「なるほど、矢を飛ばしてくる伏兵を隠していたみたいにか」
杏の説明に納得する若葉。しかし、静かに杏の意見を聞いていた千景が訝しげな表情で口を開く。
「不意討ちって……具体的にどんな? 根拠は?」
「えと……そこまでは……」
制止した理由かバーテックスの行動に既視感があり直感的だったために説明する言葉に詰まる杏。
「どう判断するも感覚と直感頼みか」
「ならタマはあんずを信じる、あんずは賢いからな」
若葉の呟きに一呼吸の間もなく言い放つ球子。
「そう、私も伊予島さんに賛成だわ」
「え?」
球子の声に続いた否定的かと思われた千景の賛同に驚く杏。
「……? ……元々全体の指揮は伊予島さんに任せているわ」
「私もアンちゃんに賛成だよ!」
「ならば二手に別れよう。私と球子と杏、友奈と千景でどうだ?」
驚く杏に当然の事と言わんばかりな表情で言う千景、友奈も疑う素振りを見せずに賛同して若葉もそのまま次の行動指針を杏に提案する。
「え、あ、はい。それが良いと思います」
自分にあやふやな根拠の提案にもう少し難を示されるかと思っていた杏だが、すぐさま話が纏まった事に肩透かしじみた気分に陥る。
「よし、決まりだ! 二手に別れるが互いの班が離れ過ぎないように気を付けるぞ」
決めることを決めたのなら時間が惜しいと行動で示して走り出す若葉。それを合図に全員が一斉に樹海に広く散って融合している中規模な群れに対して突撃を繰り返し始める。
「抵抗が無いとこんなにもぬるいのか!」
「あんず、次はどっちだ!」
「あっち!」
猪が次から次へと外敵を突飛ばすのを彷彿させる戦いぶりを見せる若葉、もう一方の班から離れ過ぎずに若葉の攻撃力を最大限生かすルートを指示する杏、球子はそのルートに沿うなかで旋刃盤の投擲が届くバーテックスに攻撃を加える。
「えっと、次は……」
「あっちの土居さんが一当てして一度散らしたやつよ」
「うん、わかったよ!」
「乃木さん……自分が最大限突撃するためにこの班分けを提案したのかしら」
球子の一撃で一度融合を中断した一群に追い討ちをしたり若葉の突撃を最大限生かす激しく進路を左右させる動きに合わせる友奈と千景。もう一方の班に合わせて目まぐるしく動きを変えなければならないさまに千景が若葉が思考放棄するために杏と自分を同じ班にし、自惚れかもしれないがと思いつつそれに合わせれる判断ができる自分をこちらの班にしたのではと邪推する。
「くっ、やはり全滅させるのは無理か」
ほぼ形の出来上がっていた中規模融合体を斬り捨てた若葉の悔しさをにじませる声。かなりの数の融合を阻止することができたがそれでも杏の想定していた通りに多くの進化体が完成し樹海に姿を現す。
「元からいたサソリ型と前に完成する前に倒したヘビ型サンドバッグ、あとは矢を射ってくる奴がそれなりの数と反射板を持ってる奴がちょっとか。かなり減らしてたけど半包囲されてるな」
「あのヘビ型は前に何かをさせる前に倒してしまったから……何をしてくるのか未知数ね」
状況を確認して言葉にする球子に続いて合流した千景が油断無く周囲を見回しつつ言葉をつなげる。
「大規模融合に集中してたら矢を放つ遠距離型に包囲されていたのか、ぞっとするな」
「アンちゃんが罠かもって気付かなかったらサソリ型の近くにいながら色んな方向から矢を射たれてたんだね」
もしもの可能性にしかめ面を見せる若葉とかなりの危機を回避していた事に安堵する友奈。
「それで、この半包囲状況からどう反撃すべきかしら?」
「えっと──」
「どうやら話し合ってる暇はないようだ、来るぞ!」
次にどう動くべきかと杏に問う千景、思考を巡らせる杏が口を開こうとしたのを若葉が危機を察知して大声で警告して遮る。その警告と同時にそれぞれ迫り来る矢に対して回避行動を始める勇者達。
勇者達を半包囲する矢を持つ個体が間を置かないように断続的に勇者達へと射撃を始め、サソリ型とヘビ型が勇者達に向かって前進を始めたのだ。
「あわわっ、あっぶない!」
とっさに樹海の物陰に隠れた友奈の焦りきった声が矢が連続で樹海の植物質な地面や障害物を破壊する耳障りな轟音に混ざる。
『矢を持つ個体は矢を射ちきったら装填を始めるはずです、それまでやり過ごしたら移動して反撃しましょう』
スマホのグループトーク機能で散り散りに回避した勇者達に呼び掛ける杏。先程の戦闘で矢を持つ個体が斉射した後に装填して隙を作っていたのを見ていたからこその判断である。
『いや、どうやら射ちきるまで隠れてはいられないようだぞ』
杏の提案に待ったをかける若葉、ただ一人勇者の中で隠れるのではなく躱し続ける選択をして隠れずに視界を広く保ててた為にサソリ型とヘビ型の接近が早いことを察知していた。
『もうサソリ型とヘビ型がかなり近い!』
『こんなにしこタマ射たれてたんじゃデカブツ二体相手にすんのはキツいな、どうすんだ?』
若葉の状況を知らせる切迫した声が全員のスマホのスピーカーを震わせ、隠れていた球子が度重なる射撃で崩壊した遮蔽物から次の物陰に飛び込みつつグループトークで打開策を求める。
『また二手に別れてバーテックスの注目を寄せる囮と矢の個体を倒す班に別れましょう』
『ならタマは囮をやる! タマなら盾があるから他の誰よりも目立ちながら凌げる自信があるぞ!』
『私も囮側をやります! 隠れながらサソリ型とヘビ型に矢を射てばある程度の撹乱を狙えるかも知れません』
杏の提案にあった囮にいち早く立候補する球子と自らの体力の消耗を自覚する故に隠れながらの陽動で自らの案を引き受ける杏。
『なら近接戦闘組で矢の個体を叩く! 今は迅速な殲滅が重要だと見る、三人それぞれ単独で行動するべきだと思うがどうだ』
『うん、早く倒して早く合流しよう!』
『異議無しだわ』
『皆さん、気を付けて下さい!』
完全な劣勢を覆す為に禁じていた単独行動を解禁すべきではないかとの若葉の声に前向きな意見を出す友奈と千景。杏も自ら囮になると言ったものの未知数の相手に球子との近接戦闘の秀でてはいない二人では長くもたないと見て反対はしなかった。
『大型二体が来た、行動を開始しよう』
若葉の合図で矢を拳で叩き逸らしながら真っ直ぐ全速力で標的に向かって走り出す友奈、それと変わって千景は樹海のいりくんだ地上を矢の射線から逃れる進路で走り出す。そして、合図をだした本人は少しでも囮になる二人の助けになればとの考えで大型二体の内の片方、ヘビ型とすれ違うように走って一太刀浴びせる。
『なん……だと……?』
『若葉さん!? 何が?』
『……ヘビ型を斬ったら二体に増えてしまった』
スマホのトーク機能が拾った若葉の愕然とした声に異常を感じとった杏の質問、それに返した若葉の声。
一直線に走っていた友奈とバーテックスに忍び寄るように走っていた千景が一瞬だけヘビ型の方向へ視線を寄せて確認し、隠れていた球子と杏が物陰からヘビ型を覗き込む。そして、全員が輪切りにされて分離した長い胴体が修復されて二体に増えてしまったヘビ型を確認した。
『冗談キツいぞ若葉ぁっ!』
『スマン!』
あまりの光景に怒鳴り付ける球子と素直に謝る若葉。
『囮を買って出た二人の負担を減らせればと思っての事だったんだ!』
『増えてるよ! 負担どころか敵が増えてるよ!』
『乃木さんはそのままヘビ型を引き付けなさい! 矢の個体は私と高嶋さんでなんとかするわ!』
少しだけ言い訳を吐く若葉に困惑のまま言葉を返す友奈とこのまま若葉が矢の個体を殲滅するためにその場を離脱すれば囮の負担が多すぎると考えて若葉も囮をするように言う千景。
『若葉さんは攻撃しないでヘビ型の相手をおねがいします、見たところ斬ったら増える以外の特殊な行動が見受けられないので若葉さんなら二体相手でもしのげると思います』
『……わかった』
杏の指示に生大刀を直撃しそうな矢を弾くかバーテックスの攻撃をいなすためだけに振るい二体のヘビ型の間を目立つ事を意識して跳ね回り始める若葉。そんな若葉の視界の端で友奈と千景がそれぞれ矢の個体を倒すのと、球子と杏によるサソリ型への注意を寄せるための攻撃が始まるのを確認した。
『なんだこのデカブツ、とんでもなく硬いぞ!』
『半包囲をやめて……集合してる?』
スマホのスピーカーを震わせる球子の舌打ち混じりの声と有利な布陣を放棄して大型バーテックス達と離れた場所に集まり始めた事を怪しむ声。
『タマっち先輩、ダメージを与える事より後でみんなで攻撃する時の為に相手がどんな動きをするか探る事を優先して』
『くっそー、やりにくいったらないな。わかった、やってみる』
サソリ型に生半可な攻撃が通用しないと想定して予定している後の総攻撃の為の布石を打つ杏と相手の硬さと豪快に攻めることのできない状況に苛立つ球子の返事。
『また何かたくらんでるみたいだし集まりきる前にもっとたおしちゃおうよ!』
『そうね、その通りだわ高嶋さん』
考えても解らないならがむしゃらに戦うしかないと考えた友奈の案に同じく相手の意図が読めない千景が同意し、集合を始めた矢の個体を追い掛けて二人は殲滅を続行する。二人がそれぞれ追っていた矢の個体達を幾らか討伐できた頃、矢の個体達は一度矢を放ちきった後にまた全身の矢を装填しきり、サソリ型から離れた場所に纏まるように矢の個体達は集合し終わっていた。そして、それと同時に二体のヘビ型の間を跳ね回っていた若葉がその激しい挙動のなかでとある違和感に気付いた。
(サソリ型は球子と杏が、矢の個体は友奈と千景が、ヘビ型は私がそれぞれ対応しているが……反射板を持つ個体は何処へ消えた?)
違和感のままに激しく挙動で乱暴に揺れる視界の中で注意深く周囲を見回す若葉。サソリ型の尻尾に旋刃盤を当てる球子と不気味な液体を貯蔵している腹部に連続で矢を射っている杏、サソリ型の周囲には反射板の個体を確認できない。ならばと矢の個体の方を確認するが矢を装填しきって万全の状態になって密集しているせいで攻めあぐねているのか友奈と千景が遮蔽物から隙を窺っているのが見えるだけでそちらにも反射板の個体は確認できなかった。もちろん自分の周囲にも見つける事はできない。
(どこだ? 何処へ消えた?)
まさかと思って神樹の方向に視線を向けるもそちらに進行してい姿も見つける事ができずに若葉はいるはずの敵が姿を隠している得体の知れなさにひどく不気味な感覚に陥る。焦りと違和感の中で何か取り返しのつかない罠に掛かっているのではとグループトークの機能で杏に知恵を借りようと口を開いて言葉にしようとしたのと同時に、先に切羽詰まったとわかる友奈の声がスマホのスピーカーを震わせた。
『ごめん! 倒しきれなかったバーテックス達がまたそっちに矢を飛ばしちゃった!』
『矢の軌道がおかしい……? ……射角が高過ぎる』
友奈の危険を周知する声に続いた独り言のような千景の声に若葉は直感のまま上空を見上げ、自分達が嵌められていた罠の正体にようやく気付いてゾッと肝を冷やしながら危機感のままスマホへ叫ぶ。
『上から来るぞぉぉぉ!!』
若葉と球子と杏が戦う上空、見失っていた反射板の個体達が自分達へと向けた反射板で矢を雨霰のように降り注がせていた。
『げっ! うわあぁぁ!!』
『あっ、きゃあっ!!』
のたうちまわるヘビ型の巨体の下に潜り込んで踏み潰されないように僅かな隙間を駆け抜けて矢を回避する若葉、鼓膜を震わせる殺意の雨が樹海を抉る音に混ざる球子と杏の悲鳴がスマホを通して僅かに若葉の耳に届く。
『球子! 杏!』
『タマちゃん! 杏ちゃん!』
ヘビ型を潜り抜ける最後に仲間の悲鳴に集中を乱されて直撃しそうになった胴体を輪切りにした若葉が三体の針鼠のような有り様のヘビ型に囲まれつつ仲間の状況を確認しようとスマホに叫び、友奈も同じく目の前で隙を晒している斉射して無防備になっている矢の個体達への攻撃を忘れて呼び掛ける。
『いってぇ……タマは背中に矢がちょっとかすったけど防御が間に合ったから無事だ、まだ全然戦える。あんずは無事か?』
『…………』
『おい? ……あんず?』
軽傷の報告をする球子の健在な声にほんの一瞬だけ若葉と友奈と千景は安堵するも、球子の問い掛けに一切の反応を示さない無言の杏に全員の脳裏に最悪の事態がよぎる。
『球子! 杏が身を隠れていた場所は把握してるな、すぐに確認してくれ!』
『言われなくても!』
『高嶋さん! ここは私に任せてすぐに戻って! 手が必要かも知れないわ!』
『う、うん!』
三体に増やしてしまったヘビ型に囲まれながらより熾烈になった攻撃を躱し続ける若葉が球子に指示を出し、球子がはち切れそうになる不安を必死に抑えながらサソリ型に背を向けて妹分を捜すために全力で疾走。斉射によって矢を無くして無防備になった矢の個体への攻撃をしていた千景が仲間の負傷と救護を想定した指示を友奈へと飛ばす。
「そんな……あんず……」
矢の雨霰が降注ぐまで杏が隠れていた場所へと駆けつけた球子が見付けたのは腹部と額から激しく出血して樹海の植物質な地面に血溜まりを拡げて倒れ伏す杏の姿。
『球子! 杏はどうなっている!』
「あんず! しっかりしろ、あんず!」
状況の報告を求める若葉への返事を忘れて球子はあまりの光景に滲んでくる涙をそのままに杏へと駆け寄り、妹分の死という最悪だけは嫌だと祈りながら杏の呼吸を確かめるために口元へと耳を寄せる。
「 …… ……」
「うぁぁ、いきてる……いきてる……!」
呼吸は止まって無かった。
か細く、希望は残っていた。
『球子!』
『あんず、生きてる、けど、どうしよう……頭とお腹から血が止まらないんだ!』
半ばパニックに近い球子が空転する思考の中で応急措置の手順を何一つ思い出せないままに涙混じりの声で助けを求めてスマホに叫び、震える手で杏の出血を少しでも抑えようと腹部を抑える。そして手に感じた硬い感触に杏の腹部に瓦礫が刺さっている事に気付いた。
『くそっ! 頭に衝撃があったのか! バーテックスめ!』
『タマちゃん! 絶対にアンちゃんを動かしちゃダメだよ!』
球子の報告に最悪だけは回避できる可能性を知ったがそれでも悪い状況だとも知った若葉が悪態を吐き、球子の混乱を察した友奈が球子が迂闊な行動をしないように注意をする。
『わ、わかった。あと、あんずのお腹、尖った瓦礫が刺さってる』
『いきなり抜いてはいけないわ! それが栓になって出血を抑えてる事も有り得るはずよ!』
しどろもどろな球子の報告に重ねて注意をする千景が状況の悪さへの苛立ちを無防備なままな矢の個体達にぶつけて攻撃する手を加速させる。
『動かさないのも瓦礫を抜かないのもわかった、タマはどうすればあんずを助けられるんだ!』
やってはいけない事は解ったがやらなければいけない事が未だに解らない球子の叫び。
『守れ!』
スマホ越しに叫び返す若葉。
『デカブツどもは全部私が引き受けた! 切り札も使った! 戦闘の余波全てから杏を護れ!』
『私ももうすぐで戻れるから! 早く倒してアンちゃんを病院に連れて行こう!』
『こっちも切り札を使ってでもすぐに矢の個体の殲滅を終らせて急いで向かうわ!』
若葉の叫びに続く友奈と千景の大声。
「あ、あぁ……そうだ、まもらなきゃ……。タマがあんずをまもるんだ。タマはあんずの姉貴分で、タマははあんずを守るってずっと決めてたんだ!」
『よく言った球子! 姉ならば、守り抜け!』
「わかった! みんな、バーテックスは頼んだ!」
頼りになる仲間達の心強い声に平静さを取り戻し始めた球子の自分に言い聞かせる独り言をスマホ越しに聞いた若葉が同じ"姉"としてだめ押しで球子を励ます。その声にようやく完全に平静さを取り戻した球子が装束を変化させて今まで以上に激しい動きで四体のバーテックスを相手に立ち回る若葉に一瞬だけ視線を送り、自分が弱っている妹分になにかしてやれる事は無いかと改めて杏の容態を確認をし始める。
意識、無い。呼吸、か細く徐々に弱まっている気がする。額の出血、止まらないが傷口をよく見ると深くはなさそう、しかし手当てをする応急手当てのための医薬品がない。腹部の出血、額の出血と同じく手当てのための品が無く護身術の授業やアウトドア趣味の延長で会得した応急手当のための知識を生かす事ができない。更に、杏の白い勇者装束を貫通して腹部に突き刺さる瓦礫がか細い呼吸に合わせてぐらぐらと揺れる程に傷口との隙間が空いていて栓の役割を果たしてはおらず、杏の腹部と地面の赤い染みを刻一刻と拡げ続けていた。
『若葉ちゃん! ヘビは任せて!』
『頼む!』
(まさか、タマが傷口を抑えた時にズレちゃったのか?)
友奈が若葉と合流する声を聞きながしつつ球子の冷静さを取り戻した思考が真偽の解らないまま自らを責め立てる。
『勇者パンチぃぃーー!! ……あぁっ! 形がわからない位に潰せば増えないし回復が遅い、これなら倒せるよ!』
『さすがだ友奈! こっちはまだ刃の通る所が見つけられない』
『矢の個体、殲滅完了よ!』
(どうする、どうすればいい! どうすれば何の道具も無しに傷口を塞げるんだ!)
処置の術が思い付かないまま冷静だった思考にこのまま出血を止める事ができなければという想像で冷たい未来予想が混ざり、球子の思考と精神状態が再度混乱に近付き思い出せる限りの応急手当ての知識と思考に恐慌じみた雑念が沸き出てくる。
『潰せるってわかったなら……一目連ッ!』
『斬れるまで全身くまなく刻んでやる!』
(どうすれば、腹の瓦礫は抜くいやまだ栓の効果はあるかも怪我から心臓に近い方を縛る胴体のどこを縛るってんだ縛るものが無いいや旋刃盤のワイヤーでも結局何処を縛っても胴体の中の血管で血が流れ続ける怪我を直接塞ぐどうやって思い出せ考えろ大怪我した時はどうする何かあるはずだタマが怪我をした時は普段どうしてた怪我した奴はどんな事をしていた大怪我するような奴はどんな事……青葉?)
思考に混ざった雑念のような日常風景、その中にいたクラスメイト唯一の男子に答えを見た気がした。
(傷口を、焼く? 火は……ある)
球子の切り札『輪入道』、そこにバーテックスを瞬時に消し炭にするほどの勢いがある火があった。
思い付いた案が可能かどうかと精査するより早く可能性にしがみつくように行使される球子の切り札、装束を変化させた球子の左腕に携えられた旋刃盤の刃に炎が宿り、瞬時に刃を赤熱させていく。
『戻ったわ! 私もサソリ型と戦う、八人がかりで徹底的に叩きましょう!』
『尻尾と貯水槽のような部位はあらかた刻んだがダメだった、他の部位に集中するぞ!』
「あんず、今血を止めて──」
止めてやるからなと言い掛けて気づく、複数の懸念。
まず体力を消耗している杏が大きな傷口を焼き塞ぐ程の火傷を負う事に耐えられるのか、最悪の場合ショック死が有り得る。次に火力の調整、バーテックスという化物を瞬時に焼き尽くす火力を持つ武器で勇者とはいえ人間の胴体のを焼いて内臓を損傷させないようにしなければならないのだ、集中を乱される戦場の中で成功させるには難易度が高過ぎる。
「て、手の震え……止まらな……」
そして、最大の懸念。命を繋ぐための応急手当てとはいえ重症を負った大切な妹分に対して焼けた鉄で追い討ちを掛けるような行為に尋常ではない拒否感と恐怖を覚えてしまっているのだ。
(青葉のやつは死にかけの癖に自分の腕に放火したらしいけどどんな神経してやがったんだよ! あいつイカれてやがる!)
心中で叫ぶ、不条理な希望への八つ当たり。
「や、やるんだ、タマがやるんだ……! タマがやらなきゃ、あんずを助けるんだ!」
自らに強く言い聞かせるも震えは治まらず、意は既に定まっているものの肉体が拒絶して行動に移すことができない球子。そうしている間にも杏の腹部から流れ出る血液が血溜まりを拡げていく。
『ヘビ型、倒し終わったよ!』
『今死んだ私は針が掠めてから時間差で死んだ、あの針には猛毒があるわ! 気を付けて!』
「やるんだ、やるんだからおさまれよ!」
「……ぅ……ぁ……タマ……ち?」
恐怖に滲む涙が視界を霞ませる中、球子耳に聞き間違いかと疑う程弱々しい杏の声が届く。
「あんず!? 意識が戻ったのか!」
「あぐっ……やって、タマっちなら、大丈夫だから」
「!?」
苦痛の呻きが漏れる杏の信頼に満ちた声。
意識を失う直前までの状況を正しく認識していた杏は朦朧とする意識の中でも腹部の痛みと赤熱させた旋刃盤を持つ球子に自身の状況を過不足無く把握し、球子が相手ならば自身の身命全てを任せられると実行を促す。
「きっと痛いぞ、辛いぞ!」
「タマっちが……してくれるなら……何があってもわたし……だから、おねがい」
遠回しに球子の手にならば掛かってもいいと信頼を口にする杏に、球子の手の震えが止まった。
(何があってもなんて、言わせちまった。そんな事になってたまるか! 助けるんだ!)
自分を信じて全てを任せる妹分に、怖じけていた心が勇気を取り戻す。
「いくぞ!」
「うん……う゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!」
球子の意と肉体の乖離が無くなれば実行はすぐだった。杏の腹部でぐらついていた瓦礫を慎重かつ迅速に引き抜き、そのまま震えの無い手で赤熱した旋刃盤が押し当てられる。
日常の中では耳に心地よい愛らしく穏やかな声を奏でるはずの口から残りの体力を絞り出す濁流の悲鳴が溢れ、球子の嗅覚に肉の焼ける臭いが突き刺さる。
『どこも刃が通らないわ!』
『ならばどこか同じ場所を刻み続けて無理矢理倒す!』
「あんず! もう少しだから頑張れ!」
「ぐう゛う゛う゛ぅ゛……」
濁流の悲鳴が弱った獣の呻きに変わる頃、杏の腹部からの出血は収まった。
「はぁ……はぁ……」
「ぅぐっ……ふーっ……ふーっ……」
精神の疲弊と肉体の疲弊、違いはあれど困難を越えた二人の荒い呼吸が重なる。二人分の呼吸、杏の呼吸は止まらなかった、杏に死の結末は訪れなかった。
妹分の白い肌に生涯消えない痕を残すという残酷な仕打に疲弊した球子の精神と、何度も苦痛に気絶しては苦痛に意識を覚醒させる杏の苦行を引き換えに世界を背負う花が散る運命は今変えられた。
「あんず、こんな形でしか守れなくて、ごめん」
「……ううん……助けてくれて、ありがとう」
「……そっか、あんずはここで休んでろ。タマ、めちゃくちゃ暴れたいからあのデカブツやっつけてくる」
「……うん」
止血は成功し今にでも命を落としうる状況は脱したものの頭を強打している事に変わりはなく、体力が底をついているがゆえに戦闘への復帰も移動もまままならない杏を寝かせたまま球子は歩き出し、すぐに見つけた高台の上に飛び乗る。
(何事にも報いを、だったっけか。その言葉、ちょっと借りるぞ)
球子の心中に渦巻く妹分を死ぬ寸前まで追い詰めたバーテックス達への復讐心と怒り、守ると決めていた妹分を死の淵まで行かせてしまった自分への憤怒。それが球子を疲弊した精神ながらも戦いへと駆り立てる。
「報復、いや……八つ当たりかもだけどさ」
未だ切り札を行使したまま赤熱していた球子の旋刃盤が熱を増して陽炎のように空気を揺らめかせて空間を歪めさせる。
「タマは、キレた。ぶっ飛ばす」
一回転、頭上で肩から先を回してワイヤーを伸ばしつつ旋刃盤を振り回す。
二回転、全身を回して勢いを増やしつつ旋刃盤を巨大化させる。
三回転、赤熱させていた間ずっと旋刃盤に溜められていた業火が刃から吹き出して樹海の地表に焦げ痕を回転とともに刻みつける。
(もっと、もっとだ! 今はあのサソリをぶっ飛ばせればいい、ありったけを籠めてやる!)
スマホのスピーカー越しに状況を耳にしていた球子は今からぶっ飛ばす予定の相手が三人の仲間が連携しても倒しきれない頑丈な相手だと知っていた。
四回転、五回転と回転を重ねて自分の中にある何か、気合い、根性、怒り、精神的なエネルギー全て旋刃盤に蓄えさせる。
『みんな! すっげぇのを飛ばすぞ! 離れてろ!』
『!? 了解』
『えっ! うん!』
『また無茶な事を!』
スマホのグループトーク機能にてサソリ型と戦う三人へと注意を呼び掛ける球子、そして返事を聞くと同時にかつて放った全力の一撃を越える全身全霊の一擲を頭上へと解き放った。
「やっべ、意識とびそう」
全身全霊の一擲は球子に一欠片たりとも余力を残さなかった。
業火を纏う巨大な隕石のような力の塊が反射すべき矢の無いまま待機していた反射板の個体達をついで程度に轢殺し、山なりの軌道でサソリ型の無表情な人の顔を思わせる正面部目掛けて轟音と共に飛来する。
サソリ型が針のついた尾で巨大旋刃盤を払い落とそうとするも激しい回転に芯をずらされて逆に尾を弾かれて直撃し、重量物同士が衝突する振動と衝撃音、更に火柱の上がる爆音が樹海に響く。
『なんて威力だ』
スマホ越しに呆れたような若葉の声が力を出しきって膝をつく球子の耳に届く。
『手応えありだな、やっこさんはどうなった?』
『全身ヒビだらけになってるけどまだ動いてるよ』
『こうなれば全身弱点みたいなものね、後は任せておきなさい』
『そうか、タマはもう動けん、後は頼んだ』
膝をついて倒れる事を堪えていいた球子が脱力し、その場に仰向けに転がる。
(ぶっ飛ばすつもりだったんだけどな、追い詰められた報復は追い詰めるところまでってところか)
後は頼もしい仲間達がなんとかしてくれる、そう確信しながら勝利を待つ球子。投げっぱなしだった旋刃盤が独りでに通常のサイズになりながら戻って来た頃にスマホから意気揚々とした戦勝の報せを聞いた。
若葉さん
攻めて攻めて攻め続ける勇者、攻撃こそが最大の防御。意見は出すけど知恵働きは基本的に得意な人に任せてる、なぜならその方が自分という一振りの鋼を最大限活用できるって事を理解しているからなのである。"姉"として"姉貴分"であろうとする球子を自分なりに励ました。何度も同じところをえぐってやる!
友奈ちゃん
ヘビ型をはじっこからパンチ連打でミンチにした。ミートチョッパーではない、勇者である。実は自分でもそれなりに考えてるけど知恵働きが得意な仲間を信じてるから素直に指示に従ってる。先っちょから少しずつ挽き肉にするよ!
千景ちゃん
自分の死因で相手の能力を推理するやベー奴。あんなかすり傷なのにじわじわと私は死んだわ、あのあからさまなサソリっぽい見た目もあるし毒に違いないわ!私の死因はあの尻尾の毒よ、私の仇を討ってやる!なに言ってんだこの勇者、やべーよ。その内自分同士で殺してから遠くにいる別の自分の近くに復活する疑似ワープとかするんじゃねーの?きゃあ、じぶんごろし。
杏ちゃん
作中二人目の焼肉。かろうじて死を回避した。直接的な戦闘力の低さは頭脳でカバー。戦場で一番上手に若葉さんをコントロールできる。降り注いだ矢はギリギリ躱せたけど足下に落ちた矢が跳ね上げた瓦礫がお腹に刺さった、もしもヘビ型をまた生まれる前に殺そうとしてたら躱しきれない程の矢が降り注いで手当てする間もなくゲームオーバーだったかも。タマっちへの信頼が自分の命を拾った要因の一つ、愛の勝利である。白い肌に生涯残り続ける信頼の証(ヤンデレ的表現)
タマっち
真・女子力マダンテ。今回のMVP。勝利の女神で愛の女神。ゴッテスタマっち。実はかすった矢のせいでぱっくりと裂けてる、アドレナリン。
ちょっと本気バーテックス
擬似的なスコーピオン&キャンサー&サジタリウスの殺意MAXチームで相手がどんな選択をしても罠に嵌めれるガチ戦術、おとなげない。途中まではめっちゃ上手くいってたけど逆転された。ヘビ型は犠牲になったのだ、どうあがいても囮として扱われるという犠牲にな。回復力が高過ぎるのが悪い。
輪入道
やってやんよ!→え?焼くのは勇者!?……や、やってやんよ(震え声)。弱火でこんがり。
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誤字報告ありがとうございます。
傷口を焼いて塞ぐのはどうしてもという時以外は避けましょう。めっちゃ沁みるし普通は死ぬし生きてても搬送先の病院での治療が大変です。