青春の短い時期を盛り上げる。
時間はすぐに過ぎ去ったとしても。
君の心には、その胸の高鳴りは残滓として。
今でも、心の中に残っている。
【来賓】
ハロウィンパーティーは、開催初期から早くも賑わいを見せていた。
すでに噂を聞きつけた近隣の学校の生徒や親子連れといった、年齢もまばらな方々が校門を開いた瞬間になだれ込む姿は、どこかテーマパークの客を思わせるほど。
子供たちは早速お化けの衣装を着た生徒達にまとわりつき、お菓子を貰いながら思い思いに走り回る。
大人たちは大人たちで、カボチャ料理やスイーツを楽しみつつ、適当な店で腰を落ち着けていた。カップルや夫婦のデートなのだろう。
誰もが楽しそうだった。笑顔で校内を歩く姿を横目で見ながら、生徒会役員達は廊下を歩く。
「シノっち。チッスチッス」
「おお。ウオミーも来てくれていたのか。森も久しぶりだな」
「はい。あまり顔を出せずにすみません、天草会長」
途中、英稜高校生徒会長の魚見チヒロと、森ノゾミにもばったりと出会った。今日は休日なので、顔を出しに来たらしい。
「それにしても、今流行のハロウィン企画を開催するとは。シノっちもやりますね」
「うむ。桜才もこういうイベントを積極的に作っていくべきだと思ってな。そちらの方も、思い切って企画してみてはどうだろうか」
「ふっ。そのネタ、もらったぜ」
シニカルに笑うチヒロ。相変わらずノリのいい人であった。ノゾミは呆れ顔であるが。
「今日は、午後になったらコスプレコンテストを開催するんですよ。衣装も借りれますので、よければ最後まで楽しんでくださいね」
「ありがとうございます、津田さん」
ニコリと笑う森。だが、すぐに困ったような顔になる。
「でも、私ってコスプレとかあまり詳しくないんですよ?」
「うちの生徒達が見繕ってくれますし、化粧もお任せできます。気が向いたら参加してみるのもアリですし」
「でも、1人で参加するというのはちょっと」
「それなら、俺も出ますよ。誘ったのはこっちですし」
「ううん、そこまでされてしまうと、ちょっと悩みます……って、どうしたんですか。みなさん?」
ふと気づくと、シノとチヒロがジッと自分達2人を見ていることに気が付いた。ヒソヒソと小声で囁きあう。
「どう思います、シノっち?」
「ああ。自然な流れでペアの参加に話を引き出したぞ」
「あえてタカくんが押していると思わせて、実は望み通りに結論を誘導させる巧妙な手口です。油断してはいけませんね」
「それを天然でやってのけたという事も、考慮するべきだろうな」
何を話しているのかは分からないが、失礼な事を話しているのは確かなようだ。後で聞きだそうと思ったタカトシである。
【パーティーの僕ら】
今は、見回りの時間だ。生徒会役員として、こういうパーティーだからこそ何かトラブルが起きる可能性も考慮しなければならない。
とはいえ、緊張感は無い。途中、チヒロ達と共に何度かカボチャ料理を経営している店に立ち寄るほどに。
「ふう。少し食べ過ぎてしまったな。胃もたれにならないといいが」
黒の帽子にマントという、魔女ルックの天草シノ。下半身は黒のミニスカートにオーバーニーソックスという、ファッションを重視したスタイルだった。すれ違う男達が、彼女のスラリとした足をチラ見している事に気づいているのだろうか。
「私はまだまだいけるよ。本当に美味しかったし」
背中に蝙蝠の羽をつけている、悪魔の衣装姿のアリア。身体にフィットしたタイプなので、彼女の大人っぽいスタイルが強調されている。すれ違う男達が、彼女の豊満な胸を凝視している事には気づいているのだろう。時々顔を赤らめているし。
「この格好のままで食べるのは、けっこう辛かったですね」
パンプキンの被り物をしているスズ。重心が安定しないのか、さっきから頭をフラフラさせていた。見ている分には子供みたいで可愛いのだが、それを本人の前で言えばどうなるかを皆が知っている。すれ違う子供達が、たまにまとわり付いてくる事はすでに受け入れているらしい。
仕事の合間、適度にハロウィンを満喫する生徒会役員。この分ならば、今回のパーティーは大成功といっていいだろう。
とはいえ、あまり悠長にはできない。これから何か不備が起きたり、トラブルに終われるような事態が起きるのかもしれない。生徒会役員として、気は抜けないのだ。
「ところで、津田君」
と、アリアは一歩遅れて歩いているタカトシに話を振る。
「はい」
「気づいていると思うけれど。津田君のドラキュラ姿ってさっきから注目されているよ?」
アリアの言うとおり、タカトシはシルクハットを被り、ワイシャツの上に黒いマントという、ドラキュラのコスプレを身に纏っていた。チャームポイントは、口元に見える牙の小道具だろう。普段は穏やかな顔立ちが、少しだけ悪そうに見える。
だが、そこがかえって若い女子生徒の心をくすぐるらしい。先ほどからシノ達に負けず劣らず、周囲の注目を集めていた。
しかし、そんな周囲も当人だけは無自覚らしい。集まる視線も、みんなシノ達の方に行っているものとばかり思っているようだ。
「いえ。それはみんながよく似合っているからですよ」
「そうか。素直にそう言ってくれるのは嬉しいな」
まんざらでもないのか、少し髪をいじる仕草をするシノ。タカトシから目を逸らすように、窓から見える外の風景を見た。3階からの景色は、そのまま校舎前の様子を見渡すことができる。
いらっしゃいませ。パンプキンケーキはいかがですか。
よろしければ、桜才特製のハロウィン風船をどうぞ。
生徒も、みな楽しそうだ。もちろん、歓迎されている来賓のお客様や他学生の皆も。
そして、自分たちの周囲も。
「あ、会長。ちょっと寄って貰えませんか?」
「特製の紅茶でもどうです?」
やはり天草シノという女性は人気者だった。誰もが彼女の姿を見て、自分の店に引き寄せようとしているのだ。
「ふふ。シノっちはやっぱり学園のアイドルなんですね」
「からかうな、ウオミーっ」
楽しそうにチヒロが茶化する。実際、アイドル同然の扱いを受けているのが天草シノという人間であった。
次々に、生徒がシノ達に声をかける。さっきからこういう流れで、何度か店に立ち寄る流れになっているのだ。そろそろ、本格的に胸焼けをおこしそうなのだが。
「い、いや。あまりカフェインを取りすぎると、お漏らしの危険に繋がりかねないのでな」
「その断り方はどうかと」
しどろもどろになっているシノに、スズが言った。まあ、いつもの事なのだが。
とはいえ、あまり飲食店の前をうろついていると、今度は周囲を囲まれそうだ。早めに下の階に降りるとしよう。
「ああん、会長っ」
至極残念そうな生徒たちの声を受けつつ、シノ達は生徒達の目の前から姿を消した。下の階の廊下を踏んだ時、彼女はようやく溜まった息を吐く。
「忘れていたけれど、この学園の女の子って確か女の子にしか興味なかったんだよね」
「え、そうだったんですか? た、確かに女子高ってそういう人が多くなるって聞いた事はありましたけれど……」
アリアのマイペースな感想に、顔を真っ赤にしたノゾミの肩がピョンと跳ねる。シノは頭を抱えた。
「そうだった……去年の始めあたりまでそうだったんだ」
「そんな……」
うっかりしていた。それはむしろ、この学園の風潮だったんだ。とっくにいなくなっていたと思っていたのに。
「ふう……とはいえ、今に始まったことではないか。さて、見回りを――」
仕事に戻るシノ達。自然と、チヒロ達も付いてくる格好になった。
「タカくん、タカくん」
チョイチョイと、生徒会副会長の肩をつつくチヒロ。
「なんですか、お姉ちゃん?」
「実はね。ちょっと訊きたかった事があるんだけれど」
「?」
なぜか真顔で声を潜める英稜高校生徒会長に、自然とタカトシも耳を傾けた。
「……カエデさんとは、どこまでいったの?」
「ブッ!?」
「ちょ、ちょっと魚見会長!?」
思わず噴き出しそうになるタカトシ。たまたま隣で聞く形になってしまったノゾミも、泡を食った。
「……?」
シノとスズが不審の目で振り返ってくるが、くしゃみをし損ねただけですと誤魔化した。
「な、なにを言い出すんですかお姉ちゃん。というか、誰からそんな話を?」
「情報源は秘密です。ただ、夏頃から毎日のように、惚気話を部屋で楽しく聞いているとだけは言っておきますが」
いつもの無表情のまま、淡々と語ってくれる遠戚の女の子。というか、電話でカエデと話をする時はいつも自室だ。隣の部屋にいる身内とくれば、1人しかいない。
「あいつ……毎日のように盗み聞きを」
「コトミちゃんを責めるのは止めてください。私も根掘り葉掘り聞いているのですから。それよりも、個人的に気になる事なんです。今現在、タカくんとカエデさんはどういったご関係なのかを」
傍から黙って聞いていたノゾミは、チヒロの瞳が揺れているのに気づいた。それが何を意味するのか、確認する気は無い。
「……ノーコメント、と言ってはいけませんか?」
「私の中で、お2人の関係がちょっと大変な事になると思います」
これは誤魔化しが聞きそうに無い。チヒロは真剣に知りたがっている。
天井を仰ぎ、タカトシは正直に告白した。
「……こ、恋人です」
「でしょうね。知っていました」
「夏の頃に、俺から告白しました。その後で、カエデさんが受け入れてくれて」
先輩ではなく、さん付け。おそらく、プライベートでは別に呼んでいるのだろう。チヒロは思った。
「始めの質問に戻りますが……カエデさんとはどこまで?」
「キス……です」
「わ……」
驚きの声をあげたのは、チヒロではなくノゾミであった。純情な彼女らしく、口元を手で押さえながら頬を赤く染める。
「……この事を知っているのは?」
「卒業生に、古谷先輩っていう人がいるんですが、その人と……カエデさんのご家族の方も」
「つまり、シノっちと萩村さんは、2人の関係を知らないと」
「言えませんよ。桜才は校則が厳しいですから」
「……」
チヒロは眉間に皺を寄せると、彼の頭にパチンとデコピンをした。
「痛っ。いきなり何を」
「タカくん」
ズイッと顔を近づけるチヒロ。視界いっぱいに、彼女の不機嫌そうな顔が映った。
「あまり、私をがっかりさせないでください」
「え?」
どうやら、自分は何かチヒロをがっかりさせるような事をしてしまったらしい。だが、それは何故なのか。まったく訳が分からない。
ふと見ると、タカトシを見るノゾミもまた、どこか複雑な表情で佇んでいるのが分かった。どうやら、チヒロの言葉に賛同しているらしい。
「はあ、もういいです。いま気づいたところで、タカくんを困らせるだけでしょうし」
「俺が困る?」
困る、というのなら現在進行形で困っている。だが、さすがにそれを言っても答えてはくれないのだろう。タカトシはなんとなくそう感じる。
チヒロは身を引き、先に歩いているシノ達の背中に追いついた。これ以上は話をするつもりは無いらしい。
目を点にしている副会長に、ノゾミは少しだけ言いづらそうに告げた。
「津田君が悪い事をしたわけじゃあないと思うよ。津田君はただ結論を出しただけだから」
「結論……ですか」
「私は部外者だから、詳しくは言わないでおきます。ただ五十嵐さんとの事は、ちゃんと応援していますから」
ノゾミは、それだけを言った。
【彼女達の公演】
「コーラス部の方はそれぞれ所定の位置についてください」
体育館で演劇部の劇が終わって5分後、ステージを取り仕切る責任者が声を張り上げる。舞台袖で待機していたコーラス部員たちは、それぞれ顔を見合わせた。
いよいよ、コーラス部の合唱コンサートが幕を開けようとしていた。ハロウィンパーティーのために、一ヶ月前から練習を続けていたのだ。
「なんだか、緊張します」
胸に手を当てて、深呼吸を繰り返しながら1年生の部員が呟く。
「あたし、ちゃんと歌えるか不安で……」
「大丈夫よ。練習どおりにしていればいいだけだもの」
先輩の風格を見せつけるように、ナオミは意識しておっとりとした口調で答えた。
とはいえ、本番が始まる前というのはやはり緊張してしまう。演劇部員の又聞きではあるが、今日は相当数の来場者が体育館に足を運んでいるらしい。
やがて演劇部の公演が終わった休憩時間も過ぎ、司会者の声が会場中に響く。
「さて、それでは次のステージです。今度は待ちに待った、我らが桜才学園のコーラス部によるコンサートです。皆様、どうか心を躍らせつつお楽しみ下さい」
調子のいい紹介と共に、ステージに下ろされていた緞帳がゆっくりと上がっていく。舞台の上に並んでいるコーラス部員の姿を見た時、おおっと会場の男達が感嘆の声をあげた。
それも、無理からぬことだ。女子部員の皆は、可愛らしさと色香を兼ね備えた妖精の衣装を身につけていたのだから。
部長がマイクを片手に、観客へ感謝の言葉を述べる。続けて指揮者の台に立ち、演奏が開始された。
ピアノ、フルートの滑らかな音が体育館に広がる。それだけで、観客が一瞬だけざわつく。まるでプロを思わせる音色に、誰もが感動したのだ。
そして、ここからが真骨頂。コーラス部全ての歌が、ひとつの芸術を描き出す。
この時点で、誰もが私語をする者はいない。みんな、彼女達の歌声に聞きほれているのだ。
そして、みんなの心を掴んでいるもうひとつの理由。歌声を発しているコーラス部の女子たちは、まさに妖精と錯覚させるかのような華やかさを感じさせた。
全国コンクールで優勝経験のある彼女達の歌とあって、空席が無いにも拘らず体育館にすし詰めになろうとする観客が後を絶たなかった。
1曲目。そして、2曲目。
時にはアレンジした曲調を使いつつ、聞いている者を飽きさせず。
そして、時計の長針が半周を過ぎたところで――
大歓声。
そして、会場中の全てが心を込めた拍手の嵐。
それを正面から受け止める彼女達。この拍手と声が、これまで努力を重ねた自分達への報酬。
達成感と安堵に包まれながら、桜才学園コーラス部は万感の思いを込めて深々と礼をした。
こうして、コーラス部のハロウィンパーティーにおける活躍は、これにて終了となった。
はず、なのに。
「うおおっ! かっわいー!!」
「すいません。あと10枚!」
「こっちに目線お願いします!」
幾度もたかれる、カメラから発せられるフラッシュ。スマホでの撮影。それに取り囲まれている、桜才学園のコーラス部。
そう。現在の校舎前広場。コーラス部の女子達は巨大な同人誌イベントのコスプレ会場よろしく、多数のカメラに囲まれながら撮影されている真っ最中なのである。
どうしてこうなった。
【その頃の体育館】
「あの、すみません。体育館で行われるコーラス部の公演はどうなったんですか?」
「あれ、副会長。それなら午前中の予定が前倒しになった影響で、もう終わっちゃいましたよ?」
「え?」
こんなやり取りがあったとか無かったとか。
【妖精撮影会】
いやホント、どうしてこうなったんだっけ?
10人程度の人数が立つスペースのある、簡易的な撮影用のセット。そして、元々は記念撮影用に設置されたコミカルな背景が描かれているパネル。
コーラス部が公演を終わらせた後、観客の誰かが写真を撮る時間をくださいと叫んだ事がキッカケだったことは確かだ。その後、観客席から次々に賛成の声が上がり、いつの間にか全員が外へ出る事になった。
ちょうど撮影パネルが空いていたので、なし崩し的にそこで撮影開始。さらに今に至る。
こうなってしまうと、今更出来ませんとも言えない。セットに立ち、ナオミを始めとしたコーラス部の生徒達はさまざまな思いはあれ、目の前の者達に対する写真撮影に協力していた。
妖精の衣装に身をつつんだ女子たちの、華やかさと共に女性美を際立たせる姿。それはずっと外にいた者たちの関心をも集めているらしく、人だかりは増える一方である。
見世物になる気は無いが、こうなっては腹をくくるしかない。ナオミは羨望の眼差しを快く受け止めるように、笑顔で小首を傾げてみせた。
「すみません。こちら、お願いします!」
ふと声に顔を向ければ、他校の学生らしい男性がスマホを構えたままこちらに向かって手を振っている姿が目に止まる。写真を撮らせて欲しいという合図なのだろう。
ナオミは微笑を崩さないまま軽く頷くと、流し目がちに相手を見据えた。
他のカメラからもフラッシュがたかれ、強烈な発光に目が眩む。意外にも、1人の女として悪い気分はしなかった。
よく見れば、他の部活仲間たちもあまり嫌そうな顔はしていない。自分のように開き直ったのか、それとも撮られるのに慣れているのだろうか。
まるで、アイドルになった気分だった。
――この衣装、可愛いもんね……
学園の催し物として、あまり派手なデザインは褒められるべきではないのだが、彼女達の纏う妖精の衣装は、さっきまで歌っていた歌よりも見ている者の興味を引き付けていたようだ。
胸元で着物のように掛け合わされている衣装は、どこか西洋の絵画を思わせた。下半身はフレアスカートになっており、くるぶしから下の脚はお洒落なサンダルのみ。
特に、胸元が凄まじい。普通にしていても胸の谷間が見えそうなほどに空いているし、何より際どいノースリーブであるため、角度によっては横から乳房の一部が確認できてしまう。
――本当に、男ってエッチなのね……
チラチラと遠慮がちな目線を注ぐ者。ここぞとばかりに胸の谷間を、膝から下の生足を舐めまわす者。
そんな視線に呆れながらも、自分がこれだけの男の瞳を虜にしているのだと思えば、不思議な心地よさが味わえる。
ちょっとしたサービスのつもりで目線を投げてあげれば、気まずそうに顔を背ける。もっとよく見たいはずなのに、後ろめたさでも感じているのだろうか。
妖精となったコーラス部の一挙手一投足には絶えず多くの視線や、数多くのレンズが向けられている。油断も隙もありはしない。頬にかかった横髪を耳にかきあげつつ、小さなため息を吐く。
撮影している中には、明らかに胸の谷間をアップで撮影したり、ローアングルで脚を狙っている者さえいる。幾度か部員が何人か注意するものの、聞く耳持たずだ。
「う……」
ふと、背後から声が聞こえた。明らかに、気分が悪そうなうめき声。
途端、いままで感じていた熱が冷めた。この声は、聞き覚えのある自分の友人の声。
五十嵐カエデ。風紀委員長であり、コーラス部のエース。
慌てて振り返ると、自分の後ろに立っていた彼女の顔には血の気が無かった。頭を手で押さえたまま片目は閉じ、足元がふらついている。
体調を崩した? 考えるまでも無い。明らかに“男性に囲まれていたから”だ。
「あ……」
その小さな声を最後に――カエデの身体は、ナオミの足元に倒れこんだ。
「か、カエデっ!?」
その悲鳴に似たナオミの声に、周囲がざわつく。
「なんだ。いきなり倒れたぞ?」
「貧血か?」
そんなカメラを構えたままの男たちには目もくれず、コーラス部の女子達が駆け寄ってきた。ただ事ではない動揺が周囲に伝わる。
保健室に運ばなければ。もう、写真撮影どころではない。
ナオミが上半身を抱え、後輩の女の子が下半身を持つ。歌を歌うにも、それなりに体力がいる。2人がかりなら、運ぶのもそう難しくは無かった。
ただ、撮影エリアから離れる最中に、一度だけカメラを構えた者たちの集団を一瞥する。
誰も、手を貸す者がいない。どうやらコーラス部のグラビア撮影から、ウェブサイトに投稿する野次馬カメラマンに切り替わったらしかった。遠慮も無く、撮影を続けている。
ああ、もう。これだから男ってのは!
思わず怒鳴りつけそうになった時。ナオミたちの耳に、よく澄んだ少年の声が割り込んだ。
「手伝います。カエデさんを運ばせてください」
顔を見ると、彼女達にとって最も信頼できる男がそこにはいた。
【音楽室での夜】
「カエデさん」
カエデの耳に、タカトシの声が聞こえてきた。
「カエデさん。もう大丈夫ですよ」
風紀委員長は目を開けた。少しだけ息苦しかったので、上半身を起き上がらせる。
目覚めたのは、ベッドの上だった。見覚えのある保健室。僅かに消毒液の匂いが鼻に付く。
窓の外は夕暮れを通り越して、すでに暗い。パイプ椅子に腰掛けているタカトシは、もう学園の制服を身につけていた。対して、自分は妖精の衣装のまま。
「カエデさん、ずっと気絶していたんです。無理をしちゃあダメですよ。男性恐怖症は、まだ治ったわけじゃあないんですから」
目に安堵の色を浮かべ、タカトシが言った。途端、申し訳なさがこみ上げてくる。彼はハロウィンパーティーが終わった後もずっと、自分の傍にいてくれたのだ。
「ごめんなさい、タカトシ。迷惑をかけてしまって……それと、ありがとうございます。一緒にいてくれて、嬉しいです」
カエデはタカトシを見返した。いたわるようなまなざしに、熱いものがこみあげてくる。涙が滲み、視界をぼやけさせる。目に映るすべてが揺らぎだした。
「撮影されているとき、本当に怖かったです。男性恐怖症も少しは克服できたと思っていたんですが……こんな事に」
タカトシは無言で腰を浮かせ、そっと彼女の涙を指でぬぐってやる。もういいんですよ、と彼は囁いた。
「それよりも」
「え?」
「こんな形ですが……カエデさんの妖精姿が見れて、俺としてはよかったです」
瞬間、カエデの顔――いや、首筋までが一気に真っ赤になった。ポカポカとタカトシの胴を叩く。
「バカっ、淫猥っ!」
少しも痛くなさそうに照れ隠しを受け止め、逆に両腕を彼女の腰に回す。それでも、彼への拳骨は止まらなかった。
「白くて細い肩ですよね。ちょっとかがんだら、胸の谷間が見えちゃいますよ?」
「ヤダ、言わないで! できるだけ意識しないようにしていたんだから!!」
「横からだったら、普通にしていても胸が覗けちゃうじゃあないですか。もしかしてブラを付けてないんですか?」
「やめてってば! ヌーブラくらい付けていますっ!!」
いやいやをするように首を左右に振るカエデ。その様子に、タカトシはもういいかなと安堵の表情をした。
「……だいぶ、気分がほぐれたみたいですね。よかった」
「あ……」
そっと、抱きしめていた腕を放す。目を瞬かせているカエデは、まじまじと彼のいつも通りに真摯な瞳を見つめた。
タカトシは、自分を元気づけてくれたのだ。いつもは言わないような言葉をわざわざ使って。
「さあ、カエデさん。もう7時を過ぎています。着替えるまで待っていますので、一緒に帰りましょうか」
「は、はい」
タカトシに手伝ってもらいながらベッドを降り、カエデはどこかぼうっとした表情のまま保健室を出て行った。
もちろん、タカトシも隣に立って歩く。すでに廊下は暗い。宿直の教師には事情を話してあるので、宿直室の前を通っても顔を確認されただけで、咎められることもなかった。
「着替えは、どこにあるんです?」
「……音楽室に」
「分かりました」
ゆっくりと、2人は階段を上った。少しだけカエデの足元がおぼつかないので、タカトシは彼女のほっそりした手を引いて歩く。
音楽室の前にたどり着き、カエデだけが室内に入る。タカトシはドア一枚を隔てたまま、彼女が出てくるのを待った。
10秒ほど経った時、そっとドアの隙間が開いた。僅かに開いた空間を通して、タカトシを見ている彼女の姿。
「……カエデさん。何です?」
「あの、タカトシ……ちょっと聞きたいんですが」
顔半分だけしか見えない状態でも、彼女がどこか不安そうな顔をしているのが分かった。
「私の衣装……見れて良かったって言ってましたよね」
「あ……もしかして、不快に思わせちゃいましたか。だとしたらすみません」
カエデは、無言で不備を左右に振る。
「ううん。本当に嬉しかった」
「えっ?」
「嬉しかったんです。タカトシは生徒会の仕事がありましたし、私は公演で会えなかったから……見てくれて、本当に嬉しかった」
「本当は、俺も会いに行こうと思っていたんです。見回りの時間を使って、体育館に行ったんですよ。でも、予定が前倒しになったとか言われて」
「そうだったんですか?」
カエデは素直に驚いた。そして、僅かに落胆する。時間のすれ違いが無ければ、彼は自分の公演を見てくれていたのに。
「はい。その後で他の生徒達に聞いて、簡単な撮影会をすることになったって話を知ったんです。それで、気になって顔を出してみたら……」
倒れたカエデを目の当たりにして、駆けつけたと。つまりはそういう事だった。
「それに……ちょっと嫉妬もしてたんです」
「嫉妬?」
「その……俺だけ、カエデさんの可愛い姿を見れないのは納得がいかないって。絶対に見てやるって」
「……」
思わず両手で顔を覆うカエデ。なんでしょうか。その小さな男の子のような意地は。
彼の顔を直視できず、背を向けてしまう。ここで初めてタカトシは、彼女が妖精の格好のままだった事に気が付いた。
「あの……そろそろ着替えないと」
「あ、その……その事なのですが」
どこか言いづらそうに、モジモジするカエデ。やがて、意を決したように彼女はタカトシに振り向いた。
「実は……お願いがあるんです。私の事を、撮ってくれませんか……?」
「あ……」
瞬間、自分の心臓がドクンと動く音を聞いた。今、カエデさんはなんと言った?
「その……あの人たちだけに撮られたままなんて、耐えられないから……い、今からでも、タカトシがたくさん写真に収めて欲しいんです……私の事を」
恥ずかしそうに告げるカエデの声が、どこか遠い。しかし、頭の全てに反響するかのような声に聞こえた。
心臓の音がうるさい。少し静かにしてくれ。彼女に聞こえてしまうじゃないか。
拳法の試合でも、こんなに緊張した事はなかった。タカトシはどこか震える足取りで近づくと、扉を開く。
目の前には月明かりに照らされながら、羞恥に頬を染めている美しい妖精。それでも、自分に向ける微笑は他の誰よりも可愛らしかった。
とてつもない多幸感と共に、タカトシも覚悟を決める。震える手つきで、鞄からスマホを取り出した。
「い、いいんですよね。あとで、消して欲しいって言ってもできませんよ」
「は、はい」
「沢山、その……要求するかもしれませんよ。た、例えば、ちょっとグラビアみたいなポーズとか。撮り方だって……胸のた、谷間……とか」
「す、好きにすればいいじゃないですか……タカトシが撮りたいなら、いくらでも」
タカトシが空気に押されてグイグイ行くが、カエデはもう心を決めている。もう、お互いに引き下がる事はしない。
「じ、じゃあ……俺達2人だけの撮影会……ですね」
「そ、そうですよ……2人っきりの、撮影会です」
お互いに、ガチガチに緊張している。だが、それがどうしたというのだ。2人とも、これから迎える濃厚な夜の時間を心待ちにしているというのに。
熱く火照る顔に、夜の秋風が触れていく。それに少しだけ安らぎを覚えつつも。
タカトシは、スマホのカメラアプリを起動した。
つづく