生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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星が姿を見せる前。

終わりを告げた思い出。始まる新しい関係。

背中を押した人がいる。心のつながりを確信し。

あなたがいる。愛しい人よ。

一番星に祈るのは、幸多き2人のこと。


小指を絡めて

 

 

【この頃の彼女達】

 

 

 

 

 とある自然の多い町。ひとりの少女が木漏れ日の下を歩く。

 

 麦藁帽子のおかげで太陽の光に目がくらむ事はないものの、ワンピース越しに背中からじっとりと汗を掻いていることが分かる。

 

 まいったな。ほんの少し近所まで買い物するだけのつもりだったのに。

 

 避暑地として実家のある地方に帰省している彼女だが、どうやら暑さは関東とそれほど変わらないようだ。まあ、久しぶりに親戚の少女と会えた事は素直に嬉しいのだが。

 

 手に持っているビニール袋の中にある飲み物を揺すりつつ、少女は足を動かして家に帰る。実家は年季の入った日本家屋で、敷地内に足を踏み入れると砂利の音がなった。

 

 玄関で靴を脱ぎ、居間に入る。中には高校野球に夢中になっている父と叔父がおかえりと言ってくれた。いとこは自分に駆け寄ってくる。

 

 まあ、彼女は自分よりも手に持っているものが目的なんだろうけどなと思いつつ、買い物袋を渡してあげた。

 

 中には、箱に入ったアイスと飲み物。皆にアイスを渡し、最後に少女にもお礼を言いながら押し付けてくる。口にすると、溶けかかったバニラ味が舌を刺激した。

 

 しばらく、居間に雑談が続く。途中で叔母がスイカを切ってくれたので、遠慮なく食べた。

 

 窓の外に見える青空は、ゆっくりとした白い雲を乗せている。こういう風情は、都会で見るのとは大違いだ。

 

 ふと、少女はスマートフォンを取り出す。なんとなく、彼女の知っている者たちの声が聞きたくなったのだ。

 

 夏休みに入ってからというもの、誰がどうしているのかを彼女は知らない。この際だから、ひとりずつ訊いてみようと思い立ったのである。

 

 もし、お取り込み中だったとしたら素直に切ろう。そう思っていたが、相手は数回のコール音の後に出た。

 

「やあ、突然すまないな。急に君のあえぎ声が聞きたくなって」

 

 いきなりディーブな下ネタを挨拶代わりに聞く少女。しかし、相手はもう慣れたものと言わんばかりに呆れた声だった。

 

「あえぎを入れる必要あったんですかねえ?」

 

 少女の名前は天草シノ。そして、返ってきた声は同じ生徒会役員である萩村スズ。

 

 夏休み中の彼女達の、ちょっとしたひと時であった。

 

 

 

 

「ええ、ええ。そうです。今、友達が勉強会を開きたいって言うんで、うちに昨日から泊まっています」

 

 ところ変わって、萩村家。彼女の私室には、同級生の三葉ムツミと轟きネネが机を囲んで宿題の追い込みを行っている。スズは、その監督役として教科書を片手に指示を出していたのだ。

 

「宿題か。私たちはもうすでに終わっているが、ムツミ達はまだなのだな」

 

「いえ。去年は結構休みの終盤になってから焦っていたので、今年はいい傾向だと思いますよ」

 

 チラリと、スズはムツミを横目で見る。その視線に気づいた彼女は、慌てて目をこすりながら勉強を再開した。昼間だというのに早くも眠りかけていたところも、スズは決して見逃さない。

 

「ちなみに夜になったら、ボアの散歩に皆で行くんです」

 

「おや。いつもは朝のうちに終わらせていると言っていなかったか?」

 

「そうでないと朝のラジオ体操に来た小学生と間違われますので」

 

「……そうか」

 

 なんと言えばいいのかわからない。そんな生徒会長の空気を感じ取ったらしいスズは、挨拶もそこそこに電話を切った。

 

「スズちゃん。天草会長から電話?」

 

「そうだよ。今、親戚の家にいるんだって」

 

 ネネがノートから視線を外して訊いてきたので、簡単に説明をしておく。それと同時に、その記してあるノートに誤字を発見した。

 

「ここ、違ってるわよ。あと、こっちの数学のほうの計算式も」

 

「あ、しまった。数学は結構自信あったのに」

 

 言われて、手早く訂正する。ネネはロボット部の部長でもあるので理系は割と得意なのだが、文系の成績がかなり落ち目なのである。

 

「……ぐー」

 

「こりゃ、寝るなっ!」

 

 再び机に突っ伏しかけたムツミが、慌てて顔を上げた。さっきから僅かでも集中力が途切れると寝てしまいそうになる。

 

「あ、あのさスズちゃん。そろそろ休憩入れない?」

 

「もう少し頑張って。あと15分したらちょうど10時だから」

 

 おやつの時間にはちょうど良い。それまでは頑張れという意味だ。再び突っ伏すムツミ。

 

 見かねたネネが、そばに置いた鞄から何かを取り出した。

 

「ムツミちゃんが寝ちゃったら、スズちゃんがそれを股間に押し付けてあげてね」

 

「そんなややこしい起こし方する気ないけど……」

 

 こけし型のマッサージ器である。しかも、ネネ自作のために振動部分がイ○付き。

 

 なぜ、自分はこの子の友人なのだろう。いや、ほんと。

 

「私、肩こってないけどなあ?」

 

 そして、相変わらずのピュアな少女であった。

 

 

 

 

【知らされた彼女】

 

 

 

 

 スズとの電話を終了させたシノは、七条アリアに電話をかけようとした。

 

 履歴から親友の名前を押そうとしたところで、ふと指先が止まる。

 

「おっと。今かけたら国際料金になってしまうな……」

 

 以前に話をした限りでは、今の時期は避暑地として海外へ行っているらしい。暑中見舞いのハガキには彼女の笑顔が印刷されていたが、今も楽しくやっているのだろう。

 

 少しだけ残念に思いつつ、シノは次に思い至った相手に電話をかけた。もうひとりの親友、魚見チヒロである。

 

 数回のコール音を聞きながら、彼女は思う。ウオミーは今、どういう夏休みを過ごしているのだろうか。

 

「こんにちわん」

 

「おお、ウオミー。少し時間はあるだろうか?」

 

「ええ、構いませんよシノっち。ちょうどこっちも時間が空いたところでしたから」

 

「む。何かの作業の邪魔をしてしまうところだったか?」

 

 もしそうならば悪いことをした。こっちはただ暇で電話をしただけだというのに。

 

「いえ。コトミちゃんの勉強を見ていたところなんです。宿題が終わっていないそうですので」

 

 津田コトミ。言うまでも無く、津田タカトシの妹である。その彼女の勉強を見ているという事は……

 

「ウオミーよ。もしや津田の家に来ているのか?」

 

「ええ、親戚ですし。暑中見舞いのついでにと思って」

 

「……まあ、親戚だしな」

 

「心配?」

 

「そ、そんなわけが無いだろう」

 

「おや。私はコトミちゃんの成績の事を言ったのですが。信頼しているようで何よりです」

 

 絶句するシノに、勝ち誇るようなチヒロの顔が思い浮かぶ。事実、その通りの顔をしているはずだ。少しだけ笑うような声が聞こえたし。

 

「むむむ……」

 

「まあ、コトミちゃんの勉強は大丈夫ですよ。夏休み中に総復習は終わらせるつもりでいますので」

 

 何事も無いように言うチヒロに、シノは気持ちを切り替える。

 

「まあ、ウオミーがついているならば問題はないだろうな。それよりも、近くにコトミはいるか? いたら、少しだけ代わってほしいのだが」

 

「ああ、そうですか。コトミちゃんの方がタカくんの事とか話しやすそうですよね」

 

「ち、違っ」

 

 最後まで言い終えることなく、チヒロがコトミを呼ぶ。かすかに通話の向こうから小走りに走り寄る音が聞こえた。

 

「はい、もしもし。お電話代わりましたよシノ会長っ」

 

「突然すまんな、コトミよ。それと、宿題は早めに終わらせておいたほうが自分のためだ」

 

「たはは、魚見お姉ちゃんにも言われました。明日からやろうと思っていたら、いつの間にか一週間経っていまして」

 

「それはニートの言い訳だ」

 

 本当に大丈夫だろうか。今さらながら、タカトシとチヒロの苦労がしのばれる。

 

「それで、今日はどのようなご用件ですかね? お母さん達なら、今日はいますけれど」

 

「ああ、ご飯を作りにいくとかいう話ではないんだ。ただ、皆はどうしているのかと気になってしまってな」

 

「なあんだ。それでしたらもっと早くに言ってくれれば良かったのに」

 

 それは勉強の最中だったら、休む口実になるからではないかと思ったが、口にはしないでおいた。

 

「あ、でも」

 

「む?」

 

「もしかして、タカ兄に用だったんでしょうか?」

 

「あ、いや……」

 

 僅かに言葉が詰まるシノ。それを知ってか知らずか、コトミは急に饒舌に話し始めた。

 

「やっぱりそうですかあ。本当はそっちが本題だったんじゃあないですか? 一ヶ月も会えないんじゃあ、そりゃあ恋しくもなりますよねえ」

 

「よし。夏休みが開けたら、生徒会長としてお前に何か特殊な仕事を任せてやろう」

 

「あ、ズルいです。職権乱用ですよ!?」

 

「知った事か。休日でも登校して仕事をしてもらう事になるが、構わないだろう」

 

「酷い。会長の鬼!」

 

 しばらく言い合いが続いた後、ようやく話題は少しズレていった。

 

「まあ、男と女の性感についての違いはいいとして、津田といえば」

 

「はい?」

 

 ものすごい話の飛びようであったが、コトミはまったく気にしない。というか、さっきまでチヒロも話に割り込んできていた。

 

「今は何をしているんだ? てっきり、家で勉強なり何なりしているのかと思っていたのだが」

 

「ええっと、さっきは言いそびれちゃったんですけれど……実はタカ兄、今は他の所に泊まりなんですよ」

 

「む。そうだったのか。同級生の家か?」

 

「いえ。新しくアルバイトを短期で始めたらしくて。なんでも、いつものアルバイト先がしばらく休みになっているんですよ」

 

 そういえば、駅前のレストランで工事をしているのを見た覚えがあった。その事だろうか。

 

「ほう。では、その新しい仕事先は?」

 

「海の家だそうです。ただで海に行けちゃうなんて、羨ましいですよね」

 

 実際は仕事ばかりなので遊べないのだが、コトミは無邪気にもそう言う。

 

「……海の家か。詳しい場所は分かるか?」

 

「あ、もしかして特攻します? それも楽しそうですねえ」

 

 いい事思いついたといわんばかりの声に、シノは少しだけ動揺した。

 

「い、いや。少しだけ顔を出しに行ってみるのも悪くないと思っただけだ。売り上げに貢献する事だってできるしな」

 

「意地張らなくってもいいですよ。シノ会長ってこの前の“事件”から、ずっと会ってないんじゃないですか?」

 

「……」

 

 図星を指され、シノは黙り込む。

 

 事件というのは、夏休みの最中に新聞部の合宿と称して学園七不思議を調査した時のことだった。調査中のタイミングで学園に泥棒が入り込み、金品を盗まれるという事件が起きたのである。

 

 捕まえたのは、タカトシ。自分達の目の前で果敢に包丁を持った犯罪者と戦った姿は、いまもシノ達の目に焼きついていた。

 

「むう……しかし、残念ながら私はいま帰省中でな。そちらには来週まで帰れそうに無い」

 

「あらら、残念ですねえ。実は、今日が仕事の最終日らしいですよ。せっかく面白いことになりそ……いえ、何でもないです」

 

 あまりにも思わせぶりな態度。ピクリとシノの眉が動く。

 

「コトミよ。面白いというのはどういう意味だ?」

 

「いえ、なんというか……実はその海の家のアルバイトって、なんでも卒業生が学園を通して募集していたらしんですよ」

 

「……それで?」

 

「その、アルバイトの下宿先がその先輩の自宅で」

 

「っ!?」

 

「!?」

 

 シノはもちろんの事、傍らでスピーカーモードのまま聞いていたチヒロが同時に仰天する。

 

「こ、コトミ。どういう事だ?」

 

「な、なんと。知りませんでした……」

 

「いやあ、わたしも驚きましたよお。最近のタカ兄って、本当に女の子に積極的で」

 

 開いた口がふさがらない様子に気を良くするコトミ。2人の目は、すでに遠い。

 

「もしかしたら、アルバイトが終わった最終日には結構いい感じになって、一夜だけの関係とかなんか……!」

 

「――――コトミ」

 

「はい!」

 

 静かな声に、コトミは反射的に背筋を伸ばした。一瞬で顔が引き締まり、腰掛けていた椅子から立ち上がる。

 

 一言で言うと、怖かった。

 

「今日のところはこれで失礼する。ウオミーには、長く携帯を貸してしまってすまなかったと伝えてくれ」

 

「イエス・サー!」

 

 敬礼。ソレを気にも留めず、シノは通話を切った。

 

 その瞬間、へたり込むように再び椅子の上に腰を下ろす。いまなら、軍隊の鬼教官に扱かれる新米兵士の気持ちが分かる気がした。

 

「うひいい……シノ会長の声、寒気がした……」

 

 机に突っ伏し、深呼吸をしようとする。そこへ、新たな声がかけられた。

 

「コトミちゃん」

 

「ごふっ!?」

 

 肺に空気が溜まったところに、再び聞こえる低い声。さっきのシノと同格の恐ろしさは、すぐ隣にいたのである。

 

 咳き込みつつ、隣を見る。目の前には、ほとんどキスの距離にまで近寄った自分の遠戚であり、お姉ちゃんの顔。

 

 そのハイライトを失っている瞳は、まるで容疑者を締め上げるかのような視線で。

 

「なぜ、教えてくれなかったのですか」

 

「な、なにを、でしょう?」

 

「タカ君の事です。私はてっきり、いつものアルバイトに行っているものだとばかり思っていたのに」

 

 妙に重苦しい空気。椅子を引きずるように後ずさりをするが、もちろんそれで逃げ切れるわけでもない。

 

「え、えっと……実は……」

 

「実は?」

 

「ハーレムは多くなった方が、見ている分には楽しめるかなあと思って……てへっ」

 

 結局、コトミはいつもの3倍の勉強を教えられる羽目になった。

 

 去年といい、つくづく進歩のない妹である。

 

 

 

 

【彼女です】

 

 

 

 

「ちっ……いいよな、モテる男はよ」

 

 そんな捨て台詞を吐いて、忌々しげに背を向けて去っていく男。ソレを見送る形のまま立っているのは、他ならぬタカトシであった。

 

 彼が立っているのは、アルバイト先である海の家。その端にある小屋の前であった。人気が少ないので、海水浴客もあまり目に留めることもない。

 

 だからこそ、トラブルを起こそうとしている者達などにはうってつけの場所ともいえるのだが。

 

「あ、あのさ……悪いね、津田君。また助けてもらっちゃって」

 

 彼の背に立っているのは、古谷サチコ。アルバイト先の娘で、桜才学園の前生徒会長だった。

 

「いいえ。これくらいは当たり前ですよ」

 

 そう言われるのも、これで3度目である。

 

 なぜ、こんな事になっているのかというと……

 

 ――海の家にナンパが多いので、対策を講じました。もしされたら、タカトシが彼氏ということにしてしまおう作戦。

 

 ひねりもなにも無いながらも、割と有効だったこの作戦。こう言っておけば大抵の男は諦めてくれるので。

 

 しかし、問題も生まれた。これではタカトシが、一緒に仕事をしている五十嵐カエデとサチコに二股をかけているという事になってしまう。何より、中には諦めないタフな男もいる。

 

 ナンパ男が海の家に出入りする中、タカトシの株が大暴落していくのはどうでもいいとして、そんな彼らの中に怒りと嫉妬を爆発させる男も生まれ始めていた。

 

 ようするに、休憩時間を狙ってサチコやカエデに付きまとおうとしたのである。あんな二股野郎なんかほっとけよ、みたいな。

 

 これは困った事になったと頭を抱える海の家の関係者達だが、そこはある意味で修羅場慣れしているタカトシ。駆けつけてすぐに女の子を背にかばい、胸倉を掴んでくる男達の腕を逆にひねり上げたのである。

 

 ちなみに、それ以上の事はしない。相手に自分も喧嘩慣れしている事を教えるだけで充分なのだから。

 

 自分の身の危険を察知した男たちは、どうにか自分のプライドを辛くも守りながら去っていくのが常だった。そこで、冒頭の光景に繋がる。

 

 サチコをつれて店の中に戻ると、父親の古谷ケンゴが娘を守ってくれたことで礼を言う。当然の事をしただけですと、タカトシも笑った。

 

「でも、ああいう対処でよかったんでしょうか? なんだか、男性客が昨日より少なくなっているような……」

 

 タカトシが少しだけ遠慮がちに告げるが、ケンゴはとうもろこしを焼きながら豪快に笑う。

 

「はっはっは。いいんだいいんだ。うちの娘にしつこく付きまとうような客ならどの道いらねえさ。その分、女性客のほうが増えているからおあいこだぜ」

 

 その通り、ビキニ姿の女性客がやたらとこの海の家に出入りするようになっていた。どうやら、噂を聞きつけた若い女性客が、ナンパ回避の為にタカトシの存在をあてにするようになったらしい。

 

 断っておくが、男女のカップルもこの場に避難するようになっている。腕っ節にあまり自身のない彼氏なども、恋人を守るために進んで海の家に来ていた。

 

「お疲れ様です、タカトシくん。やっぱり、あなたと一緒に仕事をしていて良かったですよ」

 

 オレンジジュースを運び終わったカエデが、少しだけ申し訳なさそうに言った。男性恐怖症の自分でなくとも、この連日のナンパは女性店員にとって辟易するに違いない。

 

「いえ。困っている人のためですから」

 

 そう言いながら、心のどこかでカエデを守れているという自負が自分の中で生まれているのも事実であった。結局、男というものは格好つけたがるものなのである。

 

 それでも、ハッキリ言ってタカトシの負担が倍増している。肉体的にも精神的にも。

 

 だからどうした。頼りにされているというのならば受けないわけにはいかない。嘆く様子を微塵も見せないまま、彼は手早く自分の仕事に戻るのであった。

 

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

 

 もはやすっかり慣れた営業スマイルで、タカトシは2人組みの女性客に応対する。彼女達はちょっと躊躇ってから、注文をする。

 

「えっと、コーラを2つで」

 

「了解しました」

 

 手早く用意し、2人に持ってくる。キンキンに冷えたグラスを彼女達の前に置き、ごゆっくりと一言告げて次の注文に向かおうとする。

 

「あ、あのう……」

 

 と、そこへ2人組みの片割れがタカトシに声をかけてくる。少し童顔だが、おそらくは大学生頃だろう。黒のビキニが似合う、綺麗な女性であった。

 

 向かい合っている女性が、彼女を足でつついているのが分かる。何か急かしているらしい。

 

「なんでしょうか?」

 

「そ、その……この後、何かご予定がありますか?」

 

 またか。

 

 タカトシは笑顔を保ったまま内心で頭を抱える。

 

 そう。逆ナンであった。ナンパ男を散らし始めてから、やたら増え始めてしまっている。

 

 実際、津田タカトシという男は頼りにされていた。単なるひと時の客と店員というだけの接点であったとしても、女性達の安全地帯を作ってくれている存在として。

 

 特別な芸能人というほどではないにしても、二枚目の分類に入る程度には整っている容姿。落ち着いた物腰や男を返り討ちにする度胸。図らずも、海辺にうろつく軽薄な男達が引き立て役になる形で、彼の良いところが浮き彫りになっているのだ。

 

 だが、だからこそ。

 

 津田タカトシという男は、軽薄な男になる気はない。

 

 笑顔を保ったまま、少しだけすまなそうな表情をつくる。そして接客を続けながらも、少しだけ不安そうにこちらを見ているカエデを手で指し示した。

 

「俺、彼女がいるんです」

 

 ハッキリと、断った。

 

 

 

 

【コンテストのお誘い】

 

 

 

 

 昼食の稼ぎ時を終え、ようやく客足もまばらになってきた頃。

 

 ケンゴとその妻が、何か話をしている事に気づくカエデ。何か水着がどうのといっているようだが、よく聞き取れない。

 

 そこで、こちらを見ていることに気づいたサチコの母がこちらに近寄ってくる。

 

「ねえ、五十嵐さん。ちょっと頼みがあるんだけれど」

 

「はい?」

 

 話を聞くと、どうもこの浜辺付近で水着コンテストを開いているのだという。しかし、その参加者の集まりが悪いので代わりに出てほしいという。

 

「い、いえ。無理です。そういうの苦手で」

 

 つまりそれは、数多くの男に注目されるということだ。しかも水着姿で。

 

「大丈夫よ。五十嵐さん可愛いし。自分を変えるきっかけになると思えば」

 

「そうだよ、五十嵐」

 

 母親に続いて、サチコも援護射撃をする。どうも彼女はこういうノリが好きらしく、一緒に参加するのだという。

 

「やってみた方が、いい経験になると思うよ。せっかくの夏で海なんだから。仕事だけしてさようならじゃ、ちょっとつまんないだろうしね」

 

「……はい」

 

 すっかり参加する空気になってしまったカエデは、諦め半分に受け入れるしかなかった。

 

「よし、決まり。それじゃあ、受付をしてくるから」

 

 サチコは軽い足取りで海の家を出て行く。その背中を、少しだけ恨めしそうに見送るしかないカエデ。

 

「一通り、掃除が終わりました。残っている食材はいつでも使えます」

 

 と、そこで一足遅れてタカトシが店の前から出てくる。彼は肩を落としているカエデを見て、首を傾げた。

 

「カエデ先輩、どうかしましたか?」

 

「うう、タカトシ君。実は……」

 

 彼女は事のあらましをタカトシに伝える。案の定、彼は目を瞬かせるしかなかった。

 

「古谷さんも、カエデ先輩の恐怖症の事は知っているはずですけれど……もう治っていると思っているんでしょうね」

 

「ええ。正直なところ、慣れているのはタカトシ君だけなんですよ……」

 

「ま、まあ今更止めるなんて言えませんもんね。コンテストには俺も行きますから、元気出してください」

 

「すみません。でも、本当に怖いんです。何人の男に見られるのかと思うと……」

 

「……」

 

 その独白に、苦笑いだったタカトシの表情が変わる。

 

 彼は何を思ったのか、カエデの白い手を掴むと、自分の胸元に持っていく。彼の真剣な目が、驚いている自分の視線と合った。

 

「心配しないでください、カエデさん」

 

「た、タカトシ君?」

 

「その視線の中には、必ず俺の視線もあります。ですので、どうか怖がらないでください」

 

 鍛えているせいで、表面が固い男の手。それに包まれている自分の手。

 

 怖いはずの男の手が、自分を守っている。そして、真剣に自分を見据えている彼の目。

 

 なにより、彼が言ってくれた言葉。

 

 真っ白になってしまった頭の中によみがえる、あの時の記憶。夜の学園。暗い保健室の中。

 

 今の彼の目は――あの時と同じで。

 

 瞬間、自分でも耳が真っ赤になったのが分かってしまった。口を真一文字に結び、硬直するカエデ。

 

「――――はい」

 

 彼女は、やっとそれだけを言う事ができた。

 

 

 

 

【最後の夕暮れ】

 

 

 

 

 夕暮れの砂浜。カラスが鳴き声をあげながら、浜辺の上を飛んでいく。

 

 それは夜を迎えると同時に、タカトシとカエデのアルバイトの日々が終わりを告げた瞬間でもあった。

 

 海水浴の利用者は、もういない。利用時間が過ぎているので、まばらになっている者たちもすでに帰り支度を始めている。

 

 そんな中、彼らは仕事場である海の家の前に集まっていた。先ほど記念写真を撮り、自分達の荷物を纏め終わったところだ。

 

「水着コンテスト特別賞、本当におめでとうございます」

 

「あ、ありがとうタカトシ君。私、まだちょっとドキドキしてる」

 

 左胸に手を当てて、水着姿のままのカエデが言った。ピンクのビキニに包まれた肌は、夕焼けに染まってオレンジ色に照らされている。

 

 そう。水着コンテストは無事に終わったのだ。

 

 参加した2人も優秀賞は取れなかったが、サチコは2位。カエデは3位だった。さすがに緊張のせいで顔が強張っていたことが、審査に尾を引いたらしい。

 

 それでも、カエデは最後まで立っていた。水着姿のまま、数多くの男達の視線に耐え抜いて。

 

「いやあ、たいしたもんだね五十嵐。ステージに立った時なんか、さすがに無理だったかなって思ったから」

 

「先輩が出ろって言ったんでしょう!」

 

 目くじらを立てて反論する。心なしか、チャームポイントの三つ編みを逆立てたように見える様子のカエデ。

 

「でもさ、ちゃんとやれたじゃん」

 

 サチコは冷静に言った。

 

「司会の質問にも答えていたし、普通だったよ。後はちゃんと笑えてさえいれば、優勝していたかもしれなかったのに」

 

「あのですね。私としては本当に気絶するかと思ったんですよ。今回はたまたま我慢しきれたというだけで」

 

「津田君が、ちゃんと見ていてくれたからでしょ?」

 

 絶句するカエデ。反対に、近くに立っているタカトシの表情は変わらない。ただ、静かな口調で優しく告げた。

 

「ほら、言ったとおりでしょう」

 

「え?」

 

「男達の視線の中には、俺の視線もあるって。もちろん、カエデさんの事はずっと見ていましたよ?」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

 なんと言っていいのか分からない。カエデの口からは、無難なお礼の言葉しか出てこなかった。

 

 そこで、サチコの母が思わせぶりな笑顔で口を挟む。

 

「うふふ。津田君はね、他の男にカエデちゃんを見られるのが悔しかったのよ」

 

「えっ……」

 

「津田君って、好きな人を独占したいタイプなのね。すぐに分かっちゃったわ」

 

 今度はタカトシが絶句する。口を半開きにしたまま、石のように硬直したのだ。それを聞いたカエデといえば、今度こそ顔を真っ赤になって俯いてしまう。

 

「わっはっはっ! なんだなんだ、本当に似たものカップルじゃねえか!!」

 

 豪快に笑う古谷ケンゴの声。続いて母親も笑う。

 

 笑われた当人達はしばらくの間、なんともいえない顔をする。そっとお互いに目配せをし、仲良く恥ずかしそうに笑う。

 

 それを一人、微笑ましく思うサチコ。心の中で、そっと願う。

 

 ――本当にいい男に会えたね、五十嵐。これからも色々あると思うけれど、2人でちゃんと頑張りなよ……

 

 

 

 

【両思いから恋人へ】

 

 

 

 

 名残惜しさを抑えながら、タカトシとカエデは最寄り駅から発車する電車に乗った。茜空がまだ残っている下で、2人を乗せた車両が駅から遠ざかっていく。

 

 他の乗客がまばらな中で、2人は出入り口近くの座席に腰掛ける。そのまま、自然と肩を寄せ合う。

 

 お互い、何も話そうとはしない。この短い期間に起きた事が、頭を駆け巡っていたからだ。

 

 初めて降り立つ海の町に、心躍らせた時。

 

 卒業生との出会い。

 

 初めての2人で経験したアルバイト。

 

 夜の海を3人で走った時間。

 

 数多くの異性の視線から守れた事。守られた事。

 

「ねえ、カエデさん」

 

「なに?」

 

 穏やかな言葉。返ってきた声も、ほのかな声色。

 

「楽しかったですね」

 

「うん」

 

「俺の知らなかった頃のカエデさんの時間とか、色々聞けました」

 

「ちょっと、恥ずかしかったです」

 

「でも、やっぱり一番嬉しかったです。一緒に仕事ができて」

 

「私も。男の人を誘って、こんな時間を過ごせた。前の私だったら、考えられないくらい」

 

「はい」

 

 また、しばらく沈黙が続く。車両が僅かに揺れる音が聞こえるはずなのだが、どういうわけかまったく耳に入らない。

 

 走る電車の外が、2人の見知った風景に変わり始める頃――

 

「ねえ、タカトシ君」

 

「何です?」

 

「私の事……名前で呼んでくれているんですね」

 

「先輩呼びの方が?」

 

「ううん。今の方がいいです」

 

「よかった。俺……まだ、カエデさんの返事を聞いていないから」

 

「返事?」

 

「ほら、俺が告白した時です。あの時は先輩達が覗いていたから、うやむやになっちゃいましたから」

 

「ああ……」

 

 そういえばそうだった。あの学園の泥棒事件の後、彼女はタカトシから想いを打ち明けられたのだ。自分は返事を出そうとして……

 

「そう、でしたね。私、タカトシ君を待たせちゃったんですよね」

 

「いいですよ、別に」

 

 それ以上は無言のまま、カエデの潤んだ瞳を見つめるタカトシ。真摯な視線にさらされたカエデの心は、もう動かない。

 

 動くも何も、彼女の心は決まっていたからだ。

 

 

 

 

「私も――タカトシが好きです」

 

 

 

 

 それを分かっていたかのように、恋人となった彼はそっと愛しい女性の肩に手を回す。

 

 カエデは拒まない。そうして欲しかったから。

 

 この動く車両の中に、他の人間はいなかった。いたとしても、タカトシはそうすることを躊躇わなかっただろう。

 

 心臓の鼓動など、気にもならない。まるで、お互いがそうすることが決まっているかのように。

 

 2人の唇が、今。

 

 

 

 

 そっと、触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

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