僕たちは、今もそれぞれの日常に。
心踊る島の上。僕らはたくさんの経験をして。
その時間を、なにより君に教えてあげたら。
【彼らの修学旅行】
夏休みまでひと月を切った頃。生徒会室へ向かっていた役員達の姿があった。
時刻は、授業が終わった放課後。生徒会長の天草シノは、来週に1つのイベントがある事を思い出す。
「2年生は明日から修学旅行だな」
「はい」
「3日ほど留守にします」
副会長の津田タカトシと会計の萩村スズは、現在2年生だ。よって、修学旅行へ参加する事になるのであった。
「今年からは、旅行先が沖縄になるんだよね。なんでだろ?」
不思議そうな書記の七条アリア。その原因は、シノが説明する。
「去年、畑がやらかした盗撮騒動のせいで、お得意様の旅館からクレームが来たのだ。そこで、今年から行き先を丸々変更したらしいぞ」
当時2年生だった、新聞部部長の畑ランコ。彼女は女子のプライベートを撮影し、周囲から制裁を喰らった事があるのだ。
まあ、そんな過去の事はどうでもいい。
「お土産、期待していてください」
「うん」
アリアは、スズの社交辞令にも笑顔で答えた。生徒会会計は、続けて鞄から書類の束をシノに渡す。
「それと、旅行中の総合会議の事ですが――必要な資料はこちらに」
「うむ。ご苦労だったな。去年は、お前たちに任せてしまったが、今年は私たちが請け負うので、問題はあるまい」
「そうでしたね。あの時は本当に緊張しましたけれど、やりがいのある経験でしたよ」
タカトシは前年度の事を思い出す。彼らは1年生でありながら、部活動の今後に関わる会議を請け負ったのだ。
「なんと。す、すでに童貞卒業したというのか!」
「ええっ、津田君って去年から? どうして私たちに教えてくれなかったの!?」
「俺たち、何の話しをしてたんだっけ?」
だから、修学旅行の話である。こんなやり取りも、いつもの事。
「でも、まあ旅行中はこういうツッコミからも解放されるのよね。そういう意味では、本当に楽しみだわ」
スズが、先輩2人に聞こえないように囁く。タカトシには聞こえており、相槌を打つ。
「そうだね。要は――轟さんと横島先生にだけ気を付けていればいいんだし」
轟ネネと、顧問の横島ナルコ。どちらも、アリアや使用人の出島サヤカと同じエロボケレベルの持ち主。片や、同級生として。片や、引率として。
「……」
一気に楽しみではなくなった。
「いや、楽しもうよ」
「うむ。年に一度しかない旅行だ。存分に励んでくるといい」
「励むといっても、スズちゃんとハッスルして来いって意味じゃないよ?」
「そもそも、萩村では入るまい」
「津田くんのは大きいって、コトミちゃん情報があるからねえ」
「……」
タカトシは遠い目になったまま今後の先行きに不安を覚えていた。大丈夫なのか、こんな調子で。
「あのさ……俺も萩村の気持ちが分かった気がする」
「ブラック企業の中で、自分だけ有給が受理された時みたいな気分よね……」
職場の仲間を置いて、自分だけ安全圏に逃れる事が出来た時の後ろめたさとやるせなさ。この場合は職場の同僚に対してではなく、同じ学園に通っている先輩後輩だが。
「まあ、とにかく」
コホンと咳払いするタカトシ。
「お土産ももちろんですが、一応置き土産にも期待していてください」
「置き土産?」
シノは首を傾げる。なんだ、置き土産というのは。
「実は、副会長の席を空けておくのはどうかと思いまして……ご勝手ながら、明日からは3日間ほどこちらから代理を頼んだんです」
「なんと。気を遣う事は無かったのだが」
「それで、代理の人って誰なの?」
アリアの質問。それに、タカトシは苦笑いして言う。
「コトミです。あいつ、部活に入っていないんで、放課後なんかもヒマでしょうし」
タカトシの妹、津田コトミ。しかし、その名を聞いたシノとアリアは、揃って顔を見合わせる。その表情は何とも微妙なものであった。
「まあ、言いたい事は分かりますよ。もしかして、ダメでしたでしょうか?」
タカトシ自身も、その反応は予想していたといいたげな顔で告げる。コトミはハッキリと言って、戦力的に期待できるとは言えないだろう。成績は下から数えた方が早いし、生活態度もいいとはいえない。
「いや、ダメとは言っていない。いいぞ。お前たちが帰ってくるまで、コトミの事はこちらに任せろ」
「あ、ありがとうございます」
つい、タカトシは腰を深く曲げて頭を下げてしまう。いつもの2割増しで、彼女にお礼を言いたかったのだ。
「例には及ばん。鍛えがいのある部下ができた。それだけの話だろう」
副会長のストレートな感謝に、シノは照れたような顔をする。アリアは彼女に、そっと耳打ちした。
「津田君の頼みじゃあ、断れないよね?」
「……アリア、何の事だ?」
「さあ?」
答えるのに若干の間があった理由については、言わぬが花というものであった。
【旅行前日の夜】
「そうだったんですか。去年はそんな事が……」
「はい。正直、距離を取る事に必死で。畑さんもお風呂場にカメラを持ち込んだりして」
「それは愛想笑いできませんよ」
「全くです」
自宅に帰り、食事前まで勉強をしているタカトシは、休憩も兼ねてカエデの携帯電話に連絡をしていた。この日はカエデと話をする機会が無かったので、思い切って話をしようと考えたのである。
迷惑かなと思ったが、カエデはむしろ嬉しそうに話に応じてくれた。タイミングのいい事に、彼女もちょうど勉強の休憩中だったという。
会話は自然と修学旅行の話になり、去年のカエデの体験を色々と話してくれた。過去にもこういう話を話題にした事はあるのだが、2人は特に気にする事はない。
「実は俺、沖縄って初めて行くんです。確か、挨拶はめんそーれでしたっけ」
「そうなんですか。私もまだ行った事が無くて。でも、南十字星が見える島があるって話は聞いた事がありますけど」
「あ、それ知っています。確か、波照間島でしたね。日本で唯一見る事が出来る島らしいですよ」
「へえ、ちょっと意外。タカトシ君って、星にも詳しいのね」
「いえ。実は中学時代に天体観測をした経験があるんです。当時の友達と家に泊まりながら、明け方まで」
タカトシは中学時代、当時のサッカー部以外にも友達がいた。その中の一人が天体観測を趣味に持っていたため、連休を利用して自宅に泊まりを敢行した経緯がある。
その時に使った天体望遠鏡は、物置の奥にしまっていた。時間があれば、手入れでもしてみようと思う。
「楽しそうですね。私、そういう経験がありませんから」
「コトミは、よく友達の家に泊まる事はしょっちゅうですが。カエデ先輩は、友達とどこかで泊まる事はないんですか?」
「普段は、そういう事はまずしません。お互いの親に迷惑がかかりますから」
「この前は、俺の家に泊まったじゃあないですか」
「あ、あれは申し訳なかったと思っています。ですが、私自身泊まりたくて泊まったわけでは」
「いいんですよ。困った時はお互い様です」
それに、とタカトシは続ける。
「カエデ先輩と、一つ屋根の下で一晩過ごせたっていうのも、ちょっと得をした気分になりましたし」
と、そう言い切った瞬間、彼は自分の言葉の不自然さに愕然とした。
「……え!」
案の定、カエデから仰天する声が聞こえてくる。しまった。つい調子に乗って、言いすぎてしまった。
「じ、冗談ですので。すみません。本気で受け取らないでくださいね」
「え、あああ……わかっていますわかっています。冗談なんですよね。その、タカトシ君もそういう事言うんだなって、ちょっと意外に思っただけで」
「あはは、は……俺だって、それくらいはたまに言いますよ」
気まずい。会話が途切れてしまった。自分のせいで。
さっきまでの自分を殴りたい衝動に駆られつつ、タカトシは努めて平静に言った。
「それじゃあ、そろそろ失礼します。お土産、期待していてください」
「あ……はい。それじゃあ、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい……」
通話を切った。と同時に、机に突っ伏すタカトシ。
「うああ……やっちゃった」
思い出すのはさっきの事。畜生。なにが一つ屋根の下で嬉しかった、だ。調子に乗って。絶対下心を持っていたと思われたぞ。
最近、女子――特にカエデに対してはつい話さなくていい事まで話してしまう。かといって今更弁解しようにも、通話は切ってしまっていた。
仕方がないだろう。あれ以上何かを言えば、余計に言い訳がましくなってしまう。
会って話をしようにも、明日から自分は修学旅行。帰ってきてから、カエデの自分を見る目が変わっていたらと思うと不安でたまらない。
「まったく……明日から旅行だっていうのに」
両の頬を手で叩くと、タカトシは席を立った。もしカエデから距離を取られそうになったら、土下座くらいは覚悟するべきなのかもしれなかった。
その頃の五十嵐家にて。
「…………っ! …………っ!!」
ベッドの上で真っ赤になった顔を枕に埋め、うつぶせのまま両足をバタバタさせる少女がいた事は、当人だけの秘密である。
【3日副会長】
当日の早朝。
スズは自宅を出て、タカトシの家に来訪していた。今日は普段の登校時刻よりも若干早い時間に学園へと集合するため、一緒に行くと約束をしていたのだ。
「おはよう、萩村。わざわざ家に来てもらうなんて悪いね」
「別に気にする必要はないわよ。私が勝手に来ているだけだから」
スズが家に来た時、タカトシは玄関先で靴を履いているところであった。
「忘れ物ない?」
「お土産買ってきますから」
タカトシは背後にいる女性にそう返す。心配そうな声を出さないのは、タカトシの事をそれだけ信頼しているからなのだろう。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
タカトシは笑ってスズと共に家を出た。
ある程度家から距離が離れたところで、スズは流石に訊ねる事にする。
「ねえ、あんた」
「?」
「魚見さんが当たり前のように見送りしているケド……あの人、いつまであんたの家にいるの?」
魚見チヒロ。遠戚になった英稜高校の会長である。
「ああ、お姉ちゃんの両親は昨日のうちに家に帰ってきているよ。けど、俺の両親も来月まで帰ってこないから」
コトミを1人にしておけないという理由で、引き続き家に泊まっている。つまり、7日間一緒に暮らしていて、まだ家に住むという事なのだろうか。スズはつい邪推してしまう。
いや、それよりも――
「津田。今、なんて言ったわけ?」
「なんてって……俺の両親は来月まで帰ってこないって」
「違う。その前」
「お姉ちゃんの両親は家に帰ってきているって」
途端、ジト目でタカトシを見るスズ。
「……ふうん。随分仲が良くなったみたいね。もうすっかり自然にお姉ちゃんって言えるなんて」
「え、あ、まあ……そうだよ。そう呼んでほしいって、お姉ちゃんが」
「本当に一週間泊まっていたのね。一つ屋根の下で」
「いや、それは否定しないけれど。でも、やましい事はまったくないよ?」
スズの冷たい眼差しが痛い。マズい。仲を勘繰られている。
「別にいいわよ。私には関係ないし」
「あ、ちょっと待ってよ萩村。歩くのが早いって」
「うっさい。あんたが遅すぎんのよ」
肩をいからせ、早歩きでタカトシの先を歩こうとするスズ。それを慌てて追うタカトシ。歩幅の差をものともしない競歩レースは、駅に着くまで続いたのであった。
そして、時間は少しばかり遡り、桜才学園では……
「それじゃあ、今日から生徒会役員になるの?」
「うん。会長にはタカ兄の方で話が通っているって」
朝の教室。同級生の高部ノリユキはようやくその事を知った。意外そうな様子でコトミをマジマジと見つめる。
「なんだか大変そうだね。ここの生徒会って、結構権力が強いみたいだから」
「大丈夫。タカ兄だって、嫌な顔もしないで毎日やっているから」
後ろの席で聞いていた時カオルが、少し顔を顰める。
「お前、そりゃあちょっと油断しすぎだろ……」
夜更かしでもしたのか寝不足らしく、目に力を入れているカオル。それがまるで睨んでいるような目つきになっているので、周囲は近寄りづらい様子であった。
「なんで? 権力があるって格好いいし、仕事もタカ兄は平気でやっているよ」
もっとも、コトミはすでに慣れたものだった。あくまでも自然体で会話をする。
「へえ。それは兄貴がしっかりしているからじゃねえのか?」
「私だって、タカ兄がいなくても仕事くらいはできるよ。そうだよね、ノリー?」
「あ、うん。津田さんならきっと大丈夫だと思うよ?」
「よかった。ノリーならそう言ってくれると思ってたから」
「あはは……」
屈託ない笑顔で褒められ、照れたように笑うノリユキ。正直、カオルにとっては聞いていられない会話である。
――こいつなら大丈夫っつってもなあ。たしか、こいつの成績ってあたしより下だったんじゃなかったっけ?
前回の試験結果を思い出すカオルをよそに、ノリユキはここぞとばかりにコトミとの会話を続けようとする。
「そうだよ。津田さんは副会長の妹なんだから。もっと自信をもってもいいと思うな」
「えへへ」
「何かあったら、僕にも相談してよ。何か役に立てるかもしれないし」
「うん、ありがとう。ノリーと友達になれて本当に良かった」
「そ、そう?」
顔を赤くして頭を掻くノリユキ。と、そこにコトミの携帯電話から呼び出し音が鳴る。
何だろうと思いながら相手を確認すると、生徒会長からであった。通話をすると、開口一番飛んできたのは叱責の声。
「こら、コトミ。いつまで教室にいる。今日は朝から服装チェックだと伝えておいただろう」
「あ、そうでし……いえいえ、もちろん覚えていました。今、ちょうど教室に鞄を置いたところでして」
どう見ても誤魔化している事がバレバレな口調なのだが、特にその事には触れないシノ。というか、追及するだけ時間の無駄だと断じたのかもしれない。
「分かったら、早めに校門前に来い。風紀委員一同や他の者達は既に来ているぞ」
「はい、直ちに!」
ビシッと敬礼をして、コトミは早歩きで教室を出ていく。その背中を見送った2人は、自然と目を見合わせる。
「……大丈夫なんじゃなかったのか?」
「……」
ノリユキは返す言葉もなかった。
都心の空港に到着したのは、朝の10時に差し掛かる頃であった。平日の朝ではあるが、乗客たちや職員は色々と忙しなく歩いている。
桜才学園2年生の生徒達と教員は、通行人の邪魔にならないように5、6列でターミナルを歩く。中には空港事態を歩くのが初めての者もいるようで、興味深そうに周囲を見回している生徒もいる。
「そういえば、俺って飛行機に乗るのは初めてだったな」
そんな彼らを見て、ふと自分も飛行機は初搭乗だったと思い出す。それを今になって思い至るあたり、タカトシもたいがい天然であった。
「俺は2回くらい乗ったぜ」
少し得意げに、隣を歩く柳本ケンジが言った。へえ、と素直に感心する。
なんでも、家族旅行で海外に行った時と、中学時代に遠い親戚の家に言った時らしい。飛行機においては、どうやらケンジの方が先輩のようだ。
「それなら、萩村は帰国子女だし」
「まあね。むしろ、飛行機に乗るのは生活の一部みたいなものだったわ」
話を振ると、逆隣りを歩いているスズは当然のように答えた。そんな当たり前のように乗っていれば、最早萩村は大先輩どころか先生と言ってもいいだろう。
「私もよく飛ぶよ?」
と、後ろから同級生の轟ネネが会話に参加してくる。どうやら、彼女も飛行機は良く乗るらしい。
「今日は……4回くらいトンじゃったかな?」
照れたように頬を染めるネネ。というか、僅かにスカートの中から聞こえる振動音は――
「管制塔、着陸許可をお願いしますっ!」
ちなみに、この後で金属探知機の検査を受けている時、ネネの股間に挟まっているソレが原因でひと悶着あった事は、言うまでもない。
「そこ。ネクタイはちゃんと締める!」
「すみません」
「そこの人。鞄に過剰なアクセサリーは禁止だよ」
「ごめんなさい」
「そこの貴女。スカートの丈が短すぎます」
「すぐに直します」
この日も、服装検査は慌ただしく進んでいた。いつもながら、服装違反の生徒が多い。
「ふわ……ああ」
そんな中で、同じように注意をするべき立場のコトミは、あくびをしながら生徒達を目で見まわしている。生徒会役員の朝は早いので、遅刻ギリギリに投稿している彼女としては、なんとも辛い時間だ。
「こら、コトミさん。あくびなんてしていては、示しがつきませんよ」
隣で服装チェックをしているカエデが、眉を顰めて注意をする。注意をする立場の者が注意をされているというのもシュールな光景だ。
「すみません。私、朝は弱くって」
「まったく。明日からは早めに寝る事をお勧めします」
「いやあ、早くだと寝られないタチなんですよね。普段は遅くまでゲームやっているものですから」
「……今後は仕事に差し支えない程度に加減する事をお勧めします」
内心で頭を抱えたい気分になりながらも、カエデは引き続き服装チェックを続ける。コトミの分までやらなければいけないというのは何ともやるせない気分だが、コトミはどういうものが服装の乱れなのかを今一つ分かっていない節があった。
わかっていたけど、これでタカトシ君の代理なんて務まるのかな。カエデが不安に思うのは当たり前である。
「本当、タカ兄っていつもこんな事をやっていたんだなあ」
もはや仕事を忘れ、ぼやき始めるコトミ。隣の風紀委員長は堂々とサボらないでと言いそうになるが、どうにか堪える。
「毎晩のオ○ニー並に」
「……」
げんなりするカエデ。しかし、そこにシノとアリアも加わる。
「おお、分かるかコトミよ。しかし服装チェックに限らず、我々生徒会はみんなが嫌がる事を進んでヤる事がモットーだ」
「ヤる、のアクセントは何ですか?」
「コトミちゃん。津田君も、やっぱり毎晩オ○ニーは欠かさないよね?」
「調味料が欲しいか訊ねるみたいなノリで言わないでください」
「いえいえ、先輩方。去年のクリスマスの時と同じく、未だにこの目で拝見した事が……」
「あなたもあなたで真面目に答えないで!」
ああ……と、カエデは嘆いた。
そうなのだ。タカトシとスズがいない今、生徒会役員達のツッコミ役は自分1人。
これから3日間、カエデの孤立無援な戦いが幕を開ける事になったのである。
【ぷんすか】
服装チェックを終わらせ、それぞれの教室へと向かう彼女達。当然ではあるが玄関前までは行き先は同じなので肩を並べて歩く事になる。
玄関で靴を上履きに履き替え、階段を上ろうとする際にカエデとシノは足を止めた。
視線の先は、階段近くに設置されてある自動販売機。その隣にあるゴミ箱の周りに、ペットボトルのゴミが散乱していたのである。
「まったく。また生徒達が適当に放り投げたままにしてあるのね」
いつも校舎のどこかしらでは、こういう有様を目の当たりにする。カエデは近寄ってペットボトルをゴミ箱に入れていく。
「手伝おう」
「私も」
シノとアリアも慣れた様子で一緒にゴミを片付ける。こういうさり気ない善行を当然のように行うのが彼女達という人種であった。
「あ、じゃあ私も」
無視して自分の階段に向かっていこうとしたコトミは、周囲の行動に慌てて引き返してくる。
「毎度ながら、こういうのを見ると胸が痛みます」
最後のペットボトルをゴミ箱に捨てつつ、カエデがポツリと呟く。それを近くにいたために聞こえたシノは、首を傾げて訊いた。
「生理か?」
「そういう意味ではありません」
「カエデちゃんは2週間前に終わっていたもんね?」
「なんで知っているんです?」
アリア。
「私は来週辺りかなぁ?」
「訊いていません」
コトミ。
ツッコミ三重苦。カエデは頭を抱えた。
と、そこに1年生らしい男女が傍を通り過ぎる姿が見える。それを見て、風紀委員長は顔を顰めた。
別段、男女が歩いていること自体は珍しくもない。共学化したのだからむしろ当然のことだ。
問題は、2人が手を繋いで歩いていた事である。カエデは手をはたきつつ、2人に近寄る。
「こら、貴方達。校内で風紀を乱す行為をしない!」
威厳を込めて、しっかりと注意する。2人はビクリと肩を震わせ、恐る恐るカエデの顔を見た。
「必要以上に肌に触れる行為は、校則で禁止されています。今後は慎むように」
「え、そうなんですか!?」
「え?」
なぜか、そこで勢い込んで食いついてくるコトミ。その反応の意味が分からず、目を白黒させるカエデ。
「カエデ先輩、この人たち何をやっていたんですか? 私、ちょっとゴミ拾いに気を取られちゃってて」
「……男女で手を繋いでいたのですが」
「え?」
訳が分からない、という顔をするコトミ。なんでそんな事で注意するの、と言いたげであった。
「わたし、てっきりお互いの股間を触りっこしてたのかと」
「え?」
訳が分からない、という顔をするカエデ。なんでそんな発想ができるの、と言いたげであった。
「まあ、手を繋ぐだけならセーフという事にしておこう。五十嵐の言った通り校則では禁止されている行為ではあるが、私としては許容範囲だ」
そんな彼女達をスルーして、シノは2人にやんわりと諭す。カエデの顔を立てるために、それが違反である事もしっかり伝えておく辺り、シノらしい。
「繋がっているのが、下半身だったら分かんないけどね」
「ははは」
アリアの茶々に、シノは笑った。とても楽しそうに。つられて、コトミもアリアも笑う。
「……」
この疎外感はなんだろう。カエデは妙に冷静な頭でそう思った。なんだか、彼女達と自分との間に大きな隔たりがある気がする。
――なお、手を繋いでいたカップルはさっさと逃げ出していたが、最早どうでもいい事であった。
【彼の相関図】
「どうだったんだよ。朝から生徒会の仕事は」
昼休みの廊下で、コトミはアヤカに訊かれた。後ろには、ノリユキもついてきている。
「うん。凄い眠かったけど、どうにかこなせたよ。明日から、トッキーも一緒にやる?」
「やだよ」
カオルは嫌そうにそう言った。コトミほどではないにしろ、カオルも朝は苦手だ。一言でいえば、たりぃのである。
「それじゃあ、ノリーは?」
「え、僕? それはちょっと……やめとくよ」
背後のノリユキに話を振る。しかし、彼も曖昧に返事をするだけ。
「お前、朝は結構早いじゃないか。やってみればいいだろ」
困っている彼に、カオルが悪気もなく追い打ちをかけた。
「そういうの、苦手で」
「私は、別に平気だよ? 見られるのって、結構好きだし」
「あたしはウザいだけだけどな。注目されたって嬉しくねえ」
コトミとは若干意味が違っている事に気づかないまま、カオルは言い返す。
「ふうん……」
少し不満そうに呟くと、コトミはカオルのスカートの裾に手を伸ばした。一言もなく、勝手に。
「うわっ……」
驚いたのは、後ろを歩いているノリユキだった。コトミはカオルのスカートをまくり上げたのである。一応彼に見られないように配慮して、スカートの前の部分だけであったが。
「……」
「……」
沈黙。
2秒ほど中を真剣な目で見ていたコトミは、不満そうに手を離した。
「……おい」
「濡れてないって事は、本当に嫌なんだね」
「もっとマシな判断基準はないのか」
若干、カオルはコトミから距離を取る。ノリユキは顔を真っ赤にして口をパクパクさせているが。
「え、ええっと……津田さんって、本当に大胆なんだね」
「何を今更言ってんだ」
普段の下ネタ発言から、そのあたりを察せないのだろうか。カオルは呆れる。
「そんな事ないよ。これくらい、女の子の間じゃあよくやるし」
女子高では、こういうイタズラは別に珍しくもない。この学園では共学になってもなお女子の比率が高いため、コトミ以外にもこういう事をする者はたまに見かけるのだ。
「あら、コトミちゃん。これから食堂?」
「あ、七条先輩」
階段を降りようとすると、すぐ下にアリアが立っていた。隣にはシノもいる。彼女達も、食堂へ向かう最中だったらしい。
「よかったら、一緒に行かない? 今日からは新メニューがあるみたいだし」
「本当ですか? 行きます」
「どうも」
「し、失礼いたします」
タタタと階段を降りるコトミに、ノリユキとカオルは遠慮がちについて来る。カオルはそうでもないが、ノリユキは生徒会役員が一緒になる事に少しばかり萎縮してしまっているらしい。
「新メニューって、もしかして以前目安箱でアンケートを取った奴ですか?」
「そうだよ。津田君の提案で、学食に追加してほしいメニューを募集したんだよね」
「何が採用されたんですか?」
「うふふ。期間限定で、バニラアイスとイチゴケーキ」
「おお、デザート系と来ましたか!」
スイーツのメニューが採用され、コトミは飛び跳ねんばかりに喜んだ。
「そう喜んでくれると、こちらとしても採用した甲斐があったというものだ。特に萩村がこの二つをよく推していたからな」
「ああ、スズ先輩って、そういうの好きそうですもんね」
見た目、子供っぽいから。彼女達は口には出さない。
「他には、何かないんですか?」
ノリユキがつい後ろから口を挟む。
「もちろんあるよ。見てのお楽しみだけど、メインディッシュもしっかり」
「うわあ、楽しみです」
ワクワクする顔になる。カオルとノリユキも、心なしか顔が綻んでいた。誰でも、美味しいものを食べたいと思うのは当たり前なのである。
「あ、それとコトミちゃん」
「なんです?」
アリアが今気づいたように言う。
「さっき階段を見上げた時に気づいたんだけど、いま下にスク水着てるの?」
「えっ」
声に出して驚いたのは、言われた本人ではなく顔を赤くしたノリユキだった。スカートの中を覗かれた事には何の抵抗感もないまま、笑って頷くコトミ。
「はい、そうですよ。午後は水泳があるんで」
そう言って、コトミは遠慮もなく自身のスカートを捲った。下着の代わりに見えたのは、スクール水着の下半身。
「わ……」
つい凝視してしまうノリユキ。その思春期真っ盛りな反応が、生徒会役員達にはむしろ新鮮に思えた。
「ほう。やはり男というのはそういう反応が自然なのだな」
「あらあら」
「?」
「……」
それぞれの反応の差こそあれ、ノリユキは自分が雄の本能を垣間見せてしまった事で注目を集めてしまった事に気づく。顔を青ざめ、あわてて手を振る。
「いえ、待ってください。誤解ですよ」
「誤解?」
コトミが首を傾げる。
「あ、うん。だから見てなくて、誤解で……」
責めるつもりはないが、嘘は良くない。コトミを除く周りの者達はそう言いたかった。
「それよりもコトミちゃん。女の子は見えないところにも気を使わなきゃダメよ」
「どう気を使うんです?」
「そう、私みたいに」
アリアの自身に満ちた態度に、コトミは彼女の背後にしゃがみ込む。
スカートを捲り、顔を驚きに変えた。他の1年生――特にノリユキは、鼻血を出しそうな程に顔が真っ赤になり……
「はう」
失神した。仰向けに倒れ込む。中身はコトミの頭で見えていない筈なのだが、想像力が限界に達したらしい。
「すごい……シワの一本一本にまで、美しいシャドウが!」
「どう? これが先輩としての威厳よ」
「はい。勉強になりました七条先輩!」
ドヤ顔の生徒会書記と、忠誠を誓う副会長代理。そんな歪な上下関係を見て、カオルはポツリとつぶやいた。
「ボケる場所は選んでくれないか。私はツッコまんぞ」
【3年・1年の総合会議】
授業が全て終わった放課後。
机の上に纏めた資料を手に、生徒会役員は廊下を歩いていた。
この先には、桜才学園総合部活会議が行われる会議室。シノとアリアは、1年生の時に参加した事がある。
なにしろ、全ての部活の予算が関わってくる大事な会議なのだ。それぞれの代表者が、さぞ内心で気炎を吐いている事だろう。
このプレッシャーは、2度目と言えどそう簡単に慣れるものではない。
「ううう……私、早くも気が滅入ってきました」
早速、責任という言葉に負けそうになるコトミ。
「この書類も、やたらと重く感じます」
「無理もない。だが、そうへこたれてばかりもいられないぞ。なにしろ、私たちの采配に学園生徒の部活による青春がかかっているのだからな」
「……わかりました、会長!」
キッ、と気を引き締める生徒会副会長代理。
「私は帰宅部代表としてこの会議に参加させていただきます!」
「職務放棄は許さん」
「ところで、五十嵐さん」
「はい?」
会議室へ向かう途中、カエデはランコに声をかけられた。お互いに、自分の部活のデータが記されたファイルを持っている。
「コーラス部の部長はどうしたのですか?」
「ええ、実は部長が体調を崩して、今日は休んでいるんです。それで、代理として私が会議に出る事になって」
「それはそれは。五十嵐さんも多忙なものですね」
「仕事ですから」
2人はしばらく無言で歩く。グラウンドから、ガラス窓を通して誰かの声が聞こえてくる。あれはテニス部の声か。ソフトボール部の声か。
ふと、カエデは外に広がる青空を見上げた。朝よりは白い雲が覆ってはいるが、それでも充分晴天と言える天気だ。こういう日は、絶好の旅行日和なのだろう。
タカトシ君、今頃沖縄で楽しくやっているんだろうな……
つい物思いに耽りそうになるカエデの横顔を、ランコは見逃さなかった。キュピンと目を光らせ、どこからともなく取り出したマイクをカエデの頬に押し付ける。
「突然ですが、インタビューを!」
「ひゃっ!? え、いん、え?」
不意を突かれ、混乱するカエデに取りあわず、ランコは追及を始める。
「五十嵐風紀委員長。今、誰の事を思い浮かべていたのですかな?」
「だ、誰って……別に」
「いいえ、貴方は今、明らかに誰かを頭に思い浮かべていましたね。しかも、あのような雌の表情を!」
「し、失礼ですね。誰が雌ですか、誰が!」
顔を真っ赤にし、肩をいからせて反論するカエデ。こういうところで、この新聞部部長はいつも鋭いのだ。気を抜く暇もありはしない。
「言い訳は聞きませんよ?」
無表情なはずなのに、なぜかカエデの目にはランコが微笑んでいるように見えた。なんとなく、嫌な予感を覚える。
そっと、小声で呟くランコ。カエデにだけは聞こえるような、絶妙な音量で。
「五十嵐風紀委員長。先週、津田副会長の家に泊まっていましたね? てっきり、その時の事を思い出しているのではないかと愚考してみたのですが」
「え」
――バサリ、とカエデはファイルを床に落とした。
つづく