生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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キミを求め。

キミが求め。

そんな2人の姿を。

そこのアナタは、どのような想いで。


ある少年の話

 

【いつも見ている横顔】

 

 

 

 

 コーラス部。

 

 桜才学園に存在している、歴史ある部活動のひとつだ。

 

 毎年のように音楽コンクールでは入賞し、県大会でも常に上位の成績を収めている優秀な部活動である。

 

 もちろん、練習は厳しい。それでも、毎年誰かが桜才学園のコーラス部として脚光を浴び、共に同じステージに立ちたいと憧れる生徒は少なくなかった。

 

 そんな桜才学園が、去年に共学化した。コーラス部もその影響を利用して、新入部員に男性の声を取り入れる活動を積極的に行った事は言うまでもない。

 

 女子部員の半数ほどは男子の部員を入れる事に若干の抵抗を見せたものの、最終的にはそれも受け入れられていく。アルトやバスといった声を担当させることで、より深みのある歌を作る事に成功したからだ。

 

 しかし、残念ながら。誰もが綺麗な歌を歌いたいが為だけにコーラス部に入部したわけではない。彼らとて人間だ。別の目的を持っていたところで、誰もそんな気持ちを責める事はできないのだから。

 

 入学してまもなく、部活動勧誘の活動後に入部届けを出してきた生徒の1人。彼は今日も、放課後の部活動に姿を見せていた。

 

 他の女子部員に混じって、アルトの声で歌い続けている男子生徒。名前を、井沢(いざわ)ショウタという。

 

 練習の合間の休憩時間に入る前、指揮者の生徒から注意をされる。もっと腹に力を入れるように、と。

 

 その後は、皆が思い思いの場所の席に座り、休息を取る。当然ながら男子部員は少ないので、いつも窓際の隅に陣取るのがいつもの光景だった。

 

 そして、ショウタが向ける視線もまた、いつもの通り。

 

 部長と生真面目にさっきの練習について話し合っている、1人の女子生徒。三つ編みが似合う、凛とした瞳を持つ先輩。

 

 五十嵐カエデ。風紀委員長であり、このコーラス部の部長でもある少女であった。

 

 

 

 

【あの時の出会い】

 

 

 

 

 念願の桜才学園に入学した後。ショウタが見た光景は、まさに自分にとっての運命だったのかもしれない。

 

 降り注ぐ桜吹雪の中。部活動勧誘のために、あらゆる部活動が歓迎の言葉を口にしていた。

 

 その中で目に入ったコーラス部の姿。勧誘の一環として、女子部員達が歌っていたのは清涼感溢れる、春をテーマにした合唱。

 

 その中に立つ、三つ編みの女性がショウタの目を釘付けにする。他の部員もいるはずなのに、なぜか彼女の声だけが自分の耳に入ってくるかのようだった。

 

 入部をする事に、何の抵抗もなかった。そう。この出会いからすでに、ショウタの心はカエデに奪われてしまっていたのである。

 

 この日から、ショウタのコーラス部としての学生生活が始まった。

 

 毎日は、もちろん忙しい。ずっと昔からある部活であり、レベルも付いていくので精一杯。

 

 それでも、カエデがいたから心が折れる事はなかったし、何よりいいところを見せたいという気持ちが頭の大多数を占めていた。

 

 そんな努力が空回りしている事に気づいたのは、世間が夏に入る少し前。

 

 彼女は、男性恐怖症だったのだ。男子と会話するのにも、見ていて可哀想になるくらい怯えてしまう。

 

 一度など、思い切って挨拶した時に気絶をされかけた。当然のように周囲の先輩たちからは非難されたという、あまり思い出したくも無い思い出である。

 

 それでも、好きという気持ちは変わらない。むしろ、自分こそがその恐怖症を取り除いてやるという気持ちにならなければと、改めて決意させられたほどであった。

 

 さり気なく挨拶をする事を心がけ、できる限り怖がられないように距離をとって。

 

 そんな本人にとっては弛まぬ努力を続け、コーラス部の練習も欠かさない。

 

 合宿を含めた夏休みを挟んで、2学期の半ばに差し掛かった頃。

 

 まだショウタしかいない音楽室で。

 

 次に教室に入ってきたカエデが、彼の姿を見かけ。

 

 

 

 

「おはよう」

 

 

 

 

 カエデが、ショウタに挨拶をしてくれた。

 

 

 

 

【はじめての挨拶】

 

 

 

 

「え、あ、お、おおおおはようです五十嵐先輩。きき、今日もよろしくお願いします」

 

 一瞬だけ返事が遅れてしまったのは、思考が停止したことが原因であった。まさか、彼女の方から挨拶をしてきてくれるなんて。

 

 その反応の原因を察しているらしいカエデも、挙動不審な彼の姿を咎めなかった。そのまま、少し離れた席に座る。

 

 さすがに、挨拶以上の会話をするつもりは無いらしい。だが、それでもショウタにとっては過ぎた幸福であった。

 

 今は、朝練の時間。自分達だけが少し早く来ている。つまり、この場は2人きり。

 

 カエデの方は男性恐怖症ではあるものの、距離さえとっていれば男と同じ室内であっても問題はないようだ。特に気にした様子もなく、今日の歌の課題のプリントをチェックしている。

 

 せっかく彼女の方から挨拶をしてくれたんだ。もう少し会話をつなげてみようか。いや、かえって警戒させるだけかもしれない。

 

 席に座ったまま、チラチラとカエデの横顔を盗み見る。彼女の書類を動かす音だけが室内に響く。ショウタは、思い切って話しかけることにした。

 

「あ、あの。五十嵐先輩」

 

「はい?」

 

 プリントから目を離し、こちらを不思議そうに見てくるカエデ。自分を見ているという緊張に、心臓の音が早くなった。

 

「その、だ、男性恐怖症は……大丈夫なんですか」

 

「あ……」

 

 言い終わってから、ストレートすぎたと後悔する。しかし、風紀委員長は目を瞬かせた後、そっと目線を逸らせた。

 

「ど、どうでしょうか……ちょっと、自分でも分かりません」

 

 何か言いづらそうだった。というよりは、自分でも自然に男子に挨拶ができた事を、不思議に思っているようにも見える。

 

「そ、そうですか」

 

 結局、会話が続いたのはそこまで。どこか気まずい空気を残したまま、音楽室はこれから入ってくる先輩たちの来訪を歓迎したという。

 

 

 

 

 カエデの歌声はプロレベルのそれで、相変わらずの見事なものであった。

 

 彼女もまた自分と同じように、この学園へ入学してから歌を本格的に勉強したそうなのだが、とにかく才能の差を思わせられるほどに透き通った声である。

 

 1年生の頃から類まれなる才能を見せて、いくつものコンクールに出場してきた彼女。そんな五十嵐カエデという少女を頼もしく思い、慕っている人間は男女問わず多い。

 

 しかし、だからこそ残念に思う。彼女はもう3年生。

 

 つまり、受験生なのだ。

 

 実を言うと、今のコーラス部には3年生の半分ほどが欠席している。当然ながら受験勉強を優先しなければならないので、部活に出る余裕が無いのだ。

 

 カエデもまた優等生らしく、有名大学を受験しているという。彼女の成績もトップクラスに近いというのに、自分の部長としての肩書きや風紀委員長としての責務を忘れたくないのだろう。

 

 もう、こうして同じ教室で歌っていられるのも、あとわずか……

 

「そこ!」

 

「は、はいっ!?」

 

 突然指揮者から指をさされ、ショウタは裏返った声で仰け反った。

 

「なにボーっとしてんのよ。声が出てないわよ! もう一回やり直し!!」

 

「すっ、すみませんっ!!」

 

 冷や水をぶっ掛けられるような思いと共に、ショウタは自分に集まってくる周囲の目に耐えなければならなかった。

 

 仕切り直し。今度こそ失敗しないように心がける。腹に力を入れて、息を吸って。

 

 今度は上手くいった。このまま最後まで歌いれそうだ。

 

 歌は続く。それでも――

 

 やはりショウタの視線はカエデの後頭部に注視したままであった。

 

 

 

 

【彼への認識】

 

 

 

 

「失礼します。備品の予算案内の件で話があるのですが」

 

 授業が終わった夕方。練習が一息ついた頃に、1人の生徒が音楽室を訪れた。その男子生徒が姿を見せた時、コーラス部の部員達が僅かにざわめく。

 

 それも当たり前といっていいのかもしれない。なにしろその男子生徒は、いまや生徒会長の天草シノと同じレベルで、学園内の有名人だったからだ。

 

 津田タカトシ。桜才学園生徒会副会長である。

 

 もちろん、ショウタもタカトシの事は知っていた。いろいろと教師や会長に意見を通し、それぞれの部活動が上手く立ち回れるように貢献してくれている仕事熱心な人だと、高い人気がある先輩。

 

 決定的だったのは、今年の夏の合宿で盗難事件が起きた時に、襲われそうになったカエデの命を救ってくれたという、想い人の恩人。

 

 自分よりもひとつ年上なだけだというのに、とても頼りがいのある先輩。それがショウタのタカトシに対する認識であった。

 

 タカトシは周囲の女性部員には手短に挨拶を済ませ、まっすぐにカエデの元へ近寄ってくる。何枚かの書類を渡し、彼女はそれを自然に受け取った。

 

 その様子を見て、ショウタは思う。

 

 なんだ。やっぱり男性恐怖症はもう治っているんだな。

 

 そう結論付け、ショウタはホッとする。これまでは彼女を怯えさせまいと、できる限り距離をとって見つめていたというのに。

 

 もう、そんな遠慮は要らないんだな。ショウタは思う。

 

 だって、あんなに嬉しそうに男子である津田副会長から書類を受け取っているのだから。

 

 

 

 

「それじゃあ、今日はここまでとします。皆さん、お疲れ様でした」

 

 今日の練習が終わり、部員たちは疲れたとボヤく声を口々に出す。それでも、その表情に苦痛は無いことは言うまでも無かった。

 

 みんなはアルバイトや友人と遊ぶ約束があるのか、足早に音楽室を出て行く。残ったのはカエデをはじめとした、ごく少数の部員だけ。その中には、ショウタも含まれている。

 

 あっという間に数分前までの喧騒が消えた。その中でカエデは、掃除用具のロッカーから箒を取り出す。ショウタと他の女子もそれに習った。

 

 几帳面なカエデは、練習後にいつも掃除を自主的に行っている。本当は義務など無いのだが、コーラス部員として喉を痛めたくないという。部屋の埃は天敵なのだ。

 

 自然と、彼女の友人もそれを手伝って、今に至る。もちろん、ショウタもその事を知ってからは自主的に手伝うことにしていた。理由はいうまでも無く、少しでも長くカエデと一緒にいるためと、いいところを見せるために。

 

 しばらく、箒で床を掃く音が聞こえる。何処の学校でもそうだが、音楽室という場所は基本的に広い。全てが終わる頃には時計の長針が半周を超えていた。

 

「よっし。今日はいつもより早いわね」

 

 完全下校時刻まであと数十分というところで、彼らはそっと帰宅をすることにする。

 

 暗くなりはじめた廊下に、複数の足跡が響く。人気のない校舎は、肌寒くなってきた季節という事も相まって、中々に不気味である。まあ、さすがにこの歳にもなって怖がりはしないが。

 

 2階に降りたところで、カエデは音楽室の鍵を返すために皆の輪から外れることになった。

 

「それじゃあ、私はこれで。お疲れ様でした」

 

 そう言って廊下の奥へ向かおうとするカエデを、ショウタは呼び止める。

 

「鍵は俺が返しておきますので。部長はみんなと一緒に帰ってください」

 

「え? ですが、これは私の仕事ですし。井沢君こそ……」

 

 確かに、部長が鍵を返すというのはごく自然なことである。本来は、ただの部員でしかないショウタがやる必要は無い。

 

「いいんですよ。もう暗くなりはじめていて危ないですし。それに、俺は男ですから」

 

 言い終えて、少しだけ不安になる。男である事を意識させる言葉は、さすがにカエデに悪かっただろうか?

 

 しかし予想に反し、カエデは少しだけ困ったような顔をした後、分かりましたと薄く微笑む。ショウタの差し出された手のひらに、そっと音楽室の鍵を落とした。

 

 さすがに直接男の手に触れるのは怖かったのか、指すら触れ合うことも無い行為。だが、それだけでもショウタの心は軽く舞い上がってしまいそうになる。

 

 鍵に残る僅かなぬくもりを宝物のように感じつつ、ショウタは職員室へと向かっていった。

 

 

 

 

【見えたものは】

 

 

 

 

 人気の少なくなった職員室。

 

 顧問である道下アユミ教諭はショウタが鍵を持ってくると、心からの安堵を浮かべた。鍵を返さないと、アユミも家に帰ることができないのだから当然である。

 

「音楽室の掃除は済ませておきましたので」

 

「ええ。いつもありがとう」

 

 頷いたアユミが手荷物のバッグを手にすると、いま気づいた様子で素っ頓狂な声をあげた。

 

「あれ。そういえば五十嵐さんはどうしたのかしら?」

 

「今日は俺が代わりました。先輩だって女の子ですから、みんなと一緒に帰った方がいいかなって」

 

 少しだけ気取った台詞だった。そんな彼に、アユミは感心する――ことはなく、どこか微妙な顔になる。

 

「あ、うん。でも、五十嵐さんって校舎の見回りをしてから帰っているんだけれど」

 

「……」

 

 初めて知った事実であった。

 

 

 

 

 職員室を出たショウタは真っ直ぐに玄関に向かう――などという事はせず、少しだけ校舎を歩いていた。

 

 別段、彼に散歩趣味があるわけではない。誰もいない夜の校舎など、普段はさっさと後にする。

 

 言うまでもなく、カエデの姿を探すためだ。

 

 偶然を装ってカエデと鉢合わせして、2人だけの時間を作る。そのまま一緒に見回りをして、あまつさえ家まで夜の帰路を共にしようと、この少年は半ば本気でそんな事を考えていたのであった。

 

「3階の方かな?」

 

 特別教室が多い3階を回っているのかもしれない。そう思って足を運んでみるが、薄暗い廊下には誰もいなかった。耳に聞こえるのは、自分の上履きが廊下の上にこすれる音だけ。

 

 行き違いになったのか、もう見回りを終わらせているのか。とにかく、簡単に探してみない事にはなんともいえない。

 

 ふと窓の外を見ると、学園の電灯に照らされてコーラス部の面々が校門に向かっている姿が見えた。一緒に帰ったのかと思ったが、その集団の中にカエデの姿はいなかった。

 

 それじゃあ、カエデはまだ校舎の中だ。今も見回りを続けているのだろう。

 

 他に行きそうな所といえば、生徒会室か。

 

 生徒会もまた、風紀委員と一緒に見回りの仕事を手伝う事がある。たまに完全下校時刻まで残っている話も聞くし、それとなく様子を見に行ってもいいかもしれない。

 

 ただし、役員達に見つかったら説明が面倒なので、できたら会わないほうが望ましいのだが。

 

「あれ。いないのかな」

 

 生徒会室のドア。内側はすでに他の室内と同じように暗かった。誰もいない事の証拠だ。どうやら、今日は生徒会役員もすでに帰った後らしい。

 

「まいったな」

 

 どうやら、完全にすれ違ってしまったようだった。このまま歩いていても、カエデに会えるとは思えない。

 

 もう、今日のところは帰ろうか。そう思い始めた矢先、廊下の左手から物音が聞こえてきた。自分と同じ、誰かが上履きで廊下を歩く音。

 

「……ね……トシ……」

 

 間違いない。カエデの声だ。上の階からこちらまで階段を降りてきているらしい。そこを曲がった先にショウタがいる形だ。

 

 よかった。早速偶然を装って……

 

 現金にも背筋を伸ばし、彼女の歩いている方へ向かおうとする。と、そこで今度はすぐに別の声がした。

 

「カ……い……ら」

 

 ショウタは思わず足を止める。カエデは、誰かと一緒に歩いているらしい。声からして、副会長の津田タカトシのようだ。

 

 途端、気まずい気持ちになる。一緒に見回りをしようとしていたのに、図らずも生徒会役員に先を越されていたようだ。これではやりづらい。

 

 今更鉢合わせするわけにもいかず、ショウタはとっさに生徒会室のドアを開ける。そこでやり過ごそうと思ったのだ。

 

 ――実際には、別に鉢合わせになったところでいくらでも言い訳ができるはずなのだが、この時の彼は気づけなかった。

 

 廊下からショウタの姿が消えたところで、彼は真っ暗な生徒会室の中でふと思う。

 

 開けておいて何だが、生徒会室のドアに鍵がかかっていない事に気づく。という事は、生徒会役員のタカトシは見回りが終わった後に、ここへ戻ってくるつもりでいるのではないか?

 

 廊下からの足音が近づいてきた。暗い周囲を見回すと、部屋の隅に掃除用具のロッカーがある事に気づいた。できるだけ足音を立てずに中に入る。

 

 途端、狭苦しさと埃臭さを同時に感じるショウタ。だからといって、今更出るわけにもいかない。

 

 パチリ。電灯のスイッチの音と共に、生徒会室が明るくなった。そっと、光が漏れてくるロッカーの隙間から室内を確認するショウタ。

 

「やっぱりそうだったんですね。コトミちゃん、昨日は私にまで聞いてきたんです」

 

「どうりでテンションが高いと思いました。俺がうかつだったんですけどね」

 

 ――やっぱり。

 

 予想していたが、室内に入っているのは自分が探していた五十嵐カエデと、副会長の津田タカトシである。

 

 何か他愛の無い雑談を続けているようだ。しばらく待っていれば、すぐに出て行くだろう。

 

「そういえば、東京學堂大学の入試対策の方は? 確か、推薦枠を取れたって話でしたけれど」

 

「その事なのですが、まあベストは尽くします。推薦といっても、合格できると決まったわけではありませんので」

 

「確か、面接も厳しいって話でしたね。俺も応援しますので、何かあったら言ってください」

 

「うふふ。タカトシにそう言ってもらえると頼もしいですね」

 

 2人とも、お互いに釣られたかのように笑う。いや、それよりもロッカーで身動きひとつしないままの少年には、何か聞き逃せない事を口にしていた気がする。

 

 今、カエデはなんと言った。タカトシって、呼び捨てにしなかったか?

 

 硬直しているショウタの存在には気づく事も無いまま、2人は帰る様子もなく生徒会室で話をしている。

 

「2年生も、前回の中間考査以降から大学に成績が伝わると思いますので、タカトシも頑張って下さい。でも、タカトシの成績なら大丈夫でしょうけれど」

 

「油断はしません。カエデさんの前で宣言しましたから」

 

 こっちはこっちでカエデさん呼びだ。なにがどうなっているのだろう。

 

 一瞬の間のあと、カエデは少しだけ小さな声で言った。その声色は、明らかに先ほどまでとは違っている。

 

「……そう、でしたね。今年の初詣の事、まだ覚えているんですよ」

 

「俺もです。着物姿のカエデさん、本当に綺麗でしたから」

 

「も、もう。そういう意味ではありません!」

 

 ポカ、とタカトシの頭を殴るカエデ。膨れっ面で叩いた拳には、誰が見ても力など入っていない。

 

「……」

 

 憧れを壊したくないのなら、今すぐ耳を塞いで目を閉じた方がいい。ショウタの直感がそう告げていた。

 

 しかし、その直感は何の役にも立たない。ショウタの目は皿のように見開き、耳はしっかりと神経を意識して。

 

 頭ではなく本能が、目の前の光景から目を逸らすことを許さない。

 

「あっ……」

 

 肩がピクリと震えるカエデ。タカトシはこちらに背を向けているが、向かい合っているカエデはほんのりと頬を染めているのがこちらから分かる。分かってしまう。

 

 タカトシは叩いたカエデの細い腕をそっと掴みながら、ジッと動かなくなる。カエデもまた彼の眼から目を逸らせない。

 

「本当に、綺麗だったんです。今のカエデさんも可愛くて綺麗ですけれど」

 

「た、タカトシ……」

 

「初めてなんです。こんなに、誰かを好きになった事なんて」

 

 掴んでいないもう片方の手で、タカトシはカエデの肩を掴む。彼女もまた、分かっていたと言うように彼の頬にそっと触れる。

 

「私も、です。タカトシ……」

 

 カエデは少し背筋を伸ばし。

 

 タカトシはほんの少しだけ前かがみになり。

 

 2人の唇が、そっと触れた。

 

 

 

 

 そして、その行為は。

 

 ショウタの初恋が、完全に倒れた瞬間でもあった。

 

 

 

 

【顛末】

 

 

 

 

「おはよう、井沢……って、どうかした? なんか疲れた顔してるわね」

 

 次の日。朝練の時間。

 

 音楽室に入ってきたショウタに、先輩の女子がそう言ってきた。

 

「ちょっと、色々ありまして……」

 

 正直なところ、そう言うのが精一杯だった。なにしろ、ずっと眠れなかったので。

 

 結局、2人の行為はショウタにとって見るに耐えないものであった。

 

 あれから、カエデとタカトシは3回もキスを繰り返したのである。しかも、2回目は明らかに舌まで入れて。

 

 そう。舌まで入れて。

 

 ありとあらゆる事が本当は夢なんじゃないかと思おうとしたが、やっぱりそれは現実で。

 

 目を閉じれば、何度でも思い出せる。あの酔いしれたような、カエデの目を。

 

 虚ろな瞳は、自分の知っているカエデの凜とした目とは別人のよう。いや、むしろそうであってくれたら。

 

 もう、何も思い出せない。いや、部屋を出て行った2人が鍵を閉めてしまった事で、高窓から廊下に出たことだけは覚えている有様であった。

 

「ところで、五十嵐部長は?」

 

 別の先輩の女子が尋ねてくる。ぐ、と声が漏れそうになったショウタ。今はして欲しくない話題なのだから。

 

「カエデなら、生徒会室に行ってから来るって。引継ぎに関する報告書の件で、副会長と話があるみたい」

 

「……」

 

 人目のある昼間でも、2人はこうして会っている事を意識せざるを得ない。いや、今までだって仕事の付き合いがあるのだから、当然といえば当然だが。

 

「あ、そうなんだ。それよりも、あの2人って怪しいのよね」

 

 途端、ニンマリとした顔になる先輩。女子というのは、いつもこういう話題が好きなのだ。

 

 怪しいのではない。もう完全に黒だ。もちろん、そんな事を口に出せるはずもないが。

 

 翻って、もう片方の先輩はどこか呆れたように肩をすくめる。

 

「あんた、知らないの? カエデ、もう津田副会長にガチなの」

 

「いやいや。それは知っているわよ。ただ、付き合うまでいったのかって話」

 

 途端、肩の力が抜ける。なんだ。本当の意味で知らないのは自分だけだったのか。

 

「さあ。そこまでは知らないけど。でも、うちは校則厳しいから、付き合っているとしても人目を盗んでだろうけどね」

 

「まあ、そうよね。私たちは部長を応援してるから、付き合っているトコ見たって気づかないフリくらいはしてあげるけれど」

 

「私だってそうよ。津田副会長ってイケメンだし、年下って思えないくらい頼りになるし」

 

「部長が惚れるのも分かるよね」

 

 ショウタは先輩たちの副会長と部長のカップルトークを背に受けつつ、音楽室の自分の席に座る。

 

 ややあって、カエデが音楽室に来た。

 

 彼女は昨日の生徒会室での振る舞いの面影などまったく残さず、いつものように落ち着いた表情で練習の準備を始める。

 

 動揺しているのは自分ひとりというのも不公平を感じるが、だからといってそれで怒るわけにもいかない。ショウタはなるべくカエデと目を合わせないようにしつつ、練習の輪に加わるのであった。

 

 

 

 

「失礼します」

 

 これから練習を始める前に、津田タカトシが音楽室へと入ってきた。手には、何枚かの書類を持っている。

 

「五十嵐先輩。例の報告書の件ですが」

 

「はい。いつもお疲れ様です」

 

 カエデも来る事が分かっていたかのように近寄り、2人で話を始める。内容は部活動のことには違いないが、傍で聞いているショウタには内容があまり理解できない。

 

 それよりも、と。ショウタはカエデと話をしているタカトシを横目で見る。

 

 穏やかな瞳に、爽やかさを感じる精悍な顔。物腰の落ち着いた柔和な雰囲気。細かいところに気が付く、人のいい先輩。

 

 どれをとっても、カエデに酷い事をするような男には見えない。いや、別に彼がカエデに乱暴を働いたというわけではないのだが。

 

 この人が、カエデと……

 

 思い出し、全身の血液が沸騰するのを感じる。しかし、不思議と憎しみの気持ちは湧かない。

 

 それは、きっとカエデもまた彼を求めていたからなのだろう。彼がカエデに触れたように、彼女もまたタカトシに触れたのだから。

 

 そして、それは同時に――好きな人の心を射止め、なおかつ彼女の心を満たす事ができている、男としての憧れの姿だったのだから。

 

 ショウタは心から思う。俺も、そうなりたいと。

 

 ああして、素敵な女性が自分を求めてくれるほどの男になりたい。

 

 ハッキリと、そう思った。

 

 

 

 

 失礼しました。そう言って音楽室を去っていくタカトシ。ショウタはそんな彼の背中に、一度だけ頭を下げながら――

 

 目標にさせてもらいます、津田副会長。

 

 ――心の中で、しかし強い意思を持って誓いを立てた。

 

 

 

 

つづく

 

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