乃木さんちの青葉くんはこんな感じである 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
外出を制限されてるが知った事か、要は僕が元気に街で歩いているのが誰にも見つからないようにすれば良いのだろうと帽子を目深に被って左袖に綿を詰めた手袋をぶら下げて偽装した左腕で変装。その姿で僕は昨日の襲撃で負傷した球子と杏のお見舞いをするために人目のつかない路地裏を縫うように二人が入院した病院へと向かう。皆が戦いを終えた瞬間から発生した竜巻が残した爪痕であろう割れて散乱した窓ガラスを何度か踏み越え、暴風に落下した商店の看板を撤去している人だかりを遠目に見たりしながらたどり着いた病院のナースセンターのカウンターに座る看護師さんに問い掛ける。
「土居球子と伊予島杏の見舞いに来たのですが病室はどこですか?」
「いません」
「んんん?」
僕にチラリとだけ視線を寄越してカウンター越しに事務作業をしている手を止めないままつっけんどんな態度な看護師さん、なんだかとても威圧感を感じる。
「勇者の土居球子と同じく勇者の伊予島杏がここにいるはずなのですが」
午前中に検査入院から帰って来た姉を含む軽傷だった三人が戦闘直後に重傷だった二人をここに勇者の機動力を生かして運び込んだと言っていたのだ、間違いないはずである。
「いい加減にしてください、警察を呼びま──」
「なんか微妙に見覚えあるやつだと思ったら青葉かよ、帽子似合わないな」
「あ、タマっち」
威圧感を増させた看護師さんが急にいきり立ったと同時に背後から聞き慣れた声、やっぱりいるじゃないかとの思いのまま振り返ればやや顔色の悪い球子が甚平のような入院着姿で立っていた。
「土居様! そんな無警戒に変質者へ近付いてはいけません!」
「へ、変質者ですとな」
心外である、誠に心外である。
どうやら僕は看護師さんにやべー奴と疑われて追い払われようとされていたらしい、非常に心外である。しかし、よくよく考えてみれば四国の最重要人物である二人に対して事前に連絡もなくよくわからない相手が見舞いに来たと言っても疑われるのは仕方ない事なのかもしれない。
「変な奴だけどコイツは間違いなくタマの友達ですよ」
「……そうなんですか?」
変質者扱いされてしまった僕を見てニタニタと笑う球子が助け船を出してくれたが看護師さんが僕に向ける視線に未だ疑惑の念が濃いように見える。
「青葉、帽子とって顔をよく見せてやれよ。それで一発だろ」
「ん」
球子に促されて帽子を脱ぎ、そういえばこんな時に身分証明になるのかもと思い出したなんか凄い許可証も懐から出して看護師さんに差し出してみる。
「あ、もしかして乃木様の……」
「はい、双子の半分です」
差し出したなんか凄い許可証に目もくれずに僕の顔をまじまじと見た看護師さんが疑惑の念しか無かった目をハッとした直後に柔らかいモノに変える。このなんか凄い許可証は政府の偉い人やら警察の偉い人やらの連名で発行されてるかなり凄い物のはずなのにそれよりも姉と似ている僕の顔の方が看護師さん的に信用できるモノだったらしい。
「大変失礼しました」
僕自身は一般的中学生なのにちょっとかしこまった感じになる看護師さん。
「な、一発だろ?」
「ん」
これがもしかしたら顔パスってやつなのかもしれない。
こんな感じで晴らす事のできた疑惑にすっきりしつつにこやかになったら看護師さんにナースセンターから送り出されて病院の奥へ向かう。
「ねぇタマっち」
「あん?」
「けっこうな大怪我だったって聞いてたんだけど病室から出歩いて平気なの?」
ほんの少しだけ歩いた先、日当たりのいいデイルームの白い椅子に腰を降ろした球子に今更ながらながら訊ねる。球子は背もたれに背中を着けないように膝に肘を着ける前のめりな体勢でちょっと似合わない困ったような自嘲するような笑い顔になっていた。
「いや、なんていうか……タマ達ってかなり丁寧な扱いされてるせいか病室がアホみたいに広い個室でさ、一人でそんな静かでスカスカな部屋にいるのが落ち着かなくって」
問いに対して少しずらした答えを返す球子、なんでも政治家や実業家が入院する時に使う特別な病室らしいが球子にとっては落ち着かない空間だったらしい。
「そうなんだ、でもバーテックスの攻撃が直撃ではないって程度でがっつり掠めたせいでいっぱい出血してたって聞いたよ。今だって顔色良くないし……たくさん血を流したなら休んでなきゃ」
「お前がそれを言うのか、刃物男にバッサリやられた直後にストレッチして傷口開かせてた癖に」
姉か千景からでも聞いたのだろうか? 半目で僕を見る球子。
「僕だから言うのさ、傷口って縫ってても簡単にひらいちゃうんだ。経験者は語るってね」
「いや、普通の怪我人は怪我が開くような事しない」
半目のまま盛大に溜め息を吐いた球子のジットリとした視線から逃れるようにすぐ近くに有った自動販売機に向かい小銭を投入する。商品の模型を展示している透明なパネルに反射して見えた光景に僕と球子の二人と黒い輪郭だけのヒトガタ、取り敢えず無視しつつお茶を二本購入して振り返って一度周りを見渡してもパネルに映っていたヒトガタはどこにも見えない。
「んぉ? どうした?」
「ん、小さな羽虫が飛んでたんだ。そんな事よりほら、僕の奢り」
「おっ、サンキュ」
視線を周囲に巡らせた僕をわずかに訝かしんだ球子を適当に誤魔化してお茶を手渡す。
昨日の襲撃の直後から鏡や窓ガラスの反射、洗面器に張った湯の水面など間接的な視界に入り込むようになった黒いヒトガタ、見え始めた頃は見えてしまう度に身構えてしまったが見えても特に何があるわけでも無いようなので今は放置しているのだ。ちなみに、なんとなく思いついて塩を撒いてみたがそれでもコイツが消える事はなかった。きっと今も直接視界に映らないだけでこの空間のどこかに何をするわけでもなく佇んでいるのだろう。もしかしたらこのヒトガタは今まで見えて無かっただけでずっと僕の近くにいたのかもしれない、そう考えるとコイツはよっぽど暇なのだろう。
「ねぇタマっち」
「なんだ?」
球子の座る横に腰を降ろし、正面に顔を向けて何も見ないままに口を開く。
「心配したよ」
率直に伝える気持ち。
今までのように幼馴染と共に丸亀城をすみからすみまで帰還したはずの皆を捜しても見つけられず、皆の身に何か有ったのではと嫌な思いが胸に満ちていた頃に『球子と杏が負傷したから病院に運んだ』と姉からの簡潔な連絡が来てからはすぐに病院に行かなければならない怪我をした二人を案じていたのだ。
戦うのならば負傷は避けられないとは解っている、だが、それでも僕は大切な友達が辛い目に遭う事を許容できるほど達観できない。
「な、なんだよ、急にマジな感じになりやがって。……そんなにタマが心配だったってかぁ?」
「うん、命が有ってよかった」
おどけるように言葉を返す球子に再度本心を返す。
「戦いの中で怪我をするななんて言わない、僕はそれがどんなに難しい事か知ってる。でも、これからもタマっちが戦う事を選び続けるなら次も、次の次もその先もずっと無事でいて欲しいよ」
「……はぁ、ほんっと明け透けだな」
溜め息の混ざるなにやら呆れた口調の球子。
「僕はいつだって本心で生きてるからね」
「これで他意が無いんだもんな……ったく、仕方無いから善処してやるよ」
「ん」
他意なんて無く、友達に生きていて欲しいだけだ。
示し合わせる事無く二人で同時にお茶を啜る。
「話はちょっと変わるんだけど」
「なんだ?」
「杏ちゃんはどんな感じなの? 命に関わる状態は乗り越えたとは聞いてるけど詳しくは何も聞いてないんだ。」
検査入院から帰った姉に球子と杏の事を聞いた時に球子の状態は大きめの傷口からの多目の出血と聞いたのだが、杏の状態については姉はとても辛そうな顔で『峠は越えた、じきに動けるようになる』とだけしか言ってくれなかったのだ。その姉の表情にまさかとは思うが四肢の一つでも失ってしまったのではないかとまで考えてしまって心配の気持ちが尽きないのである。
横の球子から聞こえる、息を呑む音。視線を向けると、くしゃりと歪んだ球子の顔。
「タマっち?」
もしかして、杏は命を落とさないというだけでかなり酷い状態なのだろうかとの不安がよぎる。
「いや、あんずは手も足も落としちゃいない……今は怪我のせいで熱が出てるから薬のんで眠ってるけどその内動く事に支障が無いくらいにだって回復するって医者も言ってた」
ならば何故そんなにも辛そうな顔をするのか、視線を合わせていた僕もその普段の太陽のような快活さを隠した曇天の表情に眉が下がるのを自覚する。
「……何度聞いても医者は、動く事に支障が無いくらいに回復するってしか言わなかったんだ」
「それって、つまり……?」
どういう事なのだろうか。
くしゃりとした表情のまま口を噤んでしまった球子。
「……頼みがある」
「僕にできる事なら何だって聞くよ」
やや間を空けてからかすかに震える声を出した球子に即答する、躊躇などない。
「……そうか、ここじゃちょっと場が悪いからタマの病室に来てくれ」
そう言って白い椅子から立ち上がって足を引き摺るような重たそうな足取りで歩き始めた球子に着いて歩き、エレベーターを使って病院の最上階に上って扉横のプレートに『大個室2』とだけ記されていた病室へと入る。恐らく球子の名前を記していないその無機質さは球子がここに入院している事を隠すためなのだろう。
採光の良い大窓や大型のテレビ、一人で使うには持て余してしまいそうな冷蔵庫などと整った設備に病室と言うよりはちょっとしたホテルの一室な雰囲気の室内、多きな白いベッドの淵に腰を降ろした球子がやや躊躇った様子で口を開く。
「……脱いで、見せてくれないか」
「ん?」
「青葉の背中を見せてくれないか」
ほんの一瞬、ごくごくわずかな間ではあるが変な勘違いをしてしまうところだったが言い直した球子の言葉にある意味では納得し、別の意味で戸惑う。
「僕は別に構わないけど、見てもあんまり──」
気持ちの良いものではない、と言い掛けて気付く。球子もかつての僕と似たように背中を負傷し、縫合が必要な治療中の裂傷が背中にあるのだ。
「──楽しくはないよ?」
気持ちの良いモノではない、と言うには憚れたのでとっさに思い付いた言葉で誤魔化す。誤魔化せただろうか?
「……頼む」
誤魔化せたのかはわからないがくしゃりとしたような引き締めた表情のまま短く言葉を絞り出す球子。
「変に気を使ってくれるなよ、青葉が真夏に汗だくになっても長袖の服を着続けてたのは……まぁ、そういう意味なんだろ」
「……ん」
誤魔化せると少しでも思ったのは僕の浅慮だったようだ。自分のなんとなくな普段の行いが回り回って友達の心に傷を付ける要因になったのかもしれない事実に半ばヤケクソな思いで上半身の衣服を脱ぎ捨てた。
静かな病室、上半身を晒した時に一度、背中を見せた時にも一度、球子が音を殺して息を呑んだ気配を感じた。
背後から人の動く衣擦れの音、直後に左肩に触れる小さな感触。
「前に一度だけ青葉のこれを見たことがあったけど、あの時はなんて言うか……ほかのアホみたいな事に意識が行っていたから他の無事な所とちょっと違うってしか見てなかったんだ」
前に見た一度とは、球子が時おり口にする半裸パンツ事件の事か。
左肩からツゥと背中までなぞる小さな感触、一度皮膚を激しく損傷したせいか鋭敏とも鈍感とも違う肌の感覚が球子の指先を追い掛ける。
「これとほとんどおんなじのが、タマの背中にもできるのか」
僕の背中にあるムカデが一直線に這うような傷痕を見た球子は何を思っているのか、僕には想像できない。
「……タマの背中は今はどうでもいい、元々たくさんヤンチャな遊びをして膝も肘も擦り剥きまくってるし他の場所にだってけっこう色んな傷痕があるんだ」
嘘だ。
どうでもいいなんて思ってるなら背中で感じる指先に震えがあってたまるか。声が震えていてたまるか。
強がる球子に掛ける言葉を見つけられないまま球子の指先が一度背中から離れ、すぐに肩から肩甲骨までを触れるように小さな五本の指を感じる手のひらが添えられる。
人それぞれの感性によっては触れる事を躊躇う僕のケロイド状になった部分に触れる球子は何を思っているのか、やはり想像できない。
「……タマな、あんずのお腹を焼いたんだ」
「ん」
「鋭い瓦礫が刺さって血の止まらないあんずのお腹を焼いたんだ」
明かされた、先程してしまった僕の残酷な問いへの答え。
「あんずの細くて、白くて、キレイなお腹に、タマはこれを……。タマは、あんずを守りたかったのに……」
球子の震えは、妹分を大切に思うが故の自責か。
「タマっち──」
「タマがあんずを焼いた時は、瓦礫を抜いて溢れた血で隠れて見えなかったけど……タマは間違いなくこれをあんずに……」
僕の声が耳に届かなかったのか自責の言葉を続けた球子。
「こんな事頼んだのはさ、タマが守れなかったせいであんずがどんな風になったのかを知りたかったんだ。ごめんな、これじゃあ青葉の事を遠回しに悪く扱っちまってるみたいだよな……ごめん」
「いや、僕にとってこれは若姉さんの命を勝ち取ってひなちゃんへと迫った理不尽を打ち砕いた勲章なんだ。何も気にしちゃいないさ」
「そっか、でも、あんずはかわいい女の子で、この戦いを生き残ればまた穏やかで素敵な生活があるはずだったんだ……きっと大人になったらあんずと釣り合った相手と結婚とかしたりしてさ……」
なんとか見付けた前向きな言葉は"性差"のそれだけで空虚なハリボテになった。
僕は例え杏がどんな事になってもふわふわとした雰囲気の穏やかで素敵な女の子だと知っているが、それはこれから杏と出逢うかもしれない相手とはきっと違った感性なのだ。杏のお腹に残ったモノが杏のこれからに影響しないだなんて言うことはできない。
「タマが焼いた場所な、おへその下くらいなんだ」
「……ん」
「刺さってた瓦礫、長かったんだ……もしかしなくてもお腹の中を傷つけてるんじゃないかってくらいに」
まさか、の思いがさらに僕の言葉をつまらせて相槌の音さえ出せなくなる。
「……タマが守れなかったのは……あんずのキレイな肌だけなのかな……医者は何も言ってくれないんだ」
男の僕にはきっと想像を絶する思いを球子は抱えているのかもしれない。
「タマは、あんずの命以外何一つ守れなかったのかな」
命があっただけでも拾い物だなんて口が裂けても言えない。
球子の手のひらを感じていた肩の横に、コツンと当てられるサラリとした髪の感触を挟む硬い物。
「……こわいんだ、まもるって言いながらこんな事にまでなっちゃって、そうだったとしたらきっとあんずはすごく悲しむ、すごく辛くなる……もしかしたらまもれなかったタマを恨むかも……あんずに嫌われるかもしれないのがこわいよぉ……」
決壊した球子の悲観的な激情、聞こえる声はひどく震える涙声。
普段の二人を知る僕には杏が球子を恨んで憎むなんて有り得ないと言いたいが、女性にとってお腹の中が傷つくというのがどれ程の事なのか想像仕切れない故に僕が今何を言っても軽率で的外れな言葉になってしまうのではないかと、逆に球子を更に追い詰めてしまうのではないかと言葉を発する事ができない。
「こんな事になっちゃっても……嫌われるのがこわいって……いやだって、自分のことをまもろうとするタマ自身が、きもちわるいんだ……」
気持ち悪いだなんて、あるものか!
そう心中で叫べても、声にできなかった。
僕は今、背中で悲しむ大切な友達に何をしてあげれるのか。悲しむ友達に悲しくなりながら必死に鈍い思考を回す。
「タマっち」
しゃっくりを上げて嘆く球子を背中に感じながら至った僕の答えとは言い切れない答え。
かつて悪夢に怯えていた僕の心を落ち着かせてくれた姉がしたように、球子と向き合って正面から胸に抱き締めた。
「なんだよぉ……」
普段ならば軽口を叩きながらおどけるだろう球子がされるがままに僕の隻腕に収まる。
きっと何を言っても僕の言葉は的外れかもしれない、それでも僕は僕の思うがままに言葉を放つ。
「僕の隻腕は、火傷痕は誇りだ」
「……でもあんずは女の子で、青葉の時とは状況も違う」
「ん、そうだね」
それは僕にだって理解が届く、球子の否定的な言葉を肯定しつつ言葉を繋げる。
「誇りだけどね、コレを見る度に思うことがあるんだ……腕を失ったのが僕で良かった、体を焼いたのが僕で良かったって。愛しい姉と、大切な幼馴染がこの痛みを知らないままで良かったって」
「……それは、青葉がつよくてまっすぐだから思える事なんだ、自覚しろよ、おまえはイカれてるくらい一直線なんだ」
自身の心に余裕が無いせいか、いつもの軽口とは違った棘のある球子の言葉。
「それに、おまえが若葉やひなたをたいせつだって言うのと同じくらい、あのふたりもおまえをたいせつにしてる……あのふたりだっておもったはずだ、なんで青葉なんだ……自分ならって!」
『この! 止まれっ、青葉が何をしたと言うんだ! 何故こんな仕打ちを受けなければならない!』
球子の言葉に思い出す、腕を喰われた直後に聞いた僕の血を流し続ける腕の断面を押さえていた姉の悲痛な叫び。あの叫びは、そういう意味も含んでいたのだろう。
「それでも! 僕は、若姉さんという姉を持つ弟である僕は、愛しい存在が苦痛と欠損のないままでいてくれた事を安堵したんだ」
「あんずもそう思ってるかもってか、そんなのわからないじゃんか」
「そうさ、わからないんだよ。わからないけどわかりたいなら、話すしかないと思うんだ、悲観的になるのはまだ早いよ」
そうだ、この場にいない杏の気持ちを僕と球子で推測したところでそれは所詮妄想と変わらないのだ。
「……むりだ……」
「無理じゃない」
球子と杏は生きている、言葉を交わす事ができる
「むりなんだ、会うのが怖いんだ、タマはあんずを守れなかった、お姉さんだって自分で言っておきながら守れなかったんだ……こんなタマがどんな顔してあんずに会えるんだよ」
「いつものまま会えばいい」
「お姉さんツラしろってか……そんなの……だって、タマはもうお姉さん失格で──」
「お姉さんでいるのが嫌になったの?」
「そんな訳あるもんか!」
弱気な発言に被せるように問えば否定の声。
「ならやっぱりいつものままで良いんだ、タマっちは最初にお姉さんであろうとした時から今までずっとお姉さんだったんだ。そして、これからもきっとお姉さんで在り続ける」
「……でも、あんずに嫌がられたら──」
「僕は若姉さんに憎まれたとしても若姉さんを愛しく思うしひなちゃんに嫌われてもひなちゃんを大切に思う、タマっちが僕に殺意を抱いても僕はタマっちを友達だと言い張る。タマっちだって杏ちゃんに恨まれるかもって思っても杏ちゃんが大切だがら今辛いんでしょ?」
「…………」
この無言はきっと、肯定だ。
「僕は産まれてからずっと姉で在ろうとし続けて姉で在り続けた姉と一緒にいたんだ、僕はそんな姉の弟であることを望んで今まで生きてきたんだ」
「…………でも──」
「姉がいるって、幸せなんだ。きっと、杏ちゃんだってそうさ」
「…………」
震える球子が、腕に収まったまま震える。
頭の良い人が聞けば僕の言葉は穴だらけで筋の通らない鼻で笑える戯れ言なのかもしれない、それでも心のままに尽くした言葉だ。
「…………青葉は、まっすぐすぎる。そのまっすぐで前向きなのは、都合の良い妄想をみせる毒だ」
「都合が良くていいじゃん、その方が都合良いんだから」
少しでも球子の曇った心を晴らせればと願って口を動かしたが、腕の中の球子の声と体の震えは治まらなかった。
いつの間にか僕の抱き締めていた以上に押し付けられていた球子の額、目に映る鮮やかな茶色の頭頂部に掛ける言葉の継ぎ穂が見つからないまま無言の時間。
そんな中、前触れなく控え目にツンツンとつつかれる右肩の感触に振り返る。
そこにいたのは、発熱と出血のせいなのかあからさまに体調不良だとわかる顔をした杏。細い人差し指を口の前に立てて薄く笑っていた。
無言のまま自分を指差した後に僕の懐に収まる球子を指差す杏になんとなく意図を察し、震える球子を解放して一歩離れる。
「……あっ」
一瞬だけ見えた捨て犬のような表情の球子を包むように抱き締めた杏。
「あっ、あんず! なんで……大怪我してるんだぞ! 寝てなきゃ──」
あれだけお姉さんな自分を否定していた口で世話焼きなお姉さんっぽい事を言おうとする球子、そんな言葉に被せて杏が言い聞かせるように言葉を奏でる。
「隣の病室まで聞こえてたよ、タマっち」
「……!」
杏に抱き締められたままビクリと震える球子。
「タマっちお姉ちゃん」
「……なっ、でも、タマは──」
「タマっちがお姉ちゃんじゃなきゃ、私嫌だよ。タマっちが私に、妹分っていう嬉しさをくれたんだから」
きっと、今ここに僕は必要ない。
僕が言葉を尽くすよりも杏の抱擁と信頼だけが必要なのだろう。
「これからも私のお姉ちゃんでいて欲しいよ」
病室に備え付けられてるメモ帳に『おだいじに』とだけ書いて杏が入ってきた時に開かれたであろう半開きの扉から僕はこの部屋を後にした。
あとは、球子と杏の二人だけで言葉を交わせばいいのだ。
─────
廊下に出た直後に目があった二人の知らない大人の男女と二人のなんとなく見覚えのある大人の男女、そしてその後ろにいたよく知る大人である鷲尾先生。その五人の大人がぎょっとした表情を見せる中で僕の視線は最後尾の鷲尾先生の赤く腫れた頬に意識が集中した。
「鷲尾先生、そのほっぺ」
たぶん他人な大人四人の間をすり抜けて鷲尾先生に駆け寄って問いただす。
「あぁ、これは気にしないでくれないか」
「嫌です、気にします。それは殴られた痕ですね、相手は何者ですか、ちょっと僕が殴り返してきます」
この腫れかたは自然に発生するものではない、友奈との組手や格闘術の先生による嫌がらせみたいな手合わせで打撃を受けて打撲の症状を何度も見てきたが故に殴打の腫れを僕が見間違えるはずがない。
僕は恩師が暴力を受けて穏やかでいられるほど冷静な人間では無いのだ、きっと、大人な鷲尾先生はやり返してなんていないだろうと推測し、ならば代わりに僕がやり返すと鼻息が荒くなる。
「いや、これは誰も悪くないんだ」
「悪くなくても僕の気が済みません、殴ります」
困りきった表情をする鷲尾先生だが、最早僕は殴ると決めたのである。何事にも報いを、乃木の教えだ。
「落ち着きなさい、これは本当に誰も悪くなど……いや、私にも非があって相手にも非があった、そういう話なのだ」
「謎掛けはいりません。僕はこんなんでも人間の範疇でなら割りと強いんです、安心して相手を教えて下さい。奥歯飛ばしてやってきます」
「俺がその先生を殴った──」
背後からの男性の声、瞬間的に体が反応して拳を構えつつ右足を軸に全身で振り返り勢いのまま声のした方へ踏み込む。
「──殴るってんならやってみせぶぉぅっ!」
ふてぶてしくも自供しながら僕を見ていた大柄な男の左頬を殴ると見せ掛けて更に体を回しつつ間合いを詰めて肘で横っ面をぶち抜く。
手応えが浅い。この男は殴られ慣れてる、奥歯を飛ばせてない。
「もう一発!」
回転の勢いを更に増してたたらを踏んで揺れる男の横っ面の同じ場所に振り抜くように裏拳を叩き付ける。
手応え在り。だか、歯はまだ飛んでない。図体の大きさ通り頑丈な相手らしい。
「や、やめなさい乃木君!」
「肘かよこの野郎!」
鷲尾先生の慌てきった声を意図的に無視し、口内を切ったらしき男が廊下の白い床に血を吐き捨てて拳を構えるのを睨む。ほんの一呼吸の間を置いて大柄な男が僕に向かって拳を振るう。堅く握られた拳としっかりと腰を落として拳に体重を乗せてる姿に殴り慣れてると見抜き、大振りな拳の振り方に武の心得無しとも見抜く。振るわれた太い腕を右肩で担ぐような体勢になるように敢えて最小の動きで躱し、相手の肩の横から巻き付けるような拳の軌道で再び左頬を打ち抜く。
「ふんがっ!」
たたらを踏めども膝を付かない大柄な男、かなり気合いが入っている。
「この、訳わかんねー動きしやがっ──」
「待てぇ! そこの先生を殴ったのは僕だ! 掛かって来い!」
苛立つ大柄な男の背後から突然乱入してきた見覚えのある気がする方の男女のうち細身の男がへっぴり腰で拳を握って僕へ向かってきた。掛かって来いといいつつ向かって来るとはこれ如何に。
どう見積もってもヘナチョコとしか言えない拳の振り方と一人だと思っていた鷲尾先生に暴力を振るった相手が二人だった事に戸惑う。
「ふんっ!」
「ぎゃんっ!」
戸惑うが、殴られる前に殴り返す。いや、殴ったらそのまま瀕死になってしまいそうな程度にはヘナチョコに見えたのでビンタにしておいた。
頬の肉を強かに叩く短い音が廊下に響き渡り、細身の男が大袈裟にもんどり打って床に転がる。
「わぁー、お父さんが一撃でノックダウンされちゃった」
「ん? んん?」
不意に耳へと届いた杏の声。なにやら捨て置く訳にはいかない事を聞いた気がしてつい声の方へと振り返ると球子の病室の扉から球子と二人揃って顔を覗かせていた。
「んんん? お父さ──」
「おらぁ!」
「──ぶゅ!」
間抜けな隙を突かれて殴られる鼻、ツーンとした痛みと共に嗅覚が鉄臭さに満たされる。
「生徒が目の前で殴られては黙ってなどいられるものか!」
殴られた勢いでのけ反り、それをすぐに両足の踏ん張りで戻せば視界に映る拳を握った鷲尾先生の姿。大柄な男の胸を殴るが反撃の拳で尻餅をつく。
「この、またやったな!」
「うるせぇ!」
目の前で恩師が殴られる光景に腸が煮えたぎり、相手の大振りな拳を避けて延びきった腕の上腕を殴る。直後、大柄な男の殴った側の腕が垂れ下がる。
「ぐぉ、痺れ、動かな……」
「やめときなよ父さん。そいつが噂の大社忍者だよ、腕っぷしだけじゃ勝てないって」
「ん!?」
耳に届いた球子の声に追い討ちを掛けようとした腕が止まる。
「父さんじゃねぇ、お行儀よくパパと呼べ! それに男の喧嘩は勝てる勝てないでやるんじゃねぇんだよ!」
パパと呼ぶのは行儀が良いのか、知らなかった。
「ってかなんだ! パパじゃなくてこの野郎が勝つと思ってるのか!」
「そりゃ、まぁ……そうなると思う」
「テメェ! ウチの娘になにしやがった!」
球子の言葉に激昂する球子父、何がどういう思考を辿って僕が球子に何かした事になったのか。
「さてはテメェ、ウチの娘を女にしやがったな! まだ中学生だぞ!」
「はぁっ!? 何言ってるのさ父さん!」
「は? タマっちは最初から女じゃ……」
産まれた時から女では? 球子は性別が自在なのだろうか?
僕の口からこぼれた思考と直結した言葉に球子父がグワッと眼を剥き、首だけ動かして球子に視線を向ける。
「うっそだろたまこ、おまえまさかいつのまに……いつだ? あいてはだれだ?」
「なってない! タマは断じてそんな事になってない!」
「え? じゃあタマっち男なの?」
衝撃の事実にぎょっとした思いで赤面している球子に視線を向ける。男なのに勇者になれたのか、それならば僕に勇者のなりかたを教えてくれないものか。
「ぬああぁぁ! ダメだ、二人揃ってバカだ!」
「隙ありいいいい!!」
訳がわからない気持ちのまま髪をかきむしっている球子を呆けながら見ていると頬にヘナチョコな衝撃、なんだと思ってほんのちょっとだけぶれた視界を横に移動させると杏父がへっぴり腰で拳を振り抜いた体勢だった。とりあえずもう一度ビンタしておいた。
「ぎゃふんっ!」
「お父さん、がんばれー」
「……うおおぉぉぉ!!」
思い付いたかのように声援を贈り始めた杏の声に反応して涙目になりながら立ち上がろうとする杏父になんとなく追い打ちでビンタしておいた。
「いたいっ!」
「……はっ! この野郎! 伊予島さんぼろぼろじゃねぇか、なんてひどい事しやがる!」
杏父の情けない悲鳴に反応して僕を睨み付ける球子父、鷲尾先生を殴っておいてどの口がそれを言うのか。
「つーかなんだおまえ、なんでウチの娘の病室から上半身裸で出て来たんだよ!」
「あっ、そういえば服脱ぎ捨てたままだ」
「なんで脱いだ! 脱いで何してやがった!」
更にいきり立つ球子父。まだ立ち上がろうとしている杏父にもう一度だけ軽くビンタしてから球子父と眼を合わせる。
「求められたから? そして触られて抱き締めた?」
「青葉ァ! 言い方ぁ!」
「フンス!」
「……ゴクリ」
視界の外から聞こえて球子の叫びに続く荒い鼻息の音と生唾を飲む音。鼻息はたまに杏がおかしくなるのは知っているが生唾の音パターンは初めてなのでつい視線を向けると杏父を助け起こそうとしていたなんとなく見覚えのある女性、多分だけど杏母が僕と球子を交互に見ていた。
「この野郎、ウチの娘によくも!」
「ちくしょう、収拾つかねぇ」
球子父が烈火のように猛り狂い、球子が天井を仰ぐ。
「テメェみてぇな訳のわからん野郎に娘はくれてやらねぇ! テメェにわかるか、目に入れても痛くない娘が化物との戦いで大怪我したかと思えば訳のわからん野郎にイタズラされた父親の気持ちが!」
「わかってたまるか、僕に子供なんていたことない! それに僕はタマっちにイタズラなんてあまりしてない! 一緒にイタズラしてるんだ!」
「野ぁぁ郎、ぶっっ殺してやるぅぅぁぁ!!」
「言葉がわかるのに会話が通じないとこうなるのか……。ってか青葉、言い方ぁ……」
球子父と再度激しく殴り合う中で辛うじて耳に届いた球子の声は何か悟りを得ているようだった。
「うぐぐ、解るか、体が弱くて気も弱かった娘が化物と戦う事を決めてしまってる父親の気持ちが……! 娘の花盛りはこれからなのに大怪我を負ったと聞いた父親の気持ちが……!」
「解ってたまるか! そんな辛そうなの解りたくない!」
悲痛な叫びを上げてヘロヘロになりながら乱入してきた杏父を張り倒す。
「がんばれー」
「うわぁぁぁ! 娘は、杏はもっと痛い思いをしてるんだーー!」
何度返り討ちにしても立ち上がる杏父、足も震え始めてるのに気迫に衰えが見えない。だけど向かってくるなら何度でも張り倒す。
「大人の癖にジメジメと気の滅入りそうな事ばかり言って! 産まれた時からずっと一緒だった半身が戦いに赴き続けるのを見てきた僕の気持ちがわかるか!」
まるで不幸自慢みたいに負の感情を言葉にして叩き付けられたままなのが無性に腹立たしくて言い返す。そして、一度とかれた我慢を結び直す前に弱さなのか苛立ちなのかわからない感情が言葉になって噴き出る。
「みんなが戦いの始まる時に世界から切り取られたみたいに消えるのを見るのが辛いんだよ! 次の瞬間にはなにも無くなるんじゃないかって怖いんだよ! わからないだろうね、あの瞬間を見た事ないんだろうからさぁ!」
拳を、平手を、ぐしゃぐしゃな顔をした大人に叩き付ける。
きっとぐしゃぐしゃな顔をしている僕にも、拳が返ってくる。
「誰も彼も身勝手に暴れて……大事な生徒に武器を握らせて戦地へと送る教師の心が貴様等にわかるかぁっ!」
いつの間にかひどい顔になっていた鷲尾先生も乱入して男四人が身の守り方を忘れてひたすらに殴り合う。
「うわぁ、鷲尾先生まで乱闘し始めちゃった」
「もう放っとこう、終わる頃にはみんな仲良くなってるから心配ない。タマは似たようなの何度か見てるから間違い無い」
「球子、あんたいつの間にかちょっと大人になったわね」
「喧嘩から始まる……アツイ友情……ゴクリ」
僕達の乱闘は騒ぎに気付いた看護師さんが駆けつけて来るまで続き、病院関係者にしこたま怒られた後に全員が手荒な手当てを受けるハメになった。
青葉くん
弱った心に耳触りの良い言葉を聞かせて都合の良い妄想に引きずり込む猛毒ではない、青葉くんである。いてもたってもいられなくて友達のお見舞いへ、姉が超有名人、本人もそこそこ有名人。誇りを見せることに本人はなにも気負うものは無いけど見た目はちょっとアレなので隠してる。え、なに?僕の宝物が見たいって?→服を脱ぐ。珍しく空気読めたけど半裸のまま帰ろうとしてた。感情が爆発した。
タマっちお姉ちゃん
すかすかな部屋に一人でいると嫌な事ばかりか頭の中で繰り返されるので人の多い場所をうろついていた。そして見つけた変なやつ。押し付けたおでこ、ちょっと心が疲れた時とかにあたたかい犬とか猫が寄り添ってくれるとなんだか気が楽になるアレ。妹分との信頼を再確認した直後に廊下から騒がしい音、うわぁ、なんか喧嘩になってる。
杏ちゃん
姉貴分と支え合う妹分。体調悪くて病室でげっそりしてたら隣の病室から感情を叩きつけ合う聞きなれた声。まったく、仕方ないお姉ちゃんだなぁ。例えそれが死に繋がるとしても窮地で戦う事を選べるくらいには心が強い、勇者ですから。廊下が騒がしいので様子を見たらお父さんがKOされてた。頑張るお父さんを応援してみた。そういえばなんで半裸の男子に抱きしめられてたのオネーチャン?
鷲尾先生
担任の教師として、大社の関係者として大怪我をした勇者達の親御さんに状況の説明をした。そして殴られた。自分も娘がいるだけに相手の気持ちがわかってしまう。かたや少女に武器を持たせる教師、かたや戦いに送り出した親。何が悪いって?バーテックスが悪い。自身の心のままに振る舞う生徒が眩しく見えたのは齢のせい、いつの間にか老いていた。バカ二人と暴走おじさんに感化されて少しの間大人であることをかなぐり捨てた。
土居夫妻
見覚えがない方の男女。娘がかわいくてつい大社関係者を殴ってしまったパワー系パパとバカに慣れてる順応性の高い母さん。娘を連れて帰りたいけど娘は意地でも帰らないとわかってる。あんたが悪くないのはわかってる、頼むから殴り返してくれよ。ムシャクシャしてたら丁度いいのとエンカウント。
伊予島夫妻
見覚えがある方の男女、元旦に遠目で見た。暴走しがちなインテリ系お父さんと興奮しがちな掛け算が得意系お母さん。世界なんて知るか!意地でも娘を連れて帰る!な、つもりだったけど支え合うように抱き締め合う娘を扉の隙間から見て娘は守られるだけの弱い存在じゃないと成長を知った。ヤケクソ!なんかもう暴れたくなったので暴れた。スーパーへっぴり腰。
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敢えて詳細をぼかした書き方すると読者の想像力がくすぐられて脳内で補完されるって大社仮面が言ってた。