日差しが強い朝のとき。
遠いキミの背中は、もう見えなくなっていて。
けれど、焦る事はない。
心に決めたというのなら。
ただ背筋を伸ばして、追っていくだけ。
だからね、キミも。
もう少しだけ、そこで待っていて。
【戦える男】
夏休みが始まって間もない頃。日差しの強い朝にて。
桜才学園のプールサイドに、水着姿の人影が数人ほど立ち並んでいた。
言うまでもなく、桜才学園の生徒会役員共一同である。
そして、もう2人ほど学園の関係者でない者がいた。説明するまでもないが、英稜高校の魚見チヒロと森ノゾミである。
全員がそれぞれ在学しているスクール水着を身につけている姿は、これから学園対抗の水泳勝負でも始めるかのような様相ではあった。
「英稜副会長、森です。今日はよろしくお願いします」
「うん。元気があって何よりだ。しかし」
前に立つ天草シノが、僅かに難色を示す。
「?」
「遊びに来たわけではないのだから、浮き輪は没収」
「はい……」
ノゾミが持っていた浮き輪は取り上げられた。まあ、当然だが。
「それでは萩村。好きに使ってくれ」
「私に押し付けた意図は何だ?」
「まあまあ」
半眼になる萩村スズを、ノゾミとお揃いの水着を身につけている魚見チヒロが宥めた。それを尻目に、七条アリアが準備体操をするように促した。
「それじゃあ森ちゃん。一緒に体操だよ」
「はい。怠ると心臓に負担がかかってしまいますから」
「うん。足もつっちゃうしね」
やる気充分のノゾミに、アリアも頷く。この調子なら、覚えるのも早そうだ。
全員が準備体操を始める。ふと、そこでシノが独り言のように言った。
「屈伸は人によって印象が変わるな」
「と、いうと?」
スズが訊ねる。
「アリアがやるとグラビアのポーズ」
「ああ、なるほど」
両手を膝にのせ、前かがみになるポーズはまさにそれだ。露出の少ないスクール水着であるにも拘らず、胸の谷間が強調されている。
そして、とタカトシを見るシノ。
「津田がやると、おっきくなって動けないポーズ」
「うーん……」
爪先立ちになったまま膝を曲げてしゃがんでいる姿に、スズは難色を示すような声を出した。
と、そこでチヒロが後ろから口を挟む。
「シノっちに異議あり」
「む。どうしたウオミー?」
「タカ君は、そんな事じゃあ止まらないよ。たとえおっきくなっても、立ち上がって特攻できる男なんだから!」
「な、なんだと。津田がそこまで……!」
「さすがはドSな男の子だね、シノちゃん!」
勝手に盛り上がる周囲に、タカトシとノゾミとスズの3人は背中で訴えていた。曰く、絶対にツッコまんぞと。
「ねえ、シノちゃん。それじゃあ、森ちゃんのポーズは?」
「む。それはだな……」
と、アリアに話を振られたシノは、そこで言葉が止まる。桜才学園生徒会長の目が、ノゾミの全身に入ったのだ。
ノゾミの肌は、黒子ひとつ無い。白くて、かつ健康的な手足。何より目を引くのが、そのスクール水着を押し上げている豊かな胸。
一言で言うと、デカい。具体的に言うと、アリアの次くらいに。
加えて、臀部の肉付きも見事というほか無い。屈伸してしゃがむ度に水着が食い込んで、お尻の柔らかな肉を強調させている。シノが男なら、迷わず顔面騎乗を頼み込むレベルであろう。
それでいて、引き締まった腰周り。自分と大して変わらないように見える腰の細さは何だ。こちとら、毎日ダイエットに気を使っているというのに。
「シノちゃん?」
突然硬直してしまった事を心配するアリアの声が、どこか遠い。そして、次第にシノの瞳が潤み始めた。肩が震え、端正な顔が歪む。
「どうしたんですか、シノっち?」
「う」
「う?」
かろうじて出た言葉に、首を傾げるチヒロ。そして、シノから大粒の涙が流れる。
「うわああああん、森さんがいじめる―――――っ!!!」
「ええええええええっ!!?」
身に覚えの無い濡れ衣を着せられたノゾミが仰天した。
【ポロリ】
「それでは、水中に潜って目を開けてみましょうか」
「はい」
全員がプールの入ったとき、はじめの練習がそれだった。スズの指示に、ノゾミは顔を強張らせながらも返事をする。
無理もない、と思う一同。泳げない人間にとって、そもそも潜る事は最初の難関なのだから。
だからといって、甘やかすわけにもいかない。それは、ノゾミ本人が一番知っていることだ。息を大きく吸って、勢いよく水の中に潜った。
「んん、むむ……」
ここで、目を開ける。しかし、意思はそうでも肝心の目が開かない。やはり、水の恐怖というものはそう簡単に拭えるものではないのだ。
そうこうしているうちに、息が苦しくなる。いったん浮上するしかないかと考えた時――
「……っ!?」
「……?」
なにやら、周囲が騒がしい。水の中のせいでよく聞き取れなかったが、誰かが喚いているような声だった。
「ぷはっ……!」
「おや。もうですか」
水面から顔を出すと、チヒロが相変わらず自分の様子を見ていた。いや、どういうわけか桜才学園の面々は揃って顔を赤くし、あらぬ方向に視線を向けている。
なんだろう。自分が潜っている間に、何が起きたというのか。ノゾミの頭上にクエッションマークが連打する。
「あ、あ、あのですね……」
ふと気づくと、俯いていたタカトシの様子がおかしい。それはもう、目を険しくさせてチヒロを睨んでいた。当の彼女は、赤面しつつもどこか嬉しそう。
「いきなり水着を脱がすな!」
「ぶふうっ!?」
タカトシの猛抗議に、ノゾミが吹いた。その反応を見たチヒロが肩を落とす。
「おや。目を開けていれば、必ずツッコミが来ると思っていたんだけど。残念」
「目を開けなくて良かった……」
開けていたら、物凄いモノを見ていたところだった。というか、動転して確実に溺れていただろう。
「……」
「……」
無言のシノとスズ。背を向けているが、耳が真っ赤になっているのが丸分かりだ。
どうやら、この2人は水面越しにバッチリ見てしまったらしい。
「大丈夫、シノちゃんとスズちゃん?」
心配そうに2人を気遣うアリア。どうやら、この中で一番冷静なのは彼女らしい。いや、アリア自身も頬を桜色に染めているのだが。
「……すまん。少し、お手洗いに行きたくなった」
「私も……ちょっと失礼」
決して顔を真っ赤にしているタカトシとは目を合わせず、そそくさとプールから上がる。プールサイドを足早に歩いていき、トイレに姿を消していった。
「……おい」
ドスのきいた声。しかし、チヒロはタンマタンマと言うように両手を前へ。
「まあまあ。森ちんの練習の一環だと思って」
「そんな練習あってたまるか!」
2人は同時に叫んだ。
【蹴りたい部位と本音】
「ほら、手をしっかりと伸ばして。怖くないですから」
「は、はいっ」
「足は右と左を交互に。足も伸ばさないと、沈んでしまいますよ」
「はいっ。って、うわわっ!」
水に浮かんでいる事に慣れないのか、つい肘を曲げそうになってしまうノゾミ。そのたびに、タカトシが注意する。泳ぐ際にフォームを安定させるためにも、そこはしっかりとしてもらわなければならない。
ノゾミと向かい合って手を繋ぎ、バタ足をする彼女をタカトシが動きに合わせて後退する。足が下についたら、横からチヒロとアリアが起こす。その繰り返しだった。
しばらくするとシノとスズが帰ってきたので、タカトシとアリアは交代させてもらう。プールサイドの隅に腰掛けて、彼女達の様子を見守ることにした。
「とりあえずは、順調ですね」
「そうだね。さっきまでは潜るのも躊躇していたくらいなのに」
実際、ノゾミの進歩は早かった。今の調子ならば、午前中にビート板なしで泳ぐことができそうだ。意外と、泳ぎの才能があるのかもしれない。
「津田君って、どの泳ぎが好き?」
「大体は泳げますけれど、一番得意なのは平泳ぎでしょうか」
「なるほどー。後ろに人が立っていれば、蹴れるもんね」
「得意分野の話じゃなかったの?」
「ちなみに、相手が女の子なら蹴るところはどこがいい? おっぱいか、それとも……」
「おっと。それ以上は言わせませんよ」
そう言いながらも、蹴ったらどうなるんだろうと考えてしまったタカトシは悪い子なのだろうか。ちなみに、どこをとは訊いてはいけない。
「だったら……別のことを訊いてもいい?」
ほんの少しだけ、アリアの口調が遠慮を交えたそれに変わる。
「なんです?」
「カエデちゃんの事」
あまりいい顔をしないだろうな、などとアリアは想像する。しかし、タカトシの顔に浮かんだのは一瞬の驚き。そして、次に落ち着きを持った微笑に変わった。
「ああ、その事ですか。もういいんですよ」
もういい。つまり、諦めたという事なのだろうか。そんなアリアから生まれ始めた疑惑は、すぐさまタカトシの声によって破られる。
「ああ、言葉が足りなかったみたいですね。要するに、俺の中では悩む必要が無くなったという意味です」
「……」
「俺、自分の気持ちがハッキリしましたから」
そう言うタカトシの目には、以前までの迷いがない。何をするべきかを見定めた、男の目だった。
「そっか……」
その意味を察した時、アリアの心に安堵が生まれる。もう心配する必要は無い。津田タカトシは大丈夫だろう。
しかし、それと同時に落胆も覚える。それが意味する事は、彼女“達”の望みが……
いや、とアリアは考えまいとした。そこから先は、自分が踏み込んでいい事ではない。
――少なくとも、彼の事を大切な“友人”として見ているだけの自分では。
プールでは、ノゾミを指導しているシノの姿が見える。スズは浮き輪につかまって、様子を見ていた。
笑顔。真摯。今の彼女達に浮かんでいる顔は、確かにそれだった。
いつか、自分達生徒会役員の関係が変わってしまう時が来るのかもしれない。そして誰かを選ぶことで、誰かが選ばれない未来が。
それでも。
今、この時間を大切に過ごそうと思う。2度と訪れることのない、桜才学園の生徒として大切なみんなと一緒に過ごせている、この夏の時を。
アリアは夏の日差しの下、心の中でそっと願う。
たとえこの先、わたし達が別々の道を歩くことになったとしても。またどこかで出会い、この桜才学園で過ごした日々を思い出せるように。
【距離は遠く】
そして、時刻は昼食時。
校舎内の音楽室には、夏休み中にも拘らず多くの生徒が集まっていた。
当然といえばそうなのかもしれない。偶然にも写真部と同じように、コーラス部もまた合宿を行っていたからである。
コーラス部員である五十嵐カエデは、音楽室にて友人と共に食事を取っていた。周囲の部長や顧問も、思い思いの場所で弁当をつついている。
そこかしこから、数々の話題で盛り上がっているのが聞こえてくる。練習の事はもちろんのこと、夏休み中の予定やドラマの感想。中には、恋人との関係に関する話題まで。
窓際の席に座っているカエデのグループは、まさにその恋愛話の真っ最中であった。グループのうちの一人が、最近になって彼氏ができたというのだ。
「へえ。カレンって、いつの間に合コンなんか行ってたわけ?」
「ずるいじゃない。わたし達にも誘いをかけてくれたって」
「ゴメンってば。今度の集まりの時にはちゃんと連絡入れとくから」
カレンと呼ばれた少女は、大してすまなそうな顔をしていない。おそらくは、恋人がいるという優越感が、自然と余裕を持たせているのだろう。
それを察知している女生徒達は、その済ました顔がなんとなく気に入らないという顔をしていた。自棄を起こすように、弁当をバクバクと口に入れる者までいる。
「それで、どこまでいったの?」
「ん。何の話?」
惚けるように首を逸らすカレンに、ズイッと顔を近づける友人。
「だから、そのまんまよ。ぶっちゃけ、どこまでの関係?」
「んふふ。普通に2回くらいデートしただけ」
「言葉が理解できてないわけ? だから、デートの内容をハッキリと教えなさいっての」
「そうよ。ナオミが言いたいのはセッ○スしたのかどうかって話」
傍で聞いていたカエデは、うっかり箸の先を奥歯で噛み砕きそうになった。から揚げと一緒に飲み込んではたまらない。
「ちょっと。いまは食事中……!」
「え、なになに? やっちゃったって話!?」
耳ざとい周囲の女子が、会話に割って入ってくる。カエデの反論はあっという間にうやむやにされた。
「ねえねえ。どこにデートしに行ったの? まさか、いきなりラブホとか?」
「さすがにないわよ。一緒に映画を見に行ったときに、ちょっと痴漢っぽい事されちゃって、そのまま盛り上がって」
きゃあっ、と周りから黄色い声が上がる。
「それでそれで? もしかして、そのまま最後まで?」
「ううん。その時は手コ○で出させただけ。ホテル入ったのはその後で夜の公園に寄ってから」
「……」
虚ろな目になったカエデは思う。この疎外感はいったいなんだろう。
周囲は、すでに黙りこんでいるカエデなど眼中にない。カレンの自慢めいた話がヒートアップするごとに、それを聞いている周囲も興奮の色が濃くなっているのだ。
男子は誤解しやすいが、女子同士の会話というものは基本的に下品だ。カエデは元来からの男性恐怖症ということもあるため、こういう話となるといつも口を噤んでしまう。
そっと、カエデは席を立った。しばらく盛り上がっているだろうし、席を離れても誰も気にはしない。
音楽室を出て、さてどう時間をつぶそうかと考える。誰もいない廊下は殺風景ではあるので、すれ違う生徒など一人もいなかった。
――こんなところで散歩なんかしていても、つまらないんですけれどね。
声に出さずに、そう思うカエデ。かといって、部員達の下の話を延々と聞かされるのも嫌だ。
ふと廊下の窓の向こう側、プール施設で人影が見えた。足を止めて目を凝らしてみると、何人かの生徒が水着姿で座り込んでいる姿が確認できる。プールサイドにシートを敷いているところからして、休憩中なのだろう。
あれ。今日は水泳部も合宿だったんでしょうか?
そう思ったが、どうやら違うらしい。遠めだったので確認をするのに手間取ったが、よく見れば生徒会役員の人たちだ。どういうわけか、英稜高校の会長であるチヒロと――
「あの人って……」
「英稜高校の副会長、森ノゾミさんですよ」
「ひいっ!?」
突然耳元から聞こえた声に、カエデは思わず飛び上がった。いつの間にか、新聞部部長の畑ランコが隣に立っていたのである。
ぜんぜん近づいてきていた事に気づかなかった。というか、心臓に悪い……
「は、畑さん。脅かさないでくださいよ……」
「いえいえ。ごく普通に話しかけただけですよ」
「話しかけるまでの過程が問題なんですってば……」
「まあ、それはともかく」
そう言うと、ランコはごく自然にそっとカエデの隣に立って窓の外を見つめた。目線の先には、シノとチヒロには挟まれて、交互に御飯を食べさせあっている姿。見方によっては、ハーレムを極めている軽薄な男のようにも見える。
――まあ、そんな浮ついた事ができない人だというのは、私も分かっていますけれど。
そんな内心とは裏腹に、ランコはいつも通りの口調でプールサイドの光景を実況する。
「おやおや。幸せ者ですねえ津田君は。美人の女性にあーんをさせてくれるなんて。まあ、あれほどの人ですから、無理もありませんが」
「……そうですね。津田君はモテる人みたいですし」
「会長に、萩村さん。魚見さんに同級生の三葉さん。津田君も罪な男性です」
「なぜそういう所まで知っているのかは、もう聞かない事にします」
すでに諦め半分に、カエデは言った。しかし、ランコが聞きたい事はそれではない。
「よいのですか、五十嵐さん?」
「何がです?」
「津田君が、誰かの恋人になってしまっても」
「……ええ、そうですね。校内恋愛は禁止ですが」
「英稜高校のあの2人は、まったく問題はないと」
このやり取りも、何度目だろうか。食べ物を詰め込みすぎて悶絶しかけているタカトシを遠目に見ながら、カエデは思う。
「仲がいいですもんね。おや、森さんが自分の飲み物を津田君に飲ませてますよ。間接キスでしょうか?」
そう言いながら、ランコはノゾミが妙な考えを持ってそうしたわけではない事を知っていた。あくまでも人命救助のつもりで飲ませたのだろう。
「……」
「五十嵐さん?」
風紀委員長の視線は、いつの間にか伏せられていた。ついとランコに踵を返し、足早に来た廊下を引き返していく。
「おや。少々お待ちを……」
なんとなく、カエデの空気が変化したことを感じとるランコ。できる限りさり気なさを装って彼女の背中を追おうとする。
「すみません。今は、来ないでください」
硬い声。カエデらしからぬ口調だけを残し、彼女は今度こそ音楽室へと足早に去っていった。
まるで、彼のいる光景を拒むかのように。
廊下に残された形になったランコは、プールサイドと廊下の奥を交互に視線を彷徨わせると、一度だけ小さなため息をついた。
「ままならないものですねえ」
タカトシの方は、ちゃんと自分の気持ちを認めたのに。こちらの方はまだまだ時間がかかるらしかった。
【次の仕事】
そして。
空がオレンジ色に変わりはじめる頃。彼女らの練習は終わった。学園の校門でそれぞれの生徒達は向き合う。
「今日はありがとうございました」
万感の思いで、ノゾミは頭を下げた。
実際、練習の成果は目を見張るものがあったのだ。元々運動神経がいい事もあり、この日一日でクロールをマスターしたのである。最後は25メートルを泳ぎきり、みんなを驚かせたものだった。
「自信はつきましたか?」
「はい。去年よりも成長した私を、クラスのみんなに見せてやります!」
タカトシが言うと、ノゾミはハッキリと言う。これならば、もう心配はないだろう。
「それでは、桜才の皆さん。本当にありがとうございました。このお礼は、また後ほど」
チヒロが生徒会長として礼を言うと、2人は校門を出て行った。帰路についた2人分の背中を、生徒会役員達は最後まで見送っている。
「良かったですよね。森さん、本当に飲み込みが早くて」
「おいおい、津田。いつ森がごっくんプレイをしたのだ」
「いつもながら綺麗にまとまらねえ」
タカトシの呆れた声を気にした様子もないまま、シノ達は校舎の玄関へと向かう。そこには、新聞部の畑ランコがカメラを片手に立っていた。
「どうもお疲れ様です、生徒会役員の皆さん」
「ああ、畑か。少々待たせてしまったようだな」
シノが駆け寄ると、ランコは気にした様子もなく手を振る。
「いえいえ。皆さんの練習ぶりはなかなかに見ごたえがありましたよ。生徒会役員同士の練習風景とは、なかなかに売れそうですから」
「……今からでも、この合宿は中止にできませんかね」
予想していたというように、スズがこめかみを押さえた。というか、なぜこの先輩は本人の前でどこまでも正直すぎるのだろうか。
そう。合宿である。以前、新聞部が生徒会に掛け合った時の話だ。それが、今日この日だった。
「それではお疲れかと思いますが、これから取材のお付き合いをさせていただいても?」
「ああ。私は構わん。では、体調に問題のある者は?」
他の役員に訊くシノ。全員、特に問題はないという旨が帰ってきた。
「では、恐れながら」
コホンと咳払いをするランコ。
「それではこれより……桜才学園七不思議の体験調査を始めたいと思います」
茜空は色濃く浮かび、遠くからはカラスの鳴き声。
いたって平凡な夕暮れ時の下で、ランコたちは校舎内へと入ることになった。彼女らの表情に、緊張はない。
「ゆ、ゆゆゆ幽霊なんているわけないですもんね。子供だましですし」
約一名を除いて。
【七不思議調査隊】
「第1の噂は、すでに完了してあります」
「どういう事だ、畑?」
調査が始まって早々、ランコが口にした言葉がそれだった。
「いえ、天草会長。初めの噂の内容は、赤いプールという名の噂でして」
「赤いプール?」
「はい。夕焼けの日にプールで泳ぐと、何者かに捕まれて水中に引きずり込まれるという噂です」
「ああ、なるほど」
「わたし達、さっきまで泳いでいたものねえ」
シノとアリアが納得する。これでは、今さら調査などする必要も無い。結論は、何もないだ。
「では、私達はまず第2の噂を」
「それは何です?」
タカトシが訊く。隣に立っているスズが耳を手で塞いでいるが、そこまで身構えるものなのだろうか。
「北校舎にある、呪いのカイダンです」
「ああ、去年に俺が畑さんを踏んじゃったアレですか?」
「いえ。階段ではなく“怪談”という意味で」
それに、とランコはタカトシをチラリと見る。
「あの話はすでに津田君が実証したため、別の怪談が新しく流れています。今回は、それを含めての調査ですので」
それでいいのか、七不思議。実のところ、適当に作った思いつき話なんじゃないだろうか。
一同はそう思ったが、口には出さなかった。というか、七不思議なんてそんなものだろうし。
どこか気の抜けた空気のまま、暗くなり始めた廊下を歩いていく役員達とランコ。浮かび上がる非常灯と懐中電灯の明かりを頼りに、5人は闇の中へと消えていった。
しかし。
この時、この怪談の体験調査において。
まさか本当の恐怖を体験する一夜になろうなどとは、誰一人として思いもよらなかったのである。
つづく