乃木さんちの青葉くんはこんな感じである 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
呼吸器に麻痺が発生したかのように息が詰まる、全身が凍てついたかのように体が強張る、直前まで平凡で平和でどこにでも幸せが転がっていそうな街の風景が見えていた視界が影と怪物の跋扈する異常でおぞましいモノに変化する。
青い空に人を食い散らかす白い化物が蠢き、僕の正面に立つ黒いヒトガタが圧倒的な存在感を放ち、傍に立つ翡翠色の瞳の女の子が僕を見て、僕の足元に見覚えのある気がする小さな左腕が転がっている。
恐ろしい、ただただひたすらに恐ろしい。恐ろしい以外なにもわからない。恐怖に蹂躙された精神が知性を停止させて目に映る全て対しての理解を妨げる、形を認識できてもそれがなんなのかと思考する機能が今の僕には存在しなかった。
痛い、塞がったはずの左腕の断面が、癒えたはずの全身の古傷が過不足無く当時の痛みを思い出して荒れ狂う。
僕は今、どうなっているのか。
「あ~、やっぱ今のタマは樹海には行けなかったか。旋刃盤ぶっ壊れてるし行けたとしたも戦えないどころか足手まといだもんな」
どこからか聞こえる球子の声。そうだ、たしか友奈の退院祝いのバーベキューをするために僕と千景と球子と友奈の四人で買い出しに出ていたはずだ。そして、丸亀城から離れて少し歩いた時にあの忌々しい警報音が皆のスマホから鳴らされたのだ。
「しっかしあれだな……見送るってのは戦うのとは別の怖さがあるんだな。これならタマはみんなと一緒に戦う方がよっぽどいいや」
軽い調子のようでいつもとは違う低い球子の声は聞こえるが、先ほどまで一緒にいた千景と友奈の声は聞こえない。傍にいるのは球子だけなのか。
──護らねば。
直感じみた決意、僕の傍にいるであろう球子をこのおぞましい世界から護らねばと精神が激しく震える。しかし、強張る体は動かず、更には護りたい対象であるはずの球子の存在を認識しきれない。
「球子」
「? ……なんだ、ヘタレな顔してると思ったら急に真顔になって珍しく呼び捨てたな」
「手、握って」
恐怖に地面が揺れているかのような感覚の中、渾身を振り絞ってゆっくりと球子が手に取りやすそうな位置をイメージして手を動かす。僕が球子を捉える事ができないのならば、球子に僕を捕らえて貰うことができないだろうかと行動に移す。
「ははーん、さてはその真顔は切羽詰まった顔か。そういやいつも戦いが終わった後に迎えに来るときはひなたと手繋いでるもんな。みんなが心配で怖いんだな?」
やはり、いつもよりは低い声色だが軽い調子のように振る舞う球子。
「ん、怖い」
「えらく素直だな、切羽詰まり過ぎてメンタル晒け出されてんのかよ」
怖い、怖くて怖くてどうしようもない。このおぞましい世界が怖い、白い化物が、黒いヒトガタが怖い。このおぞましい世界の中で近くにいるはずの球子を認識できないのが怖い。
どうか、この手を握って存在を把握させて欲しい。
「まったく、しゃーねーな」
きゅっ、と優しく手を握られる感触。鍛練を怠らない堅さをもった小さくとも心強い手に球子の存在を確信する。そうだ、この目の前にいる翡翠色の瞳をした女の子が球子だ、僕が今護るべき大切だ、このおぞましい世界に害されてはならない存在だ。
「球子」
この手を離すもんか、離せばきっと今の僕は球子を認識できない、護りたい大切を認識できないなんてあり得てはならない。
「なんだよ、このタマ様が手握ってんのにまだ不安なのかよ。そのヘタレ真顔似合わないぞ」
「護るよ、絶対」
「あ? なにヘタレてるくせにカッコつけ──のわっ!」
心強い球子の存在に少しだけ勇気を貰えたおかげか少しだけ冷静になった精神、それがこのおぞましい世界が錯覚などではなく実際に揺れ動いていると気付かせる。
異常だ、異変だ、恐怖におののいている場合では無い。もはや何が起こるかわからない、どんな危機にも対応できるようにしなければと、その一心で球子の手を引き寄せて抱き止める。この匂い、この感触、このあたたかさ、離すもんか。離してたまるか。
球子は今神具を失っている、つまりは今の球子は明るい性格で強い心の持ち主なだけの普通の女の子なのだ、振り掛かる火の粉は全て僕が払わねば球子が危ない。──護るんだ!
「おいっ! こういうのはタマじゃなくて──」
慌てたように腕の中でわたわたと動く球子を逃さないように腕の力を強めて捕らえる。直後、地面が、世界が、爆発的に上下左右に脈動し始めた。
「──のわっ! 地震か!? もしかして樹海がダメージ喰らい過ぎたのか!」
「僕を離さないで!」
球子が驚いたように叫ぶが今はそれどころではない、原因云々を推測するよりも今此処にある危機を凌ぐ事の方がよっぽど重要だからだ。
頭上から、鉄の滑る冷たい鞘滑りの音と何か硬質な物が弾ける甲高い破砕音。見上げれば、降り注ぐ鋭い刃の弾幕。
これはたぶん危ないモノだ、きっと痛い。
「ッ! ァァァアア!!」
「むぎゅっ」
怯んでる隙は無い、球子を離さないように力一杯に抱え、全身全霊をもって身体を跳躍させて降り注ぐ刃の隙間を縫って走る。躱しきれなかった刃、それを球子に当てないように背中で受けて凌ぐ。今までも何度か味わった身体に異物がのめり込む感触と痛みが僕から呼吸を整える余裕を奪う。
「カヒュ……ヒュフ……」
「ちょっ、おまっ、目が回るって、何が起きてんだよ!」
応える余裕も無い、それほどまでに状況が目まぐるしく変化している。
視界の先、キュルキュルと不気味な高音を鳴らしながら地を滑るように蛇行して僕と球子目掛けて突進してくる白い化物。おぞましさと恐ろしさに身がすくむ。
怖い、あれがとても怖い、怖いからきっと危ない。以前もあれにひどい事をされた気がする。
どうする、どうすればいい、どうすればあの化物から逃れられる。左右どちらに逃げても追いつかれそうな動きに迷いが生じる。しかし、足を止めている隙など在りはしない。
すくんだ身に喝を入れて無理矢理動かすために唇の内側を強く噛んで千切る。嫌な鉄の味が舌に乗る、熱に似た痛みが口に走る。
そうだ、たしか僕はあの化物に一度噛み千切られた、あの化物に噛まれれば痛みはこんなものの比ではないと心中で自身に叫ぶ。
この痛みを知っているのは僕だけでいい、球子にこんな痛みを知らせてなるものか、なにがなんでも、なにをしてでも、ぶじでいてもらう!
「カフッ……!」
「むぐっ」
ひとを、なめるな! 擦り切れた呼吸では叫びは音にならず、荒れた吐息だけが骨を伝って自身の耳に届く。同時に慣性と僕の腕力によって球子の顔が僕の胸に押し付けられる。
がむしゃらな前への跳躍、前進によって勢いを作る。相対的に加速する化物、それに接触する直前に上へと高く跳躍、左右が駄目ならば飛び越えて躱すと思考ではなく身体が決めていた。しかし、僕単独ならばこのまま躱せていたのだろうが、小柄とはいえ人を一人抱えていたためか怪物を飛び越えるには高さが足りなかった。
「────!!」
既にままならぬ呼吸では吐く息に音さえ鳴ることは無かった。しかし、まだ肉体の限界に到達してはいない、まだ動ける。
怪物と接触する瞬間、脚に全霊を込めて怪物の上顎を蹴りつける。足裏に感じる硬い感触、衝撃が骨と肉を伝って腰まで届く、下半身の各関節が鈍く痛む。だが、これでいい、脚が触れているなら踏ん張れる、更に跳べる。蹴り抜いた勢いのままに更に高く跳躍。
回転する視界、足の遥か下方に化物蠢く青い空、頭上を通り過ぎていく化物。
回転のまま空を頭上に地を足元に、着地と同時に化物が金属をひしゃげさせるような騒音と共に電柱に衝突する。
「ぶはっ、なんだ今の浮遊感、きもちわる……ってうおぉぉぁ! なんだこりゃあ! 車が電柱でぺっちゃんこに!」
着地の衝撃を球子に流さないように腕の力を弛めた途端、僕の胸を両手で押して顔を離す球子、直後に驚愕の叫びを上げた。
「フ……ハ……」
まだ危ない、あの化物が電柱にぶつかっただけで止まる訳が無い、離れないでと言葉にしたくとも殆んど止まっていた呼吸では言葉を放つことができなかった。
「…………ウ……」
せめてまたすぐに球子を抱えて走れるようにと球子を強く掴まえ──ようとして全身から力が抜けていく。
なぜ? 毒か? いつ? もしかして、あの降り注いだ刃に毒が? 訳もわからず鈍っていく思考、遠ざかる意識。駄目だ、ここで倒れたら護れない。
「はっ、これって血の匂いか? まさかこれお前じゃないだろうな」
力の抜けた腕からするりと抜けていく球子、それによって球子の存在が認識できなくなる、どこにいるのか把握できなくなる。
どこだ、たまこ、どこ、これではまもれない。
「ぎゃぁぁっ! 青葉っ、ちょっ、おまっ、背中が大惨事じゃねぇか!!」
どこかで驚愕の叫びをあげる球子。
ぼくのせなかはどうでもいい、きみはぶじなのか。
「おい、しっかりしろ! 今病院に連れてってやるからな!」
鈍化し続ける思考が完全に停止する直前、いつの間にか地に伏していた僕の頬に触れられた小さな手の感触に球子の存在をもう一度認識できた。
ぼくのことよりも、どうか、ぶじ、たまこ──
─────
前回の大橋付近での超大型バーテックスとの戦闘より一月、当時は四国を取り囲む神樹の結界の外での戦闘であったために発生しなかった樹海にて球子を除いた勇者の四人が集結していた。
「やはり球子は樹海に入ってこれなかったか」
樹海の植物が絡まる丸亀城の天守閣の上で若葉が誰に聞かせる訳でもなく確認するように呟く。海の方角を向いてバーテックスの姿を探していた千景がその声を耳で拾って若葉へと振り返った。
「仕方ないわ、今の土居さんに戦う力は無いもの。むしろ、好都合だわ。言葉は悪いけど……ここにいたら足手まといだから」
千景のその言葉はまるで突き放すかのような言い草ではあるが、内心では普段よりも戦力が低下していることを惜しみつつも今は非力なクラスメイトの安全を得られている事に安堵しながらの言葉だった。
「友奈、拳が癒えたばかりでコンディションはまだ万全にはほど遠いと思うが大丈夫か?」
「もっちろん! ……って言いたいけどさすがにちょっとわからないや。でもやればできるよきっと! やる気まんまんだもん!」
球子の不在を確認した次に若葉が確認したのは怪我が癒えたばかりな友奈の状態、精神的にはなんら問題は無いと言い張る友奈の前向きな表情に若葉と千景の士気に好影響を与える。
「 …… ………」
これから命懸けの戦闘に臨むにも関わらず怯みを感じさせない表情を浮かべて見せる若葉と友奈と千景の三人をよそに、強い緊張を思わせる表情の杏が幾度も深呼吸を繰り返す。その杏の姿に自分自身に暗示をかけているかのような必死な印象を若葉達三人に与えた。
「アンちゃん?」
「だ、大丈夫です。勇者システムの起動はできましたし、問題無く戦えます」
常には無い杏の様子を案じた友奈が声を掛ければ語頭を震わせながらも強く言い切った杏。しかし、弩の神具をにぎる杏のたおやかな手が震えていることに千景は気付いていた。そして、その指先が白くなるほどに力が籠っていることにも気付いていた。
(怖い時、危険を感じた時、自然と手を強く握ってしまうのは誰もが一緒なのね)
かつて高知の村で生活していた頃、無理矢理服を脱がされたり階段から突き落とされたりと酷い暴力を日常的に振るわれていた千景は自身の経験から杏が精神的に強い緊張状態にあることを過不足無く見抜く。
(こういう時はどうすればいいのかしら? このままではよくないはずだわ)
精神が緊張してると冷静な判断ができないし身体も思うように動かない事が多々あると、それもやはり経験で知っている千景。このまま戦闘を開始してしまえば知恵働きが最も得意な杏の長所を潰しかねないし、勇者達の中で運動能力が最もよろしくない杏が敵の攻撃を回避しきれずに負傷、最悪の場合は死亡する事すらあり得ると判断。
千景が戦場で最優先している『皆で生きて帰る』という目標を叶えるために、杏のこの状態はすぐにでも改善しなければならない事案なのだ。
(最初の戦闘以外は伊予島さんも普通に戦えてたはず、どうして今になってこんなに緊張……恐怖する事に?)
改善するならば原因を断たねばならないと思考する千景が思い付いたのは穢れの影響で精神バランスが崩れやすくなっているからなのではという事、そうであるならばどうすればいいのか、どのような声をかければいいのかと思考を深め始めたと同時に、友奈が気負う様子無く杏の白くなるほどに握られた手を優しく両手で包み込んみながら自信に満ちた声で話し掛けた。
「大丈夫だよアンちゃん、タマちゃんがいなくても私達がいるから」
普段は能天気な言動が目立つ友奈ではあるが、其の実周囲の人間をよく見てどんな思いを抱えているのかと注意を払っていたからこそ思考ではなく感性で杏の緊張の正体に気付いていたのだ。これから命懸けの戦闘か始まるのにいつも傍にいる杏にとっての頼れるお姉さん分である球子が不在、それこそが杏に過度な緊張を強いているのであろうと。
「みんなでみんなを守りあえば怖くないよ! きっと大丈夫!」
「! ……はい!」
杏の弱気が写る瞳を真っ直ぐに見据えながら言い切った友奈、その前向きな言葉と希望に満ちた表情、繋がれた手のぬくもりが緊張に凝り固まった杏の精神を緩やかにほぐす。
(凄い……あんなに緊張していた伊予島さんがもういつものコンディションを取り戻してる、さすが高嶋さんだわ)
自分ではこうは絶対にできない、現に様子がおかしいと気付けても行動できなかった、何故なのかという推測すら的外れだった。そのように自分と『友達』を比較し、『友達』である友奈の凄さを改めて千景は実感する。
「むっ、まだ遠いがバーテックスどもの姿が見えたな。今回は大群ではなくでたったの二匹だけのようだ」
最初の呟き以降黙してバーテックスがやってくるであろう方角を睨み続けていた若葉の声にそれ以外の三人が釣られて若葉の視線を追い掛ける。そして、その場の全員が倒すべき人類の仇敵の姿を確認した。
片方は顔の無い雄牛の頭部を連想する形状で体表に苔を纏い鐘を携えたモノ、もう片方は天秤を連想する左右上下に細長く伸びる形状で分銅を携えたモノ、まだ遥かに距離が離れているのにも関わらず詳細に形状を把握できるほどの巨体が二つ。その両方が速度を合わせて真っ直ぐに丸亀城へと向かって真っ直ぐに進行していた。
「今回は最初から完成した状態で出てきたんだね」
ほんの僅か、それこそこの場にいる若葉達三人やここにはいない青葉と球子等の深く、そして、強い繋がりを持つ人間にしか気付けない程度に声を低くした友奈の声が風に乗って消える。
これから戦うべき相手を視認した勇者たちが共通で感じ取ったのはあからさまな強敵の雰囲気と激戦の予感だった。
「あれを見て"たったの二匹"と言えるなんて……その神経が頼もしいわ」
「あぁ、存分に頼ってくれ。代わりと言ってはなんだが私も千景を頼る、頼りにしている」
皮肉と本音が半々に混ざった千景の声。しかし、千景が言葉に籠めた皮肉の一切が若葉には伝わらず、ややズレを感じさせながらも若葉の本音だけが返された。
「…………ハァ」
それそのものには意味など無い千景がただ息を吐くだけの音。しかし、そこに在った感情は照れか呆れか喜びか、千景本人にもわからなかった。
「それにしてもなんなんだろうなあの形状は、前回はとんでもない巨体でその前は蠍のような姿だったが今回は……うむ、牛? と……う~む、やじろべえ? だろうか。奴等は何を目指してあんな形状になったんだ? 杏はどう思う。」
まだ遠くで移動しているだけのバーテックスを見ながら首を傾けていた若葉が早々に自分なりの推測を切り上げ、この場に置いて最も知恵働きに長ける仲間を頼る。その姿は宿題の問題集をさっさと終わらせたいがために問題を解く前から解答集の頁を開いている双子の弟と似た雰囲気を醸し出していた。
「わかりません。ヒントが足りなさ過ぎです」
「そうか、それならば仕方あるまい」
「でも、あの牛型とやじろべえ型がそれぞれもってる鐘と分銅は注意するべきだと思います」
杏の脳裡に強く浮かんだのは今自分達へと迫ってきている二体と同規模だった蠍型が携えていた毒針だ。蠍型の特徴そのものとも言える尻尾、それの先に生えていた鋭い毒針は掠めるだけで勇者を死に至らしめると自身を七人に増やす切札を行使していた千景がその内の一人を消費して確認していた。それを思い出した杏は今迫ってきている二体もそれぞれが特徴的な攻撃方法を持っているのではないか、そうだとしたらそれはとても厄介な攻撃だろうと強く主張する。
「そうね、伊達や酔狂で鐘を頭に載せてるとは思えないし……十分に注意を払うべきだわ」
「バーテックスなりのお洒落の可能性があったりしないかな?」
「友奈さんに青葉くんとタマっち先輩のちょっとアレな部分が感染った……」
「えっ、アレなのって感染るの!?」
「なんてことだ、青葉がバイオハザードの元凶になってしまったのか」
軽口を交わし合いながらもそれぞれの緊張感が弛む様子は無い。むしろ、各々が感じ取った激戦の予感に緊張し過ぎないように適度な精神を保たせる。
「で、どう攻める」
「あれらが以前の蠍型と同じくらい強くて特殊な進化体だとすると、最初から消耗の激しい全力の切札はリスキーに過ぎると思います」
「長期戦が予想されるのね」
軽口を交わし合う前よりも更に接近してきている牛型と天秤型を睨みながら放った若葉の問い、それに軽口の最中でも思考を回し続けていた杏が淀みなく答える。
「だけど、温存し過ぎた戦力では敵の情報を探りたくても殆んどの攻撃が意味をなさない可能性もありますし、相手のスペックに無理矢理擂り潰される恐れもあります」
「蠍型も超大型もスッゴく頑丈だったもんね」
友奈がかつての戦闘で殴打の際に手に返ってきた感触を思い出しながら拳を閉じては開くと繰り返す。
「なので、穢れというリスクはありますが最初から全員で一つ目の切札を切りつつ敵の隙を探り、戦況の動き次第で柔軟な対応をすべきだと思います」
「オーケー、わかったよ」
「そうしましょう」
「決まりだな」
杏の提案に対して即答での了解。何も知らない者から見ればこの短い作戦会議は思考停止に提案を飲んだかのように見えるかもしれないが、実際は自分達の指揮官の優秀な頭脳を信頼するが故の決断の早さであり、説明された内容に欠片も引っ掛かる部分を感じなかったが故でもある。
「次に細かい動きですが──」
作戦の決定から続けざまに杏から細かな指示が全員に通達される。杏は信頼されている事を自意識過剰ではなく正しく理解していたため、説明する前から提案する作戦で決定されるだろうと、それならば実際の動きはどうするべきかと先読みの思考で練り上げていたのだ。
「私と千景の二人一組、いや、八人一組で友奈の投げ飛ばしを用いた高速接近からの戦闘か」
「切札状態の私は半不死身だから耐久性は高いけど……乃木さんは致命傷が正しく致命傷になるわ。危険を察知したら随伴する私を盾になさい」
「助かる、だが私についてこれるか?」
「なめないで」
高まる戦意によって交わされる軽口が煽るような言葉に変わるが、双方不快感を覚えることは無かった。
「二人を投げ飛ばした後はアンちゃんを護衛しつつ近付きすぎないように……ヒットアンドアウェイだね」
「はい、治ったばかりの怪我の事もありますし、破壊力の高い酒呑童子の切札が必要になってしまった場合に備えて友奈さんはなるべく温存してください」
全員が作戦とそれぞれの分担を理解している事を確認しあい、お互いの顔を見合って互いに頷き合う。
戦意高く、信頼に揺るぎ無く、思いは勝利と生還へ。
「若葉さん、戦闘開始の号令を」
「あぁ、わかった」
一度、音が鳴るほどの大きく深い呼吸。
「勇者達よ、出陣だ!」
『おーっ!』
樹海に響く強い声、人類の未来を背負う四人の戦いが始まった。
「千景、先に跳べ。私が先では速度の差で着弾が大きくずれる」
「着弾って単語に違和感を感じないのが……なんとも言えないわね。高嶋さん、お願い」
「まっかせて!」
進行を続ける二体のバーテックスに背を向け腰を落とした友奈が指を組んで発射台となり、通常の勇者服姿である千景が数歩の助走をつけつつ軽やかに友奈が組んだ両手に載り上がる。瞬間、友奈が全身に爆発的な力を巡らせる。
「いってぇ、らっしゃーい!」
膝を伸ばし、背を反らせ、振り上げられる組まれた両手。
「いってき──」
途切れさせた言葉を置き去りに射出される千景、それを見送る間も惜しいと体勢を立て直して再度腰を落とした友奈が若葉を見据える。若葉は既に切札を行使して白い羽織と長い首巻きを靡かせていた。
「若葉ちゃん!」
「友奈、行けるぞ」
名を呼び合い、互いの準備が整った事を確認すると若葉も数歩の助走をつけつつ友奈の組まれた両手によって砲弾のように射出される。その勢いは凄まじく、反動によって踏ん張っていた友奈の両足が地にめり込む程だった。
「うおおぉぉぉォォォ!」
肉体が空気の壁に押されて弾かれそうに感じるほどの速度の中、仮にそうなったとしても魂だけでも突き進んで敵を斬るであろう気迫で若葉が抜刀する。
「何事にも、報いを!」
先に跳躍してから切り札を行使していた七人の千景を追い抜いた若葉が体勢を変える事によって空気の流れに乗って軌道を修正、まず狙ったのは牛型と呼称した進化体の頭上に携えられた鐘を模した器官。あからさまに怪しい器官ではあるが真っ先に破壊してしまえば注意を払う労力を減らせるだろうと若葉は判断したのだ。
「報いを受けろ! バーテックスぅぅぅっ!」
狙い通りの軌道で中を貫く様に疾走した若葉が身を捻り生大刀を構えて叫ぶ。友奈の協力によってなされた超加速と空気の流れを掴む天性の才、最愛の半身から見て盗んだ身体操作の技術を活かすたゆまぬ鍛練の全てが高い次元で混ざり合い若葉の今に至る半生の中で最も強い斬撃が振るわれようとしていた。
今ならば、金剛石の山だろうが両断できる。そう確信する若葉の斬撃。若葉は今、斬鉄の領域すら越えていた。
鉄と鉄が叩き合う不快な騒音が樹海に響き渡る。
若葉の斬撃は届かなかった、振るわれる事すら無かった。 響き渡った音の正体は刃が鐘を落とす音ではなく、斬撃の直前に牛型が頭上に携えていた鐘を打ち鳴らしたのだ。
「……ぅ……ぁ……」
物理的な衝撃を伴う音響の爆発に至近距離でさらされた若葉の意識が瞬間的に刈り取られる。身体は脱力し、構えば解かれ、超速で宙を移動するままに牛型の鐘とすれ違い重力に引かれた若葉が落下していく。
「若葉ちゃーーーーん!!」
「…………そんな」
勇者最大戦力である若葉の墜落。その光景を目の当たりにしてしまっている友奈の悲痛な叫びが樹海の空気を震わせ、恐怖と緊張を乗り越えた杏の心が再び負の感情に蝕まれて戦う為の装束が霞んで消えた。
青葉くん
色々あってご覧の有り様。なんかよくわかんないけど君を護る、半発狂状態でもブレない。こいつ怪我ばっかりしてんな。意識が落ちた、酸欠のまま激しい運動してたもんね。
タマっち
見送るって、待つって辛いんだな。タマっちは一つ学んだ。なにやらドラマチックなセリフを囁かれて抱き締められた、お前なにやってんの?やる相手間違えてない?からの視界無き人間ジェットコースター。視界が開けた後は降り注いだガラス片や車が大破している交通事故、そして血濡れのダチ公。ぎゃぁぁっ!
若葉さん
あれが怪しい?ならば真っ先にぶっ壊すを実践しようた野武士。当たればたぶん斬れてた、当たればな。杏の様子がおかしいとは気付いていたけど掛けるべき言葉が思い浮かばなかった、こういう時の友奈は本当に頼もしいなって思ってる。意識が落ちて物理的にも落ちてる、双子だからってそんなところまでシンクロすんな。
杏ちゃん
鐘に注意してって言ったのに……
こころ おれた
友奈ちゃん
感覚で掛けるべき言葉を見つけた。怖いけど、怖くないよ。だってみんながいるんだもん!勇者専用発射台。落ちていくリーダーに助けの手を伸ばす事ができない距離。
千景ちゃん
『千景を頼る、頼りにしている』
『私についてこれるか?』
なめないで。生きて帰る、皆で!
───
ラスボス級の敵を倒した?ならばボスラッシュだ。
誤字報告ありがとうございます。