生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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君が来てくれた日。

騒がしい時もあるけれど。

それでも心は緊張してた。


一つ屋根の下で

【通い妻×2】

 

 

 

 

 カシャン。

 

 休日の早朝。台所の床に、菜箸が落ちた音がそれだった。

 

 五十嵐カエデの母親は、ショックで固まった体勢のまま。彼女は現在、家族のために朝食を作っている最中だったのだ。

 

「ご、ごめんねカエデ。お母さん、耳の調子がおかしくなっちゃったみたい」

 

 震える声で、自分の耳をトントンと叩く。隣に立っているカエデも、そういう反応は予想していたので、特に思うところはない。今度は、もう少しはっきりと言ってやるべきだろう。

 

「だからね、お母さん」

 

 ここで一拍置く。母親の喉が鳴ったのは、気のせいだと思いたい。

 

「私、タカトシ君の家にご飯作りに行く事になったから」

 

 

 

 

「……それで、母さんは失神してるってわけ?」

 

「うん……」

 

 呆れ顔でリビングのソファに座っているのは、ブラウスにデニムパンツの格好をした五十嵐ヤヨイの姿。そして、隣には気まずそうに座っているカエデ。

 

「あの、姉さん……そんなにショックだったのかな。私がタカトシ君の家にご飯作りに行くっていうのが」

 

「あったりまえじゃない」

 

 何を今更、という顔をするヤヨイ。

 

「あんたね、自分のキャラ考えた事ある? 今まで男嫌いで彼氏どころか男友達1人もいなかったカエデが、いきなり年頃の男の家にご飯作りに行きたいなんて。どう考えても違和感ありまくりでしょ」

 

「うう……ちょっと、いきなりすぎたかも」

 

「絶対に、通い妻宣言と思われたわよ」

 

「た、タカトシ君とはそんなんじゃ……」

 

 そう言いながら、カエデの顔が少しだけ赤く染まる。

 

「ああ、もう。この調子じゃあ、お父さんにもなんて言えば」

 

「なんてって……あの親父なら喜ぶんじゃない? お前もやっと男の良さがわかったか、って」

 

「やっぱり……お父さん、私に男友達がいなかった事をずっと気にしていたから」

 

 世間の男親というものは、基本的には愛娘に彼氏ができる事を快く思わないものだ。だが、この五十嵐家――というか、この世界観――では、間違いなく喜ぶ。断言してもいいほどに。

 

「それで?」

 

「それでって?」

 

 カエデはことんと首を傾げる。

 

「津田君の事よ。今日は何時に出かけるの?」

 

「あ、そういえば買い物もあるから9時頃に」

 

「カエデは料理もできるからね」

 

 他人事のように言う姉に、眉を顰める。

 

「姉さんが家事をしなさすぎなのよ。卒業したら1人暮らしでしょう? 今から心配」

 

「はいはい。お母さんみたいな事言わないでよ」

 

 それよりも、とヤヨイは頭を掻いた。

 

「津田君も津田君だけど、カエデもよく行く気になったわね。今までだったら、男の家なんて近づくのも嫌って言ってたのに」

 

「いつまでも怖がっていられないし。私だって、もう子供じゃないから」

 

「どうかしら。カエデよりも年下で大人な女性なんて、世の中にたくさんいるわよ。処女かどうかなんて関係なく」

 

 余計なお世話よと言おうと思ったが、口に出すのは止めておいた。

 

「ま、カエデが成長しているっていうのは分かっているから。気兼ねなく行ってきなさいな。なんなら、一晩泊まってきてもいいわよ?」

 

「やめてよ姉さん。タカトシ君は女の人を連れ込むような人じゃないのよ」

 

「本当はしてみたいくせに」

 

「頭が痛くなってくるわ、もう」

 

 時計を見ると、まだ9時にもなっていない。少し早くなってしまうが、もう買い物へ行ってきてしまおうか。正直、家の中は息がつまる。

 

 ソファから立ち上がったカエデは、準備をするために部屋へ向かう。タカトシの家では献立を何にしようかと考えながら。

 

 食材はタカトシの方でも用意すると言ってくれたが、断らせてもらった。自分も料理は好きな方なので、食材選びから始めたいので。

 

 

 

 

 そして買い物を済ませ、津田家へ行くと。

 

「いらっしゃい」

 

 見知らぬ女性が、玄関先で出迎えてくれた。

 

「え?」

 

 

 

 

【不倫相手とそれを目の当たりにした妻】

 

 

 

 

 日課のランニングを済ませ、汗だくのままタカトシは家に戻った。

 

 今日のトレーニングはかなり手ごたえがあった気がする。思っていたほど疲れてはいない。普段の生徒会の仕事でデスクワークが多いものの、体力増強はむしろ上昇傾向にあるようだ。

 

 この調子が続くのなら、ランニングのルートをあと2キロくらい増やしてもよさそうだ。そんな事を考えながら、タカトシは玄関のドアを開ける。

 

「おかえりなさい」

 

「あ、魚見さ……じゃなく、お姉ちゃん。ただいま」

 

 魚見チヒロ。昨日から家にいる事になった遠戚の女性だ。英稜高校生徒会長でもある。

 

「もう、タカくん。トレーニングに行くなら、一言言ってくださいね」

 

「すみません。日課だったので、つい」

 

「家事にも色々予定があるんだから」

 

 少し困った口調のまま、チヒロは無表情のまま言う。

 

「裸エプロンで待ってたけど、遅いから服着ちゃった」

 

「それは、家事の項目に入りません」

 

 特に驚く事はない。チヒロのこういう思春期的な考えは、会長に勝るとも劣らないレベルだと短い付き合いながらも承知していた。しかし、いきなり裸エプロンとは。

 

「でも、どうか自重してください。誰かが来たらどうするんですか」

 

「ああいう格好は、見られてなんぼですので」

 

「……」

 

 タフな女性だ。本当に中学までは、押しの弱い性格だったのだろうか。自分を変えるために、英稜の生徒会長に立候補したという話だが。

 

「ああ、そういえば………」

 

「なんです?」

 

「さっき、見られちゃいました」

 

「え?」

 

 聞き捨てならない台詞だ。タカトシはもう少し深く突っ込んでみる。

 

「見られたって……裸エプロン、ですか?」

 

「はい。女の人でした」

 

「……」

 

 女の人。今日の昼間に家に来る予定の人。

 

 その条件に該当する女性は、1人思いつく。タカトシは、首から上の血液が引いていくのを感じた。

 

「……魚見会長」

 

「お姉ちゃんです」

 

「お姉ちゃん……もしかして、その人は三つ編みをしていた女の子じゃありませんでしたか?」

 

 違ってくれ、と心から願った。しかし、無情にも。

 

「うん」

 

「まってくださああああああああい!! カエデせんぱあああああああああああああああいっっっ!!!」

 

 さっきまでのトレーニングをはるかに上回る速度で、タカトシは放心状態のまま駅へ向かっていったであろうカエデの後を全速力で追いかけた。

 

 

 

 

【縋りつく夫と話し合いに応じる妻】

 

 

 

 

 津田家、リビングルーム。

 

 今現在、この場は妙に圧迫される空気が満ち溢れていた。隣のソファに座っているチヒロは平然としているが、タカトシはうつむいたまま顔を上げる事が出来ない。

 

 視界には目の前に設置されてあるテーブルと、腕組みをして椅子に座っている女性の肩から下まで。そこから上に視線を向けようとすると、本能が“いや、ちょっとまて”と止めに入るのだ。

 

 沈黙が続く。そんな時間がいつまでも続く事を嫌ったかのように、女性――五十嵐カエデは重い口を開いた。

 

「話は分かりました」

 

 反射的に顔を上げ、何か言おうとするタカトシ。それを、カエデは視線だけで黙らせた。

 

 タカトシに向けているのは、疑念と苛立ち。口を固く結び、今までに見た事もないような鋭い眼差しでタカトシを睨んでいる。

 

「そちらの方が以前に言ってくれた、魚見さんなんですね?」

 

「はい」

 

「で、どうして遠戚になったからといって……裸エプロン……などをさせていたのですか?」

 

 そう言いながら、裸エプロンという単語の辺りで声が小さくなる。

 

「誤解です。俺の意志でさせてなんかいません。ええ、本当に」

 

「本当に、私の目を見て言えますか?」

 

「はい」

 

 しばし、無言で見つめあう2人。随分前にもこんな事があったような気がするが、今は過去を思い出している暇はない。

 

「……じゃあ、信じてあげます」

 

 突然目元が柔らかくなったカエデに、タカトシはむしろ拍子抜けした。

 

「えっ?」

 

「なんですか、その反応。もう少し疑った方がよかったでしょうか?」

 

「いえ、まさか。それよりも……信じてくれるんですか?」

 

 戸惑い半分で確認してしまうタカトシ。実際、もう少し疑われるのかと身構えていたというのに。それを、カエデは苦笑いで肯定する。

 

「嘘ではなさそうですし。それに……」

 

「それに?」

 

「うちの会長達と同じタイプなんだろうなと思えば、まあそういう行動をするのかもって納得してしまうんですよね」

 

「ああ……」

 

 それは、確かに分かりやすい納得の仕方だ。そこへずっと黙っていたチヒロが勢いよく挙手した。

 

「カエデっちに異議ありっ!」

 

「か、カエデっち!?」

 

 いつの間にかあだ名が作られていた。しかしそんな事はどうでもいい。チヒロはえらく真剣な顔で反論する。

 

「今のカエデっちの言い分は偏見です。裸エプロンなんて、シノっち達じゃなくてもやりますよっ。私の母も、若い頃に裸エプロンで父を――」

 

「――」

 

「――」

 

 深く重い溜息は、奇遇にもタカトシと同じであった。

 

 

 

 

【元の鞘に納まった夫婦と関係を続ける愛人】

 

 

 

 

「まったくもう、魚見さんってば」

 

 ブツブツと1人で文句を言いながらも、カエデはキッチンに立っていた。買い物袋から味噌を3種類ほど取り出し、慣れた手つきでブレンド。出汁は昆布。

 

「学園にいる時と気苦労が変わらないじゃないですか……」

 

 カエデが作っているのは、味噌汁。特有の香りが、独特の仕上がりとなって鼻腔をくすぐる。

 

 独り言を言いながらも、作業は鈍らない。母や姉が頼りにしている料理の腕は、伊達や酔狂ではないのだ。

 

 そして今、それを振る舞う相手は家族ではない。自分が今まで忌諱していた男の子に対して。

 

 その男の子は今、この場にはいない。トレーニングの後というので、今はシャワーを浴びている最中だ。彼がバスルームから出る頃には、料理も完成しているだろう。

 

 そこで、キッチンの壁から覗き込むようにしている女性がいる事に気がついた。今更驚く事もなく、冷静に応対する事にする。

 

「魚見さん、すみません。もう少しで出来上がりますので」

 

「それは何よりなのですが……なんか通い妻みたいですね」

 

「それ、姉にも言われました」

 

 肩を落とす。それは魚見さんも似たようなものでしょうとは、言わずにおいたが。

 

「それに、通い妻というのは魚見さんの方じゃありませんか?」

 

「そうでしょうか。実を言うと、私がタカくんの家に来たのは、今日が初めてですので」

 

「……初めて入った家で、わざわざあんな恰好をしていたんですか?」

 

「その方がなおさら興奮するじゃないですか」

 

 船酔いするような顔をするカエデ。会長やアリアもそうだが、こういう思考の持ち主は行動がてんで読めない。

 

「あの……私、いま料理をしているのですが」

 

「もちろんです。それが何か?」

 

「いえ、もういいです……」

 

 会話をするだけ疲れる。そう悟ったカエデは、料理だけに神経を集中させることにした。

 

 砂抜きをしたあさりが、徐々に沸騰していく味噌汁の中で煮込まれる。

 

 隣で火をかけられているフライパンの上では、塩とコショウで下味をつけ、鰤の両面を焼いておく。白ワインとバター、レモン汁を加えた。

 

 人数分の皿に乗せ、盛り付ければ完成。チヒロに頼んで、配膳をしてもらう。

 

 レンジの完成音が鳴る。開くと、人数分のマグカップが姿を見せた。カエデはミトンをつけた手で取り出し、中を確かめる。

 

 茶碗蒸しだ。かまぼこや鶏もも肉を具材にしたものである。キノコ類も入れるのが定番なのだが、カエデはあまり好まないので入れてはいない。茶碗蒸しは以前、タカトシが好物だという話を聞いた事があるのだ。

 

 続いて、炊飯器を開ける。炊かれている途中の米に、醤油や塩を混ぜた香りが周囲に漂った。あらかじめ下処理をしておいた牡蠣を入れて、さらに炊く。

 

 主食は、ただの米ではない。牡蠣の炊き込みご飯だ。もう少しで準備が整う。

 

「すみません、チヒロさん。茶碗蒸しを運んでもら――って、あれ?」

 

 なぜか、英稜生徒会長の姿が無かった。

 

 

 

 

【抜け駆けをする愛人と、先手を許してしまった妻】

 

 

 

 

 シャワーの音が聞こえる。トレーニングで汗を流したので、身に浴びる湯が心地よい。

 

 カエデ先輩と魚見さん、か。今この家には、2人の女性がいるのだ。

 

 片や、学園の世話になっている先輩。

 

 片や、親戚の関係になった、他校の生徒会長。

 

 考えてみれば、不思議だった。親戚の関係になった魚見チヒロとの突然の関係。カエデとのプライベートな距離。

 

 今現在、自分の心を占めているのは、カエデに対する自分の対応であった。

 

 何故、自分は彼女を家に招いて料理を作ってほしいなどと提案したのだろうか。何か約束事があったためだと記憶しているが、どうにもハッキリした事が思い出せない。

 

 自分とカエデは、単なる先輩後輩の仲――と一言で終わらせるには、なぜかタカトシは躊躇いを感じた。

 

 普段の自分なら、わざわざ家に彼女を招くなどという、相手に手間をかけさせるような事はさせなかったはずだ。

 

 だというのに、自分は一体何をやっているのだろう。いくら付き合いのある女性とはいえ。流石に下心があると誤解させてしまっているのではないか?

 

「……」

 

 それでも。

 

 あの男性を怖がっている女性は、家に来てくれた。家に来て、早々に誤解を植え付けてしまった自分の説得に耳を貸してくれてまで。

 

 もしかしたら、彼女の寛大さや真面目さに甘えている考えなのかもしれない。

 

 それでも、タカトシはそれが嬉しかった。自分を信じて、約束を守って料理を作ってくれている彼女の律義さが。

 

 そうだとも。今は、甘えたって罰は当たらないだろう。むしろ気にしすぎてしまえば、カエデの方が困ってしまう。

 

 そして、タカトシを悩ませている理由はもう一つ。チヒロの存在だ。

 

 遠戚同士になった、新しい関係。しかも、英稜高校の生徒会会長として面識のある相手。

 

 思えば、本当に奇跡のようなめぐり合わせであった。

 

 そして、今。最早家族の一員として歩み寄ってくれているチヒロ。ほんの少しの驚きと、嬉しさ。

 

 思えば、自分は彼女と遠戚になったからと言って、何かをしようとしていただろうか。今思えば、随分と失礼な事をしていたのかもしれない。ただ、新しい関係に戸惑っているだけだったような気がする。

 

「魚見さん……いや、お姉ちゃん、か」

 

 実を言うと、今はまだ少しだけ慣れない。それでも、いつかは自然にそう呼べる日が来るだろう。タカトシは、なんとなくだがそう思っている。

 

「タカ君。呼びましたか?」

 

「ええ?」

 

 突然バスルームのドア越しに声がかかり、タカトシは肩をビクつかせた。いつの間にか、脱衣所にチヒロが入っていたらしい。

 

「すみません。洗濯していたタオルを持ってきましたので。ここに置いておきます」

 

「ああ、どうも」

 

 ドアのガラス越しに、チヒロのシルエットが見える。腕に抱えていたタオルを棚の上に置いたのが確認できた。

 

「……」

 

「……?」

 

 なぜか用件は済んだはずなのに、チヒロのシルエットがドア越しから動こうとしない。何だろうかと、タカトシも無言になってしまう。

 

 代わりに、何か布が擦れるような音が聞こえてくる。なんとなく、嫌な予感を覚えるタカトシ。

 

「タカ君。失礼します」

 

「なにい!?」

 

 バスルームのドアが開く音は、タカトシの仰天した声にかき消された。水色のビキニを身に着けたチヒロが、タイルにそっと足をつける。

 

 高校生ながらに、バランスの取れたシミひとつない肌が突然目の前に飛び込み、健全な高校生のタカトシは声が詰まる。一瞬だけ、グラビアアイドルみたいだなと考えてしまったのは、彼のせいではない。

 

「いやいや、こまりますよっ!」

 

 頬を染めた同年代かつ水着姿の少女とバスルームに2人きりという状況で、タカトシは慌てた。というか、なんでいきなりこんな事になったのだ?

 

「お背中お流しします」

 

「な、なにを考えているんですか。いくら遠戚と言っても、限度というものがあるでしょう」

 

「タカ君、トレーニングでいつもお疲れのようでしたので」

 

「慣れていますから。それに、そこまで疲れているわけじゃありません!」

 

 一歩距離を詰めるチヒロに、一歩下がるタカトシ。すぐに、背後の鏡と背中が合わさってしまったが。

 

「遠慮しないで。それとも、最初からこんな風にボディラインを出すより、濡れてボディライン出る方が好きだった?」

 

「なんで知っているんですか!?」

 

 ギクリとしたタカトシは、つい反射的に言ってしまう。そこで、チヒロの目がキュピンと光った。

 

「ほう?」

 

「あ」

 

 失言に気づき、口を抑えるタカトシ。しかし、もう遅い。

 

「なるほどなるほど。図らずもタカ君の事が一つ理解できました」

 

「うう……」

 

 顔を真っ赤に染める桜才学園副会長。反対に、英稜高校生徒会長はいつもの2割増しでニコニコ笑う。

 

「失敗しました。知っていれば、最初からその格好で特攻できていたものを」

 

「で、できる事なら今すぐに忘れてほしいのですが」

 

「さて、どうしましょうか」

 

 チヒロの笑みは深い。まるで、ようやく釣れた極上の獲物を前にしている漁師の如く。

 

 ううんと、わざとらしく考える仕草をする。タカトシは固まったまま、まな板の上の魚の気分を味わうしかなかった。

 

「それでは……お背中を流させてくれたら忘れるといたしましょう」

 

「……やっぱり」

 

 半ば予想できたことに、タカトシは敗北感と共に項垂れる。もとより、チヒロはそれが目的でバスルームに入ってきたのだから。

 

「さあ、まずはそこに腰かけてください」

 

 お風呂椅子を手で指し、座るように促す。というか、すでにタカトシが承諾したと解釈しているらしい。

 

「……え、えっと」

 

「ほら、どうしました?」

 

「……」

 

「さあ」

 

 奇妙な迫力でにじり寄られ、タカトシは壊れた機械のようにガクガクと頷きそうになる。

 

 と、そこに――

 

「そこまでですっ!」

 

「あらら」

 

 ――チヒロを背後から羽交い絞めにする、1人の少女が現れた。

 

 言うまでもなく、カエデである。チヒロの姿が見えないので、今まで探していたのだ。

 

「何やっているんですか、こんなところで!」

 

「何って、タカ君のお背中をお流ししようかと」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るカエデに、チヒロはいつもの淡々とした様子で答えた。

 

「ど、同年代の男女がこんな事をしていいと思っているんですか! 風紀が乱れています!!」

 

「ここは学園ではありませんし。なにより、私たちは家族なんです」

 

「それとこれとは別――で……」

 

 ふと、目が合った。

 

 たまたま視界に入ってしまった、タカトシと。

 

 ここはバスルーム。チヒロは水着姿で入っている。衣服が濡れてしまわないように。

 

 しかし、元々はタカトシがシャワーを浴びるために入っていたのだ。汗を洗い流すのが目的だったので。

 

 カエデの目の前には、汗をジットリかいたまま顔を背けているタカトシの姿。身体を隠そうにも、バスタオルはドアの取っ手にかけてあるので、この位置からでは取りに行けない。

 

 つまり、導き出される答えは。

 

 タカトシは全裸。そして今、カエデはそんな彼の姿を直視しているというわけで。

 

「G‘#%ZAEZ!!」

 

 奇怪な声を上げて、カエデは失神した。

 

 

 

 

【修羅場の後で】

 

 

 

 

 カエデの料理は、絶品と言ってよかった。

 

 牡蠣の炊き込みご飯は、程よい炊き加減や牡蠣特有の味が染みついており、何度でもお替りできそうな気持ちさえする。鰤も相まって、上等であった。

 

 味噌汁も好みの味で、味噌と具の相性も良い。茶碗蒸しが好きだと言っていた事を覚えてくれていたらしく、しっかりと用意もしてあったことも嬉しかった。

 

「む。これは焼き加減が絶妙ですね」

 

 鰤の身を咀嚼したチヒロは、僅かに感心した声を出す。

 

「牡蠣と米の相性がいいから、箸が進みますよね」

 

 話を繋げるため、タカトシも相槌を打つ。チラリと向かい側の席に座っている少女を見るが、彼女はピクリとも反応しない。

 

 カエデは今、食卓のテーブルに突っ伏していた。

 

「……」

 

 沈黙している風紀委員長。先ほどの衝撃から立ち直れていないらしい。時折、プルプルと身体を震わせている。

 

「カエデ先輩。その、俺は気にしていません。ですから、先輩も――」

 

 流石に見るに見かねて、タカトシは言った。それに、カエデはようやく身を起こす。微妙に涙目、頬から耳まで真っ赤だ。

 

「私が気にするんです!」

 

 裸を直視した、という事もあるのだろう。しかし、いくらチヒロの行為を止めるためとはいえ、そういう場所に自ら足を踏み込んだ、という事がさらに羞恥を加速させているらしい。

 

「俺がシャワーを浴びている最中だという事は、先輩も分かっていると思っていたのですが」

 

「だって、う、う……」

 

 今にも泣きだしそうな顔になり、背中を丸めて俯いてしまう。何か反論をしたがっているようだが、それがハッキリと言葉にならない。

 

 しまった。タカトシは思う。これでは、カエデを責めているようではないか。

 

「タカ君。女の子を泣かせちゃあ駄目よ」

 

 隣に座っているチヒロが非難の目を向ける。そんなつもりは無かったのだが、この状況では言い訳もできない。

 

 というより、半分はチヒロのせいではないだろうか。

 

「す、すみません。やはり、お互いに忘れるのがいいでしょう。それより、カエデ先輩も食べないと冷めてしまいますよ?」

 

 無理矢理ではあったが、会話を終わらせるタカトシ。そこへ、チヒロがカエデに声をかける。

 

「そうですよ。ほら、カエデっちの調理した鰤、素晴らしいと思います。魚肉が見事で、艶も見事ですよ」

 

「は、はい。どうも……」

 

 どうにか話を合わせてくれるカエデ。タカトシも、ここぞとばかりにチヒロの会話に便乗する。

 

「他には、このソーセージの粉チーズ焼きもいいですね。焼き加減がいいので、歯ごたえが好みです」

 

「そうです。あれだけ太くて大きかったものを、上手に盛り付けていましたし」

 

「ふ、太くて長い……?」

 

 ここで、ようやく落ち着きそうだったカエデの身体が強張った。それに気づかないまま、チヒロは続ける。

 

「ええ。あれは肉付きが良くて、口に咥えられるか分かりませんでしたから」

 

「く、口に咥える……?」

 

 固まるカエデ。

 

「確か、普段は冷蔵庫の奥にあった筈ですが、よく見つけられましたね。奥の方に隠してあるかのように置いてあったのですが」

 

「ふ、普段は隠している……?」

 

 タカトシの言葉に、顔を引き攣らせる。

 

「でも、中から取り出して食べてみると本当に美味しいです。カエデっちが上手なおかげですね」

 

「ええ。カエデ先輩って、本当にテクニシャンです……って、カエデ先輩?」

 

 とうとう黙り込んでしまったカエデに、タカトシは眉を顰める。何だ、この様子は?

 

 おかしい。自分達は彼女の料理の腕を誉めていただけなのだが。なぜ、彼女は無言になってしまったのだろう?

 

 不思議に思い、身を乗り出して顔を覗き込むチヒロ。

 

「あら?」

 

「どうしました?」

 

「気絶しています」

 

 気絶していた。

 

 

 

 

【身内の反応】

 

 

 

 

 その日の夕方。五十嵐家長女の携帯電話に一本の電話がかかった時。

 

「もしもし。津田君なの?」

 

「ああ、そういえば先日はカエデが迷惑をかけたわね。その時のお詫びも込めて、思いっきり手の込んだものを作ってくれたと思うから」

 

「いいのよ。気にしないで。それよりも、カエデは今どうしているか分かるかな。もしかして、もう家に帰っている最中とか?」

 

「え、まだそっちにいるの? ふんふん……そんな事あったの?」

 

「まだ目を覚まさないって……ちょっと、本当に大丈夫なの?」

 

「まあ、あの子が気絶するのはいつもの事だし、心配はないか。津田君、悪いわね。また迷惑をかけちゃうなんて」

 

「今は津田君の部屋のベッドで休ませている? まあ、あの子がそれを知ったらビックリした後で照れまくるんでしょうけれど」

 

「何でですかって? 言わせないでよ」

 

「まあ、とにかく……もうしばらく世話をかけちゃうと思うけれど、よろしくね。母さんたちには、私から言っておくから」

 

「えっ、じゃないわよ。要するに、今夜は津田君の家に泊まらせてもらえないかって頼んでいるんじゃない」

 

「……」

 

「いや、無言にならないでよ。私、何かおかしい事とか言ったかしら?」

 

「あら。それじゃあ、津田君は気絶しているカエデを放り出せるような薄情な男だったわけ?」

 

「そうは言っていないでしょうって……ごめんごめん。ちょっと意地悪だったわね」

 

「まあ、着替えとかは津田君の妹さんのを貸してもらえるかしら。え……魚見さんって、誰? 最近になって遠戚になった女の子……」

 

「あのさ、失礼だけどその女の子って、歳いくつ……カエデと同い年で、着替えはその子から借りる?」

 

「その子、なんでわざわざ自分の着替えなんか……」

 

「魚見さんの両親が旅行に出かけたから、い、一週間そっちで暮らす……?」

 

「……」

 

「……あ、ご、ごめん。つい黙っちゃって」

 

「つ、津田君。その……変な事を言うようだけれど」

 

「今日は、カエデを絶対に泊まらせてやって。マジでお願いだから」

 

「今すぐに目を覚ましても、うちには帰らせないで。なんなら、カエデも一週間そっちに泊まらせても構わないから」

 

「え、こっちが構う? あ、あはは。流石にちょっと無理あるかな……」

 

「ま、まあ、とにかく。一晩、カエデの事をよろしくね。何なら、夜這○プレイしてもいいから。私が許す」

 

「あはははは。いや、割とガチで。それじゃあね」

 

 ――。

 

「……ふう」

 

「カエデのやつ、また倒れるなんて。男が絡むとすぐにこうなんだから」

 

「……っつーか、ライバル多くて大変そうだけどね」

 

「姉として、できる限りフォローはしておいたつもりだけれど……遠戚で同年代の女の子か。私の勘では、きっと可愛い女の子かな」

 

「おっと。母さんが帰ってきた。カエデの事、ちゃんと伝えとこ」

 

 

 

 

「母さん。カエデ、今日は帰ってこないって」

 

「え?」

 

 母親、硬直。

 

「なんかさ。津田君の部屋のベッドで寝たまま、目を覚まさないみたい。さっき連絡貰った」

 

 数分後、五十嵐家に一台の救急車が到着した。

 

 

 

 

【同伴出勤】

 

 

 

 

 鳥の囀る声。

 

 翌日の朝、快晴。夏服に変わったばかりの今日、タカトシは制服姿で家を出た。玄関を出て、すぐ振り向く。

 

 そこには、少しいつもと違う光景。桜才学園の先輩と、英稜高校の生徒会長が同じように姿を見せる。

 

 結局、カエデは一日この家のお世話になってしまった。制服やその他の必要な物は、昨日の夜に姉が届けに来ている。

 

 風紀委員長が家に鍵をかけ、タカトシに渡す。彼は、当然のようにそれを受け取った。

 

「カエデ先輩は、昨日持ってきた私物はどうするんです?」

 

「学園に持っていっては、校則違反になりますから。お手数をおかけしますが、部活が終わった後、改めてこちらに寄らせてもらいます」

 

「わかりました。今日は、コーラス部の練習ですもんね」

 

「そういうタカ君も、生徒会の仕事でしょう」

 

「お姉ちゃんこそ」

 

「ふふ。やっと素直にそう呼んでくれましたね」

 

「だって、言わないと拗ねるじゃあないですか」

 

 アハハと、笑いあう。カエデもつられて、クスクスと笑ってしまう。彼女達の表情には、不思議とぎこちなさはなかった。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

「はい」

 

「ええ」

 

 3人は歩く。ゆっくりと、時間を噛みしめるように。

 

 夏は始まったばかり。これは、若葉が生い茂る夏のひと時。

 

 奇妙な1日。めぐり合わせから生まれた彼らの時間。

 

 たった一晩。それだけの3人の同居生活は、こうして終わりを告げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、もっとも。

 

 チヒロはあと6日間同居を続ける予定なのだが。

 

 

 

 

つづく

 

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