乃木さんちの青葉くんはこんな感じである 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
「起きてください青葉ちゃん、目覚ましが鳴ってますよ」
早朝の鍛練をこなすために早い時間にセットされた目覚まし時計のアラーム、そのけたたましい電子音に毎夜繰り返す悪夢から意識を引き揚げられながら耳にしたのは幼馴染の穏やかな声、肩を揺らされているのかふらふらと揺れる身体とぼんやりとした意識がぬくい布団に相まって雲に包まれているかのようだ。
「……ん、おはよ」
「おはようございます」
良い睡眠がとれていないせいなのかスッキリとしない目覚めにぼんやりとしつつ、布団から上半身を起こして反射的に傍にいるであろう幼馴染と朝の挨拶。そして直後に日が登ったばかりと言えるこの時間帯に幼馴染が僕の部屋に居ることに対し僅かな違和感を覚える。何か急ぎの用事があるのだろうか。
「朝早いね、何かあったの?」
「モーニングコールならぬモーニングお邪魔しますです。思い付いたのでやってみました」
「は~、そういうのあるんだね」
率直に訊ねてみれば茶目っ気な笑顔で言ってのける幼馴染に違和感を解消させる納得の念、いつもの世話焼きの延長みたいなものなのだろう。とりわけ気にするような事でも無さそうなのなので無敵感を覚える布団の温もりを名残惜しく感じつつも身支度のために立ち上がって洗面所へと向かい、その途中で部屋の片隅に幼馴染が姉や僕の鍛練を見学するときに飲み物やタオルを持ち歩くのに使う手提げ鞄が置かれているのを見つけた。モーニングお邪魔しますとやらは早朝の鍛練を見学するついでのつもりでやってみたのかもしれない。
「やぁ」
洗面所の鏡に映り込んだいつもの黒いヒトガタになんとなく小声で軽い挨拶、相変わらず無反応なこいつに特段思う事など無いまま顔を洗う。ちょっとだけ着いてた目やには落とせても浮かび上がってる目元の隈は落とせなかった。
鍛練の前に軽く胃袋に何か入れて置こうと冷蔵庫に備蓄してあるはずのゼリー飲料を取るために顔の水滴をタオルで拭き取りつつ狭い台所へ、なにやら幼馴染がタオルを持ちながら何かをしているのを尻目に冷蔵庫を開閉する。
「ひなちゃん、なにしてるの?」
「ちょっといいことですよ」
「ん~?」
タオルを使ういいこととはなんなのか気になるが先ずは身支度を優先しようと一息にゼリー飲料を10秒チャージ、台所からさっさと離れて寝間着を脱ぎ捨てタンスにしまってあるジャージに手早く着替える。
「青葉ちゃんったらまたそこら辺に脱ぎ捨てて、脱いだら脱ぎっぱなしはだらしないですよ」
タオルを使ったちょっといいことは済んだのかいつの間にやら背後にいた幼馴染のお小言。
「洗濯物は洗濯かごにまとめておきましょうね」
「後でやるよ」
「今すぐです」
穏やかながらも有無を言わせぬ圧力を放つ幼馴染に屈し、脱ぎ捨てた寝間着を洗濯物へと放り込む。これで良いのかとそのまま幼馴染へ向き直ると幼馴染が綺麗な姿勢で正座していた。
「青葉ちゃん、ちょっとこちらへ」
「ん」
お説教だろうか、今朝は沸点が低いのかなと思いつつも向かい合うように正座。すると、顔を向かい合わせた幼馴染が大人びた微笑みを僕に見せながら自身の膝をとんと軽く叩く。
「頭、乗せて下さい」
「ん」
お説教では無いのかと、幼馴染の意図が微妙に読めぬままに、たまの機会に姉がして貰っている耳かきなのだろうかと予測して横向きの姿勢で頭を幼馴染の膝へ。側頭部が柔らかくて暖かい、なんだか照れくさい。
「仰向けになって下さい」
ぽふりと僕の頭に手を乗せたそう言った幼馴染にお説教でも耳かきでも無いのならなんなのかと、いよいよ意図が完全に読めなくなりながらも促されるままに仰向け。見上げた幼馴染、幼い頃とは違うとても膨らんだ胸部の向こうに僕を穏やかに見下ろす幼馴染の微笑み。視線で何が目的なのかと問うた直後に何か熱と湿り気を帯びた物で覆われる視界。
「なにごと?」
後頭部の柔らかい温かさと顔の上半分を包む肌に浸透する心地好い熱に挟まれながらも状況が解らずに問い掛ける。
「蒸しタオルです、こうやって目の周りをじんわり温めると隈を消せるらしいんです」
「これがさっき言ってたちょっといいこと?」
「はい」
会話の途中に両の頬を挟むように当てられ華奢な手のひら、視界を塞がれていても感触で幼馴染のものだと簡単にわかるそれがゆっくりと耳の周りから首筋を経由して鎖骨までをゆっくりと往復して揉みほぐす。
「この辺りをマッサージするのも隈に効くらしいんです、疲労にも少しだけ効果があると聞きました」
「そうなんだ」
温かくて柔らかいものに包まれる頭部、繊細なうごきで頬を撫でる幼馴染の華奢な指、視界の無い音と匂いだけの世界に満ちる幼馴染の存在、気付けば全身から一切の力が抜けてリラックスしたまま全てを任せていた。
「最近の青葉ちゃんは少しだけお疲れみたいでしたから、頑張り過ぎては身体をこわしてしまいますよ」
「ん」
最近になってまたも消えなくなっていた目元の隈、それが幼馴染を心配させる原因になっていたのだろうか。先程は思い付きでモーニングお邪魔しますをやってみたなんて言っていたが、この蒸しタオルやらマッサージやらの手際の良さに前々から色々と調べてから実行に移したのであろうと得心する。
また、僕は幼馴染に心配を掛けさせてしまったか。
「ひなちゃん」
「なんですか?」
「ありがとう」
余計な言葉を使う必要は無い、これだけで世話を焼いてくれる幼馴染への感謝も心配を掛けさせて申し訳ない気持ちも伝わる。
「いいんですよ、私がやりたくてお世話を焼いてるんですから」
「そっか」
「傍にいる時はこうやってお世話を焼かせて欲しいくらいなんです」
「そっかぁ」
穏やかで緩やかな声色、声の高さも抑揚も全然似てないはずなのに何故か何年も会っていない母を思い出す。肌を揉みほぐされる度に、心のどこかから力みが抜けて呼吸が深く遅くなっていく。
「青葉ちゃんにも、若葉ちゃんにも、傍にいれる間はこうする事が私の幸せなんです。」
「僕も、若姉さんと、ひなちゃんと、皆が笑ってくれるなら幸せだよ」
先程起床したばかりなのに、何故なのか目蓋が重くなっていく。夢と現実の境目があやふやになりながらもただ胸の底で思った事だけが緩慢な言葉になって喉を通り口から出ていく。
「やっぱり、疲れてるんですね。今朝の鍛練は、ちょっとだけお休みしましょう」
「ん~~……」
普段ならば例え姉や幼馴染に鍛練を禁じられたとしてもやる気が萎えることなど無いはずなのに、この温かくて柔らかな時間が終わるのが名残惜しく、どうにも迷ってしまう。
鍛練を途絶えさせるは停滞に非ず、後退なのだ。未熟な僕が後ろに下がってる暇なんて無いと理解しているのに、この一時にとどまりたいと思うのは僕の精神が軟弱だからか。
「大丈夫、毎日頑張る青葉ちゃんなら少し休んでもきっと、強くて頼れる青葉ちゃんですよ。でも、こんなに、頑張り過ぎて……白髪まで……」
僕の頬を揉みほぐしていた手が止まり、直後に頭部を撫でられる感触、言葉後が少しだけ震えた幼馴染。
そうか、少しだけ休まないと、また心配させてしまうのか。
「ん、それならちょっとだけ……やすもうかな」
「はい、そうしてください」
頑張り過ぎなくてもいい毎日が、きっとくるはず。
途絶える意識の中、そんな祈るような呟きを耳にした気がした。
繰り返す悪夢、休むと決めたからには徹底的に無視して夢の中でも瞳を閉じて耳を塞ぎ続けた。
─────
最近、ふとした時になんとなく程度の違和感を覚えるようになった気がする。本当に微かな、それこそ気のせいだと捨て置いてしまえばそれまで程度の何かに影響を及ぼしそうにも無いような違和感だ。
例えば今朝の幼馴染が僕を気遣ってくれた時の会話にも説明できない違和感を感じていた、幼馴染の様子にも行動も、どう考えてもなんらおかしい所の無いいつも通りの優しさに僕は何の違和感を覚えていたのだろうか。
「では黒板の問いを……土居さん、前に出で解いてみなさい」
丸亀城のいつもの教室、友奈が両手の骨折で入院しているためにちょっとだけいつも通りではない顔触れの中に鷲尾先生の真面目な声が通る。しかし、名指しされて球子が返事を返す事はなく、席を立って黒板に歩み寄る事もしない。
「タマっち?」
「タマっち先輩?」
無反応な球子を訝しんだのか片眉だけが一度ピクリと動いた鷲尾先生を視界の端に捉えつつ、球子へと向き直って声を掛けてみると同じように球子に声を掛けた杏と言葉が重なる。しかし、それでも無反応な球子にもしかして居眠りしているのだろうかと少しだけ身体を寄せて顔を覗き込んでみたがたしかに目蓋は開いているのでそうでは無さそうだ。
「ん~? タマっち~?」
「お、なんだ? 授業中だぞ」
まるで手元の教科書に視線で穴を開けようとしているかのごとく不動の球子、そんなにも熱心に教科書を睨み付けても問題の難しさは変わらないと思う。このままでは授業が進まないので顔の前に手を伸ばしてヒラヒラと動かすとハッとした様子を見せてから反応を返してきた。
「はっはぁ、タマっちがぼんやりっちでブーメランっちだね」
「あん?」
「鷲尾先生に黒板の問いを解きなさいって指名されてるよ、タマっち先輩」
「げ、マジか」
どうやら熱心に教科書読んでいた訳では無くただ思考を停止させてぼんやりとしていらしい。わたわたと教科書と黒板の問いの間に視線を往復させる球子。そんな様子を見た鷲尾先生が自らの顎を指で撫でて考える素振りを一瞬だけ見せてから口を開く。
「どうやら土居さんは調子がよろしくないようだ、乃木くん、代わりにこの問を解いてみなさい」
「おっふ、油断してたなぁ」
まさかの流れ矢な指名にたじろぐ。黒板に書かれた記号混じりの数式から放たれる威圧感に勝機を見出だすことが出来ず、黒板の前まで出ずに「解りません」の即答をしてしまいそうになる。
「この状況、不意打ちにて危機に陥った友人を救うシチュエーションに似てると思わないかね?」
「なんと……!」
いたって真面目な表情を装いながらも目元に少年の笑みが隠しきれてない鷲尾先生、こんな事を言われてしまえばなにがなんでもこの数式を解いてみせたくなってしまう。
「うわー、ぼんやりしてたらやべー数式で不意打ちされた。あおば、たすけてくれー」
棒読みで助けを求めながら視線で『このノリに乗れ』と訴えかけてくる球子。これは乗らねばならない。
「ならばこの乃木青葉、身命を賭してこの難問をとかねばならぬ」
「わぁ、青葉くんが無駄にキリッてしてる」
「普段からこれだけ勉強にやる気を出せないものか」
机の上にノートを二冊並べて中学二年の勉強をしつつ鷲尾先生が黒板に板書した中学三年の授業内容もノートに書き写して一年先の予習をするという離れ業をしている杏がフワフワと笑い、姉が小さく溜め息を吐きながら半ば諦めの感じ取れる呟きをこぼす。
「ふはははは、この数式が解けなくば……なんか色々あってこの香川が渦潮に沈むのだ」
「おっとぉ、数学がなんか壮大な感じになったぞ」
少年のごとく瞳を輝かせる鷲尾先生が更にノリに乗り、球子がニヤリと笑いつつ忙しなくシャーペンを動かして自身のノートにカリカリと文字を連ねる、きっとぼんやりとしてしまっていた間に書き損ねていた部分の板書を急いで書き写しているのだろう。
「改めて見るととんでもない威圧感」
いざやる気を出して黒板の前に立ち、チョークを握って数式に相対してみたがやはりやる気があるだけでは難易度が下がる訳でも無く長考しながら少しずつ黒板に数式の続きを記していく。
「先生、質問いいですか?」
「勿論、乃木君が解いている間にその質問に答えよう」
背中にクラスメイト達の視線を感じつつも黒板でチョークを削っていると背後から声、高校生の勉強をしている千景が自力では少し難しい箇所に遭遇したようで鷲尾先生に助力を求めたようだ。
「ん~~……先生、僕も質問いいですか?」
「乃木くんはまず間違ってもいいから最後まで解いてみなさい」
「……はい」
難易度の高い数式に手心を求めて口を開いたが、欠片の考える間もなく即答で却下された。鷲尾先生はどうあっても香川を渦潮に沈めたいらしい。
「多分、これで解けてる……気がする」
「うむ、それではうっかり間違えてしまいそうな箇所全てを間違えた乃木くんの答案を元にこの問いを解説しよう」
どうにか解いたと思えばちょっと意地悪な苦笑の鷲尾少年のそんな声、教室全体に弛んだ空気が蔓延する。
「おい青葉、香川が渦潮に沈んだぞ」
がっくりと肩を落としながら自分の席に戻る僕に球子がニヤニヤとからかう笑みを浮かべていた。
実に無念である。
─────
やはり、違和感を感じる事が増えている。
午前の数学の授業を思い返し、球子が授業から意識を逸らしてぼんやりとしていた事になんとなく引っ掛かりを覚えたのだ。たしかに球子は今までにも授業中に集中を途切らせてずっと窓の外によそ見していたり、指の上でひたすらにペンをくるくると回していたりとする事があった。しかし、先程のような声を掛けられても気付かない程にぼんやりとする事なんてあっただろうか、まるで意識を何処かに落としてきてしまったかのようなあの姿がどうにも球子にそぐわないような気がするのだ。
『杏ちゃん、肩に糸屑ついてるよ』
『ひゃうっ! ……んもぅ、驚かせないでよ』
連鎖的に午後の格闘術の授業のために道場へと移動した時に感じた違和感も思い出す。
授業のための着替えを皆と同じ場所でする訳にもいかないので一旦皆とは別れて着替えた後、道場にて皆と合流した時に杏の肩に糸屑がくっついていたのに気付いて後ろから声を掛けながら取り払ったのだが過剰に驚かれた気がするのだ。
『声を掛けられながらでも視界の外から突然触れられたら驚くだろう』
『声を掛けてから一旦間を置いてみるべきだったかもしれませんね』
『糸屑見付けて即手を伸ばすんじゃなくて声も掛けた辺りは評価してやる。だけどやっぱり微妙な部分で鈍いんだよな』
このように姉と幼馴染に軽く諌められ、球子にも呆れられたのは僕自身も些か短慮だったと納得できる。だが、それでもやはり最近の杏の驚きようや怖がりようが過剰に思えるのだ。
この件以外にも実は杏が何かに驚いたり怯んだりする事がここ最近増えていて、よくよく杏の仕草を見ると些細な事に対して微かに肩を震わせたり手を強く握ったり瞬きが増えたりと緊張や驚きを感じているであろう事がかなりの頻度で見てとれる。杏は気弱な所のある女の子だがこんなにもビビり気質だっただろうか。
『いつも触ってばかりのタマっち先輩は触られる側の恥ずかしさを一度じっくり知るべきだと思います』
『ぬあぁぁぁっ、あんずが乱心したぁ!』
二人とも何か調子が悪いのかなと思って少し様子を見ていたが、組技の練習にかこつけて元気に刺激の強いじゃれあいを繰り広げていたのを見たので体調が悪いという訳ではない気がする。
『ひゃっひゃっひゃっ、このムッツリめ。なんで二人をガン見してなんで目を逸らしたんだ?』
二人のじゃれあいから目を逸らした先で畜生の鳴き声みたいな笑い方をしていた格闘術の先生は渦潮に沈めばいいと思う。いや、沈め。
そして、放課後になった今。入院している友奈のお見舞いに千景と一緒に来ているのだがやはり違和感を覚えてしまう。
「高嶋様、いいかげん隙あらば重りを巻き付けて散歩に行こうとするのを辞めていただきたいのですが」
「……どうしても駄目ですか?」
「そもそも手を固定してるはずなのにどうやって足首にその重りを巻いたんですか。まさか、患部に負担を掛けるような事はしていないですよね」
「えっと、友達に器用な人がいるのでお手本にしたら足の指でも頑張ったらできちゃいました」
友奈の病室をノックしようとした寸前に扉越しに聞こえてきた看護士らしき女性とちょっと懇願するような雰囲気の声色な友奈の会話。一度千景と顔を見合わせてから扉を軽くノックして入室、白いベッドに腰掛けつつ足首に不恰好ながらもウェイトを巻きつけていた友奈が真顔ながらも怒気を滾らせている看護士さんと相対していた。
「やぁ、来たよ。無茶してるらしいね、そういうの治りが遅くなるからよくないよ」
「怪我をしてるんだから……ちゃんと休んでいた方がいいわ」
「あっ、二人とも来てくれたんだ」
僕達を見るなりにっこりと嬉しそうに笑う友奈。今この瞬間まで看護士さんに苦言を呈されていたのに堂々たる笑顔だと思う。
──友奈は、こんな感じのマイペースだっただろうか?
たしかに友奈は元々感覚的に物事を考えて行動する気質ではあったが、それでも周囲や状況に合わせて行動している事が殆んどだったように思える。今のように自分のしたい事を優先して周りの人を困らせるなんて事は知る限り今までにほぼ無かったはずだ。
「あっ、この男の子が参考にした器用な友達です」
「ん?」
友奈が病院の隅に畳まれていたパイプ椅子を広げていた僕に指差し……いや、包帯で固定された手を向けてそう言い放つと看護士さんの視線がそれ釣られて僕に向けられる。すると、看護士さんが僕の顔を見るなり目を一瞬だけ大きく開いてから再び真顔に表情を戻した。
「高嶋様、この方は背中の肉が裂けてちょっと肩の骨が見える怪我をしても動くのを辞めない看護士の敵です。参考にしてはいけない駄目な人です」
「なんと!」
ひどい言われように思わず驚きの声が出てしまう。そして、今この瞬間に思い出したのだがこの看護士さんは僕が刃物男に背中を斬られて入院した際、空いてる時間に柔軟体操やらをして傷口を開かせてしまっては鬼の形相で叱りにきた看護士さんだ。表情が鬼ではなく真顔だったのですぐに気が付かなかった。
「で、ても……継続は力って言いますし、ちょっと散歩ついでに足腰が鈍らないように……」
「言い訳までコレを参考にしないで下さい! お身体を労れないなら先生に言い付けて散歩も禁止にしてもらいます!」
強い語気で言い付けるなり友奈の足に不恰好に巻かれていたウェイトを手早く取り外して没収する看護士さん。さりげなく僕は"コレ"扱いされてしまったのか。
「今日一日病室で大人しくしてなかったら本当にベッドに縛り付けて完治するまで病室に監禁しますからね!」
「……はーい」
もはや怒気を隠さずやや鬼の形相寄りの真顔で退室していく看護士さん、強い。友奈のややしょげてしまった返事が虚しく病室に響いた。
「あの看護士さんから意地でも友奈ちゃんに完治して貰おうって鋼の意思を感じるよ」
四国の未来を背負う戦いにて負傷した勇者への、医療関係者なりの最大限の応援なのかもしれないとふと思う。
「青葉くんの時もあんな感じだったの?」
やや不服そうにもやはりしょげているようにも見える友奈の問い掛け、ウェイトを没収されて軽くなった足をベッドの淵からぶら下げて交互に前後に揺らしている姿から不服の感情の方が強いのかもしれない。
「ん、色々あって最終的には朝から晩まで監視されたよ」
それこそ本当にベッドに縛り付けられそうになったのだが、それは患部によろしくないということでそういう事になったのだ。
「えー」
「それに至るまであの看護士さんに叱られても鍛練を辞めなかったのね」
心底困惑している様子が見てとれる千景がお見舞いの品として持参したリンゴを取り出し、ゆっくりとだが丁寧に皮を剥き始める。
「うーん、休まなきゃダメなのはわかってるんだけどやっぱり鍛練したいなぁ。こうしている間にもまたバーテックスが強くなってるかもしれないのに……」
「友奈ちゃん、もしかして焦ってる?」
「うん、言われてみればそうかもしれない」
もしやと思って問い掛けた僕に答えつつ自身でも納得したように頷く友奈。
「それならやっぱり大人しくしてはやく怪我を治さなきゃ。僕も入院してるときに色々やったけど、完治してから本格的に鍛練した方が身になる鍛練ができたって実感があったよ」
「そうなんだぁ、やっぱりそういうものなのかな」
「ん、そんな気がするよ」
「そっかぁ」
納得したように頷きつつもベッドの淵からぶら下げた足をぶらぶらと動かして落ち着かなさげな友奈、頭ではわかっても心で感じる焦燥感はなかなか消えないのだろう。
「はい、剥けたわ……乃木くんも、良かったら」
雑談が一区切りしたところで丁度剥き終わったリンゴ、櫛形に切り分けられて皿に並べられたリンゴはやはり丁寧に皮を剥いたためにかすかにも赤い皮が残っていない。
「ありがとう、ぐんちゃん!」
「ん、いただきます」
一切れ口に放り込んで咀嚼すれば心地好いシャキシャキな歯応えと共に雑味のないリンゴの果汁が口内に拡がった。
「手に負担の無いトレーニング、何か無いかな?」
ぽつりと呟く友奈、やはり理解と納得は別か。だがその気持ちは僕もよく解る、解ってしまう。
「寝たまま手を動かさなければ負担が掛かってない事になるのかな?」
「青葉くん、なにか良いトレーニングに心当たりあるの」
「えぇ……大丈夫なの?」
どうにか友奈の焦燥感を解消させてあげる事ができないかと考えて、気休めかもしれないがなんとか鬼の看護士さんに見逃して貰えそうなトレーニングに思い至る。
隣に座る千景が不安そうに僕と友奈を見て小首を傾げる。
「動かない事が逆に負荷になって鍛えられるってやつなんどけど、例えば仰向けになったまま足をちょっと上げてずっと停止してみたり──」
「余計な真似はお止めなさい。私達医療関係者を完全に怒らせたいのですか?」
「──ヒェッ」
わくわくとした顔の友奈にどんなトレーニングかと説明をし始めた瞬間に僅かに開かれていた病室の扉から粘りつくような鬼の声、あまりの恐ろしさに喉の奥が収縮して意図しない音が喉を鳴らす。
いつからそこにいたのか、もしかして退室した直後から監視されていたのか。病院というわりと安全な施設内で油断していたかもしれないとは言え気配が全くわからなかった。
「……わたし、ぜったい退院するまでおとなしくします」
「そうして下さい」
わかりやすく怖じ気づいた様子を見せる友奈の誓いの言葉の後にコツコツと音を鳴らして扉の向こうから離れて行く足音、まさに恐怖体験だ。
その後、千景が剥いてくれたリンゴを食べて落ち着いてからまた他愛無い雑談をしながら面会時間を穏やかに過ごした。
─────
やはり、違和感。
千景と共に友奈のお見舞いに行った帰り道、西日の射す街道を共に歩く千景の様子に不自然さを感じ取れる。いや、最近はずっと授業中でも、鍛練の最中でも、更には食事中でもありとあらゆる場面でこの不自然さを感じていたように思える。
その不自然さを病院への往路では強く感じていたのだが、今この復路によって確信に変わった。
「ねぇ、千景ちゃん」
「……なに」
まるで顔を隠すように、いや、きっと隠すために帽子を目深に被り、僕の半歩後ろを控えめな歩幅で歩きつつ僕の右袖を指で摘まんでいた千景に振り返りつつ声を掛ける。帽子のツバで空が隠れた視界の中、少しだけ俯いて歩いていた千景が顔を上げて帽子の影から瞳を覗かせた。
「なにか、怖いの?」
「……え」
何かから隠れるように顔を隠し、何かにすがるように堅く指で摘まんだ袖、千景のその姿が僕にはまるで何かに怯える小さな子供にしか見えなかった。ずっと同じ教室で過ごしてきて千景が一つ歳上だと半ば忘れがちではあるが、それでも今のように千景に対して『まるで幼子だ』という感想を抱くことはこれまでに無かった。僕から見たら千景はいつも静かに笑う大人びた印象を持っていたからだ。
「……なんで?」
言葉短く問いに問いで返される、この言葉の短さは余裕の無さの現れなのだろうか。
「出会ってから今までずっと千景ちゃんを見てきたんだ、なんか様子が違うってくらいはわかるさ」
「……そう……」
問いに答えればやや間を置いてからのたった二文字、最初の僕の問に対しての答えが帰らないままゆっくりと丸亀城への帰路を二人で歩く。僕の感じた違和感の正体、千景のナニかは僕には話せないモノなのだろうか。
「……っ!」
無言が続く中、歩きスマホをしている学生とすれ違った時にほんの一瞬だけ千景が緊張したのを感じた。
「千景ちゃん?」
僕から見るに、今すれ違った学生になんら変哲な所は見受けられなかった、いったい何が千景を緊張させたのか。
歩きながらも再度振り返り、俯いたままの千景へと視線を合わせる。
「……なんでもないから」
絶対に嘘だ。
なんでもないならば何故僕の袖を掴んだ指にそんなにも力が入っているのか。握り返したいが、不意の事態に備えてそれはできない。
「そっか」
納得したフリ。ここまであからさまに態度に現れているのに自覚してないはずが無い、それでも何でもないと言い張るのはきっと僕には話せない内容だからなのかもしれない。
「なんでもないならもう聞かないよ」
「そう……なんでもないから大丈──」
「聞かないけど、して欲しいことがあるならなんでも言ってよ」
静かに口を開く千景の言葉に、何を知らせないままでも良いから力になりたい僕の言葉が被さる。
そしてまた、ゆっくりと歩きながらの静寂。
「……そのまま……」
「ん」
西日が少しだけ朱色を帯びてきた頃にぽつりと落とされた千景の声。
「知らないままで……いて欲しい」
「……そっかぁ」
話したくないのか話せないのか、こう願われてしまってはもう何をどうすればいいのかわからない。
指で摘ままれていた袖がいつの間にかがっちりと握られていた事に気付きつつも丸亀城へと向かって二人でゆっくりと歩いていく。
千景は今何か気に病んでいるのは少し震えた声からも解った。それを言葉にして相談してくれないのは僕が頼りないからなのだろうか、そうなのだとしたら自らの未熟さが悔しくて悔しくて堪らない。通り過ぎた街角のショーウィンドウ、写り込んだ黒いヒトガタが僕を嘲笑っている気がした。
どうしようもなく悔しいのに、気付けば僕の方からすがるように千景の手を掴んでいた。
まさに未熟、惰弱な甘ったれだ。心の弱さが誰かにすがる事で解決できてたまるか。
このままでは不意の事態を察知できても行動が一瞬の遅れを生みかねないと解っているのに、じんわりとあたたかい千景の華奢な手を離しがたくて指をほどく事ができない。やはり意志薄弱、脆弱で軟弱。
千景の手を握ってから三歩、それまではされるがままに引かれていた千景の手が僕の手を僕自身が握るよりも強い力で握り返してきた。それこそ、震える程の力でだ。
握り返された喜び、それが自らの弱さを恥じる気持ちを押し流してしまった僕の精神、自らを克己し続ける事のできないのもまた弱さなのだろうか。そう考えても何故か握られた手から力が湧いてくる気がした。
「ありがとう」
丸亀城が見えてきた頃、不意に手を引かれたままの千景が震えの無い声でそう言った。
「乃木くんがこうしてくれるから……私は、少しだけ前向きになれる」
「ん」
千景が何を気に病んでいるのかはわからない。
でも、僕は今この瞬間、千景の心を護れたのかもしれない。
僕の方こそ力一杯握り返してくれた千景に心を守られたのに、そんな自意識過剰を抱いてしまった。
─────
辺りが暗くなる前に門限よりも少しだけ余裕を持って寄宿舎に帰れた僕と千景、そのまま食堂へと向かえば入院している友奈以外が皆揃っていて、お見舞いにいっていた僕と千景によって友奈の様子を報告しながらの夕食となった。
完治はまだ先だろうが元気を余しているのか鍛練をしたがっている、というかこっそりウェイトトレーニングをしようとしていたと報告したら『青葉が感染してるな』と球子に言われた。
「そうか~、友奈は元気そうだったかぁ」
夕食を済ませて解散した僕達だが、なんとなくな自然な流れで僕の部屋にきて寛いでいた姉がふにゃふにゃな顔で幼馴染に耳かきされながら夕食時の報告会の話題を振り返る。
身内だけがいる時にしか見せる事の無い弛みきった顔の姉、ニコニコと笑う幼馴染、それを机にぐでりと上半身を倒してもたれ掛かりながら視界に収める僕。いつもの団欒、いつもの光景だ。
「ん、でもさ、元気そうだけど鍛練をお休みしなきゃいけないからなんか落ち着かない気持ちも強そうだったよ」
「それは……仕方あるまい。友奈も武を志す者だ、一日の休みの影響を知っているのだろう。ましてや怪我が治るまでの長期間を休まねばならないのだから」
「はい、右は終わり。次はひっくり返って左です」
促されて幼馴染の膝の上で寝返りをうって僕に後頭部を向ける姉、やはりいつも通りだ。
いつも通り故に違和感なんて無い、違和感が無い事が、違和感。
「青葉、どうした」
違和感を覚えた僕に、姉は後ろを向きながら気付いたのだろうか。主語の無い感覚的な質問が僕に向けられる。
「ん~、なんていうかさ、最近違和感を感じない?」
「違和感?」
例えばぼんやりしている球子、例えば過剰に驚く杏、例えばちょっと周りを困らせる友奈、例えば何かを気にし続けている千景、気のせいと言えばそれまでかもしれないそんな違和感。姉の不変っぷりを目にしながらそこまでを言葉にしてから気付く皆と姉の違い、穢れ。
穢れの溜まった皆が、少なからず影響を受けているのか。姉の不変は、影響を及ぼすはずの穢れが僕に移されているからだろうか。
「たしかに球子がたまにぼんやりとしているのは私も気になっていたな」
「やっぱり? わかりやすい違和感だよね」
姉も違和感にはなんとなく程度には気付いていたらしい。
「青葉とひなたは私に何か違和感を感じる事はあるか?」
克己、姉の言葉に全力で自身の動揺を飲み下す。
この話題は下手な綻びから僕が形代になっている事が露呈し、いらぬ心配を二人にさせてしまう事に繋がりかねない。乃木の男子たるもの家族を安心させるべし、いつか勢いで勝手に作った乃木の教えだが反古にするつもりは断じて無い。
「無いかなぁ、いつも若姉さんは若姉さんだからね」
「若葉ちゃんはいつだって素敵な若葉ちゃんです」
いつも通りの言動を装えたのか、自分ではわからないが特に追及される事は無かった。
「そうか、しかし皆の様子はやはり気になるな、何があるかわからないから念のために一度精密な検査をしてもらうように大社へと申請してみよう」
「ん、それが良いと思うよ」
その申請が受理されたとして、もしも本当に穢れの影響だったとして、そこから姉の穢れ云々がバレてしまう事があるのかもしれない。そうなったらどうするべきか。
「ん~」
「今度はどうした?」
「数学の宿題終わらせるの忘れてた」
そうなったら全力で知らばっくれよう、後は野となれ山となれというやつだ。
青葉くん
知らない内にちょっと白髪が生えてたけどハゲた訳じゃないから深く気にせず幼馴染のお膝で眠るボーイ。夢の中で目を閉じて耳も塞いで精神統一、現実でも夢の中でも鍛練するイカレ勢、それ休めてんの? なんか色々と違和感を感じてたムッツリスケベ。皆をよく見てたから違和感に気付いた思春期のムッツリスケベ。メンタルクソ雑魚ムッツリスケベ、女の子の手で喜ぶやベー奴。一日の終わりに"もうどうにでもな~れ"にちょっとだけ近付いた、開き直りかもしれない。
ひなたちゃん
計画的モーニングお邪魔します。なにやら頑張り過ぎて限界を越え何処かに消えてしまいそうな幼馴染に何かしてあげたかった。ちょ、綺麗な麦穂色に白髪混ざっとるやん、なぜそこまで自分を追い込んでるし。野良猫を追いかけて山で迷子になった幼かったあの日、一言『大丈夫さ』と笑って言いながら自分ともう1人の幼馴染の手を引いてくれたあの日からずっといざという時は頼れるって知っている。
タマっち
ぼんやりっち、何か考えてるのかもしれないし何も考えてないのかもしれない。意識が戻ってきた直後にエンジョイの波に乗れるよく訓練されたタマっち。揉まれた。
杏ちゃん
ビビり。ビリリじゃない、ビビり。揉む前に揉まれた、だから揉んだ。触ってさぐればわかるくらいにはあるんだね、あぁはぁ。
友奈ちゃん
鍛練したい。こうして休んでる間にもバーテックスは強くなってるかもしれないって考えると焦っちゃう。でも看護士さんがホラーなので我慢すると決めた。
千景ちゃん
なんか四六時中悩んでる、でもちょっと前向きになれたんだってさ。ちょっとだけ強引に引かれた手、ゴツゴツとして頼もしい手に自分がどんなのであっても変わらずにこうしてくれるんじゃないかって思えた。何に悩んでるのかな?
若葉さん
不変! 耳かきでふにゃふにゃ。
鷲尾先生
タマっちがぼんやりしてるのを見て疲れてるのかな?って思った。唐突に男子中学生みたいなノリをする四十台。
格闘術の先生
笑い声が畜生。渦潮に沈めと念じられた。
看護士さん
歴戦の看護士さん、(心を)殺してでも(肉体は)癒えてもらうが座右の銘。今までで一番手強かったと感じた患者は青葉くん。
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書きたい事は決まってるのにそれを表現する文章が思い付かない症候群です。