生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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緑から赤へのグラデーション。

僕らが歩く道の街路樹も。遠くの山から見える木々も。

夏から秋へと変わりゆく狭間。

誰もが心を動かされ、限られた時間に何かを残そうと模索して。

そして、そのひとつが。

スポーツを持って気負いあう、ひと時の思い出だったとしても。


燃えあがる僕ら

 

 

【体育祭】

 

 

 

 

 秋の季節。紅葉が美しく彩り、芸術や読書が盛んになってくる時期。

 

 この日の早朝、桜才学園生徒会は教職員と共に、体育祭の準備を始めていた。桜才学園や市の名前が書かれたテントを立て、校舎内から机や椅子を並べる。

 

 あと1時間もすれば一般生徒が競技用として必要な道具をそろえる時間が来るので、それ以外のモノは全て自分達で準備しなければならない。

 

 天草シノと七条アリアが長机を運んでいる横で、津田タカトシは椅子を何重にも重ねたまま抱え、忙しなく校庭と校舎の間を往復していた。

 

 関係者専用のパイプ椅子を1人で並べ、再び校舎内へ入る。実況用に必要なマイクや専用の機材が入った段ボール箱を肩で担ぎ、周囲の邪魔にならない程度に急いで校庭へと出た。

 

 機械をテントの中で設置し、今度は校門へ向かう。桜才学園体育祭と書かれた看板を設置している作業を手伝うのだ。

 

「おお、津田君。助かるよ」

 

「いえ。仕事ですから」

 

 柔道部顧問の、大門教諭が朗らかに笑う。重い看板のバランスを保つために、教諭の反対側を支える。

 

 そんな姿を、遠目から見ていた横島ナルコは、どこか満足げに言う。

 

「いやあ、やっぱ男手があるのは助かるわ。津田の奴、よく働くじゃないの」

 

「あいつは、普段から働いていますよ。特に運動系に関しては」

 

 傍で一緒にプリントの確認をしていた萩村スズが、当然のように言った。日常の仕事を見ている彼女ならではの台詞である。

 

「これなら、アッチの方も働いてくれるかなぁ?」

 

「先生。チェックするプリントをどうぞ」

 

 当然のように、スズは書類の束をナルコに押し付けた。

 

 

 

 

【スタート】

 

 

 

 

 そして、1時間後。

 

 桜才学園体育祭は、シノの選手宣誓と共に幕を開けた。正々堂々と戦うことを誓い、生徒会会長は整列している生徒の中へと戻っていく。

 

 社交辞令めいた教職員の話を切り上げ、全校生徒の者たちはそれぞれの分担された席へと戻る。

 

 第一プログラムは、学年別の徒競走。リレー関連は運動会の花だ。最初に行い、大会を盛り上げるのが狙いである。

 

 第一走者には、シノの姿。彼女は運動神経が高く、同級生からも期待されているため、最初に差をつけてほしいという要望に応えた結果であった。

 

「位置について、よーい……」

 

 審判の女子生徒がスターターピストルを上に構えた。そして続く、乾いた音。

 

 一斉に走りだすシノと、ほかの生徒たち。だが、その直後にスタータの生徒が困惑の声を出す。

 

「あ、あの!」

 

 焦ったような声に、思わず立ち止まる選手たち。何事かと振り向いた。

 

「私、まだ鳴らしていないんですけど……?」

 

「む?」

 

 目を瞬かせる面々。だったら、今の音はいったい?

 

「会長。犯人を捕まえました」

 

 と、そこへグラウンドにタカトシが姿を現した。片手には、猫のようにつかまれたナルコの姿。

 

「この人、スパンキングの練習をしていたそうで」

 

「叩き出せ」

 

 冷静に言い放つシノに、タカトシは無言でナルコを校庭の隅へと運んでいく。

 

「ちょっとー。引っ張るのはクリト○スと乳○だけにしなさいよぉ」

 

「教師やめたいんですか?」

 

「やだー。まだ男子生徒全員食ってないー」

 

 父兄の目がある中、いつも通りのナルコ。残された気まずい空気の面々は――

 

「さて、スタートからやり直しだな」

 

「はい」

 

 ――いつも通りであった。

 

 そして、周囲の保護者の反応も――

 

「あらあら。私たちも結婚する前はあんなでしたねぇ」

 

「そうだな。お前ときたら、どこでも求めようとするからつい俺も……」

 

 ――こんな感じであった。

 

 

 

 

【競技は続く】

 

 

 

 

 タカトシがナルコを体育用具室に監禁して戻ってきた時、すでに次の種目へと切り替わっていた。会長は流れる音楽に合わせて、ほかの選手たちと一緒にグラウンドから退場している。

 

「おっと。次は俺が出るんだっけ」

 

 早歩きで、入り口へ待機しているクラスメイト達の中に入る。生徒たちが並んでいるところを、すみませんと一言断りつつ自分の列へ入っていく。

 

「きゃっ……」

 

「あ、ごめん」

 

 つい、女子生徒を正面から押すような形で割り込んでしまった。慌てて謝ると、ぶつかったのは三葉ムツミ。驚いた顔で、こちらを見上げている。

 

「悪い。痛かった?」

 

「う、ううん。別に……」

 

 顔を赤くしているムツミの反応が、タカトシには理解できない。そんなに、ぶつかられたことで驚いてしまったのだろうか?

 

 一方で、ムツミの内心は以下の通りである。

 

 タカトシ君の体に、触っちゃった……

 

 そんな純情な反応をしているとは、さすがに知る由もなかったのだろう。彼女の内心など知る由もなく、タカトシは首をひねっている。

 

「これから競技だってのに、何やってんだ」

 

 傍で見ていたスズは、白けた目で見ていた。

 

 と、そこで放送スピーカーから音楽が流れる。入場開始の合図だ。気を引き締め、グラウンドの所定の位置につく生徒たち。

 

 BGMが止まると、解説役の生徒から説明が入る。

 

「続いてのプログラムは名付けて、挟むのがおっ○いじゃなくてごめんよ、です。今大会から、新しく企画されることになった種目の1つですので、どうか括目してご覧になられますようよろしくお願いいたしますね」

 

「いや、違うだろ! 2人でサンドイッチだろぉ!?」

 

 遠くからタカトシのツッコミが入るが、生徒たちはそれを黙殺する。

 

 2人でサンドイッチというのは、ペアになった2人が向きあって大きな風船を体で挟み、一定の通過ポイントで風船を割る。そのあとは、2人で手をつないでゴールをするというルールだ。

 

 ただし、桜才学園で行われるルールには、タカトシの提案もあり若干のルール変更が決まっている。

 

 音楽がグラウンドに流れる。そして、それが止まった。

 

 スターターピストルの音が鳴り、生徒たちが風船を挟む。おぼつかない足取りながらも、前へフラフラと走るペアもあれば、初めの時点で風船を割ってしまう者たちも見受けられた。

 

 BGMは軽い調子の音楽から、一転してクラシックに。それが、生徒たちのやる気を一気に高まらせた。

 

 風船をなくした者は所定の位置までそろって走り、自分で風船を作る。この時点で、かなりの差がそれぞれのチームに表れていた。

 

 1度に走るペアは6組。初めの時点でリードしているのはタカトシとは別のクラス。むしろこちらは、やや遅れている方だ。

 

「よし、行くぞ三葉」

 

「うんっ!」

 

 風船を手にしたタカトシが、同じペアのムツミとの間に挟ませる。できる限り彼女との距離を保ったまま、並行して足を動かす。

 

 こういう競技では、相手側の走るスピードがむしろネックになる。だが、ムツミはタカトシの足に息を切らせた様子もなくついてきていた。

 

 さすがは、柔道部主将だな。そう思いながら、タカトシも負けじと走り続ける。

 

「お、あのクラスすげえぞ!」

 

「ほんとだ。早え!」

 

 2人は陸上部の走りと大差ないような速さで、あっという間に折り返し地点へと到着する。周囲から、感嘆の声が上がった。あとは、風船を割るだけだ。

 

「さあ、割ろう」

 

 タカトシは一言声をかけると、ムツミに向けて身体を押し付けようとする。だが、彼女は――

 

「ひゃっ!」

 

 どういうわけか、後ずさった。風船が、2人の体を離れて地面にフワフワとバウンドする。

 

「み、三葉?」

 

「あ、ご、ごめんねタカトシ君。私、目をつむっているから……!」

 

「?」

 

 よくわからないが、彼女の顔が赤い。しかし、それをのんびりと考えている時間はないのだ。今は競技中である。

 

 おそらくは、風船が割れる音が苦手なのだろうとタカトシは推測した。やむを得ず自分で風船を拾いなおし、ムツミとタカトシの身体に挟む。

 

「それじゃ、いくぞ」

 

 タカトシは悪いと思いつつも、ムツミの肩をつかんだ。そのまま、彼女の身体へグッと自分を押し付ける。

 

 その光景は、風船の存在さえなければ恋人を抱き寄せる光景にも似ていた。

 

 一瞬遅れ、甲高い音が響く。風船が割れたのだ。タカトシは耳が鳴る音を自覚しつつも、ムツミの手を取った。

 

「さあ、あと一息だ。頑張ろう」

 

「あっ……」

 

 どこか心ここにあらずといった彼女の手を引き、次のメンバーが並んでいる列へ走るタカトシ。

 

 競技に集中しているタカトシとは違い、ムツミはただ赤い顔のままタカトシを見ていた。足が動いているのは自分の意志ではなく、ただ彼に引っ張られているからで。

 

 周りは、同じタイミングで出発したにも関わらず、まだ折り返し地点にも行けずに風船を相手に四苦八苦している生徒たち。よし。少なくとも、これで差を縮めることはできたようだ。

 

 次のペアにたどり着いて、クラスメイトの2人が風船を持ってくる。それを見届けつつ、自分たちは列の最後尾へ足を運ぶ。

 

 これで、自分たちがするべきことは終わった。あとは他の同級生の活躍に期待しよう。

 

「あ、あの、タカトシ君……」

 

 そこで、ムツミから声がかかる。顔を向けると、彼女はなぜか顔を真っ赤にしていた。

 

「ん? なんだよ三葉」

 

「その……手が」

 

 ふと気づくと、タカトシの手はいまだにムツミの手を握ったまま。どうやら、ずっと放していなかったらしい。

 

「あ、ごめん」

 

 慌てて手を放すタカトシ。マズい。これじゃあセクハラと思われかねない。

 

「う、ううん。気にしてないから。ホントに」

 

 無理に笑顔を作ろうとしているムツミに、タカトシはわずかに心を痛める。どうやら気を使われてしまっているらしい。

 

 かといって、あまりしつこく謝るのも、逆に気にさせてしまうだろう。情けないが、ここは黙っているしかない。

 

 結局、2人はプログラムが終わるまで顔を合わせることはなかった。

 

「……いや、だから競技中に何やってんのよ。あんたら」

 

 後に、スズはこう述懐したという。

 

 

 

 

【玉入れ】

 

 

 

 

 次のプログラムは、全学年とクラス代表者数十人による玉入れであった。

 

 この競技は、シンプルに高い籠の中に球を投げ入れるわけではない。では、どういうルールなのだろうか。

 

 具体的には、陣地を2つに大きく分ける。その中で、籠を背負う選手をそれぞれ1名ずつ分けるのだ。その選手だけが相手チームの陣地に入り、敵チームから投げられるボールを入れられないように逃げ回るのだ。

 

「そう! 名付けて、この泥棒猫。私の愛を食らいなさい、です!!」

 

「待て待て玉入れだろ!!」

 

 津田のツッコミ、再び炸裂。そして、やはりというか無視される。

 

 そして、試合開始。代表者として、タカトシと柳本ケンジが出場した。

 

 さて、とタカトシはグラウンドに置いてある球を手にする。籠を持っている生徒は……

 

「あ」

 

「あ」

 

 そこで、籠を背負っている女子生徒と目が合った。あの三つ編みの生徒は、見覚えがあった。

 

 五十嵐カエデ。彼女が、籠の役だったのか。

 

 彼女は、なぜかうつむいていて表情が見えない。なんとなく、細い身体が震えているようにも見えた。

 

 声をかけようかと思ったが、その前にスターターピストルの音が鳴る。同時に、ケンジや他の生徒が球を持って向かっていく。

 

「すいませーん。女の人に物を投げたくはないんですけど、これも競技――」

 

「ひいいいいい―――――っ!!!」

 

 近づいてくる男子生徒に、カエデは幽霊に会ったかのように全速力で逃げ出した。

 

 陣地内で飛び交う玉を、彼女は男子生徒が投げる球を優先的に回避する。男が触ったものなど、触れたくもないと言いたげに。

 

 そう。彼女は、男子に球を投げられるのが怖くて震えていたのである。

 

「うおっ、くそ! 全然入らねえ!!」

 

 ケンジが悔しそうに言うが、それは無理もない。まるでアメフト選手のような動きで、陣地内を走っているのだ。

 

「なんでそんな動きができるんですか!?」

 

 タカトシの声は、まさにチーム内全員の総意だっただろう。

 

「人間、死ぬ気になればどうとでもなるんです!」

 

「運動会で死ぬ気にならないでください!」

 

 律儀に返された返事に、タカトシは頭を抱えそうになる。

 

 そうこうしているうちに、タイムアップ。審判役の生徒が出てきて、すっかり汗だくになったカエデとこちら側の籠の役を並んで立たせる。

 

 玉の数を数えると、相手チームには22個ほどの球が入っていた。

 

 対して、こちらはなんと0。驚いたことに、カエデは球を何一つ籠に入れないまま、制限時間内を逃げ切ったらしい。

 

「な、なーんとぉ、これは驚き! まさかの0点!! これはとんでもない選手が現れたああああ!!!」

 

 グラウンドの、すべての選手が沸く。こんな偉業を達成した者など、この場にいる人々は見たことがなかったのだ。

 

「すげええ! 五十嵐先輩、かっこいいぜぇ!!」

 

「きゃああああ、カエデ最高じゃああん!!」

 

「彼女は今からでも、偉大な選手になるだろう」

 

 全ての学園関係者と父兄が、埃と汗まみれになっているカエデを絶賛する。

 

「あ、あはは、は……」

 

 カーエデ、カーエデと、熱狂的なカエデコール。いまだかつて、玉入れでここまで盛り上がった光景は過去の歴史を紐解いても無かっただろう。

 

 図らずも、英雄となってしまった五十嵐カエデの誕生であった。

 

 

 

 

【午前終了】

 

 

 

 

 変な盛り上がりが落ち着いた頃、生徒や父兄達は昼食を取り始めていた。

 

 生徒会の者たちは周囲の生徒たちに紛れてグループを作り、談笑を交えながら食事の準備をする。

 

「スズ。今日は好きなものをたくさん入れておいたのよ」

 

「あ、ありがとう。お母さん」

 

 ニコニコと微笑みを浮かべ、母親の萩村アカネが持ってきた弁当を差し出す。今日は父親が仕事の都合で来れないというので、せっかくだからと同伴するように役員達が勧めたのである。

 

「萩村のお母さん。ご無沙汰しております」

 

「うふふ。2人ともこんにちは。それじゃあ、ちょっと失礼するわね」

 

 シノとアリアが揃って頭を下げた。アカネは靴を脱いでレジャーシートの上に座る。

 

「こんにちは、萩村店長」

 

 タカトシは、笑顔の中にもいくらか真面目さを含めた表情で頭を下げた。アカネは彼を見ると、ニコリと笑う。

 

「あらあら。今は店長じゃあないから、そんなに硬くならなくてもいいのよ」

 

「あはは。一応は礼儀だと思いまして」

 

「本当に津田君は真面目ね。若いんだから、上司と部下のプレイに拘る必要もないんじゃないかしら」

 

「プレイ……え?」

 

「若さは財産よ。すぐ硬く出来るのはその特権だと思うけれど、時には休ませる事も覚えなくちゃ」

 

 この人が何を言っているのかはわからない。けれど、いつもの事だと思って聞き流すことにした。スズは頭を抱えていたが。

 

 代わりに、アリアの隣に座っている者に声をかけるタカトシ。

 

「出島さんも、お久しぶりです」

 

「どうも。お久しぶりです津田様」

 

 出島サヤカ。七條家専属のメイドである。かつて一度、手持ちの鍵を交換する際に出会った女性である。

 

 この日も、彼女はエプロンドレスを身に着けていた。そのため、周囲の視線がこちらへチラチラを注がれているのが分かる。彼女やアリアは、特に気にしていないようだったが。

 

「皆様。午前中のご活躍、まことにお疲れさまでした」

 

「出島さんは、いつ頃こちらに?」

 

 スズが素朴な疑問を口にする。メイド服だから目立つはずなのだが、それらしい者は競技中に見かけなかったからだ。

 

 それに、サヤカはまるで“朝ご飯はいつ作ったの?”と言われた時のように自然な口調で答える。

 

「先ほどまで、学園の男子生徒と体育倉庫の中で一緒にいました」

 

「は?」

 

 惚けるスズとタカトシ。そしてシノも。

 

 意味が分からない。なぜ男子生徒と体育倉庫で?

 

「もう、出島さん。チェリー君に脱童貞をさせる時には、私にも一言言ってほしかったよ。一度観察してみたかったのに」

 

「これは申し訳ありませんでした。始めた時は、すでにお嬢様は競技に参加している最中でしたので」

 

「えー。あなたも……」

 

「そっち側?」

 

 薄々分かっちゃいたけど。そんな諦めの境地で、タカトシとスズは溜息を吐いた。

 

「羨ましいわ。私も結婚する前は、よくお友達と賭けをしていたものよ。今月は何人チェリーを食べれるか、なーんて」

 

「聞きたくないわよ、お母さん! そんな事実!!」

 

「ほっほーう。童貞食いとあらば、私も参加せずにはいられないね」

 

「妙な会話に割って入るな淫行教師!」

 

「おや。もしやあなたも男子生徒を?」

 

「そうなのよ出島さん。実は体育祭が終わったら、また2人ほど約束があってね」

 

「堂々と犯罪予告をさらすな!」

 

「素晴らしいです。性教育の実践とは、横島先生もなかなかの教育者ですね」

 

「教育方針が違いすぎることに気付いて!」

 

「そんなに童貞というのはイイものなんですか?」

 

「そこで会長まで加わるな!」

 

「私はまだ膜を守っているけど、童貞固有の初々しさは捨てがたいみたいなんだって」

 

「その通りです」

 

「話を悪化させんな、そこの主従!」

 

「ほほう。そういう話なら、私も参加せずにはいられないね」

 

「収拾がつかねぇ!!」

 

 いつの間にか応援に来ていた津田コトミが、いつの間にか近づいていたところで昼食終了の放送が響いた。

 

 

 

【運動能力】

 

 

 

 

「えーと、タカトシ。大丈夫か?」

 

「……さあ」

 

 ケンジが、顔色の悪いタカトシを見ながら言う。言われた方は、力なく曖昧な返事を出すことしかできなかった。

 

「昼休みに休まなかったのかよ。だらしねえな」

 

「……それに関しては反論したいけれど、マジで疲れているからツッコまないよ?」

 

 それに同意をする者がいるとすれば、自分と同じ顔でグラウンドの隅にへたり込んでいるスズだけだろう。同級生の女子に介抱され、どうにか調子を取り戻そうとしているようだった。

 

 だが、タカトシとしてはそうはいかない。午後の部になって、タカトシはクラス対抗の100m走に出場するのだ。

 

「ちゃんとしてくれよな。この種目次第で、うちのクラスが1位になれるんだし」

 

「そりゃあ……責任重大だな」

 

 両手で、自分の顔をパンと叩く。大きく深呼吸をして、わずかでも調子を取り戻すのだ。

 

「クラウチングスタートでもやってみれば?」

 

 ムツミが提案する。そこに、クラスメイトに紛れていたコトミも賛同した。

 

「あ、それはいいかも。スタートダッシュが狙えるしね」

 

 コトミは言葉をつづける。

 

「あの服従のポーズの後に、尻を突き出す瞬間がたまんないんだよね」

 

「服従のポーズってなに?」

 

「それはね……」

 

 聞きなれない単語に目を点にするムツミに、フッフッフと勝ち誇った顔で説明をしようとするコトミ。

 

 と、そこでコトミの上着の襟をつかむ者がいた。当然のようにタカトシである。

 

「ほら。お前は父兄の席に戻れ」

 

 猫を運ぶように、さっさとその場を去っていく津田兄弟。残されたのはムツミとケンジを含めたクラスメイト。

 

「ねえ。服従のポーズって?」

 

「さ、さあ?」

 

 曇りなき目を向けられ、しどろもどろになるケンジであった。

 

 

 

 

「さて。いよいよ津田の入場だな」

 

「そうだね。ちょっと楽しみかも」

 

 シノとアリアは、自分の席で観戦をしている。2年生のクラス対抗は、いくつかのプログラムを挟んだ先だ。

 

 1年生はクラスで代表者5人を選び、それぞれのクラスの選手が100mを順番に走るのだ。これはルールをいじらずに採用された種目の1つである。

 

 タカトシは5番目。最後の選手だ。その隣には、最後の走者という事もあり、なかなかに体格のいい男子が並んでいる。

 

「あ、シノちゃん。あの津田君の右隣に立っている人、足立(あだち)君じゃない?」

 

「む?」

 

 足立と呼ばれた男子は、走者の中でも一番身長が高い。無駄のない筋肉をつけているのが、体操服の上からでもよくわかる。

 

「おお。たしか、陸上部のエースだったかな。D組も本気というわけか」

 

「津田君、大丈夫かな……?」

 

 タカトシの運動神経がいいことはアリアも知っている。だが、さすがに陸上部の選手が相手では、分が悪いのではないだろうか。

 

 そんな心配をよそに、競技は始まった。

 

 軽快なBGMと共に、スターターピストルの音が鳴る。代表者が、一斉に走り出した。

 

 走者はさすがに男子の比率が多く、傍から見ても女子はほとんどが序盤に追い越されるという形だった。さすがに体格の差もあり、何度かは一方的な結果になることも多い。何人かは食い下がる女子もいたが、それも少数だ。

 

「……来年は、男子の出場回数だけではなく、人数そのものにも制限をつけるか」

 

「うん」

 

 まあ、生徒会長と書記がこんな感想を抱いたのも当然ではあった。

 

 そして、最後の走者。津田タカトシの出番である。そして、自分の右腕。

 

「……」

 

 先ほどよりも、若干真剣な目で試合を見るシノ。そして、別の場所で見ているスズも。

 

 パァン、とスタートの音が鳴った。

 

 その瞬間、彼を知るすべての者の目が見開かれる。

 

 スタートダッシュに成功したタカトシは、すべてのクラス選手が並行してゴールへと向かう中、1人だけ突出する形で前へ出ることになったのだ。

 

 上から見れば、まるで壁を打ち抜いた弾丸が表現できただろう。それほどまでに、津田タカトシの足は速かった。

 

 自分の走りに集中する他の選手も、内心では顔を引きつらせたいほどに驚く。まさか、部活に入ってもいない彼がここまで速いとは。

 

「……大したものだ」

 

「さすが男の子だね」

 

 シノとアリアも、食い入るように見てしまう。タカトシの全力疾走を、2人は初めて目の当たりにしたのだ。

 

 気が付いた時には、タカトシが1位でゴール。遅れて、他の選手たちも続く。

 

 1位の選手が並んでいる列に続くタカトシ。周囲の者たちから、口々に賞賛や驚きの声がかけられている様子だ。

 

「サッカー部のような、走ることを基本としているスポーツ選手は、下手な陸上部よりも足が速いというが……」

 

「身体を鈍らせてはいないんだろうね」

 

 やがてプログラムが終了し、選手の出口へ続くゲートの向こうへと姿を消す。それを、シノは視認できなくなるまで見送っていた。

 

 ただ、その一方で。

 

 シノと同級生の風紀委員長もまた、同じ視線で彼を見ていた事には誰も気づくことはなかった。

 

 

 

 

【最後の種目】

 

 

 

 

 こうして、運動会の最後の種目となった。

 

 名前を、サークル対抗リレー。それぞれの部活や委員会の代表者が競う競技である。

 

 シノをはじめとした役員達も、生徒会チームとして出場することになっている。本部の仕事を終わらせたタカトシも、シノたちが集まっている輪の中に入った。

 

 そこで、生徒会長が切り出す。

 

「走る順番だが、私が先鋒に立つことにした」

 

「第一走者はシノちゃんね。私は2番目かな」

 

 アリアが言うと、スズはタカトシを見る。

 

「あんたはアンカーね。私が3番になるから」

 

「わかった。ちょっと緊張するけど」

 

 なに言ってんの、とスズはタカトシの腹を小突く。

 

「最後はトラック2周なんだから。抜かれないようにしっかりしなさい」

 

「大丈夫よスズちゃん。津田君なら抜かれずに3回……」

 

「何の話ですか!」

 

 タカトシとスズのツッコミで、作戦会議は締まった。

 

 

 

 

 競技が開始された。

 

 第一走者のシノは、初めから全力で走っていただろう。

 

 だが、一緒に走っていたのは先ほどのリレーに出場していた足立であった。

 

 先ほどまでの挽回と言わんばかりに、シノを簡単に追い越して先へ行く。彼女がラストスパートに入る頃には、すでに半周近くも離されてしまったのだ。

 

「すまない。あとは頼んだ!」

 

「任せて!」

 

 アリアがシノからバトンを受け取り、走り出すアリア。

 

 足立の次走は、やはり陸上部の選手。女子ではあったが、それでも代表に恥じない走りである。

 

 アリアも運動神経はいいので、差を広げないように追従する。父兄や他の生徒たちの声援を受け、どうにか食らいつこうと走り続けた。

 

「お嬢様、ファイトです!」

 

 サヤカの声。これは、みっともない真似はできない。

 

「……っ!」

 

 アリアの足が、さらに加速。見るからに、トップとの差が縮まり始める。

 

 大きくなる声援。3位との差が広くなるのが、観戦している者達にはとても見ごたえがあった。一部の男子には彼女の豊満な胸が上下しているからかもしれないが、どうでもいい。

 

 だが、トラックは有限だ。トップとの差は50mほどの距離を取られたまま、スズにバトンが手渡される。

 

「お願い、スズちゃん!」

 

「当然です!」

 

 バトンを握りしめ、ダッシュするスズ。

 

 この日一日で、スズの運動能力の高さを目の当たりにしている者たちの中、彼女は今回もその身軽さを生かした走りを見せつける。

 

 歩幅の小ささを、無駄のないフォームでカバーする走力。その速さは、それこそ陸上部に入れる速さであった。

 

 しかし、周囲の走者もさるもの。これまで4位に甘んじていたチームが、3位を抜いてきたのだ。足が速いのは、何も陸上部や生徒会だけではない。

 

 3位のすぐ前にいたスズも、当然その餌食となる。半周を過ぎた時、順位は完全に変化してしまった。

 

 トップには相変わらずの50m。2位に成り上がった選手とは10m強。この差を持って、受け渡し地点へと直進するスズ。

 

 そして、その場所では。

 

「同じ立ち位置になりましたね。手加減はしませんよ」

 

「もちろんです」

 

 津田タカトシと、2位を走る選手の到着を待つ五十嵐カエデ。不敵に笑いあう2人。

 

「それにしても、風紀委員にもあんな人がいたんですね」

 

「ええ。うちの委員会も、一筋縄ではいきませんよ?」

 

 自分の事のように、得意そうな顔をするカエデ。

 

 なんでも、いま走っている彼女は陸上部の女子の中では一番足が速いという。男子の中では足立という事か。

 

「委員長!」

 

「ありがとっ!」

 

 最後まで2位を保守したまま、その女子はカエデにバトンを渡す。遅れて、スズが到着。

 

「頼んだわよ!」

 

「ああ!」

 

 シノ。アリア。スズ。3人によって手渡されたバトンを、タカトシは握りしめる。

 

 万感の思いで、タカトシはグラウンドの土を蹴った。

 

 

 

 

 アンカーは2周。充分に追いつける……!

 

 決意を秘めた瞳で、カエデは1位の女子を見つめた。彼女もアンカーだけあって足は速いものの、自分よりは劣っていると冷静に判断。

 

 トラックを4分の1ほど走る。と、そこへ誰かの気配が背後から近づいてくる。

 

「ちょっと、カエデ! 男子よ!! 男子が近づいてきてるわ!!」

 

 生徒の席から、コーラス部の友人の声がした。そこで、全身の血が引く感覚を覚えるカエデ。

 

 え、男子?

 

 DANSHI?

 

 だんしがはいごからちかづいて……?

 

 その瞬間、カエデはホラー映画で怪物に追われる主人公の心境を、確かに実感した。

 

「え!?」

 

 カエデに追いつこうとしていた男子――タカトシは、彼女の足が一瞬で加速した事実に我が目を疑った。

 

 彼女の足の速さは午前中に目の当たりにしていたが、まさかここまでとは思わなかった。もっとも、カエデの友人はこれを狙って声をかけたのだが。

 

 この瞬間、誰もがカエデが1位の選手と争うことを確信させた。タカトシは、このまま3位になるのだろう。

 

 そう、誰もが思った。

 

 だが、タカトシの顔にあるものは焦りや焦燥ではなく、広大な山を目の前にした登山者のそれ。

 

 流石ですね。五十嵐先輩。

 

 でも、俺にだって……男の意地ってものがあるんですよ。

 

 イメージは、遠く離れているサッカーボールを追う姿。バウンドをしながら遠ざかるボールを、誰よりも早く自分のモノにしなければならない、あの競争心。

 

 津田タカトシを――舐めるな!

 

 彼もまた、加速した。カエデに追いつくために、全力を出したのだ。

 

 始めの半周で、劇的なドラマが繰り広げられた。誰にも予想できなかった、デッドヒート。

 

 1位を必死に走り続ける女子。

 

 精根を使い果たすかと思うほどの猛スピードで、1位との距離を縮めていくカエデ。

 

 さらに加速を重ね、これまで身に着けていたすべての力を持ってカエデへ追いつこうとするタカトシ。

 

 1周目が終わる時、カエデはトップを抜いた。歓声がさらに大きくなる。

 

 だが、2位になってしまったその女子は、僅か5秒後でタカトシによって抜かれる。

 

「な、なんと! これは驚き!! 先ほどまでの2位と3位が、あっという間にトップ争いいいぃぃ!!!」

 

 本部の実況も、どこか遠い。目指すのは、走るカエデのさらに先の世界。

 

 周囲には、必死の表情で応援をする声。ムツミやケンジ、走りぬいた生徒会役員や風紀委員。そして他のメンバー。

 

 カエデの背中が大きくなってくる。間違いない。自分は今、確かにカエデよりも速い。

 

 それでも、残りのトラックはあと半周。間に合うのか?

 

 いや、間に合わせるんだ!

 

 息が切れる。息苦しい。数百メートルをトップスピードで走っているのだから、それも当然。

 

 だが、それはみんなも同じ。根を上げてたまるものか。

 

 さらに加速。もはやスタミナなど考えない。カエデとの距離は、あと3歩。

 

 タカトシの気配を感じたのだろう。彼女もまた、加速させる。

 

 彼女が、さらに一歩先へ。これで4歩分遠くなった。

 

 喜びの声。焦りの声。2種類の歓声が桜才学園を包む。

 

 ――まだだ。

 

 諦めるのは、まだ早い。

 

 タカトシの足は、最後の決意を振り絞った思いを受け取り。

 

 どこまでも、前へ……

 

 

 

 

【閉会後の彼女達】

 

 

 

 

 閉会式を終わらせた参加者は、それぞれの片づけ作業へと入っていった。

 

 父兄は我が子と帰宅するために、校庭の思い思いの場所で待っている。本部の作業の手伝いや教職員の片づけ作業のアシストも、生徒会役員の仕事だ。

 

 テントを片付け、所定の場所へと運ぶ教職員とタカトシ。借りていた小道具を仕分けし、それぞれの場所に届けるスズ。

 

 シノは足りない物や壊れた道具がないかの確認作業。本部の生徒と一緒に、後始末に関する書類の確認をするアリア。

 

 仕事にひと段落がついた頃には、すでに空は茜色に染まっていた。オレンジ色の太陽がビル街の向こう側に落ちていく。

 

「……ようやく、家に帰れそうね」

 

 自分の足元から伸びている影が長くなっている光景を見ながら、スズは感慨深げに言った。

 

「そうだな。今日はさすがに疲れた」

 

「でも、この疲れが何となく悪くないって思えますよ。なんだか、昔のサッカーの試合をやり遂げた後みたいで」

 

「津田君らしい感想だね」

 

 シノ、タカトシ、アリアが笑いながら言った。

 

 彼らは、心の中できょう一日の短い時を振り返る。みんなが一丸となって、1番を目指した時間。誰もが盛り上がった、イベントの一日。

 

 運動会としては、大成功である。そして、それももう終わった。

 

 周囲には、帰り支度を始めている教職員の姿。自分たちも、もう帰るだけ。

 

「っと、その前に……」

 

 タカトシが、何かを思い出したように言った。生徒会役員の視線が副会長に集まる。

 

「どうした?」

 

「すみません。ちょっと、寄るところがありました」

 

 シノが首を傾げようとして、ふと思い至った。

 

「ああ、そうか。確かに様子を見ておいた方がいいな」

 

 校舎に入っていく津田に、シノたちも後を追った。

 

 

 

 

 意識が覚醒した時、オレンジ色に照らされた天井が移った。

 

 自分は今、柔らかいものを背に仰向けのまま寝かされている。起き上がると、周囲に白色のカーテンが周囲を囲んでいた。

 

 ここは、どうやら桜才学園の保健室らしい。上半身を起こすと、足が酷くズキリと傷んだ。

 

「痛っ……」

 

 その鈍痛で、自分――五十嵐カエデはこれまでの事を思い出した。

 

 最後のリレーを走り切った時、体力を使い果たした彼女は疲労に耐え切れず、その場で倒れてしまったのだ。意識が途絶える最中、誰か男の声が聞こえた気がするが、記憶にはっきりとしない。

 

 最後の、あと一歩。そこで、彼女はタカトシに抜かれた。自分は、あえなく2位となったのだ。

 

 試合結果には、それほど拘りはない。思うのは、津田君が凄いなという素直な感想だけ。

 

 男の子は凄い。素直にそう思っている自分に、彼女は今更ながら驚いた。

 

 枕の横には、自分の制服が畳んだまま置いてある。保健の先生が気をきかせてくれたのだろう。

 

 その先生も、今はいないようだ。生徒を置いたまま帰るという事はないはずなので、運動会の後片付けを手伝っているのかもしれない。

 

 さて。いつまでもこうしているわけにはいかない。疲れと筋肉痛が酷いが、もうとっくに下校時刻だ。風紀委員長たるもの、時間には厳しくならなければいけない。

 

「よっ……と」

 

 冷たい床に裸足がつく。体操服を脱ぎ、ブラウスに袖を通した。

 

 と、そこで保健室のドアがそっと開かれる音がした。カーテンのせいで姿はわからないが、どうやら足音は複数らしい。

 

「五十嵐?」

 

 そっと、控えめな声がカーテン越しにかけられた。この声は……

 

「天草会長……ですか?」

 

「おお、目が覚めたみたいだな。すまないが、入ってもいいだろうか?」

 

「あ、すみません……今、着替えている最中で」

 

「そうか。それはすまない」

 

「でも、こういうシチュエーションって、男女がやるものだよね。いきなりカーテンを男の子が開けて、ラッキースケベとか」

 

「七条先輩。その手の漫画を読みすぎです」

 

 アリアに、スズの声。どうやら生徒会の面々で、わざわざ足を運んでくれたらしい。話している内容はともかく、やはり気配りができるいい人たちだなと思った。

 

 ふと、カエデは気づく。生徒会のみんなが来ているという事は、もしかして……

 

「ああ、津田なら今ここにはいないぞ。だから、安心して着替えていてくれ」

 

 それを察したのか、シノが先んじて言う。

 

「あ、もしかして津田君は、もう帰っちゃいましたか?」

 

 男子であるタカトシがいないというのは、彼女にとっても喜ぶべきこと。しかし、なぜか今は不思議と微かに寂しさを感じていた。

 

「いいや、保健室の前で待ってもらっている。自分がいたら、先輩も落ち着かないでしょうからとな」

 

「そ、そうでしたか」

 

 どうやら気を使ってくれたらしい。よくよく考えれば、見舞いを生徒会のみんなに任せ、彼だけが帰るというのも考えづらい。

 

 少し申し訳ない気持ちになりながらも、彼女は着替えを済ませた。

 

 カーテンを開け、お待たせいたしましたと姿を見せる。すでに制服姿の彼女たちは、カエデのカバンを持っていた。

 

「うむ。寝起きで少し辛いだろうが、もう少しの辛抱だ。今日の活躍は本当に見事なものだったからな」

 

「あ、あれは、その……」

 

 面と向かって褒められると、なんだか照れくさい。おそらくは、運動会のリレーや玉入れの事を言っているのだろう。

 

 午前中の間は、英雄カエデなどと面白おかしく囃し立てられ、本当に恥ずかしい思いをした。明日になって、みんなが飽きてくれるのを祈るばかりだ。

 

「本当に凄かったよ。男子顔負け。足立君なんて、すごく落ち込んでいたくらいだったし」

 

「わ、悪いことをしてしまいました……」

 

 アリアに言われて、カエデは肩身の狭い思いをする。自分の与り知らぬところで、誰かのプライドが傷ついていたのだ。

 

「でも、足立っていう人もこれで一層陸上にのめり込むでしょう。いい刺激にさせてあげたと考えればよいかと」

 

 スズの指摘に、カエデはそうあってくれればいいと心から思った。

 

 そう話しながら歩いていると、足に鈍い痛みが走る。思わず立ち止まってしまう。

 

「あ、大丈夫か五十嵐?」

 

「は、はい。なんとか……」

 

「湿布でも貼りましょうか?」

 

 スズが提案するが、カエデは丁寧に断る。さすがにそこまでしてもらうのは、申し訳がない。

 

 保健室を出ると、近くの階段横の壁にタカトシがいた。彼はカエデの姿を確認すると、少しだけ微笑んで会釈をする。

 

「お疲れさまでした、五十嵐先輩。身体の方は大丈夫ですか?」

 

「あ、いえ。おかげさまで」

 

 階段の踊り場から漏れる夕焼けの光が、タカトシの姿を赤く染めている。その姿が、彼女にはなぜか直視できない。

 

 本当は、覚えているのだ。最後に、自分を追い越した瞬間の彼の横顔を。

 

 どこまでも、先を見ているあの瞳。初めて見る、あそこまでの真剣な横顔。

 

 そして、今。目の前に立つ彼は、いつも自分に向けている穏やかな顔。

 

 自分の顔を見た途端、うつむいてしまったカエデ。

 

「どうしました?」

 

「いえ。少し、夕焼けが眩しくて」

 

「ああ、なるほど」

 

 タカトシは納得し、手前の日陰の方へ移動する。

 

「それじゃあ、七条先輩。出島さんには、さっき事情を話しておきましたので」

 

「うん。ありがとう津田君」

 

 タカトシがアリアに言うと、彼女は頷いた。

 

「七条さん。出島さんというのは、あのメイドさん……でしたよね。何かあの人と予定でも?」

 

「ん。実はね、今日はカエデちゃんを家まで送ってあげようと思って」

 

「え、あ、いや。悪いですよ。そこまでしてもらうわけには……」

 

「いいから、いいから。カエデちゃん、足が痛いんでしょ? このまま帰らせちゃうのは、すごい危ないと思うの」

 

「うっ」

 

 痛いところを突かれ、カエデは沈黙する。実際、隠せないほど筋肉痛になっているのは確かだ。1人で無事に帰れるのかと言えば、帰れると即答できないところがつらい。

 

 その後も何度かの押し問答の末、先に折れたのはカエデであった。最終的に、厚意に甘えることにしたのである。

 

「そ、それでは、すみませんが……」

 

「うんうん。女の子は素直が一番だよ」

 

 ついでというわけではないが、シノとスズ、タカトシも一緒に送ってもらえることになった。やはり、3人もまた疲れがたまっていたのである。

 

 校門を揃って出る5人。そこには、乗用車2台分の長さを持つ車が停車していたのである。テレビでしか見たことのない、正真正銘のリムジンだ。

 

「なんかすごいの来た」

 

 タカトシの言葉は、まさにアリア以外の心境を現していた。

 

「お疲れさまでした、お嬢様」

 

「ありがとう、出島さん」

 

 唖然とする4人を置いて、アリアはサヤカが開けたドアから車内に入る。続けて、サヤカはシノたちにも入るように勧めた。

 

「え、そ、それじゃあ……」

 

「ご遠慮なく……」

 

「失礼ながら乗らせて……」

 

「いただきます……」

 

 セレブの気分を味わう余裕のない面々を乗せ、サヤカが運転するリムジンは出発した。

 

 

 

 

【良すぎる車】

 

 

 

 

 車内では冷暖房完備はもちろんのこと、冷蔵庫も完備。

 

 そして、テレビも設置されている。従来のカーテレビよりも、数段性能の高いものだ。

 

「な、なんだか居心地が悪いです……私が筋肉痛になっちゃった事が原因だと思うと」

 

 うーとでも呻きそうな顔で、ソワソワしているカエデ。何かを堪えるように、太ももをこすり合わせている。

 

「いいんだよカエデちゃん。これくらいは、運動会を一番盛り上げてくれた人の特権だと思ってくれれば」

 

「も、盛り上げ……」

 

 そんな自覚がない彼女としては、ただ困った顔をするしかない。それを傍で見ていたタカトシは、カエデのために話をそらす事にした。

 

「それにしても、さっきからエンジンが静かですね。いい車っていうのは、こういう事を言うんでしょうか」

 

「実は、そうでもないの」

 

 と、意外な返事が返ってくる。

 

「実はこの車って、ボディ部分にセラミックプレートが使われてるから、ブレーキがかかりづらくて制動距離が伸びちゃうの」

 

「それって、一般人に必要?」

 

「他にも、窓はライフル弾も通さない防弾使用だよ」

 

「だから、何のための……まあ、いいです」

 

 言ってから、愚問だったと気づく。

 

 アリアは、自分など及びもつかないほどのお嬢様だ。誘拐などの犯罪から身を守るために、そういう類の対応も用意するべきだろう。何かあってからでは遅いのだ。

 

 それでも、それ以上は口にするのをやめておいた。ハッキリとアリアは自分たちと違うなどと口にしては、なんとなく彼女と自分たちの間に線引きをするようでいい気分がしなかったからだ。

 

「それじゃあ、七条先輩はどんな乗り物が好きなんですか?」

 

 会話をつなげるため、タカトシは話題を振る。

 

「私は、飛行機かな。休みの日は、たまに自家用ジェットに乗って別荘に行くから」

 

「……そ、それは凄いですね。で、飛行機が好きなのは、やっぱり眺めがいいからでしょうか?」

 

「ううん。いつもとは違う飛び方をするのが、気持ちいいから」

 

「違う飛び方?」

 

 訳が分からない。ジェット機の飛び方にも、色々あるのだろうか。

 

 理解できなかった彼に、アリアはもう一度わかりやすく説明する。笑顔で。

 

「えーとね。つまり、空を飛んでいるときに感じる絶頂は、いつもより――」

 

「あああああっ!  も、もういいです。そ、それじゃあ会長はどんな乗り物を!?」

 

 慌ててアリアの言葉をさえぎり、とっさに会長へ話題を振る。シノは少し考えると、苦笑する。

 

「面白みのない返事だろうが、やはり車だな」

 

「あ、それでしたらこのリムジンは、会長も気に入ったんじゃあないですか?」

 

「ま、まあ乗れるものなら乗ってみたいがな。さすがにそこまで贅沢をするつもりはない」

 

 と、そこで運転席で前を向いたままのサヤカから声がかかる。

 

「おや、私はかまいませんが。お嬢様の送り迎えをする際は、一言お声をおかけしてくだされば」

 

「い、いえいえ。お気持ちだけ受け取っておきますので」

 

 顔を引きつらせ、シノは手を振る。一般人の彼女には、恐れ多い待遇に感じたからだ。

 

「……ん?」

 

 ふと気づくと、誰かが肩に寄りかかっている事に気付いた。

 

 カエデだ。いつの間にか目を閉じ、寝入ってしまっている。

 

 起こすのもかわいそうと思い、そのままにして置くタカトシ。すると、隣からも頭が当たる。

 

 膝を見ると、そこを枕のようにして寝入っているスズがいた。彼女もいつもより疲れているのだろう。気づけば、アリアもウトウトとしながら目を閉じている。

 

 仕方がないだろう。今日は、みんなが汗を流した体育祭だったのだから。枕になる程度、お安い御用だ。

 

「……」

 

 これで、起きているのは運転中のサヤカを除いて、タカトシと向かい合っているシノだけになった。

 

 自然と無言になる2人。眠っている者がいるのだから、当然だが。

 

 リムジンの防音効果は本当に大したもので、まるで自分の部屋にいるような静寂だった。ただ、今はその無音が少しだけ気まずい。なんだか、会長と2人きりになっているような錯覚を覚えてしまうから。

 

「……そ、その。津田よ」

 

「はい?」

 

 カエデたちを意識してか、彼女の声はいつになく小さい。それでも、この静かな空間の中では充分にコミュニケーションが取れているが。

 

「いや。大したことではないんだが……今日のリレーの事だ」

 

「?」

 

「す、凄かったぞ。前々から運動神経は高いと思ってはいたが、まさかあそこまでとは思わなかった」

 

「ああ、その事ですか。まあ、身体は鈍らせたくはありませんから」

 

 得心がいくタカトシ。カエデと一位争いをした事を言っているのだろう。

 

「そ、そうか。毎日しているのか?」

 

「勉強もありますから、中学時代よりはやっていませんけど。まあ、朝とマラソンと夜の筋トレくらいですね」

 

 ボールはもう半年以上も蹴っていませんけれど、と彼は締めくくる。それでも、シノにとっては素直に凄いと思わせる話であった。

 

「球を蹴る……素晴らしい響きですね」

 

 なぜか感極まったようなサヤカの声が聞こえたが、2人にはどうでもよかった。

 

 

 

 

 そして、その数刻後。

 

 初めに到着したのがタカトシの家だったので、彼はサヤカ達に礼を言って車を降りることとなった。

 

 そんな姿を自宅前で見たコトミが、眠っている先輩たちを見て――

 

「た、タカ兄! いつからそんな政財界の裏パーティーの帰りに令嬢を4人もお持ち帰りしてカーセック○でイかせちゃう人になったの!?」

 

 などと近所に聞こえるほどの大声でのたまい、即座に兄から脳天に拳骨を食らわされる羽目になった事は、どうでもいい余談である。

 

 

 

 

つづく

 

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