誰かが傍にいてくれて。
過去よりも暖かく。
僕らの想いもまた育んで。
それがどこへ行くのかは、今はまだ分からないけど。
それでも、たったひとつ分かっていることは。
この時間が、未来へと向かう確かな力となっている事……
【新年早々の役員共】
新たな年が始まった盛り上がりが世間から未だ冷めやらぬ頃、桜才学園は3学期を迎えた。
前日から雪が降り続け、街中を歩く者達の吐く息を白くさせている。グラウンドで新年の挨拶を早々に済ませた部活動の参加者は、意識して身体を動かすことで寒さを和らげているようだった。
そして、視点は生徒会室へ。新年早々だからこそと言うべきなのか、去年の最後に余裕を持って終わらせたはずの仕事場にも、さっそく新たに消化するべき書類が舞い込んできている。
この時期は、3年生が学年最後の学期という事もあり、卒業や部活の引継ぎに関する問題解決が主な仕事となるのだ。来月の半ばにもなれば受験の終わった者は自由登校となるので、それまでは仕事が落ち着く事は少なそうである。
「ふう。新年早々忙しいものだ」
肩を上下に動かしながら、天草シノはボヤいた。流石の生徒会会長も、目の回る忙しさに参っているらしい。
「それでしたら、少し休憩しましょうか」
1学期から2学期までの費用関連を決算していた萩村スズが提案する。昼休みは短いが、この場にいる全員は未だ食事すらとっていない。
「そうね。腹が減ってはエロスは出来ないっていうし」
書記の七条アリアが動かしていたシャープペンシルを止めて、自然な口調で言った。
「はっはっは! アリアよ。確かにセッ○スはベッドの上の戦だからな!!」
「バカウケだと……!?」
腹を抱えてドッと笑うシノ。そのウケのツボがタカトシには分からない。
「……提案した私の責任かしら?」
「提案内容は当たり前の事だったから、気にしなくてもいいよ」
仕事で張り詰めていた空気を和らげつつ、役員達は弁当箱を開いた。自然と、談笑の時間となる。
仕事の合間の休息というのは、いつも安らぎのひと時であった。初詣の後はどうしたか、という話やそれぞれの家族の話。テレビの正月番組の話題や、クラスメイト達の話。
「私は作れるぞ」
「私もしょっちゅう作ってる」
「私もお母さんの影響で、それなりに作ってる」
シノとアリアの後に、スズが言った。
「俺は仕事や家でいつも作っています。コトミが作れませんから」
タカトシが言う。それを聞いていた、生徒会室の出入り口のドアに隠れている人影。
「なるほど。津田タカトシはヤリ○ンで、妹さんは○妊症……」
「料理の話をしているんだよ、そこの新聞部部長」
「おう?」
タカトシのジト眼に無表情のままのけぞった畑ランコは、滑るように廊下の奥へと消えていった。
「……ところで」
もはや慣れたものだ、とシノはさっさと話題を変える。
「津田の妹は、勉強の方はどうなっているんだ?」
津田コトミは、今年の2月に桜才を受験する。成績のラインがギリギリだと聞いた事があるので、一応訊ねてみたのだ。
「順調……と言いたいところですが、楽観はできません。なにしろ、当日までの勉強計画を考慮して、どうにか合格圏には届きそうなんですけど」
「ふむ、それは本当にギリギリだな。なんだったら、津田以外の誰かからも教わるというのはどうだ? いい刺激になるかもしれん」
「え。でも、迷惑になるんじゃ?」
「妹のためだろう。兄であるお前が、一肌脱がずにどうする。何なら、私が家に行って勉強を見てやってもいい」
それは、紛れもなくシノの含みのない提案であった。しかし、そんな彼女に冷ややかな視線を突き刺す少女がいる事に気づく。
「……どうした、萩村?」
「会長。いくら身内がいるとはいえ、男子生徒の家に入るというのはいかがなものかと」
「なっ!」
シノの顔が茹蛸のように真っ赤になる。口をパクパクとさせると、どうにか言い返した。
「ち、違う。私はあくまでも津田の妹の心配をしているだけだ! 後輩が増えるというのは、私にとっても喜ばしい事だからな」
「先ほどは他の学校を受けた方がいいって言っていませんでしたっけ?」
「今後次第では、まだ可能性はあると津田が言っただろうが。ならば、私もできる事なら協力をする事もやぶさかではない」
腕を組み、ムッとするシノ。やましい気持ちなどないというのに、痛くもない腹を探られるのは心外だ。
「……そうですか。失礼しました」
「うむ」
その様子に、スズは矛を収める。些か語尾が危うかったようにも感じたが、この分では本当に余計な下心はないらしい。
――って、なんで私が会長と津田の縺れを心配しなきゃいけないのよ。
我に返り、頭を抱えるスズ。どうも去年の終わり辺りから生徒会役員の人間関係が気になり始めている。正確にはタカトシの周囲の関係だが。
いけない。タカトシが誰と親密になる可能性があろうとも、自分には関係のない事だ。
そう言い聞かせる生徒会会計であった。
一方で、シノは仕事を続けながら考える。
――津田の家……か。
【彼の私生活】
登校日から、初めての休日。
電車に乗っていた天草シノは、普段は降りる事のない駅のホームに足を踏み入れた。
改札を抜けると、目の前には大型のショッピングセンターが目に入る。いつも電車の中から見ている風景だ。休日という事もあるせいか、人通りは多い。
シノは足を東口の出入り口に向けて進めていく。西口にはアーケード街も存在し、昼間の若者の遊び場があるのだが、あいにくと彼女はこの街に遊びに来たわけではない。
エスカレーターを降り、バス停のロータリーに出る。周囲を見回すと、目的の人物はすぐに確認できた。
黒のジャケットに白のスキニーパンツ。シンプルながらも派手なものを好まない彼らしいファッションといえる姿。私服姿の津田タカトシである。
対して、シノはドレープが特徴のワンピースに、白のカーディガンといった服装。言うまでもなく、生徒会会長の私服である。
この日。約束通りに2人はコトミの勉強を見るため、プライベートで会う事にしたのだ。
互いに近寄り、挨拶を交わす。学校ではないが、いつもの習慣で丁寧に会釈をした。
「こんにちは。今日は、よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ、今日はしっかりと任されよう」
2人は雑談を切り上げ、肩を並べて駅の構内から姿を消していく。向かう先は、もちろん副会長の自宅だ。
津田コトミ。桜才学園志望の受験生である。
成績は兄のフォローもあり、どうにかラインにとっかかりが出来そうな程度までは伸びている。この日はいい刺激を与えるという意味で、タカトシ以外の成績優秀者に勉強を教わる事となったのだ。
リビングには、炬燵が用意されている。コトミとシノは向かい合う位置で座り、挨拶をした。
「今日は、わざわざ本当にありがとうございます。家庭教師、よろしくお願いします」
「うむ。クリスマスパーティーの時よりも、一層気合を入れていくつもりだからな。今のうちに覚悟をしておくがいい」
「期待しています。桜才に行くためですから」
勉強嫌いなコトミも、今だけは意欲を見せる。この分なら、やる気に関しての問題は無いかもしれない。
タカトシが用意した2人分の紅茶の横に、問題集やノートが広げられてある。これで準備は万端だ。
「ときに、コトミよ」
「はい?」
不意に真剣な顔にあるシノに、コトミは背筋を伸ばす。
「まだお前の属性を訊いていなかったからな。Sか、Mか?」
「Mです! 罵倒されると興奮しますので!!」
かつて兄の方にも訊ねた事のある質問。妹は迷いなくキッパリと答えた。
「ほう。ならば兄弟同士相性がいいのだな。兄の方はドSなのだろう?」
「はい! あの蔑んだ目で見られると、興奮して濡れてしまいます!!」
「そうか。いや、実は私もだ! 幼い頃からあんな目で見られているとは、正直羨ましい限りだぞ!!」
「さっすがシノ先輩! もう兄から調教済みとは!!」
「んー。何だか騒がしいなぁ」
超棒読みの言葉を言いながら、階段をトントンと降りてくるタカトシ。わざとらしく周囲を見回す素振りを見せると、いかにも今気づいたように2人を視界にとらえる。
「あれー、会長。コトミもそこにいたのかぁ。勉強の方は捗っているんですかぁ?」
「……」
2人はコメカミを引き攣らせているタカトシを見て、お互い同時に咳払いする。
「もちろんだ。さて、コトミ。まずは英語から始めよう」
「はい、シノ先輩。正直言って苦手ですが、頑張ります」
何事もなかったように真面目モードに入るシノとコトミに、タカトシは呆れたように溜息をついた。
あれだけ騒いでいれば部屋に居たって聞こえるんだよ……
と、そこでコトミがタカトシの格好に気づく。彼は今、黒のスポーツウェアを身につけているのだ。
「あ、タカ兄。もしかして、またいつものやつ?」
「ああ。お昼前には帰ってくるから。会長も、どうかごゆっくり」
そう言うと、タカトシは家の玄関から外へ出ていく。それを見送ると、シノはコトミに訊ねた。
「コトミ。津田の奴はランニングでもやっているのか?」
「はい。兄の日課なんです。休日はいつも決まったルートで走っていますので」
「そういうことだったか」
その時の習慣なのだろうなと、シノは納得した。確かに、タカトシはスポーツマンタイプだ。日頃から運動を欠かしていないらしい。
シノは、つい窓越しに外を見る。ついさっき、タカトシが通ったであろう家の門が視界に入った。
頑張れよ、津田。私は、お前に期待しているのだからな。
河原から流れてくる涼しい風が、ゆったりとタカトシの背中を押してくる。
1月の空気は冷えているものの、温まった身体にとっては苦ではなく。
休日のカップルや友人グループの若者たちとすれ違いつつ、前へ前へと足を動かし続ける。
コンビニの突き当りを左へ。犬の散歩をしている主婦の背中を通り越し、横断歩道の前で足踏みをしながら左右を確認。
軽トラックとワゴン車が前を通ったことを確認し、道路を横断。ビルとレストランの間の道を直進し、坂道を駆け上がる。
そのまま10分ほど走り続けると、周囲の景色が開発地区から民家の立ち並ぶ住宅街に変わっていく。公園の角を曲がった先には、50メートル以上はある石段がある。
盾隼神社(たてはやじんじゃ)。マラソンコースの折り返し地点だ。
タカトシは躊躇なく長い階段を上り、意識して膝を上下に動かしながら神社の境内へ向かっていった。近所住まいらしい老夫婦が、手すりを挟んだ反対側から石段を下りている様子が確認できる。この神社ではたまにすれ違うので、軽く挨拶をするのを忘れない。
一段上り、その場で膝を上げた足踏みを4回。またさらに一段上る。
10分強ほどの時間をかけ、境内に到着するタカトシ。流石に息が切れているが、これは自主練習として中学時代から続けているのだ。今更バテたりなどしない。
人気のない神社の境内には入らず、階段傍でUターン。ここまで来た時と同じように階段を下りつつ、盾隼神社に背を向けて道路へと戻っていく。
腕時計をチラリと見ると、10時を過ぎた頃だ。家にはお茶菓子を買っておいてあるので、会長に出していてくれているといいのだが。
【その頃の受験生】
「どうですか!?」
自信を持って、シノが作ってきた試験問題を解いたコトミ。対して、シノは無表情で採点。
「69点」
「うおっ」
合格点80点には、まだまだ遠かった。
【お昼前の攻防】
「ただいま」
「お、おかえりぃ……」
タカトシが家に戻った時、すでにコトミは炬燵の上に突っ伏していた。度重なる頭脳の酷使で、いい加減に限界らしい。
そんな中でひとり余裕なシノは、顔をこちらに向けてくる。
「ご苦労様だな、津田。こちらの方は、もう少しで区切りがつきそうだ」
「お疲れ様です、会長。休憩はしましたか?」
現在の時刻は、11時を過ぎた頃。そろそろ昼ごはんの支度をしなければならない。
「ああ。こまめに休息をとるのもいい勉強法のうちだ」
「そうですか。それじゃあ、シャワーを浴びたらご飯を作りますから。少し待っていてくださいね」
すまないな、と言おうとして止める。自分の部屋に向かうために階段を上ろうとしていたタカトシに言った。
「津田。今日はお前の両親はいないのか?」
「あ、言っていませんでしたっけ。うちの両親、出張が多いから今月中は留守なんです」
「そ、そうか……」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないぞ」
目が泳いでいるシノであったが、タカトシはそうですかと言い残すと部屋に向かっていく。一方で、シノの方は全然何でもなくなかった。
両親がいない。ということは、まるで……
「エ○ゲのようだ、ですか?」
「うむ、その通り……って、うわっ!」
いつの間にか、コトミが炬燵に顎を乗せたままニヤけた顔でシノを見ている。生徒会会長は自分の顔に血液がのぼっていくのが分かった。
「ふっふっふ。わかりますよ、シノ先輩。格好いい後輩の家へ、口うるさい親がいない時に訪問する美人生徒会長。表向きはクールに決めつつも、心の中ではどう妹の目を盗んで男の子を手籠めにしてやろうかと、権謀術数を張り巡らせる狩人と化して……」
「ち、違うわ! 親がいない時に来たのは本当に偶然だ!!」
妙なナレーションを入れられて、シノは慌てる。コトミにはそれが楽しくてしょうがない。
「あっはっは。でも、ちょっとは期待していたんじゃないですか?」
「だから、そんな事はない。初めて女の部屋に入った童貞男じゃあるまいし」
似たようなものじゃないですかと返してやると、シノはこめかみをヒクつかせる。
「コトミ。次の試験問題が残っているが……今度は合格点を90点に引き上げてもいいぞ?」
「大変申し訳ありませんでした」
へへぇ、と迷いなく土下座をするコトミ。あまりにも潔い土下座ぶりであった。あと、流石にシノの顔が怖かったので。
だが、我らが桜才学園生徒会会長は――
「問答無用だ」
――兄よりも、めちゃくちゃスパルタであった。
そして、着替えを持ってバスルームに向かう途中のタカトシが見たものは……
「違う、ここはDだ。単語の意味をもう一度理解しろ。2ページ目から書き取りだ」
「は、はいいいっ!」
「さっき読んだ人物の描写の意味をはき違えるな。ここは堀井が坂口を叱っている時に、何を考えているのかが重要なポイントだろう。後で読み直し10回だ。」
「す、すみませんっ!」
「ここはbe keen on(~に熱中している)だ。間違えたから、問1からやり直しだぞ」
「り、了解であります、シノ先生……」
見るからに苦しそうなコトミの声。しかし、シノはまったく休ませる気などない様子である。というか、なぜか彼女から怒りのオーラのようなものが見て取れた。
そんな姿に、タカトシは思う。
――会長に頼んでよかった。うん。
そんな呑気な感想を抱いただけであった。
【お昼休憩】
風呂から上がったタカトシがした事は、当然ながら昼食の用意であった。
フライパンや鍋を慣れた手つきで洗い、さらに調味料の下ごしらえを始める。材料を冷蔵庫の中と相談し、決めたメニューに必要なものをキッチンに置いた。
「津田。よければ手伝おうか?」
シノが炬燵から立ち上がって、そう提案する。彼女も料理は出来るので、1人に任せるのは申し訳ないと思ったのだ。
「いえ、会長は忙しい中でコトミの面倒を見てもらっていますから。こういう時くらいは、ゆっくりしていてください」
コトミの勉強を見る事の大変さを知っているタカトシとして、せめてもの気遣いであった。午前中は自由にしてしまった分、午後は自分もシノと一緒に勉強を見なければいけないのだから。
心配いりませんと笑うタカトシの髪は、シャワーを浴びたために艶めいている。よほどの運動をした後なのだろうか、顔もまだうっすらと赤い。
それでも、本当に手伝いは必要なさそうだ。そうかと返事をするが、シノは炬燵に戻ろうとはしない。そのまま、彼の料理する後ろ姿をジッと見つめる。
広い背中、だな。
シノは、下心とは違う意味を込めて素直にそう思う。今は料理に力を入れているその背中は、いつも今日のように鍛えているためなのだろう。
ニンニクと玉ねぎをみじん切りにするタカトシ。その手つきは本当に慣れていて、確かにアルバイトとはいえシェフの一員として差し支えない腕前であった。
水とコンソメを2個入れて、煮る。フライパンでオリーブオイルを熱し、シーフードミックスとベジタブルミックスを入れて炒めた。
ここまで来ると、シノにも作っているものが理解できる。イタリア料理のパエリアだった。
調理を進め、塩とコショウで味を調えた後は弱火のままで蓋をする。続いて、タカトシは次の作業に取り掛かった。
鍋を使って、パスタを茹でる。何度かパエリアの様子をチェックしながら、作業を続けた。
湯で終わったパスタは一度ヒーターから外し、代わりにもう一つフライパンを用意する。
キッチンに置いてある具材の中から手に取ったのは、シーフード。おそらくは、アルバイト代で購入したのだろう。
シーフードをガーリックオイルで炒め、生クリームやバターと言った調味料を加え、じっくりと弱火で混ぜる。
3人分の皿を用意し、パスタを分ける。その上に、シーフードを煮込んだソースをかけた。ホワイトソースの生パスタだ。
さらにタカトシはパエリアを分け、トレイに乗せた。と、そこで運ぼうとした時にシノと目が合った。意味もなく、お互いが肩をビクリと動かしてしまう。
「うわっ、会長。もしかして、ずっと見ていたんですか?」
「え、あっ……」
言われて、初めて自分がずっとタカトシを立ったまま見ていた事に気づく。ずっと飽きもせず、シノは終始彼の料理をする姿を見つめ続けていたのだ。
「す、すまん。その、ちょっと離れるタイミングを逃してしまって、いつの間にか。はは……」
「タイミングを逃したって……」
30分近くもずっと立っているなんてと思ったが、それはいつの間にか食卓の席に座っていたコトミによって遮られる。
「あ、タカ兄。もうできたの? 私、さっきから頭使っていたせいか、お腹が空いちゃってさー」
「はいはい、ちょっと待っていろって」
「あ、運ぶのなら私も手伝おう」
誤魔化すようにキッチンに入ると、シノはトロリとしたクリーミーなパスタをトレイに乗せ、パエリアを運ぶタカトシの後ろに続いていく。
なぜなら、そうしないと赤くなった自分の顔を見られてしまいそうだったから。
【その頃のスズ】
萩村家。食事中の食卓にて。
「……む」
「あら、どうしたのスズちゃん。お味噌汁に入れた母乳が合わなかった?」
「んなもん入れんな! いや、そうじゃなくて……どこかで不愉快な事が起きている気がして。具体的に、生徒会役員の誰かを中心に」
「?」
乙女の勘はよく働くようであった。
【そして夕方】
オレンジ色に街が染まる頃。シノは自宅に帰る事になった。
夕飯も良ければどうですかとコトミは誘ったが、そこまで世話にはなれないと断ったのだ。タカトシとしても、流石に面倒を見てくれた会長を夜中に帰らせるというのは気が引けた。
最後まで玄関で手を振るコトミを背に、タカトシはシノを駅まで送ってきたのだ。周囲には仕事帰りのサラリーマンや、部活の後らしい学生が歩いている。
2人が立っているのは、駅の東口。周囲には足早に駅構内へ向かう者と、帰るためにゆっくりと歩いている者達の対比がハッキリとしていた。
「それじゃあ、今日は本当にありがとうございました。おかげで、コトミも自信がついたみたいです」
「それなら、こちらとしても苦労した甲斐があった。むしろ、こっちこそご馳走になってしまったな」
「お昼ご飯くらい、どうってことないですよ。あんなものでよければ、いつでも作っていいくらいです」
お互いに笑う。美しい茜空が、2人の笑い声を優しく吸い込んでいった。
「また、何かあったら言ってくれ。可能な範囲で手を貸そう」
「ありがとうございます、会長。俺の方こそ、何かあったらいつでも言ってください」
「うむ、頼りにしている……ああ、でも、そうだな」
少女は、少し視線を外した。小さな声で、ポツリと呟く。
「もし次があるのなら……味噌汁でも作ってほしいな」
「え?」
シノは返事をしない。長い黒髪を翻し、駅の改札へと歩いていった。
つづく