生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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キミとの約束。

その日を心待ちにしながらも、時はすべて平等に流れていく。

騒がしくて。少しだけ緊張して。

短い秋の日は、今日も穏やかに続いていく。


雨雲の気配

 

 

 

【僕らの試験結果】

 

 

 

 

 人間とは、本当に精神的なショックを受けた時、頭が真っ白になるものだ。その場から動く事ができず、一切の自発的な行動ができなくなるのである。

 

 なぜなら、その者が目の前で起きた現実を認識した瞬間、自分が何を考えて対処をすればいいのかが分からなくなるから。具体的にどう行動すれば問題を解決できるか、答えを出せなくなる。

 

 そう。今現在の萩村スズもまた、全く同じ状態だった。

 

「……」

 

「萩村……その、なんだ。気を落とさないで」

 

 横から、津田タカトシが遠慮がちに声をかけているものの、ショック状態のままの彼女は眉一つ動かさない。というか、声そのものが聞こえていないようにも見える。

 

 原因は分かっていた。今2人が立っているのは、廊下の掲示板前。2年生になって初めての中間考査の結果が張り出されているのだ。

 

 スズは試験結果を見た途端、魂が抜けたように放心した。周囲の生徒が結果に一喜一憂している中、タカトシはスズの意識を戻そうと必死になっている。

 

「あら、スズちゃん。どうしたの?」

 

 同じように試験結果を見に来た七条アリアが、スズの様子に気づいて声をかける。当然ながら、無反応の生徒会会計。

 

「スズちゃん?」

 

「……」

 

「ねえ、スズちゃん?」

 

「……」

 

「……スズちゃんって、不感症だったっけ?」

 

「誤解でもあんまりだろ」

 

 アリアのボケにツッコんだのはタカトシ。スズはやはり、視線が定まっていない。

 

「あの、七条先輩。試験の結果を見てもらえませんか?」

 

「?」

 

 タカトシに言われるままに、視線を掲示板に移すアリア。そこで、穏やかな彼女の目にも僅かな驚きが混じる。

 

 萩村スズ――――495点。1位。

 

 津田タカトシ――495点。1位。

 

「凄い。とうとう津田君も1位を取れたね」

 

 アリアは自分の事のように喜ぶ。ずっとスズと競争していた事を知っているので、タカトシもそういう反応をしてくれることは素直に嬉しかった。

 

「あ、あの。それはありがとうございます。でも、その代わりに萩村が……」

 

「あ」

 

 アリアも我に返り、スズの顔を覗き込む。ややあって、少し深刻さを混ぜた表情で、タカトシに耳打ちする。

 

「もしかして……試験の結果で?」

 

「はい。特に、5点もミスしてしまった事が酷くショックらしくて。俺も満点を取るつもりで挑んだので、あまり人の事は言えないんですが」

 

 それでも、彼はスズほどダメージを受けていないだろう。タカトシはスズのような天才型ではなく、秀才型の優等生だからだ。いまさら数点のミスなど、落ち込んでいても仕方がない。

 

 だが、スズには致命的であった。彼女も努力をする事を忘れない天才ではあるが、それと同時に完璧主義者でもある。よりによって、こんなところでミスを犯してしまった事は彼女の自尊心を傷つけたに違いない。

 

 だが、だからと言ってこのままにはしておけない。今度は、2人そろってスズに声をかける。

 

「萩村。いい加減に目を覚ませって。いつまでも落ち込むなんて、らしくないぞ」

 

「スズちゃん。次の試験で満点を取ればいいよ。いつもそうしていたじゃない」

 

「いや。別にショック受けてませんよ」

 

 やっとスズが反応する。しかし、声は棒読みだ。

 

「人間失敗する事により、ひとまわり大きく成長できますから」

 

「あ、うん」

 

 だったらその口調はやめてくれないかな、と言いたい2人。スズは何とか口元だけで笑ってみせる。

 

「だからこれからジャージを買う時にも、ひとまわり大きいサイズにしようかと思い直しまして」

 

「早く戻って(こい)!!」

 

 タカトシと、大変珍しいアリアのツッコミがユニゾンする。周囲が、ビクリとして恐る恐る彼らの様子をうかがう。

 

「こら、そこの人達。こんな場所で騒がないで」

 

 と、彼らの様子を見咎めた人物が近寄ってくる。風紀委員長の五十嵐カエデだ。

 

「って、あれ。タカトシ君?」

 

「あ、カエデ先輩」

 

「もう、一体どうしたのよ。こんなところで大声を出すなんて、らしくないじゃない」

 

「すみません。いえ、実はですね……」

 

 タカトシは手短に事情を説明する。カエデは眉根を寄せて小声で囁いた。

 

「……まあ、萩村さんにとっては深刻かもしれませんけれど。でも、そんなにショックだったんですか?」

 

「はい。正直、俺と同位だったことがプライドを傷つけてしまったんじゃないかなって」

 

「それは考え過ぎよ。タカトシ君が一生懸命勉強しているのは、彼女だってわかっていると思うわ」

 

 ごく自然にカエデはタカトシを慰めている。彼もまた、ごく自然にそれを受け入れていた。

 

「萩村さん。少しいいですか?」

 

「……」

 

 周囲の騒ぎにはまるで反応しないスズの目が、僅かにカエデに向けられる。その様子に深刻さを覚えたものの、カエデはどうにか穏やかな口調で言った。

 

「どこかの問題でミスをしてしまったんですよね。でしたら、これからタカトシ君と答え合わせをするというのはどうでしょうか?」

 

「……」

 

 ピクリと、スズの方が動いた。手ごたえを感じたカエデは、続けて告げる。

 

「タカトシ君と同じ点数ではありますけれど、お2人が同じ問題で同じミスをしたとは考えづらいです。ですので、お互いに回答内容を確認しあえばいいんじゃないでしょうか?」

 

「……そ」

 

「そ?」

 

「その手があったわね」

 

 見る間に、スズの目に光が戻ってきた。口調も、いつも通り理性的なそれに戻っている。

 

「津田。今から時間あるかしら」

 

 有無を言わせない様子であったが、彼はどこか安堵したように言った。

 

「大丈夫だよ。それじゃ、生徒会室に行こうか」

 

「当然ね。いつまでもこんな調子なんて、私らしくないわ」

 

 タカトシの腕を掴み、ズンズンと廊下の向こうへ向かっていく生徒会会計。タカトシはカエデにそっと頭を下げつつも、されるがままに引っ張られていく。

 

 生徒達の中に残されたのは、カエデとアリアの2人。生徒会書記は、カエデの肩を叩く。

 

「ありがとう、カエデちゃん。助かっちゃった」

 

「当然のことをしたまでです」

 

 実際、得意そうな様子もなく笑うカエデ。

 

 彼女がした事は、複雑な事ではない。ショックで放心状態になっているスズに、今自分が具体的に何をしなければいけないかを諭してあげただけだ。自発的に行動できないなら、誰かがその方向性を導いてあげればいい。

 

「ふうん?」

 

 しかし、アリアは少し違った解釈を見つけたらしい。何ですか、と不思議がるカエデ。

 

「あのさ、カエデちゃん。何かいい事でもあった?」

 

「えっ?」

 

「どことなく憑き物が落ちたような顔してるよ? なんていうか、心に余裕ができたみたいに」

 

「いえ。特には……」

 

「本当に? まるで――」

 

 また何か下品なボケでも言うのかと身構えたカエデであったが、アリアの口から出た言葉はそういうものとは僅かばかり違っていた。

 

「――これから男の人とデートする女の子みたいに」

 

「っ!?」

 

 一瞬で、首を背けるカエデ。これは何か面白い話だと思ったアリアは、にっこりと笑う。いつもの2割増しで。

 

「い、いえ。デートなどではありませんが……」

 

「でも、会う約束くらいはしている。そうよね?」

 

「あう」

 

 変な声を上げるカエデ。こういう時ばかりは、嘘のつけない性格が恨めしくなる。ツツッと視線をズラすと、カエデは上ずった声でせめてもの抵抗を見せた。

 

「ええっと、それじゃあ、私はそろそろ……」

 

「うふふ」

 

「あの……」

 

「うふふ」

 

「……」

 

「うふふ」

 

 無意識に後ずさりしていくカエデに、アリアは笑顔と距離を保ったまま近寄ってくる。得体のしれない恐怖を感じる風紀委員長だが、本能的にこれは逃げられないと直感してしまう。

 

「……はい。ちょっと、明後日に約束が……」

 

 早々に抵抗を諦め、カエデは観念する事にした。

 

 

 

 

【僕らの試験結果:2】

 

 

 

 

「ここは、Fだよね」

 

「そうね、私も同じよ。それじゃあ、次の問3の答えはCね」

 

「俺も同じ。ここは主人公の友達が手を差し伸べている事から、Aは引っ掛け。それじゃ、次は――」

 

 生徒会室。タカトシとスズは、席を向かい合わせにしたまま問題用紙を膝元に掲げていた。カエデのアドバイス通り、お互いの解答を教え合っているのだ。

 

 実際、2人は学年主席と次席という事もあり、回答は今のところ同じであった。特に何の問題もなく、スムーズに答え合わせは進んでいる。

 

 と、その回答合わせも終盤に差し掛かった頃、初めてここで回答が別れる。

 

「問9の答えは、Gだよ」

 

「え、Eでしょ?」

 

 2人の視線が交差する。お互いに疑念を込めた様子であった。

 

「らしくないな、萩村。ここはヒロインの女の子が主人公に不信感を持ってしまった描写があるだろ?」

 

「違うわよ。この問題文の場合、むしろその手前の一文に注目すべきじゃない。だから、Eでいいのよ」

 

「違うって。全体の流れを見れば、誤解を与える原因になったシーンが強調されているじゃないか。だから、問題文の指摘しているのはここでいいんだよ。だからGだ」

 

「違うわよ、Eよ」

 

「Gだろ」

 

 だんだんと、お互いが譲らない姿勢になってきた。スズはプライドのためか若干感情的に。タカトシは理性的ではあるが、譲らないという姿勢は変わらず。

 

「Gだよ」

 

「Eよ」

 

「Gだよ」

 

「E!」

 

「G」

 

「イィ!」

 

 いつの間にか、ヒートアップしていく。と、そこで生徒会室のドアが勢いよく開き、中に新聞部部長の畑ランコが入ってきた。しかも勢いよく。

 

「シャッタアアアァァァァァチャアアアァァァァァンスッ!!」

 

 謎の大声を上げつつ、その人影は構えていたカメラのシャッターを切った。連続撮影特有の音が、断続的に響く。

 

「……」

 

「おや?」

 

 ややあって、ランコはカメラを構えた態勢のまま、目を瞬かせる。そっとカメラを降ろすと、どこか不満そうに訊いてきた。

 

「お2人共……中で如何わしいプレイをしていたのかと思ったのですが、違ったのですか?」

 

「……畑さんが何を言っているのかが私にはわかりませんが」

 

「右に同じく。というか、そもそもどうしてそういう発想に至ったのかを教えてほしいのですが」

 

 気を取り直したタカトシは言った。やましい事など何もしていないというのに、いきなりこの場に特攻される覚えはない。

 

 しかし、ランコは不思議そうな顔のまま言い返す。

 

「いやあ、津田副会長が萩村さんのGスポッ○を激しく攻め立てて、イイとヨガっている声を生徒会室に仕掛けた盗聴器――もとい、廊下でたまたま聞こえてしまいましたもので」

 

「途中で気になる単語があった気がしますが、それは後で徹底して調査するので今はいいです」

 

「見ての通り、あなたの勘違いですから。それよりも、用件はそれだけですか?」

 

 慣れた調子でタカトシとスズがキッパリ言い切ると、ランコは残念そうな顔になる。と言っても、眉をハの字にしただけであったが。

 

「つれないですねえ。まあ、それはさておき」

 

 コホン、と咳払いをするランコ。

 

「実は、次回の生徒会インタビューのアポ取りに伺ったものでして。会長は今、どちらに?」

 

「職員室に用があると言っていましたので、そろそろ戻ってくる頃かと思いますが」

 

「そういえば、試験結果の掲示板の前にもいなかったわね」

 

 スズが思い出したように言った。

 

「そうですか。すれ違いになるのも困りますね」

 

「それでしたら、こちらで少し待っていますか? お茶くらいなら出せますので」

 

「おや、よろしいのですか津田副会長。スパイを招き入れるようなものでは?」

 

「自分がそういう人種っていう自覚はあるんですね」

 

 困ったものだという顔をして、タカトシは席を立つ。慣れた手つきでお湯をティーポットに入れ、人数分の紅茶を用意する。

 

「どうぞ。お口に合うのかはわかりませんが」

 

「おや。これはご丁寧に」

 

 僅かに目を瞬かせるランコ。正直、自分は生徒会関係者からは距離を取られたがっているものと思っていたのだ。

 

 ランコ自身は、それをまったく気にしてはいない。マスコミというものは、えてして権力者からは煙たがれるものだと理解しているから。

 

「萩村も。少し休憩しようか」

 

「ありがと」

 

 どことなく嬉しそうに受け取るスズ。こういう気配りのできるところは、彼の魅力の一つなのだ。

 

 一口飲むと、ダージリンの繊細な香りが鼻腔をくすぐる。母親の入れてくれた紅茶には及ばないものの、これはこれで独特の心地よさがあった。

 

「おや……なかなかに良い香りですな」

 

 タカトシの紅茶を初めて飲むランコは、彼女なりの褒め言葉を素直に口にする。タカトシも自分の入れた紅茶を飲みつつ、軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。淹れ方にはちょっと拘りがありますので、気に入ってくれたのならよかった」

 

「ほほう。たしか、萩村さんの母親の店でしたか?」

 

「ああ、やっぱり知っていたんですね。俺が駅前のレストランで働いている事」

 

「それはもう。働き始めた当日から情報をキャッチいたしましたので」

 

 当然、というランコ。もはや呆れる気も起きない。

 

「それで、将来は料理人に?」

 

「いえ。医者です」

 

「ほほほう」

 

 隠すでもなく、タカトシは普通に教える。案の定、ズイッと食いついてくるランコ。スズも会話に関心を持った。

 

「へえ。ちょっと意外ね。あんた、医者志望だったんだ」

 

「うん。入学当初は就職を考えていたんだけど、萩村の影響で進学希望に切り替えたんだ。学生のうちに、日本の外で勉強したいなって」

 

「あたしの?」

 

「ほら、前に留学したいって言っていたよね。俺もちょっとそんな萩村に憧れちゃった」

 

「憧れたって……」

 

 少し恥ずかしそうに、タカトシは頭を掻く。それを聞いたスズは何とも言えない気分になった。

 

「そ、そう。私に憧れた、ね。ふうん……」

 

 ほんの僅か、頬が桜色に染まるのが分かった。そこを、ランコが目をキュピンと光らせる。

 

「今の感想を一言!」

 

「ええっ!?」

 

 勢い込んだランコに、スズは思いっきり仰け反った。椅子の背もたれが、ギシリと音を立てる。

 

「津田副会長が萩村さんに憧れていたという爆弾発言に関して、何かコメントをお願いいたします!!」

 

「い、いいいいえ!? と、特に何もありませんですが……!」

 

 今回ばかりはランコを冷静にあしらう事ができず、狼狽えまくるスズ。流石に迂闊な事をしたと思ったタカトシは、どうにかフォローをする。

 

「あ、あの畑さん。失言でした。俺はあくまでも萩村の事は人間として憧れているという意味ですので」

 

「そんなありふれた言葉で、うやむやにするわけにはいきません。私も真実を追求するジャーナリストとして、お2人の関係にはあえて心を鬼にしつつ、すべてをさらけ出していただく義務がっ!」

 

「するなっ!」

 

 この日。初夏に差し掛かる手前の生徒会室。

 

 まるで、熱愛疑惑を追及するリポーターのような風景は、しばらく熱が収まる事はなかったという。

 

 

 

 

【ネタ確保】

 

 

 

 

「それでは、ご馳走様でした」

 

 生徒会室から、ランコが頭を下げて出てくる。ちょうど鉢合わせする形で、生徒会長の天草シノがやってきた。

 

「なんだ、畑。生徒会室に用事でもあったのか?」

 

「おや、会長。ちょうどよかったです」

 

 ランコは今、シノから生徒会向けのインタビューのアポを取ろうとしていた事を話す。特に断る理由の無かった生徒会長は、快く了解した。

 

「分かった。それでは、具体的な日付はそちらに合わせてくれて構わんぞ。都合のいい日で良い」

 

「そうですか」

 

 僅かに無表情が軟化する新聞部部長。

 

「都合のいい女で助かります」

 

「敬意感じなくてビックリだ。まあ、それよりも……生徒会室に誰かいるのか?」

 

 ランコの慇懃無礼な態度に腹を立てる事もなく、シノは訊く。

 

「はい。津田副会長と萩村さんが。先ほどまで、副会長の紅茶をご馳走になっておりました」

 

「ああ、津田の紅茶はなかなかに美味いからな」

 

「プロ直伝のようですので、それはもう。ついでに、あの2人にも一足先にインタビューさせていただきました」

 

「……妙な事を訊かなかっただろうな」

 

 ジト目になるシノに、心外だと首を振るランコ。

 

「いえ。ただ、津田副会長の将来について、いくつか」

 

 懐から、ICレコーダーを取り出す。呆れた事に、ずっと会話や質問を記録していたらしい。

 

「お前という奴は……」

 

「まあまあ。これが、津田副会長の将来における願望です。一足先に聞いてみてくださいな」

 

「む?」

 

 再生ボタンが押される。2人の会話は、すぐに聞こえてきた。

 

 

 

 

 ――俺もちょっとそんな萩村に憧れちゃった。

 

 ――そ、そう。私に憧れた、ね。ふうん……

 

 

 

 

 レコーダーを耳に当て、ランコに背を向けているシノ。後ろ姿では、彼女の表情が分からない。

 

 新聞部部長は、そっと呟いた。

 

「生徒会室に入るのでは?」

 

 

 

 

【健全な関係】

 

 

 

 

「タカくん」

 

 放課後。生徒会の仕事を終わらせて、役員達と共に昇降口を出た時の事であった。どこか聞き覚えのある声が、彼らにかかってきたのである。

 

 校門の近くに、手を挙げながらこちらへと近寄ってきている女子がいた。桜才学園の制服ではない、他校の生徒だ。ただし、その顔は彼らも全員が知っている人物である。

 

 英稜高校の生徒会長。魚見チヒロである。

 

「おお、ウオミーではないか」

 

 見覚えのある新しい友人に、シノも気さくに手を挙げた。

 

「チッス、シノっち」

 

 表情はあまり変わらないものの、かなり砕けた口調で挨拶をするチヒロ。

 

「どうしたんですか、魚見会長?」

 

 タカトシは首を傾げて訊ねる。しかし、チヒロは頬を膨らませて睨む。

 

「もう、タカくん。私たちはもう家族なんだから、お姉ちゃんって呼んでって言ったでしょ?」

 

 人差し指を立て、子供を叱るように言う。

 

「い、いえ。それはもちろん覚えていますけれど……人前ではどうも恥ずかしいというか」

 

「あ、ごめん」

 

 言われて、生徒会役員並びに周囲の生徒たちの視線が、自分達に集まっている事に気づくチヒロ。

 

「愛称で呼ぶときは、プライベートの時だけね?」

 

「いや、傷口広がってるよ!?」

 

 ザワッと、何も知らない周囲の生徒達が騒めく。下校中や、通りすがった部活動の生徒達が勝手に盛り上がっていく。

 

「ねえ、なにあれ?」

 

「副会長じゃん。あの人って、英稜の制服着てるけど」

 

「ああ、うちは校内恋愛が禁止だから、他校の生徒と……」

 

「さっすが副会長だぜ。うまくやりやがったな」

 

 勝手に盛り上がっていく周囲。生徒会役員の3人――特にシノとスズ――も、ものすごく真剣な目でタカトシとチヒロの2人を見ている。

 

 まずいな。タカトシは思う。チヒロに悪気はないのだろうが、いきなりヒエラルキーのピンチだ。

 

「そ、それで、お姉……ちゃんは、いったい何の用があってここに?」

 

「ん、実はね。明日から一週間くらい、うちの両親が旅行に行く予定なの」

 

「旅行ですか」

 

「その間、私一人になっちゃうからタカくんの家に行かせてほしいなって」

 

「えっ。それは……」

 

 副会長は少しだけ、チラリと後ろに立っている役員達を見た。

 

「まあ、いいですよ」

 

「よかった」

 

 ニコリと笑うチヒロ。正直に言うと、タカトシとしては複雑であった。

 

 明日から1週間、か。そもそも明後日になればカエデが家に来る日だ。やましい気持ちが無いとはいえ、カエデが知ればどう思うか……

 

 だが、さすがにそこまで心配をする必要はあるまい。なぜなら――

 

「うちには、コトミもいますし。2人っきりというわけでもないですから」

 

 そう。身内がいるというのなら、妙な空気になる事はあるまい。それを強調するためにも、そこはハッキリと告げておく。

 

「なんだ。ならば問題は無いか」

 

「そうですね。2人きりなら、ちょっとは考えがありましたけれど」

 

 途端、弛緩する視線。シノとスズが、安堵の息を吐く。

 

「……」

 

 そんな中で、アリアだけが黙ったままタカトシを見ていた。誰も、その視線の意味には気づかなかったが。

 

 

 

 

 そして、タカトシの帰宅後。

 

 この日も、両親は仕事で出張だ。夕食は魚介類トマト煮込み。特製フォアグラ。ポルチーニのリゾットが主なメニュー。

 

「うわあ、美味しそう!」

 

 空きっ腹を抱えていたらしく、コトミは目の色を変えて持ち前の食欲旺盛を生かした。相変わらず、美味しいモノには目が無いのだ。

 

 食後は、チョコレートと果物を閉じ込めたカルツォーネと、ハーブティー。これも、妹には好評であった。イタリア料理は食後に紅茶やコーヒーを飲む習慣はないのだが、ここは家の中なので遠慮なく飲んだ。

 

「なあ、コトミ」

 

「ん?」

 

 洗い物を済ませると、ソファの上に横になっている妹に言った。コトミは安らかに目を閉じたまま返す。カルツォーネの甘みの余韻が残っているらしい。

 

「実はさ、今日の帰りに決まった事なんだけど――」

 

 タカトシは、チヒロとカエデが明後日に家へ来ることを伝えた。それを聞いたコトミは、少しだけ驚きの声を上げてソファに腰かける。

 

「お姉ちゃんと五十嵐先輩が? なんだかエロゲのシチュみたいだね」

 

「それは愛想笑い出来ない」

 

 真顔のタカトシ。でも、とコトミは目を瞬かせた。

 

「わたし、明日から家にいないよ? トッキーの家に泊まるから」

 

「え?」

 

 タカトシの顔が凍りついた。

 

 

 

 

 1週間分のお泊りセットを持ったチヒロが津田家のチャイムを鳴らしたのは、それから1時間後の事であった……

 

 

 

 

つづく

 

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