乃木さんちの青葉くんはこんな感じである 作:ቻンቻンቺቻቺቻ
少女、郡千景は騒がしい人間が嫌いだった。騒ぐためにイジメをしかけてくるからだ。
少女、郡千景は賢ぶった人間が嫌いだった。自身の存在を愚かだと見下してくるからだ。
少女、郡千景は大人びた人間が嫌いだった。自身の境遇を仕方無い事だと見て見ぬふりをするからだ。
少女、郡千景は強い人間が大嫌いだった。弱い立場の千景を虐げるからだ。
少女、郡千景は無邪気な人間が嫌いだった。悪意など無くそれが正義だと疑わずにイジメに加わるからだ。
少女、郡千景は男子が嫌いだった。腕力に差のある相手からの暴力はとても痛くて辛かったからだ。時折向けられる下劣な視線が気持ち悪かったからだ。
─────
内臓を撫で回されるような不快な振動を伴う騒音に宙を突き進みながら顔を歪めた千景が目にしたのは、自らを追い越してバーテックスに一太刀浴びせようとしていたはずの若葉が脱力して落下していく姿だった。
「え? ……乃木さ……?」
唐突な事態に何が起こったのかと理解が及ばなかった千景は無意識のままに情報を得るために勇者の力で強化された視力で若葉、バーテックス、また若葉と視点を忙しく切り替える。何度見直しても変わらずに落下していく若葉、悠々と進行を続けるバーテックス達、牛型の頭上にある鐘が揺れている、若葉の瞳は力無く閉じられている。
まさか、その三文字が混乱と思考停止の狭間にある千景の脳内に何度も繰り返された。
『私が散れば後を追ってくれるか?』
『喜んで』
首筋から力が抜けるように血の気が引いた千景。不意に、かつて目の前で交わされた『友達』と仲間の姉弟間の会話を思い出したのは目に映る光景に死の気配を感じたからだろう。
停止と混乱の半々だった思考が死の気配によって強制的に加速、混乱治まらぬまま千景の脳内に思考が溢れる。
(何故乃木さんが墜ちてる今の音が原因いや原因を探ってる場合じゃないあのまま墜ちたらただじゃすまない意識は無いのに握った刀を手放してないからあるんじゃいや乃木さんなら死んでも手放さないかも死んでない死んでるはずがない乃木さんは強いでもあのまま墜ちたら死んでなくても死んじゃう死ぬのは駄目)
死ぬのは、駄目。死なせない。
貴女が死ぬのは、絶対に許さない。
切札を行使して七人に増えていた千景達の思考が混乱のまま一致、急襲による攻撃を中断。若葉の墜落を阻止するための行動に移行。七人全てが自分、それ故に言葉を交わさずとも視線を交わさずとも意思一つで自在に纏まる連携が発揮される。
(考えるのは後、まずはなにがなんでも受け止める!)
千景が千景を踏み台にして、千景が千景の手を引いて投げ飛ばして、進んだ先でまた加速するために踏み台にして、投げ飛ばして、まだ加速が足りないから自分を補充するために最後尾にいた千景達がお互いを切り捨てて消滅、最前で発生してまた踏み台になる。墜落する若葉に追い付くために何度も繰り返す加速と自害。首に刃がのめり込む冷たい感触や胸を刃先に貫かれる灼熱の感触に何度も意識を途絶えさせ、人の肉と骨を切り裂くおぞましい感触が手に染み付いて抜けなくなった頃に先頭の千景が墜落を目前に迫った若葉へと追い付いた。
「乃木さんっ!」
刹那の間に訪れる着地の瞬間に備えて千景は脱力したままの若葉の頭を胸に抱える。直後、樹海の地面に接触した二人が受け身など無く土煙を上げながら慣性のまま地を滑る。
若葉の負担を最大限減らすために抱えた若葉を胸に仰向けの姿勢で地面に接触した千景、一切の保身を考えないその姿勢により頭部を強打して意識を薄れさせていきながらも若葉を抱く腕を弛めず、背を削り肩を削り自らの一部だった破片で地面に赤い直線を描く。そして、描いた直線ごと若葉に献身を尽くした千景が消滅した。
「呼吸……ある……脈……ある……瞳孔……基準がわからないけど……ちょっと動いた、生きてる!」
千景が消滅した事により地面に一人取り残された若葉にまた別の千景が追い付き、すぐさま行われた安否の確認。授業にて行われた応急手当の練習の一環で教えられた方法を口に出して思い出しながら手を動かしていた千景が安堵したように息を吐いた。
そして、嘔吐感がこみあがってきたのを自覚して反射的に若葉から顔を離して地面にぶちまけた。
胃の内容物を吐ききっても治まらない嘔吐感、神具の大鎌を落とした指の先から腹の奥底までとめどなく痙攣し、脊髄に氷柱を刺されたかのように千景の全身に寒気を催す冷たい血が流れる。
「げほっ……うっ……ううぅ……うぇ…………」
弱りきった獣のような呻き声を絞り出した千景がいつの間にか通常の勇者装束へと戻っていた袖でツンとした酸を感じる口回りを拭い、そのまま自身の開いた両手に濁った瞳を向ける。
「感触が……無くならない…………」
自分達勇者のリーダーを助けるために無我夢中だった千景が犯した禁忌、殺人。自分自身の手で自分を殺害、この世界で唯一半不死身を実行できる千景だからこそあり得てしまったそれを殺した側と殺された側で短時間に何度も繰り返し、手に染み付いた不快で残忍でグロテスクな感触が若葉の無事を確認した安堵に弛んだ精神を蝕み始めたのだ。
「なんで……切札で死ぬのは……何度もあったのに……」
死には慣れていたはず、今までの戦いで幾度と無く死を経験した千景はそう思っていた。だが、それは半分その通りで半分勘違いだったのだ。千景が慣れていた死とは殺される事で、不意を討たれたり七人の自分の内一人を生かすためや仲間を庇うために敵から押し付けられる死という現象に慣れていただけであり、人の形をした存在に自らの武器を振るって死を押し付ける側になるのは先ほどが初めてだったのである。
幼い頃から丸亀城に移り住むまで不条理なイジメを受けていた千景は度重なる暴力によって苦痛を受ける事に多少の耐性を備えていたが、元来は大人しい気質な千景は苦痛を与える事、暴力を押し付ける事に強い忌避感を持っているのは至極当然だった。 そんな千景が自分そのものであるとはいえ人の形をしたモノに殺害というある種の究極的な暴力を押し付けたせいで心のバランスが崩れかけているのだ。
「気持ち悪い……なんで……うぇ……こんな……」
『ぐんちゃん! 大丈夫なの、返事して!』
胃の中身が無くとも続く嘔吐感に胃液を吐いてえずく千景の耳に音が割れるほどの音量で叫ぶ友奈の焦りを隠さない声がスマホを介して届く。震える手でもう一度口回りの酸を拭った千景がスマホを取り出した。
「詳しい乃木さんの状態はわからないけど生きてるわ、今は気絶してるみたいだけど……きっと大丈夫よ」
『そうだけどそうじゃない! 私はぐんちゃんも無事なのか聞いてるんだよ!』
震える声を必死に隠しながら若葉の状態を簡潔に伝えた千景だが、友奈より返された悲鳴のようにも怒号のようにも聞こえる友奈らしからぬ声に千景の身がすくむ。
『あんな、あんな風に自分をいっぱい切って……絶対つらいよそんなの! 無茶してたの、こっちから見えてたんだよ!』
「……!」
叱るような、感情を叩き付けるかのような、それでいて千景の身を案ずるぬくもりのこめられた優しい怒り。平和な日常の中では決して耳にする事はないであろう友奈のそんな声に千景は息を飲む。
『若葉ちゃんを受け止めるために仕方なかったのかもしれないけどあんな無茶……自分で自分を傷つけるなんて……やめてよ!』
必要な事だったのかもしれない、仕方無い事だったのかもしれない、それでも友達が自身を痛め付ける行動を行った事に心を痛めた友奈の懇願が千景のバランスを崩し掛けた心に染み渡る。
(あぁ、やっぱり私の『友達』は、高嶋さんはとても優しい。それに、とても聡明だわ。もしかしたら、こんなに離れているのに今の私より私の心をわかってしまっているのかも)
『ぐんちゃん、聞いてるの! 私、怒ってるんだよ!』
「心配かけてごめんなさい……私も大丈夫よ」
心配したと、泣きそうな声を張る友奈に"らしさ"を感じた千景が友奈達がいるであろう方向に振り返りながら口角を少しだけ弛ませてスマホ越しに謝罪する。振り返った先に、不遜にも堂々と進行を続けるだけのバーテックスが二体。
「戦闘の様子が確認できないけど……そっちの状況は?」
『えっとね、アンちゃんの変身が解けちゃったから……一旦隠れてる』
「えっ……?」
『アンちゃん、若葉ちゃんが落ちるのを見て自分の作戦せいだってすごく落ち込んじゃって……』
千景の状況を確認するための問い掛けに友奈がばつの悪そうに答え、一瞬だけ理解を拒みたくなるような言葉に呆けた疑問符を千景が返した。
『……ごめんなさい……ごめんなさぃ……』
困惑する千景と弱った声色の友奈の沈黙の背景に弱々しくぐずる杏の謝罪の声が入り込む。
『千景さんにも……あんな負担を……ごめんなさい……』
『あ、アンちゃんのせいじゃないよ!』
超質量による一撃必殺と防御に長けた球子の不在、機動力において並ぶ者無き勇者最大戦力である若葉の気絶、知謀に優れ射程の広い武器での援護を安定して行える杏の戦意喪失、未だに能力の殆んどが不明なままな大型バーテックスの止まらない進行、かつて無いほどに悪い戦況に陥っている事に気付いた千景は『ごめんなさい』と繰り返す杏とうろたえるような友奈の声を聞きつつ思考を巡らせる。
(圧倒的に不利ね、無傷のボスモンスターが二体に対して動ける戦闘員が二人……いえ、放置できない怪我人が一人と庇護が必要な無装備状態も一人いるから動ける人員が実質無しだわ。こんな状態で戦うなんて今までやったどんなクソゲーよりもクソゲー過ぎてクリアの道筋が見えない。現実が一番のクソゲーなんてやってらんないわ!)
心中で悪態を吐きながら苛立たし気に顔を歪める千景、スマホ越しに届く弱気を拗らせた杏と何度となく言葉を変えて元気付けようとする友奈の不毛に思えるやり取りが煩わしく感じて表情の歪み強めさせる。
(今までも理不尽で酷い事なんて数えるのも馬鹿らしい程あったし現実がクソゲーなんて今更だったわね、高知にいた頃はたくさん痛い目も恥ずかしい目にもあったし最近だってネットであの頃の画像とかばら蒔かれてるし本当に今更だわ)
苛立ちが苛立ちを呼び、千景の心中にドロドロとした負の感情が沸き出して渦を巻き始める。負の感情を呼び水に想起された記憶に千景は歯と歯を強く噛み合わせた。
千景が自身の過去がネットに晒されていると気付いたのは偶然の事だった。ゲームの情報を集めるためにネット掲示板を読みあさっていた際、たまたま見つけたページに過去の自分が服を剥ぎ取られたり暴力を受けて泣いている姿を撮られた画像を載せられているのを見付けたのだ。驚愕、羞恥、困惑、立腹、様々な感情がないまぜになった千景が目の前の情報を勘違いだったと思いたくてそのページに深く目を通して知ったのはまさしく理不尽な事だった。
以前、千景の父がテレビ番組に出演して良い父親かのように振る舞っていたのを見て気に食わなかったらしい故郷の誰かが『アイツは実はクズだ、アイツがクズなせいで娘はイジメられてた』と投稿し、証拠として一緒に投稿された千景の画像が発端だったらしい。今ではネットを利用するゴシップ好きにとって『勇者の郡千景は同級生によって下着姿にひん剥かれてた』という話になっている。
それを知ってしまった千景は世間の誰が自身の下着姿を見てるかもわからない嫌悪感と羞恥心によって丸亀城の敷地から出ることに強い拒否感を覚えるようになっていたのだ。
(なんで私がこんな目にあわなきゃいけない、私達はこんなにつらい思いをしながら人類を守ってるのに守られてる奴等は私を嘲笑う!)
千景の鬱屈した感情が頂点まで高まり、苛立ちが限界寸でのところで煮えたぎる。
『……指揮を間違えてしまって……ごめんなさい』
「ッ! うるさいっ!」
『ひっ!』
『ぐんちゃん!?』
そして、乱れに乱れた精神状態の千景にとってもはや不愉快にしか感じ取れない杏の泣き言をきっかけに感情が破裂する。
「ちょっと失敗しただけでウジウジと鬱陶しい、誰も貴女に責任を押し付けようとだなんてしてないじゃない! それなのにまるで悲劇のヒロインみたいに、癇に障るから黙ってなさい!」
『ごっ、ごめんなさ──』
「黙ってなさい!」
『落ち着いてよぐんちゃん、そんな言い方、ダメだよ』
涙声での杏の謝罪をさえぎって怒鳴る千景を宥めようとする友奈。樹海に少女達の荒れた声が響き渡る。
「謝ってれば状況を良くできると思ってるならどこかに隠れて地面に向かってでも謝ってなさい! 私は戦うわ、このまま何もしなければ世界が滅んでしまうのだから!」
『ぐんちゃん、待って! おねがいだから落ち着いて!』
『ふぇ……ぐすっ……ぅぅぅ…………』
一方的に言葉を捲し立てた千景がやけくそに切札を行使する。再び装束を変えて七人に増えた千景の内の六人が言い争いをしている間に進行を続けていたバーテックスを追って駆け出し、一人の千景が気絶したままの若葉を背負って正反対の方向へ。
(泣いて謝ったってなにもかもどうにもならない、私はずっとそうだった! 何もしてなくても酷い事をされて、やめてと泣いても誰も助けてくれなかった!)
『ぐんちゃん、無茶はやめて! 一旦集まって態勢を立て直そうよ!』
耳に入る大切な『友達』の声さえ今の千景には煩わしく思える雑音にしか聞こえなかった。それほどまでに激しい興奮状態に陥ってしまっているのは今までの蓄積されたストレスのせいなのか心を侵す穢れの影響なのか、今の千景は自身の異常に気付かないままバーテックスとの距離を詰めていく。
(誰も助けてくれないなら、自分でどうにかするしかない! もう私はイジメられるだけの"いんらんの娘"じゃないんだ! 強い"勇者の郡千景"なんだ! 『勇者は強いのよ』って生きて帰る約束をしている!)
興奮したまま支離滅裂になりかけている思考、千景の胸に思い起こされたのは優しくて強い手をした『友達』が不安に身を震わせている姿。このまま不利を覆せずに負けてしまえば約束を守れなくなってしまうと千景の胸に憤慨の思いが沸き上がる。
──笑ってよ、僕は君の笑顔が見たいんだ
(私だって貴方のぽやぽやとした笑顔が見たい! 貴方が笑ってくれるだけで、嬉しくて、嬉しくて……嬉しいから!)
不意に、千景の脳裏にかつて言われた言葉が浮かび上がって木霊する。
じわりと高揚するほのかな温もり、その正体が何かと意識する間もなく荒れ狂う戦意の灼熱に紛れて思考の届かない無意識へ。
(そのためには勝って、誰一人欠けずに生きて帰らないと! 誰か一人でも死んでしまったら優しい貴方は、友達を大切にする貴方はきっと笑えなくなってしまう。だから──)
「滅びなさい! バーテックス!!」
単身、されど複数。三と三にそれぞれ別れた千景達が二体のバーテックスを相手に鬼気迫る表情で濡れ羽色を振り乱して躍りかかった。
牛型の頭上に掲げられた鐘が打ち鳴らされる度に千景が墜落し、天秤型が分銅を振り回しながら独楽のように激しく回転し、巻き起こされた旋風に千景の身が木の葉のように巻き上げられる。
何度も保身無き突撃を繰り返し、幾度も墜落してはその身を消滅させ、その中でも辛うじてバーテックスに肉薄して刃を突き立てる事のできた千景もすぐに振り払われて振り出しに戻る。勝利のために千景は刃を突き立てたる場所を変え、接近の仕方を変え、バーテックスを観察して集めた情報と死の記憶を蓄積させる。
「あぐっ……ぅぅ……」
千景とバーテックスの戦闘の余波、特に牛型が打ち鳴らす鐘の音が戦闘が行われてる地点からそう離れていない場所に身を潜めていた友奈と杏の場所まで届き、精神の不安定によって勇者アプリが解除されて装束を解かれていた杏が耳を押さえて苦悶の声を上げる。
「アンちゃん!? そっか、勇者装束の守りが無いからこの音がツラいんだね、すぐに安全な場所まで運ぶよ!」
身を潜めていた場所から千景の無茶な突撃の様子を覗いては肝を冷やしつつ、塞ぎ込んでしまっていた杏に前向きな言葉を掛けて慰めようとしていた友奈が杏の異変に気付いて焦りのままに杏を抱えて戦場から離れるように走りだす。そして、時折戦場の方に振り返って千景の姿を遠目に確認しながら思考を回す。
(どうしよう、若葉ちゃんは気絶してるみたいだし、アンちゃんはすっかり縮こまっちゃったし、ぐんちゃんはまるで別人みたいに怒りっぱなしだし、これじゃあどうすれば良いのかわかんないよ)
頼りになるリーダーの戦線離脱から立て続けに戦況が悪化している不安に顔を歪ませるも、そのような表情を今の杏に見せては更に心を追い詰めてしまうのではとすぐに思い至った友奈が唇を引き締める。
「ここまで離れれば大丈夫かな? 降ろすよアンちゃん」
「ごめ……なさい……また足手まとい……」
樹海の植物の陰に降ろされた杏が膝を抱えて座り込んで顔を隠す、友奈が一瞬だけ確認できた杏の顔は涙に濡れてくしゃくしゃに歪んだものだった。
「足手纏いだなんて思ってないよ、困った時は助け合い。もっと助けさせてよってくらいだもん!」
元気付けようと前向きで明るい声色を意識して口を開く友奈だが、塞ぎ込んでしまっている杏からはただ「ごめんなさい」と返ってくるだけだった。
友奈なりに励まそうと言葉を尽くすも手応えは無く、寝食を共にする友達であり背中を預けて共に戦う仲間でもある杏の沈みきってしまっている姿が感性豊かな友奈の心に暗雲のような鈍い哀しみを呼び起こす。
一際強烈に響く、鐘の不快な騒音。
杏がビクリと身を強張らせ、反射的に振り向いた友奈の瞳に脱力して地に墜ちていく三人の千景が映る。直後、墜ちた事実など無かったかのように六人の千景がバーテックス達の周囲を跳び回る。
(すごく無茶な頑張りだけどぐんちゃんも頑張ってるんだ、哀しい気持ちになっちゃったからって黙ってるだけなんてダメ! 私ももっと頑張らなきゃ!)
戦いが始まってからまだほとんど何もしていない状態の自分こそ頑張らなければと意気込む友奈だが、目の前に嘆きながら落ち込んでいる友達、背後には勢いに任せて突撃を続ける友達、保護されてるはずだが負傷して気を失ったまま何処にいるかわからない友達、それらの気掛かりが焦燥感を煽り『なにかしなければ』『でもなにをどうすれば?』と思考を空転させる。
そしてまた、強く響く不快な鐘の騒音。
まとまらない思考にのめり込んでいた友奈がハッとして意識を自分の内から外へ向けると墜ちていく四人の千景が目に映った。切札の力により千景は半不死身と化していると知ってはいるが、それでもまるで羽虫が払われるかのように墜とされていく姿を目の当たりにしている友奈の胸中の暗雲が雷を孕む雷雲へと膨れ上がる。
(ぐんちゃんを助けに行ったらアンちゃんが一人になって危ないし、このままアンちゃんの傍にいたらぐんちゃんが一人で戦い続ける事になっちゃう。二人とも助けたいのに……!)
どちらかを取ればどちらかが取れず、放ってはおけない両者どちらにも助けの手を差し伸べたくとも状況がそれを許さない。堂々巡りの思考に陥った友奈が焦燥感に苛まされながら激しい戦闘を繰り広げている千景と膝を抱えて塞ぎ込んでしまっている杏に視線を何度も往復させる。
(わからない、わからないよ。このままじゃダメなのはわかるのにそれ以上の事が全然わからないよ。私、どうすればいいの……誰か教えてよ!)
焦燥感と堂々巡りの果てに破裂しそうになる友奈の思考。往復させていた視線か杏を向いたまま動きを止めた時、雑念が混じるように『何かを考えるのは杏や千景の方が得意』と友奈の思考に浮かび上がった。
その思考のまま直感的に体が動いたのは感覚派とクラスメイト達から評される友奈だからこそだろう。友奈にとってはすがるように、杏にとっては優しく守られるように、友奈の両腕が杏を包みこんだ。
「おねがい、アンちゃん。私に助けさせて」
抱擁する体勢が故に杏の耳元に寄せられた友奈の口が紡いだ強くはない口調での言葉。
「でも、どうすればいいのかわからないから教えて欲しいの、ちょっとだけ、知恵を貸して」
「…………でも……わたし」
友奈の言葉に返そうとするも自らを追い詰める思考の中で重たい口が上手く回らず、何を伝えようとしたのか本人さえもわからないまま言葉を途切れさせる杏。
「助けたいの、だから助けて。怖くて戦えなくてもいい、アンちゃんの分も私が二人分戦ってみせるから。どうすればいいのかを教えてくれるだけでいいの、それだけの小さな勇気を貸してくれれば後は私が頑張るから」
友奈にとっては塞ぎ込んでしまっている友達に新しく負担を掛けてしまうのではと発言の後に気付く自分の弱さを隠せなかった声。たが、杏にとってはやはり友奈の優しさと強さを感じさせる心に染み込む声。
そんな声が杏の耳にだけ届いて激しい戦闘音に掻き消される。
戦闘中の千景と挫けている杏の両方を助けたいと願う友奈、対して友奈が口にした『助けたい』という漠然な言葉を戦闘の最中にいる千景に対しての言葉だと理解した杏。そんな微妙な齟齬が自責の念の中にいる杏の意識を少しだけ逸らして千景へと意識を向けさせた。
(助けるだなんて、知恵を貸すだなんて、失敗したばかりの私なんかにできないよ。また失敗したら次は友奈さんと千景さんまで大怪我しちゃうかもしれないのに……。)
胸中で後ろ向きな呟きをこぼしながらも抱擁されたまま膝に埋めていた顔を少しだけ上げ、千景とバーテックスによる千日手のような戦場に目を向ける杏。仲間達から指揮官役を任され続けていた性からか、心が挫けているはずなのに目に映る戦況を無意識に分析し始める。
(やじろべえ型の回転で起こす風は人を吹き飛ばす程の強さ、矢も吹雪もきっと巻き上げられて通用しない。牛型の鐘が鳴る度に千景さんが墜ちていくけど距離を離してる千景さんは無事、近付き過ぎなければうるさいだけ、遠距離からなら砕けるかも。離れても風で攻撃が通じなくて近付けば鐘、二体の進化体の距離関係が出現した時から殆んど変わってない、あのバーテックス達は互いの範囲攻撃で守りあってるんだ)
戦況の分析が進むにつれて自責の念から逸れていく意識、杏の優れた知性の感情に左右されないロジカルな部分が機械的に勝利のために必要なロジックを組み上げていく。
(ほんの僅かに届いてる千景さんの大鎌はほとんど効いてない、サイズ的に以前の蠍型と同じくらいの防御力があると仮定するならタマっちの全力切札か第二の精霊による切札並みの攻撃力が必要、それを風と音をくぐり抜けて当てなきゃいけない)
杏の思考がロジックを組み上げている最中にも鳴らされる鐘の騒音、五人の千景が地に墜ちていく姿を目撃するも切札を行使している千景の半不死身を理解しているが故に動揺を最小限に思考の更に深い場所へ。
「アンちゃん……?」
鐘の騒音が鳴らされる度に身を強張らせていた杏が無反応に黙している事に抱擁していた友奈が気付き、ゆっくりと身を離して杏の顔を覗き込む。友奈が目にしたのは、戦場へと向けられる涙を流して赤くなった無機質な瞳。
(やじろべえ型の風を止める方法、有る。牛型の鐘を鳴らせなくする方法、有る。穢れのリスクを無視すれば攻撃は通せるはず──だけど、足りない……)
杏の脳内で複数組上がったロジック、自身の第二の切札さえも利用して組み上げたそれらは風の問題も音の問題もそれぞれ解決することができる見込みが高いものだったのだが、それはあくまでも問題を個々に分ければの事だった。風の問題を解決しようとすれば音に、音の問題を解決しようとすれば風に妨害される。ならば両方同時に解決しようとすれば現状負傷の無い三人だけでは手数が足りないのだ。
(無理を押してやれば時間はかかるけど攻略できるかもしれない。でも、時間をかければバーテックスは絶対にこっちの作戦に対応して攻め手を変えてくる、今までの傾向からして絶対そうなる、そうなったら今度こそどうしようもなくなるかも……)
組み上げたロジックを実行して勝利するために重要な要素、速度と手数。その二つを補うためには何が必要かと思考を深めた杏の脳裏に浮かんだのは両方を高い水準で兼ね備えた若葉の姿。そして、直後にその頼りになるリーダーは自身の提案した作戦にて負傷してしまっていることを思い出す。
(むり……だって、怖いよ。さっきの作戦は自信あったのに、それでもとても強い若葉さんが負傷しちゃうような作戦だったんだもん、自分の考えた作戦が信じられないよ)
ロジカルな思考が途切れ、物理的な痛みさえ伴いそうな感情的な思考に胸を締め付けられた杏の顔がくしゃりと歪む。
「……アンちゃん……!」
杏の顔を覗き込む姿勢だった友奈がその表情の変移を目撃し、歪められた表情に心の痛みを想像して自身の顔も歪める。辛い心境であろう友達になにか前向きになれるような言葉を掛けて上げたくとも既に精一杯の語彙の引き出しを開けた後では何も言葉が見つからず、感情だけが先に走って膝を抱えたままの杏をまた抱き締めた。
鐘の騒音、千景が墜ちる。
巻き上げる豪風、千景が墜ちる。
涙に歪む杏の視界、遠くに見える戦場の千日手が繰り返されて──突如火柱が登った。
若葉さん
野武士にあるまじき戦線離脱。ぐったり。オラ、起きれよ、このまま終わったら切腹もんだぞ。
杏ちゃん
泣き言ったらキレられて泣いちゃった。なんかもう色々と怖くなっちゃった。自分で信じられぬ策をどうして献上できようか、染み付いた軍師根性。
友奈ちゃん
右往左往、ウオー!ガオー!ではない。友達が無理したり友達同士で喧嘩みたいになったり友達が落ち込んじゃって心が痛い。
千景ちゃん
ストレスがどかーん。ストレス社会が産み出した悲しきゆとりモンスター。ネットって、怖いね。
わりと本気バーテックス
牛と天秤の範囲攻撃コンビ。弱点はタマっちの女子力マダンテ、風をものともしない超質量と広い攻撃範囲がヤバい。タマっちの旋刃盤を超大型が壊したのでここぞとばかりに張り切って攻めてきた。
───
んほぉ! 1話で収まると思ったエピソードが文字数増えすぎて2話に分割されりゅぅ! ひぎぃ!
誤字報告ありがとうございます。