生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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恋。

愛。

欲。

すべては同じ起源から生まれる感情である。


キミの香り

 

 

 

 

 月は師走。

 

 クリスマスや年越しの話題が目立ち始める時期。

 

 肌寒さが際立つ毎日。北の地方では雪が積もり。

 

 そんな日々。ありふれているようでいて、どこか大切だと思える時間。

 

 学園の制服に初めて袖を通してから、2度目の冬。

 

 街路樹。冷たい風と共に流れる河。遠くから聞こえる電車の音。

 

 出会いがあった。交流があった。笑顔があった。

 

 そして、誰かを悲しませてしまった事も。

 

 でも、後悔は無い。だって、それが正直な気持ちで決めた選択肢だったから。

 

 楽な決断ではなかったけれど。

 

 傷つく事を恐れて、何も出来ないのはもっと嫌だ。

 

 何も出来ない。それは、何も得るものがない事と同じで。

 

 キミがいる。それだけが、何より大きい心の支え。

 

 だけど。

 

 そんな幸福の日々も。

 

 終わりの季節が、近づいていて。

 

 

 

 

【ミステリー】

 

 

 

 

 冬の季節になって、初雪が降りたこの日。僅かに残る秋の面影が、白い世界に多い尽くされていく。

 

 ゆっくりと落ちながら浮遊する純白の結晶が、窓ガラスの向こうに舞っていた。

 

「もう、雪が降るのね」

 

「例年よりは少しだけ早いみたいだよ。まあ、この分なら積もらないだろうけれど」

 

 桜才学園。夕暮れ前の時刻。

 

 津田タカトシと萩村スズは、揃って廊下を歩いていた。相変わらず、遠目からだと親子のようにしか見えない2人組である。

 

「……」

 

「どうしたのよ、津田?」

 

 雪が舞う窓の外を見つめながら、タカトシはスズにだけ聞こえるかのような小さな声でポツリと呟く。

 

「舞い降りる白い結晶。時がどれほど過ぎようと、世界をいつもあの頃に……」

 

「え?」

 

 唐突に詩的な言葉を口ずさむ彼に、目を瞬かせるスズ。思わず目を瞬かせるその反応に、タカトシは我に返った。

 

「ごめん。口に出てた?」

 

「う、ううん。いいんだけれど……」

 

 どう言っていいのか分からない生徒会会計に、少しだけ誤魔化すように話題を変える副会長。

 

「ちょっと、畑さんから頼まれているエッセイの事を考えていたよ。来週までに提出するように言われているんだ。季節が冬だし、今度は雪をテーマにしてみようと思ってね」

 

「へえ、そうなんだ」

 

 軽く流しながらも、スズは割と気にしていた。なにしろ、タカトシのエッセイは新聞部になくてはならない項目だ。記事の内容だけではなく、エッセイを目当てに新聞部へと押しかけてくる生徒も多い。

 

 本にしたらどうですか、とは部長である畑ランコの言葉だったか。そうなれば、相対的にそれを毎回載せている自分の新聞は希少価値が後々生まれ、必然的に自分にも箔が付くという事だろう。

 

 まあ、新聞部部長のがめつさは今に始まった事ではないが。

 

 しばらくそんな話を続けつつ、2人は廊下を歩く足を止める。たどり着いたのは、図書室。

 

 ドアを開けると、特有の空気が鼻孔をくすぐる。放課後の時間ではあるが、室内は生徒の姿が目立つ。

 

 時期を考えれば当然だ。12月にもなれば、3年生は受験へのラストスパートなのだから。

 

 席には限りがあるので、家で勉強をしたり予備校に向かう生徒もいるせいか、座ろうと思えば余裕で座れるスペースがチラホラと目に付く。もっとも、タカトシとスズは席に腰掛ける気はないのだが。

 

 2人は受付に真っ直ぐ向かい、こちらに背を向けて椅子に座っている生徒に声をかける。当然だが、迷惑にならないように声は抑え目に。

 

「ネネ。本を返しに来たわよ」

 

「あ、スズちゃん。もう読み終わったの?」

 

 振り向いた生徒は、図書委員の轟ネネ。同じクラスで、スズの友人だ。

 

「ええ。続きが返っていたら、それを借りたいんだけれど」

 

 持っていた文庫本を渡しつつ、スズは言った。どうでもいいが、ネネの視点からだと受付のカウンターからスズの首が生えているようにしか見えない。

 

「ええっと……うん。大丈夫だよ。昨日に返却の記録があるから」

 

 受付に取り付けられているパソコンをいじりながら、ネネはそう教えてくれる。

 

「ありがとう。仕事中にゴメンね」

 

「いいんだよ。だって、足の臭いが気になっていたから嗅いでいただけだし」

 

 ほら、と言ってカウンターの奥から靴下も履いていない生脚を、体操選手のように高々と見せてくる。

 

「……うん。お邪魔しちゃってゴメンね」

 

 本当に邪魔をしてしまったようだ。スズはそう思う事にしておいた。

 

 

 

 

【本の影響】

 

 

 

 

「遅くなりました」

 

 生徒会室へ戻ると、すでに会長の天草シノと書記の七条アリアは自分の席に座っていた。

 

 タカトシとスズが室内に入ると、シノとアリアは手元で開いていた文庫を伏せる。どうやらページ数から見て、そろそろ読み終わる頃合いらしい。

 

「続きの本、借りてきました。七条先輩にはこちらでしたね」

 

 タカトシは図書室から新しく借りてきた本を、そっとアリアの席の近くに置く。ありがとう、と笑って礼を言う生徒会書記。

 

 本の表紙に書かれてあるのは、海外で発行された推理小説。タカトシやスズも、一緒に新しい本を借りているので、自分の席に座って読み始めた。

 

 今現在、生徒会メンバーの間ではミステリー小説が流行している。きっかけは受験勉強の息抜きにアリアが読み始め、それがそのまま影響された形となったのであった。

 

「あんたは、その作家のをよく読むわよね。もしかしてファンだったの?」

 

 隣のタカトシにスズが訊いてくる。彼が読んでいるのは、ある筋で有名な作家の作品であった。人の死なないミステリとして有名で、映画やコミカライズも達成している。

 

「ファンって訳じゃあないけれど。今まで読んでいたものとは違って、殺伐とした空気が無いから読みやすいんだよ。面白くて、知恵が付くし」

 

「そういうものかしらね。私としては、もう少し臨場感があった方がいいと思うのだけれど」

 

「やっぱり密室殺人事件とか、孤島で起きるような事件とかの方がいい?」

 

「そうね。ただ、それだとありきたり過ぎるから……もう少し捻りが欲しいかしら。読者の裏をかくようなミスリードを求めたいわね」

 

「例えば、供述トリックとかかな」

 

「いい線いっているわね。でも、今まで読んでいた作品は私からすればすぐに見抜けちゃいそうなものばかりで、イマイチかな」

 

「IQ180の目は誤魔化せないよね」

 

「うん!」

 

 と、脈絡も無く本を閉じたのはアリア。その瞳は、何かを決めたような意志がある。

 

「行こう!」

 

「えっ。どこに?」

 

 3人は、異口同音に言った。

 

 

 

 

【ツアー前夜】

 

 

 

 

 津田家にて。

 

「七条トラベル主催のミステリーツアー、ですか?」

 

「はい。なんでも、桜才の生徒会メンバーは全員出席するそうです」

 

 魚見チヒロの説明にことんと首をかしげつつ、調理した料理の載っている皿を食卓に乗せる。ピンク色のエプロン姿は、同年代のチヒロから見ても愛らしい。

 

「随分と唐突な話なんですね。七条さんと会長だって、もう受験間近なのに」

 

 全ての料理を運び終わった少女――五十嵐カエデは、慣れたようにエプロンを外す。

 

「問題はないかと。あの2人は、普段から勉強を疎かにする人達じゃあありませんから」

 

 現在の時刻は6時を過ぎた頃。学園が終わったチヒロは、津田家に寄っていた。カエデは先日に料理を作る約束をしていたので、この家に来訪している。

 

 閉じられたカーテンの隙間の先は、すでに宵闇だ。今夜は月がほとんど見えない。明日は僅かに小雨が降る予定らしかったので、その影響なのだろう。

 

「カエデさんの方こそ、そちらの方面は大丈夫ですか? 聞けば、かなりの名門大学を受験するとか」

 

「まあ、油断をするつもりはありません。一応合格圏内には入っていますが……」

 

 先日行われた期末考査では、2位であるアリアの次のランクに入っていた。つまり、学年3位である。

 

 ちなみに、スズは言わずもがな満点の1位。タカトシは2点差の2位である。僅かなミスが致命的となっていたため、本人はかなり悔しがっていたらしい。

 

「そう、ですね。参加をしてみるというのも、いい息抜きにはなると思います」

 

「タカくんも参加するから、じゃないですか?」

 

「それは言いっこなしです」

 

 そこで、タカトシが台所から食卓へ姿を見せる。手には、自分が担当した料理の鍋を抱えていた。

 

「あ。今日はいつもとは香りが少し違いますね」

 

「はい。カエデさんのアドバイスに倣って、出汁を変えてみたんです」

 

「私としては前のタカくんの味も好きだったんですが。すっかりカエデさんの色に染められてしまいましたね」

 

「魚見さん。そういう言い回しは止めて下さいと何度も……」

 

「まあまあ、お姉ちゃんのはいつもの事だから。それよりもコトミ、夕飯が出来たぞ」

 

 2階に向かって呼ぶと、妹の津田コトミはまもなく階段を降りてくる。

 

「うわあ、タカ兄特製鍋だ」

 

「うふふ。今日はカエデさんとタカ君の合作みたいですよ。2人の愛の汁が混ざり合って生まれた料理です」

 

「だから言い方!」

 

 怒鳴っても、2人の表情にはそれほどの真剣さを感じない。もう、こんな空気で食事が始まるのはいつもの事だと、ちゃんと受け入れているから。

 

 騒がしいながらも、住人が多い津田家の夕食はこうして始まるのが常であった。

 

 

 

 

【キミの香り】

 

 

 

 

「それじゃあ、今度はこの定理を」

 

「はい。ここは――」

 

 リビングのソファに腰掛け、カエデは言った。同じように座っているタカトシの隣で肩を寄せ合っている。

 

 彼女が手に持っているのは、3年生が使う参考書。

 

 タカトシは今や、最上級生の勉強を予習として取り入れ始めている。数学だけではなく、コミュニケーション英語や倫理。医者の勉強として必要な生物は特に。

 

 文系のカエデでは少しばかり教え辛いかもしれないとタカトシは内心思ったが、彼女は難なく教えてくれる。心配していた事が失礼だったんじゃないかと思うほどに。

 

 きっと彼女もまた、自分の知らないところでちゃんと教えられるように勉強しているのだろう。受験生の彼女に無理をさせてしまっていると思うと、本当に申し訳なく思えてくる。

 

 一度、さり気なくその事を訊いてみた事があった。しかし、カエデはいつもの凜とした顔で告げたのだ。

 

 ――受験生として、やれる事は日頃からやっています。それよりも、今はタカトシの事を支えたいですから。

 

 タカトシは思わず、自分が恥ずかしくなった。彼女は自分の事はしっかりとできている。それを彼氏の自分が気づかずに、一丁前に心配するなんて。

 

 タカトシのノートを横から覗き込むカエデの目は、真剣そのものだった。長い睫毛越しに見える瞳は、何の下心も感じられない。ただ、彼の成長を助けようという真摯な気持ちだけだ。

 

 しかし、五十嵐カエデと言う少女から発せられる暖かい体温や、僅かに火照っている桜色の頬。何より、お風呂あがりのために鼻孔をくすぐるリンスやボディソープの香りは、誤魔化しようもなくタカトシの心を惑わせた。

 

 サラサラと、シャープペンシルを動かす音だけがリビングに聞こえる。タカトシは出来る限り勉強に集中することにした。こんな気持ちでは、集中力など保っていられないではないか。

 

 だが、頭の隅に追いやろうとしている思考は、あまりにもしぶとかった。

 

 脳裏に掠めてしまうのは、夏休みの大雨の日。海のアルバイトへ行く2日前の夜。

 

 あの時と同じ、彼女のやわらかい感触がすぐそばに……

 

 パキリ、とシャープペンシルの芯が折れる。あ、と思わず声を出してしまったタカトシ。

 

 いけない。芯を出し、今度こそ問題を解く。

 

「それじゃあ、拝見しますね」

 

 カエデが少しだけ身を乗り出し、ノートを手に取った。そのせいで少しだけ、彼女から漂う香りが濃くなった気がする。

 

 再び無言になるタカトシ。なにか話そうかと思うが、採点中に話しかけるのも変だ。何より、何を話せばいいのかが分からない。

 

「タカトシ。ここ、間違っています」

 

「え?」

 

「さっき説明したじゃないですか。ひとつ前の問題とは公式が違っています」

 

 咎められ、タカトシは我に返る。確認すると、確かに言われたとおりの間違いであった。

 

「しまった……こんな初歩的なミスをするなんて」

 

 頭を掻く。集中力を乱した罰だ。タカトシはそう思う事にしておいた。

 

 もう一度解きなおす。今度は正解。次も正解。

 

 ようやくペースを掴み始めた頃、少しだけ休憩することにした。タカトシはキッチンに立ち、紅茶を淹れる。

 

 2人揃って一口飲むと、カエデが少しだけ驚いた顔をする。想像していた味とは違っていたのだ。

 

「あ……これって、ジンジャーティーなんですね」

 

「はい。身体を温める効果がありますので。もしかして、美味しくなかったですか?」

 

「いいえ。とても美味しいです」

 

 紅茶を飲む2人。一気に飲むような事はせず、途中から口の中を潤わせる程度に加減しつつ。

 

 いつもなら、学園の事や勉強の内容について、色々と話をするはずであった。だが、この日に限っては無言のまま。

 

 かといって、タカトシの方からはどうにも切り出しづらい。当然だ。さっきまで、やましい事を考えながら勉強をしている最中だったのだから。

 

「……あの」

 

 そんな沈黙に耐えられなくなったように、カエデがポツリと呟いた。思わず息を呑むタカトシ。

 

「……なんです?」

 

「もしかして……今日、何かあったんですか?」

 

「今日って……」

 

 なるほど。どうやら、何か悩みがあると誤解されてしまったらしい。

 

「いえ。特に何かがあったわけじゃありませんよ」

 

 タカトシは正直に答えた。しかし、カエデはそれにいまひとつ満足感を得られなかったらしい。

 

「本当ですか? なんだか、勉強中も上の空でしたし。もしかして、私の説明が分かりづらかったとか」

 

「そんな事はありません。本当に分かりやすかったですから。俺が少しだけ、集中力を乱していただけです」

 

「じゃあ、その理由は何でしょうか」

 

「……」

 

 タカトシは困った顔をする。だからといって、正直に話せば気持ち悪がられるのかもしれない。

 

「何か、私に至らない所があるなら言ってください。重い女と思われるかもしれませんが、それが正直な気持ちなんです」

 

「重い女なんて。そういう真っ直ぐなところに、むしろ惹かれたというか……」

 

「それとも、私には……言えない事でしょうか?」

 

「……」

 

 カエデはタカトシの内心も知らず、真剣な眼差しに僅かな悲しみを浮かべて自分を見てくる。その真摯な視線に、もう誤魔化せそうにないと観念した。

 

 何より、このまま悲しませるよりはマシだと思ったから。少なくとも、この時は。

 

「……その」

 

「はい」

 

「カエデさん、が」

 

「はい?」

 

「カエデさんにこんなにくっつかれて……それで集中できなくて」

 

 言った。ついに言ってしまった。

 

「……え?」

 

 沈黙が降りる。言い切った直後に、タカトシの心にズシンと後悔の負荷がかかった。しかし、どういうわけか口は止まらない。

 

「か、身体がくっつきそうで……温かくて。甘い香りもするし」

 

「や、やだ……」

 

 磁石の同極を近づかれたかのように、カエデはタカトシから距離をとった。身を守るように身体を抱きしめ、口を貝のように閉じる。

 

「こ、困ります……匂いを嗅ぐなんて」

 

「あ、いえ。それは……」

 

 震える声。その様子に、タカトシは自分が何を言ってしまったかを思い知った。全身から血の濃度が急激に上がっていく。

 

 今のは普通に考えて、俺が匂いフェチであるかのような台詞だったんじゃ?

 

「……そ、そんなに近かったでしょうか」

 

「……えっと」

 

「せ、責めているわけではありません。私も少し無防備すぎたかもしれませんし」

 

「い、いえ。カエデさんは悪くありません。俺が、その」

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙が痛い。どう言い訳をすればいいかも分からないまま、タカトシは項垂れる。

 

 まずいな。タカトシは思う。考えていた以上に気まずい空気になってしまった。

 

「え?」

 

 ふと顔を上げると――カエデの姿はなかった。いつの間にかソファを立ち、2階へ繋がっている階段の影に、見慣れた彼女の後ろ姿が見える。

 

「か、カエデさん」

 

 呼び止めるが、もう遅い。どこか駆け上がるような勢いで、足跡が遠ざかっていった。

 

 下品な男、とでも思われたのだろう。これは、本当に幻滅されてしまったかもしれない。

 

 慌てて、カエデの後を追う。彼女が今日泊まるのはコトミの部屋だ。ノックをするが、何の返事もない。

 

 コトミ本人はチヒロと一緒に、風呂に入っている最中だ。今は、それがせめてもの救いである。こんな姿、あの2人に見られたらどう思われるか分かったものではない。

 

「カエデさん。さっきは本当にすみませんでした。俺……変な事を言っちゃって」

 

「……」

 

 返事がない。タカトシは、構わず続ける。

 

「さっきの事は、勝手かもしれませんが……忘れてくれると嬉しいです。その、好きな人と一緒にいて、つい意識しちゃっただけなんです。ですから、深い意味は無くて」

 

「もう……いいですから。気にしていません」

 

「あ、カエデさん……」

 

 やっと返事をしてくれた。その喜びを覚える前に、彼女のドア越しからの震える声に、身体が硬直する。

 

「それよりも、明日は早いので。おやすみなさい……」

 

 それ以降は、今度こそ返事が途絶えた。タカトシが控えめに声をかけるも、まるで壁を相手にしているかのように反応がない。

 

 がっくりと肩を落とす。まったく、何をやっているんだ俺は。

 

 ガチャリ、と音がする。目の前ではなく、一階のバスルームのドアが開いた音だ。

 

 コトミとチヒロが風呂から出てきた。タカトシは、慌てて階段を降りる。こんな姿を見られたら、何を思われるか分かったものではない。

 

 リビングに入ると、2人は飲み物を片手に何か楽しそうに話をしていた。いつもの猥談なのかもしれないが、あいにくと今のタカトシをそれに突っ込みを入れるほど元気は無い。

 

 出来るだけさり気なさを装って、開いたままのノートやシャープペンシルを片付ける作業に入る事にした。時間も遅いし、何よりこんな気分で勉強をする気にはなれない。

 

 動揺を隠しながらも頭の中を廻るのは、やはりカエデの事。そして、ついさっきまでの自分の言動。

 

 大切な人の前で。気が緩んだせいで調子に乗って。馬鹿正直に自分の醜い欲望を暴露して。本当にどうかしていた。

 

 男性恐怖症の彼女に対して、なんて事を。せっかく心を許してもらえていたというのに、自分がそれを再発させてしまったらどう責任を取る気だ。

 

 いや、もしかして。

 

 今の馬鹿な言葉のせいで、カエデはもう自分に対して恐怖症をぶり返してしまったのかもしれない。カエデと初めて出会った時のように。

 

 いや。明日から近寄る事を怖がってしまうかも……

 

 自分への叱責の言葉が、延々と出てくる。今すぐ頭をかきむしりたい衝動に駆られるほどに。

 

 それでも、心の中に僅かに残っている臆病な虫が、言い訳がましく囁いた。

 

 ――仕方がないじゃあないか。あんな色っぽい姿で近寄られたら……

 

 そんなみっともない思いが浮かびそうになると、タカトシはすぐさま頭を振る。記憶を振り払うように、強く。

 

 明日、ちゃんと謝ろう。ちゃんと、真摯に。

 

 決意を新たにすると、タカトシは勉強道具を持って自分の部屋へ戻ることにした。

 

 

 

 

【ココロとカラダ】

 

 

 

 

 背中に寄りかかっているドア越しに、タカトシの足音が遠ざかっていくのを確認して、カエデはそのままズルズルと床に尻餅をつく。

 

 額に手を当てるまでもなく、自分の顔は風邪でもひいたかのように熱い。酔っ払った経験などないが、きっとこんな感じなのだろう。

 

 ――くっつかれて、集中できなくて。

 

 タカトシの言葉が、頭に浮かぶ。あんな事を突然言われてしまい、カエデは思考が完全に真っ白になってしまったのだ。

 

 そんなつもりはなかった。あの時は、あくまでも家庭教師のような立場で勉強を教えていただけなのだから。しかし、タカトシにとってはそうではなかったらしい。

 

 ――温かくて、甘い香りもするし。

 

 ぐるぐると彼の言葉が頭を駆け巡る。確かに言われてみれば、少し密着しすぎていた。タカトシからではなく、自分から近寄って。

 

「や、やだ……匂いまで嗅がれていたなんて」

 

 いつも乙女として身体は念入りに洗う。それでも、彼に嗅がれているとなれば動揺するだろうし、何より不安にもなる。

 

 首筋あたりとか、髪の匂いとか……大丈夫だったかな。

 

 ――身体がくっつきそうで……

 

 ああっ! カエデは思わず頭を抱えた。

 

 そうだった。くっついていた。しかも、肩を密着させるように。

 

 そして……胸。

 

 そこに思い至れば、勉強中は集中していたので気づかなかった事実が次々と思い出される。彼の二の腕に押し付けていた。まったくの無意識に。

 

 両腕で身体を抱く。自分の膨らんでいる胸が、ぎゅっと締め付けられた。

 

「わ、わたし……誘惑、してたんだ。タカトシの、こと」

 

 ちっとも気づかなかった。真面目に接していたつもりが、実はまったく逆の事をしていたなんて。

 

 確かに意識してやっていたわけではなかったと、言い訳をする事はできる。でも、思春期男子を相手にそんな事をしていたというのは、果たして事故でしたで済まされるのだろうか。

 

「ああ、もう。どうすればいいんですか……!」

 

 カエデは両手で顔を覆い、頭を左右にブンブン振った。明日から、どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。

 

 悶える彼女の姿は、自分の部屋に戻ったコトミに見られるまで飽きることなく続いた。

 

 

 

 

【謝ろうとして】

 

 

 

 

 次の日の津田家。早朝。

 

 早速謝ろうと意気込んでいたタカトシ。そこへ、珍しく早起きしたコトミが一言。

 

「タカ兄。五十嵐先輩、もう行っちゃったよ」

 

「あ、うん」

 

 出鼻を挫かれた。

 

 

 

 

 この日は、七条家によるミステリーツアーの開催日。

 

 そのツアーにて、彼らが再び大きな事件を経験することになるであろう事は、この時のタカトシ達には知る術などなかった。

 

 

 

 

つづく

 

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