桜才学園。
私が学び舎として通った高校だ。
毎日を厳しく律しつつも、楽しく充実した日を過ごした3年間。
出会いと別れ。未知と発見。そして、あの人が教えてくれた温もり。
同じ制服に袖を通し、明日に胸を躍らせた日々はもう来ない。
だけど、何も恐れることはない。
なぜならば、新たに迎える未来が待っているのだから。
時計の針は、午前11時をとうに過ぎた頃だ。桜が満開になったのは一昨日のはず。これからゆっくりと花吹雪が吹くのだろう。
世間はすでに、引っ越しのシーズンがピークに達する頃だ。この部屋の主となった彼女も、それにあやかって住まいを変えたのである。段ボールがいくつも積み上がった部屋の入り口で、津田タカトシは立ち止まった。振り向くと、女性がドアを押さえて後ろに立っている。
「意外に少ないんですよね。カエデさんの私物って」
彼女の自宅で引っ越しの準備を手伝うときも思ったが、五十嵐カエデの持ち物は少ない。あまり着飾ることが好きではないせいもあるのだろう。
「雑貨が多いと、正直なところ落ち着かないんですよね。もしかして、可愛げが無いって思っていません?」
「そういう意味じゃあありませんって。それに、カエデさんはいつも可愛いですよ」
「・・・・・・もう。どうしてそういう言葉を自然に言えるんでしょうか」
熱くなった頬を冷ますためなのか、彼女はベランダの窓を開けて換気をした。物干し竿の下をくぐり、カエデは外の空気を吸う。
五十嵐カエデと津田タカトシが生まれ育った土地からは、数駅ほど離れた地方都市。あらゆる建物が一望でき、その中の桜の木に囲まれた数棟の校舎があった。日本の中では、かなり名の知れた有名大学だ。
あの校舎こそ、この春からカエデの通う東京學堂大学。
カエデの視線は、真っ直ぐに4年間を過ごす校舎を見つめていた。タカトシは、そんな彼女の後ろ姿を見つめる。
五十嵐カエデは現在、入学式を控えた大学生だ。そして、津田タカトシは桜才学園3年生。
別々の土地で過ごす1年間。いや、タカトシもまた医者という夢を叶えるために医学生を目指している。それはカエデと同じ大学では叶えることが出来ない。
それでいい。学ぶ場所こそ違えど、会いに行けばいいだけだ。距離が出来たとしても、心までを遠ざけることはしない。
もう、そんなもどかしさに悩むことも無かった。今はただ、新しい生活に慣れることだけ。そして、未来を掴むために。
カエデの背中に不安は無い。彼女の腰まである髪が、風に靡いてフワリと揺れた。
彼女はもう、かつての三つ編みを解いている。大学進学と同時に、髪型を変えてみようかなとカエデ自身が言ったのだ。
ややウェーブのかかったロングヘア。パッチリとした瞳に、小さな鼻と唇。どこかのモデルと思わせるようなスレンダーな体型。少女は、確実に大人の女性へと近づいているのだ。
「・・・・・・」
そんな恋人を、タカトシはとても愛おしく思うと同時に、この女性に対して自分は1人の男として、しっかりと満たせているのだろうかという不安に駆られることがある。
その声が脳裏をかすめた時、タカトシは自然と声をかけていた。
「あの、カエデさん」
「はい?」
不思議そうに振り向くカエデ。きょとんとした顔は、タカトシに日本絵画の見返り美人を思い起こさせた。
「これから、少し出かけませんか?」
「お待たせしました」
突然のデートの誘いにも、カエデは嬉しそうに了承してくれた。少しだけ彼女の着替えのために時間を取り、タカトシは一足先に玄関前で待つことにする。
マンションの内廊下は、白をメインとした清潔な空間だった。床には白とグレーのコントラストをデザインした模様。突き当たりまで断続的に並んでいる玄関ドアは、インテリアに近いツヤのある茶色のドア。
このマンションの入居には、それなりに時間がかかったものである。進学を機会に一人暮らしを始めることになった五十嵐カエデは、できる限り希望に見合った部屋を探すことになった。
大学にほど近く、なおかつ家賃も手頃。欲を言えば、オシャレな部屋。
両親はマンションに疎く、姉の五十嵐ヤヨイは一人暮らしの経験が無い。そこでカエデは恋人のタカトシに応援を願ったのだ。彼はもちろん、快く応じてくれた。
そこでタカトシが見つけたのが、大学の校舎が目で見える距離であり、駅からもほど近いこのマンション。他にも候補を見つけていたのだが、ここに比べて家賃や大学の距離の問題で却下となった。
そう遠くない将来、自分もカエデのように一人暮らしをするのだろう。それは桜才学園を卒業してからか。それとも大学で留学をする時か。今はまだ分からない。
数分ほどで、自分の部屋からカエデが姿を見せる。先ほどまでは着慣れた部屋着だった姿も、今ではシックな春先のコーディネイトに変わっていた。
白のシャツにGジャンの姿は、いつもの彼女とは違って少しだけ活動的に見える。春を象徴するように軽やかな白いフレアスカートは誰が見てもカエデの清楚さを際立たせていた。
彼女とのデートはこれが初めてでは無い。だというのに、タカトシは思わず彼女のオシャレな私服に目を奪われてしまう。
「どうしましたか?」
「いえ・・・・・・似合っていますね、それ。新しいやつですか?」
「は・・・・・・はい」
少しだけ、カエデは嬉しそうに笑う。そういう所に気付いてくれるのは、恋人として嬉しいものがあった。
「そういえば、タカトシにこの街を案内するのって、まだでしたよね」
「はい。この辺りは、まだ不案内でして」
「じゃあ、人の多そうな場所まで行きましょうか。ウインドウショッピングなんてどうです?」
「いいですね。ゆっくりと見て回ってみたいです」
そんな、春の息吹を感じる空の下。一組のカップルはまだ知り尽くしていない街に向かって歩き始める。
少しの緊張を自覚しつつ、タカトシはそっとカエデの細い手を握った。彼女は少しだけ頬を染めると、微笑を浮かべて優しく握り返してくれる。
――――いつ触れてもピアニストみたいな指だな・・・・・・ずっと触れていたいくらいだ。
――――やっぱりタカトシの手って大きいですね・・・・・・頼もしくて、安心します。
まだまだ初々しいタカトシとカエデの関係。そんな2人に、内廊下の開かれている窓から春の風が吹く。
そして・・・・・・カエデの清潔な白いフレアスカートの裾が、フワリと大きく浮いた。
真っ先にタカトシの目に入ったのは、一瞬前まで膝の下まで隠れていた五十嵐カエデの、スラリとした2本の脚。
スポーツで適度に鍛えてある引き締まったふくらはぎと、ホクロひとつ無い滑らかな太腿。
そして、そんな美しい脚の付け根。艶めかしいVラインを覆い隠す薄布は――――
「きゃ・・・・・・!」
――――可愛い悲鳴と共に、カエデの手によって隠される。抑えられたスカートが未練がましく浮かぶものの、それは裾をほんの少しだけ靡かせるにとどまるだけだった。
「み、見ました・・・・・・?」
頬を赤く染めて、タカトシを見るカエデ。言われて、やっと自分の視線が彼女の下半身に釘付けだったことに気がつき、背筋を伸ばす。
「え、ええっと・・・・・・大丈夫ですよ。見えたのはカエデさんの綺麗な脚だけでしたから」
「フォローになってません」
この辺りはセントラルタウンの一つとして、若者の間でも賑わいのある街だった。生まれ育った風景よりも一回り活気があり、まさに若者の街といって差し支えない。
駅を僅かに離れれば、アパレル風の男女が歩き回る繁華街。密集した店舗やビル街には、老若男女問わずの人混みが出入りしている。
カエデが始めに案内したのは、そこから僅かに歩いた一角。雑居ビルが建ち並ぶ裏では、割と清潔感のある風景が広がっているらしい。
足を運べば実際、その辺りは良く落ち着いた雰囲気だった。適度に緑のある空間が広がっており、いくつものベンチにはカップルや親子連れが腰掛けていて、並木道にはランニング中の若者の姿も見える。
話を聞くと、この辺りはカエデが自主練の時に、良く運動をする場所なのだという。彼女も運動は好きな方なので、こういう開放的な場所なら楽しく身体を動かせそうだ。
俺もカエデさんと一緒に走ってみたいですねと言えば、それなら次に来たときはウェアを用意してくださいねと約束してくれた。さりげなく次のデートの約束が出来たことが素直に嬉しい。
遠くには建設中のビルが見える。まだまだ開発途中の区域が広がり続けている証拠だ。次はどういう店や会社が、この街に建ち並ぶのだろう。
「あの・・・・・・あそこにある喫茶店、今は入れないんですね」
「はい。レトロな雰囲気が人気だったらしいんですが、先週から改装工事が続いているんです」
大正ロマンをテーマにした、大きい喫茶店なのだという。落ち着いた空気の店は好みなので入ってみたかったが、それは次回のデートに持ち越しになりそうだ。
「カエデさん。あれ、どうです?」
喫茶店の代わりにタカトシが誘ったのは、その道路を挟んだ向かい側にあるクレープの店だった。
「ああ。ジッと見ていると思っていたら、女の子じゃあなくてクレープを見ていたんですね」
「心外ですね」
気が多い男のような扱いをされた。流石にデート中に他の女性に目移りするようなことはしない。いや、カエデが隣にいなくてもやらないが。
タカトシは、一般的に女子が好むとされているケーキやパフェと行ったスイーツ系統は嫌いではない。むしろ、妹の津田コトミと同じように好物だ。
「私も、食べてみたいです。タカトシが進めてくれたんですし」
「先月の学園帰りを思い出しますね」
「あ、いけませんよタカトシ。桜才学園では買い食いは禁止でしょう」
「朝食を抜いてしまっていて、どうしても我慢できなかったんです。それに、近々では朝食目的なら許可をするという案を提出する予定ですので」
「あ、あはは・・・・・・まあ、やむを得ないというのでしたら」
生徒会長の立場を満喫している。カエデは彼が在任中にどれだけ桜才学園が緩くなるのか心配になった。
とはいえ、それは別に悪いことではないのだろう。今の彼女は心の中でそう思う。それが生徒達の過ごしやすさに繋がるというのなら。勉学にメリハリをつけるという意味では、タカトシのような人財はむしろ貴重なのかも知れない。
ほどなくして彼女の手元にはツインクレープという、カップルにおススメの一品があった。アイスとイチゴにバナナがトッピングされていて、いかにも美味しそうだった。
「1人じゃあ食べきれませんし・・・・・・食べてみます?」
「もちろんです」
断る理由などあるはずもない。というか、これを断ったら彼氏の名が泣く。
続いて、カエデも口を近づける。彼女の赤い舌にクリームがのった。思ったより小さい一口欠けたクレープが手元に残される。カエデはそれから、唇の周りを舌でペロリと舐め取った。
それは何気ない仕草だったのかも知れない。それでも、間近で見たタカトシは彼女の唇に目が離せなくなってしまう。
最後の一口になるまで、2人は交互に食べた。この時間が長く続くように、少しずつ。
川が流れる広い公園には、いくつかのベンチがある。すでに何組かのカップルや家族連れが腰掛けているので、2人はそのうちの空いている席に腰掛けた。
話したいことはまだある。たとえ定期的に会っている関係なのだとしても、やはり空白の時間はどうあっても生まれてしまうから。
時には笑い。時には同情的に。周囲のカップルに溶け込んだまま、2人は話題に事欠かない一時を過ごした。
次はどこに行くか、という話になったところで、タカトシは提案した。
映画である。デートとしては定番中の定番だ。カエデは駅前にあるんですよと教えてくれた。タカトシは自分が降りた方とは反対側なので気づけなかったらしい。
「今は何がやっているんでしょうか」
「調べます。映画館の名前を教えてくれませんか?」
タカトシはスマホで検索する。すると、今テレビのコマーシャルに流れている映画が1時間後に始まるらしい。
「これも面白いんじゃないですか。レビューも良かったですし」
今話題の監督作だ。内容は子犬が笑っている少年達に囲まれているハートフルなものが並んでいた。
スマホを覗きあって他のものもチェックしていく。
「あ、これはちょっと気になってた」
どちらかというと曲の方が知名度が高い印象があったが、タカトシは内容の方も見てみたいと思っていたものだ。そのうちチェックしておこうと思っていた。
「じゃあ、これでいいでしょうか?」
「いいんですか?」
「はい。でも、他に見たいものがあれば、そちらで良いんですよ」
正直なところ、タカトシとしてはカエデと一緒に見られるのなら内容はあまり気にしない気持ちでいた。でも、せっかく2人で見るのだから、どうせなら拘りたい。
「ええっと、これ、次の上映まで時間がありますね」
「あ、そうなんですか。それなら、駅前を少し見て回りませんか?」
駅前は、まだ見ていないところも多くある。今のうちにカエデに紹介してもらいたかった。
「食べ物関係・・・・・・は、もういいですね。それなら、図書館か本屋がありますが」
「それでしたら、本屋にしませんか。映画の原作をチェックするのも面白いと思います」
それは良い暇つぶしだ。映画の予習にもなる。
「それじゃあ、チケットを取っておきますね」
「はい」
スマホからシートまで選択できるらしい。
「えっと・・・・・・ここで良いですか?」
少しだけ躊躇するカエデが見せてきたのは、まさにその選択画面であった。
通常の間取りの一部だけ、ペア専用のシートになっている。そこには堂々とカップルペアシートと記載されていた。
「あ・・・・・・ももろん良いですよ。俺たち、カップルなんですから」
やましい事なんてありません。そういうタカトシも、どこか恋人に言い聞かせるような口調だった。
記載にはこうも書かれている。入場時にカップルであることを証明していただくために、手をつないで仲の良さをアピールしてください、と。
「なるほど」
そういえば、この映画は割と恋愛描写も徹底しているらしい。タカトシは今更ながらにそれを思い出した。
このカップルペアシートは料金が通常よりも安く、飲み物も付いてくるサービスもある。確かに、ありがたさはあった。
「それなら・・・・・・よっと」
「あ」
タカトシが、カエデの代わりにスマホを操作する。画面にはカップルシートを購入と表示が出た。
「あ、その・・・・・・どうも」
顔が赤いまま、カエデはそそくさとスマホをバックに仕舞う。やはり、こういう所はまだまだ初心なんですねと、タカトシは思った。
もちろん、そんな彼女も好きなのだが。
「カップルシートのご利用ですね。お手をつないでの入場をお願いします」
時間になり、入った映画で。
スタッフがカップルを誘導しそれに応えて何組ものカップルがゲートをくぐっていた。
こういう少々特殊な入場は、実のところ初めてだった2人。ここまで来ておいてなにをと思うかも知れないが、やはり少しだけ緊張する。
「さ、行きましょうか」
「もうコレ、もらっちゃっていますし」
タカトシとカエデの手元には、大きめの飲み物が握られている。ご丁寧にストローは2つ。・
「な、なんか意識しちゃいますね」
「は、はい」
どうにか覚悟して踏み出したところで、スタッフの女性が近寄ってくる。
「おやおや、カップルシートのご利用ですね」
間延びした、独特の声。間違いなくスタッフのネームプレートを胸元につけているというのに、どこか気の抜けた声であった。
「あれ?」
カエデが声をあげた。ゲートをくぐった2人がスタッフの顔を見ると、そのまま目が合う。彼女は僅かだが微笑んだような気がした。
「ご無沙汰しております」
ポツリとタカトシ達にだけ聞こえる声で呟くと、さり気なく後ろのカップルの対応を始めた。
「・・・・・・タカトシ。今の人って」
「はい・・・・・・間違いなくあの人です」
「映画館の職員の格好でしたし、正規のアルバイトには違いないと思いますが」
「なんでこう、待ち伏せするかのようにここでアルバイトを?」
まあ、それを考えるだけ無駄だということは、在りし日の桜才学園の生活で理解している。考えるだけ無駄だろう。
それにしても、本当に相変わらずだ。挨拶をしそびれてしまったが、それは別に相手も望んでいまい。人の意表を突くのが好きな人だし。
「これじゃあ、桜才学園の関係者に色々と噂を流されそうですね」
「そうですね・・・・・・ふふっ」
なぜか、カエデはこの状況でも楽しそうにしていた。
それはそうだろう。タカトシには申し訳ないが、自分達の甘酸っぱい関係を色々な人に知ってもらえるなら・・・・・・
「さあ、行きましょうか」
「はい。楽しみです」
最初から手をつないでいたこともあって、大きなトラブルもなく館内に入ることが出来た。
――――キミ、なんていう名前なの・・・・・・?
――――私は・・・・・・
主人公とヒロインの言葉を最期に、物語は幕を閉じた。
すれ違う男女が周囲の環境に翻弄されつつも、奇跡としか言えない再会を経て、相手を想い人と確信して声をかけた。そんな、愛の映画。
「・・・・・・良かったです」
カエデは涙もろい話に弱いらしく、物語の後半からは他の観客に混じって嗚咽を堪えていた。
エンドロールが終わった頃に、カエデもようやく落ち着いてくる。2人はまばらになった映画館の席を立ち、外に出た。
「カエデさん。そこのカフェにでも行きませんか?」
「はいっ」
嬉しそうなカエデを見ると、やっぱりあの映画を選んで良かったなと、そう思った。
その後、2人はしばらくの間、映画の話で盛り上がった。名作を見た熱が冷め切っていないので、お互いに会話が途切れることもなく話が進む。
「ヒロインの涙、本当に切なかったですね」
「はい。あそこで男優の演技が細かくて、つい見入っちゃいました」
お互い、感想を口にしていく。そこで、少し息をつこうとコーヒーを飲む。
「あ、そうだ」
タカトシは思いだしたように言う。
「夜の食事、予約しておいたから」
「え・・・・・・?」
目を瞬かせるカエデ。
「あれ。もしかして、もうお店決めていました?」
「あ、えっと・・・・・・嬉しいです」
「勝手に決めてしまいましたもんね。何でしたら、そちらの方でも」
「そうじゃないんですっ」
言ってから、周囲の視線が集まっているのに気付く。少しだけ椅子に座り直す仕草をしてから言った。
「その・・・・・・ディナーの予約をしてくれたのが、本当に嬉しくて。タカトシって、やっぱり気配りが出来る、大人の人なんだなって」
私の方が年上なのに、と少しだけ拗ねたように呟く。もちろん、タカトシには聞こえている。
「・・・・・・いいんです。俺は、そういうカエデさんも」
背筋を伸ばし、真剣な目で。
「本気で、愛しているんです」
「あっ・・・・・・」
かぁっと一気に顔を赤くしていくカエデ。見ていて可哀想になるくらい、俯いてしまった。
「わっ、私も・・・・・・」
顔を上げたとき、彼女の顔は真っ赤なまま。目を潤ませながらも、恋人は言った。
「タカトシのそういう・・・・・・頼りがいのあるところだけじゃあなく、全部・・・・・・愛していますっ」
予約していた料理邸は、本当に美味しかった。カエデは静かなところを好むので、落ち着いた雰囲気の日本料理を堪能できた。
外に出る頃になって、自然と手をつなぐ。すでに夜の時刻となった街明かりの中で、2人は暖かくなり始めた街道を肩が触れあうかどうかの距離で歩いている。
「この辺りって、本当に綺麗なんですよ」
「本当ですね。駅前だと人が多いですから、なんとなく来る人を歓迎するように出来ているんでしょうか」
街路樹が彩られ、ネオンが輝いている。
入学や入社を意識するこの時期を意識しているのだろう。新たな門出を祝う音楽がそこかしこから流れている。
「今日はもう、デートはおしまいでしょうか?」
カエデがそう言いながら、手をギュッと握ってくる。もちろん、そんなわけがない。
「まだ、ですよ。言わなくても分かっているでしょう」
「ふふっ。そう言ってもらいたかったんです」
コツンと額を合わせるタカトシに、カエデはにこやかに微笑んだ。
2人はまるで照らし合わせたように、昼間クレープを食べた公園へ足を運ぶ。この辺りもイルミネーションが輝いており、カップルの居場所としてはうってつけだ。
実際、公園のベンチや会談の隅はどれもカップルでいっぱいである。そのため、2人はゆっくりと幻想的な景色の中を歩いた。
「一周歩けば、結構時間がかかっちゃいますね」
そう言って、カエデは通り過ぎるカップルを横目で見る。誰もが楽しそうに笑っていた。自分達も、他の人からは同じように見えているのだろうか。
その横顔を、タカトシは見る。ネオンに照らされているカエデの顔は、どこまでも可愛くて、そして綺麗だった。
深呼吸する。タカトシの意図は、握り返される手の強さで伝わっている。
「カエデさん」
「はい・・・・・・」
「愛しています」
「んっ!?」
本当は、こんな所でするつもりはなかった。もう少し人気がないところとか、彼女の同意を得てからとか。
けれど、絶対にしたいと思った瞬間、彼の身体はもう動いていた。少しだけ強引に、カエデの唇を奪っていたのである。
「んっ、んむっ・・・・・・あふっ」
しばらく唇を合わせてから、お互いの舌が絡む。そして、ゆっくりと離そうとした途端に。
「んっ!」
「むっ!?」
今度は、カエデの方から唇を奪ってきた。ギュッと抱きしめてきて、いつしかお互いに輝いているネオンの下で抱き合った。
他のカップルの視線なんて、気にもならない。むしろ2人の行為を見たカップルも刺激を受けたのか、自分達もと隣にいる恋人とキスをし始める。
あっという間に、風景の一つとして溶け込んでいく2人。やがて、そっと唇が離れた。
「もう・・・・・・突然は困ります」
「今のはおあいこじゃあないですか。むしろ、お返しまでされてしまいましたし」
「あうう・・・・・・でもっ!」
言葉とは裏腹に、カエデは顔を真っ赤にしたままタカトシの胸に顔を埋めてくる。もちろん、そんな愛しい彼女を彼は離すことはしない。
「カエデさん」
「なに・・・・・・」
「好きです」
「私だって・・・・・・好きです」
そう言い合って、2人はどちらからともなくもう一度唇を重ね合わせていた。
終わり
大変お久しぶりです。不肖の玖堂と申します。
こちらは体調を崩しつつも、どうにか毎日を乗り切っています。皆様も体調管理には充分お気をつけください。
さて、今回。連載の予定は全くないにも関わらず、またしても投稿をした理由といたしましては・・・・・・
久しぶりにいくつかの声や感想をくれた方々がいて柄にもなく感動してしまったから、です(キッパリ)。
いや、本当に読者様の声というものは作者にとって励みになります。原作も本編もとうに完結しているからこそ、なおさらそう思ってしまいます。
そこで、せめてものお礼といたしまして、今回はカエデの大学の入学式前。新しい門出のために2人の愛を再確認する一コマ。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
桜才学園関係者やシノ達が一切出てこないというのは、彼女らのファンの方にとっては申し訳ないと思っています。しかし、今回は純粋に2人のデート回ということで大目に見ていただければ。
途中、すでに卒業した元新聞部部長の影がおりましたが、そこはもう本当に気にしないでください。彼女もまた、卒業後も2人の関係を見守っているのです。裏設定では、今でもカエデやタカトシとは偶に連絡を取り合って、2人の関係を冷やかしているとか何とか。
それでは、また別の作品で。