生徒会役員共 ~Ifの世界~【完結】   作:玖堂

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君と越えるひとつの年。

過去よりも温かく。

過去よりも傍に。

キミの大切な人たちが受け入れて。

胸に鳴る音は。

鐘の音を持ってしても消せなくて。


宵闇の中で鐘は鳴る

 

【認められるとき】

 

 

 

 

 誕生祭が過ぎて、瞬きのような時間の経過を感じるこの日は、年越し前の大晦日。

 

 今年1年を締めくくる最後の日。街中では来年への期待と不安に満ちた声で賑わっている。

 

 いくつかの食料品販売を中心とした店舗は午前中に閉店し、午後は年を越すために実家に帰る者や友人達の家に集まる者達がせわしなく街中を歩く。

 

 そう。年越しに恋人と共に過ごすカップルも。

 

「買い出し、なんとか間に合いましたね」

 

「はい。駅前のモールまで行ってしまいましたけれど」

 

 津田タカトシ。五十嵐カエデ。

 

 今日の6時まで営業しているというスーパーには、年明けまでに必要な食材を購入しようという客で溢れかえっていた。どうにか自分達の買い物が終わった後も、しばらくあの店にはごった返しが止まないのだろう。

 

「頼まれていた分は、これでおしまいでしたね」

 

「ええ。新しい緑茶も買いましたし」

 

 メモ帳を見るまでもなく、買い出しを終わらせながら歩く2人。道端にはアスファルトの隅に、僅かな白い結晶。一昨日に、ほんの少しだけ積もる程度の雪が降ったのだ。

 

 冷たい風が吹く。それでも、彼らの足取りはゆっくりだ。こういう2人の時間を少しでも長く味わっていたいから。今年最後の一日は、少しずつ終わりを迎えているのだ。

 

 あと一時間もすれば夕暮れになる。2人は今年一年の話題をポツポツと話しながら、通りすがりの少ない歩道を歩いていた。

 

 片や、2年生になったこと。片や、3年生になったこと。修学旅行やハロウィンイベント、海の家のアルバイト。そしてミステリーツアーに、テーマパークのデート。

 

 そして、その夜の事までは・・・・・・言わぬが花、というものである。

 

 聖夜の情事に関しては、誰にも話すつもりはなかった。流石にデートを直接目の当たりにした出島サヤカと執事の橋高は除くとして、少なくとも学園関係者には。

 

 もっとも、自分自身の家族には何も言わずとも気付かれていた。デートをした男女が朝帰りしたとあっては、誰でも察する。

 

 知っているのは、カエデの家族。そしてタカトシの妹であるコトミ。相変わらず出張の多い彼の両親は、年明けまで帰ってこないので問題外。

 

 少し年上らしきカップルと、横断歩道ですれ違う。あの2人にも、きっと他人では分からない時間やふれあいがあって、今の関係になっているのだろう。カエデは、自分達もまたそんな世間の恋人と同じように街中を歩いているのだと思うと、ちっぽけな誇らしさを覚える。

 

 ――――以前は、ただ男に怯えるだけの少女だった。

 

 男の目が怖い。男の声を聞きたくない。男に触れられたくない。人が集まる場所へ行くたびに、男を避けることばかり考えていた。

 

 しかし、今は。

 

 まるで別人のように大きく変わっていることに、ひどく静かな感慨だけがあった。そして、それはきっと一つの終わりなのだろう。何かが始まるために、それまでの何かが終わる。

 

 そこで、足が止まった。

 

 特に緊張を覚えることもなくカエデは玄関のドアを開け、ただいまと廊下の奥にいるであろう誰かに言う。

 

 おじゃまします。タカトシの声が、その後に続く。

 

 言うまでもなく、カエデの家であった。

 

 かつて、一度だけ訪れたことがあり、それ以降は数日前までずっと彼女の自宅など来ることもなかった家。

 

 そう。数日前までは。

 

「あらあら、お帰りカエデ。タカトシ君も。お買い物なんか任せちゃって、すみませんでしたねぇ」

 

 リビングのドアが開き、1人の女性がにゅっと顔を見せた。

 

「いえ。お気になさらず。カエデさんと一緒に出かけられましたし」

 

 ニコリと微笑みながら答えると、カエデも嬉しそうに笑う。

 

「うん。夜になるまでは時間も空いているから」

 

「あまり気を遣わなくていいんですよ。せっかく来てくださったのですから」

 

 買い忘れの具材などを少し買いに行っただけだ。後は自腹でお茶の茶葉を。別段気を遣われるようなことはしていない。

 

「俺が勝手についていったんです。本当に気にしないでください、カエデさんのお母さん」

 

「いやだわ。本当によくできた子ねえ、タカトシ君は」

 

「あの、そろそろいい?」

 

 と、そこでカエデが口を挟む。彼女はどこか言いにくそうに。

 

「お母さん。もう少し近寄った方が、話しやすいと思うけれど」

 

 リビングから半分だけ顔を出して、玄関と距離をとったままの女性。その彼女は、娘のツッコミにビクリと震え上がった。

 

 “まだ”遠い。タカトシとカエデは、そう思った。

 

 母親。そう、カエデの母親、五十嵐アヤコである。

 

 思えば、彼女との出会いは今でも忘れられない。事前にカエデから聞いてはいたものの・・・・・・

 

 

 

 

 ――――お母さん、ただいま。一応連絡は伝わっていたと思うけれど、勝手に泊まっちゃったりしてごめんね。

 

 ――――いいのよ。せっかくホテルの宿泊券が当たったんでしょう。ところで、カエデ。後ろにいる人はお客さん?

 

 ――――あ、うん。紹介するね。いきなりで驚くと思うけれど、私の恋人なの。

 

 ――――初めまして。津田タカトシです。カエデさんには、いつも・・・・・・

 

 ――――・・・・・・・・・・・・・・・・・・はう。

 

 ――――お、お母さん!? お母さんが弁慶状態に!!

 

 ――――だ、大丈夫ですか! お義母さん、しっかり!!

 

 カエデだけではなく、タカトシもうっかり字を間違えてしまうほど慌てつつも介抱に入り、どうにか母親は一命を取り留めたのであった。

 

 そして、目が覚めた後。

 

 ――――し、失礼いたしました。まさかカエデが、あのカエデが・・・・・・!

 

 ――――え、あ、はい・・・・・・

 

 ――――お、お母さん!?

 

 正気に戻って早々、まるで猛獣に怯える子供のように全身を震わせるアヤコに、2人は狼狽えた。どうにかタカトシの存在は認めてもらったものの、彼のことを恐ろしげに見る姿は、なかなかに彼としても堪えるものがあったが。

 

 認めてもらったというよりは、怯えていたので終始頷くことしかできなかったというべきか。

 

 ちなみに、父親は最初から容認。母親と一緒に家にいた父親は、第一印象こそ少し頑固そうな印象を受けはしたものの、話してみれば気さくでおおらかな中年男性であった。

 

 名前は、五十嵐エイスケ。地元の市役所に勤めているという。

 

 どうやら、もともとカエデがいつまでも彼氏を作らないことに、若干やきもきしていたとすら言われた。その辺りは、流石に親として心配だったんだろうなと感じた。

 

 

 

 

 まあ、なにはともあれ。

 

 タカトシはこの日も、カエデの家にお邪魔することになったのである。

 

「それでは、これが買い物の品です」

 

「ど、どうも・・・・・・」

 

 タカトシは目の前に吊されている釣り具の先に、買い物袋をかけてあげる。釣り具の持ち手を手にしているのは、もちろんアヤコ。釣った魚を回収するようにスルスルと自分の手元に持っていった。

 

 彼女は買い物袋の中を確認すると、いそいそとリビングに入っていく。その後ろ姿を見ながら、なんとも複雑な目で2人は顔を見合わせた。

 

「・・・・・・」

 

「うん、タカトシ。言いたいことはなんとなく分かっていますから」

 

「なんていうか、言いづらいんですが・・・・・・」

 

 まるで、初めて会ったときのカエデのようだ。とは、流石に口には出せなかった。結婚していて子供も産んでいる訳なのだから、少なくとも男性恐怖症というわけではないのだろう。

 

 それでも、あの反応はない。タカトシはそう思った。

 

 それでも、カエデには彼の気持ちが手に取るように分かる。そう思われるのは覚悟していたから。

 

 簡単な事だ。“あの”カエデが男を作るなどあり得ない。その長年の強い思い込みが木っ端微塵に破壊されたショックで、こうなったと。

 

「タカトシと付き合っているという話は、随分前から伝えていたんですが。その度に、気を失って倒れてしまうんです」

 

「あの時は、初めて顔を合わせましたから、目を逸らしきれない現実が迫った結果・・・・・・ということですか。なんだか、悪いことをした気分ですね」

 

「いえ。誰も悪いことをしてはいないはずなので、謝ることなど無いと思うのですが」

 

 別段、日常生活に支障は無いし、タカトシの存在に対しても受け入れている。実際、カエデに恋人ができた事実に関しては、もう驚きの色すらない。問題は心だ。

 

 というか、カエデは幼少時代から今までの間、家族の前でどれだけ男性に怯えていたというのだろうか。

 

「まあ、今思えば恐怖症の発症当時は、お父さんすら触れたくもなかったほどで。あの時のお父さんの顔は、今でも思い出せます・・・・・・」

 

 恥ずかしそうに俯くカエデ。過去の黒歴史を口にするのは、なかなかに勇気がいるものだ。

 

 当時の父親は、怖がりな子供が初めてバンジージャンプに挑戦した時のような顔をしていた。愛娘に拒絶された時は、さぞ泣きたくなるくらいにショックだったのだろう。

 

 五十嵐家。誰もが異性絡みでショックを受ける家系であった。

 

 いや、そんな五十嵐家にも例外はいる。あくびをかみ殺しつつ、自分の部屋から出てくる女性が1人。

 

「ん。カエデ、もう帰ってきたわけ?」

 

「姉さん。もしかして、今起きたの?」

 

 五十嵐ヤヨイ。ノロノロと階段を降りながら、こちらに姿を見せてくる。

 

「いや、せっかくの年末だからさ。今日は夕方まで寝ておこうかなって。彼氏と初日の出を見る約束あるし」

 

「もう・・・・・・年末だからって」

 

 呆れた口調ではあるが、そこに咎める色はない。姉にも恋人がいるのだから、今のうちに休んでおこうという気持ちは分からなくもないのだ。

 

「って、あら。津田君じゃない。久しぶり」

 

「どうも、ご無沙汰しております。そういえば、最後に会ったのは随分前でしたね」

 

 カエデの後ろにいるタカトシに気付き、笑みを深めて近寄ってくる。タカトシの事は、ヤヨイも恋愛感情抜きで気に入っているのだ。

 

「そうねえ。クリスマスの次の日に朝帰りしてきたんだってね。朝から大学の講義があったから、惜しいトコ見逃しちゃった」

 

「見逃した?」

 

「もちろん、カエデが処女捨てた朝の顔」

 

「ブッ!」

 

 吹き出したのは、タカトシではなくカエデ。顔を真っ赤にする妹に構わず、言葉を続けるヤヨイ。

 

「ヤッたんでしょ、最後まで。カエデに訊いてもすぐ話を逸らすから、津田君に話を聞こうと思って」

 

「姉さん!」

 

「諦めなさいな。クリスマスデートの夜明けに朝帰りなんて、どう考えても言い訳できないでしょ。まさか一晩勉強していたとか、カラオケでもして遊んでいたとかなんて、つまらない話はないでしょうね」

 

「・・・・・・」

 

 何も言い返せずに口をパクパクさせるカエデだが、そんな彼女の腰をポンと叩く男がこの場にいた。

 

「そうですね。本当に思い出に残る夜でしたよ、もちろん」

 

「タ、タカトシ・・・・・・」

 

「わお。でも、私が訊きたいことはそういう比喩表現じみた事じゃあなくて」

 

「ですから、しました。キスも、ヤヨイさんが想像しているようなことも」

 

 堂々と、ヤヨイの目を見て言い切るタカトシ。絶句するカエデをよそに、あらと目を瞬かせる姉。

 

「だから、カエデさんのご両親に会いたいと思ったんです。カエデさんも、その意を汲んでくれました」

 

 一瞬の沈黙。ヤヨイは、どこか満足そうに頷くと、タカトシの方をパンパンと叩いた。

 

「合格ね。やっぱり、君みたいな子なら文句はないわ」

 

「それはどうも。俺のこと、もしかして生半可な気持ちで付き合っている男だと思っていたんですか?」

 

「さあ、どうかしら」

 

 まあ、とりあえず家に上がってちょうだいというヤヨイに、お邪魔しますと従うタカトシ。

 

 カエデは少しだけポカンとしていたが、ヤヨイがそっと妹だけに聞こえるように言った。

 

「あんた、幸せ者ね」

 

 用は済んだとばかりに、ヤヨイは自分の部屋へと戻っていく。私も彼氏と頑張らなきゃとわざとらしく言いながら。

 

 カエデの中で、何かが温かくなっていくのを感じる。ヤヨイは、タカトシを試したのだ。その試験に、彼は目の前で合格した。

 

「タカトシ。私も手伝いますから」

 

 今日は当然ながら年越しそばだ。今のうちに、天ぷらの準備を始めておこう。

 

 

 

 

【彼女が彼女になったわけ】

 

 

 

 

 時間は遡って、大晦日の前日。

 

 いくら恋人同士といえども、相手側の家に一晩厄介になるというのは、いくら何でも非常識・・・・・・のはずだった。

 

 確かに大晦日や年明けは自重し、家族でゆっくり年の瀬を迎えるのが一般的である。しかし、現に妹である津田コトミは友人の家で過ごすらしく、両親は海外で年を越す。遠戚になった魚見チヒロは、両親と一緒に実家の祖父母の家に。

 

 こうなると、タカトシは家に1人だけ。別に寂しいというわけではなかったが、生徒会役員である天草シノや七条アリア、萩村スズもまたそれぞれの家で過ごすという。なんとなく、仲間はずれになったような気分だった。

 

 今年は留守番のままで過ごすのかと思っていた矢先、連絡が入る。相手は、カエデの姉であった。

 

 カエデと恋人同士になってからというもの、ヤヨイは希にこちらへ連絡を入れてくるのだ。カエデの中はどうだとか、今度のデートはいつだ、とか。

 

 完全な野次馬根性ではあったが、タカトシは特に隠すこともなく伝えていた。話をしても構わない範囲で。

 

 と、そんな会話の中。

 

 ――――ああ、そうなんだ。津田君、年明けをぼっちで過ごすんだ。

 

 ――――言い方はアレですが、そうです。別に俺は構わないんですが。寂しがるほど子供じゃあないつもりですので。

 

 ――――だったら、うちで過ごしなよ。

 

 ――――え?

 

 そんなこんなで、この現状と相成ったのである。

 

 この出来事があったことを知ったカエデは当然、タカトシに謝罪する。姉が強引に話を進めてしまって、と。

 

 それに、タカトシは自然とこう返した。

 

 お言葉に甘えてしまったのは俺の方なんです。むしろ、カエデさんと一緒に年を越せることが嬉しくて、と。

 

 その一言に撃沈するカエデを面白そうに見るヤヨイの顔は、なんとも策士としか言いようがなかった。

 

 ちなみに、父親のエイスケは一言の元に同意。しかもタカトシを見るなり、

 

 ああ、君がうちのカエデをもらってくれる物好きか。はっはっは――――と。

 

 失礼極まりないと思われるかも知れないが、これがカエデの父親、エイスケのスタンスなのであった。

 

 きっと、カエデの筋金入りの生真面目さは家族を反面教師にしたに違いない。特定の事柄に関してはすぐに気絶するという点だけは母親似のようだが。

 

 もちろん。誘ってくれたことは素直に嬉しい。本当にありがたいと思う。流石に気を遣わなければいけないことは確かだが、年明けを恋人と過ごせるというのはタカトシにとって願ってもない話だったのだ。

 

 しかし、だ。時間軸を戻して、今は夕食の年越し蕎麦を食べた後。

 

「タカトシくん、もう一杯注いでくれぇ!」

 

「はいはい、ただいまっと」

 

 今年もあと約3時間で終わるというときに、エイスケはすっかり出来上がっていた。

 

 蕎麦では今ひとつ腹が膨れないということで、いつの間にか始まった年末の酒盛り。一升瓶は当然のように中身が空で、ワインのボトルはそこらに何本も転がっている。

 

 リビングのテーブルには、夜食として多めに作っておいた揚げ物。年越し蕎麦の具材の残りで作ったあり合わせだが、五十嵐一家には好評だった。

 

「タカトシって、駅前のレストランでアルバイトをしているのよ」

 

 カエデにそう説明され、エイスケ夫婦がとても驚いたのは記憶に新しい。なんでも、あの店は一つ星間近ということで有名なのである。その店長にメニューをいくつか採用されている事実を知って、将来は料理人なのかと言われた。

 

 もちろん、タカトシは否定。将来は医者志望であることを告げると、とても感心された。医者の妻になるのかと両親がカエデに訊ねると、顔を赤くして俯くしかない。

 

 そうして、それぞれの目標や人柄を色々と話し合いながら時間は過ぎていった。エイスケの酒の席に付き合いながら。

 

「いやあ、このワインも値段の割には上質だな。さすがタカトシ君が持ってきてくれただけのことはあるぞ!」

 

「あ、お父さん。今度はそっちのも飲ませて」

 

 タカトシは未成年ではあるが、調理用にワインを使うので、父親に頼んで何本かを買い溜めしている。店が扱う酒にも詳しく、今五十嵐家で呑んでいるのは全て彼が持ってきたものだ。

 

 実際にイタリア料理店で使われている酒なので、好評なのもある意味では当然だ。飽きさせないように日本酒も持ってきているが、それは姉のヤヨイが飲んでいる。

 

「あ、ちくわの天ぷらちょうだい」

 

「もう。ちょっとくらい休ませてよ」

 

 長女の注文に、母親のアヤコは不満を言いつつも台所に立って揚げ物を作り続けている。夫と娘のこういう所はもう慣れているのだろう。

 

「あの、アヤコさん。疲れたのでしたら、俺が代わりましょうか?」

 

「ひいっ! アナタは台所に入ってこないで!!」

 

「その反応は傷つきます」

 

 本気で怯え、台所の隅に隠れようとするアヤコ。それを見かね、呆れた調子でカエデが台所に入る。

 

「ああ、もう。私が代わるから、お母さんもお父さん達とゆっくりしていて。タカトシは、引き続きお父さん達の相手をお願いします」

 

「いいんですか? アヤコさんが俺と一緒だと怖がるかもしれませんし、俺の方が1人で台所にいた方がいいんじゃ」

 

「いいんですよ。お父さん、まだタカトシと話し足りないでしょうから」

 

 その通り。エイスケはかなり絡み酒らしく、さっきからやたらと話しかけてくる。向かい側に座っているヤヨイは慣れたもので、時折よいしょしつつも話を合わせていた。まあ、さっきからタカトシの酒を褒めているだけなのだが。

 

「いいかね。つまり恋人と付き合ったばかりの男というものはデートなどのあらゆる付き合いで失敗しないように、あらかじめ仮面を被っているものなのだよ。それが、日を重ねるごとに少しずつメッキが剥がれていく。これでは彼女に悪印象を与えてしまう。そのために――――」

 

「そうですか。要約すると昔、一番初めに付き合っていた女の子にフラれた時のエイスケさんがそうだったと」

 

「ぐはあっ!」

 

 タカトシとしても、とりあえず調子を合わせているという感じで、さっきから2人の酔っぱらいの相手をやり過ごしていた。やり過ごしているというよりは撃沈しているという様子だったが、どうでもいい。

 

「津田君って、仮にも彼女のお父さん相手に結構言うのね。特にツッコミに容赦ないというか」

 

「まあ、家族や学園の人たちで鍛えられていますから」

 

 大したことはありませんと、当たり前のように言うタカトシ。普段からどれだけボケをしている人間が彼の周りにいるのだろうか。少しだけ気になったヤヨイであった。

 

「ま、まあ。とにかくだ」

 

 胸を押さえつつ、エイスケが顔を上げた。ふざけた表情ではあったが、目だけは先ほどまでと違ってタカトシをまっすぐに見ている。

 

「?」

 

 いっそ沈痛と言ってもいいほどの目に、タカトシも思わず背筋を伸ばす。これは、真面目に受け答えをしなければいけないようだ。

 

「・・・・・・なあ、タカトシ君。うちの娘、どう思うかね?」

 

「そうですね。一言で言ってしまえば、素敵な人です。いつの間にか、カエデさんに心を掴まされていましたから」

 

 そう。いつの間にか、だ。チラリと台所を見ると、いつも見慣れている後ろ姿で母親と洗い物の手伝いをしている。いつまでも見飽きない、彼女の後ろ姿。

 

「あの子はね、本当に男という存在を拒絶していた。昔から、ね」

 

 それは、もう何度も聞いた男性恐怖症の話。それが、父親からの目線で語られた。

 

「小学校低学年の頃だったかな。ある日、あの子は今まで見たことがないほど大泣きしながら家に帰ってきたんだよ。私たちも慌ててしまうくらいにね」

 

「初めは、本当に些細なからかい程度だったのよ。男っていう漢字を練習していたときに、クラスの男子から面白半分で、欲求不満なんじゃないのかって言われたみたい」

 

 父親の話を、姉が引き継ぐ。タカトシは、黙って聞いた。

 

「けれど、カエデにとってはからかいなんてものじゃ済まなかった。次の日に学校に行くと、クラスの男子のみんながカエデを悪く言い始めたのよ。噂って、広まると本当に尾ひれ背びれがつくのよね。分別のつかない小学生ならなおさら」

 

「そう、ですか」

 

 いじめ。れっきとした社会問題だ。そんな過去があったなんて、タカトシは初めて知った。

 

「結局、小学校を卒業しても、中学校を卒業しても、カエデはずっと男には心を開かなかったよ。親戚の叔父にすら、距離を取ってしまうくらいにね」

 

 男子が触れたものには、決して触れない。話をする時は、相手と絶対に触れられない距離を保つ。いつしか、カエデの周りには男の方こそ近寄らなくなっていた。

 

 それでよかったと安心したのは、カエデ1人。周囲の女子は男子と接して友好を深め、恋人を作っているというのに、彼女1人だけは変わらない。

 

 学生の間までなら、まだいい。しかし、社会に出れば必然的に男性と接しなければならなくなる。そのとき、きっとカエデは耐えられない。

 

 そして、どれだけ彼女が優秀でも、添い遂げる誰かはずっといないまま。

 

 エイスケは残ったワインをぐいっと飲み干す。彼は穏やかに微笑みながら、こちらを見た。

 

「だから正直、カエデが君と恋仲になっていることを知ったとき、本当に驚いたよ。アヤコなんて現実が認められなくなるくらいにね」

 

「カエデさんが、そう言ったんですか?」

 

「言ったわよ。初めに教えたのは、カエデが津田君の家にご飯を作りに行った時。お母さん、ショックで倒れちゃった」

 

 それはそうだろう。タカトシは思った。しかし、いま気にしなければいけないのは、そんな事ではなく。

 

「そう、ですか。俺は、カエデさんの支えになれているんですね」

 

「むしろ、君が一番の支えだよ。君を意識するようになってから、カエデは男の事でもよく話題に出すようになった。以前までは考えられなかったことだ」

 

 そうだ。タカトシを意識するようになってから、カエデは彼だけではなく、後輩の男子や教師、親族にも少しずつ接し方を変えはじめていた。僅かでも近寄ろうとしている姿は学園内でも良く目にする。

 

 そのおかげか、これまで近寄りがたいと感じていた男子達も、カエデによく挨拶をしたり話しかけたりするようになっていた。流石に触れあうことまでは行かないにしても、以前のように怖じ気づいたり逃げ出したりするそぶりは見せなくなっている。

 

 それでも、まだ不意に男とぶつかってしまった時や、偶然指が触れあうという事にはまだ慣れていない様子で、立ったまま気絶するという騒ぎはまだ根強く残っているようだが。

 

「・・・・・・少し、妬けますね」

 

「何がだい?」

 

 そっと呟いたつもりだったのだが、エイスケには聞こえていたようだ。

 

「カエデさんが俺以外の男にも歩み寄ろうとしているところ、です」

 

 独占しているつもりだったのに、とタカトシは至極真面目な顔で言う。エイスケとヤヨイはその気持ちを聞いて、ポカンとした顔をする。

 

 一瞬の間。その後、2人は声に出して笑った。思わず、台所に立っているカエデとアヤコが振り向いてしまうほどに。

 

「なんですか?」

 

 笑われる理由に心当たりが無いタカトシは、目の前の親子の反応に眉根を寄せる。心外だ。こっちは真剣に話しているのに。

 

「ああ、すまない。なんでもないよ」

 

「ほんっと、うちに津田君みたいな人が来てくれて良かったわよ」

 

「?」

 

 

 

 

【エンカウント】

 

 

 

 

 そして、時刻は日付が変わるまで1時間を切った頃。

 

 五十嵐一家とタカトシは、地元の寺へ足を運ぶことになった。

 

 普段ならば就寝しているはずの小さな子供も、今だけは外を歩いていても全く不自然には思われない大晦日の夜。家族や夫婦が年明けを心待ちにしながら、ゾロゾロと街中を歩いている。

 

 この辺りにある寺は、ちょっとした観光スポットとしても有名だ。1000年近い歴史があり、海外からの観光客も多数来訪する。去年も、初詣には数十万人もの参拝客が訪れたほどだ。

 

 そして、この大晦日の夜もまた、参拝客の増加を思わせるほどの人々でごった返していた。

 

「さて、アヤコ。少し屋台を回っていこうか」

 

「え、ええ。そうね。2人で行きましょう、2人で」

 

 チラチラとタカトシを怯えたように見ながら、エイスケを引っ張るようにその場を離れようとするカエデ母。そろそろ慣れてほしいものなのだが。

 

「それじゃあ、私も馬に蹴られたくはないから。逆ナンでもしながら時間を潰しているわ」

 

 手をヒラヒラと振りつつ、人混みの中に紛れていくヤヨイ。まるで予定調和のように2人きりになってしまうタカトシとカエデ。

 

 まあ、今はその気遣いに感謝しよう。2人はそっと目線を交わして、意思疎通を終わらせる。

 

「それじゃあ、俺たちも歩きましょうか」

 

「そうですね。それじゃあ、屋台を見回りながら」

 

 ふふっと笑い、2人はエイスケ達とは逆回りに境内を歩くことにした。

 

 道中、2人は他の参拝客に紛れつつも、色々な屋台の店を回る。飲食スペースも設けられており、当たり前のように満席だった。

 

 おでんやたこ焼きといった、定番の店。お腹が減っていれば、自分達も何か買っていたかもしれない。

 

 ゆっくりと歩く。ふと気付くと、飲食スペースの隅に、テレビカメラを抱えた男性とマイクを持った女性が何事か向かい合って話している。

 

「へえ。テレビの取材が来ているんですね」

 

「このお寺も、歴史がありますからね」

 

 年越しの生中継に選ばれる寺。なんだか、地元の人間として少しだけ誇らしくなってしまう。

 

「もう、タカトシ。ダメじゃない」

 

「え?」

 

 突然咎められ、目を白黒させるタカトシ。カエデの手が、そっと彼の首元に触れる。

 

「マフラーが乱れています。そんな姿でカメラに映ったら、みっともないでしょ」

 

「あ、本当だ」

 

 どうやら、人混みの多い中で歩いているうちに首からズレてしまったらしい。彼女は慣れたように乱れを直してくれる。

 

「すみません。気付かなくて」

 

「いいですよ。それより、タカトシもたまにはこういうミスをするんですね」

 

「まあ、俺も人間ですから」

 

 そんなやりとりをしながら、そのまま生放送の取材陣から通り過ぎようとしていた2人だが、唐突に遠くから声をかけられる。

 

「すみませーん」

 

 女性リポーターがトコトコと駆け寄り、カメラマンを初めとした取材陣がそれについてきている。

 

 それがなんと、タカトシ達の前で止まった。どうやら、2人にインタビューをするつもりらしい。

 

「今、カップルを中心に年越しのコメントをお願いしているのですが」

 

「あ、いや・・・・・・」

 

 カメラはこちらに向けて回っている。しかも生放送で。

 

 思わず顔を見合わせる。タカトシは諦めたように、肩をすくめた。その反応に、カエデは苦笑いするしかない。

 

 まさか、逃げるわけにもいかないだろう。できる限り、素直な気持ちでインタビューを受けることにした。

 

 そう。自分達は紛れもないカップルなのだから。

 

 

 

 

【誰からだろう】

 

 

 

 

「ありがとうございましたっ」

 

 陽気なレポーターと取材陣が2人の前から去って行く後ろ姿を見送り、タカトシはふうと息をついた。

 

「ふるえるくらい緊張した。まさか、こんなところで取材を受けるなんて」

 

「ごめんなさい。ほとんど、タカトシに任せちゃっていましたね」

 

「いいんですよ。カエデさんの方こそ、ずっと緊張しっぱなしだったでしょう?」

 

「だって・・・・・・いざ他の人からカップルって言われると、どうしても意識しちゃうんです」

 

 恋人同士になって半年ほど経っていないが、カエデは未だにこういうやり取りには慣れない。2人きりなら、まだまともなのに。

 

「さて。ここで立っていても仕方が無いし、そろそろ歩きませんか?」

 

「はい。飲食スペースはまだ空きそうにありませんし」

 

 でも、とカエデが続ける。何です、とタカトシが訊いた。

 

「ポケットの中のケータイも、ふるえていますよ?」

 

「あ」

 

 タカトシは、今更気付いた。

 

 

 

 

【娘の背中】

 

 

 

 

 1000人近くの参拝者が見守る中、除夜の鐘は鳴った。

 

 住職が年期のある鐘を鳴らす姿はテレビにも映され、周囲も年明けの瞬間を感慨深く受け入れている。

 

 レポーターが何事かカメラの前で話をしている姿を遠目に見やりつつ、タカトシはカエデに向かい合う。

 

「カエデさん。明けましておめでとうございます」

 

「タカトシ。明けましておめでとうございます」

 

 ペコリと、頭を下げる。周囲の視線が集まったような気もしたが、それも一瞬だ。

 

「明けましておめでとう、ダイキ」

 

「明けましておめでとう、カナエ」

 

 タカトシ達の近くにいたカップルも、2人のやり取りを見て同じように真似る。一組、また一組と新年の挨拶を初めていく。

 

「・・・・・・あ、はは」

 

「ちょ、ちょっと恥ずかしいですね」

 

 裏表のない、信念の挨拶のつもりだったのに。それがまさか、周りの見本になるとは思わなかった。

 

「あらあら。さすがは我が妹よね」

 

 冷やかすように現れたのは、姉のヤヨイ。手には湯気の立ったおでんの入った器を持っている。どうやら、まだ食べ足りないらしい。

 

「ははは。新年早々、見せつけてくれるなタカトシ君」

 

 父のエイスケも、甘酒の入った紙コップを持っている。こっちはまだ飲み足りないようだ。

 

「・・・・・・」

 

 そして、どこか複雑そうな顔でエイスケの一歩後ろをついてきているアヤコ。

 

「はは。お恥ずかしいところを見られちゃいましたね」

 

 照れ隠しに笑うタカトシ。エイスケは、なんのと笑い飛ばす。

 

「それで、2人はこれからどうするの。私たちは、もう少し見て回るつもりだけど」

 

「そう、ですね。カエデさんは、どうしますか?」

 

 カエデに話を振る。とりあえず、恋人の意見も聞いてみたい。

 

「私は・・・・・・タカトシと一緒にいます。一緒に初日の出を見るって約束しましたので」

 

「わかりました。それじゃあ、俺たちももう少し回ってきます。時間になったら、電車で浜辺の方へ向かいますから」

 

 一緒に回りますかとは言わない。五十嵐一家の後ろを、タカトシがチョコチョコとついていくような図になってしまうから。

 

 それを察しているヤヨイは、それじゃあごゆっくりと2人を送り出した。会釈し、人だかりの中へと消えていく2人。

 

 その後ろ姿を見送りつつ、エイスケは己の妻に声をかけた。

 

「本当に、今時珍しいくらいのいい男だ。あの子のあんな顔を見ても、まだカエデに恋人がいると信じられないのか?」

 

 夫の問いかけに、アヤコはやはり複雑な目で2人が消えていった先を見ている。だがその視線は恐怖や現実逃避の類いではなく、納得しなければいけないものを受け入れかねている様子。いってみれば、渋々現実を認めようと自分に言い聞かせているようでもあった。

 

「カエデが男の前であんな風に笑っているのって、いつ以来だっけ。私は、ちょっと思い出せないなあ」

 

 ヤヨイも、それとなく言った。カエデがいじめを受けていた頃より以前に浮かべていた笑顔は、家族の誰も覚えていないのだから。おそらく、カエデ自身も。

 

 そんなカエデに、笑顔を取り戻させることができた男がいると知ったとき、ヤヨイはおろか両親も耳を疑った。それどころか、カエデの心を射止めたとは。

 

 クリスマスの翌日、カエデはタカトシを家に招待した。出会って、すぐに分かったのだ。誠実な、優しい青年であると。

 

「あのカエデが、ねぇ・・・・・・」

 

 ポツリと、アヤコは呟いた。それが何を意味するのか、言うまでもない。

 

 寺の境内は、新年を祝う声が多くなってくる。そんな周囲の中で、五十嵐一家はそっと佇んでいた。

 

 除夜の鐘は、宵闇の中に鳴り続ける。108回までは、まだ遠い。

 

 

 

 

つづく

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