会えなくて寂しかった。
話せない事が、これほど辛いとは思わなくて。
手を伸ばし、君の姿を探したい。
でも、それでは足りない。
だって、君は足を動かしていないから。
会いに行くには、自分の意思でしっかり歩き。
そして。必ず。
手を取り合って、会える日を夢見て。
【校門での真相】
桜才学園。下校時刻の校門にて。
――実はわたし、カナヅチなんです……
通りすがりの者達に聞かせる話でもなかったので、英稜高校副会長の森ノゾミは“内緒話”のために、津田タカトシの“耳元”にそっと告げた。
彼女が桜才学園に姿を見せた用件は2つ。ひとつは、魚見チヒロのお姉ちゃんとしての伝言。そして、もうひとつは――
「次の休日に、桜才学園のプールを借りさせて欲しい、という事ですね」
「は、はい……正直なところ、人が大勢いる場所だと本当に恥ずかしくて」
ほんのりと頬を桜色に染めながら、ノゾミは頷いた。
おそらくは、泳げないことを恥ずかしく思っているのだろう。まあ、みんなが泳いでいる中、プールの隅で潜ることの練習などできるはずもない。
「分かりました。許可さえ頂ければ大丈夫だと思います。俺も副会長ですので、任せてください」
安心させるように、ニコリと笑う。ノゾミの表情がぱっと明るくなった。
「よかった。私も魚見会長から、どうせ学園に行くのなら頼んでみたらどうかなって言われたので、正直駄目元だったんですよ」
「まさか。それくらいの融通は利かせて見せますよ。それじゃあ、少しだけうちの生徒会室で待っていてください。俺は職員室に行って許可を――」
ドサッ……
「?」
思わず、音がした真横を向く。そこには、三つ編みが似合う風紀委員長――五十嵐カエデが立っていた。足元に鞄が落ちているという事は、さっきの音はそのせいだろう。
いや、それだけではない。カエデのすぐ後ろに立っているのは、ついさっきまで待っていた彼女達。生徒会役員のみんなであった。なぜか、新聞部の畑ランコもいる。
なんだ。なんでこっちを強張った顔で見ているんだ?
「……津田」
天草シノ。
「え?」
「……説明してもらいましょうか」
萩村スズ。
「ん?」
思わず間の抜けた疑問符を次々に口にする。というか、正直怖い。
「津田君。とりあえず説明責任はしたほうがいいと思うよ?」
いつもよりどこか楽しげな七条アリア。
背後からメラメラと炎を発生させている生徒会役員達。そして、ジリジリと近寄ってくる。
「ほほう。さすがは津田副会長ですな。我が学園の校則を厳しくしておきながら、その隙をついて他校の生徒を相手取るとは」
カメラを操作しながら、やはり別の意味でジリジリと近寄ってくるランコ。違うと、この空気の中で言い切れる勇敢なものは、あいにくとこの場にはいなかった。
「あ、あの、津田さん。わたし、何か……やらかしました?」
全員の威圧感に押されたのか、後ずさりをしつつあるノゾミ。それを否定できるほど、タカトシにも余裕があるわけではなかったが。
だが、今は何より。
硬直しているカエデの存在が、何よりも気がかりだったのだ。何か話さないと、という妙な焦燥感がタカトシを襲う。
それでも、何を言えばいいのかが分からない。普段から欠かさない勉強に使う頭も、こういう時に限っては何の答えも出してはくれなかった。
そして――
カエデは顔を強張らせたまま急いで鞄を拾い上げ、踵を返して校舎の反対側へと走り去っていった。
ああっ! 内心で悲鳴を上げるタカトシ。反射的に後を追おうとするタカトシだが、そこへ1人の少女が立ちふさがった。アリアである。
「すみません七条先輩。どいてもらえますか」
「津田君。今は、シノちゃん達に説明するのが先だよ」
珍しくも女性であるアリアに対し、強気の姿勢のタカトシ。しかし、アリアはいつもの微笑にも幾ばくかの真剣さを帯びた瞳で見返している。
「できません。理由は分かりませんが、今はカエデ先輩の方が……」
「絶対に駄目。理由が分からないなら、なおさらだよ」
「……っ」
奥歯を噛むタカトシ。今の言葉は、タカトシに楔を打つ行為も同然であったからだ。
今の時点で、タカトシはカエデがなぜ逃げ出したのかを知っていなければならないからだ。しかし、自分はそれを察する事ができていない。
ならば、いま自分が彼女を追っても、かえってカエデとの溝を深めるだけになるんじゃあないのか――
悔しさと焦燥がこみ上げるものの、動くことができない自分の足。今の彼は、迷子になった子供のようだった。
そんな情けない彼に、アリアはようやくめったに見せない厳しい視線を和らげる。言葉で分かってくれたのなら、まだ彼は理性の強い人間だ。もう心配は要らないだろう。
「大丈夫。カエデちゃんの事は、私に任せてもらえないかな」
「えっ?」
思わず顔を上げる。その言葉は、願ってもいない事だったからだ。
「今、こうして普通にしていられているのは、私だけみたいだから」
「ああ……そうですよね」
自分はこんな失態を見せてしまったばかりだし、ノゾミもまた自分と同じように言い寄られている。確かにこれでは、アリアしか適任者がいない。
申し訳なさを覚えつつも、タカトシは会釈をする。
「あの……それじゃあ、カエデ先輩のこと、よろしくお願いできませんか? 俺はちゃんと、自分のやるべき事をしますので」
「うん。心配しないで」
「それと……」
踵を返そうとするアリアに、タカトシは少し照れくさそうに言った。
「すみませんでした、みっともないところを見せちゃって。本当に感謝しています」
「ううん。気にしないで」
その瞬間に見せた心からの笑顔は、今まで彼が見てきた中でも一番綺麗だと思えた。走り去っていく彼女の背中は、当分忘れられそうにない。
「……さて、と」
実を言うと、まだほんの少し追いかけたい気持ちが残ってはいるものの、それは叶わない。なぜなら、むんずと肩を摑まれたからだ。隣に立つノゾミと共に。
彼らの心情など知ったこっちゃあないといわんばかりの炎を背にした、シノとスズだ。
「さて、2人とも」
「ご足労願えますか?」
「はい」
「は、はい……」
そして、2人はあえなく校舎内へと連行されていった。
けれど、ノゾミはともかくとして、タカトシの心にはそれほどの悲壮感はない。今は、やらなければいけない事に専念しなければ。
【君のいない夕暮れ】
「そ、そうだったのか……」
夕暮れ時、オレンジ色になった生徒会室の中で気まずそうな声が出た。生徒会長のシノである。
腕組みをしているものの、どこか仕草がぎこちない。自分が早とちりをしたからというよりは、そういう誤解をしてしまった事を公でしてしまった事に羞恥を覚えているようでもあった。
「それはすまない事をしたな……森よ」
シノの顔は、茜空の光の中でも分かるように赤い。さっきまで怒りと嫉妬の形相は見る影もなかった。
「いえ、いいんですけれど……」
それ以上に顔を赤くしているのは、当のノゾミである。椅子に座ったまま膝の上に拳を置き、深く俯いているのだから。
チラリと、傍の机に置かれている一枚の写真を見る。そこには、タカトシの横顔の向こう側に、そっと自分の顔が隠れている姿が写っていた。角度の関係で、どう見てもキスをしているようにしか見えない。
てっきり恋人同士かと思いましたよとは、新聞部部長の弁。顔を真っ赤にし、すっかり取り乱した事はいうまでもない。
この写真は、当然ながらランコが撮影したものである。いつ現像したのかは例によって不明だが、とにかくこの不順異性交遊を疑われる写真は、間違いなく目の前に存在していた。
「し、しかしですね。これじゃあ誤解するのは仕方がありませんよ。うちの学園は校則が厳しい事はご存知のはずですけれど?」
「は、はい。それはご尤もですが……すみませんでした」
スズたちが動揺しているのは当然だ。目の前で誤解されても仕方のない事が起これば、黙っているはずもない。そのことで、ノゾミも特に内緒話をした程度で連行された事に関しては何もいうつもりはなかった。
それにしても。
ノゾミはわずかに俯く。まさか、自分がカナヅチである事を伝えただけのつもりが、こんな騒動に発展してしまうなんて。
「そんな顔をしないでください。もう、みんな分かってもらえたじゃないですか」
しかし、そんな暗雲たる気持ちは、誤解を受けた当のタカトシ本人が否定する。
「津田さん。でも……」
「肉体的接触はありませんでしたし、セーフですよ。それに」
「それに?」
「森さんがそんな軽薄な人じゃないって、ちゃんと信じていますから」
え、とノゾミの身体が固まる。タカトシは信頼しているという事を強調するために、続けて言う。
「一緒にいて、落ち着きますし。校門でも、すぐに打ち解けあえましたから」
「あ……それは、私もですが」
それはノゾミの本心だった。同じツッコミ役としての立場から来る共感という理由ももちろんあったのだろうが、なんと言うかタカトシとは不思議と馬が合ったのだ。
いや。強いて言えば、相性がいいということか。
「あー、オホンオホン」
そんな、どこか分かり合えた的な空気をかもし始める2人だが、シノのわざとらしい咳払いがそれを許さない。我に返ったように背筋をピンと伸ばすタカトシとノゾミ。
「と、とにかくだ。森よ」
「は、はい?」
「今日は桜才学園に、何の用事があったのだ。ウオミーならばともかく、森がひとりで来るなどとは」
そういえば、と思い出すノゾミ。トラブルのせいで、ここに来た理由をすっかり忘れていた。
「ああ、実はですね……魚見会長が津田さんと連絡が取れないというので、私が伝達事項を伝えに来たんです」
「ああ、それがさっき校門で話していた……」
ようやく合点がいったという顔をするシノ。
「それと、もうひとつなのですが」
「む?」
ノゾミは、自分がカナヅチであるために桜才学園のプールを使って水泳の練習をしたい旨を伝える。シノは快く承諾した。
「そういう事ならば構わんぞ。他校の生徒であろうとも、我々は努力をする者を拒まんからな」
「あ、ありがとうございます!」
心から安堵する。ついさっきまでカナヅチを笑われるのではないかと恥ずかしがっていたことが、何となく無意味だったように思えてしまった。
「それに、魚見さんがお世話になっている人ですし。もう少し気軽に言ってくれても良かったんですよ?」
「萩村さん……」
スズも純粋な好意からそう言う。これくらい、お安い御用だというのに。
その後、彼女らは詳しい日取りや時間を決める事になった。少しだけ相談した結果、夏休みの当初に日程が決まる。
とりあえず、今日はこの場で解散ということになった。すでに完全下校時刻も近い。
自然と、みんなで校門を出る事となった。薄暗くなり始めた空に星は見えない。今日は雲が多い日なのだ。
「……先輩、もう帰っちゃったんだな」
「む。どうした、津田?」
足を止めたタカトシに振り向くシノ。離れた校舎に視線を向けている彼に、彼女は声をかけた。
「いえ。何でもありません」
「そうか」
それだけのやり取りで、2人はこの会話を終わらせる。
タカトシは必要以上に話さないし、シノも深くは訊かない。そんな僅かにいつもとは違う空気のまま、彼らは雑談を続けながら駅へと向かっていった。
【予期せぬ出会い】
「それでは、店長。また次回に」
「ええ。お疲れ様、津田君」
星空が輝く下で、タカトシはレストランの前で店長と別れた。上司である萩村アカネが運転する車を見送ると、ゆっくりと夜の街を歩く。
家には、いつものように夕飯を作り置きしておいた。家にいるコトミは今頃、とうに食べ終えているだろう。
すれ違う家族連れや、一回り年下の少年グループ。時間帯はかなり遅いはずなのだが、夏休みが近いこともあるのか、夜の街を歩く事に何の抵抗もないようだった。
そう。夏休みだ。
明後日には、夏休みが始まる。そのため、数日前から学園内では長い休みをどうするかの話題で持ちきりであった。
海水浴。山。レジャーランド。海外旅行。
生徒会役員も、仕事の休憩中にその話題は出ている。
スズとシノは夏休み半ば頃に、一度田舎へ帰省するという。以前から、夏休みは1週間ほど泊まる事が決まっていたらしい。
アリアにいたっては、夏休み後半には避暑のために海外で暮らす予定があるという。やはり豪勢なお嬢様らしいというか。
では、自分は?
ここ最近はそれを考えているのだが、あまり面白いと思える予定は浮かばない。ハッキリ言ってしまえば、ノープランである。
中学時代は部活仲間とサッカーの試合を観戦しに行ったり、女友達も含めて遊園地に行ったりもしていた。しかし、学園では女子の比率が未だに多いこともあって、いまひとつ気軽に誘える人が少ないのだ。
シノたちを含めた先輩方はすでに予定が入っているし、第一すでに受験生だ。いかに彼女達の成績が優秀だとしても、気軽に誘えるはずもない。
といっても、実際にやる事はある。アルバイトのシフトを増やせば給料も上がる。志望校のレベルを考えると、今から受験対策もした方がいいだろう。道場で身体を鍛えることも忘れてはならない。
……って、これじゃあいつもの休日と変わんないな。
はあ、とため息をつくタカトシ。情けない。たった一度の青春なのだから、もう少し面白みのある時間を過ごしても罰は当たらないというのに。
「……あ」
そうだ、と思い出す。携帯電話を取り出したタカトシは、慣れた手つきで目的の相手に電話をかける。
通話口を顔の横に当て、しばらくの間だけ待った。しかし、どれだけコールしても出る気配がない。というよりも、出る気がないのだろう。
タカトシは無言で電話を切る。今度は、さっきよりも深いため息を吐いた。
もう、カエデとはずっと話をしていない。さっきの電話も、彼女にかけたものであった。
何度も学園で話そうとしていた。以前のような及び腰ではなく、もっと毅然とした物腰で。
しかし、それは叶わない。それどころか、明らかに避けられている。
仲介をしてくれたアリアも、特におかしな事は話していないと言っていた。妙な説明をしているのではないかと疑いそうになったが、人任せにしてしまった身分で何を言っているのかとタカトシは自分を叱責する。
結局、悶々とした気持ちは晴れないまま、彼は今日も夜道を歩いている。
「……」
ふと、住宅街から少し離れたところに薄暗い公園が見えた。比較的広い規模で、街灯に照らされた光景に関心を寄せられた。
少しだけ立ち止まると、タカトシは足をそちらに向けることにする。なんとなく、このまままっすぐ帰る気にはなれなかったからだ。
宵闇に浮かび上がっているブランコやジャングルジム。人工的に作られた丘や、アスレチックの設備。この周辺の中では、かなり大きい規模の公園なのだ。
そんな昼間は賑わっている場所も、夜となれば人気はない。先輩達ならば、大人なカップルに遭遇することを期待するんだろうなどと、少しだけ失礼なことを考えてしまう。
まあ、それはさておき。タカトシは近くのベンチに腰掛ける。彼を中心に、傍の街灯が周囲を照らしている格好になった。
もう一度、携帯電話を取り出す。コール。やはり応答はない。
落胆はない。予想していたことだったから。タカトシは黙って通話を切る。
「……?」
ふと、ガサリと音が鳴った。背後の植え込みだ。
風は吹いていない。明らかに人工的な音だと直感した。タカトシは日頃の鍛錬の成果もあって、植え込みの影から飛ぶようにして距離をとる。
こんな時間と場所に、なぜ人がいる。可能性としてはあまり考えたくはないが、本当に大人のカップルだろうか。それとも、金銭目的に自分を襲おうとしている誰かか?
つい警戒心から、武道の構えを取るタカトシ。しかし、その警戒は杞憂に終わることとなった。
「おおおう、これはこれはぁ!」
「……え?」
突如、植え込みから飛び出してきた人影。なんと、その相手は少女であった。しかも、自然にまぎれるような緑の葉を、蓑のように身体へと取り付けている。迷彩服の上に。
「……なにやっているんですか、畑さん」
「いやいや、奇遇ですねえ。よもや、こんなところで副会長とお会いできるとは」
新聞部部長のランコは、相変わらずカメラを両手に構えつつ周囲を見回す。
「奇遇とかそういうレベルじゃあないでしょう。それで、畑さんはこんな所で何を?」
彼女の奇行は見慣れているつもりだったが、これはさすがに不意打ちだ。学園内じゃあるまいし。
「おや。もしや、津田副会長も私と同じ口でしょうか?」
「同じ口?」
「ズバリ、夏といえば野外で薄着になっても平気な季節。すなわち、青○探索です!」
「……まあ、そんなこったろうとは思っていましたよ」
目的が分かり、どっと疲れを覚えるタカトシ。彼は知らないが、○姦探索は彼女の日課だ。というか、去年もやっていたところをスズに見られた事があった。
「さすがに学園内ではその手の記事を発行できませんので、とある雑誌社に高値で……いえ、スクープの一環として」
「部費の一部にしてます? 明日は部活の収入と支出、もう一度チェックしますんで」
「ははは。ご冗談を。馬鹿正直に報告書に書くような事はしませんよ」
「よし。明日からは無期の活動停止を検討」
「いやあん」
大して困ってもいないような口調だが、ランコはタカトシにすがりついた。
【吐露する想い】
結局、この場はデータを全て目の前で消去するということで手を打つ。データそのものは、プライバシーの問題もあるので絶対に拝見しなかったが。
「それで、話を戻しましょう。津田副会長は、なぜここに?」
「……相変わらず切り替え早いですね。いろいろな意味で」
いつの間にか私服姿になっているランコ。今は、2人とも自然とベンチに揃って腰掛けている。
「まあ、たいした事じゃあないですよ。バイトの帰りに、なんとなく立ち寄っただけですので」
「なるほどなるほど。アルバイトといえば、例の駅前にあるレストランの事ですな」
「ええ。夏休みということもあって、家族連れが増えるでしょうから。新しいキャンペーンも始まりまして」
「ほほう。それでは、津田君もなにか?」
「はい。いくつか案を出しまして。そのうちの一品が、どうにか採用されたんですよ。」
「なんと。それで、その品の名前は?」
「海老と野菜のナポリ風ラザニアです。個人的には、カルボナーラの案がいけると思っていたのですが、当てが外れてしまいました」
「なんと。それはぜひ食べてみたいものですな」
それでも、この地域ではかなり名の知れているレストランに、案を採用されたというのは凄い事ではないだろうかと思う。彼は医者を目指すよりも、このまま料理人として大成したほうがいいのかもしれない。
いや。その辺りは後でじっくり聞くとして。
「ところで、津田君」
「はい?」
話が弾んだところで、ランコが本題に入る。
「五十嵐さんと、何を話そうとしていたんですか?」
ビキリ、とタカトシの全身が硬直する。というか、思考が2秒ほど停止した。
「畑さん……いきなり何を?」
「いえいえ。実は最初に津田君がベンチに腰掛けた時、スマホの通話画面で五十嵐さんの項目を選んでいましたから」
要するに、背後に隠れていたから誰に電話をしたのかは普通に見えていたという事だ。もっと早くに気づくべきだったとタカトシはこめかみを押さえた。
「……」
しばらくの沈黙のあと、タカトシはやがてポツリと呟いた。目元はやや俯き加減のため、前髪で隠れている。
「……俺があの人のこと、気にしていたらいけませんか」
決して責める口調ではない。しかし、静かな中にも若干の苛立ちがこもっている事をランコは察した。
「おや。誰も悪いとは言ってはいませんよ。仲の良い先輩の事を気にするのは当たり前ですからね」
「俺と先輩の噂は、ご存知のはずですよね。最近は少しずつ聞かなくなっていますけれど」
勝手に写真を撮って、公にしたのはそっちでしょう。タカトシの言葉に、ランコはいつもの無表情で対峙した。
「身に覚えがなければ、別に構わないのではありませんか。わざわざ距離をとっているようでは、記事の内容を認めている事と同義ですよ?」
お2人の態度の変化と、その理由には気づいています。ランコは当たり前のように言い返す。
「それよりも、津田君。お2人がどういう関係で接したいのかは私には分かりません。しかし、普通の先輩後輩として話をする位はよろしかったのでは?」
「普通ですか……そうですね。俺達がそうしていても、受け止める側によっては、関係性なんていくらでも歪められるものです。やがてそれが本当の事のように広まる」
それを狙って周囲に広めているくせに。タカトシもまた、できる限り丁寧ながらも言葉の裏を伝える。
「だから、これ以上お互いの立場が悪くなるような噂を流されるのはゴメンです。カエデ先輩も同じ気持ちですから」
「……なるほど。津田君の考えは良く分かりました」
訳知り顔で、うんと頷く新聞部部長。
「つまり」
と、ランコは続ける。
「津田君は、五十嵐さんと恋人疑惑の噂を流されるのが、お互いの迷惑になると」
「はい。そうですよ」
「では、誰となら良いでしょうか」
「え?」
何を言っているんだ、という顔をするタカトシ。
「誰が相手なら、津田君が不快を覚えない噂になるというのでしょうか」
「誰って……」
「天草会長でしょうか。それとも、萩村さん? あるいは、遠戚になった魚見会長という線も捨て難いですが」
「い、いえ。そもそも事実と違う噂話を流される事が嫌だと」
妙な噂を意図的に流す事は、ランコの中では罪や悪ですらないらしい。
「そうですか? お忘れかもしれませんがわたし達、一生に一度しかない花の高校生なんですよ。浮いた話に敏感になるのは当たり前の事です」
「まあ、そうですが」
「そんな噂など、日常生活のスパイスです。変に勘ぐっている者がいたとしても、そこは正直に話せばいいだけではないですか。津田君たちに、やましい気持ちは何もないのでしょう?」
だから、それはあなたが言うべき事なんですかと言おうとして、思いとどまる。なんとなく、ランコは先ほどまでとは違うニュアンスで話をしているように感じたのだ。
「それに、津田君。本当に嫌だったのですか?」
「……何の話です?」
「五十嵐先輩と恋仲になっているという噂」
「それは……嫌ですけど」
「つまり、それほどまでに津田君は五十嵐さんの事を拒絶したいと」
「なっ……!」
顔を引きつらせる。さすがに、それは聞き捨てならない台詞だった。
「違います! 嫌いだから距離を取っているんじゃありません。本当に迷惑をかけたくないから、噂を無くす為に……っ」
「……」
また、しばしの沈黙。ランコは少しだけ眉根を寄せる。
「……津田君」
「……」
「とりあえず、ベンチに座りません?」
「あ……」
言われて、自分が立ち上がっている事にようやく気づいた。反発のあまり、我を忘れて立ち上がってしまったのだ。バツが悪そうに、再び腰掛けるタカトシ。
今度は、3度目の沈黙。しかし、今度はなぜかランコの方が少しだけ困ったように眉根を寄せている。
「……ごめんなさい。少し、意地悪すぎたわね」
「あ、いえ。俺の方こそ、どうかしていました」
「そんな事はないわ。むしろ、わざと怒らせるような事を言わせたのは私の方だったから」
「そう、ですよね」
途端、ランコに申し訳ない気持ちが浮かんでくる。あんな挑発をさせてまで、ランコはタカトシの素の気持ちに気づかせようとしたのだから。
もちろん、それは彼女のイエロージャーナリズムの精神も多分にあったのだろう。しかし、ランコが自分の背中を押してくれた事もまた事実であった。
だからこそ、本当はずっと前から気づいていた彼の本心。今まで誰にも吐露した事のなかった、自分の気持ち。
「俺……」
「はい」
「カエデ先輩の事……好きなんです」
言った。顔を赤くするでもなく、ただ自然と。
ほんの少し、無言になる2人。しかし、口を開いて出た言葉は、あまりにも簡素な言葉。
「ですよね。知っていました」
結果はわかっていた。そう言いたげな調子である。
「……ええ、そうなんです。ずっと前から、自分の気持ちに戸惑っていました。本当に、何時からだったんでしょうね」
一度認めてしまえば、抵抗もなくなった。どこかさっぱりした気分のまま頭を掻くタカトシ。
「そればかりは知りませんよ。それよりも、いいんですか?」
「何がです?」
「このこと、記事にしてしまうかもしれませんよ。なんせ、私ですし」
「自分がどういう人間かという自覚はあるんですね」
呆れ顔で言うものの、そこには先ほどまでの暗さはない。その表情だけで、記事にしたところでダメージは無いなと悟ったランコ。
「構いませんよ。記事にしたければどうぞ。俺が自分の気持ちをハッキリさせたというだけですので。むしろ、伝える手間が省けたと思えばいいです」
それは、きっと勢いに任せた強がりだったのだろう。だが、言った本人であるタカトシはそれに気づかないフリをする。
「会えないのが、本当に辛かったです。話をしてくれないのが、本当に苦しかったです」
「ふんふん」
「でも……森さんが学園に来たとき、あの人に逃げられたのが一番ショックでした。あとで、キスをしていると錯覚させてしまったと知って、我武者羅にカエデさんを追いたくなったんです」
「そういえば、七条さんに止められていましたね」
タカトシは頷く。今思えば、あの大人の先輩は今の混乱しているタカトシとカエデを会わせるのはマズいと思ったのだろう。だから、自分が追うと。
「津田君らしくもないですねえ」
「そうですね。いつもなら、逃げる女性を無理に追うなんてしないつもりだったんですけれど」
「確実に変質者と間違われますね。それはそれで記事にさせていただきますが」
「それは愛想笑いできません」
「冗談ですよ。それよりも、さっき一生に一度の高校生と言いましたが」
ランコの声が、不意に真面目になる。
「……そう、ですよね。今年度で卒業ですから」
「正解です」
卒業すれば、離れ離れになる。卒業生と、在校生として。
だから、ランコは今――
「……本当に、ありがとうございます。俺、この公園に来てよかった」
「照れますねえ」
無表情ながらも、ランコの頬はほんのりと赤く染まる。それは、タカトシがはじめて見た彼女の反応。
夜。きらめく星空は、今も変わらず2人の姿を静かに見下ろしている……
つづく