共にある時間に、生まれる問題。
それを乗り越えるために、僕らがあって。
またひとつ、またひとつと。
僕らの生きる日々は、色濃く彩られて。
【文化祭開始】
「それでは、これより桜才祭を開催いたします!」
桜才学園放送室。天草シノの放送は敷地内の全てに響き渡った。
早朝から待機していた外来の参加者や来校者は、校門前に立つ生徒の指示によって、校舎内に入っていく。その途中に開店している教職員や部活動生徒の店に立ち寄る者が、早くも目立ち始める。
ものの十数分で校内全てに盛り上がりを見せる様子を見ながら、シノは見回りのために津田タカトシと共に廊下を歩く。
ただし、その顔色はとても健康とは言えない物ではあったが。
「会長。目にクマができていますよ」
タカトシがそれを指摘すると、シノはヌボーっとした目を彼に向ける。
「津田こそ」
「ああ、そういえばそうでしたね」
なんだか、前もこんな風に徹夜していた事があったなあと、彼は他人事のように考えた。
「いえ。実は準備が追い込みで、演劇部以外でも仕事を手伝ってほしいって、引っ張りだこだったんですよ。解放されたのがついさっきでして」
「うっ……!」
「?」
なぜか、急に動揺するシノ。なんだ、その反応は。
「会長。どうかしましたか?」
「そ、その……すまん。実は昨日……定時で帰ってしまったのだ。寝不足なのは、寝付けなかっただけで……あー」
証拠を突き付けられた犯人のような心境で項垂れるシノ。しかも、寝付けなかった理由は単純に楽しみだったからである。
「別に会長は悪くありませんよ。必要な仕事は昨日のうちに終わらせたじゃあないですか。手伝うかどうかは強制というわけでもないでしょう」
別に責めるつもりのないタカトシは頭をかいた。だが、それにシノが不機嫌そうな顔になる。
「む。それは、私がいなくてもいいという事か?」
「そんな。会長はいなくてはいけない人でしょう。会長のいない学園なんて、考えるだけでも寂しいです」
「……」
誤解しないでほしいという意味で言ったのだが、生徒会長は愛想笑いすらしない。むしろ、何処か絶句したような表情になった。
「?」
「……すまん。少し1階を見回ってくる」
そう言うが早いが、さっさと早歩きで近くの階段へと向かっていく。つい追いかけようとしてしまったタカトシに、シノは振り向きもしないまま言った。
「ひとりで行ける。気にするな」
「会長……」
そのままシノの背中が見えなくなるまで、タカトシはその場に立っている事しかできなかった。
我に返った時、タカトシの心に生まれたモノは後悔という2文字であった。
少し、軽口が過ぎたのかもしれない。普段の下ネタ連発発言からつい忘れがちになるのだが、シノは繊細な年頃の女の子なのだ。幼い頃からの妹の相手や役員達のフレンドリーな付き合いで、女性のコミュニケーションくらいは身についていると思っていた。
だが、それは自分の思い込みだったようだ。次に会った時に謝ろう。そう思いつつ、タカトシはその場を離れていった。
いや、離れようとした。軽い衝撃が、彼の後頭部に響いたのだ。
振り返るが、誰もいない。少し視線を下げると、そこには萩村スズが呆れた顔で立っていた。
手に持っているのは見回りチェック用のファイル。さっきはこれで殴られたようだ。
「あれ、萩村」
「なにやってんのよ、あんたは。会長が変な顔で階段降りてったわよ」
「いや。そんなつもりはなかったんだけど……なんだか、そうみたいだ」
下手に誤魔化すのは好きではないので、彼は正直に答えておいた。少し気まずそうに頬を掻く。
「俺も気が緩んでいたみたいだ。徹夜のせいかもしれない」
「……まあ、詳しい事情は聞かないでおくけれど。反省しているみたいだから、これ以上はとやかくは言わないわ」
反省している、というフレーズが僅かに引っかかったが、タカトシは気にしないことにする。
「助かるよ」
「それよりも、あんた。そろそろ演劇の開場が近いんじゃないかしら。見回りは私がやっておくから」
「もうそんな時間か。なら恩に着るよ。それじゃ」
そういって頭を下げると、タカトシは廊下の向こうへと歩いていく。
「あんなに会長の顔を真っ赤にしておいて自覚なしなんて……あいつも筋金入りね」
一言だけボヤいたスズは何事もなかったかのようにファイルを開き、次に見回る催し物の場所をチェックする。
次の場所は……
――2年B組……おばけ屋敷。
「……」
スズは、見なかったことにした。
【演劇開始】
タカトシは最後の打ち合わせを終わらせ、舞台裏に入る。周りには衣装に着替えた部員たちや七条アリアの姿もある。彼自身は、赤のスーツという格好だ。癇癪持ちの御館様、の役である。
もっとも、人によっては一人二役の者もいた。次の衣装は、所定の場所にひとまとめにしてある。
「お客さんの方はどう?」
アリアはナオミと呼ばれているコーラス部の女生徒に聞いた。彼女は袖から客席を覗いていたが、肩をすくめて戻ってくる。
「今んとこ、7割ってとこです」
「ちょっと数としては今一つですね」
五十嵐カエデが言った。彼女の姿は、妖精の格好である。他に比べて若干露出が多いが、不思議といやらしさを感じさせないのは彼女の持つ潔癖な性格ゆえであろう。
タカトシも、あまりジロジロと見る気はない。女性に不愉快な気持ちを与える趣味はないのだ。
「始まれば来ると思いますよ。朝早いし、まだこれからです」
彼がそう言うと、演劇部の部長がパンパンと手を叩く。
「そろそろ開始よ。よろしく」
「はーい」
着飾った生徒たちがぞろぞろと、ステージの袖に移動する。台本を持った何人かは、マイクの前に立つ。
アナウンスと拍手があり、劇が開始された。
ヒロインが登場する。凝った衣装と可愛らしさのため、観客から歓声が上がった。
次は、アリアの出番だ。使用人の役なので、出島サヤカ提供のメイド服を身につけている。
「そこのあなた。2番テーブルへ案内してくれますか」
「はい、お嬢様。ご用意はすでに――」
問題なく劇は進む。タカトシとカエデの役も回り、練習通りに演技を進めた。
シーンが変わり、スポットライトが消えて暗闇になる体育館。その中を、演劇部の裏方がセットを交換する。
タカトシの出番は当分ないので、余裕をもって次の衣装へと着替えようとして――肩を叩かれる。
「部長。なんです?」
振り向くと、演劇部部長の女子が深刻な表情で立っていたのだ。なんだろうかと思いながら訊ねてみる。
「津田君……ちょっと大変なことになったの。実は、主人公をやる男子部員がさっき怪我をしちゃったんだ」
「そんな……」
不安の色に駆られるタカトシ。よりによって、主人公を務める男子が……
「劇が始まった頃に、裏の非常口近くにある段差から足を踏み外したって。今、保健室にいるのよ」
「それじゃあ、どうするんですか。主人公がいないんじゃあ劇が進みませんよ。次だって、出番じゃないですか」
周りの者達はすでに知っているらしく、不安そうに俯いている。なにしろ男が主人公なので、代役が女子では務まらないのだ。今年から共学になったために、男子部員は主役を演じる筈だった彼しかいないという。
ふと、タカトシは気づいた。演劇に出ていて、男子は自分一人……
部長だけではない。他の者達も、全ての女子がタカトシを見ている。その視線の意味に気付けないほど、彼は鈍感な男ではなかった。三葉ムツミのような女子からの好意には鈍い男だが、こういう時はその鈍感さも影を潜めるらしい。
「だから、津田君。本当に申し訳ないけれど――」
「俺がやります」
みなまで言わせない。彼は、自分の意志で主役を買って出た。
「衣装を借りますよ。どうにかやって見せますから」
「え、あ……うん」
言うが早いが、着替え用の小部屋に入って衣装を手早く身につけるタカトシ。周囲のポカンとしている視線を放置し、彼は旅の騎士の格好になって出てくる。
「でも、津田君……大丈夫なの?」
メイド服のままのアリアが言うが、タカトシの意志は固かった。
「演技と台詞は一通り覚えていますから。リハーサルで何度も見ていましたし」
「お、覚えているって……」
主役の台詞は結構多かったはずだけど。そう言おうとした部長たちだったが、タカトシはそれを背にしたまま舞台へ上がっていった。
それと同時にスポットライトがタカトシを照らす。いきなり主人公が現れた事に、かなり当惑していた。よく見ると、壇上にずっと出ていた部員は事情を知らなかったらしく、当惑したように役が変わっているタカトシを見ている。
生徒会副会長は背筋を伸ばし、すっと息を吸う。そして、腹筋に力を込めてから声を出す。
「俺は、いつまでこの長い暗闇を歩いているのだろうか……」
不安と緊張を込めた声。それが、観客の意識を嫌でも集める。
歩き始めながらも、主人公の独白は続いた。舞台袖の反対側に行くまで、スポットライトは迷える騎士を追い続ける。
「ああ……俺は、神にすら見放されたのだろう」
その言葉を最後に、シーンは終わる。再び暗闇になった舞台の中、タカトシは舞台袖の下にある階段を降り、反対側へ通じる通路を使って部長たちのいる側の舞台袖へ姿を見せた。
小部屋に入り、再び御館様の衣装へと大急ぎで着替えるタカトシ。ほとんど飛び出すような様子で、彼は舞台の指定された場所へと駆け寄った。
屋敷で、意地悪な女性が嫌味を口にするところから始まる。リンゴを無断で食べた者を使用人の責任だと決めつけるシーンだ。タカトシもまた、横柄な口調のまま使用人役のアリアを責め立てる。
舞台は続く。場面が何度か変わり、屋敷の地下になった。先祖の代から封印されている、魔界の入り口という設定である。
ここまでくると、タカトシも二役を演じ続ける必要はない。ここから先は、主人公一本だ。
傍には魔導士のローブを身につけた部員と、道案内のための老婆の役がいる。老婆が先頭に立ち、2人を闇の奥へと案内していく。
その眼前に、魔界の門番をしている悪魔が出現した。魔導士が杖を掲げ、タカトシは剣を抜く。
そのシーンを、舞台袖から部長は不安げな面持ちで見守っている。
「大丈夫かな、津田君。本当によくやってくれているけど、ここからはアクションが中心になるのに」
ここは舞台でも一番の盛り上がり時だ。観客席はとうに満員になり、固唾を飲んで見てくれているのがわかる。
「心配ないよ、津田君なら」
出番を終わらせているアリアは、当然と言わんばかりに言う。その言葉に反応したのはカエデだった。
「でも、主役をやるはずだった男子部員も、あれだけ練習をしていたじゃあないですか」
「それだって、練習相手はずっと津田君だったよ?」
「……」
言葉に詰まる面々。一方で、アリアは舞台をジッと見ている。
シーンは、門番と主人公たちのバトルになっていた。部員が舞台の効果音と共に杖を振りかざして魔法を唱え、タカトシは剣を使って門番との一騎打ちを続けている。
その動きは、ほとんど無駄がない。逆に、戦っている門番の動きが不格好に見えるくらいだ。
アリアは覚えている。夏休みの時、自分をしつこい男から守ってくれた時の姿を。格闘技などは素人の彼女だが、彼が格闘技の類を身につけている事くらいは分かった。
「なにあれ」
部員の誰かが、ポツリと言った。部長とカエデも、同じ気分である。
戦闘は終わり、門番は倒された。魔界へと入り、この世界に住んでいる悪魔を求めて歩み続ける。
セットの一部が変更され、舞台は悪魔の住んでいる城になった。
「ついにここまで来た。さあ、気を引き締めよう」
タカトシの言葉に、魔導士は頷く。場内で出現する魔物を倒しつつ、最上階へ。
「出たか、悪魔め!」
部員が叫ぶ。セットを破るようにして、悪魔の羽をつけた衣装の部員が現れた。低い声で主人公たちを威嚇した後、2人を突き飛ばすようにして倒させる。
この一撃で、2人は悪魔の毒をくらってしまう。魔導士が命の危機に瀕し、タカトシは剣を杖代わりにして立ち上がろうとする。
そこへ――
「人間界の騎士よ。絶望に負けてはなりません」
妖精の姿をしたカエデが、姿を現す。スポットライトを浴びた彼女の姿は、演技を抜きにしても神秘的に見える。
魔界で唯一生き残っている、光の妖精。その小さな少女が、騎士たちの傷を癒す。
「ありがとう、妖精ピクシー」
立ち上がり、剣を構えるタカトシ。会場が盛り上がり、観客の中から子供の声らしき声が頑張ってと叫ぶ。
悪魔と、騎士達の戦い。効果音とBGMが鳴り響き、ついに決着がつく。
ナレーションと共に、登場人物の今後がダイジェストのように演じられる。それぞれの思いを胸に、穏やかな時間を送っている光景が伝えられていった。
そして、最後はすべての人物が舞台の上で横一列に並び、手を繋ぎあう。全てのスポットライトが、舞台の全てを照らしていた。
深々と、一斉にお辞儀。観客の拍手がわき、そしてその音が次第に大きくなっていく。
コーラス部と演劇部が、エンディングに歌を歌う。舞台の衣装のままなのは、ご愛敬だろう。
――こうして、文化祭の演劇は終了した。
【生徒会開始】
「本当に助かりました。また、何かあったらお願いします」
制服に着替えた後で解散するという時になって、部長から言われた言葉がそれだった。彼女は嬉しさを抑えきれないという顔で、タカトシを見ている。
「いえ。お役に立てたなら何よりです。ですけど、来年は本当の主役の人を出させてあげてくださいよ?」
肩を回しながら、体育館を出ようとするタカトシ。今の今まで、後片付けに追われていたのである。
体育館内では、すでにバスケットボールの3on3大会のための準備が進んでいた。そろそろ出ないと、邪魔になってしまうのだ。
「あはは、もちろんです。でも、アンケートを取ったんですけど、お客さんには好評でした」
事実であった。演技も悪くなく、何よりアクションは迫力があったと。
「本当は、あの男子を御館様の役にしようと考えていたんですけど」
「いや、やめてあげてください。それは流石にあんまりです」
半ば本気で部員男子の役を格下げさせようとする部長に、タカトシは呆れて手を振った。
「きっと、彼の方がいい演技ができますよ。俺はあくまでも助っ人であって、部員じゃありませんから」
「そう、ですかね?」
不満そうに唇を尖らせる部長。きっと、内心ではあの男子に頼りなさを覚えているのだろう。
でも、それは杞憂だとタカトシは感じた。一緒になって練習していた自分ならわかる。無能であるわけがない。
「それじゃあ、戻りましょうか」
「うん」
隣に立っているアリアを促し、今度こそタカトシは体育館を出る。校舎への渡り廊下を歩いていると、グラウンドや通りがかる参加者が、模擬店で販売している食べ物や飲み物を持って歩いている姿が大勢見えた。
親子連れや友達グループが、楽しそうに店の中に出入りしている。そんな光景は、主催者側の自分としてもどこか嬉しくなってしまう。
「うふふ」
と、隣を歩いているアリアがタカトシの顔を見て笑う。
「なんですか、七条先輩?」
「だって、なんだか今の津田君、本当に楽しそうなんだもの」
「そうですか?」
しまった。顔に出ていたらしい。思わず表情を確認するように口元を手で触ってしまう。
「うん。なんだか、○慰の後みたいで」
「余韻に浸る暇もありゃしない……っと、七条先輩。少し寄っていきませんか?」
「え? 模擬店にはラブホテルなんかないよ」
「違います。ほら、あそこです」
話題を変えるため、タカトシは近くの教室の模擬店へ誘う。そこは駄菓子屋で、2年生のクラスが経営しているのだ。
「少し飲み物を買っておいた方がいいと追いまして。よかったら、一緒に」
「うん。そういう事なら」
言葉には出していないが、アリアも疲労の色は濃い筈だ。生徒会室に行けば、また見回りで忙しくなる。文化祭を楽しむという意味でも、店を利用しておいて損はない。
内装は、手作りで作られた棚の上に100円ショップで購入したらしい籠がいくつも並んでおり、その中に駄菓子や飲み物が備えられてあった。すでに来客している中には家族連れもおり、小さな子供が親に菓子をねだっている。
「いらっしゃいませ。あ、七条さん」
会計と書かれた机の前に座っている女子が、アリアを見て声をかける。
「こんにちは。飲み物のコーナーって、何処かな?」
「あ、そこだよ」
手で棚の隅を示す。そこには、確かにドリンクのペットボトルが150円で売ってあった。
それを取りに歩いていくタカトシ。距離ができたのを見計らい、同級生がアリアへそっと話しかける。
「もしかして、2人で見回り?」
「ううん、演劇部の助っ人の帰り。やっと午前の部が終わったから」
「ああ。そんな事も言っていたわね。まあ、七条さんみたいな人だったら、おいそれと男がデートに誘えるはずもないか」
「何の話?」
「こっちの話。分からないなら、別にいいの」
アリアが首をひねるが、それ以上は同級生も詳しく話そうとはしなかった。そうこうしているうちに、タカトシが戻ってくる。
「先輩は、こっちの方が好きでしたっけ」
生徒会副会長は2本分の飲み物を購入すると、アリアに片方を渡す。彼女も代金を出そうとするが、それは止めた。
「いいですよ。誘ったのは俺ですし」
「あ、うん。ありがとう、津田君」
気後れしながらも、受け取ったアリア。その後で2年生の女子に挨拶をすると、模擬店を出ていった。
生徒会室に戻ると、見回りが終わって一時待機していたシノと一緒に、出島サヤカが椅子に座って待っている姿が見える。こちらに気付いたらしく、メイドがパチパチと拍手を始める。
「素晴らしい演技でした、お嬢様」
「出島さんも、メイド服ありがとうね」
アリアは手に持っていたメイド服をサヤカに返す。タカトシはやり取りの邪魔にならないよう、自分の席に座った。
「よくやったな、津田。大した演技だったじゃないか」
シノが何処か誇らしげに言った。まるで自分の事のような賞賛である。
「いえ。本当に苦労しました」
駄菓子屋で買った飲み物を飲む。冷やされているわけではないので温いのだが、遠慮なく喉の奥に流し込んだ。
しかし、とシノは続ける。
「なぜ、お前は主役を演じていたのだ? 確か、昨日まではアリアのご主人様と聞いていたが」
この人が言うと、別の意味に聞こえる。そう思いながらも、彼は口を出さなかった。
「ほう。それでしたら、私のご主人様でもありますね」
耳ざとく聞いていたサヤカが、タカトシの方を向く。その視線が何処か危なげに見えたのは気のせいか。
「いえ、誰の主人にもなるつもりはありませんよ。話を戻しますが……実は、直前になって主役を演じる筈だった男子が、怪我をしてしまったんです。それで、急遽俺が出る事になって」
「き、急遽って……よくあそこまで出来たものだ。セリフもおかしな様子はなかったし、後半の戦闘シーンも……」
「セリフは、もともと全部台本を覚えていましたから。戦うシーンは、主役を演じる男子の練習相手をしていましたので、どうにかなっただけです」
「……そ、そうか」
なんと言っていいのか分からないシノ。体育祭の時といい、彼のスペックの底が読めない。
そこに、アリアも加わる。
「津田君って、本当に凄いんだよ。最後のシーンなんて、本当に戦っているんじゃないかって思っちゃったくらいだもの」
「大袈裟ですよ。実際、演劇なんて昔の学芸会くらいしか経験が無くて」
それでも、あそこまで盛り上がったのだから大したものではないだろうか。シノはそう思った。
「ところで、萩村はどこでしたっけ?」
「ああ。あいつなら、体育館でバスケットの大会に出場しているぞ。横島先生と約束しているそうだ」
「へえ。萩村って、バスケットが得意なんですね」
「まあ、あいつも運動神経はいいからな。体育祭でも、かなり足が速かったし」
バスケットは背が高い方が有利なんじゃないかと言わなかったのは、彼らなりの優しさであった。
【見回り開始】
「まだまだこれからって感じですよね」
「当然だ。昼食時なのだから、むしろ食べ物関係は稼ぎ時だろう」
一休みが終わったタカトシは、シノと共に見回りを再開する。いつ店や客がトラブルを起こすか分からないので、抜き打ちで行う必要があるのだ。
ホットドックや焼き鳥を片手に廊下を歩く客が多い。校門前で教職員が販売しているのだろう。火を使って作るものだから当然だ。
コスプレをした生徒達とも、何度かすれ違う。他にも父兄や来賓、他校の男子なども来ていた。
2人は順番にクラス内に入り、絵や工作の展示物を見て回り、再び廊下に出る。
生け花や茶道といった講演会も開かれており、やや年配の女性が多く参加していた。
格技室では、三葉ムツミが英稜高校の空手部と異種格闘技戦を繰り広げており、ギャラリーまでが白熱している。応援してあげたかったが、自分の仕事も忘れてはならない。心の中でエールを送るにとどめておく。
そして、2人の足は調理室へ。時間帯がお昼時のせいか、この場所のチェックが終われば、見回りは終わりとなるのだ。
「この場所は、レストランですね」
タカトシが漂ってくる調理の匂いを嗅ぎながら言う。肉料理でも作っているのだろうか、香ばしい香りだった。
「こら、津田。こんなところで匂いを嗅ぐなんて行儀が悪いぞ」
「そ、そんなに怒らなくても……」
眉が吊り上がったシノに叱られ、さすがにバツの悪い気分になるタカトシ。しまった。傍から見ると下品に見えたか。
「嗅ぐのなら好きな女子のパン○ィだけにしておけ!」
「こら、会長。こんなところで下ネタなんて行儀が悪いぞ」
そのままそっくりカウンターをすると、タカトシは入り口のドアを開ける。
やや広めの調理室に簡単な装飾をつけた内装が、学生らしさを醸し出している。実際に調理をするキッチン以外は、全てテーブルクロスをかけて客席に利用されていた。
「あ、会長」
部長らしき女子が、シノの姿を確認して近寄ってくる。
「ご苦労だな。店の方は、何か変わった事はなかったか?」
「いいえ。見ての通り大繁盛です」
客席は満員である。そして、美味しそうな匂いにつられて次々と順番待ちの長蛇の列ができていた。2人もまた、ここに入るためには道を開けてもらわなければならなかったほどだ。
「ただ、人手が少し足りないかもしれませんけれど、それはシフトを調整してどうにかやってみせますから」
2人は調理を汗だくで続けている料理部の生徒を見て、なるほどと思う。調理台にはフランス料理や日本料理といったようにジャンル分けをして、料理に集中させているらしい。
中にはタカトシにも馴染みのあるイタリア料理が人気らしく、オーダーのメモを片手にフリフリのウェイトレス姿の生徒が、今か今かと料理の完成を待っている有様だ。
「ふむ。しかし、そういう行き当たりばったりな考えはよくないぞ。せめて、どこかからヘルスを頼んだ方が」
「会長。ヘルプを噛んでいます」
タカトシのツッコミはともかくとして、その女子生徒は少し深刻そうに目を伏せた。
「そうなんですけれど……でも、他に料理を頼める人がいなくて。他の部員だって、文化祭を楽しみたいですから、全員を仕事に充てるわけにもいかなかったし」
何やらブツブツと言い訳じみた事を言い始める。どうやら、かなりシフトは切羽詰まっている状況らしい。
と、そこで客席から男性の声がかかる。それも、一度聞いただけでかなり苛立っている様子だ。見慣れない学生服を着ているところを見ると、他校の生徒らしい。しかも、5人グループだ。
「ちょっとー。こっちの料理、もう20分待ちなんですけどー!」
「は、はい。大変申し訳ありません。もう少々お待ちください」
引きつった笑顔で、部長も応対に入る。しかし、客の機嫌はよくならない。
「あと何分で出来るんすか? 俺たち、これから予定があるんですよ」
「ええっと……あと、もう5分ほどで」
「マジで!? どうしよっかなー」
「もう他のとこで食った方がよくね?」
「でもさ、金払っちゃったしなあ」
どうやら、相当長い間待たされているらしく、横柄な態度を隠しもしていない。本来なら、この混雑状況を見れば無理もないという事は分かるはずなのに。
かといって、客に文句をつけるわけにもいかないのだ。この状況では出来ないのだから仕方がないだろうなどと抗議しようものなら、その時点で店は終わりなのである。
焦燥に駆られ、タカトシは必死に料理をしている部員たちを見た。彼女達は皆、疲労の色を隠せないまま手を動かしている。これは文化祭の出し物という枠内を、完全に通り越している忙しさであった。
「……会長」
「津田?」
副会長の静かな言葉に、シノは反応する。その声に、彼女は何をしようとしているのかを察した。
「……俺たちの仕事って、見回りでしたよね」
「そうだな」
「だったら、もし何かトラブルを発見した場合は――」
「個々の判断によって、対応していく。その内容は、トラブルの大小によっても変化するがな」
「だったら、俺はその生徒会の権限を発動させてもらいますよ」
「奇遇だな。私も同じ気分だ」
桜才学園の生徒会役員共は、お互いに頷く。そして同時に――
――予備のエプロンを、手に取った。
「――ありがとうございましたっ!!」
部長の女子は、もう目に涙すら浮かべながら、腰を深々と折り曲げた。他の部員も、全てが同じ表情である。
額に汗を浮かばせながら、タカトシとシノはエプロンを外す。それを近くにいる部員に渡した。その女子は、2人分のエプロンを感激の表情で受け取る。
時刻は、すでに2時を過ぎた頃。長蛇の列が途切れた頃、2人は解放されたのだ。
結局、レストランの前で待っていた客はすべてが満足した顔で去っていった。最も忙しい時間を2人で補う作戦は、見事に成功をおさめたのである。
タカトシはイタリア料理と、日本料理を。シノは日本料理と、デザートを。
それぞれがフォローに入り、生徒会役員はその責務を果たしたのである。
それでも、やはり疲労の色は隠せない。特にタカトシに至っては、演劇の疲れが抜けきっていない状態のまま遮二無二働いていたために、気分も悪そうであった。
「津田。足にキテいるみたいだぞ」
「会長こそ」
朝のやり取りを思わせる会話である。
「とはいえ、そろそろ時間だな。他の者達はどうしているだろうか」
「萩村たちなら、今頃見回りの時間でしょうけれど……俺たちが戻らなかったから、ちょっと気になりますね」
「ああ。私としたことが、つい目先の問題にかまけ過ぎてしまったな」
「でも、会長のそういうところ、本当に立派だと思いますよ」
「それは、遠回しな自画自賛か? 真っ先にヘルプに入ろうとしたのはお前だろう」
「そうでしたっけ?」
「そうだ」
どちらからともなく、クスクスと笑ってしまう。なんとなく、奇妙な共感を覚える2人。
秋の風が、校舎の廊下に入りこむ。火照った身体が、ほんの少しだけ涼んだ。
周囲には、客の数も少なくなっている。人がいるのは確かだが、もう開催直後のような賑やかさはない。
「さて。あとひと踏ん張りだ。私たちも、一旦生徒会室へ戻るか」
「そうですね」
時計を確認すると、すでに閉会の30分前に差し掛かっている。演劇部のような時間の決められた部活などは、すでに片づけを終わらせているらしい。
それでいい。どんな祭りも、いつかは終わるものだ。たった一日の夢の時間は終わり、明日からはまた僕たちの日常が待っている。
窓の外を見た。もうすぐ終わっていく秋の空が見える。これから訪れるのは、冬の空。
「なあ、津田」
「なんでしょう?」
階段を上っている最中、唐突にシノが顔を合わせないまま言った。
「その……閉会したら、後夜祭のフォークダンスがあるだろう?」
「はい。俺も準備を手伝いますから」
「うむ。それはまあいいのだが……」
足を止め、どこかモジモジとするシノ。
「よかったら、私と踊ってみないか? 相方を探していたのだ……」
「あ……」
目を瞬かせるタカトシ。どういうわけか、目の前の彼女がやけに別人のようだ。顔が赤く、普段の凛々しい態度は見る影もない。
だが、それは変かと問われれば、違う。
さらりとした長い黒髪に、今は不安と期待が入り混じっている瞳。頬が赤く、どう見ても照れているようにしか見えない表情。
――会長は、勇気を出して俺の事を誘ってくれているんだ……
鈍感な自分でも、ようやく気づいた。普段の彼女の中に隠れていた、もう一つの“天草シノ”の姿を。
そして、そんな彼女を前にして、返事はすぐに決まった。迷わずに、ハッキリと伝える。
「はい。俺でよければ」
その言葉を聞いた時の天草シノの顔は、彼にとっての一番の思い出となった事は、言うまでもなかった。
つづく