乃木さんちの青葉くんはこんな感じである   作:ቻンቻンቺቻቺቻ

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88:修羅の果てた先、何も残らぬ無となった

 

 静かな病室、白ばかりのその部屋にて麦穂色の二人が緩やかな時を過ごす。一人は少し寂し気な微笑み、もう一人は穏やか過ぎる寝息。勇者達の防衛は完遂し、神々の箱庭の中に限定されるが人類は滅びを回避したと報されて浮かれる世間に反し、この病室は時が緩慢に思える程に凪いだ空気だった。

 

「昨日、結界の外が炎に包まれたぞ」

 

 寂し気な微笑みの若葉が独り言のように語る。

 返事は無い。祈るように返事を期待しているが、静寂。

 

「ほんの少しだけ様子を見てきたが、とんでもない熱気だった。あれではバーテックスがいなくても人類は結界の外には出られないな」

 

 一つ、地の勢力は四国を囲む結界より外へ出ない。二つ、天の勢力は結界の内を侵さない。三つ、人は神性の力を放棄する。地に属する人々と天の神の間で結ばれたこれらの約定通りに天の勢力は攻勢を辞め、人が境界を侵せないように四国の結界外を自らの領域に染め上げた。

 

「勇者の端末もさっき返却してきた、私達勇者は遂にお役目を終えてしまったんだ」

 

 約定という命乞いに対して寛大にも人を赦した天の神々。ならば、人もそれに応えて従わねばならない。

 人は敗北し、されども生き長らえた。

 長く過酷な戦いの果て、勇者達は役目を遂げたのだ。

 

「戦いを終えて目を覚ましてから、たくさんの事があったよ。結界の外が燃えたのもそうだし、友奈の葬儀とか、勝った訳じゃ無いのに戦勝ムードに盛り上がる一般の人達相手に会見させられたり……とにかくたくさんだ」

 

 負傷から完全に復帰しない内からめまぐるしい忙しさに振り回され続けていた若葉、それでも毎日時間を作っては今のようにこの病室に訪れていた。どれだけ忙しくとも、どれだけ疲れていても、確保できた時間がどれだけ少なくとも、絶対にこの病室に訪れていた。

 

「ひなたもとても忙しいようだ。どうやら勇者達を一番近くで支えていた功績とやらはひなた本人が思ってたよりも高く評価されているらしくてな、既に大社の中ではひなたの言葉がとても重要になっているらしい……何を決めるにもひなたは意見を求められているようだ」

 

 とんでもなく忙しそうだが、本人から望んで多くの事に精を出していると若葉は知っている。それがひなたにとっての報いなのだと若葉は知っている。

 

 報い。

 

 ひなたは救われた事に報いるため、よりよい未来を創るために大社を内側から変えようと粉骨砕身の覚悟で動いているのだ。

 

 若葉が知る限りひなたは二人の人間が命を賭した働きをしたからこそ今生きている。一人はひなたの代わりに身命を捧げて天に召された巫女、本来はひなたが引き受けていた死の役目を代わりに引き受けて文字通り天へ昇った。そして、もう一人は若葉の目の前で今も眠り続ける最愛の半身。ひなたの役目を知り、それを阻止するために正気を喪失していた巫女と戦って捕縛し、対話によって正気を取り戻した。と、若葉は聞かされている。

 

『多くの人に安寧を。と、約束したんです。これを、私は救われたこの命を以て成し遂げます。あの女性のためにも、青葉ちゃんが今度こそ穏やかに過ごせるようにするためにも』

 

 他ならぬひなたがひなた自身に課した役目。無理をし過ぎないか心配だが、幼馴染で親友であってもそれを遮ってはいけないと若葉は考えていた。自分にできることがあるならば協力を惜しまないとも考えている。

 

 寂し気な微笑みのまま、若葉は語り続ける。

 

「ひなたは忙しくて顔を合わせる機会がほとんど無いし、青葉も眠ったままで顔を見れてもそれだけだ……さびしいよ」

 

 正気を失っていた巫女と争って重傷を負い球子によって病院に運ばれて一命を取りとめるも、それからずっと眠り続けている青葉。医学的にはもういつ目を醒ましてもおかしくないどころか、目を醒ましてないのがおかしい状態らしい。それでも目を醒まさないのは、医学では解らないナニかのせいだと若葉は知っている。

 

「詳しくは話せない、知る人が増えればそれだけ力を増す厄介なナニか。胡散臭い神官にそう説明されたが、誤魔化されてる気しかしないな」

 

 最愛の半身に今何が起きているのか知りたくても知ってしまえば追い討ちになる。これが誤魔化しならば腹立たしくはあるが笑い話だ。しかし、もしも本当ならば能動的に調べる事さえ悪手になりかねない、状況に青葉を人質にとられているかのような有り様に若葉は歯噛みする思いを抱え、毎日を青葉が目を醒ます事を祈り続けて過ごしている。

 

 青葉を思い、回復を祈っているのは若葉だけではない。

 

「あ……乃木さん、来てたのね」

 

 青葉を知る全ての人間が青葉の回復を祈っていた。

 

「千景か」

 

 ささやかな戸の開閉音に振り向いた若葉がやはり寂し気な微笑みで千景を迎え、手慣れた動きで病室の隅で畳まれていた見舞い客用の椅子を開いて千景を青葉の顔がよく見える位置に座らせる。

 

「乃木くんの頬、かなり塞がったわね」

 

 よく見える顔、目立つ縫合された頬。千景は総力戦の後に目を醒ましてすぐに青葉が意識不明で入院してると聞き、痛む体に鞭打って駆けつけた時に見た青葉の姿は死人のようなそれだった。血の気が無く青白い肌、包帯だらけの顔、見るだけで胸が苦しくなる有り様だったのと比べればかなり回復してくれたと千景は少しだけ安堵する。これで目も醒ましてくれれば、とも同時に思う。

 

「もう大怪我はしないって約束したのに、見事に破ってくれたものだ」

 

 鼻で溜め息を吐く若葉が思い出すのはかつて姉弟の幼馴染を半身が守り、その時の怪我を医者に処置して貰っていた時の約束。心配させておきながらよくもまぁこんなにも眠りこけてくれる。と、若葉が鼻での溜め息を深める。

 

「あぁ、そういえば約束といえば」

 

 思い出したように口を開く若葉と千景の目が合う。

 

「千景も青葉に約束を反故にされてしまってるらしいな」

 

「え?」

 

 千景の口から疑問符が出てしまったのは何を言われたのか解らなかったからではない。

 青葉との約束と聞いて千景が真っ先に思い出したのは友奈とも一緒に交わした『ずっと幸せ』の優しい願いによる約束。それと、直後に青葉が改めて小指を結んで告げられた言葉だ。

 

『幸せの約束、叶えたいんだ』

 

 たしかに総力戦の直前にこれらに関連する話題になりはしたが、この約束と言葉を若葉が知っているはずがないのだ。知っている三人の内一人は人の身では辿り着けない遠い場所に逝き、もう一人は眠ったまま、最後の一人は自分だがこれを誰かに言った事はない。

 千景は何故若葉が約束を知っているのかが解らないのが純粋に疑問だったのだ。そして、千景は上手く言語化できない照れのような羞恥の思いで頬に熱が集まるのを感じた。

 

「いやまさか、そこまで仲が進展していたとはなぁ。青葉は私に幼い頃はなんでも話していたのに最近ではちょっと秘密を抱えるようになっていたし、気付いていなかった」

 

 しみじみと言いのける若葉に千景が目の回る思いで硬直する。

 

『幸せの約束、叶えたいんだ』

 

 つい了承の返事を返してしまったが、未だに真意が解らないままの言葉を再度思い出す。絡めた小指の逞しいのにゆるやかな感触、吐息さえ感じれる至近で覗いた憂いと優しさに染まる夜闇と朝焼けが混ざる瞳が千景だけを見ていた。そして、今しがた若葉が口にした仲の進展。やはり、色んな過程をすっ飛ばしてそういう事を言われたのだろうかと、千景の心臓が挙動不審な鼓動を打つ。

 

「二人で鰹のタタキを食べにいく約束をしていたらしいな、球子が青葉を運んでくれている時に青葉がふがふがとそう言ってたのを聞いたと言っていた。それはいわゆるアレだろう、逢引きというやつなのではないのか?」

 

 そっち(鰹のタタキ)か。と、千景の頬の熱が急激に冷めた。

 そして、なんだかんだ機会が無くて叶えられてない約束をずっと憶えてくれている事が嬉しくなる。

 

「乃木さん」

 

「なんだ? あぁ、私の事は気にせず二人で行ってくると良い」

 

「貴女達、やっぱりどうしようもなく双子なのね」

 

「む? 当たり前だろう。青葉無くして私は在らず、逆もまた然りだ」

 

 胸を張り、したり顔。それを見て、小さく嘆息。そして、顔を見合わせた二人が華奢に笑む。

 

「なぁ、青葉。眠っている場合では無いのではないか? 私も千景も、今日は来てないようだがひなたも球子も杏も誰もがお前の回復を祈っている」

 

 華奢な笑みから寂し気な微笑みに戻った若葉が立ち上がり、眠り続ける青葉の髪を撫でる。失った片目を隠す医療用の眼帯とそれを結ぶ紐に触れぬよう、慎重に優しく、愛を籠めて。

 また白髪が増えてしまってるな。と、若葉はそんな言葉を表に出さず飲み込んだ。

 

「昨日来たときよりも……お見舞いの品が増えてるわね」

 

 若葉の言葉に消費される事の無い見舞いの品が山積みにされた棚を見て『とても大切な友達』はやはり色んな人に慕われているのだと再認識する千景。

 お菓子、お菓子、果物、お菓子、目で見舞いの品を数えてその多さに何故か千景は誇らしくなる。

 

「見舞いに来てくれる人が皆食べ物を持ってくるんだ、食べ物を与えとけば青葉はなんとかなるというのは共通認識らしい」

 

「えぇ……」

 

「鷲尾先生ですらお見舞いの品に出来立ての唐揚げを持ってきていたからな。食欲をそそる匂いで意識を刺激できそうで、かといって病院の迷惑にならないように匂いが強すぎない物は何かとしばらく悩んでいたそうだ」

 

「えぇぇ……」

 

 自分達の担任は教卓に立たない時はどこかズレている。と、それも改めて認識する千景。

 

「日持ちしないし、冷めても勿体無いから鷲尾先生と一緒に食べたがなかなかに美味しかった。見せびらかすように食べたら我慢できずに起きるのではと、少しだけ思っていたがそんな事はなかったな」

 

「えぇえぇぇ……」

 

 世界を救った勇者のリーダーもズレているのは今更な話だが、それでも戸惑いの声を堪える事のできなかった千景。

 

「そういえば、鷲尾先生の娘さんも昨日お見舞いに来てくれていたな。演舞の応援に来た時と同じく安芸さんと一緒たった。ちなみに、二人も青葉にお菓子を持ってきてくれていたぞ」

 

「乃木くんが食事好きだって話はどこまで拡がってるのかしら?」

 

 きっと、色んな場所で色んな人と食事を楽しみ、その度に食事に夢中な姿や食後の満足そうな姿を晒けだしていたのだろうと千景は推測する。

 

「知らぬ内に青葉は随分と懐かれていたらしい、娘さんは涙するほどに青葉を案じていた。病室にいる間はずっと青葉の手を握って何か声を掛け続けていたな」

 

「……そう」

 

 まるで祈るような姿だった。と続けて語った若葉に対してどこか空返事のようにも聞こえる反応を示す千景。

 なんとなく、ただなんとなくではあるが、ほんの少しだけ千景は胸中にモヤモヤとした何かを自覚する。

 

「あれほど愛らしい娘さんにあんなにも想われるとは、やはり青葉は隅には置けないやも知れん」

 

 空返事すら返さない千景。その様子が面白くて若葉がくつくつと笑った。

 

「? ……急に笑ってどうかしたのかしら? 気持ち悪いわよ」

 

「いや、なに、解りやすいと思っただけだ」

 

 首を傾げる若葉に対して変な物を見る目を向ける千景。解説を求めて口を開こうとするも、威勢よく戸を開いた闖入者によって間を外される。

 

「おっす! タマが来たぞ!」

 

「んもー、タマっち先輩ったら病院だろうとお構い無しに戸をうるさく開けちゃってー」

 

 何事かという思いを共通で抱いた若葉と千景の目に映ったのは手提げ袋をを携えた球子と苦笑する杏の姿。常と変わらない元気の良い球子に騒がしさを納得した二人が顔を見合せて苦笑した。

 

「今日持ってきたのは香川名物えびせんべい! はやく起きないとタマが全部食うぞ!」

 

 そう言うや否や、手提げ袋をから個包装されたえびせんべいを取り出してわざとガサガサと音を鳴らしながら開封する球子。ついでに青葉の鼻にえびせんべいを近づけて匂いを嗅がせ始める。

 

「……ええぇぇ」

 

「絵面がシュールだな」

 

 本日何度目かの困惑を憶える千景と次にひなたに会えた機会に近況報告として見せてやろうとスマホで写真を撮る若葉。

 

「起きないか……それならこうだ!」

 

 青葉の耳元にえびせんべいを寄せてわざとらしくサクサクと音を鳴らして食べ始める球子。散った食べかすが青葉の顔に飛ぼうが御構い無しで豪快に口を動かす。

 

「も~、ベッドが食べかすだらけになってるよ」

 

 やれやれと言わんばかりの顔で見守る杏、若葉と千景の二人が気にするのはそこなのかと問いた気な視線を向ける。

 

「ズゾゾゾゾゾゾ……ふぅ」

 

「さすがに下品だよタマっち先輩」

 

 トドメと言わんばかりに青葉の耳元でペットボトルのお茶を啜る球子を嗜める杏。若葉と千景の問いたげな視線は杏に向けられたままだった

 

「うーん……お菓子とお茶のコンボでも起きないか」

 

「残念だがその発想は私と鷲尾先生が既に試して失敗しているやつだ」

 

「マジかよ、思い付いくのはまだしも試すとかイカれてんな」

 

「ブーメランだよタマっち先輩」

 

「鷲尾先生まで……イカれてるカウントなのね」

 

 残念そうに呟く球子にどこか申し訳なさそうにする若葉、絶妙な間でツッコミを入れた杏と苦笑しきりの千景。いつも通りなようで、大事な何かが足りない日常の空気。

 

「しっかしこのあっぱらぱー、こんだけ騒いでも起きねえのか」

 

 青葉の無傷な側の頬を新しく取り出したえびせんべいでぺちぺちと叩く球子。叩く度に餅肌卵肌な頬がぷるんと揺れる。

 

「なんで起きないんだろうなぁ……」

 

 青葉の額にえびせんべいを何枚も重ねて積み上げながらつまらなそうに、寂しそうに呟く球子。七枚目を重ねたと同時にえびせんべいの塔が崩れてベッドに散った。

 

「何故目を醒まさないのかは解らないが、事情を知っているらしき一部の神官と巫女達が青葉の為に奔走してくれているらしい」

 

 若葉は鷲尾と一緒にお見舞いに来ていた安芸のひどく疲れているような顔を思い出す。確固たる証拠が有るわけではないが、事情を知る巫女の一人らしき安芸は休む間も惜しんで解決のために奔走しているのではと若葉は推測していた。そして、それほど忙しい状況なのにお見舞いに来てくれた事を深く感謝してもいた。

 

「事情を知る人を増やせば悪化するかもしれない、でしたっけ……あからさまにオカルトな原因を匂わされたせいで、専門家じゃない私達はなんにもできなくなっちゃいましたもんね」

 

「起きねーのもわからねーのも仕方ねぇよ、どうにかなるまでこうして待っててやるしかねぇんだ」

 

 散らばったえびせんべいを片付けながら小さく嘆息する杏、球子も雑にえびせんべいを集めて雑に見舞いの品が堆積されてる棚の上に重ねる。

 

「タマ達はたしかにたくさん鍛練して戦って、人類を守り切ったけど所詮は力のほとんどが神様達から借りた物だったんだ。バーテックスブッ飛ばせるだけのタマ達はどう逆立ちしたってなんでも助けれる万能にはなれねーんだよ」

 

 普段の球子にならば似合わないどこか達観した言葉、病室がしんみりとした空気に満ちる。

 若葉も、千景も、杏も、言葉を放った球子さえも、全員が共通して思うのはどうあってももう戻る事の無い友奈の事や、ここにはいないクラスメイトであるひなたの代わりに命を捧げた名も知らない女性。どちらも勇者という強大な力があっても助けられなかったか、助ける手段さえ思い付かず知らない間に犠牲になっていた存在だ。

 

「ただ強かろうが人類を守れようがなんもわかんねー子供のままじゃ寝坊助一人起こしてやれねんだ」

 

「タマっち先輩がなんかカッコいい事言ってる……!」

 

「さすが……神具が壊れても勢いで勇者装束を維持したカッコいい人はカッコいい事を言うわ」

 

「茶化すなよ、千景まで……」

 

 ムスッと頬を膨らませる球子。しんみりとした空気はほんの一瞬、またいつもの和やかな空気へ。

 

「だが、球子の言うことは何も間違ってない。何も解らない私達はこれからもただ何も解らないままではいられない、何をどうすればいいのかも解らないが色んな事をどうにかしていかねばならない」

 

「アバウト……ね」

 

「仕方あるまい、私達は本当に何も解らないんだ。今まで戦ってきた相手が天の神だということすら戦いが終わるまで知らなかったんだ」

 

 球子の次にムスッとしたのは若葉。青葉の負傷の経緯を聞き、関連付けて説明された天への降伏の話にて勇者達は初めて敵の正体を知っていた。

 

「おもしろくねーよな、大社はずっと知ってたのに内緒にしてたんだろ? いや、知ったところで何ができたって言われてもわからんけどよ」

 

「できる事をやる……それしかないわ」

 

 短く締め括った千景が思うのは勇者の一人に純粋な人のみの力ならば世界一とまで言われ、それに対してできる事をしていただけだと軽く言いのけてみせた『とても大切な友達』の在り方。解らないからって何もしないでいれば、何かがあっても何もできないままで終わってしまうのだろうとも千景は思う。

 

「中途半端にお菓子食っちまったし、ちょっとムカッともしたせいか小腹が減ったな。なんか食いに行こうぜ」

 

 ティッシュで青葉の顔に散った食べかすを拭って後始末しつつ提案する球子。三人がそれに頷いた。

 

「そんじゃ、タマ達は飯喰うから今日はもう帰るからな」

 

「また明日来る、ゆっくりと休め」

 

 拭ったついでに額をぺちぺちと叩く球子、続いて若葉が愛を籠めて青葉の髪を撫でる。ついでの流れで杏が先程ぷるんと揺れているのを見たせいで触りたい衝動に駆られていた青葉の餅肌卵肌の頬をぷにっとつまんだ。

 

「遅くなってもいいから……約束を叶えて欲しいわ」

 

 ぞろぞろと病室から出ていく三人から隠れるようにこっそりと青葉の力無くも逞しい手を少しだけ握る千景。

 約束。千景と青葉の間には複数の約束が交わされているが、千景の求めた物がどれなのかは千景本人にしかわからない。

 

「千景ー、さっさと行こうぜー」

 

「今行くわ」

 

 名残惜しく思うも、手を離した千景が三人を追って病室を出る。

 

 直後、機敏な動きで若葉と球子が閉まりかけの戸から病室を覗いて青葉を見る。

 

「チッ、飯食いに行くけどお前は一人で寝てろ悔しかったら起きてみろ作戦は失敗か」

 

「できる事はなんだってやる、心苦しいがハブにするような真似をしても目は醒めないか」

 

「えー」

「えぇぇ……」

 

 落胆する二人に困惑する二人、今度こそ四人は病院を後にして食事に向かう。

 

 できる事は色々やろう。できる事、何度でもお見舞いに来る、目を醒ますまで待つ、それなら解らない事ばかりの自分達にもできる。そんな思いを共通して抱く少女達。

 また時間を作って寝坊助の顔を見に来てやろう、その思いを実行して翌日も病室へと訪れる若葉。

 

 しかし、昨日までたしかに青葉が眠っていた病室はもぬけの殻だった。

 

 乃木青葉は何処にいる。

 知らない。

 乃木青葉を何処にやった。

 わからない。

 青葉を何処に隠した!

 存じません。

 

 捜せども何処にもいない青葉、病院関係者の誰に訊ねても返る言葉は知らぬ存ぜぬの一辺倒。半ば脅すようにして病院の記録を漁っても乃木青葉の文字すら見付からない。

 

 大社ならば何か知ってるかもしれない、半ば恐慌のような状態で大社に乗り込む若葉。

 

 青葉を知らないか。

 知りません。

 青葉を捜している

 それは誰ですか?

 双子の弟の行方を知らないか?

 双子? 乃木様は一人っ子では?

 

 最後に訊ねた神官が戸籍を確認しても若葉は双子の兄弟がいない事になっているとのたまい、実際に役所に連絡して戸籍謄本を持ってこさせるとそこに乃木青葉の名は記されていなかった。

 

 なんだこれは、いったい何が起きているんだ。と、愕然とする若葉。

 

 この日、乃木青葉という存在は消失した。




 
 
 
 
 
 
 
 
まさかとは思いますが、この「乃木青葉」とは、乃木様の想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、乃木様は妄想に取り憑かれていらっしゃるのでは思います。
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