それでも、変わっていくものは少しずつ増えてゆき。
君との距離も、少しずつ縮まっていく。
だからこそ。
その胸の鼓動は、いったい誰に向けたものなのか。
【9月の彼ら】
「おはよう」
「よーっ」
新学期。9月になっても相変わらずの猛暑が続く中、桜才学園の生徒たちは思い思いの表情で学び舎へ姿を見せてくる。
過ぎ去った長期休暇への未練を残し、面倒そうに登校する者。久しぶりの学園生活に心を躍らせる者。
そんな彼らに対しても、生徒会役員共は平常運転であった。校門の前へ並び、服装チェックを始めている。
「シャツは中に入れなさい!」
「すみませんっ」
男子生徒は注意に返事をしながらも、そそくさと玄関へ走っていく。
天草シノは呆れたように息をつく。休み明けで気が抜けている者が相変わらず目立っているようだ。もう夏休みなど1週間前に過ぎているのに。
隣に立つ七条アリアは、特に汗を感じている様子はない。見かけによらず精神がタフなせいか、すでに残暑と呼ばれる程度の暑さには慣れている様子だった。
津田タカトシも同じ気持ちだったらしく、周囲を見張りながらボヤく。
「相変わらずラフな格好で登校している人が目立ちますね。よっぽどフリーダムな休みを満喫していたんでしょうか」
「なっ……フリータイムなご休憩でマ○キッスだと!? お前が一番ラフな思考をしてどうする!」
「あんたが一番ラフな思考回路だよ! 耳含めて!!」
「そうだよシノちゃん。それくらい、いつでもできる準備はしておかないとやっていけないよ?」
「あんたもあんたでラフを上回るな!」
「そこ、スカートが短すぎる」
関わり合いにならないように距離を取っていた萩村スズは、黙殺したまま服装チェックを続けていた。
そんなこんなで、服装チェックの時間も終わりに近づいていく。もう少ししたら、教室へ戻るのだ。
と、そこで1つの異変が起こった。シノの視界に、何か黒いものが入ってきたのだ。
「……?」
なんだ、この黒いウネウネしたものは?
「か、会長……毛虫が、顔の前に」
スズの強張った声に、シノはようやく状況を理解する。
「う、うわああっ!」
恥も外聞もなく、悲鳴をあげて仰け反るシノ。いつの間にか、若葉が生い茂る木の枝から、真下に立っていたシノの目の前に虫が降りてきていたのだ。
すぐに逃げればいいのだろうが、彼女の足は凍りついたように動かない。驚愕のあまりに背筋を逸らしたまま、硬直してしまう。
「た、助けて……」
情けなくも震える声を出してしまうシノ。だが、アリアとスズも近寄ろうとはしない。むしろ、シノから微妙に距離を取り始めている。
「ごめんねシノちゃん。私も現代っ子だから……」
「大きさ1センチ以上の虫は守備範囲外です」
薄情者と罵りたいところだが、今は虫の存在の方が彼女にとっては気にしなければならないところだった。仕事に集中するあまり、毛虫が近づいていた事にも気づけなかったとは。
と、そこで新しく視界に入るものが出た。近くに立っている、タカトシの太い腕だ。
いつの間にか持っていたティッシュで、彼は虫を手早く包んだ。潰さない程度に握り、校門前の草むらに毛虫を放り投げる。
「もう大丈夫ですよ」
「あ……」
何でもないように言ったタカトシに、シノは口を半開きにしてしまう。目の前には、自分の右腕である、生徒会副会長。
「つ、津田……」
「会長って、虫が苦手なんですね。まだ暑い日が続きますから、注意した方がいいですよ」
「ああ、うん……」
呆けたようにコックリと頷くシノ。虫がいなくなった後も、彼女の表情は心ここにあらずといった雰囲気であった。
「会長。どうかしましたか?」
「い、いや、その……ありがとう」
辛うじて言う事ができた言葉に、タカトシは困ったように笑う。感謝されるには大げさな気がすると思ったのだろう。
「いえ。当然の事です」
「ちょっと、津田君!」
そこで、声が割り込まれる。何かと思って首を向けると、ツカツカとこちらに近寄ってくる女子生徒がいた。風紀委員長の五十嵐カエデだ。
「こんな場所で会長に何しているのよっ」
「いえ。大したことでは……」
「嘘をつきなさい。会長に迫っていたじゃないの! 不純異性交遊です!!」
顔を真っ赤にしてタカトシに指をさすカエデ。なるほど。そういう理由で怒っていたらしい。どうやら、カエデには遠目のために虫が見えていなかったのか。
「誤解ですよ。ちょっと毛虫が木から降りてきていたので、草むらに逃がしてあげていただけですから」
困ったように言う副会長。そこに、これまでのやり取りを見ていたアリアも便乗する。
「そうだよ。不純異性交遊なんて言いがかりだよ!」
「む。しかし、それを証明できますか?」
「勿論できるよ。その草むらの中にまださっきの虫がいるはずだから見つけてあげる!」
「やっぱり証明しなくていいです」
固い声で返すカエデ。何が悲しくて、手間をかけてまで毛虫などを探さなければいけないのか。彼女もシノほどではないにしろ、虫は好きではない。
「とにかく、俺たちは何もやましい事などしていません。ただ会長に触れようとしている虫を放り出した。ただそれだけの事ですよ」
「……本当ですか?」
「ええ」
真剣な目でカエデを見るタカトシ。自然と、彼女と見つめ合う形になった。
旅館でも同じような事があったなとふと思ったが、過ぎた事など気にしても仕方がないと頭を切り替える。今はただ、会長達の名誉のために。
「……」
ずっと黙っているスズは、真剣な目で事の成り行きを見守っていた。会長の尊厳がかかっているのだから、当然だが。
誰も動けない。動かない。緊張した空気が、朝の校門に流れていく。周囲に、数名の登校中の生徒が何事かと遠巻きに見ていた。
「五十嵐先輩?」
「あ、う……」
どういうわけか、口をパクパクさせたまま狼狽える風紀委員長。おおよそ、普段の彼女らしくない様子であった。
「分かってくれますね?」
「わ、分かりました。分かりましたから!」
とうとう根を上げるカエデ。耳まで真っ赤になり、タカトシに背を向ける。肩が上下しているが、風邪だろうか?
とはいえ、分かってくれたのならよかった。安堵の息をつくタカトシ。
ふと気づくと、生徒会の面々が三者三様に自分を見ている。ついでに周囲には生徒たちの野次馬。
シノは目を見開いたまま、顔を真っ赤に。
アリアは何が楽しいのか、やたらとにこやかに。
スズはなぜか呆れ顔で。
「……なんですか?」
その反応が理解できず、問いかけるタカトシ。おかしい。自分はあくまでも、会長の名誉のために真剣に事に当たったつもりだったのだが。
「さあ?」
「津田君は悪気が無いんだろうなって思うけど」
スズは惚けるように。アリアはニコニコと。
あとに残っているシノとカエデは、揃って赤面したまま硬直。
「?」
最後まで、タカトシは彼女たちの反応が分からなかった。
次の日。その光景を書いた記事が畑ランコの手によって桜才新聞に掲載されることになった。
一面記事には、でかでかと赤面しているシノに迫っているような構図のタカトシ。虫は彼の頭で見えていない。
そして生徒会の3人を背に、やはり赤面しているカエデと見つめ合っている姿の彼の写真が写っている。
タイトルは“副会長、津田タカトシ。ハーレム計画進行中か”と書かれていた。
しかも、ランコの証言として――――
“筆者が確認したところによりますと、津田副会長は天草会長を独占するために、彼女に近寄ろうとする悪い虫を放り出したなどと、強気のコメントを残しており……”
それを確認した桜才学園副会長が、怒りのオーラを身に纏いながら新聞部の活動費と予算をゼロにしようとしたことは、言うまでもない。修正記事を出しますからと新聞部に泣きつかれ、処分は見送る事になったが。
なお、その時の彼には、生徒会や教職員の誰もが逆らえなかったという。
【現代っ子の性の乱れ】
昼休みの生徒会室。タカトシはふと思い出したように言った。
「この学校って、女子の比率が高いせいか落ち着いていますよね」
「そうか?」
文庫本を読んでいたシノは首を傾げる。表紙には人妻などという題名が記されているが、どうでもいい。
「友達が行った男子校だと、ジャージおろしが流行っているって」
「ガキね。高校生にもなって」
冷やかにスズが言った。男子というモノは、いつになっても子供のままだ。
「でも、あまり他人事じゃない、かな?」
同じく読書をしていたアリアが、頬に指を当てる。文庫本には凌辱と題名が記されているが、どうでもいい。
「今年は男子の目があるからかもしれないけれど、去年はスカートめくりとか流行っていたから」
「うわ。それってたまに聞きますよね」
スズがどこか嫌そうに言う。男の目が無い場所での女性同士のコミュニケーションというのは、意外と下品なものなのだ。
「ふむ。やはり、共学化したのは正解だったかもしれんな。異性の目があるからこそ、得るものもあるということか」
「人目を意識する事で、自らの態度を直す事ができるものね。わたしも人目が無さそうなところで露出はつまらないって思うよ」
「あれ、真面目な話どこ行った?」
一瞬で話がシモに行ってしまうのは、いつもの事である。萩村は咳払いをすると、話を別に切り替えた。
「そう言えば、明日は定期考査ですね」
「夏休み中にできる限りはしたつもりだけど……実を言うと、ちょっとドキドキするかな」
「なに? これから初体験をする予定があるのか!?」
「試験だよ! 話の流れでわかれよ!!」
シノのボケに、全力で突っ込むタカトシ。
「……それで、津田。自信はあるの?」
脱力感で机に突っ伏しそうになりながら、スズは隣の席のタカトシに訊く。
「ベストは尽くすよ」
「何よ、ありきたりなセリフね。もしかして、私の背中を追うとか言っていたの、もう忘れちゃったの?」
「まさか。むしろ、夏休みに勉強している時は、その事ばかり考えていたからさ」
「そ、そう。ならいいのよ」
そんなむずかゆい事を言われてしまうと、スズとしても返答に困る。何とも複雑な顔で、彼女は隣の副会長から顔を背けた。
「津田、今の返答は誤解を生む。公の場ではやるなよ」
「あらあら」
白けた目でタカトシを見るシノと、楽しそうに笑うアリア。
「?」
やはり、タカトシには彼女たちの反応が分からなかった。
【いつもの生徒会】
日課である朝の服装チェックが終わりに近くなり、そろそろ教室に入ろうかという時。
雑談を交えながら玄関に入ると、新聞部のランコがシノたちに近寄ってきた。
「おはようございます、生徒会の皆さん」
「ああ、畑か。おはよう」
「おはようございます。朝から取材ですか、畑さん?」
シノとスズが返事をする。
「ええ。それもありますが、今回は生徒会関連の仕事です」
言われて、アリアが思い出したように手を叩く。
「そう言えば、今日はシノちゃんを取材するって言ってたよね」
ランコは首肯する。彼女は2日ほど前に、生徒会長の一日を密着取材するという企画を出していたのだ。
「そうだったな。今日は一日、よろしく頼むぞ」
「はい。会長は有名人ですので、期待しております」
いつもの棒読み声で、ランコは頭を下げた。傍で聞いていたタカトシは、そっとシノに囁く。
「大丈夫なんですか、会長?」
「馬鹿にするな。カメラの前でも、臆することなく普段通りに振舞って見せよう」
「それが不安なんですが……」
シノの普段通りといえば、いつもエロボケをする毎日である。妙な風評が流れないかと心配するのは当然だろう。
気まずい顔をするタカトシに構わず、シノはランコと細かい取材の打ち合わせを開始する。
と、タカトシの腰をポンポンと叩く者がいた。スズだ。
「大丈夫よ。少なくとも、公の場ではわきまえると思うから」
「……だといいけど」
「……」
かくいうスズも、それ以上のフォローはしなかった。
体育の時間。体育館でバスケットボールの授業を受けている姿。
ドリブルで相手を抜き、仲間にパスをする。得点が入り、友人たちとハイタッチを交わす。
試合後、他のクラスメイトの試合の応援をする。汗を拭きつつ、審判をする。
昼休みの時間。生徒会役員とメロンパンを片手に雑談。その後は、簡単な書類を役員と共に処理をする姿。
時には賛同し、時には議論に反対し。模範的な生徒会長、天草シノとしての姿。
そして、放課後。畑ランコの取材は終わった。生徒会室で頭を下げるランコ。
「本日は1日、ありがとうございました」
「いやいや。畑もよく頑張っていた。記事の掲載、期待しているぞ」
労いの言葉をかけあう2人。社交辞令なのは間違いないのだが、口調はいたって真摯だ。
「いえ。こちらとしても、いい写真が取れましたので」
「ほう。どんな写真を撮ったのだ。あまり妙な風景を掲載されると困るのだが」
「まあ、売れそうなやつを……」
「あんた影で何してた」
タカトシのツッコミを無視して、ランコは手をフラフラと振る。
「心配せずとも大丈夫ですよ。これだけ撮れれば、かなりの儲けになりますので」
「あんたも取材はどこ行った」
結局、生徒会の検閲が入った。
【試験対策】
9月の終わり頃に、桜才学園では定期考査がある。中間試験とは少々意味合いが違っており、どちらかというと夏休み中に自主的に勉学をどれだけ伸ばしたかを図る試験であった。
この日、生徒会の業務を終わらせたタカトシは、スズと一緒に図書室へと集まる事になった。
すでに時刻は放課後。試験1週間前は部活動も休みなのだが、勉強する場として図書室だけは例外的に開放されている。現在の時刻は4時半。完全下校時刻は6時なので、1時間半はみんな揃って勉強ができるのだ。
そう。みんなである。
2人が図書室に来ると、他の生徒達に交じって友人たちがそっと手を振っていた。あからさまに声を出すわけにもいかない。
柳本ケンジ。三葉ムツミ。中里チリ。他、柔道部の面々であった。
傍の空いている席に座るタカトシとスズ。問題集とノートを開くと、さっそくケンジがタカトシに質問をする。
「なあ、さっそくで悪いんだけどよ。ここ、ちょっと教えてくんねえか?」
「ここか? ここはこの公式で解けばいいんだ」
「その公式って……なんだっけか?」
「先週の授業に出ていたやつだよ。たとえば、この問題を――」
そう言って、自分のノートに簡単な例題を書くタカトシ。そのままそれを解きつつ、説明をする。
一緒にそれを聞いていたムツミやチリも、つい頷きながらノートに記す。たまにスズが補足し、勉強会が進んでいった。
たまに質問が飛び交いつつも、どうにか勉強は続いていく。試験範囲を終わらせると、全員が椅子の背もたれに寄りかかった。
「あーっ。つっかれた」
「もう頭パンパン……」
ケンジとチリが疲れ切ったように呻いた。ほとんど休みなしで続けていたので、無理もないのだが。
「お疲れ様。今日は、この辺りにしておきましょ」
疲れた様子もないスズの有難い言葉に、ムツミたちは安堵感と共に片づけを始める。タカトシも元気いっぱいというわけではないのだが、特に表情を変えていないところは若干の余裕が感じられる。
「それじゃ、帰ろうか」
下校の準備ができたところで、タカトシが声をかける。すでに、校門が閉まる時刻に差し掛かっているのだ。
茜色に染まる校舎を出て、みんなが揃って校門を出る。当直の教師から咎められたが、事情を話すと見逃してくれた。
「試験、いい点とれるといいなぁ」
「大丈夫っしょ。この調子なら、前よりも成績あがりそう」
ムツミの声に、チリが言った。あまり成績は良くないと本人は言っていたが、今回はスズとタカトシの指導のせいか、自信をつけている様子だ。
「油断しちゃだめよ。帰ったら今日やったところの復習だからね」
「わかってるって」
ケンジも話に入る。彼も彼なりに試験に意欲を見せている様子だった。
「ところでよ。この辺りって、夜になると結構あぶねー奴がウロついているって知ってたか?」
「ああ、知ってる。昼間はこの辺静かなのにね」
チリが困ったように同意した。意外そうな顔をしたのはムツミ。
「え、そうなの?」
「ああ。俺らとは反対方向の電車に乗ると、もう繁華街だろ? そこに入り浸っている奴らが最近こっちにも来てるってさ」
「いやな話ね。そういう奴等は、他の所に行けばいいのに」
顔を顰めるスズ。大方、女の子を求めてのナンパ目的か何かだろう。
「大丈夫だよ」
と、あっさりと言い切ったのはムツミ。握り拳を掲げ、自信満々に言う。
「もしそんな人たちが来たら、私が守ってあげるから!」
「そ、そっか。三葉って、そういえば柔道2段なんだっけ」
「あはは。それは頼もしいな」
苦笑いをするケンジとは反対に、先ほどまで黙っていたタカトシが笑う。
「でも、その時は俺も手伝うよ。女の子に守ってもらってばかりっていうのも、なんだか情けないし」
「あれ。それじゃあタカトシ君って、何かやっていたの?」
「俺だって、護身術くらいは覚えがあるから」
「へーっ。知らなかった」
素直に感心するムツミ。傍でそれを聞いていたスズは、タカトシを見る。
「そういえば、あんたって夏休みの海水浴で、男を投げた事があったっけ」
「え、なにそれ?」
興味をそそられたチリが食いつく。穏やかではなさそうな話に、他の同級生たちもスズを見る。
しまった、と思うスズ。プライベートに関わる話だったかもしれない。
「え、えっと……」
珍しくも困ったような顔でタカトシを見るスズに、副会長は助け舟を出す。
「大した事じゃないよ。海水浴でナンパがいたから、追い払っただけで」
「ナンパって……誰に?」
「七条先輩だよ。しつこく声を掛けられていたから、仲裁に入った結果だし」
チリの質問に、正直に答えるタカトシ。
「そ、それじゃあ、七条先輩は大丈夫だったのかよ?」
「ああ。先輩と口裏を合わせて彼氏のフリをしたら、あっさり諦めてくれたし」
「そ、そっか……って、彼氏ぃ!? どういう事だよ、お前!」
なぜか怒ったように言うケンジに、タカトシは落ち着けと諌める。
「どういう事もないだろ。その場では、そういうフリをしたってだけなんだから。それだけだよ」
「そ、そうか……」
その言葉が嘘でない事をようやく理解したケンジは、ホッと肩の力を抜く。その様子に、スズは呆れた目でケンジを見た。
「なんであんたがそんなに焦ってんのよ」
「別に、そんなんじゃねえよ。ただ、七条先輩っていえば学園でも男女問わず人気だし。気になるに決まってんだろ」
「ふーん」
アリアの人気は、スズも知っている。いいところのお嬢様で、あの外見に人当たりの良さ。成績の上位となれば文句のつけようがないだろう。自分達の知らないところでは上流階級の人間とも付き合いがあり、色々と凄い毎日を過ごしている人なのだ。
少なくとも、ケンジもご多分に漏れず、アリアのファンであるらしい。スズからすれば、アイドルの追っかけと大して変わりが無いのだが。
チラリと、タカトシを見る。彼の表情からは、少なくともアリアを守ったことを自慢しているかのような様子はない。いつも通りの彼の顔だ。
――――まあ、こういう鼻についたところが無いのが、こいつのいいところなんでしょうけれど。
「そっか……恋人のフリをしただけなんだ」
そこで、ボソリと胸をなでおろす呟きがムツミから聞こえたのは、聞かなかった事にしておいた。
そして、駅にたどり着いて電車へと乗る面々。
タカトシとスズは同じ駅で電車を降り、ムツミやケンジたちと別れた。自然と、肩をそろえて歩く2人。
夕日が沈み、夜空に変わっていく街中を歩く。時間帯のせいか、すれ違う人もまばらだ。
「……」
何となく、会話が途切れてしまう。話したい事は、全て友人たちと一緒に話してしまったせいかもしれない。
「あ、そうだ」
そこで、沈黙を破ったのはタカトシ。何となく、気まずさをどうにかしようと思ったのかもしれない。
「よかったらさ、萩村」
「なに?」
「俺と、賭けでもしてみないか?」
「は? 賭けって……」
なんのこと、と言おうとして止めた。彼女にも思い当る事があったのだ。
「今度の試験、よね?」
「ああ。試験結果で上の方が、負けた方に何でも1つ命令してもいい、とか」
「ふぅん……よっぽど自信があるのね?」
スズの目が細まる。なんとなく、学年トップのプライドを刺激された気がしたのだ。
「ま、まあね。その方が、お互いにやる気が出るかなって」
「……ま、いいけどね。その挑戦、受けるわ」
果たし状を受け取ったスズ。絶対の自信を持って、タカトシに言い切った。
「言質は取ったわよ。何を命令されても、逃げないでよね?」
「当たり前だろ。萩村も、あまり油断していると足元すくわれるかもしれないぞ?」
「それ、自分に言いなさい」
お互いに、不敵な笑みを浮かべて向き合う。タカトシとスズは、すでにやる気で心から燃えあがっているのだ。
と、そこでそれぞれの帰路の分かれ道に差し掛かる。
「それじゃあ俺はこっちだから」
「ええ。また明日」
そう言って別れる前に、もう1度――――
「負けないよ」
「負けないわよ」
申し合せたように、一言交わす。
試験への熱意を込めた背中の2人。いつの間にか、さっきまでの気まずい空気はなくなっていた。
夜道を1人で歩くスズ。その途中で、彼女は後ろを振り向いた。
「……ありがと、津田」
本人に聞こえない事が分かっていて、あえて呟く。誰にも聞こえない感謝の言葉が、暗い夜道に消えていく。
今、この時。無言のまま別れることを良しとせず、2人の空気を盛り上げるためにあんな話を持ちかけたタカトシ。こんな一時の気まずさを払拭するためだけに、賭けなどという彼らしくない事を始めるなんて。スズとの学力の差ぐらい、彼が分かっていないはずがないのに。
でも、それが人の良い彼らしい。スズにとっては“そんな事”ではあるのだが、タカトシにとっては違うのだ。自分の負けるリスクが高すぎようとも、彼はそうしたいからしたのである。
馬鹿、というのは簡単だ。だが、スズは気が付いたら彼の強がりに気づかないフリをしてあげていた。
あの時、タカトシの内心に気づいた瞬間。
自然と、顔がニヤけてしまいそうな自分に気づいたのだ。タカトシに悟られまいと必死だった。
気分が高揚する。試験が楽しみで仕方がない。さっきまでの話題を無くして気まずい空気だったことなど、とっくに忘れていた。
まいった。自分はまんまと、タカトシの思惑に嵌まってしまったらしい。
不思議と、悔しいという気持ちはなかった。あるのはただ、試験の結果を見た時の、タカトシの顔の期待。そして、なにを命令してやろうかという、悪戯心。
「見てなさいよ……津田」
そう言い残すと、スズは今度こそ家路を歩く。
もう1度、試験範囲を復習してみようか。そんな考えが、スズの頭に浮かんだ。
つづく