キミと歩いたあの時の記憶。
あの時の日差し。
あの時の波の音。
そして、夜空の静けさ――
【お察し】
夏休み中のアルバイト先は、海の家。
津田タカトシと五十嵐カエデは朝日が昇ったばかりの海岸を歩いていた。すぐ近くからの波の音は、ここが大海の端であるという事を実感させてくれる。
きっと、あと1時間もすれば大勢の海水浴客で賑わうのだろう。そして、そんな人たちをターゲットに商売をするのが、海の家だ。
2人よりも数歩先を歩くのは、古谷サチコ。桜才学園の前生徒会長を経験していたという女性。現大学生のサチコは、海の家を取り仕切っている男性の姪なのである。
「いやあ、本当に助かるよ。何しろ、うちの大学の募集欄じゃあ見向きもされなくってさ」
「だから、うちの学園に持ってきたんですね。募集案件」
「そうだよ。どいつもこいつも、何で海に行けるのに遊ばずに働かなきゃいけないんだ、って」
「それはひどいですね。あくまでも仕事をするために海へいくのに」
それはきっと、休憩の合間に遊ぶのが目的なのだろうとタカトシは思ったが、口にはしないでおいた。
話を聞くところによると、サチコは卒業する前まではどちらかというと物静かな印象の残る女性であったという。今の金髪に染めた今風の外見からは想像がつかない。
「……」
ふと気づくと、カエデと話し込んでいるサチコが、時折こちらに目を向けているようだった。なんだろうか。会話に入ったほうがいいという意味ではなさそうだが。
タカトシは少し考え、訊いてみる事にした。
「なにか?」
「いやいや。変な意味じゃあないよ。生徒会初の男役員でしょ? なかなかのしょうゆ顔だね」
「それ、80年代に流行った表現ですよね?」
小さいころに、どこかで聞いた記憶を探るタカトシ。ちなみにしょうゆ顔とは、日本風な顔立ちという意味である。
「若者が流行に疎くてどうするよ?」
「いえ。新しいから知らないんじゃあなく、古いから知らないという意味で」
そう。この自分たちの父親や母親が学生時代に流行したようなセンスが、彼女のデフォルトなのであった。
「オールドガールなんですよね、古谷先輩って」
もう慣れた、という表情のカエデ。なんでも、在校中は話がかみ合わない事が何度かあったらしい。
「それよりも、津田君だっけ。カエデの事、よろぴくね」
「よろぴ……あ、はい」
要はよろしく、の意味だろう。タカトシはそう思うことにしておいた。
「カエデは恐怖症の事があっても、マジで男をブイブイ言わせられるくらいのチョベリグな子だよ。私が保証する」
「いや。本当に意味がわからないんですけれど?」
だからどういう意味なのだろうか。いろいろな意味で。
件のカエデも、どうにか話を理解しようと努めているようだ。だが、理解しきれていない言葉を混ぜ込まれているので、いまひとつ分かっているようには見えなかった。
そんなこんなで、3人は浜辺に建つ海の家へ到着した。年季が入っているものの、造りはしっかりとしているようだ。
「おう。連れて来たか」
中から出てきたのは、中年の男。体格がよく、肌も日焼けしているのが分かる。
「いやいや。わざわざウチの仕事を請けてくれるとはなあ。サチコのやつ、大学でも募集しいたってのに、全然人が集まりやがらねえ。ここは、若い高校生に期待させてもらうよ」
依頼主のサチコの叔父だ。名前をケンゴというらしい。
すでにタカトシ達がサチコの後輩である事は知っているらしく、言い方にも遠慮がない。それとも、もともとこういう口調なのだろうか。
「はじめまして。5日間、よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします……」
もっとも、タカトシ自身は人当たりのいいさっぱりした人だなと好印象を持った。男性恐怖症のカエデといえば、やはりというか後ずさりしつつも引きつった笑顔を浮かべているが。
そんなカエデの心情を察したのか、サチコがカエデの恐怖症を説明する。しかし、言われた男はむしろ眉を顰めた。
「おいおい。大丈夫かあ? 言うまでもないけどよ、うちは海水浴客を目当てに商売をするからな。男も山みてえに来るぞ」
「い、いつまでも怯えてはいられませんので」
ケンゴのもっともな話に、カエデは後ずさりしつつある足を踏ん張ろうとする。タカトシはさり気なくカエデの真横に移動した。
「あっ……」
ポンと背中を叩かれ、カエデはつい及び腰になっていた背筋を伸ばす。瞬きしながら見つめてくる彼女に、タカトシは安心していいよと少しだけ笑う。
「大丈夫です。こちらも足を引っ張るつもりはありません」
「……もちろんです。むしろ、自分を変えるための特訓だと思えば問題ないです」
タカトシに続いて、カエデはそんな言葉を自然と口にできた。心なしか、身体の震えも収まっている。
その2人の光景を、サチコは心なしか微笑ましそうに見ている。なるほど。いいコンビだ。
「……まあ、人手が足りないってのはホントだからな。ちゃんとやってくれりゃあ文句はねえからよ」
まだ若干不安そうな色を見せたものの、海の家の主は仕事を了解した。まだ何か仕事があるらしく、彼は店の奥へ引っ込んでいく。
「こっちだよ。ついてきて」
サチコが2人を促し、海の家の裏手に誘う。ついていくと、従業員専用の小屋があった。これまた年季の入っている建物ではあるものの、使う分にはまったく問題はなさそうだった。
室内は倉庫の役割も兼ねているらしく、食材の在庫が入っている段ボール箱が半分を占めていた。私物はできる限り隅の棚においておけばいいらしい。
「それと仕事用の服は持ってきているよね。ナンパ対策として地味目の」
「はい。言われたとおりに持ってきました」
カエデは無地のシャツに、動きやすいワークパンツをバッグから取り出した。タカトシは男なので普段着のまま出るつもりなのだが。
「それじゃあ、俺は先に出ていますね」
「うん」
着替えをするであろうカエデに気を使ったタカトシは、一足早く小屋から出る。中でサチコと2人きりになった。
「津田君とは付き合ってどこまでいったわけ?」
「え!?」
途端、服を脱ごうとしていた体勢のまま硬直するカエデ。視線がウロウロし、あからさまに動揺する。
「い、いえ。まだそう言った関係では……」
ふうん、と少しだけ考えるサチコ。
「お互いに気持ちは固まっているけれど、行為を実行に移すにはまだまだキッカケが必要、ってところかな」
「なっ」
その驚いた表情に、サチコはクスリと笑う。
「悪かったね。もう訊かないよ」
【記号】
着替えを済ませた2人は、浜辺の潮風に当たりつつサチコから仕事内容を聞いた後、仕事に取り掛かることとなった。
なお、季節は夏なので食中毒対策は徹底すること。そして主に作る料理のメニューなどを念入りに説明されたことは言うまでもない。
「おお、津田君。やるじゃない」
試しに料理を披露した結果、サチコや叔父には驚かれた。手付きは様になっており、すぐにでも料理の仕事を任せてもいいレベルだったのである。
「タカトシ君は、普段から料理店で仕事をしていますから」
カエデが説明する。彼女も先ほどまで一通りの料理を作っていたのだ。もちろん、問題ないレベルで。
「へえ。こりゃあドンピシャな人材をゲットできたみたいね」
仕事を常に先読みしながらお客様に対応することを徹底している厨房の仕事。そんな環境に1年もいれば、ある意味では当然である。
そうなると、カエデも負けてはいられない。早々に入店してきた海水浴客に席を勧め、注文を訊く。
「味噌ラーメンと醤油チャーシュー抜き。焼きそば2人前にカキ氷のイチゴとソーダとコーラを」
「あいよ」
タカトシと一緒に料理を続けるケンゴが返事をしつつ、内心では感心していた。カエデの順応力の高さに、である。
こういう時は、メニューを名前ではなく記号で覚えるものだ。カエデは早くも対応できているらしい。
「すみません。こっち注文したいんですけど」
大学生風の男たち4人が、席に座って手を上げている。
「ヒッ! は、はい」
竦んでいるらしい足を必死に動かし、カエデはどうにか彼らに近寄っていく。危なっかしくも、注文を受け取った。しばらくして、戻ってくる。
「た、タカトシ君4人前と天草会長を、ふ、2つ。萩村さんと古谷先輩をお願いいたたしまままます」
「要約すると、醤油ラーメン4人前と焼きイカを2つ。カキ氷とトコロテンですね」
読心タカトシは、今日も絶好調であった。
【誘います】
なんとなく危なげなところも何度かあったものの、この日の営業時間まで2人は最後まで働いた。
海水浴場という場所で働いているため、客足が途絶えるということはほぼ無い。そのために休息時間が短く、茜空になる頃にはどっと疲れたように砂浜に座り込んでしまう2人。
「なるほど……これでは人手が欲しくなるというものですよね」
「はい……でも、要領は大体分かった気がしますけれど」
「男の人がいる席に、遠くから飛ばすようにアイスティーを入れるのも要領なんですか?」
「もう、タカトシ君。それは言いっこなしです」
しばらく、無言で砂浜に腰掛けている2人。やがてサチコが帰宅の準備ができたと声をかけられ、叔父の案内で彼の自宅へ向かう。
歩いて1分程度で、ケンゴの自宅にたどり着く。ポピュラーな日本家屋で、やや年季を感じさせる雰囲気があった。
彼の妻は現在仕事の都合で家を空けているらしく、今は隣町に泊まっている。子供もすでに就職しており、2年ほど前から社宅に住んでいた。
「失礼します」
一言断りを入れると、家の中に入る2人。手を洗い、荷物を空き部屋に置く。当然ながら、部屋は別々だ。
すでに夕飯の時刻に差し掛かっていたので、サチコが手早く食事を作ることになった。堅固に任せると、大雑把なものしか作れないらしい。
手伝うと言ったタカトシとカエデは、すげなく却下された。家の仕事くらいは自分でやりたいという。
食事を済ませた後、サチコ達は居間のテーブルを囲むように座った。ケンゴは気を利かせたのかどうか分からないが、自分の部屋へ戻っている。
自然と、談笑は過去の桜才学園の生活の話題になった。当時の視点を共有できないタカトシだったが、たまに質問や相槌をはさんで会話に参加する。おかげで話題が途切れることもなく、3人での話は盛り上がっていた。
「天草会長って、当時からそうだったんですよ?」
「今と変わっていないじゃあないですか。そうなると、七条先輩も?」
「そうだよ。相変わらず履いてなかったし付けてなかった」
「……私はあの人達の、役員としての人となりの話をしていたんですが」
「ああ、メンゴメンゴ。いやいや、そっちの話題かと思っちゃってさ」
うん。やっぱりあの人達の先輩だ。タカトシは妙に納得する。
とまあ、文脈がたまにぶった切られることもあったものの、大体は穏やかな時間が過ぎていく。
と、そこでサチコが壁時計に目をやった。時刻は、7時半。
「ねえ、2人とも。よければこれから夜のビーチに行ってみない?」
夜の海。それはいいかもしれない。仕事中は遊べないので、周囲の海水浴客には余計に楽しそうだなと思っていたのだ。
あるいは、それを察していたサチコの気遣いだろうか。
「いいですね。俺は賛成です」
告げると、続けてタカトシはチラリとカエデにも視線を向ける。
――行きましょうよ。せっかくの海なんですから。
「あ……それなら、私も行きます」
――そうですね。行きましょう。
「よっし。そうと決まれば、水着と着替えを持ってれっつらごぉ!」
――いま、絶対目で会話してたよね、この2人。ツッコまないでおくけれど。
割と大人の気遣いもできるサチコは、2人の空気に気づかないフリをしないでおいてくれた。
【綺麗なアナタ】
人工的な街灯も、ここでは遠い。
このあたりは空気が綺麗で、夜空にも満遍なく星の光が見える。
わずかに欠けている月が海の波に映る姿は幻想的で、芸術家でないタカトシでも素直に美しいと思える光景だ。
かといって、人がいないというわけではない。遠くには夜釣りをしているらしい人影があるし、わずかながら浜辺を歩いている者もいる。どこかのカップルだろう。
こういう時、近くに着替えをする場所が確保できるというのは便利だよな。タカトシはそう思いながら、チラリと背後を見る。
今現在、カエデとサチコは海の家の裏で着替えをしている。朝、仕事をする前に使わせてもらった小屋だ。
何度か離れた小屋を気にしつつ待っていると、人影がこちらに近づいてきたのが分かる。宵闇に目が慣れたタカトシには、それが待っていた2人である事を確認できた。
「おまたせい」
堂々といつものノリで手を振っているサチコは、チェック柄のビキニ姿。大学生の年頃らしく、すでに身体には大人のラインが出来上がっている。ふっくらした胸を覆い隠すブラに、引き締まった腰まわり。適度に肉のついた太腿も、普段から同級生の関心を寄せているのだろう。
「す、すみません。着替えに手間取ってしまって……」
一方で、カエデは少し腰が引けている様子だった。ほっそりした両腕で胸元を隠している。
しかし、当然それだけで全身を視線から守れるはずもない。彼女もまたビキニタイプの水着を身につけていた。カラーはピンク色で、よく彼女の清楚な人柄によく似合っている。
タカトシは、思わず目を奪われてしまった。
普段は見ることのない、下着同然まで剥き出しになったカエデの姿。もちろんサチコもまた素晴らしく魅力的なのだが、今の彼にはカエデから目を逸らす事ができない。
華奢な足首、スラリとしたふくらはぎ。それなのにムチッとした太腿、月明かりと遠いイルミネーションに照らされた白い肌。
「タカトシ君?」
呼ばれて、不思議そうに首を傾げているカエデと目が合った。
いけない。いくら気持ちを伝え合ったとはいえ、女の人をいやらしい目で見ようとするなんて。自分を叱る。
しかし、そこに目ざとくサチコが言った。
「おやおやぁ? さては、五十嵐の水着姿にときめいちゃったかな」
「え」
図星を指され、タカトシは硬直してしまう。その反応がすべてを物語っていたらしく、サチコの笑みが深まる。
「そっかそっか。ニブちん彼氏かと思っていたけれど、やっぱり男の子だよねえ」
「あ、その……」
らしくもなく、タカトシは顔を赤くしてしまった。もっとも、カエデの反応はそれ以上だったが。
「……」
耳まで真っ赤にし、恥ずかしそうに俯いている彼女。胸元を両腕で隠している姿が、かえって扇情的である。
少しの気まずい沈黙。お互いに何を言っていいのか分からない。
「ほら、津田君」
サチコの呆れた目が、タカトシをけしかけていた。そこで、タカトシはハッと我に返る。
いけない。このままでは、女の子に恥をかかせてしまうことになる。
「か、カエデ先輩」
「あ、はい」
名前を呼ばれ、カエデはつい背筋を伸ばして直立した。なんだか、前にもこんな反応をしてしまったと彼女は頭の片隅で思う。
とっさに動いてしまった反動でブラにつつまれた乳房が上下に軽く揺れる光景にタカトシの目が行ってしまいそうになるが、どうにか視線は緊張を含んだ彼女の瞳に。
「そ、その……」
「……」
「綺麗、です」
自分のような無骨者には、似合わない言葉。それでも、このときだけは自然と口にすることができた。
「……は、はい。ありがとう、ございます」
少しだけ驚いた顔をされた。それでも、カエデは心から嬉しそうに言ってくれる。
無意識に、顔の笑みが深くなるタカトシ。彼の素直な言葉を微笑んで受け入れてくれた事が、たまらなく嬉しかった。
「さってと。それじゃ、2人とも」
横から、サチコが割って入るように後輩2人の手を握った。タカトシとカエデは目を瞬かせて前生徒会長の顔を見てしまう。
「せっかく水着に着替えたんだからさ。今夜は思いっきり遊ぼっ」
「うわっと」
「あっ」
2人の手を引いて、サチコは波打ち際を駆け出しはじめる。つられて、タカトシとカエデも一緒に足を動かした。
やがて、その足並みは揃う。いつの間にか、足元の波の感触を楽しむように。
そうだ。今はゆっくり時間を楽しもう。先輩がせっかくそういう空気を作ってくれたのだから。
「そいじゃ、あの浜辺まで競争だね」
「それじゃあ、俺は最後尾からスタートですね」
「私も、足には自信がありますよ?」
「あはは。なんだか去年の体育祭を思い出しますね?」
「はい。あれから、私だって部活以外でも運動するようになったんですから」
「え、なに去年のって? 後でそれ詳しく聞かせてよね」
「はい。本当にあの時は盛り上がったんですから」
月が浮かぶ夜の海。朗らかな声のまま、彼女たち3人は走りを止めない。
季節は夏。
故郷の街を含めたこの地方は、やがて去年を越える猛暑となる。
それでも、彼らは暑さに負けることはないだろう。
彼らの中には、今の時を。そして、明日からの胸躍る4日間への期待が、どこまでも溢れていたのだから。
つづく