新しい出会いに備える僕らの時間。
それは学び舎で、在りし日の僕らが迎えた事。
迎え入れる僕ら。受け入れられる皆。
経験者として。年長者として。
恥じないように、彼らと彼女らの道しるべになれますように。
【それぞれの春休み】
本格的に春の気配が近づいてくる時期。
始まりの季節とも言うべき、桜の季節。それは、住宅街の一角にある津田家も例外ではない。
「はあ……長い春休みって、素敵……」
ベッドに横になったまま、妹は新しい生活に胸を躍らせながらも安息の休日を過ごす。受験が終わった反動のためだと、彼女のためにもフォローしておこう。
そして、兄は2度目の季節に備えて自己鍛錬を欠かさず。その津田タカトシは、現在は自宅にいない。
彼は現在、最寄り駅から10駅ほど離れた街を歩いていた。
早朝、通り慣れた改札を抜けると上から直射してくる日光に目を細める。見慣れたファーストフード店や雑貨屋が見えるが、特に立ち寄ろうとは思わない。地元の学生がチラホラと見える程度だ。
特に若者が特別集まる街、というわけではない。むしろ自然を大事にする空気を纏い、事実その通りだった。何の変わりもない、どこにでもある平凡な街。ただ、規模の大きい大学がすぐ近くに存在しているため、自然と若者の姿が目に付くのが特徴である。
タカトシ自身は、そういう空気が嫌いではなかった。むしろ、彼の実家はより都会とは程遠い生活をしている。タカトシ自身も、そういう空気を本能的に欲しているのかもしれない。
駅前の百貨店を素通りすると、すぐに住宅街に入る。歩き慣れた道を歩き続ける彼の目に、ゴールである場所が見えてきた。
古ぼけてはいるものの、しっかりとした造りの日本家屋。家主の話によれば、自宅と兼任しているらしく、家の裏に回れば平凡な家の造りを拝むことができる。
いまさら、そんな事を確かめるまでもない。タカトシはチャイムを鳴らして用件を告げると、その敷地内に足を踏み込んだ。
「せいああっ!」
気合と共に放たれた蹴りは、相手の顔を確かに捉えた。
従来なら一本という判定が下されるところだが、蹴りを撃った当の本人であるタカトシは息を呑んだようにその体勢のままで停止した。
なぜなら、試合相手である相手の足もまた、全く同じ体勢のままで止まっていたのだから。
互いに、同時に上げていた足を戻す。互いの目には、相手がゆっくりと闘志を落ち着かせている姿が映っていた。
「……相打ち、か」
「……ですね」
それが、この試合の結論であった。互いに礼をし、試合終了の意を表す。
タカトシと相手も、ずっと身に着けていた防具を外した。フルフェイスの面を外すと、汗だくになった顔が姿を見せる。
「腕は鈍っていないようだな、タカトシ」
「師範こそ。お変わりないようで何よりです」
日本拳法の道場にて。久しぶりに会った中年の師範は、相変わらずの強さであった。
最後に、タカトシは道場内を清掃する。慣れた手つきで、学園の格技室よりも大きい空間を綺麗にしていく。
30分ほどで済ませた後、道場の真ん中で互いに正座し、背筋を伸ばす。タカトシは、未だ心臓の音が聞こえているのを自覚しつつ、真剣な態度で向き合った。
目の前の男は、タカトシが拳法を教わり始めた頃からの師匠である。すでに高齢といって差し支えないはずなのだが、未だに現役時代に鍛えた技のキレは健在だ。
「タカトシよ」
「はい」
「お前が進学して以降、この場に足を運ぶことも少なくなってしまった。しかし、それでも時間を見てはこうして顔を出しに来ている事。師範として安心する」
無言でうなずく事で返す。実際、日々の勉強やアルバイトに、生徒会の仕事。単純に身体を鍛える目的で入門した道場も、必然的に通う機会が不規則なってしまったのだ。
師範はそのあたりの理由を理解しているため、特に文句はないようだった。それが、タカトシには嬉しく感じる。普通なら、定期的に来られない人間など辞めさせられても文句は言えない筈なのに。
「だが、それでも」
「はい?」
「週に一度は来い。宙ぶらりんな門下生などいらんのでな」
「御尤もです」
訂正。やっぱり文句はあるようだ。というか、あっさりといらない呼ばわりされた事が少し悲しい。
「……ふん。まあ、今の若い者にしては根性があるとは認めている。今日はもう帰れ」
「わかりました」
もう一度礼をすると、タカトシは立ち上がった。着替えるために、別室へと向かう。
「帰ったら、トレーニングを忘れるな。10セットだ」
「大丈夫ですよ。毎日やっていますから」
師範の声に、タカトシは何でもない事のように答えた。
シャワー室に入り、服を脱いで汗を洗い流す。肩に少し痣ができているが、気にはしない。今日の組手では不覚を取って一本取られてしまったので。
身体を拭いて、着替えを済ませる。
「それでは、お先に失礼します」
「ああ」
最後にもう一度挨拶をして、彼は道場を出た。
外を出ると、ちょうど正午に差し掛かる頃だ。思っていたよりも早く稽古が終わってしまったため、どうしようかと思う。
昼食は、家に帰るまで我慢しようか。そう考えながら、タカトシは駅へ向かった。
春休みのお昼時という事もあり、学生らしいグループが駅前にチラホラと見えるようになっている。小さい子供が楽しそうにどこかへと走っていき、それを親が笑いながら止めた。
俺も将来、家庭を持ったらそうなるのだろうか。柄にもなく、そんな事を考えてしまった。
あ、と思い出す。そういえば、紅茶の葉がそろそろ切れそうだったっけ。
一応インスタントはあるのだが、自分としては淹れ方にも拘っていたい。この辺りはレストランのアルバイトから身についた職業病だ。
駅の裏手に建っているビルの一階に、専門店がある。タカトシはそこに入り、商品を少しだけ見て回った。
これにしようかな。彼はパックを手に取り、会計を済ませて店を出る。
さて、早めに帰ろうか。今日は、新しく覚えたいお茶の入れ方を勉強しなければ。
【あの頃の僕ら】
同じ頃。津田家。
空腹感を覚え、コトミは1階のフロアへと降りてくる。兄に食事を作ってもらうために部屋を訪れたが、誰もいなかったのだ。
食卓には、書置きとラップにくるまれた昼食が置いてあった。レンジで温めれば食べられるようだ。
彼らしい丁寧な字で書かれた書置きには、彼女が予想した通りの場所に行ってくるという内容の文字。
まあ、それはそれとしてコトミは料理を温め、食事を始める。空腹感のせいか、作り置きのものでも美味しく感じられた。
と、そこで家のインターフォンが鳴る。いつもは兄が応対するのだが、今は自分一人で留守番だ。素直に玄関へと向かった。
ガチャリと音を立て、来訪者を迎える。
「こんにちは」
「おじゃまするわ」
玄関の前に立っていたのは、桜才学園の生徒会長である天草シノ。そして生徒会役員である萩村スズと、七条アリアの姿があった。
「いらっしゃーい」
途端、上機嫌になるコトミ。これから先輩になる者達であり、また色々と世話になったのだから、歓迎しない筈がない。
ふと気づくと、見覚えのある女性がシノの隣に立っている。三つ編みが特徴的な、いかにも真面目そうな印象である。
その視線に気づき、彼女は会釈する。
「桜才学園3年生の五十嵐カエデです。偶然駅前で会長と萩村さんに会いましたので、僭越ながら同行させていただきました」
「あ、どうも。そういえば、去年のクリスマス前にタカ兄と一緒に会っていましたよね」
「はい。あの時は、まだ自己紹介をしていませんでしたね」
「あはは」
頭を掻きながら、曖昧に笑って返事をする。見た目の通りに、礼儀正しい人であった。
「そうでしたか。それで、どうしたんですか、今日は?」
「これから後輩になるコトミに、入学祝いを持ってきたぞ」
「え、本当ですか?」
そう言って、シノは手に持っていた紙袋を渡す。コトミは、さっそく目を輝かせた。
ズシリと重い紙袋も、プレゼントと思えば全く気にならない。早速、中を確認する。
途端、ビシリと身体が硬直するコトミ。
「あれ、これって参考書……ですよね?」
「そうだ。他にも入っているぞ」
なんとなく嫌な予感がするコトミは、さらに中をあさってみた。
「問題集……」
「それ、私から」
スズが自分を指さして言った。
「……資格の入門書」
「私です」
今度はカエデ。
「保健体育の専門書」
トドメにアリア。
「ひええええ……」
ヘナヘナと玄関前に腰を落とすコトミ。自分をまったく遊ばせない、成績上位者達からの容赦がないお祝いであった。
ふと、シノが気づく。そういえば、もう一人の住人はどこにいるのだろうか。顔くらい見せてもいいはずなのに。
「コトミよ。津田はどうした?」
「あー……、タカ兄ですか?」
覇気のない声で、コトミは言った。
「朝早くに出かけました。道場へ顔を出しに行くって」
「道場?」
スズが目を瞬かせる。彼がそんなところに通っているというのは意外であった。
ああ、と言ったのはカエデ。そういえば、彼は確か――
「確か、タカトシ君って格闘技も出来るんでしたね」
「はい、そうですよ。久しぶりに、恩師に会いに行くって」
「そうなのか、五十嵐?」
「そうですよ。1度だけ……」
「む?」
「……いえ、何でもありません」
僅かに硬い声で返事をするカエデ。彼女の脳裏には、数か月前に起きた“事件”が回想されていたのだ。姉の五十嵐ヤヨイが元恋人に連れていかれ、自分はタカトシと共に助けに入った事。そして、警察の事情聴取を受けた事。
あの事は、未だに当事者同士の秘密である。彼ら3人は、未だに家族にすらその事を話してはいないのだから。無駄に騒ぎや噂話が広がるのは好ましくない。
もちろん、生徒会の彼女らにも。
「1度だけ、タカトシ君から聞いた事がありましたので。拳法を習っていたとか」
そう言って、話を繋げておくことにする。シノも別段不審に思う事もなく、素直に納得した。
「ほう。あいつがか。しかし、なぜ私には話してくれなくて、五十嵐には話しているんだっ」
頬を膨らませるシノ。自分は彼の上司だというのに。
「いえ、会長。私も初耳なんですけれど」
「わたしも聞いた事ないなあ」
スズが軽く手をあげる。アリアも頬に手を当てて言った。
そこで、コトミは未だに玄関で立ち話をしている現状に気づいた。いけない。まずはリビングに上がってもらわないと。
お茶菓子は、まだ残っていただろうか。そんな事を考えつつ、彼女は4人を家の中に招き入れる。
食卓の隅に、来客用のお菓子があった。いくつか取り出し、ついでに飲み物も入れる。インスタントだが、コトミには店に出すようなお茶の入れ方など分からないので構わなかった。
市販のクッキーと紅茶をテーブルの上に置き、彼女たちは一息つく。
「すみません。ありあわせのお菓子で。紅茶も、タカ兄のよりは美味しくないかもしれないですけど」
「いや、気にするな。突然来たのはこちらの方だ。ところで……」
頃合いを見て、シノはコトミに言った。
「入学式は、来週だな」
「はい。でも、期待と不安が半々なんですよね。うまくお友達を作れるかどうか」
「そういう時は、同じ趣味を持つ人間を見つけるといい」
アドバイスをする生徒会長。スズも話を続けた。
「そうね。会話が弾むと思うし、相手だって距離を縮めたがっているかもしれないから、きっと乗ってくれるわよ」
「他にも、共通の話題を積極的にしてみるのもいいと思うわ。誰だって入学式は緊張するものだし、話すきっかけさえあれば仲良くなってくれると思うから」
カエデも自分なりのアドバイスをする。コトミはいちいちウンウンと頷く。やはり、友達を作るには正攻法が一番という事なのだろうと納得した。
「私も、シノちゃんとはすぐに仲良くなったよ」
アリアが補足する。生徒会長と目を合わせ、ニッコリした。
「乳○こねくり回すの好き同士で」
「誰もそんな事訊いてません……って、コトミさん。なにを真面目に聞いているんですか」
カエデのツッコミをよそに、コトミは黙ってメモを取る。性癖が近い人を探すのがコツ、と記した。
「第一、 コトミにはもう仲良くなれそうな男の子ができたではないか」
「へ? ああ、そうですね。ノリーは結構いい人そうですし」
シノに言われ、ようやくその事を思い出すコトミ。
ノリーとは、共に桜才学園を受験した日に知り合った高部ノリユキの事だ。いつの間にか、勝手に作った愛称で呼んでいるらしい。
「なんだ。もう友達ができているんですね」
カエデは感心したように言った。実際、自分は男性恐怖症だという自覚があるため、コトミのような社交性のある人間は素直に羨ましく思っているのだろう。
「高校だからといって、難しく考える必要などない。人間関係の作り方は、古今東西それほど変わりがないのだからな」
そう言って、シノが締めくくる。スズは会話を繋げるため、別の話題を出した。
「前から思っていたけど、コトミちゃんって津田とずいぶん仲がいいのね。年頃の兄妹のわりには」
その疑問はもっともであった。一般家庭の多くでは、年頃になれば身内と距離を取りたがるものだ。
しかし、スズの目には津田兄妹はそういう空気が妙に薄く感じる。不平不満こそ言いあう事もあるが、コトミは基本的に兄を心から慕い、頼りにしている。タカトシもまた、手を焼かせるなどといいながら、なんだかんだで面倒を見ているのである。
「そうですね。小6まで一緒にお風呂に入っていましたから」
「えっ」
声を出したのはカエデ。まさか、身内とはいえタカトシがそんな事をしていたとは思わなかった。
「流石にその頃になると、狭いから入らなくなっちゃいましたからね。無理に入ろうとすると、違うところが入りそうになりますから」
「コトミちゃん。その話、詳しく聞かせてね?」
「七条さん、小学6年の話ですよっ」
顔を赤くしたシノとアリアが食いついてきて、カエデはそれ以上に真っ赤。心なしか、風紀委員長の三つ編みがピョンと跳ねあがったように見える。
そんな反応に気を良くしたのか、コトミは続けた。
「まず頭を洗いっこしている時に、さり気なく私の膨らみ始めた胸を背中に押し付けつつ、タカ兄の――の反応を確かめて……」
「な、な、な……」
もはや、カエデの顔はリンゴのように真っ赤だ。気の毒なほどに口をパクパクさせている。どうやら、コトミはその当時からアレな性格であったらしい。
「ああ、もう分かったから。ほら、五十嵐先輩もおちついてください。小さい頃の話なんでしょう?」
流石に見かね、スズは無理矢理中断させた。コトミと聞き手の2人は少し不満そうだったが、一応黙っていてくれる。
「えっと、じゃあこれからは2人一緒に登校するのね?」
「はい」
でも、とコトミは続ける。
「周りの女の子からしたら、もしかしてお邪魔に思われちゃうかなって。タカ兄って、色々な女の人達と仲がいいですし」
「ほほう。そうなのか、コトミ?」
感心したような声のシノ。ただし、目が笑っていない。
「はい。兄って、昔から恋人とかできた事もないから、なんだか妹として心配になります」
「……」
途端、シノの目から警戒の色が消える。スズはそんな彼女の分かりやすい反応に呆れながらも、話を聞く事にした。
「津田って、昔からそうなの?」
「どういう意味です?」
「だから……小さい頃から、あんな調子だったのかなって」
正直なところ、スズとしてはあまり信じられない話であった。あれほど人当たりが良く、自分を磨く事を怠らない男が恋人を作った事が無いなどとは。
まあ、異性関係が無いという意味では、自分達も同じなので強く言えないところが悲しいが。
カエデは黙っているが、無言の同意を示しているようにも見えた。自分の恐怖症すら解いてしまうほどの男なのだから、浮いた話の一つくらいあっても不思議ではない筈なのに。
「あ、信じてませんね。それなら、ちょっと待っていてください」
一言断りを入れると、コトミはそそくさとその場を離れ、2階へと上がっていく。シノ達は揃って顔を見合わせた。
なんだ。コトミは何をしに行ったんだ?
戻ってきたのは、それから数分後。少しだけ埃が被っているビデオテープを持っていた。それを手にしているティッシュで拭きながら見せつけてくる。
「これ、見てください」
「!?」
途端、緊張する彼女達。ビデオテープの題名には、こう表記されてあったからだ。
――タカトシ6歳、と。
4人は、即座に頷いた。コトミとは少し違う理由で。
その反応に満足したコトミは、もう片方の手に持っていたアルバムをテーブルの上に置く。もちろん、その前にお菓子と紅茶のカップを隅にずらしながら。
「これ、昔の写真です。赤ちゃんの頃から中学までの」
「……」
これから難関の試験でも受けるのではないかと思うほどの、真剣な表情。シノ、アリア、スズ、カエデの4人は、テレビの画面をジッと見ている。まずはビデオのほうが気になるらしい。
「……じゃ、行きますよ」
津田家のビデオデッキは、ブルーレイからVHSまで見る事ができるタイプだ。こういう時のために、あえてこの型を購入しているのである。
そして、ビデオが再生された。
始めに映ったのは、子供特有の幼さを持った少年の顔。一目で、タカトシの幼い頃だと分かった。
誰かが、わっと小さく驚きの声をあげる。正直なところ、いきなり彼の顔のアップというのは、色々な意味でドキリとさせられたからだ。
「なでなでしてみたいな……」
スズがポツリと呟いた。無意識に呟かれた声だったが、誰もそれを指摘しない。正直なところ、他の3人も同じ気持ちだったからだ。
ビデオは続く。庭を無邪気な顔で走り回ったり、コトミとかくれんぼをしている姿。
携帯ゲームで遊んでいる兄妹の姿。負けたらしく、苦笑いをしている兄。腰に手を当てて勝ち誇る妹。
次の勝負では、コトミがむくれてタカトシに背を向けている姿。対応に困っている彼の顔は、なんだか見ていて微笑ましい。
場面は変わり、小学校の運動会。障害物競走を、必死になって走っているタカトシの姿。他の父兄に交じっての撮影なので、少し遠目だった。
昼食の時間に、お弁当を家族で食べている時の笑顔。口の周りをご飯粒だらけにして、コトミや母親に笑われている。
「ふふっ……ここ、可愛いと思わないか?」
「分かるよ、シノちゃん。この水鉄砲をかけられて泣きそうになっているところなんて、今だとちょっと想像できないよね?」
「同意します。私は、さっきの困っている時の顔もいいと思いますが」
「私は、泥まみれになって遊んでいる時が一番楽しそうに見えました」
みんな、口々に素直な感想を言い合っている。もしこの場にタカトシがいたら、恥ずかしすぎていたたまれない気持ちになっていただろう。
楽しい雰囲気に、コトミもなんだか嬉しくなる。そこで、ビデオを他にも見せる事にした。
――12歳の頃、野球の試合をしていた時の姿。真剣な目でバットを振る姿に、彼女たちは心の中で応援した。試合の白熱さも相まって、つい声に出して盛り上がってしまう。
――学芸会では村長の扮装で舞台に上がっていた。観客席で撮影している母親と同じように、思わず笑ってしまう。
――そして、15歳の夏。サッカー部で、全国大会に出場した試合。第2回戦で優勝候補と戦った時の姿。
放送されたテレビとは違う、生の歓声が聞こえる光景。結果は分かっている。それでも、手に汗を握ってしまう試合。
点を取られ、また取り返して。
白熱する試合。そして歓声。
試合が終わる5分前、1点差。
そこで決まる、同点ゴール。
決めたのは、タカトシ。周りの仲間たちからもみくちゃにされ、それでもみんなは笑顔のまま。
だが、それはお互いのチームに火をつける決定打。互いの目つきが、これまで以上に変わったのだ。
優勝候補のチームは攻めた。聖城中学のチームも攻めた。
互いの監督も、頭に血を上らせて叫ぶ。攻めろ。奪えと。
残っている時間は5分。されど、この試合の全てが詰まっている5分。
全てが死力を尽くして戦った。最後まで、戦った。
そして、試合終了のホイッスルが鳴り響くその瞬間。
――自分達のゴールに、ボールが突き刺さったのだ。
「……」
シノ達一同は、言葉が出ない。
津田タカトシの、最後のサッカー。区切りをつけるには、あまりにも熱すぎた試合。
中でも、カエデはひとり思う。
結果は分かっていた。しかし、それでも画面に映っているのは……
津田タカトシの、涙。
みんなと共に泣いている、男の涙。
試合結果は知っていた。かつて、タカトシ自身にも言った事だ。放送されたテレビの特集で、それを見ていただけだったのだから。
それでも。
彼がこんな風に泣いていた事は、今までずっと知らなかった。そして、初めて見たタカトシの涙も。
「タカトシ君……」
何故、自分が彼の名前を呟いたのかはわからない。しかし、それをカエデは不自然な事とは思わなかった。
津田タカトシの過去の一部を知れた。今は、それだけでいいのだから。
ビデオは見た。最後まで、彼の過去を見ていたかったから。
【おかえり】
「ただいま」
タカトシが家に帰ってきた。シノ達は、同時に顔を見合わせる。フロアに姿を見せた彼は、シノ達がソファに腰かけている姿に驚く。
「あれ。どうしたんですか、みんなして」
「やあ、津田。お邪魔しているぞ」
片手をあげ、シノが言った。他の彼女達も、頭を下げる。
「今日はね、コトミちゃんに入学祝いを持ってきていたの」
「ああ、そうでしたか」
アリアの説明に、タカトシも納得した。コトミに用があって来たのか。
「それよりも、お茶入っているわよ。あんたもこっちに来て飲む?」
「ああ、それだったら……」
何を思ったのか、タカトシはキッチンの奥へ歩いていき、真新しいティーポットを取り出した。軽く水洗いをすると、持っていた袋から何かを取り出す。
「コトミの入れたやつじゃあ、どうせインスタントでしょう。帰りに茶葉を買ってきましたので、ちょっと待っていてください」
「あれ、タカ兄が入れてくれるの? しかも新しいやつ」
心なしか、ワクワクした表情になるコトミ。彼の紅茶は、彼女にとっての楽しみなのだ。
「いつもの店で買ったんだよ」
ティーポットを温めながら言う。慣れている手つきでお湯を沸かし、持っていたビニール袋から茶葉の袋と小さなチョコレートの入った四角い箱を取りだした。
「タカトシ君って、紅茶の専門店にもよく行くんですか?」
カエデが訊いた。タカトシは当然のように答える。
「ええ。レストランの仕事をしてから、その辺りにも拘るようになりましたから。色々と勉強になるんですよ」
「そうですか……」
タカトシの横顔は、精進を続けている人間のそれだ。あれほどの情熱を傾けていたサッカーを、どんな気持ちで区切りをつけたのかはわからない。ただ、そこには彼にしか知りえない悩みや迷いがあったのではないか。
それを共有できない事が、少しだけ悔しい。所詮、自分は高校時代の彼しか知らなくて。そして、今の彼の全てを知っているわけではなくて。
それでも。これから彼の事を知ってみたい。今よりも、もっとたくさん。カエデは素直にそう思えた。
ふと気づくと、津田コトミがこちらをニコニコと笑って見ている事に気がつく。
ああ、いけませんね。カエデは自分が今どんな顔をしているのかが容易に想像がついた。
「んふふ、五十嵐先輩。今、タカ兄を見て雌の顔をしていませんでしたか?」
いつもなら、慌てて否定したであろう台詞。だが、カエデは不思議と自然な気持ちで応える事が出来た。
「コトミちゃんがそう見えたなら、そうなのかもしれませんね」
「あれ?」
自分の思っている反応と違うと首を傾げるコトミをよそに、タカトシは人数分の紅茶とチョコレートを乗せたトレイを運んできた。
「お待たせしました。熱いうちにどうぞ」
季節は、春。
初めて迎える温かさ。2度目の春風。3度目の桜。様々な彩りを迎える、桜才学園の生徒達が体験する春休みのひと時。
みんなが揃った桜才学園の日々は、すぐ傍まで迫っていた――
つづく